□ 2024 徒然の日々ログ □


□ 2024年あけましておめでとうございます! □

あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします!

さて、去年の振り返りからしましょうかねぇ!
去年のメインイベントである、天空小説アンソロジーは無事発行いたしました! 売り場でお礼の手紙というかイラストせっせか描いてる怪しい主催がいるサークルスペースになりましたが、つつがなく企画を完了することができました。参加者の皆様に感謝でございます。
アストルティアの星は志低めに嵐の領界完走とか去年の初日に言ってましたが、水の領界完走して嵐の領界突っ走ってナドラガを討伐して、ナドラガンド編を完走しまいました!相変わらずペース配分がおかしい。あのボリューム一年で消化しちゃうん?しちゃったんだよ(白目)
絵は頑張れませんでした(ぐふ)
手芸はがんばりまして、某エストリス好きさんが愛を捧げる存在がこの世界に爆誕してしまいました。良い出来でした。本当に良い出来でした。
DQ10はなんとかアストルティア満喫しているミトラーさん迎えに行って、物語を進めることができました!あーよかった!なんだかんだで最新バージョンもしっかりストーリー追えたので、復帰でしょう。個人的に今年から入国料金が値上がりするらしくって、地味に痛い。キッズで入るのは嫌な人なので課金はしたいが、お休み期間が増えるのかなぁと思ったりします。
あと、お仕事やめました!いやっほう!
去年は突発性難聴やったり、終わらない疥癬に『もう、この職場絶対やめた方がいい』って固い決意で辞めてきました。まだ辞める時も通常疥癬がいて、今も自分の体の中にも絶対いるわって思ってるので二ヶ月の潜伏期間中はニートします。ニート期間中は掃除頑張って、旅行行ったりするんだ!する。する、よ?
年末に仕事を辞めた事を打ち明けた友人に『フリーなら仕事しにきて!助けて!』と誘われたので、週一でお手伝いに行きます。

続きましては今年の目標。
今年はとりあえず紙媒体としてDQ9完全版出したい。そしてそれを新刊としてイベント出たい。
(いやさ、DQ10最新バージョンがDQ9後日談とかいう恐ろしい噂を聞いて未だに情報確認できなんだわ。というか、アストルティアの外にDQ9の世界があるという設定で書いているんだから、公式に9の後日談を出されても齟齬はないんだが、まさか9の世界が10で来ると思うか?これは試されている。絶対に遅れを取るわけにはいかない(何にだ)
とにかく、9本を出さねばならない。不退転を本という形にしなくてはならない。
アストルティアの星はアスフェルド学園を執筆しつつ、ver4.1をもちもちと書いていく予定です。むしろアスフェルド学園、まだ親密度最高の状態誰も見れていないので頑張りましょうね。
一次創作も書きたいし、7竜も今まで書いた分を復活させたいものです。

仕事を退職してから一日30分程度を目安に散歩をしています。
流石に数ヶ月はニートするので、筋力が落ちたら仕事できなくなっちゃいますからね。お外出ると出無精が改善される気がして良いと思ってる。習慣化できるといいですが、逆にリングフィットがおざなりになってます。悩ましい。

ゲームとしてはちょこちょこと積みゲーを消化していきましょうというところです。バリアスデイライフも全地域解放まで進んでシナリオ後半に進みつつあると思うので、まずはこれをクリアしたい。あのゲーも全クリ目指したいですね。アルセウスも良い加減クリアしましょう(育成苦手)

絵も頑張りましょうねって言ってますけど、文具博で今流行のガラスペン買ったので、家にある大量の紙を消費していきたいと思っています。いろいろ書いて落書きをタイッツーに放流して行きたいものです。
とりあえず、一年は絵を書いて絵を描くのが苦痛じゃない程度になりたい。

新しい職場は秒で就職できるでしょう。介護現場はどこも人がいないので、電話して働きたい介護福祉士持ってますって言うだけで採用です。今度の職場で夜勤するなら、二人以上のでかい所に行きたいものです(一人夜勤のプレッシャーがだいぶきつい)

2024/01/01


□ 広島へ旅行に行ってきた! □

私の修学旅行先は沖縄でして、広島には行っていなかったんです。
はだしのゲンは小学生で履修済みでしたが(読んだ直後に給食食べてたので、グロ耐性は当時から持っていたようである)、日本人としても一度は原爆ドームとか資料館を見ておきたいなって思っていました。行こう行こうと思って、今回の休職期間(友人の職場の手伝いに週2・3で行ってるので休職と言って良いのか?)にいきまっす!

久々の早朝の国道めっちゃ混んでるな!余裕を持って出発したけれど、事前に調べた時間で電車に乗り、新幹線に間に合いました!富士山は雲被ってるなー残念とか、名古屋にトロフィーみたいな建物あるなーとか、姫路城遠い!もっと近くに寄ってくれとか思いながら広島到着です!
時間的にも広島って遠いんだなってつくづく思います。
広島駅からそのまま厳島神社へ。
新幹線からJRに乗り換えしちゃったけど、新幹線の切符で駅から降りれるのか?とか、確か関西圏はICOCAでSuicaは使えないんじゃないかって思いましたが杞憂でした。流石、世界に名だたる観光地。Suicaどころか存在するだろうICカード全対応です。窓口で精算してもらって、宮島口に到着です。すごい潮の香り。目の前にでっかく宮島が横たわって海感ゼロですが、やはりここは瀬戸内海なんだなって実感します。
しかもフェリーも15分間隔で、ICカード対応とかすごいな!対応ICカード8種類くらいあったぞ!

フェリーは二種類ありまして、宮島に向かって右側のフェリーが先に乗れたのでそちらで。すでに鳥居が小さく見えるし、フェリーで接近しながら宮島に行ってくれたので海側からもしっかり見れました! っていうか、島なのかってくらい大きい。山もなかなかの標高がありそうだぞ?
流石、島。潮の香りがすごい。一時期、相模湾の方に仕事に行ってた時よりも潮の香りをキツく感じるんだが、私の鼻が良くなったのか?(それはない)
揚げもみじ食べました!とても美味しかった!!!!さくとろです!!!
厳島神社に到着の頃には雨も結構降ってきまして、なかなかの情緒です。晴れてる時とか人がいっぱいなんだろうなって思いながら、閑散とした境内を拝観します。


雨が今にも降ってきそうみたいな天気だったので、山が烟ってとても幻想的でした。ちょっと晴れでは見れない感じでとても良かった。
豊国神社というか千畳閣行ったんですが、神社見つからなかった。あれ?
この穴は絶対に何かを見る為にある!と覗いて鳥居が収まりました!やったね!

宮島口から広島へ戻るのは広島電鉄で行きます。一時間近く掛けて、広島市内に入ると路面電車感がすごく出てきます。
あまりにも時間と距離があるので、運賃が心配になってしまいましたが300円は行きませんでした。ほっ。JRよりも高いし、時間は掛かるけれど、原爆ドームも見れましたし、広島市内の雰囲気が感じられてよかったです。アナウンスをスポーツの選手がしていて(ドラゴンフライとか言ってたし、宮島でもバスケ選手推してたのでバスケか?とか思って検索したらそうだった)、面白い試みだなって思います。選手だけでは無く、ゼネラルマネージャーまでアナウンスしていて正直笑ってしまった。自分が乗り降りする駅のアナウンスをする選手が推しになったりするのかな?とか考えながら乗ってました。

広島来たならお好み焼き!!(牡蠣はちょっとお腹が弱くなってしまったのと、それほど好きではないのでやめました。お酒も気分じゃないので今回は飲んでない。しょんもり)


JR広島駅南のガード下の『ゆうゆう』さんという店で食べたんですが、こう、地元に昔からありそうなお好み屋さんの風情。おしゃれファッショナブル望んでる人は絶対選ばない。
人生初の広島お好み焼きですが、美味しかった!
あんまり麺が好きじゃないので『食おう!』ってならないと食べないんですが、一枚でお腹いっぱいになるボリュームで美味しい。麺は細めで柔らかめ、ちょっとだけ残ったキャベツの食感と、かりっと焼いたお肉、イカやエビといった具と好きなように組み合わせて食べれる。鉄板前のカウンターなら焼いてるところも凝視できる。お好みソースは焼き上がった後店員さんが塗ってくれるが、手元にソースが置いてあるので自分で好きに掛けれるの嬉しい。冷凍庫から今取り出しましたレベルのジョッキに烏龍茶注いでくれて、この店は信頼できると思いましたわ。烏龍茶200円で安すぎワロタ。

2日目は広島観光!広島駅近くの宿から歩いて原爆ドームどれ位掛かりますか?って聞いたら、宿のお兄さんが『(この距離歩くなんて本気?)広島電鉄使って行くと良いですよ』って言って地図持たせてくれました。まぁ、横浜市民は横浜関内間くらい平気で歩くので、地図片手に広島城→原爆ドーム→原爆資料館の順で巡ります。
原爆ドームと平和記念公園と資料館が直線上に結ばれてる設計がとても素晴らしい。自分の目でオブジェと炎とドームを見た時は『凄いな…』って語彙を失いました。借景の概念と、山とかを御神体にする鳥居の概念が混ざって、原爆ドームは原爆で形が残ったが故に原爆の全てを抱き込んだ象徴なんだなって思いましたわ。
その後に原爆資料館に行ったんですが、展示をすごく選んでるなって感じました。赤裸々な投下直後ではなく、今を生きる人達がショックに感じない程度を厳選している感じ。過激に殴られて吐きそうになるかと身構えてたんですが、情報として聞いていた内容に千枚くらいオブラートに包まれてたので拍子抜けでした(多分、小説嗜み過ぎの弊害)
それよりも、当時の人々が残した肉筆の手紙とかが涙腺にきましてね…。
出だしで『"子供の名前"ちゃん』って、その後の内容もきちんと読むと過保護なまでの親の情がいっぱい詰まってて涙が止まらなかった。かなり心配性な自分の母親と重なるのもたまらない。
原爆の爆風で倒壊した家屋の下敷きになって抜け出せず、火災によって焼かれていくのから逃れる背中に浴びせ掛かる助けを求める声や断末魔の叫び、想像するだけで胸が痛い。電鉄の路線にずらりと並んだ遺体から姉を探そうと思ったが、怪我をした足が限界だったので戻ったら翌日には遺体が全て片付けられていて、どうしてあの時探すのをやめてしまったのかと一生悔やむ話。生き延びて元気だったのに、原爆症で体に死の斑点という紫の斑点が出た時の絶望感。髪がゴッソリ抜けるとか、恐怖でしかなっただろう。生き延びても後遺症のせいか家族が崩壊して、後遺症を患った人の死で崩壊が終わる後味最悪の展示もあった。
何を置いても被曝した方々の体験談が、当時の文章力の高さを感じさせる。皆が文才を持っていたかのように、生々しく詳細に語る言葉の連なりに、正直嫉妬を隠せなかった。もちろん、その記憶を将来に繋げようとする使命から紡がれた言葉だ。珠玉でありその人の最高の表現で比べるまでもない。でも、胸に迫る言葉を綴ることが羨ましくてたまらなかった。
平均45分くらいで回るって聞いたんだが、結局3時間くらい掛かった。
今、おかわりで朝日新聞の広島・長崎の記憶を読み漁ってるんだが、広島歩き回ったりしたおかげで立地関係とか理解できたりしてとても生々しく感じられるようになりました。

最終日は一生に一度は行きたかった『稲野駅』に行ってきました!
いやまぁ、稲野ってHN使ってるからって程度の理由だと思ってくれ。存在は十年以上前から知っていたんだが、最近になってフォロワーさんが通っている宝石カフェがあると知ったのです。フォロワーさんに会いに行くのと、行きたいなって思っていた地が重なるった!
しかし、稲野は大阪はJRしか使ったことない素人なので、阪急電鉄ってどこさね!!!阪急電車がそれか?阪急梅田駅って案内板に書いてねぇ!!!とJRで最寄の改札を探して歩き回り、最終的に駅員さんに教えてもらって行った。町田駅の乗り換え(小田急とJRもなかなかに離れてる)に匹敵するが体感的にこちらの方が遠い、迷子必死である。
でも、流石私鉄。深いワインレッドの渋い色(のちにフォロワーさんとご一緒した方に、マルーンカラーだと教えてもらった。ま、まるーん…?ってなったがマロンに由来すると検索で引き当てて納得である)
ミネラルショーとか即売会イベントは足繁く通ったが、石の実店舗って実は初めてです。こじんまりとしたカフェ。お会いしたフォロワーさんがめっちゃ小声で話すので、他のお客さんの迷惑も考えてるんだなって自分も小声になる。実はテンションと声量がリンクする体質なので、ローテーションでちょっと申し訳なかった。しかも即売会の無造作に並べてある雑然とした感じと明らかに違うしゃれおつ感。こういう店に通ったら札束が溶けて行くなぁと思いました。今度、どっかの石の即売会行こう。
珍しいピンクの蛍石や、赤い紫水晶、無造作に転がった石を持ち上げて『大きさの割にめちゃくちゃ軽いけど、プラスチックじゃなくて明らかな石の造形だしなんだこれ?』とか思ってましたが琥珀だったり、石福袋のご開帳を横で拝見したり楽しいひと時をいただきました。

ちょっと早くに解散になったので、指定予約してあった新幹線を前の時間に変えてもらって帰宅です。
こう、一人旅って普段の生活じゃ絶対感じないことを体感できて、いい刺激です。
いろんな人の優しさを感じた楽しい旅行でした!

2024/01/21


□ TOHOさんの手芸キットを作った! □



現在、友人の仕事のお手伝いに行ってる合間に、部屋の片付けしています。そんな中で出てきました手芸キット! 十年くらい前に手芸屋さんで購入して、ようやく昨日と今日とで作りました。
稲野はアクセサリーは身につけない物は買わないので、結構厳選して購入を決めます。そんな中でこの手芸キットは、見た目から好きな感じで『作って身につけよう!』と思った珍しい例です。男女兼用のデザインで、私は結構無骨なアクセサリーも好きです。

ビーズを編み込むような奴らしく、ガンプラよりも作り甲斐ありそうです。
キット作るくらいなんだから初心者向けだと思ったのに、全然初心者向けじゃない。え、なにこれ普通に難しい…ぞ?
単調な作業で慣れは出てきましたが、それもこれだけ長さ作るのに同じ作業していればな!ってなります。制作指南書の完成段階でも、指先から胸くらいまでありそうな長さです。
ビーズが紛失対策で多めに入れられている関係で、他の手芸に転用できないようなビーズはブレスレットで使い切ります。腕に何重も巻くデザインとはいえ、最終的に1メートルはあるのではないか?という次第です(ちょっと怖くて測れない)
やっぱり糸を引っ張る加減なんでしょうが捻れちゃって、これを売り物として作る人はすごいなぁって思ってしまいますね。糸も細い割にめちゃくちゃ硬くて強いので『これって何糸なんだろうなぁ?』『刺繍糸と同じ感覚で使えなくて、絡み方がやばい』とか思いながら作ってました。

作業中の呟きとかまとめ



久々に新しいことに触れて、充実しました!(つやつや)
キット代1500円だけど、それ以上の完成度で満足感ある難易度でした。ありがとうございます!

2024/01/27


□ 横須賀に観光行ってきました! □

実は母方の実家が横須賀の方でして『あんた、行った事なかったの!?』って驚かれたのが始まりでした。母から百聞しているだけの地、横須賀に一見しに行きます!

まぁ、折角三浦半島の方まで行くので、海くらい見たいじゃないですか。先ずはJR横須賀線終点の久里浜を目指します。久里浜行きもたまにあるんですが、圧倒的逗子止まり。今回乗った電車も逗子止まりで、逗子から4両編成の久里浜行きに乗り換えます。
神奈川の東側で4両編成とかあるんだな…

そして到着、久里浜。うーーーーーん。なにもない。(帰宅後は母よりペリー来航場所は久里浜なんだよって言われて、え!教科書では浦賀だって書いてありましたけど!?って調べたら浦賀は浦賀なんだが現在の久里浜だった。詳しく検索してほしい)
仕方がないので、京急線に乗り換え三浦海岸を目指します。
三浦海岸に降りて駅から少し離れた海岸目指して歩いています。なんだかパカラパカラ音がしましてね、目の前になんだか馬が見えるんですよ。車がすれ違うのやっとって決して広くない道の、端っこに引かれた白線の内側に馬が歩いてるんですよねー。三浦半島ではよくある光景なんですか?



観光客が乗ってるっぽいので、今流行りのアクティビティの一種なのでしょう。(母情報では、昔っからあって安全上のあれこれで揉めたりしてるらしい)海岸方向と行く方が一緒で、馬の後を追いながら三浦海岸入りです。



海ですねー。対岸にうっすらと房総半島が見えます。大きいですねー。30分ほど砂浜に腰掛けてぼーっとしてました。

横須賀といえば米軍基地。先日見たテレビで記念戦艦『三笠』が写っていたので、それを見に行く! 京急で横須賀中央に行き、そこから三笠公園を目指します。普通に1キロあるらしく、近場でお手頃な観光名所ではない(母曰く、バスで行け)(バス停4・5区間分くらいあった)
三笠公園目指してえっちらおっちら歩いていたら、米軍基地入り口が見えてきました!(母解説では三笠公園側が裏口とされており、米軍基地解放のお祭りの際はこの裏口から荷物検査の上入れるらしいです)
せっかくだし、横須賀名物である海軍カレーを食べようと思ってお店を物色。
近くにあったゴルカパレスさん、安いな!とか思いながら入店。



なんと、インド人らしき方が多数働いているカレー屋ですよ!!!!!インドの人が作るカレーに間違いはねぇ!!!!!(圧倒的信頼)ナンもすごく大きくて美味しそう!!おかわり一回できるらしい!!(ナン大好き!!!!)



あぁ、しかし、観光で海軍カレー食べておかなくちゃって思ってるんだから、泣く泣く海軍カレー頼みましたよ。ご覧ください。具の大きさがバグっております。ご飯も控えめに言ってお茶碗二杯分くらいあるぞ盛りすぎじゃないか?じゃがいももにんじんもデカ過ぎて目が花粉症でオートマヌーサの幻でも見ているかと思いますし、鶏肉もほろほろで最高に美味しいですけどでかいんですよ。これでサラダスープソフトドリンク牛乳付き(母解説で海軍カレーは牛乳が付くものらしい)1300円は観光地お値段じゃないよ。従業員のお給料大丈夫か心配になってしまうレベル。味が気になってスープ啜っちゃったけど(ちなみに本日のスープが豆腐スープで、コンソメ系にスパイス効いた面白い味だった)、お腹はち切れそうです。冷たいソフトドリンク頼んでたら確実にお腹痛くて泣いてた。
お店のお客さん半数以上米軍関係者らしき外人ばっかりで、異国情緒満載ですね。米軍の方には英語でオーダーやりとりするけど、日本人にも日本語で対応してくれるのありがたい。
いやー、きっと海軍カレーを扱う数々の店の中でも最高の回答だろう店を引き当てたと思う!お腹が満たされて元気になったところで、三笠公園到着です!

ちなみに、この公園の横に横須賀北九州間を往復するフェリー乗り場があるんですけど、あのマンションみたいなのがそのフェリーなんだろうかと思って見てました。
かつての現役艦であった三笠も素晴らしいんだが、奥のマンションみたいなのを見てしまうととても小さい。かわいいね。



ちなみに、三笠公園の奥の方へ行くと島が浮かんでいます。母からも幽霊に憑かれそうと度々聞いていた猿島です。泳いでいけそうとか聞いていたが、全然遠いぞ。
そのまま三笠公園からJR横須賀駅に抜けられると思って奥に行くと抜けられない。
そりゃあ、お隣さん米軍基地ですもんねー!抜けられるわけがないですねー!!!!
泣く泣く来た道を戻り、横須賀駅を目指します。
米軍基地がある街らしく、街を歩いていると軍服姿の外国人がいっぱいいます。そして、軍人相手に飲食業がとても盛んです。横須賀中央も確かに繁華街でしたが、米軍基地に面を向ける形で飲食店が立ち並んでいる様子に、横須賀が米軍の街だと思わされますね。
歩道橋の上から米軍基地の正門とか、人が通るための小さなゲートとか右手に見ながら歩きます。それにしても横須賀駅遠くて泣きそう。ようやく道路に横須賀駅の名前を見つけても、まだ歩く。ついに横須賀駅前のヴェルニー公園到着です。
ここからは軍艦が見えたりして、アメリカの国旗や日本の海軍の旭日旗とかあって軍の街なのを感じられます。ちょっと日本っぽくなくて新鮮な観光でした。
ようやく辿り着いたJR横須賀駅は、母解説で段差のない駅と聞いておりまして圧倒的バリアフリー感に感動しました!

もう、歩けない(母曰く、一日で巡る行程じゃないし、バス使え)
そんな疲れ切った稲野は、帰りの市場にてレタス3つ100円の誘惑と、ちんげん菜78円の囁きと、銅の剣くらいの長さと言って過言じゃないだろう丸々太った立派な大根の無言の主張に屈し、重い荷物を抱えて帰路に着くのでした…。

2024/03/04


□ 鳥山明先生に想いを馳せて □

良いかね、諸君! 頭を打って外傷がなかったとしても、数日間は要観察なのである!!それはなぜか。衝撃で脳血管が傷ついても出血が少しずつだった場合、症状が現れるのは衝撃を受けた直後ではなく暫く後に現れるものなのです。
病院に救急搬送かけないんなら、普段より注意するんだ!お前の感じた『いつもと違う』が目の前の利用者を救う!!!!

こんな唐突に鳥山明先生の訃報を聞いて、ショックで何も浮かびません。
開幕でテンション上げてみたけど、とてもとても気持ちが上がりません。テンションは消費されてしまいました。テレビでは訃報がずっと続いていて、心の整理がつきません。すぎやま御大はご年齢がご年齢だったので覚悟はありましたが、鳥山先生はお若かっただけに衝撃が凄くてですね。
テレビにドラゴンボールの映像を流れた瞬間、さっと横切った死の予感が、瞬き一つ後には訃報の報道として突きつけられるのは大変きつうございました。

私の鳥山先生は、おそらくアラレちゃんあたりかもしれません。
しかし、幼い頃の私はテレビに興味がない子供だったので、アラレちゃんもドラゴンボールもテレビに齧り付いて夢中で見る感じではありませんでした。テレビでたまたま流ているアニメを見ているという感じで、この番組を見たい!という感じではありません。
それでも、元気なアラレちゃんが、悟空の奔放さが、とても記憶に残っていました。最も古いアニメ鑑賞の記憶は、確実にアラレちゃんです。
実はドラゴンクエストも、ロトの紋章からです。ゲームからではなく、友人が貸してくれたガンガンで読んで知ったのです。ドラゴンクエストというか、ロトの紋章として、このジャンルに足を踏み入れたのです。ダイの大冒険も10巻くらいまで読んでたんですが、なぜかドラクエって認識ではなかったんですよね。
ですから、初めてSFC版ドラゴンクエスト5のパッケージを見た時、ドラゴンクエストのコミカライズであるロトの紋章やダイの大冒険の印象は一切なく、アラレちゃんやドラゴンボールの印象も環境が変わって経過した年月で消えてしまっていました。偉大なる鳥山先生という先入観は、一切なかったのです。
ただただ、鳥山先生の絵柄に惹かれた。
一瞬で心が掻っ攫われた。
これは絶対に面白い。
そう確信させるものが、あったのです。
5主人公が遠くを見つめる後ろにいる、キラーパンサーとビアンカ。そして背景として描かれた世界が、とてもとても魅力的に写ったのです。
本当に鳥山先生は、ドラゴンクエストの世界を正確に描き出していたと思います。そのゲームの世界の雰囲気を、世界を、たった一枚のパッケージに描き出す。先生以上にドラゴンクエストの世界観を描き表せる人は存在しないと、思ってしまうのです。DQ10オンラインのver6からのパッケージデザインは鳥山先生ではないので、どんなに絵柄を似せた人が描いても、余計に先生の力量を感じて比べてしまいます。

先生のご冥福を祈っております。
しかし、祈りながらも元気玉のように輝く束られた多くの尊敬を見下ろして、笑っておられそうな気がします。仕事柄お看取りの瞬間の最善を目指すものですが、看取った後も晴れやかで穏やかな雰囲気が残されるのはお人柄あってでしょう。静かに涙を浮かべながら悼む皆様の心を、鳥山先生の明るく飄々とした雰囲気を包んでいる。残された者の肩を抱き、背を叩くようなそんな前向きさ。誰もが先生にお会いしていなくても、作品に色濃く反映された先生を読み取っている。
こうありたいものだと思います。
ドラゴンクエストの創作を趣味であれしている以上、先生が描いた表紙を飾るジャンルに泥を掛けないクオリティを目指して精進したいものです。今より明日の創作が素晴らしいものであるように、ドラゴンクエストの世界が素晴らしい事が誰かに伝わる、そんな前進の果てに先生のような表現があると思っています。

素晴らしい作品をありがとうございます。
先生の作品に触れて生きれこられた幸運を、嬉しく思います。

2024/03/14


□ NHK交響楽団のドラゴンクエストコンサートに行って参りました! □

ありがたくもお誘いいただき、コロナがあって、突発性難聴やって、初めてのコンサートです。嬉しいし感慨深いです。
稲野はNHK交響楽団のコンサートは初めてでしてねぇ…。
手持ちのCDも公式ゲームで使用されてる東京都交響楽団がほとんどで、4だけロンドンフィル版と、実はN響がドラクエを演奏した事があってCDの存在も知ってるんですが持っておりませんで…。実質初のN響ドラクエな訳ですよ。
しかも、DQ小説同盟の盟主殿である朝来さんと、先輩サイト管理人であるヤミーさんとご一緒です。お世話になってる方々で、頭上がりませんー。

今回はコンサートの感想がメインになります。



会場は池袋の東京芸術劇場!席は三階だったんですが、高所恐怖症の人とか胃が縮み上げってしまうのではないかという高さ。とても大きなホールです。さすがに楽器が大きくて間隔をあけてるコントラバスや打楽器、大型管楽器は見分けがつきますが、中央のみっしり集まってるあたりだともう楽器の判別がつかない距離です。うーん。オペラグラスを本格的に買うべきか悩んでしまいます。
他の楽団のコンサートだと舞台いっぱいみっちりに席が用意されている印象なので、わりとこじんまりした席の印象に『少数精鋭か…さすがNHK…』とか思っていました。
演奏会のチラシだけで「袋に入ってる…」と思わずつぶやく厚みです。

物販もなかなかの品揃えで、すぎやま先生が手がけたドラゴンクエストのCDは全部揃ってそう。私も見たことないCDあります。もちろん、今回演奏されるエルガーやストラヴィンスキーのCDもあるのですが、ちょっと勉強が足りないので見送りです。
でもNHK交響楽団だから、歴代大河の主題曲アルバムがありましてねぇ!(あんまり大河見ていないんですけど)買いました!!!

開幕は5の序曲。勢い迸る太鼓と、シンバルが沁みる。CDだとそこまで前に立たない、いや、立てないこの二者の演奏に、コンサート来たなぁ!!!!!と思います。都響版だと太鼓がないのか、太鼓ばりばりに効いた序曲良いなって、拳を握っちゃいましたよ。

エドワード・エルガーより子供の魔法の杖
他の楽団と違ってドラクエと銘打っても、ドラクエ以外も演奏されるので事前に聴き込んで参りました。事前告知されておきながら、知らない曲だと楽しめないと辛いですし。やはりクラッシックを基盤に作られたドラクエの音楽に馴染んでいるだけあって、結構すんなり行けてしまうのに助けられます。
序曲の疾走感というか爽やかさが聞き込みのところでも好きだったんですが、音の透明感というか軽やかさ嬉しいですね。そこからメヌエットの重み。腹の底に響く重低音に可愛らしく跳ねる高い音。最後に向かって盛り上がっていく感じ、求めるものに応じてもらって音出してもらって救われるー!とか思いながら聞いていました。

4から海図を広げて
海の雄大さよー(天を仰ぐ) 重さでも盛り上がりに強弱がついていて、大きく広がる感じのところでわあーーーっと音を感じると思わず涙腺が緩んでしまいます。
栄光への戦い
あああーー!ピサロ様戦ですね!
もっきんーーーーー!!!ですよね? 木琴響いて最高です!!!!!!最後決戦に燃える闘争心の上にバチ振り下ろして火花ばちばちに飛ばしてほしい!管楽器も吹いてー!吹いてー!!腹の底に響いて!コントラバスめっちゃ弾いてて見ていて気持ちいい!うおおおおお!!!ピサロ様ーーーー!!!!
スピードが上がってる!!!!?????
いや、これ、都響やロンドンフィルよりちょっとだけ早い!!!!!!!(後で同行者の方々からN響版は早いと聞きました!)ゆっくりの重厚感とは違う、戦いの緊張感!!
燃えるーーー!!かっこいいいいいい!!!!ありがとうございます!!!!!!!

次はストラヴィンスキーの火の鳥
こちらも事前に聴き込みやってます。私の中では火の鳥はハーメルンのバイオリン弾きに出てくる、勇者ライエルの主力曲です。ピアノを弾く勇者だったので、ピアノが似合う曲なのかと思ったら、意外にそうではない???やはり普通召喚は『火の鳥』で火力増加の時とか『魔の踊り』とかそこらへんなのかとか、首を傾げながら聴き込んだものです。やはり文字だけじゃなく、実際に聞くといいものです。
そんなストラヴィンスキーは、個人的にとても好み。
『カッチェイ王の魔の踊り』は開幕の大きな響きに続く激しい音楽に、決戦にふさわしい。DQも戦闘曲が好きな人になら推せるし好きになる曲!技量の高さを魅せる演奏に、盛り上がりが天井知らずに上がり続けてこちらもテンション上がるのが止められません。
そんな暑くなった気持ちをクールダウンするように、子守唄に移行します。
いやもう、小さい音が細波になって紡がれる音がすごい。素人的には大きい音!響く!すごい!ってなりがちで、小さい囁くような音をあまり気にしていなかったんですが、意識を吸い込むような小さい音を全面に出して子守唄ーって感じでした。
終局はDQのフィナーレを連想させる希望溢れる感じが好きでしてねー。音楽に光を感じる。盛り上がっていく音に、希望を浴びてるーと目を閉じました。

第二部はDQ3なんですが予定時間が38分と記されていて、行けるか?いや、行けるか…と首を傾げていたんですが。
名探偵朝来殿『これは1987年版と書いてあるので、ローリングダイスとか追加された分がないだろうと思うので、この時間なんだと思います!』と名推理ぶりを遺憾なく発揮し、見事的中しております。すばらしいー!
序曲が開幕5の序曲と聴き比べできて、贅沢です!全体的にしっとりと落ち着いた3も良いですよね。
王宮のロンドのバイオリンの明るい響きが遺憾なく発揮されて良いし、世界を回るで世界一周を感じられる。ピラミッドが若干早いような気がして、これはプロのカスタネット!?と目を凝らしました。
3のほこらは稲野的に上から数えたほうが早いくらい、神秘的な感じが好きな曲でしてね。開幕から神聖さや神秘さを惜しみなく響かせてくれてありがとうございますってなります。
追加の曲がないからか、やや駆け足に感じます。
おおそらをとぶは本当に涙腺をこじ開けてくれる。うつくしいとか、こうごうしいしか、語彙が出てこない。
ここから戦闘の鉄琴!!鉄琴!とか拳を握りながらの、アレフガルドの物悲しさでゾーマ戦に備えます。アレフガルドのハープは当時の銀の竪琴を携えた吟遊詩人ガライを思うと、アレフガルドに実際ある楽器の響きに最も近いもので荒涼と広がる人類の終わりに響く竪琴の美しきものがなしさよ…と感慨深く思います。
勇者の挑戦!あぁー!アレフガルドの物悲しさから唐突にいきなり、雷が落ちるかのように響く開幕。がんがんと上がって熱を帯びていく演奏。激しい指揮者さんの動きよ!最後に拳を振り上げた時も、自分も内心大喝采でした。
そこからのそして伝説へ。ドラゴンクエストのコンサートだと良くアンコールで流れるので、もう、演奏会終わっちゃうって名残惜しさしか感じない。火の鳥の終曲と同じくらい希望に溢れた終わりなのに、あぁー、終わる、終わってしまう……。

アンコールは5の序曲に対しての選曲、結婚のワルツ!!!!!!!!!!!!
あぁあああありがとうございます!!!!!!!!
正直、アンコールの常連である『そして伝説へ』が既に演奏されて、何がアンコールで来るのか疑問でした。しかし、完全にすぎやま御大のドラゴンクエストを聴いて愛した人達が、最高の解答と答えるアンコールです!!!!!5で始まり5で終わる。これ以上のアンコールは存在しない。ありがとうございます!

最後に指揮者の方が楽譜を上げた所で、会場全体が感動に震えたことは間違いない。
最後に指揮者台に残された真っ白く輝く譜面が、一分ほど目を離した隙に消えていて、すぎやま御大を想わずにいられませんでした。こうして演奏され、聴き継がれていく時間が末長くあってほしいものです。

NHK交響楽団の皆様、素晴らしい演奏をありがとうございました!!!!

2024/05/09


□ 『ハコの開き』は二十周年を迎えました! □

天空の日(10/9)なら忘れるこたぁねぇだろう! という事で、実際には9月末あたりとあやふやだったサイト開設日を、10/9とした弊サイト『ハコの開き』は二十周年を迎えました! 遊びに来てくださる方々、ありがとうございます!!!!!
お祝いは自分では特に用意してないので、ブログのみご挨拶でっす。

ハコの開きを開設する前、学校の行き帰りの電車内でメール小説を書き友人と見せ合いっこしていたのが創作の始まりでしょうか。一応、中学は美術部、高校時代は漫画研究部と美術系ではありましたが、創作に関してはそこまで熱心ではありませんでした。メール一通に対する文字制限である500文字内で いかに物語を詰め込むか、友人の反応が楽しくて熱意に火がつきました。このメール小説は現在聖剣LOMとして手直しされてサイトに格納されています。
そう、このサイトで最初に置かれたコンテンツは聖剣LOMなんです。
ちなみに、なぜ『ハコの開き』かといえば、当時パッケージデザインアシスタントのバイトをしていたので、展開図から箱の開きという連想から付けています。最初期のサイトデザインで展開図切り抜きしたイラストがトップページでしたね。懐かしい人は常連です。お世話になっております。
半年くらいしてDQ1小説が2週間という爆速で仕上がり(手直しが散々必要になる超荒削りな代物でしたが…)、DQ小説がメインになるサイトの第一歩を歩き始めました。
それからロト三部作が完結した頃に、完結した小説を紙媒体に残そうとしてDQ1小説完全版が出ます。DQ小説同盟アンソロジーなんか、本当にノリと勢いだったにも関わらず、多くの人の助けや参加してくださった皆様のお陰で形になったと言えます。
自分で本を作ってサークルとしてイベントに参加する事
同じ趣味で親しくなったとは言え、他の方に声をかけてアンソロジー本を作ろうと思った事
それらは、自分がサイトを開設した頃には、想像もできない出来事でした。想像するならまだしも、実際に作って参加して、参加者の皆様にお礼として完成品を送って、二十年前の自分に言ったらびっくりするだろうなって思います。
実際に十周年の時はアンソロジーとか出した後だったので、こんなのサイトを始めた頃の自分じゃ想像もできないだろうとか言ってたと思います。そこからの十年を考えると、DQ10の執筆が爆速になったのがホットトピックスでしょうか。今では100を超えて200に迫る勢いになって、死ぬまでDQ10を描き切る事だって夢じゃないとか自惚れてしまいます。逆に9がようやく紙媒体に落とし込めて、あまりにも完結に時間がかかったのにも驚かれそうです。
皆さんが年賀状を送りつけるお遊びに付き合ってくださるお陰で、ここ数年間の間に年賀状の画力が上がったのもいい思い出です。
DQ以外にもTOVやOPUS、星のカービィに7竜、入間くん、そしてオリジナルまで書き上げてDQだけじゃない、コンテンツだけは山盛りあるサイトになったと思います。
コラボとかでいっぱい遊んでもらったし、幸せなサイト運営者してました。間違いない。
手芸もなぜか上達し、立体ならなんか作れるレベルに達したのも驚きものです。よそ様のうちの子や、愛しいあの御方まで手がけてきて、良い仕事したなぁって思いますよ。
二十年。いろんな出会いと助けでこれたし、まだまだ行けてしまいそうな感じはします。

次の十年後も今の自分がびっくりするような出来事をする、良いサイトを作っていこうと思います。ピクシブやなろうなど、簡単に発表できる投稿型の世界が増えて発信は簡単になりましたが、自分の作品を、自分自身を、きちんと自分で行えるサイトがやっぱり好きなんでね!
今時点で着物を着ようとか思ってる自分にも驚きですが、サイトだからこそ運営者である自分が楽しくキラキラにはしゃいでいるのが良いのだろうなって思います。

これからも、閉鎖するまで弊サイト『ハコの開き』を楽しくやっていきます!
よろしくお願いしまっす!

2024/10/10