果てしなき世界
俺は傭兵として様々な事態に対処して来た。護衛していた商隊が魔物に囲まれ絶体絶命のピンチに陥ったり、通行予定の場所が崖崩れで通行出来なくて契約日数を超過しそうになったり、仲間の裏切りや騙し討ちも幾度も経験した。そう簡単には己の平常心が乱される事の無い図太い精神はを持っていたつもりだったが、俺は予想だにしない展開に混乱すらしていた。
目の前にはアレフガルドの魔物の長とされている竜王がいる。彼はその名の通り竜族を束ねる王であり、そのまま魔物達も統率しているのだろう。小さい魔物の姿をしているが、体の大半を覆うローブの隙間からは竜の持つ立派な骨格や筋肉が見え隠れしている。威厳に溢れ周囲を飲み込むような存在感を持ち、特に黄金の瞳は体つきのギャップがなければ魅入られてしまいそうだ。
本来なら敵対する可能性もあった存在。その存在が俺の隣で、のほほんと茶を啜ってイトニーの焼いたパウンドケーキを食っている。俺も魔物の大将の隣でお茶をしているわけだ。
俺は十年以上の傭兵生活の中だけでなく、これからの一生を生きても有り得なかった状況にどうするべきかパウンドケーキに利かせたシナモンを味わいながら考えていた。ローラの前で持論を繰り広げてこの先を説明した俺だったが、交渉する相手がまさか自分からこんな早く俺の前に来るなんて考えた事も無かったのだ。単刀直入に切り込むにしては、今の俺の立場は不利過ぎる。
本来なら竜王の方から切り出して欲しい今後の方針なのだが、当の本人はこのままお茶して帰っちゃいそうな程暢気だ。イトニーも俺をここに招いてしまった不手際があった直後とあって、俺をどうしましょうか?と切り出すのが気まずくて仕方が無いと言った様子である。
しかし、逆に考えるならこの状況は明らかに変だ。変過ぎて俺はそこに気が付けなかったのかもしれない。
竜王はローラ姫を攫った張本人であり、国宝である光の玉を奪った極悪人とされている。魔物でも特に知識と力を持った強力な竜族を束ねる者でもある。人々の中では極悪の代名詞だったかもしれないが、それはローラの扱い方と反応で俺の中では消えている。悪の化身とか権化とか言われている竜王とは、本当にそうなのか?
「なぁ…」
竜王は俺から声をかけられたのに驚いたのか、黄金色の瞳を何度も瞬きした。
それはそうだ。勇者が魔王ゾーマを打ち倒してから、魔物と人間は全くと行って良い程干渉しなかった。それは魔王ゾーマが一方的に行って来た侵略に交渉の余地が一寸足りともなかったからであり、アレフガルドの歴史上では非常に珍しい人間と魔物の接触になるのだ。竜王も知識があるので、人間が自ずから話しかけて来るという想像はなかったのだろう。
俺はそんな竜王の反応を少し楽しく受け取りながら訊ねた。
「竜王さんはさ…人間を滅ぼそうとかアレフガルドを制圧しようとか、そんな事を目的としている訳じゃないんじゃないのか?」
俺の問いに竜王は俺を暫く見てから、『ほぉ〜』と擬音が出るような絵に描いた様な感心した様子を見せる。
「人間は情報伝達が密であるとされるから、物事の考えもかなり偏っておると思ったが…。戦事を担う職の人間ですら、己の確固たる考えを持ち合わせておるとはなぁ。いや、だからかな?」
ぶつぶつと考えを漏らす竜王だが、その内容は俺も驚く程知的だ。流石、魔物を束ねるだけある。
俺も竜王に負けず劣らず感心していると、ローラがイトニーの隣から興味丸出しで話題に絡んで来た。
「そういえば、あたしも竜ちゃんから直に聞いた事なかったかも」
俺は鼻から茶が吹き出るのを耐える為に、思わず体が前傾姿勢になるのを堪える事が出来なかった。その様子から俺が吹き出しそうになった内容を、素早く嗅ぎ取った『竜ちゃん』こと竜王は凄く迷惑そうに眉根を寄せた。フォークを片手に弄びながら、ローラを睨む。
「頼むから、私の事を竜王と呼んでくれないか?」
「いいじゃん、減るもんじゃないじゃない」
「私の威厳がすり減る」
確かに『竜ちゃん』と呼ばれれば、こんな見てくれでも保っている威厳が減るのも納得だ。小さく少し丸い印象は幼いくらいだが、俺を始め魔物達は滲み出る魔力や実力から竜王という存在を認識しているに違いない。それが通じずに能天気に絡んで来るローラは、竜王にとって色んな意味で恐ろしい事だろう。
全く竜王の願い事を聞く気もないローラの様子に、竜王は非常に重たい嘆息を漏らした。そして、気を取り直して俺に目を向ける。
「折角こんな所まで来た訳だし、私の意見を聞く気なら是非聞いてもらうとしようか。時間もある事だし、先ずはお主の見解を聞いて私が答える形が分かりやすいだろう」
ほい、話せ。そんな軽いノリで竜王は俺の言葉を待っている姿勢になったようだ。
俺はそうだなぁ…と顎に手を当てて少し考える。ローラの軽口のお陰で、気分が随分と楽になったと気が付いた。
「光の玉が失われると大魔王ゾーマの時代の様に闇に閉ざされるという言い伝えがあった。アレフガルドの人間の一般常識だ。魔物が人間に敵意を持って実行したとなれば、確かに効率のいい方法だったろうよ。ローラ姫の誘拐もラルス王家への圧力や牽制として使い道もあるだろう。だが、事件があって人間に不利な状況には全く傾かない現状がある」
ふむふむと外見も相まって非常に幼く感じる仕草で、竜王が相槌を打ってくれる。
「ローラとイトニーの護衛という依頼の関係であれ、俺はラダトームから一緒に旅をした。その間を振り返っても、ローラが挙動不審な行動を見せる事は無かった。ローラはイトニーに監視されているとは言え、自分の意志でここに戻って来ている。それはきっと竜王率いる魔物が人間を滅ぼすとか俺達にとって不利益になる事が目的ではなかったんだと、ローラなりに感じていたんじゃないかと思ってね」
いきなり自分が話題に入っていると驚いたのか、ローラが目を真ん丸くした。その様子を含めて見ていた竜王は意地悪そうに笑って言う。
「私がローラにその事を感じさせないだけだったかもしれんぞ?」
「ローラはそこまで鈍感じゃないと思うな」
敵に捕まっている者の神経は、普段とは比べ物にならない程に研澄まされている。ローラだとて殺されると分かっているならば、ラダトームを滅ぼそうと竜王が画策していたならば、イトニーから逃げようと隙を窺いぴりぴりした雰囲気になるはずだ。それが、こんなに仲良しになっている。気が付けばローラが感動しているのかぽーっとした表情で俺を見ていたりした。
竜王は勿論、俺を試すつもりで発言したのだろう。小さく頷いて言う。
「お主の言う通り、光の玉は我々が管理している。失われた訳ではないし、我々の目的はお主の推論以外の事にあるので人間に不利になる事は先ず無い」
「竜王様、そこまでお話になって宜しいのですか…?」
竜王の発言にイトニーが少し慌てた様子で割り込んだ。どうやら魔物達の中では機密事項に触れるらしい。
「彼は確りした人物のようだし、話して我々の不利益になる事は無いだろう」
そしてイトニーに言葉にしなくとも何かを指示したのだろう。彼女は少し戸惑いを隠せない様子で席を立ち、家の奥へ消えた。といってもさして時間も経過したと思わぬ内に、色黒い彼女の腕に古びた地図を抱えて戻って来た。その地図は古過ぎて黄ばんでいるどころか彼女の色黒さと同じくらい黒ずんでおり、相当の古さを感じさせる物だった。
イトニーが持って来た地図を指差しながら、竜王は世間話でもするかの様に軽い様子で説明する。
「彼女の持っている地図は大魔王ゾーマの時代より遥か昔の地図だ。人間はかの時代で古の文献は多く消失してしまったようだが、我々魔物の方で古の文献は今も数多く残っている」
イトニーが地図をテーブルに拡げ、俺は稲妻にでも貫かれたかのような衝撃を受けた。
その地図には確かにアレフガルドが記されていた。しかし、俺が見慣れたアレフガルド全土は、左上に小さく描かれている。そして、そのアレフガルド全土を囲む様に、アレフガルドと比較すれば広大過ぎる大陸が、その地図にめいいっぱいという程描かれていた。
これが世界なのか? アレフガルド以外に、こんな広い世界が存在するだなんて……。
俺の反応を見てから竜王は続けた。
「驚いたろう。この地図にはアレフガルド以外の土地が描かれている。しかし、アレフガルドから船を出しても大陸に辿り着く事は不可能だ。何故だと思う?」
何故だと思うだとぉ…、そんな事俺が分かる訳ねぇじゃねぇか。元々、この世界にはアレフガルド以外の大陸などない、それが常識だった。船を多く持っているだろうガライでさえ、船と言えば漁の為という意味合いしか無い以上は海の果てを目指そうという考えを持った者など居なかった筈だ。もし、居たとしてその先に大陸を見つけたら、伝説や噂で聞く事だろう。
そうだ、ガライと言えば吟遊詩人ガライの遺した勇者ロトの伝説がある。伝説では勇者はアレフガルドとは異なる大地より、神より使わされた選ばれた者であるとした。それはガライの手記の中に、理解を求める為に古にあった伝説を元にしたと書き残している。ガライより後世の俺達は、それをミトラ教の神話で語られる神々と精霊の世界だと思っていた。だが、勇者ロトは人間である。俺達の住むアレフガルドとは異なるが、人の住んでいた大地が他にもある…そう考えるとしたら。
俺が考えを巡らしている間に、ローラが何気なく竜王に訊ねた。
「大魔王ゾーマの時代から昔って事は…そのゾーマって大魔王さんが関係してるの?」
「その通り」
竜王が笑って答える。
「大魔王ゾーマは飛び抜けて強い闇の力を有した存在だった。彼は闇の衣という力を用いてアレフガルドと外界とを隔てたのが、アレフガルドに太陽が昇らず闇に閉ざされた原因だ。しかし、不思議な事に大魔王が崩御された後は太陽が昇るが外界から遮断された状態が続いている。光が戻った理由は光の玉があるからとすれば、外界に出られぬ理由は分かるな?」
「つまり闇の衣は消えていないって事?」
「どれも推論だが、事実に限りなく近いだろう」
俺とローラは互いに正面に向き合っているからだろうが、信じられないような納得してまいそうな複雑な顔で溜息を零した。この地図に載った大陸に行く事ができないんじゃ、そう推論するのが正しいだろう。竜王の言葉は確かに正しいが、いろんな意味で説得力があって結論にすら感じた。
竜王の言葉を引き継いで、今度はイトニーが語り出す。
「我々は随分と昔から外界へ行く研究を重ねてきました。なにせ、大魔王ゾーマ以前の時代を知る者も、アレフガルド以外の大地から来て帰れない者も居たからです。大魔王ゾーマ様の闇の衣の構造を突き止める者は未だ居りませんでしたが、それに対抗する唯一の手段として光の玉を得たいと常々思っていました。その時、竜王様が現れたのです」
俺達の視線が竜王に向けられたが、竜王はお茶を啜ってから、俺達の視線に込めた問いに答えた。
「私は魔物にしては珍しく光に耐性があるのだよ。それが発覚したのはつい最近で、その為にラダトーム城に忍び込んだのも最近だった訳だ」
成る程な。竜王が光の玉を奪ったのはそういう理由なのか。
耐性があったから強奪に至ったとなれば、魔物というのは一般的に光に対し耐性が無いという事になるのだろう。耐性が無いというのは、人間が火に耐性が無いから火傷するのと同じと考えて正しい筈だ。誰でも光の玉が持てるんだったら、大魔王ゾーマも勇者から強奪してるだろうしな。
「つまり、魔物達はこの世界が隔離されているのを知っていて、ここから抜け出す為に光の玉を奪ったと言う事か」
「別に我々はアレフガルドが嫌いな訳ではないからな。もう既に外界を切望した者達は全て鬼籍の者だ。これは我々の意地だ。好奇心も多分に含まれているだろうがな」
そんな訂正を加えつつ、パウンドケーキをおかわりする竜王。良く食うなぁ…。
しかし、そんな外界の事を語る竜王は嬉々として明るい。外の世界への憧れや希望や期待を、この一件に関わっているからこそ誰よりも強く持っているのだろう。羨ましく感じる。俺はこの歳でアレフガルド全土を踏破したと言って良い。全ての都市に行った事のある俺は、もうアレフガルドを狭く感じているんだ。
俺は『外の世界』という甘美な響きに少しだけ酔った。
というか、期待に気持ちが否応無しに高ぶって来る。いきなり開けた広い世界に、心臓が早鐘を打つように鳴っている。
「ねぇ、竜ちゃん。光の玉は何処にあるの?お城なんかに置いといたら、魔物が死んじゃうじゃない」
そりゃそうだ。ローラにしては珍しい鋭い指摘だ。
耐性のある竜王以外にも研究出来るよう対策は講じるだろうが、その保管は竜王に一任されるべきであろう。しかし、そう考えると魔物は相当頭が良いのだな。俺は感心しきりだ。そんな俺の感心を向けられている竜王は、イトニーからパウンドケーキのおかわりを受け取りながら答えた。
「勿論、私が管理している。光の玉は一種のエネルギー物質のような物でな、最近は体の中に封印しているのだ」
魔法の事など良く分からん俺とローラは顔を見合わせた。
このちびっちゃい体の中に封印ねぇ……。良く分からんが凄い事だろうし、器用な事だ。
「竜ちゃん、見せてよ」
「駄目だ」
身を乗り出して言うローラのおねだりに、0.5秒以下の即答で答えた竜王はパウンドケーキを齧った。
愕然とした表情で固まるローラを見ながら、俺は当然だなと心の中で呟いた。ちょっと違うだろうが竜王は光の玉を丸呑みしている状態らしいのだから、それを出して見せろというのは少し酷だろう。そうでなくとも、魔物達にしてみれば重要な研究材料で、貴重品なのだから渋りたくもなるだろう。
俺が冷静にそんな事を思っている間に、ローラの瞳に涙がじわっと浮かんだ。
この体勢は……。
「見たい見たい見たい見たい!み た い!!」
ローラはじたんだをふんだ!▼
竜王はどっとつかれた!
アレフは呆れた!
イトニーの胃炎が再発した!
スライムは激しく揺れている!▼
「五月蝿いな! あぁもう、分かった! イトニー、スライムを抱えて洞窟の外で待っておれ!」
少し会わなかったとはいえ見事なまでに健在なローラの我が儘っぷりである。俺も思わず椅子に座った姿勢が崩れ、イトニーからは聞き慣れた妙な音が腹部から漏れている。しかし、驚いた事にこのローラの我が儘に一番免疫が無かったのは竜王だったようだ。あっさりと根負けして、イトニーに出て行くよう指示する。
これじゃあ、ローラに竜ちゃん呼ばわりされてしまうのも仕方が無いだろう。自業自得だ。
「やった〜! 竜ちゃんありがとう!」
ころっと態度を変えて抱きついて来たローラを、竜王は鬱陶し気に引き剥がした。ぶつぶつローラにこのような態度を改めろと説教じみた事を言いながら、イトニーがスライムを連れて外に出たのを確認する。扉を閉め少し経った後、竜王は俺達に向き直った。
「ほれ、ゆくぞ」
竜王が掌を俺達の前に差し出した。
封印とか言っているから大層な準備や呪文が必要なのかと思ったら、そんなものは要らないらしい。竜王が目を閉じて集中すると光の粒子が空間を漂い始める。その光は徐々に強くなり蛍の光のような大きさになって、竜王の掌に集まり出した。竜王が俺達に掌を差し出して瞬きを何度かする合間に、燦然と輝く光の玉が竜王の掌に乗っかっていた
直視できない程の眩しさだったが、目を痛める事は無い不思議な光を放つ玉だ。
魔法具というのを目にして来たし手にして来た事もある俺だが、これほど素晴らしい物を見た事が無い。これが闇の衣を中和して太陽を昇らせていると言われても、納得してしまう神々しさを持っていた。光は暖かく、優しくもあった。
「奇麗…」
ローラのなにげなく伸ばした指がそっと光の玉に触れた。
「え?」
ローラが呆れた声を出す。しかしそのローラの言葉が響いた時、俺も自分の目を目を疑った。
竜王の手のひらにあった光の玉が、空気に溶けるように消えていったのだ。