ローラ
行かないで。逝かないで。
瞼を閉じて眠るのを見るのが恐い。掴んだ手を振りほどいて目の届かぬ所へ行ってしまうのが恐い。
別れたらもう二度と会えない気がするのが、恐くって震えてたのをきっと皆知らないだろうね。
■ □ ■ □
「…ーラ!」
ゆさゆさと揺さぶられる。
いい気持ちで寝てるのに何なのよ〜。
「…い!起きろよ、ローラ!」
…ってこの声は!
「あ、アレフ!?」
お布団をはね除けて起き上がると、そこにはアレフの顔がある!茶色い髪も瞳も相変わらず愛想がないというか隙のないままで、とっても嬉しい! でも、いざ何かを言おうと思うと、言葉が出ない。
何て言えばいいかなぁ…。
『お帰りなさい』じゃ、おかしいよね?
なんて事をウダウダ考えてるうちに、アレフの顔はみるみる不機嫌になっていく!
「俺は誰かに利用されんのなんか真っ平ご免だ!しかも見え見えの政略結婚なんかしたくもねぇ!」
寝起き一番に言う言葉じゃ……ないよね?
あたしはベッドから完全に起き上がってスリッパを履いてアレフの前に改めて立つと、イライラしてカッカしてるアレフとは対極的に努めて冷静に声をかけた。
「じゃあ、何しに戻ってきたの?父様に見つかったら、この前みたいに逃げ切れるとは限らないわよ?」
「あぁ!畜生、お前何も分かっちゃいねぇな!お前がべそべそ泣いてるのに同情したイトニーが、俺の首根っこ掴んで引きずってきたんだよ!分からねぇか普通?」
やっぱりイトニーが飛び出した原因はあたしだったのかぁ…。
竜ちゃんも研究の途中であたしに会いにくるなんておかしいなぁって思ったら、イトニーにきっと頼まれたんだね。イトニーは優しいなぁ。あんな優しい友達できて本当に幸せだよ。
「じゃあ早く逃げなよ〜」
「またイトニーに連れ戻されるのが落ちだ」
「そんなの分からないじゃん。早くしないと侍女達に見られちゃうよ」
あたしの言葉にアレフがしげしげと顔を覗き込んだ。改まったように咳払いをしてみせる。
「なぁ、ローラ」
「何?」
「お前、この前は俺に行かないでくれって泣きついてきただろう?」
「うん」
「どうして今度は逃げちまえって言うんだ?」
だって…
「アレフはあたしと結婚するのが政略結婚だから嫌なんでしょ?あたしもアレフが嫌だと思うことさせたくないもん。だから逃げてもいいよって言ってるんじゃん」
「だ、だが…お前、俺と結婚しなかったら何も知らない貴族と結婚させられるのかもしれないだぜ?」
「それはそれで、しょうがないわ」
『分からない』と言いたげな顔でアレフは視線を外す。
「アレフが幸せになるんなら、それもしょうがないのよ」
それに、こんな冒険ができて良い友達ができたんだもの。一生分の幸せと楽しみを手に入れた気分だ。
そう考えるだけで、思い返すだけで、何でも我慢できる。あたしは笑う事ができる。
でもアレフはすごい勢いであたしに迫った!
「お前ってどうしてそうなんだ!?しょうがねぇじゃねぇだろ!?諦めてんじゃねぇよ!」
「えぇ!?」
アレフってば何言ってるの!?
「我が儘ばっか言うくせに、何勝手に納得してやがる!俺はお前のその悟りきったような諦めた顔が、泣き顔と我が儘言う時の駄々捏ねまくる表情の次に大嫌いなんだよ!!」
な、何それ!!
あたしの決意をなんだと思ってるの!?
それに、この顔は変えられないのよ!!
「ひ、ひどい!!この顔はね、みんなの前でお姫様演じるときの顔なのよ!」
「その顔が嫌いなんだ!」
「じゃあアレフってあたしどんな顔が好きだっていうのよ!?」
なんだか涙が出てくる。
だって、あたしだって女だもん。顔のこと嫌いだって言うなんて、酷過ぎだよ!
「そりゃあ泣き顔と、我が儘言う時の駄々捏ねまくる表情と、姫様演じてる時以外の顔に決まってんだろ!」
「どんな顔よ、それ!!」
「それ以外は笑ってるじゃねえか!」
……
……
「……え?」
「……あ?」
あたしが固まったのに戸惑うアレフの顔がおかしい。
その顔があんまりにも面白くって吸い込んだ息がそのまま笑い声になって、呼吸するのも大変だ!
「な、なんなんだよ。いきなり笑い出しやがって!」
「あはははは…!だって……だって…嬉しいじゃない。本当の私が好きだって言ってくれるんだもん」
言うとアレフは不機嫌そうに腕を組む。
「本当のお前は我が儘で自己中心的な考えの固まりじゃねぇか。そんな奴、好きなにるものか」
「ひどい!アレフだって守銭奴で仕事とお金以外関心無いじゃない!そんなのが好きになる人の気が知れないわ!」
「んだとてめぇ!黙ってりゃあ、ある事ある事言いやがって!!」
「うるさいわね!あたしだって自分でもそう思うけど、アレフほど酷くはないわ!」
「俺は生きるために金が必要なんだよ!お前みたいなお貴族が、俺みたいな平民の貧乏故の苦しみなんか分かりゃしねぇんだ!」
「あたしだってお姫様演じるのに我が儘なんか言えないのよ!アレフみたいに自由に何でも決められないし、どこへも行けないんだから!」
そうよ!
頭に昇った血ので冷静になれないあたしは、アレフを力強く押した!
「アレフなんか自由なんだからここにくる必要なんかないじゃない!早く…早く、出てってよ!」
「ちょっと待て!窓から突き落とすんじゃ…うわぁぁぁあぁぁあ!!」
あ、落としちゃった。
木の枝に散々引っかかって地面に落っこちる音は聞こえるけどアレフの姿は見えなくなる。
透明な光が葉の隙間から動いて目に刺さる。何かが反射し光るのはアレフの鎧なのかな?
とにかく生きてることが分かったあたしは、少し安心して窓辺に腰掛けた。冷静になると溜め息が零れて来る。
「アレフが戻ってきてくれて嬉しいんなら、嬉しいって言えればいいのになぁ」
イトニーや竜ちゃんと話したりする時はあんなに怒ったりしないんだよ。ちゃんと落ち着いて相手を見てお話しできるの。でも、アレフと話す時は落ち着いて話すどころかすぐ怒っちゃう。アレフが怒って話して来るからいけないんだ。
きっと…忘れてるだろなぁ。
■ □ ■ □
あたしが16歳の年の秋。
毎年ラダトームの秋に行われる『収穫祭』。篝火が城下町を赤々と照らし、アレフガルド各地から遥々やってきた着飾った群衆の興奮しきった甲高い声が、殺気だった怒鳴り声が、さも楽しそうな笑い声があちこちから響いた。
ガライからやってきた吟遊詩人たちは自慢の歌を披露し楽器を奏でて、砂漠の町ドームドーラの情熱的な踊り子達の踊りに花を添えるのが見える。遥かリムルダールからやってきた魔法使いが空中に美しい虹を描き出せば、マイラの地酒を振舞う気のいい商人にメルキドから遥々やってきた屈強な体格の男たち群がり、その酒で火を吹いて見せて怒られるのが見える。
毎年毎年、あたしはこの高い窓からその様子を眺めるだけだった。
その度に歯を食いしばって悔しがって涙が零れるくらい寂しい思いをした。死んだ母様の優しい諭す声を脳裏に蘇らせて、何度も何度も自分の我が儘を打ち消した。
でも、それも今日まで。
今年一年かけてこの日の為にいろんな用意をした。城を抜ける道筋を考えて、派手で露出度の高い祭りの衣装を用意して、顔を見られないように仮面を見繕った。
「すごい恥ずかしいなぁ…これ」
そこには鏡に映るのが自分なのか到底疑わしい姿が映っていた。
深紅の艶やかな生地のドレスは前は膝上しかないスカートの上から、波打つように踵までの長く重ねられている。しかし大きく切り込みが入った長いスカートは、一歩踏み出すと太ももまでさらけ出してしまう。ブーツを履いていてもこれは恥ずかしい…。強調される作りの胸元とその周りは、肩と背中をさらけ出し袖もない。秋といっても寒々しい気候も考えて毛皮でできた長いマフラーを用意した。
「まぁ、大丈夫か。皆お酒が入って頭に羽が生えてるだろうしね」
漆黒の羽が後ろに派手派手しく付いた鳥の仮面をかぶる。この仮面、前髪をすっぽりと覆ってくれて鳥の目に当たる部分に穴が空いていて嘴が鼻までのびている。目が見えたとしても顔の半分を覆ってしまうんだ、あたしがローラだと分かる人なんかいないだろう。
あとは母様の形見。飾り気も少ないダイアのネックレス。
ウキウキする。
城を抜け出すと、もう気分は月明かりに浮かぶ対岸の古城にまですっ飛んでしまいそうだった。
町の中は篝火のおかげで凄まじく熱い。秋にしては寒々しい今日なのに、まるで真夏の熱帯夜みたいだ。人波を避けて横道に入ると、若々しい肢体を存分に鑑賞した上でいやらしい賛美が浴びせられる。
上流階級の賛美しか知識にないあたしには最初は刺激的だったが、途中から嫌悪に変わってきた。
やっぱり、なんだか疲れる。
それはきっと変装がばれるばれないもあったろうけど、見知らぬ世界と多すぎる人並みと着慣れない服と高すぎるブーツのヒールが問題なんだろう。あたしが休む場所を探そうと視界を巡らすと、行く手を遮るように誰かが立ちふさがった。
「嬢ちゃん、俺と踊らないか?」
見上げると柔らかい焦げ茶の髪の下から、明るい茶色の瞳があたしを見下ろしている。
「結構です!」
茶化すような目で見られると、疲れて苛ついていたあたしは乱暴に言い捨てた。その男の人を押しのけてさらに先を進む。もう方向感覚もないけれど、帰るべき城が見えればいいかと考えていたのが甘い考えだった。
「ちょっと待ちなよ。お嬢ちゃん」
「俺達と遊んでいかないか?」
腕を乱暴に捕まれる。
下心むき出しの酒臭い青年達の妙にぎらついた目に、凄まじい嫌悪感が肌の下を走り抜けた!胸がムカムカして吐き気がして、何でもないはずなのに涙が滲んでくる!
「離して!!」
「きれいな顔をお兄さん達に見せておくれよ。楽しい遊びを教えてあげるよ」
掴まれた腕に指が食い込んで痛い。こんなこと想像もしていなかった。
悲鳴を上げたら?冷静なあたしが言う。
兵士達が来たらあたしがローラだとばれてしまう。でも、祭りだから誰も気が付かない?
誰も気が付かない!?
そんな!!
「悪かったなぁ。俺が一番最後みてぇだな」
表通りの篝火で良く見えない。でも、その声に聞き覚えがあった。『嬢ちゃん、俺と踊らないか?』そう声を掛けてきた茶色い髪と目の男だ!…でも、どうして?
も、もしかして…!!
期待に胸が躍るあたしの腕をつかんで離さない酔っ払い達は当然にように殺気だつ。
「なんだ貴様…くべらっ!!」
「クギャス!!」
「ウボワッ!!」
すると奥からいきなり体格のいい男の一団やってきて、あたしの腕を掴んでいた青年達を蹴散らした。一団は声の主を取り囲むと次々と話しかけた。
「一年振りじゃねぇか!メルキドの商業隊の護衛の仕事だったろ?よく収穫祭に間に合ったな!」
「この時期の収穫祭に間に合うように護衛できなきゃ、報酬チャラだから心配してたんだぜ」
「お前が暴れたら俺達の命が危ないからな」
「ゴーレムの貯金箱買ってきてくれたか?」
「いっぺんに話すな!…ちなみにゴーレムの貯金箱は買って来れなかった」
そういって怒鳴りつける声の主が、あたしの前に歩み寄ると無表情な顔で言った。
「運が良かったな」
「……っ!!」
心配して追いかけてきたんじゃなかったんだ!
助けるつもりなんか更々なかったんだ!
なんて酷い奴なんだろう!…もう、最低っ!!!
「その子はお前の女か?」
「違…」
「金と仕事が恋人の守銭奴に女!?こりゃあ祝杯あげてやらんと、明日は怨念で晴れのちスライムだぞ!」
「そ…」
「皆揃ったんだから収穫祭を楽しむぜ!さぁ、行くぞ」
がやがやと男達が表通りへ繰り出していく。残されたあたしは失礼な男をにらんだ。彼は渋そうな顔で肩を竦めるとあたしの肩を軽く叩いた。
「行くぞ」
彼等は傭兵の若者達で皆アレフガルド全土を巡る実力者達だった。
彼等と共に歩いていると変な男達に声はかけられないし、彼等は収穫祭を熟知していた。
うまい酒を出してくれる商人に顔を見せれば、秘伝の酒を密かに差し出してもらい、ご馳走は賄いさんを褒めちぎって特盛りで渡される。吟遊詩人と張り合って顔に似合わない美声をくり出せば、ステージに登って踊り子と並んで踊らされ、魔法を披露していた者に一言囁くともっとすごい魔法を見せてもらえた。
彼等はあたしからみれば魔法使いだった。
すてきな魔法にあたしはさっきの嫌悪感も何もかも奇麗に忘れて、彼等と楽しい一時を過ごした。
そう、一人だけ例外がいるけど…。
「あの人っていつもあぁなの?」
一人喧騒を離れて飲み物をすする彼は一向に輪の中に加わらない。
でも少しだけ離れているだけで、どこかにいってしまうわけじゃない。なんだか不思議だ。こんなに楽しいのに…。
「あぁ、あいつはいつもあんな感じさ。でも判断力も行動力も傭兵としてはずば抜けててな、俺達も何度も命を救われたものさ。愛想はないが、意外に優しい奴なんだよ」
「ふ〜ん」
それでも初対面の『嫌な奴』って印象は薄れない。
すると目の前に傭兵のお兄さんがお皿とコップを差し出してきた。見た事のない野菜の漬け物と、きつそうなお酒の匂いが鼻を突く。
「砂漠の珍味『紅サボテン』の漬け物とマイラの地酒。あいつに持っていってくれないか?」
「うん」
あたしが持っていくと彼は無表情に皿とコップを受け取って、愛想のない声で話しかけてきた。
「お前…良いとこのお嬢様だろ?」
「そ、そんなことないよ!」
「服の生地を見れば分かる。それは最高級のシルクだし紐一本一本がその道の最高品だ。しかもそのネックレス、『クリスタルスライム』の特注品だろ?質素に見えるこのダイアも銀の鎖も相当質が良い物使っていやがる」
そんな所を見ていただなんて知らなかった。
変装していても、彼に正体を見破られたんじゃないかって凄く不安になる。
「だとしたら…何なのよ」
「別に。ただ箱入り娘が親の言い付けも守らねぇで、世間を見たいって危険に飛び込んでるようだなって思っただけ」
パァン!!
「あたしだって…あたしだって…。……このバカ!!」
手を挙げた。
横っ面を思いっきり引っ叩いた。それがなんだか恐い事に感じて、振り返らずに走った。
走って、走って走って、どれくらい走ったかもう分からないし方向も分からなくなった。きっとさっきまで一緒にいた傭兵の人達もあたしを見つける事なんかできないだろうって思うくらい、横道や入り組んだ道を選んで走った。
走り抜けた先は誰もいないひっそりとした湖の近く。湖の真ん中に小さな島と建物があってそこを橋が渡しているそこは、お祭りなんか嘘みたいに静かだった。
あたしは湖の辺りに歩み寄ると湖に映った顔を覗き込んだ。覗き込んだ悲しそうな顔を見ると、つられて涙が出てくる。
父様に黙って祭りを見物しにきた事が、急に後ろめたい罪悪感になって苦しい。
きっと母様も天国から呆れてるんだ。娘がこんな悪い子になったって…。
もう帰ろう。
ここは……あたしのいる場所じゃないんだ。
「受け取りな!嬢ちゃん!」
声に見上げたあたしの顔の上に舞い落ちてきたのは一差しの枝だ。
指が優しい木肌の感触を辿ると、木の瑞々しい香りが鼻をくすぐって色鮮やかな緑が炎と光に疲れた目に優しく届く。
「………グノリアムの枝?」
この収穫祭の日に香り高きグノリアムの枝を異性贈る事は、姫に恋をした騎士が枝を捧げ生涯独身を貫き殉職した伝説に由来している。今では永遠の愛を誓う代名詞だ。この収穫祭で枝を贈られる事は女性達にとって憧れで誇りで喜ばしい事で、男性達は収穫祭の伝説を利用して勇気を振り絞って告白するんだ。
あたしだって知ってる。
侍女達のおしゃべりを盗み聞きして、伝説や文献をたくさん読んだ。
憧れたし、期待だってしたよ。
でも
でも、あたしは今仮面を付けてる。名前だって互いに知らない。
顔も名前も知らないあたしに、どうして彼は枝を贈ってくれたの?
「これは記念だ」
さっき聞いた声とは違う。
暖かい声。
「ま…待って!!」
あたしは慌ててさっき彼が居たんじゃないかと思う橋に駆け登った!
すぐ行ってしまうかと思ったのに…そこで彼は収穫祭を眺めていた。
あたしを待っていてくれた。
「これ、あげる」
気だるそうにこちらを向いた彼は驚いたように目を見開いた。
あたしがネックレスを差し出していたから。
「大事なもんだろ?」
受け取らない彼の首に腕を回して強引にネックレスを渡した。彼の首に下げられた母様のネックレスが透明な光を放ってる。
あたしは満足して彼から身を離して、真っ直ぐ見つめた。彼の右の頬が少しだけ赤くなって腫れてる。
「いいの」
このネックレスは母様の形見。
きっと母様が引き合わせてくれるかもしれない。本心はどうかは知らないけど、あたしに贈り物をしてくれたこの人にもう一度、今度はゆっくり会いたいから。
彼はうっすらと笑う。
その笑みは無愛想だった顔で慣れきったあたしには、ドッキリするくらいの笑顔に見える。
「……売り払っちまっても、文句を言うなよ?」
もう一度会いたい
退屈な形だけの礼拝の時間は、真剣な願いを祈る時間になった。
そして…
■ □ ■ □
「死ぬかと思ったぞ!!」
髪にたくさんの葉っぱをつけて、珍しく服装も乱れてるアレフが扉を蹴り開けて入ってきた。
「あ、お帰り」
「途中でイトニーに会ったぞ。竜王もイトニーも城に帰るんだと」
「二人とも、もう帰っちゃったの?」
『一週間ほど休みを取ってきた』って竜ちゃんも言ってたのに…。
「皆で会えると思ってたのになぁ…」
「全くだ。研究も大事だが俺達がどう思ってるかおかまいなしだな」
そう乱暴に言い捨てると、急に大人しくなっておずおずと訊ねてきた。
「…竜王は元気だったか?」
「うん。元気そうだったよ」
恋人疑惑が持ち上がっていたんだよって言ったら、アレフはどんな顔するかしら?
『そうか』と微かに頷くその神妙そうな顔を覗き込んで、今度はあたしが訊いた。
「もしかして…心配だったの?」
「当たり前だろ」
意外だなぁ。アレフも竜ちゃんの強さとか認めてるから、心配なんか全然しないと思ってたのに…。
「あたしだって心配なんだからね」
「何が?」
「アレフと竜ちゃんが虹の力でアレフガルドの外の世界に行った時、本当に心配したんだよ。もう、帰って来ないんじゃないか……、危険な目に遭ってるじゃないか……、病気で苦しんだりしてるんじゃないかって、イトニーとすごく心配したんだよ」
「……そりゃあ…悪かったな」
居心地悪そうにアレフが顔をしかめた。
「目に見えない所にいる人がどうなってるか、分からないでしょ?だから心配するでしょ。それって心配してる側にしてみれば凄く恐いことなんだよ」
「お前…何が」
「アレフは勝手に旅して自由で気ままかもしれないけど、あたしは心配で心配で堪らないんだからね!」
「勝手に心」
もう、言っちゃうんだ!
アレフの言葉なんか聞いたらきっと売り言葉に買い言葉で、この前みたいに泣いちゃうもん。このまま別れたらきっと何も言えない。だから、言うことは全部言うんだ!
「だから……だから結婚して欲しかった!アレフの事心配するのは、母様が死んでしまう時と同じくらい恐いから…すごく恐いから、ずっと一緒にいて欲しかったんだもん!!」
「悪かった。俺が悪かった。だから落ち着け」
ごん!
「痛っ!!」
「あ、悪い」
乱暴に引き寄せられて、おでこにアレフの鎧がヒットした!痛〜い!!
それでもアレフは全然悪びれた様子もなく謝ってくれる。あたしはヒリヒリするおでこを擦りながら、できる限り頬を膨らませた。
「アレフってどうして優しくできないかなぁ?」
もし抱きしめられて慰められたら、これでもかってくらい良い雰囲気だったのに…。
空気の読めない人だなぁ。
「うるせぇな。俺はガライの墓参りに行ってから、蜻蛉帰りしてっから徹夜で一睡もしてねぇんだよ!」
「吟遊詩人ガライ…。勇者ロトの時代の人だね…ってまたそんな危ないことしてたの!?」
「危なくねぇよ」
「アレフはいつもそう。危険で恐い事を、『危なくねぇ。恐くねぇ』って言って難なくこなしちゃうんだもん」
「……俺はよ、竜王と外の世界って所を見てきた。凄いとこだったよ。お前にとっちゃ危険で恐いとこだろうけど、俺から見れば魅力的で刺激的で何より面白そうなんだ。もし闇の衣が引きはがされたら、俺は真っ先に外の世界に行く」
やっぱり行くんだ。話だけしか聞いた事のない外の世界に…
「そんな顔するな」
アレフが頭に手を置いた。居心地悪そうな、悪い事をした子供のような顔になってるのが腕の向こうに見える。
あたしが泣いたりすると、アレフはこの顔になるんだ。いつもの乱暴者で怒ってる顔して無愛想なアレフがこんな顔になるのを見ると、あたしまで悪い事した気分にさせられちゃう。
顔から視線を下ろそうとした時、アレフの服に何かが光った。
さっき落ちた時木に引っかかってちょっと切れた服の隙間から、銀のチェーンが覗いて輝いている。
「ロ…ローラ!?」
いきなり首にかじりついたあたしにアレフは珍しく慌てる。
首にまわした手が懐かしい留め金を探り当てた。その留め金をなれた手つきで外して、ゆっくりと引っ張った。
銀の鎖とダイアの質素なネックレス。どっかのだれかさんが『クリスタルスライム』の特注品と言っていた、母様の形見がアレフの服の下から滑るように現れた。
「はは!売らなかったんだね!」
アレフが声もでないくらい驚いて、ネックレスと嬉しそうに笑うあたしの顔を見比べる。
「大事に…持っててくれたんだね」
会って旅をしてみて、やっぱ母様の形見は売ったんだと思ってた。
だから…嬉しい
「…連れてってやるよ」
「え?」
見上げるとこれでもかってくらい不機嫌そうな彼の横顔がある。
「お前に心配されてると旅してる気がしねぇ。離れてるから心配してるってんなら、一緒に旅に出ちまえばいい。そうすれば政治結婚企んでる国王の鼻へし折れるし、俺の望みもお前の望みも満たされるに違いねぇ」
「それに…」
「それに?」
ちらりとあたしを見てから、大きなため息をついた。
「二度ある事は三度あるからな。お前ならイトニーに頼み込んででも俺を追ってきそうだ」
「その手があったね☆」
イトニーの背に乗って、アレフを追いかけるのも悪くないよね☆
「嬉しそうに言うんじゃねぇ」
アレフが苛ついた声で言うとにらみ付けるように覗き込んでくる。
「旅に行くのか?行かねぇのか?」
「いくよ!置いて行かれても、今度は追いかけるからね!」
あたしが力一杯答えた答えにアレフは少しだけ笑った。
「じゃあ行くか」
「い…今から?」
あたし…寝間着のまんまなんだけど…。
「バカだな。資金も用意もねぇで遠出なんかできるわけねぇだろ?国庫に頼めば勘付かれるから自前で稼ぐんだよ」
いいながらマントを翻して扉へ向かうその背中をあたしは呼び止めた。
「なんだ?まだ何かあんのか?」
「ちゃんと帰ってきてね」
あたしが囁くとアレフはぶっきらぼうに言葉を返してきた。
「子供じゃねぇんだ。当たり前だろ」
帰ってきてくれる。
どんな愛の言葉よりも好きって言われるよりも、それだけで幸せになれる。