その心に兆した悪魔の呪い - 後編 -
雪原の王者シルバリヌスが雄叫びを上げ、木の上に積もった雪がぞぼっと音を立てて落ちていったわ。臆病なもこもこ獣が毛玉になり、つららスライムが殻の中に閉じ籠る中、赤いドラゴンが呼応するように咆哮を上げた。
真紅の鱗はまるで雪原の中に築かれた蜘蛛の巣の火のようで、遠巻きでも生命の光に赤々と燃えている。キィンベルの街灯くらい背が高くて、両開きの大扉くらいの横幅がある。耳の位置には大きな鰭のような器官があって、一瞬翼かと見紛う大きさだ。英雄譚に見るようなドラゴンにしてはずんぐりと大きいけれど、この人の寄り付かぬ極寒の地の王に挑むには十分な貫禄があるの。
挑戦者を迎え撃つシルバリヌスは、空想の生き物のようだ。馬の首に当たるところから、新雪に良く似た白銀の体表に覆われた筋肉隆々の人間の上半身が生えている。当然魔物なので厳しい顔の額からは天を突くように二本の角が伸び、金色の髪も赤い瞳も人成らざる金属めいた光沢を帯びている。さらに下半身は四つ足の獣だが馬の蹄ではなくて、三つの爪が生えた鳥のよう。馬ならば人が乗る場所には大きな翼が生えていて、その巨体を浮かすのだろう。
両者はじりじりと睨み合い、人間なら腰まで埋まりそうな積雪をものともせずに攻撃の瞬間を窺っていたわ。雪はぼたぼたと大ぶりの花弁が舞うように降りしきり、先程の咆哮が嘘だったかのような静けさを取り戻していた。毛玉から可愛らしい触覚が出て危険がないかを探り、つららの穴からふたつの目が瞬く。それでも世界が凍りついて動かないのは、相対する二つの殺気が鮮烈だからだ。
それにしても寒いわ。
例え同行者の腕に抱かれ風を凌いで体温の暖かさに背を預けていても、この寒さではどんなに猫の毛皮が暖かいからって風邪をひいてしまうわ。ぶるりと体を震わせ、鼻の先に雪が一片。じゅわりと体温で溶けて鼻先を濡らすと、言いようもない不快感が体を駆け巡った。
ぷしゅん!
静まり返った雪原に、くしゃみが弾けた。
猫の小さなくしゃみを切っ掛けに、竜が駆け出す。その太い足が巨体をグンと前へ押し出して、まるで大岩が落ちてきたような信じられない速度でシルバリヌスに迫る。踏み込んだ足を軸に体を捻ると、破城槌の太さの尾が白銀の銅を薙ぐように迫る。
シルバリヌスは地面を蹴ると、その重さを感じさせないように軽やかに舞い上がった。翼を広げると真っ白い空間が黒く切り取られ、振り翳した黄金の斧がぎらりと光る。赤い瞳が殺意に見開かれ、竜の首を一刀で刎ねる為に吹雪の音を伴って振り下ろされた。
竜は身を捻って低くした上半身を地面に押し付け支えにすると、振り抜いた尾が鞭のようにしなる。返す刀のように再びシルバリヌスに迫った尾は、先端で勢いは明らかに弱いものの厳しい横っ面を叩いたのだ。真紅の鱗を雪まみれにして転がり凶撃を避けると、振り下ろすように地面を叩いた尾と重量のある下半身、そして腹筋の力でバネのように跳ね起きた。その勢いは天を突く間欠泉のように、真紅の額がシルバリヌスの額を割ったの!
まるで岩同士がぶつかり合うような激しい音が、雪を蹴散らし響き渡る。
その余韻が裾野まですっぽりと雪を被った山々に吸い込まれ、赤と白の巨体は凍りついたかのように動かない。全ての生き物が息を殺して成り行きを見守る世界は、自分の心臓の音しか聞こえないくらいの静けさに包まれていた。
ぐらり。重なった影が大きく傾ぐ。
どぉん! 雪が震え落ちる音が広がる中心で倒れたのは、真っ白い雪原の王者だった。
「お見事!」
私の同行者が歓声を上げて、感激で激しく手を叩く。私は揺れ動く腕から逃げ出して、彼の肩に乗り上がった。全く、こんな可愛いレディがいるんだから、子供みたいに はしゃがないで欲しいわ。私は不満そうに鳴きながら、誂えたように据わりが良い外套が重なる場所に腰を下ろす。
ぼすぼすと柔らかい新雪を割って進むと、首を巡らせた赤い竜の鱗を分厚い皮のグローブで叩いた。素晴らしい戦いでしたよ。そう、心からの賛辞を贈られて赤い竜は嬉しそうにごろごろと喉を鳴らしたの。野生の竜とは思えない、まるで魔法生物のような人間への懐き具合だわ。
同行者は額がぼっこりと膨らんだシルバリヌスへ目を向けた。
「目的のものは金髪の中に潜んでいるはずです」
へぇー。赤い竜が大きく目を見開いて、くりんと体を傾けた。
大きな双眸が見守る先で、同行者は集落で借りてきた鍬を金髪に差し入れた。鍬。それもそのはずで、完全に裏返ったシルバリヌスの白目だけで、今の私の身長と変わらないんだもの。豊かなシルバリヌスの金髪なんて、人間の姿だった私が横になっても余るくらい長い。そっと櫛の要領で金髪を梳くと、鍬に白銀の煌めきが引っかかっているわ。
小さいものならちょっとした木の実くらい。大きいものなら男性の握り拳くらい。複雑な雪の結晶が知恵の輪のように絡み合った白銀の塊は、同じものが二つとなくてとても綺麗ね。大小様々な結晶を乗せたグローブを、私達は覗き込んだ。
「髪に付着した雪とシルバリヌスの魔力が結合し、白銀の結晶体となります。大きく育ってしまうと髪の毛を切る事になってしまうので、手入れを欠かす事はできないんですよね」
とあるところに、ものぐさなシルバリヌスがいました。
そう同行者は魔物が闊歩し、純白の死神がうろつく極寒の地で呑気に語り出したの。
彼はシルバリヌスの象徴である金髪に石のような結晶体をぶら下げて、仲間からは『だらしのないやつめ』と笑われていました。しかし、一年、二年。笑っても、叱っても、何もしないものぐさに、ついに誰も何も言わなくなってしまいました。それを快適と思っていたシルバリヌスの頭には、大岩にまで育った結晶体がこびり付いていました。
そして、ある日。
ついに重さに耐えかねて、ごっそりと見事な金髪が抜け落ちてしまったではありませんか!
大きく禿げた金髪に、仲間達は雪崩も起きよと笑い転げました。流石の面倒臭がりも、種族の象徴である金髪が無惨な有様に声も出ません。仲間の嘲笑に震え、誰も見られぬよう洞穴の中に逃げ込んだのです。
そして天罰か、ものぐさのシルバリヌスに二度と金髪は生えることはありませんでした。
「アストルティアの魔物達は、この話に笑っている場合じゃありませんけどね」
遠巻きで見る分なら綺麗な金髪だったけれど、間近で見るとうねって絡んで下手をすると結びついてる。ちょっとした小話を語る同行者は汗だくで鍬を引き、どうしてもダメな所はナイフで切り取って整えていく。ようやく美しく真っ直ぐな金髪になって、体が温まって襟元を緩めた同行者は腰を伸ばした。
「元が雪の結晶なので気温の変化ですぐに溶けてしまい、衝撃にすぐ破損するほどに脆い。存在自体知られていない希少な素材です。完全な状態であれば、それに越したことはないでしょう?」
ねぇ、ゴルガーレンさん?
同行者に声を掛けられ方を向けば、少し離れた所で成り行きを見守っていた壮年のオーガ族が一人。赤とグレーに染めた呪い師のローブセットから、魔法を用いる職種だとわかるけれど、王立アルケミアでは絶対にいない立派な体格ね。白髪混じりに雪がこびり付いてボリュームが増した口髭を指で払いながら、真っ黒いおどろおどろしい壺いっぱいに溜まった白銀の結晶体を覗き込む。
そんなオーガ族の男の上から、赤い竜が嬉々として言う。
『ゴルスラ! …じゃなかったドラ。えーと、ゴルバ! …じゃないドラな。えっーと、ゴルなんとかのおっさん! これで、ボクは人間になれるドラ?』
ゴルガーレンと呼ばれたオーガは渋い顔で頷いた。名前もちゃんと覚えてなくて、さらに『おっさん』と呼ばれたら誰だってショックよね。
眉間に皺を寄せたゴルガーレンは真っ白い塊の溜息を吐き出した。
「無理難題と思った道具と素材の調達までやってのけたのだ。今更、出来んと言って諦めるつもりはないのだろう?」
ゴルガーレンはオーグリード大陸でも、名の知れた呪術師なの。
呪文は精霊や世界に干渉しさまざまな力を具現するけれど、呪術は体内や魂に干渉し能力を発揮する。遺留品なんかに強い呪術が施されていて呪いを振り撒くから、身につけた者が王宮の出入りを断られる事もあるそうね。呪いといえば人を殺したり、病気になったりと怖い不利益だけれどそれだけじゃない。病気を治す呪い、相手の心を得ようとするのも呪いなの。その為に『のろい』ではなく『まじない』と呼ばれて分けられているわ。
暗示すら呪いの一種だと言う呪術師もいるわ。
回復呪文や薬学の認識が低いオーグリード大陸じゃあ、医者みたいな扱いを受けている。ゴルガーレンは多くの病を治し、戦士達の心を蝕む恐怖を追い払ってきた。
そんな彼について、ある噂が流れた。
ゴルガーレンは、どんな生き物も望みの姿に変えてしまう。
その噂を聞きつけ、多くの人が鬼人に成り果てた大事な人をゴルガーレンの元に連れて行ったそうなの。しかしその都度、ゴルガーレンは無理難題を押し付けて追い返してしまう。大事な人の為にと無理難題に挑んだオーガは多かったけれど、この白銀の結晶体をみっちり入れた黒い壺を見つけられずに断念する者が続出したらしいわ。
結果、心象を悪くしてゴルガーレンの名声は地に落ちてしまったみたいなの。誰も彼が望みの姿なんて与えられないと思っていた中、こうして彼の課題を乗り越える者が現れてしまった。
じろりと眇めた鮮血色の瞳が、雪深い地の木の樹皮のような深い茶色の瞳を睨む。睨まれた本人は朗らかに笑って見せた。ゴルガーレンは小さく舌打ちをした後、赤い竜を見上げる。
「人間にする前に、大事な確認だ」
赤い竜はゴルガーレンとしっかりを目を合わせ、小さく頷いた。顔の横の鰭のような器官を大きく広げ、ゴルガーレンの言葉を一言も聞き逃さないよう耳を傾ける。
「俺がこれからお前に施す呪いは、望みの姿を与える代償として使用者の寿命を大きく削ってしまう」
竜の黄金色の瞳が、意味を良く理解できずに瞬いた。
「俺は姉を鬼人からオーガに戻す為に、この呪いを施した。姉はオーガに戻ったが、数日と生きる事は出来なかった。お前が人間になれたとして、何年も生きられる保証はない」
ゴルガーレンの視線には『それでも、やるのか?』という問いが込められていた。
なるほど。これがゴルガーレンが無理難題を押し付ける形で断っていた理由なのね。
きっと、後悔をしているのでしょう。
鬼人になってしまったお姉様は、残る理性の中で切実にオーガに戻る事を望んだに違いない。それを叶えたゴルガーレンの行いは正しかったし、お姉様は取り戻したオーガの姿に涙ながらに喜んだでしょう。理性が野生に食い潰され己が己で無くなっていく恐怖を、野生を受け入れ生きる難しさを、ドランドの鬼人達と共に過ごしたからこそ良くわかる。
しかし、その呪いはお姉様の寿命を残り数日にまで削ってしまった。それはゴルガーレンの予期しない事だったのでしょう。
それでも、私はお姉様はゴルガーレンに感謝したと思う。
そして、独り弟を残す後悔はあるけれど、決して恨む事はないわ。
私もお姉さんだから、分かるの。
「コドランさん。僕からも最後に確認しましょう」
同行者が真摯な声で赤い竜へ呼びかけた。
「僕は貴女に人間の姿に変える手段を与えられます。少し時間は掛かりますがモシャスを習得する事も、変化の杖を用意する事もできるでしょう」
ゴルガーレンが深々と頷く。
「人間社会に溶け込んで人間と暮らしたいって望みなら、その程度でも良いんじゃないか? お前の言葉は魔物っぽくないし、人間の常識を理解してるみたいだしな」
巨大な竜の口が、目の前に並んだ選択に引き結ばれる。
ふと頭上が明るくなった。あれほどの大ぶりの雪が止み、暑い雪雲が晴れて真っ黒に塗りつぶされた空に七色のカーテンが風に揺れるように棚引いている。
それを『オーロラ』と呼ぶのと、幼いクオードに教えた記憶があるわ。寒い日に空から落ちてくる白くて綺麗な『ゆき』、真っ赤に燃える水『ようがん』、黄金の砂場が見渡す限り続く『さばく』、海が世界の果てまで続く『すいへいせん』。どれもお母様や叔父様夫妻から聞いた話なのに、幼い私は何でも知ってる賢者のように鼻高々に弟に教えたわ。弟も『ねえさん すごい!』って、目をキラキラに輝かせてくれるんだもの。私は嬉しくて、もっと弟の瞳を輝かせたくって、本棚から引っ張り出した本を二人で覗き込んでいた。
ねえさん! ぜったい みに いこうね!
鼻先が触れ合う程の距離にある弟の瞳には、エテーネの明るい空で見える星々よりも多くの輝きが宿っていた。私達は本の中でしか見れない光景が、簡単に見れるものだと思っていたのよ。
だって、私達のお祖父様はエテーネ王国の王様で、私達は物心付く前から世界の全てを手にできる程の何もかもに囲まれていた。病気になれば一流の錬金術師が訪れて薬を処方されて、一晩寝ればすっかり元気になってしまうの。怪我をすれば直ぐに回復呪文が施されて、傷なんか残らない。お腹が空くなんて想像もできなくて、ちょっと手を伸ばすだけで侍女や執事が用意してくれた美味しいお菓子を摘む事ができた。
お祖父様やお父様に頼めば、なんでも叶うと思っていた子供達。
あの頃が一番幸せだったとは言わない。
それでも、胸が締め付けられる程に眩い日々だった。
視線を上げれば身を切るような冷たく研ぎ澄まされた空気に、空は真っ暗に沈んでいる。そんな深淵からこの世界のありとあらゆる色彩を織り込んだ布が、粉雪の風を孕んで揺れている。水平線の向こうから顔を覗かせた眩い黄金色。どこまでも高く広がる雲ひとつない青空の色と、色とりどりの珊瑚や魚を抱いたエテーネの空のような海の色。芽吹いたばかりの瑞々しい緑、魔法生物の証である透明感の奥で燃える生命溢れる赤。その色彩がドレスに幾重にも重ねたレースのように複雑で美しくて、表す言葉を突き詰めれば突き詰める程つまらないものになってしまう。
なんて素敵な光景なんでしょう。クオードにも見せてあげたいわ。
『昔、コンギスのおっさんは言ったドラ。命より大事なものを見つけてみろ…って』
耳をくすぐる生暖かい吐息に視線を向ければ、ぐっと身を屈めて金色の瞳が私を覗き込んでいる。まるで姿見のように大きな瞳に映るのは、一匹の猫ちゃん。
艶やかな黒猫は夜空のように煌めいて、口元と尻尾の先の白い毛並みがお月様のようにふんわりと光っていて、私の心を撃ち抜くぱっちりと開いたお揃いの空色の瞳。首輪についた星型のチャームと尻尾に結んだ大きな赤いリボンが、とってもよく似合っているわ。私が夢に見たような理想の猫ちゃん!
そう、私の飼い猫。愛しいチャコル!
寄せた鼻の穴が大きく膨らむと、体が吸い込まれるような風が鼻の中へ流れる! 体が引っ張られて、猫には大きな鼻の穴の中に頭が入ってしまいそうよ!
『この猫から懐かしい匂いがするドラ。おっさんや、兄弟達にすごく会いたいドラ。兄弟達と遊んで、おっさんの足元に集まってゴロゴロするのが大好きだったドラ』
ふーっ! 私が毛を逆立ててドラゴンの鼻面を抑えていると、愉快そうにゴロゴロと笑う。
そして、体を起こしてゴルガーレンを真っ直ぐに見てきっぱりと断言した。
『それでも人間になって、好きな人と一緒になりたいドラ!』
わかった。そんな声がオーロラの下に消えて行った。
ゴルガーレンがコドランの優しいミルクのような白いお腹の前に、黒い壺を置いた。白い雪原に穿たれた穴のような壺にゴルガーレンが手を翳すと、壺の中から白銀の輝きが溢れ出す。輝きは矢のように上へ飛び出し、パッと弾けて雪のようにコドランの頭上から降り注いでいく。
白銀の結晶体が赤い鱗に触れると、触れた場所が真っ白く輝いていくの。
本当に人間になっちゃうのかしら! 私は高鳴る胸を押さえながらコドランの変化から目を逸らせずにいた。
仰け反っちゃうくらい大きな体が、雪が溶けるかのように崩れてくる。一瞬翼かと見紛う大きな鰭は、くしゃくしゃと萎んでいってずんぐりとした横幅と一体化した。英雄譚に見るようなドラゴンにしてはずんぐりと大きい輪郭は、今や人間だった私よりも少し小柄なくらいに小さくなってきたわ。
その頃合いを見計らい、同行者が毛皮を裏打ちした針葉樹の葉のような濃い緑の外套を外し光に掛けた。光が薄れてきても外套の闇の中が、ぼんやりと光っている。
「わあっ!」
色の白いほっそりとした腕が、外套の中から出てまじまじと掌をひっくり返している。緑の闇の上に太陽の光のように金色の長い髪が流れ、真っ白い柔らかい女性の輪郭が外套の中で無邪気に跳ねた。
え! 赤い竜って雌だったの? 気がつかなかったわ!
「人間ドラ! ボク、人間になったドラ!」
「ちょっ! 暴れないでください! 外套が落ちちゃうでしょう!」
元がドラゴンなだけあって、女性でも力強いらしいみたいね。非力な同行者を跳ね飛ばし、留金でどうにか体に掛かった外套の下で眩い裸体が丸見えよ! 健康的にふっくらして締まるところは引き締まった、ちょっと羨ましいプロポーションね!
でも、流石に竜では感じなかった寒さも、人間じゃあ堪え切れないわ。一通り喜んだ後は、ぷしゅんとくしゃみがひとつ。自分で自分の体を抱きしめ震える背中に『ほら言わんこっちゃない』と言いたげに、同行者はメラの魔法陣を織り込んだ大きな布を体に巻きつけた。ゴルガーレンも手持ちの皮の巾着袋の中身を空けて、赤くかじかんだ足に靴のように履かせる。
「先ずは獅子門で服の調達だ」
歩き出したゴルガーレンに続こうとした同行者は、雪原に足を突き立てたままのコドランに振り返ったの。可愛らしい女の人になったコドランの顔は、不安げに曇っている。
そりゃあそうよね。いきなり、今までの自分とは違うものになっちゃったんだもの。私だっていきなり猫ちゃんになった時は、どうしたら良いか戸惑って大変だったわ。
コドランは胸に手を置いて、小さく息を吐いた。
「竜の姿じゃ槍で突かれて追い出された場所に行けるドラね。ボクは、本当に人間になったんだドラ…。好きな人を追いかけて隣にいられるってふわふわと、人間として生きていけるかってそわそわで胸がいっぱいドラ」
「もう後悔してんのか?」
ゴルガーレンが苛立たしげに言ったけれど、コドランはぶんぶんと首を振った。
「後悔はないドラ!」
細い脚が雪を踏み締め、ゴルガーレンを追い抜いていく。雪原に薄着の女の子が一人。慌てて追いかけるゴルガーレンの背を、ゆっくりと同行者が続いていく。
外套をコドランに貸してしまったので、私は雪深い地の木の樹皮のような深い茶色の髪に体を押し付け、襟巻きのように同行者の首回りにしがみついている。私の背筋を煉獄鳥の終生の尾羽が撫でるように揺れていた。
温和さを絵に描いたような唇が綻んで、雪原にそっと新月の夜の声色が押し出される。
「君は人間に戻らなくて良かったんですか?」
彼は私が人間だと知っている。でも、私の言葉は彼に届かない。彼曰く『君は人間の言葉で、猫の言葉を真似ているだけなんです』ですって! それでいて、彼は猫ちゃんとおしゃべりできるのよ! ずるいわ! 私だって猫ちゃんとお話ししたい!
コドランのように人間の姿に戻りたいという気持ちは確かにあったけれど、数日しか生きられないほどに寿命を削られたら困っちゃうわ。私はエテーネ王国国王ドミネウスの娘メレアーデとしての責任を果たす為に、生きて帰らなくちゃならないの。でも、責務を果たすのに、必ずしも人間の姿である必要はないわ。コドランに示された選択肢のように、変化の杖を使って人々の前に姿を見せる時だけ人間であれば良い。信頼する者達なら、私がどんな姿でも大丈夫って信じているもの。
私の心を見透かしたように、前髪の影に黒くなった瞳が細められた。
「冗談ですよ」
さぁ、『のろい』か『まじない』か。彼女も貴女もどんな物語を紡ぐのでしょうねぇ。
楽しそうな独り言に、私はにゃーおと答えた。