出会い
三つの燭台がある。
一つの燭台はこの世の自然の生み出す全ての存在で生み出した燭台で、灯すと太陽が昇り世界を光で満たす。見るがいい。汝の手には負えぬ光であろう。それは汝傍らに影を生み出し、光に満ちた世界に生きようとする汝を食らわんとする脅威となる。
二つ目の燭台は生き物が施す事のできる全ての技術で生み出された燭台で、灯すと月が昇り世界を闇で覆う。見るがいい。汝の手にする事のできる唯一の光だ。その光は汝の影をより濃くし、他の闇と隔てて汝を救う幸いとなる。
最後の燭台は全ての世界を巡り、輪廻を渡り、魂に染み入るもので生み出された燭台で、灯すと世界は闇であって闇でなく光であって光ではない世界となる。見るがいい。汝が目を凝らすほどに闇は強くなり、光もまた強くなる。それは汝の意志で脅威となり幸いとなる。
しかし全ての燭台を同時に灯してはならない。
なぜなら全てを灯す時…
■ □ ■ □
ローレシア、サマルトリアとムーンブルクを繋ぐローラの門という地下道がある。
ローレシアを建国した勇者アレフの娘がムーンブルクに嫁ぎ、ローレシアとサマルトリアとの友好の証としてムーンブルクと共同で作った地下道である。それ以前はこの海峡を船で渡らなくては互いの大陸を行き来する事ができなかったが、潮の複雑な流れと渦潮に沈没させられる船も続出していた。周囲の期待に応える形で作り上げた地下道は、その最大の功労者ローラ王妃の名を取って『ローラの門』と名が付いている。
その門が開通して以来、初めての封鎖されたのだ。
理由はムーンブルク王国の崩壊だ。
「どけぇ!!僕の予定を台無しにするつもりかぁ!!?」
足留めを食らって猛然とキレまくるサトリの怒りの声がローラの門の入り口に響く。開通の功労者、勇者アレフとローラ王妃を筆頭にする彫像達がさも迷惑そうに、ここで足留めを食らっている旅人や商人が面白半分の野次馬根性でサトリと門番のやり取りを見守っているが、一番迷惑なのは『非常事態なのです』の一点張りしかできない門番だろう。
それもそうだろう。それどころか歴史の大事件である。
ことの出来事は5日前に遡る。
ムーンブルクは世界の柱と称される、美しい三対の塔を持った城を中心とした魔法国家である。最高の魔法国家であり最強の軍事国家であるムーンブルクで生まれた者は、例外なく魔法が使えるとされるほど魔力の強い者が生まれ、魔法の研究はまさに最先端である。
そんなムーンブルクが一夜にして崩壊したのだ。
世界の柱は三本共に燃え上がり、遥か大海を隔てたデルコンダルは火柱を視認し、最大の山脈ロンダルキアを隔てたペルポイは夜が訪れず、ベラヌールは朝焼けがいつまでも続いたという。
ムーンブルクから幸運にムーンペタに逃げ果せた者は言う。まるで地震のように大地がめくり上がり、大地の上に鎮座していた全てが竜巻きのように巻き上がったという。光が踊り、重力が螺旋を描き、闇は圧縮され、物質は余すところなく粉砕されたという。魂すらも残らずに。
何者が起こした事件とかそういう問題ではない。
混乱は伝染する。
ローレシア、サマルトリアの二国は即座にローラの門を閉鎖し、ムーンブルクからの避難民を拒絶した。
デルコンダルもラダトームも定期船を止め、同じような処置を講じたそうだ。
世界の柱と、世界の中心と名を馳せた大国は、世界で最も遠い場所となった。皮肉なことだ。
「…もぅ我慢ならん!!貴様ら全身の血を凍らせて殺してやる!!」
「…!」
門番も俺も流石にヤバい気配を感じて青ざめる。サトリはブツブツと呪文の詠唱を始め空気が冷たくドス黒い質感を帯びはじめる。サトリの新緑色の瞳が憎しみいっぱいに門番を睨み付けた。俺は背筋に冷たい汗が流れるが、それすらも凍る。それほどの悪寒が駆け抜けた!
「待…」
「ザラ」
「ザラキなんて呪文は人に向けてやっちゃいかんヨン」
人の声ではない耳の中がくすぐったくなるような甲高い声が響くと、サトリが木を切り倒したようにまっすぐ倒れた。俺がサトリを受け止めると、サトリは口をぱくぱくさせてここではない何処かを見つめている。
「お…おい、サトリ。大丈夫か?」
声をかけると頷く。それでも体に力が入らないのかぐったりとしてはいるようだ。
「大丈夫ヨン。魔法干渉機能を低下させる感覚神経毒だヨンけど、一時間もすれば呪文もいつも通り使えるようになるヨン」
ヨンヨン煩い声の主はサトリの腕に取り付いていた。
透けるような白い体に水色の触手が何本も生えているが、その顔つきは間違いなくスライム族。つぶらな瞳と笑みの形に開いた口を屈託ない笑みといえば聞こえは良いが、俺にしてみれば人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべて笑うゼリー体質を持つ魔物の一族だ。なぜか例外なくこの顔なのだからよく分からん。
おそらく生息していない地域など無いくらい適応能力が高いから、種類がすごく多い。食べれないのが残念だ。
いや、そんな事はどうでもいい。
サトリの腕にくっ付いている物は、この近海では煩わしいほど存在するしびれクラゲだ。
俺は反射的に剣にを抜こうとした時、誰かが背後に歩み寄った気配を感じた。
「こらこら、シクラ。また人を麻痺させて…」
「だって死の呪文を人に使おうとしたんだヨン。止めて正解ヨン。シクラ優しい正義の味方ヨン」
しびれクラゲが俺の背後を見遣って、ぷぅっと空気を含んで膨らんだ。
俺は振り返る。
「や。済まない事をしましたね。神経系統の毒ですが、命に別状はありませんよ」
全く謝っている気配のない、にこやかな表情の男である。頬骨もやや出始めている細面に青紫の柔らかな癖の髪が肩まで落ちていて、笑っている顔と相まって非常に柔らかい印象である。これで硬い表情をしていれば化けるに違いない、そう思わせる顔つきだ。
だが、この場の誰もが驚くのはその男の格好だ。
「ム…ムーンブルクの外交官…」
門番が真っ青な顔で、ようやく言った。
昔からムーンブルクの外交官は国王の代理であり、外交官の言葉は国王の言葉であった。外交官が訪れた後ムーンブルクによって滅ぼされた国は多く、またムーンブルクによって栄華を与えられた国も多かった。外交官がその国を評価し、国王はその評価に全幅の信頼を置いた。だからこそムーンブルクの外交官は日の出と日没の運び手と称された。
その理由が、その服装だった。
朝焼けとも夕焼けともつかない藍色と紅のグラデーションの施された特殊な布に、銀糸を施したローブこそが外交官の正装だからだ。ベルトには真珠と白銀のムーンブルク王族の紋章が刻まれた懐中時計が下がっており、ムーンブルク王国の代表である事の証である。真っ白いマフラーを掛けていても、その正装は嫌でも目に付く。
男は緊張する空気など全く意に介さぬような素振りで門番に尋ねた。
「門は開かぬのですか?」
「はい。ローレシア代表取締役殿とサマルトリア国王陛下の合同の命令です。いかにムーンブルクの外交官と言えど…」
問いに門番は最上級の礼儀作法で、まるで今すぐ行われる死刑執行を無効にしてほしいと懇願する死刑囚のように答えた。
かつて一兵士の対応が悪く、怒った外交官が国を滅ぼすよう進言し、滅ぼされた国すらある。答え一つで崩壊する可能性を秘めた爆弾のような存在に、戦々恐々とする門番である。ただでさえ魔物も出る世界を一人で旅するムーンブルク出身者に、一介の門番が勝てる訳がない。
「あ、そうですか」
門番の言葉を遮る場違いな明るい声は、門番にとってさっきのサトリの呪文を食らって死んでおけば良かったと思うほどにインパクトがある。もはや門番は顔面蒼白を通り過ぎて雪のように血の気が無くなっている。
外交官の男はサトリの容態がそれほど大した事ないのを確認すると、門番の兵士達に背を向けた。
「行きましょう、シクラ。別の方法でムーンブルクを目指します」
「分かったヨン!」
外交官の男はしびれクラゲを肩に乗せると颯爽とローブを翻し、ローラの門の入り口を後にした。
眩しい外の光に誰もが目を細めている中に漂う沈黙を打ち破ったのは、サトリだった。
「怪しい男だったな」
もちろんサトリの不機嫌さは頂点のままだが、相変わらずの口の減らなさにちょっと安心。
「ザラキを人間に使うお前よりか怪しくはないと思うが」
「ロレックス。僕が言いたいのはそこじゃない」
確かに、サトリは怪しいより非常識があてはまるな。
サトリは身を起こすと痺れる右腕をさすって、目つきの悪い目をさらに細めた。
「ムーンブルクの外交官になるような男が、ルーラやキメラの翼も使わずにこんな所をウロウロしているだなんておかしくないか?喋るしびれクラゲと一緒だし。それに…」
サトリは一瞬周りの気配を探って、声を潜めて囁いた。
「ムーンブルクが崩壊したというのに、あの男、慌てた素振りもなかった。もしかしたらムーンブルク内でのもめ事かもしれん」
そう言い終えると、サトリは金の懐中時計を取り出して時間を見る。
「予定が狂ったな。仕方がない、どこかで宿を取ろう。読書の時間が終わったら夕飯だからな。手配しとけよ」
「はいはい。そうしとくよ」
手帳を取りだして今後の予定を練り直すサトリを逞しく思う。お前、右腕の痺れはもう平気なのかよ。
しかし、サトリの推測は確かに的を得ている。魔法の資質を持って生まれるのが当たり前のムーンブルクで、ルーラが使えない者いるものなのだろうか?それにキメラの翼もあるじゃないか。
祖国が崩壊している噂があるのになんで急がないんだろう?
確かに怪しい男だった。
だが、もう会う事はないだろう。
そう思っていた。
■ □ ■ □
ローラの門から僅かに西に寄った所に一つ島がある。
海峡を渡る船はほとんどローラの門に寄港してしまうが、この島にも人が住み、漁業に勤しんでいる。ローレシア大陸とムーンブルク地方を結ぶローラの門がなかった時代は、この島が渡し守の中心だったそうだ。無理を言えば、個人の船でロンダルキア大陸のムーンブルク地方に渡れるかもしれない。
そう思っていた。
「誰に頼もうと、誰も船を出しちゃくれんよ」
何人目だろうか?おそらく船を持っている人間には全て頼み込んだだろう。十数隻あるだろう船は近場を縄張りとする漁船なんかよりも遥かに強固で頑丈、おそらく海峡の波に耐える目的で作られたんだろう。そんな漁船の主に尽く断られた。
網を手入れする船主の前でついにサトリがぶち切れた!
「ロレックス!お前、個人に頼めば絶対にロンダルキア大陸に渡れるって言っただろうが!!僕の予定をこれ以上狂わせるなら絞め殺すぞ!!」
「偉そうに言うんじゃねぇぞサトリ!お前のザラキを唱える口も軽いだろうが、俺も利き腕が軽くてなぁ!気分が昂ると鋼鉄の剣が恋しくて堪らなくなるんだよ!!誰のために頑張ってると思ってんだよ、この非常識が!」
俺だってキレる事くらいあるんだぞ!
お互い首を絞めつつにらみ合う俺達に、全く平凡平和な島人が網を手入れしながら呟く。
「今は海峡の守護神様のお子宿りの時期だよ。そんな時期に船出してみぃ。大型船ですら沈められちまうからよぉ、昔っからこの時期は誰も船は出さねぇ」
カモメの声が麗らかに波音と響くのに、ギリギリと殺気だった音が耳の内側から聞こえる。
「だけど例外があってなぁ。ローラの門を開いた…なんて名前かは忘れたがムーンブルクの外交官はいつも船で渡っとってなぁ。海峡の守護神様のご友人だったと伝説に残っとるなぁ」
そんな昔の人間じゃ生きてないでしょうが。
手の力が若干強くなったので、俺も少し加減を抜く。
「そう言えば昨日ムーンブルクの外交官が来て、同じ事を聞いて来たのぉ」
ぱたっ、お互いの手の力が抜ける。
「ムーンブルクの外交官だと?」
「もしかして、しびれクラゲ連れてませんでしたか?」
俺達が同時に島人を振り返ると、島人はその麦わら帽子の下からきょとんとした顔つきで俺達を見上げた。
「知り合いかい?」
「えぇ…まぁ」
『別の方法でムーンブルクを目指します』と悠々と言った男の声が脳裏を掠める。
「ムーンブルクの外交官にしては珍しく礼節をわきまえておってのぅ。この島の者しか知らんだろう海底への道へ入る許可を貰いに来ておったよ」
「海底への道?ローラの門の事ですか?」
「いや、海峡の守護神様の住処に続いとる海底への道じゃよ。ローラ王妃の門と違って、潮の満ち引きで水中に没するから危険じゃが、しびれクラゲを連れとるから平気じゃろうと長が許可を与えたそうだ」
「どうしてです?」
「そんな事も知らんのかロレックス。しびれクラゲは海の生き物。潮の流れに敏感だ。あのしびれクラゲは喋れるからきっと危険も察知して知らせる事ができるんだろう」
サトリがそう説明すると、島人もそうだと頷いた。
「しびれクラゲをたくさん見かける時、海は時化る。外交官なら村の宿に居るぞ」
俺はサトリを見遣る。
サトリの事だから『早速、その外交官締め上げてムーンブルクに渡るぞ!』とか言い出すと思ったが、神妙な顔つきで考え込んでいる。この前の神経毒を注入された事を根に持っているなら、怒りに任せて外交官の所に殴り込みに行くだろうに…、何なんだ?
「サトリ、その外交官に会ってみないか?」
ピクリとサトリが顔を顰めた。
「もしかしたら、その外交官と一緒ならムーンブルクへ渡れるかもしれないぞ?」
「例えそうだとしても、僕は嫌だ」
は?
「嫌な予感がする。あの男にはなるべく関わり合いたくない」
俺はお前の親の依頼でお前に関わらなきゃならんのだぞ。依頼を受けた瞬間から嫌な予感満々で、今この瞬間だってなるべく関わり合いになどなりたくないんだが……それは良いのか?
『そんなの関係ない』と答えるのが目に見えているので癪に触る。
俺は嫌みを多少滲ませてサトリに話しかけた。
「なら、ムーンブルクに行けないな。俺の考えられる手段は全て駄目だった。俺と一緒じゃこれ以上進めないぞ?」
「それは困る。どうにかしろよ」
「だからムーンブルク外交官の力を借りようといってるんだ。あの人はきっとムーンブルクに行く手段を知っているはずだ」
「そうだとしても僕は嫌だ」
「あの外交官の後を追いかけるのか?金魚のフンみてぇに?」
俺はわざとサトリの神経を逆撫でするように言ってやると、案の定、サトリは食らい付いてきた。顔を真っ赤にして怒鳴り返してくる。
「そんな事できる訳ないだろっ!」
俺は意地悪く笑ってみせると、これまた意地悪く言ってやる。
「じゃあ、外交官殿に頼みに行くしかないなぁ」
「く…」
サトリが悔しそうに歯ぎしりした。
お前ガキじゃねぇんだから、少しは冷静になれよ。
「後悔しても知らないぞ、ロレックス!もう、僕は知らないからな!!」
あぁ、もう関わらない方が俺としてもやり易いってもんだ。俺はサトリを言い負かしてすっきりした気分で宿屋に向かうのだった。
島の宿屋は島の高台にある。島の自然に囲まれて海を一望できるそこは絶景で、海峡どころか天気がいい日はリリザも見えるだろうとの話だ。宿は二組程度の客しか受け入れられない規模で、質素な板張りの壁に一般的な宿屋よりも少し質の低いベッドが置いてある。島の中ではかなり良い部屋だろうが、都会に比べれば良くはない。
本来ならそんな低レベルな宿に泊まることなどないような存在が宿泊している。ムーンブルクの外交官とはそんな存在のはずだ。
きっと外交官では珍しいタイプなのだ。先日と変わらず温和な顔つきで、俺とサトリを向かい入れた。
「君達はローラさんの門でお会いした少年達ですね。ここに来たと言う事は、よほどムーンブルクに用があるとお見受けします」
「はい、俺達…というかこっちの金髪がムーンブルクに行きたいって言って聞かないもんですから」
背後から刺すような殺気が吹き上がるが、意識しちゃ駄目だ。
「私はローレシアの傭兵ロレックス。こちらがサトリです」
自己紹介すると、外交官も『これは失礼しました』と姿勢を正した。
「私はムーンブルクの外交官、リウレムと申します。こちらのしびれクラゲはシクラです」
「よろしくヨン」
リウレムさんは目の前の世界地図に目を落とす。
俺も世界地図を見るのは初めてだ。地方版の地図ならかなり簡単に入手できるが、世界地図となると入手は非常に困難だ。世界地図は世界全体を見渡す利点はあるが、同時になかなか更新されず最新版が出ないために出回っているものは大概古い。それでも世界地図は貴重品である。
「君達も私がルーラやキメラの翼を使わずにムーンブルクを目指すのを、非常に疑わしく感じておられる事でしょう」
そう言ってリウレムさんは世界地図の中心、ムーンブルクがある地点に指先を置いた。
「今現在のこの地図から竜脈と呼ばれる魔力の流れを計算推測し、この高台から観察できる実際の測定量と比べてみたのですが、世界規模で魔力の流れが乱れています。ムーンブルクが崩壊したのは間違いないでしょう。その余波を受けて世界規模で魔法、特に移動などの広範囲に干渉する魔法が使えなくなっていると推測されます」
そこで俺達の顔を見て、少し苦笑を浮かべる。
「ローレシアもサマルトリアも対応の選択は正しいですが、ルーラやキメラの翼が正常に稼働していた場合、ムーンブルク地方の魔法使いには国交断絶など意味がありません。しかし実際ムーンブルク地方から流れてくる民はおりませんし、逆に恐いもの見たさでムーンブルクに立ち入ろうとする者はおりません。以上の事を踏まえ、ムーンブルクでは想像を絶する事態が起きている事が推測されます」
あっけにとられる俺の横でサトリは鼻で笑った。
挑戦的に笑みを浮かべると、両手を乱暴にテーブルの上に叩き付けリウレムさんを睨み付けた。
「その程度で怖じ気づくと思ったか?外交官のおっさん、僕はムーンルクへ行く。予定は変えん」
その言葉に過剰に反応したしびれクラゲことシクラは触手を膨張させて殺気だったが、リウレムさんにやんわりと押さえつけられると黙って懐に押し付けられる。そして挑戦的な目で見てくるサトリに笑みを浮かべた。
「サトリ君でしたね、君の随分と気持ちを固めているご様子は十分に理解しました」
そこで俺に視線を移した。
「で、ロレックス君。…君は?」
「俺は…」
リウレムさんの視線を直視できなかった。
…確かにサトリの理解不明だが凄い頑固な気持ちとは違って、俺はサトリの護衛だからなぁ。意志があやふやなのを看破されてしまうのは仕方がないのかもしれない。そんな意志で異常に満ちているだろうムーンブルクに立ち入らない方がいい。そう遠回しに行っているのだ。
だけど、俺は傭兵だ。
依頼された事を遂行するのが使命なのだ。
だが、強かろうと弱かろうと意志は意志だ。その者の願いであり、目的であり、動力であり、生きる力なのだ。
リウレムさんの聞きたい事は崇高な目的や固い意志ではない。
行くか。行かないか。
そんな選択の答えを求めているのではないかと、夕焼けとも朝焼けとも思えぬ瞳に言われているような気がする。切っ掛けなど些細だ。理由など後からどうとでも付く事ができる。だから簡潔で良いんじゃないか?
「行きたいです」
「そう。じゃあ行きましょう」
窓の枠に手をかけて海峡を一望すると、リウレムさんが明るくのんびりと言った。
「ここの守護神様の洞窟は潮の満ち引きで海の水に浸水する事がありますが、潮が引いている時間帯は歩いてローラ様の地下道へたどり着く事ができます。ローラ様の地下道では立ち入り禁止になっている崖というか池があるのですが、そこに繋がっているのです。地下道に侵入してしまえばこっちのものです。ムーンブルク側の兵士も無理に拒む事はないでしょう」
世界は着実に混沌の中に沈んできているのかもしれない。
混乱の外側は意外に平和で
混乱の内側はどれだけ恐ろしいものなのだろうか?
俺は動悸に似た心臓の重みに心が躍った。まるで重い武器の破壊力に心酔するような甘い重みは、上達しても更に高みを目指すような終わりのないような達成感を錯覚でも感じさせてくれる。さらに、さらに感じたい。そんな衝動に駆られる。
好奇心だろうか?傭兵として生きると決めてから慎重であると思ったのに、こんな事態を楽しんでいる所がある。
そんな感情との出会いは、俺に何をもたらすのか。
旅は始まったばかりだ。