力の種
私はその品物の粗悪さに腹が立っていたの。
薬草と店頭に並ぶ物は地方によって独特の処方がなされている事が多いけれど、治療の為の効果を齎す為の加工であることが大前提。それなのに、この行商ときたらそこら辺に生えている薬草をただ摘んだだけで、しっかりと加工や調合されたものと同額を請求するのよ。それでも、極僅かでも治療の足しになるのだからマシなのね。そう、私が思える程にその行商の品揃えは最悪だったの。
聖水は多分、ただの水ね。綺麗そうな硝子瓶の色が濃いから分かり難いけど、底の方に砂利みたいなものが沈殿してるの。教会で祝福された正規の聖水なら、そんな事は先ず有り得ないわ。偽物って断定していいと思うの。
毒消し草は毒の種類によって葉が違うの。バブルスライムや毒蛇の毒に効く物と、お腹が痛い時に効果のある物と、飲むべき毒消し草は違うのよ。ただ、値段が高い物はそれらを調合してどんな毒にも効果があるようにしてあるものもあるわ。でも、見た限り、毒消し草はただの雑草だと思うわ。
その行商はちょっとだけど武器も扱っていたわ。
ブーメランなんかは削りが荒くて手作りなのかしら。とても手元に戻ってきそうな感じはしなかったけど、例え手元に戻って来る程度に使えたとしても軽くて威力はなさそう。
鞭も貧弱ね。皮の加工が疎かで、殆ど撓る事ができなくて鞭としては使えた物ではないわ。縄の方が使えるかも。
極めつけがレイピアで、刃の軸が素人目には分からない程度だけど歪んでいるの。レイピアは突き刺す事が目的だから、歪みから来る刃の折れは致命的。素材の加工も甘いからでしょうね、刃にしなやかさが見当たらなかったわ。剣の柄に巻かれていたのは、滑り易い布で思わず笑ってしまったの。
一つ文句でも言ってやろうと思ったわ。
でも私が口を開く前に、親方と呼ぶ大男が行商を追い払ってしまったわ。行商も逃げるように去って行った。その必死さに溜飲が下がる思いだった私は、隣に立っていたオルテガ兄さんに笑いかけたの。
「あんなに酷い商品を売りつける人もいるのね。全く、商人として恥ずかしい人だったわ」
「そんなに酷かったのかい? 俺は良く分からなかったよ」
オルテガ兄さんが黒い瞳を丸くして、驚いた様子で私を見返した。
逆に私が驚いてしまったわ。あんなに酷い商品なのに、どうして見分けがつかないのかしら…って。
今、私達はバハラタからアッサラームへ向かう街道を、他の旅人達と変わらぬペースで進んでいた。バハラタで私を含めた誘拐された女性達を助ける為に奔走したオルテガ兄さんの協力者である、『親方』という大男と『李鳳』と異国の言葉で書いてリーホウと読む猫のような男と一緒だ。彼等もアッサラームの方角を目指していて、そこまでは一緒に行ってくれると言う。彼らの同行を望んだのは、オルテガ兄さんだった。
本当は兄さんと二人きりの旅がしたかったけれど、それは私の我が儘だって直ぐに理解した。
とても善良な旅人には見えない二人ではあるけれど、彼等は思った以上に紳士で優しかった。李鳳は気遣いが細やかで、お話好きな人。親方って人はとても恐ろしい外見ではあるけれど、私が少しでも遅れたり疲れたりするとオルテガ兄さんよりも早く察して来た。勿論、そんな二人よりも私は兄さんと過ごす事が一番多かったし、彼等はそんな私達の間に割り込むような事はしなかった。
兄さんは同行者である2人組から、様々な事を学んでいた。野営の手際の良い準備の仕方や、盗賊や魔物達の警戒の方法。簡単な調理器具で出来るおいしいご飯の作り方、殆どが書物では学べなかった旅の知識ばかりだ。時々、修錬にも混ざったりしている。
いつもは真横に居る筈の兄さんが、手の届かない場所で私に背を向けている。
寂しくないって言ったら、勿論嘘だ。凄く寂しい。
でも私は、なんとなく分かってしまったの。とても恐ろしい事に…。
そのあやふやな考えが確信に変わったのは、山を貫く地下道を抜けて砂漠の乾燥した暑い風を感じる頃だった。色の黒いずんぐりとした体格の商人は、真っ白いターバンと真っ白い歯を見せて親方に話しかけた。穏やかな低音の声色で、香油で整えた口髭の下の笑みはとても好印象だった。
「これはこれは、旦那様。同行者がおいでとは、お珍しい」
親方は『久方ぶりだな』と言いながら、私達に商人を紹介した。
「こいつはリラキナ家の、商人のペトローだ」
まぁ、あのリラキナ家!
私は驚きのあまり目を丸くしたわ。リラキナ家といえば、世界の流通を支配するとまでいわれる大商人の一族の事ですの。商いをする者で知らない者は先ず居ないし、そのリラキナ家に商人として召し抱えられるのは商才を評価されたという事。商人として生きる者が最終的な目的として、リラキナ家に仕える事を目指す者もいるはず。私はペトローと呼ばれた男性を羨望に似た面持ちで見たの。
ペトローさんは李鳳さんとも話をしてたけど、親方が話の区切りを見つけて話しかけた。
「ペトロー、こいつらは行く先がちょっと一緒になっただけだ。アッサラームで分かれる予定だ」
「左様でございますか。旦那様は面倒見が宜しゅうございますから、色々ご指導されたと存じます。良い師に一時でも師事する事の出来る喜び、若者達も成長してからこそ噛み締める次第でございましょう」
慇懃な言動が嫌みにならない、穏やかで美しい子守唄のような声色。親方も反論がなくて黙ってくれるから、私は聞いててうっとりしたわ。こんな声で商談を持ちかけられたら、どんな条件でも了承してしまいそうよ。
ペトローさんは私達に向き直って、深々とお辞儀をした。
「私はリラキナ家の当主の命で世界を巡る、レウム・ペトローと申します。他に肌の色が黒く、黒髪で瞳の色も黒い者がおりましたらその者もペトローの血族にございます。私に御用の際は血族の誰かに伝え申して頂ければ、何処に居ようと私は応じます」
私も慌てて名乗ろうとするのを、ペトローさんは留めた。
「自己紹介というお手数は不要にございます。クリスティーヌお嬢様。我等リラキナ家は、アリアハンで活躍する御家とも商談を重ねた事がございます。これからの御家の増々のご活躍を願うと共に、お力が必要な際は何時でも応じましょう。ご家族にも宜しくお伝え下さい」
ペトローさんはオルテガ兄さんに身体を向けると、今までの誰にも向けた事のないような洗練された一礼をした。深々と下げた頭を上げず、尊敬と畏敬を込めて声は歌った。
「お初にお目に掛かります。コリドラス家の次期当主、オルテガ様」
オルテガ兄さんが思いがけない言葉に目を丸くして固まった。
そう言えば、オルテガ兄さんの姓はコリドラスという。ペトローさんの言い方じゃあ、コリドラスって家柄は古くて由緒がある感じだ。パマーズさんの一人息子のオルテガ兄さんが次期当主って言えば、それはそうだろう。けれど、コリドラス家はアリアハンでは別段有名ではない。魔法に秀でているとか武勲を立てた騎士を輩出したとか、そんな記録は一切ないだろう。他の近所の家とそんなに変わらない筈だ。
兄さんの反応がない事を不審に思ったのか、ペトローさんが顔を上げた。ペトローさんは首を小さく傾げて、自然な所作で畏まった。
「我等が当主に面会に来られたと思われましたが、違いましたか。それは僭越な事でございました」
「あ…あのさ、何か知ってるのか?」
兄さんが硬直から立ち直っておずおずと訊ねた。その様子にペトローさんは深々と頭を下げた。
「申し訳ございません、オルテガ様。その問いに答えられるのは、貴方の御父上ただ一人でありましょう。例え我等の当主に問われても、貴方に答えを与える事は出来ませぬ。御父上であるコリドラス家の当主の決定に、他の家の如何なる立場の者も干渉は許されません」
つまり、パマーズのおじ様がオルテガ兄さんに色々教えなかった事を、おじ様に代わって誰かが教えるって事はできないって事ね。オルテガ兄さんの様子じゃあ、1から知らないって感じだもの。
それにしても、何か凄い秘密でもあるのかしら…?
ペトローさんは言うが早いか、守護の印を宙に描く。ふわりと魔力を帯びた空気が流れたのが分かった。
「それでは名残惜しい事ですが、これにて失礼致します。皆様にミトラの恩寵がありますように…」
「あぁ、ペトロー。お前とお前の一族にもミトラの加護があらんことを…」
親方がそう返し、ペトローさんはにこりと笑って去って行った。
私は見たの。彼等が交わした挨拶を見て、兄さんがとても驚いた顔で固まってしまっているのを…。
■ □ ■ □
アッサラームまであと一日。
バハラタで出会ったとても怪しい二人組みとの旅も、今夜が最後になるだろう。私はむくりと起き上がると、焚火を見つめている親方を見つめた。威圧的で寡黙なくらいだけど、彼は名乗らない時点で自分の事を必要以上に他人に言わない慎重な人物だって思ってた。
私が見つめて暫く、親方は口を開いた。
「なんだ?」
「あの、その…、少し話を聞いて欲しいの」
「オルテガに話せ。幼馴染みで恋人なんだろ?」
こここ恋人なんてそんな…!
私は顔が凄く熱くなるのに慌てふためきながら、深呼吸を何回もしてようやく落ち着けた。
「オルテガ兄さんには話せない。ただ、話を聞いてもらいたいだけなの」
親方は黙っていた。静かな沈黙が、私に喋っても良いよと許してくれているみたいだ。私の口は思った以上に滑らかに動いた。
「私は無理を言って兄さんの旅に付いて来たの。でも、このままじゃ付いて行けない。オルテガ兄さんが行かなくちゃいけない場所は、きっと観光地や巡礼地みたいな場所じゃない。戦う力がないと、優しい兄さんの事だからアリアハンに帰りなさいって説得されてしまう。戦う力も無いのに迷惑掛けるのを承知で同行しようものなら、それは私の我が儘になってしまうもの」
自分にも戦う為の力が欲しい。そんな相談をオルテガ兄さんにするなんて、出来ないよ。
オルテガ兄さんははぐらかすけど、この旅に目的が無い事を私は知っている。何処かへ行きたいとか、パマーズおじ様の元から離れたお母様を探したいとか、もっと強くなりたいとか、明確な目的が無いんだ。目的を探す為の旅なのかも知れない。
でも、私は分かるんだ。オルテガ兄さんは私の想像もつかない場所に、きっと行ってしまう。その場所には、今の私じゃ辿り着けない。
私は泣きそうだった。まだ、一緒に居れるとは思うけど、別れが遠くない事も分かってしまうんだ。
「お前は想像以上に賢い娘だな」
キツく握りしめた手を見下ろしていた私に、声が掛かった。今、オルテガ兄さんも李鳳さんも寝てる。喋れるのは親方だけだ。
見上げると幼子だったら失神してしまいそうな凄みのある笑みで、親方が私を見ていた。親方は少し面白い事を喋るように口調を明るくして言う。
「お前の鑑定眼はなかなかの物だ。行商の商品の程度を見定めるのは、実は難しい。旅人が道中で疲れてまともな判断が出来なかったり、急いで選択肢が無い状況を行商は狙っている。粗悪品でも、例え役に立たないものを掴まされても『それはお客さんが選んだんだ』と言い訳しやがる。とはいえ、全てがあんなヘボイ行商ばかりじゃない。正規の値段で良い品物を売る者も居るからこそ、行商の品定めは難しいんだ」
それはお父さんからも双子の兄さん達からも聞いた事がある。でも、その事を思い出せたのは、行商が去って怒りが静まってからだった。
親方は座る姿勢を崩すと、少しだけ私の方に身体を向けた。
「それに加えて、お前は先見出来る程度に賢い。お前の力を正しく使えば、お前が望むものを手に入れられるだろう」
親方がとても親切に話してくれるものだから、私は目が真ん丸。
その様子を親方は理解できなかったと思ったんだろう。頭をガリガリ掻きながら言葉を続けた。
「今のお前の力で、力を最大に発揮する武器を見つけて買うんだな。武器を振り回していれば、自ずと体力も筋力も付いて来る。敵と対峙すれば踏み込む度胸も、戦闘の駆け引きも分かるだろう。後は、そうだな」
親方はごそごそと傍らに置いた布袋を漁ると、小袋を取り出した。中身は細かい何かが大量に入っているんだろう。親方の大きな手に掴み上げられた袋は、ざらざらと音を立てて揺れた。紐を緩めて中身を一つ器用に摘み出すと、親方は私の手の平に落とし込んだ。
それは細長い木の実だ。炙ってあるのか香ばしい匂いがする。
「それは筋力をつける成分が効率的に摂れるって言われてる、通称 力の種だ」
大きな手が私の頭を撫で回した。そして肩を軽く叩いて手を離すと、親方は苦笑した。
「オルテガってガキは、とんでもない女に惚れられたな」
それってどういう意味よ…。
私は憮然とした気持ちになりながらも、手の平に一粒ある力の種を食べてみた。ローストした種は香ばしくてカリカリと心地よい歯触りだ。スパイスに似た香りが鼻に抜ける頃に、舌先を辛味が刺激する。でも辛すぎなくて種を呑み込む時に辛味も消えてしまうの。
あら、想像以上に美味しい!