天の祈り

 上級天使のイザヤールが初めて弟子を取った。その驚きから時間は流れ、私の弟子として恥じる事の無い守護天使になったと周囲の評判を聞く。長老のオムイ様が積極的に師匠の元から独立するよう勧め幾度か未熟さから断ったりもしたが、余計な心配であったと自分自身を笑う時がある。
 ウォルロ村は、かつて私が担当していた守護地であった。
 牧草地から続く平原の終点、竜返しの峰の麓にある村は絵に描いたような長閑な村である。村は煉瓦と木材で何代もの昔から補修されて使われ続け、季節ごとの豊かな実りを村人達は喜んで収穫している。舗装されていない道を家畜と共に人々は歩き、子供達は石を積み上げた塀を走り回り、跳ね上げた川辺の水の煌めきの中で笑う。清らかな水が幾重の虹と鳥の影を纏う滝は、天使の滝と呼ばれている。村の象徴から広がる豊かな幸せの風景を、滝の傍にある守護天使の像から見るのを私は好んでいた。
 今は弟子が天使像の傍らから村を見守っている。
 天使としても小柄な彼女が私の弟子、アインツである。真っ直ぐ黒髪を肩まで伸ばし、大きい碧の瞳とあどけなさの残る顔が可愛らしい。天使は生まれてすぐ瞬く間に成長し、容姿が大きく変わる事はない。しかし人間で言えば少女の頃合いの外見の通り、非常に若くして守護天使の役目を引き継いだ。弟子は才能に恵まれている訳ではなかったが、守護天使を目指す見習い達の中でも熱心に知識を吸収し武術の修練を強請った。上級天使の弟子としては心許無いと評されるが、他者の評価など瑣末な事だ。
 アインツは私を認めると、天使像の横からぺこりと頭を下げ歩み寄ってくる。
「ご無沙汰しております、お師匠様」
 この時点で天使の誰もが、そのアインツの奇妙さを理解できるだろう。
 天使とは頭上に燦然と輝く光輪と同じ光が体を包み、地上を支配する重力から解き放たれ水を泳ぐように移動出来る。翼が軽く宙を掻けば遥か天使界まで飛び立つ事ができ、地上で活動している天使達は常に拳一つ分浮いて移動している。
 しかし、アインツの体は重力に引かれて両足を地面に付けていた。柔らかい草を踏み分ける音を響かせた足を揃えて立ち止まると、首を傾げた拍子に黒髪がさらりと揺れた。
「何か、御用ですか?」
 この弟子は実力を侮られはするも、守護天使としては非常に優秀だった。しかし少々変わった弟子には問題も多くあり、大問題に発展するまで放っておく事も少なくなかった。大丈夫が口癖だったが、大丈夫であった事はない。
 多過ぎる心当たりに、顎に手を添え考え込む。
「天使界に随分と戻っていないそうだな」
 私の言葉にアインツは『あぁ』と、思い至ったように微笑んだ。その笑顔は初めてウォルロ村を任され一月帰って来なかった時、蒼白になった私の心配など知らぬのだろう。
 守護天使達は地上で暮らす人間達を助け、魔物達や天候等の様々な災いから守る事を務めとする。我々の姿を視認出来ぬ人間相手の任務は孤独極まり無い。栄誉ある守護天使の役目を返上する天使がいる一方、人間達の感謝の念が結晶化した星のオーラが一つ回収出来れば天使界に帰還する天使ばかりだ。我が師の痛ましい悲劇から、星のオーラが回収できなくとも帰還を懇願される者は少なくない。そんな天使達の中で、弟子の人間界の滞在日数は追随を許さない。
 弟子は数ヶ月も天使界に戻らない。放っておけば、何年だって戻らないだろう。
 それが大きな問題の原因だった。
「世界樹に星のオーラを捧げに、戻らねばなりませんね」
 それが我等の最も大切な使命だろう。引き攣りそうになる表情だったが、もう、慣れた。
 アインツは天使の像の前まで戻ると、小さく呪文を呟く。翼と輪を持つ女性とも男性とも分からぬ中性的な天使像は、水瓶から零れ落ちる水流を衣のように纏い豊かな実りを抱いて肩に鳥を乗せる。周囲に浮かんだ数十はある星のオーラの輝きは、滑らかに磨かれた見事な彫刻を見惚れるような美しい光で照らす。両手で覆っても余る程の大きさの星のオーラが、星々の輝きの大きさになってアインツの手に収まった。掌の上で星の砂の山のように輝く星のオーラを持って『たくさん、集まりました』と笑う。
「こんなに溜め込んでいたのか…」
 呆れて怒る気力もない。溜息ばかりが重く零れた。
 星のオーラを持ち帰る事は名誉な事だ。一つ集める事にさえ苦心する守護天使達の中で、これ程の量を集めるアインツは間違いなく優秀であろう。しかし我が弟子は、天使界の名誉に非常に鈍感というか関心そのものが希薄だった。
 『お師匠様』可愛らしい声は私を呼び、小さな手から零れ落ちる星のオーラを差し出しながら言う。
「私はまだ所用がありますので、この星のオーラを持って天使界へ戻っていただけませんか?」
 世界樹に星のオーラを捧げる事よりも、大事な事があるのか? 眉間に皺が寄ったが、天使の務めの重要性が分からない弟子ではないだろう。
 堅く真剣な表情を見てか、弟子は簡潔に説明した。
「セントシュタインからキサゴナ遺跡へ向かった調査団がウォルロへ到着しなかったか、旅人が訊ねに来ました」
 自殺行為ではないだろうか…。私は朧げにそう思う。
 私がまだウォルロ村の守護天使に着任したばかりの時、この山に閉ざされた地に来る為には、険しい山を越えるか、キサゴナ地下道を通らねばならなかった。その当時でさえ地下道の老朽化は酷く、崩落による死者が度々出た。村の有志と城の援助で山が切り開かれ、新たな道が作られたのは百年程昔の話になる。今では使われなくなった地下道は遺跡と名を変えて過去の遺産となったが、その老朽化は更に酷くなるばかりであろう。
 弟子は事の深刻さを理解した私に安堵の表情を見せた。天使の階級は厳しく、上級の天使に下級の天使は逆らう事が出来ない。『そんな事はどうでも良い、天使界へ帰還せよ』と命じられれば、私より位の低いアインツは従わなくてはならない。そうなれば、人間の安否を一刻も早く確認しに行きたい弟子は、天使界の土を踏んですぐに地上に飛び降りてしまうだろう。温厚な長老は理解してくれるだろうが、他の天使達の批判は避けられない。
 アインツは人間をとても好いている。
 楽しそうに人々の会話を横で聞き、祈りの時間に人々と共に教会へ詣る。たまに人間達の食べ物を摘み食いしたりもするが、農作物に付いた虫を退け、家畜と共にゆったりとした時間を過ごす。人々の感謝の形である星のオーラを集める務めを怠る事はなく、その合間合間の生活は人と共にあった。
 天使界では奇異な目で見られる行動が、私の師匠を彷彿とさせる。
 人間を愛おしく見守る眼差しが、弟子と重なって見えた。
 だから、私は彼女を弟子に迎えたのかもしれない。もう示される事の無い我が師の情熱と強さの答えを、弟子の中に見つけようとしているのかもしれない。
「良かろう、アインツ。キサゴナ遺跡に向かうがいい」
 ぱっと輝くような笑顔は、まさに天使のようだ。
「ありがとうございます!」
 アインツが頭を深々と下げ、不思議そうに動かない私を見上げた。
「私も共に行こう」
 私は言いながら翼を広げ弟子を招いた。弟子は何とも気まずそうに、所在を無くした星のオーラを掬ったまま視線を彷徨わす。
 アインツは翼が生まれつき小さく、飛ぶのが苦手なのだ。急ぐ時、天使界まで昇る時、私は弟子を抱えてやるのが常だった。

 私の記憶と現実の相違は、地上の時の速さを実感させた。
 キサゴナ地下道の入り口へ続く石畳は生い茂る雑草に埋もれつつあり、大地から湧き出る毒は瘴気を含んだ煙を放つ。以前は地下道の手前に旅人達で賑わう集落があったが、今では張り出した木の根に家は倒壊し見る影も無い。あれほど人で溢れていた広場も、動物の影が一つ横切るだけだ。
 今は遺跡と呼ばれた入り口は、湿っぽい洞窟特有の匂いを外に向け静かに吐き出していた。人通りを失い放置された地下道は、頑丈であった礎にヒビを入れ雨風は石壁に染み込んで内側から崩している。崩れて失われた天井から多くの光が差し込んで、中はとても明るかった。地下道を往来した馬車の轍が抉った石畳の溝に溜まった水が、生い茂る木々と空を映している。壁を突き破って侵入して来た枝が天井の役割をしている場所も多く、波打った石畳の隙間には新たな命が芽吹き大きく育っている。人々の往来が途絶えて久しいここは、いずれ山に飲まれて人々の記憶からも消えていくだろう。
 森の一部のような道が、地下へ潜り込んで闇を覗かせている。馬車で行き来できるよう緩やかな石畳の坂の始まりには、朽ちかけた天使の像が通行する者を見守るように立っている。靴を揃えるため身を屈めた天使は、手に溢れんばかりの薬草を抱いている。向かい合うように盾を掲げ、鈴を捧げ持った天使の像が耳を澄まして周囲を警戒する。私が守護天使になったばかりの時、大変世話になった守護天使の名前はもう何処にも記されていない。あの方々も役目を終えて一足先に星空へ還られてしまった。
 守護天使の像の傍の茂みが音を立て、人が飛び出してきた。
 身構えた私達の前に現れたのは、一般的な布の服に使い込んだ外套を羽織った男だ。赤い髪に緑の葉を沢山付けた目に痛い配色の下で、両腕いっぱいに薪ような枝を抱えている。守護天使の像の間で立ち止まるとぱっと両腕を開き、薄暗い森にガランガランと大きな音を響かせた。どっこいせと座り込んで、枝を蔦で束ねて松明を作りだす。
 人間達は守護天使の像の付近は魔物が寄り付かないと信じており、集中して作るために持ってきたのだろう。瞬く間に松明が一本出来上がり、予備の分の制作に取り掛かる。
「松明の用意に、こんなに手間取るたぁ思わなかったぜ…」
 どんな下手な理容師が整えたのか、男は短く整っていない髪を苛立たし気に掻いた。口元には鉄の部分が鈍く光る煙管が咥えられ、黙々と煙を噴かす。僅かに毒消し草の香りが漂う煙は、気休めであっても瘴気対策なのだろう。武器は持っておらず丸腰であったが、男からは旅慣れた雰囲気を感じた。
 なるほど、この男が調査団を探しにきた旅人か。
 私と弟子が男を後ろから見下ろしていると、男が勢いよく振り返った。振り返り際に束ねた枝で薙ぎ払われ、当たらずとも突然の事に驚いた弟子の肩が跳ねる。鋭い戦士の眼差しが警戒するように周囲を見て、私達に視線を留めた。勘の良い人間というものは天使の気配や死者の気配も勘付いてしまうが、彼もその一人なのだろう。
 じっと、赤い瞳が我々を貫くように見る。視認が出来ない死霊系の魔物であっても、人間を襲う為に実体は存在する。男は徐に松明にする為に集めた棒を、一本掴んで持ち上げた。探るには素早く、攻撃にしてはゆっくりと、周囲の反応を確かめるように棒で薙ぎ払う。アインツが悲鳴を飲み込み、私の脇腹に縋りついた。
 一通り周囲を確認した男の目には、明らかな恐怖が浮かぶ。
「オバケ…か?」
 姿は見えず、声は聞こえず。ただ気配だけは感じる男からは、棒が届かず動かなかった我々はそう認識されてしまったのだろう。弟子が男の反応に声を上げた。
「オバケじゃないです。私達は調査団の方々を探しにきたんですよ」
「うわぁああっ!」
 すっと男の眼前に詰め寄った弟子に、男の大きく開けた口から悲鳴を迸った。武術を嗜んでいるからか、見事な身のこなしで跳びすさり遺跡の闇の中に飛び込んでしまった。
 本当に苦手なのだろう。男の色濃い恐怖を思い返しながら、首を傾げた弟子の肩に手を置く。
「あの人はどうして逃げたのですか?」
 男からすれば急に詰め寄ってきては、攻撃されると判断しておかしくはない。我々天使は確かに人の知覚には感じられないが、地上に干渉する為に接触はできる。攻撃が当たるなんて、男は知る由もない。
 ただ、あの驚き様は心霊現象の類いが苦手なだけだろう。恐怖の基準は人それぞれだ。
「アインツ。あの男は我々の気配を感じ取れるようだ。不必要に驚かせてはいけない」
 私は弟子の形の良い頭を撫でる。
「天使は過剰に地上の人間に干渉してはいけない。天使の掟を後で改めて復習するように」
 あの男の後を追わねばならない。私は頷いた弟子を促すように背を押した。
 元々は馬車が余裕ですれ違う幅を持っていた通路は、崩落で半分以上が潰れていた。枝や瓦礫の余りの多さに、足場が悪いものの仕方なく翼を畳んで地上へ降りる。私は地上での歩行に慣れている弟子の後を付いていく事となった。
 男が喫煙していた煙草の匂いは独特で、松明に火をつけて掲げた男に直ぐに追いつく事が出来た。我々の事を警戒しているのか、油断なくこちらを睨みつけている。
 すると、遺跡が身震いするように揺れる。奥から魔物の声だろう大きな声が突き抜けてきた。脆い遺跡を突き上げるように揺すりあげると、岩壁や天井が音を立てて崩れる。不安定な形で遺跡に根を張った木が、幹をしならせ大きな葉音を立てる。よろけた弟子を抱えて庇い、振動が収まり崩落の気配が鎮まるのを待つ。
 崩れる音が鳴りを潜めた頃合いに、男が独り呟いた。
「厄介な魔物がいるみてぇだな」
 足早に進み出した男に我々も追随する。
 守護天使は武術の心得がある。我々は丸腰でこの遺跡に来た男を守ろうと考えていたが、目の前の男は我々の想像以上に戦い慣れていた。スライムを掌底で吹き飛ばして壁に張り付け、回し蹴りでメラゴーストを霧散させる。リリパットの放った矢を拾えば、向かって来るメタッピーの腹に甲高い音を立てて命中させて地面に落とす。笑い袋を捕まえて開けば、袋の中から沸き出した二万のギャグに墜落するドラキー達に我々が同情する程だ。何気なく煙管を振ればその先には幽霊がいて、火傷を負ったのか悲鳴を上げて一目散に逃げていった。
 先ほど悲鳴を上げて逃げられたアインツが、渋い顔をする。
 地下道は一本道ではなく、掘削途中で崩落して進路を変えたりと枝分かれしている。それでも最も使い込まれた正しい道と、それ以外では舗装が全く異なっている為に道を違える事はない。地下水が染み込んでいるのか小さい川や水溜り、苔生して滑りやすく瓦礫が散乱する。瘴気が溜まり闇が深まる。危険な道を、男は驚く速さで進んでいた。
 男が突然足を緩めて、松明の火を消し腰を落とす。瓦礫の影に身を潜めた男の後ろから、我々もそろりと覗き込む。
 そこには滅多に見かける事は無いだろう巨大な魔獣がいる。ずんぐりした巨体は埃に塗れ、体から伸びる角や甲殻化した部分は石のようで苔が生している。地下道の薄暗い闇の中でじっとしていれば、岩と見分けが付かないだろう。神経質に身を揺すり足踏み一つすれば、地響きと共に天井から瓦礫が小雨のように振って来る。
 調査団はあの魔獣に遭遇して、この地下道に足止めさせられているのだろう。
 僅かに呻き声が聞こえ、小柄なアインツが猫のように瓦礫を伝って進む。その気配に男の視線も引っ張られ、瓦礫の影で震える男達を見つける事ができた。人数は三人。それぞれが旅人が好む頑丈な厚手の服を着込み、胸当てなどの最低限の防具を身に纏っている。武器も荷物もなく、全身が泥で汚れ切っている。全員大怪我は負っていないようだが、最も体格の良い男が横たわっている。
 赤髪の男が魔物が背を向けたタイミングで、行方不明になっていた調査団の横に忍び寄った。喜びに声を上げようとした最も若い男の口を、武器を持ちすぎて歪になった手が塞ぐ。
「助けに来た。お前達で全員か?」
「あぁ。数時間前に体力の残っている二人を、ウォルロ側の出口に向かわせた。ここにいるのは我々三人だけだ」
 声を顰めて交わされる言葉を、赤髪の男の傍で聞く。我々がこちらに向かう時、ウォルロ村へ続く街道を二人の旅人が足早に進んでいるのが見えた。街道沿いに進むなら、そう強い魔物に出くわす事なく村に到達できると見送ったのを思い出す。
 赤髪の男は苦々しい顔で意識を失っている男を覗き込んだ。
 意識を失っている男は体格の良い。赤髪の男が支えれば運び出す事ができるが、調査団の二人は体力の消耗が激しく、全員が素早く逃げる事は難しい。
 さらに厄介なのが魔物だ。まるで大岩に手足が生えたような魔物の急所は狙いにくく、全身が硬質化した分厚い皮膚に覆われている。男が武術の達人であっても巨体と重量が生み出す防御力の突破は難しく、攻撃が当たれば一撃で致命傷に陥る可能性がある。さらに地下道が直線のほぼ一本道である事が、我々に不利に働く。背後から魔物に追いつかれたら、全滅は必至だ。
「とにかく脱出するぞ。このままでは、全員死んじまう」
 最悪の状況でも脱出を決断した男に、調査団員も頷く。
 どうしましょう。そう視線で問う弟子に、考えるように顎を摩る。
 基本的に天使が人間を手助けする際には、気取られてはいけないという掟がある。人間達は長い歴史が守護天使が人間を守る為に力を貸していると信じているが、それを実際に見た者はいないだろう。私が魔物を倒す事に繰り出した技は、人間の目に見える。制約を破るに値する状況か、判断の難しい場面であった。
「どうやってですか?」
 そう若い男の声を背に聞きながら、赤髪の男が腰に固定していたポーチを下ろした。広げると一枚の布のようになっていて、手の平程度の大きさで厚みのない箱を取り出した。金具を外し蓋を開けると、すっと青臭い匂いが広がる。小さい間仕切りの一つ一つに、乾燥した薬草が詰め込まれている。私達と共に覗き込んだ若い男が、なんですか?と質問した。
「これは俺の煙草入れだ。色んな草を乾燥させて保管してある」
 予備の松明の蔦を緩め、束ねた枝の間に幾つかの草を摘んで詰め込んでいく。ラリホー草はありったけ。惑わし草は暴れるだろうか。金縛りの種は無かったか。勿体無いが神秘の草を使っちまうか。男がぶつぶつと呟きながら詰め終えると蔦を縛り上げる。水溜りで濡らした布を行き渡らせると、赤髪の男は草を仕込んだ松明に火をつける。勢いよく燃えて煙を上げ始めた松明を、男は魔物の手前に放り投げた。
 煙は瞬く間に空間に広がり、魔物の姿を隠すほどの煙からラリホー草独特の甘い匂いがする。なるほど、草の効力を煙として魔物に吸わせるのか。私が感心している間に、驚いて暴れた魔物の動きが鈍くなっていく。
「急げ! 煙はなるべく吸い込むな!」
 体格の良い調査団員を赤髪の男と若い男が二人掛かりで支えると、出口に向かって駆け出した。私とアインツも殿を務めながら男達の後を追う。若い男の足が縺れて転倒すると、赤髪の男一人で意識を失った調査団員を抱え上げる。歯を食いしばって引きずるような赤髪の男に、アインツはそっと寄り添ってバイキルトの呪文を掛けた。
 赤髪の男がちらりとアインツを見たが、すぐに視線を前に向けて猛然と進み出す。石畳を蹴り付けるように前へ、坂を飛び越えるように進む。息も絶え絶えに全員が飛び出した時、茜色に染まる空と守護天使の像が彼等を出迎えた。助けられた調査団員達が地面に崩れ落ちる。
「た…助かった」
 口々に生還が信じられぬ言葉を男達は零す。赤髪の男は遺跡へ至る獣道を進む人に気が付いて顔を上げた。ウォルロ村に到着した調査団の者が呼んだだろう、村の者達だ。助けが来た事に、調査団員達の涙腺が決壊した。
「守護天使様…ありがとうございます」
 はらはらと涙が落ちれば、小さい星のオーラとなって地面を転がる。村人達が駆け寄ってきて、甲斐甲斐しく傷の具合を聞き、助かった事への喜びを分かち合う。少し広い場所に待たせた、幌のない荷馬車に調査団員達は乗せられていく。その様子を男は喫煙しながら見守っていた。アインツはその横で抜かり無く、人々の感謝の形を回収している。
 全ての星のオーラを回収したアインツが、小さい翼を羽ばたかせて宙に浮く。すると赤い髪の男は我々を見上げて、にやりと笑った。男が煙を吹きかけてきたのを見てアインツが慌てて逃げる。
「悪かったな、オバケなんて言って」
 煙がアインツの僅かな羽ばたきに吹き払われたのを見て、男は意地悪く笑った。
「ありがとうな。天使様」
 もう一度アインツを狙ってふっと煙を吹きかけると、その煙は輝く星のオーラになった。受け取る形で星のオーラを手にしたアインツは、匂いを嗅ぐように神経質に鼻を寄せる。
 まさか、煙の匂いはしないだろう。
 私が笑うと、アインツも気恥ずかしそうに微笑んだ。