創造の果てに芸術ありけり
作品を生み出すこと。私にとって、それは呼吸することと同じことです。
物心ついた時には私は指で地面に線を描き、木の葉や木の実を潰して色を出した物をあらゆる物に塗りたくっていました。紙に、布に、壁に、書き込める所は全て真っ白いキャンバスです。クレヨンやクレパスで、絵を描くようになって天才と持て囃されたのは一瞬でした。水彩画や油絵に手を出した頃には、私の居場所はこの世界のどこにも無くなっていたのです。
鬼才。そう呼ばれるようになって、それが褒め言葉でない事は薄々分かっていました。学園の技術科の皆さんは優しいし、一部の芸術家は私の絵を認めてくださっていますし、私の身元を引き受けて保護者をしてくれる家に辿り着いた今はとても幸せです。
だからこそ、良い作品が描けているとは思っていません。どんな状況でも芸術は磨かれていくもの。昨日の自分が作る物よりも、より良いものを。そして、今日はとても調子がいいです。
とても集中できます。
今この瞬間に一つの作品がひと段落というところまで出来ました。『芸術を生み出して欲しい』そう囁かれましたので。ちょっとした家くらいのサイズの作品は、天使や悪魔や戦士の雄々しい姿、花や鳥や緑の中を流れ落ちる水、様々な国の建築様式、神のからくりや伝説の武器防具などといった、私が思いつくあらゆる芸術をガセボの形に強引に繋ぎ合わせたようなものに彫り抜きました。
その作品の隙間という隙間に、私が描いた絵を掛けます。全て異なったサイズの額に飾られた絵は、一枚で作品になるものから、複数を重ね合わせることで広大な風景になるものまで様々です。ちょっと気分転換に、4コマ漫画も描いてみました。
最後の一枚を掛けて、全体を見て。うん。良いと思います。
彫刻が一番得意という訳ではないので、細部が所々甘いのを絵画で隠せて良いですね。時間があれば、しっかり仕上げてあげたいとこですが、ご依頼の最後の形へ至るにはこれで十分でしょう。
歓声が上がった。それは人の声と形容するには随分と、耳を貫いて脳に爪を立てて引っ掻くような聞くに耐えない音でしたが、その中に含まれる喜びはきちんと伝わりました。振り返れば手首がもげる程に激しい拍手で作品を見上げています。どこの国の言葉かわかりませんが、何とも興奮したように具に作品に喰い入っておいでです。
まるでウェディ族のような痩身に、上品な燕尾服やシルクハットといった装い。お顔は小さい私からは遠過ぎてよく見えませんでしたが、白手袋で口を覆う姿は己の息が掛からないよう配慮しているようです。
まだ途中なのにこんなに満足していただいて、完成したら心臓止まって死んじゃいそうですね。今から数時間前に出会ったばかりの人の、未来を心配してしまいます。
耳が痛いほどの空間だったのに、どこかで地響きのような、大きいものが蠢くような気配がします。どこからと言われると、どこからもする感じです。よく見ると、張った水にありとあらゆる色彩の水を落としたような、マーブルで滲みの効いて変なところがカチッとモザイクな感じの空間です。あまりに集中していて疲れたのか、目が霞んでいるようです。
怒りの声が上がる。びっくりして振り返れば、作品を鑑賞していた姿を仰け反らせ怒り狂っているようです。それは獣の咆哮のような芸術を愛する理性からは、随分と遠い野生的な響きです。皮の靴を踏みしだく勢いで駆け出した背中は、霞んだ目から一瞬で消えてしまいました。
一人作品の前に残った訳ですが、まだ、制作途中ですから気にしません。
作品に向き合った背中で、再び声が湧き上がりました。今度は、女性で、知った言葉。
「わ! なにこれ! なんかすごいわね!」
すぐに振り返ったつもりなのですが、声の主はもう真後ろに立っていました。満開の枝垂れ桜を春の嵐に晒しているような女生徒は、そのまま私の横を通り過ぎ目を輝かせて作品を見つめています。彫刻は過去の作品のオマージュを効かせておりまして、それを一つ一つ言い当てては何か計算をしつつなのか忙しなく指先が動いています。
「技術科のピペさんね?」
枝垂れ桜さんを見ていたので、真後ろにさらに別の人が立っていてびっくりです。一歩下がって首が上がる限り上を向くと、金色の髪の下から見下ろす吊り目と目が合いました。エルフの方のようですが、プクリポ以外は威圧的に感じてしまうのでちょっと苦手です。
それでも口元を引き上げ『無事で何より』とおっしゃいました。
「もうすごいわ! 芸術は数字に見えるあたしだって、凄いって感動しちゃうんだもの。これ、すぐバズるわよ!」
そうカメラ機能を作動させて、作品に向けてフラッシュを焚いています。
「キラナさん。ピペさんを発見したので、戻りましょう」
「もうちょっと! これを360度撮影して、動画も撮っておかなくちゃ。こういう金の匂いがするものは、意外な所で生きるんだからね!」
戻りましょう。その言葉に首を傾げた私に、ティエさんという女生徒は丁寧に説明してくださいました。どうにも技術科で起きている神隠しに、私が遭って行方不明になっていた事。いつもなら数時間で戻ってくるのに、戻ってこなくて技術科の生徒達が心配している事。私を助ける為にティエさん達冒険部と、ルアムさんがこの不思議な世界に飛び込んできた事。一通り聞いて、彼女達がこの世界に飛び込んできた時間を聞いてびっくりです。宿泊申請を出していなければ、学校から保護者に連絡が入ってしまう時間です。
私は急いでスケッチブックに鉛筆を走らせます。
『もう少しで、作品が完成しますので待っていてください』
「これで完成ではない?」
ティエさんが怪訝そうな顔で作品を見上げています。キラナさんと紹介された女性も、ティエさんの呟きに『これで途中なの?』と目を丸くします。
私は画材鞄から紐で綴った紙の束を取り出しました。その紙束は私が勉強を兼ねて集めた、様々な文様が書き連ねられた見本帳です。伝統的な文様から、一般に広く浸透したパターン、果ては魔法が発動するとされる魔法陣まで書き込まれています。そのうちの一枚を二人に見せるように突き付けました。
「え? これを描いて完成なの? えー? 意味わかんない。する意味、あるの?」
目を白黒させて見本帳を覗き込むキラナさんは、心底分からないと混乱した様子で言いました。しかし、ティエさんは面白い物を見るように笑みを深めたのです。
「面白そうね。私は魔術科の生徒だから、実際に効果が発動するようにしてあげるわ」
それは頼もしいです! 見本帳の通りに書いても、発動するのは難しい。正確に描けないことが一番の原因ですが、線が歪んだり、妖精の粉を溶かし込んだ顔料の配合や配分のミスとか、難しいんですよね。
私は画材鞄をひっくり返します。スケッチブックに沢山の絵筆、彫刻刀や計量匙が納められている工具入れ、パレットに筆洗、絵を描くあれこれがざざっと広がりました。逆にお財布とか学生証とか教科書とか、学生が普通持っているようなものはありません。
ティエさんのしなやかな指先が画材や妖精の粉を選び出すと、分量を測って筆洗の中に落とし込みます。油絵具用のオイルで伸ばす役目は、キラナさんが担当してくれます。出来上がった画材を筆に吸わせ、私はテキパキと作品を一回りするように書き込んでいきます。
私が顔をあげると、書き込まれたそれはキラキラと輝きながら最後の一筆を待っています。
それを前に『良い出来ね』と微笑むティエさん、『もったいないなぁ』と口がへの字のキラナさん、荷物をまとめて背負って最後の一点を描くための筆を持った私が並んでいます。
待っているのです。
この作品を望んだ、依頼主。彼は私達が戻ってくるのかを心配する必要がないくらいに、早く戻ってきてくださいました。突如現れた依頼主は、私以外の女生徒の存在に驚いたように身を固くしました。
「待ってたわ。貴方にこそ、作品の最高の瞬間を見せたいってピペさんが言うんだもの」
私はにっこりと、依頼主に笑いかけました。
最後の一筆。とんと置かれた赤の上に、混ぜ込まれた妖精の粉が舞い上がる。ぐるりと一周するように描かれた魔法陣の上を、スケートリンクを滑走する選手のように光が伸びやかにかけていきます。加速し、光を増し、赤みは炎の力を蓄えていきます。
危なくないように距離を置き始めた私達の前を、何が起こるのか察した依頼主が駆けて行きます。シルクハットが宙を舞い、依頼主は細い枝のような腕を作品に向けて伸ばしたのです。
「ヤ 乂 口ーーーーー!!!!!!!!!!」
発動したイオの魔法陣の力は集約し、力強く爆ぜる!
生み出した全てを破壊し、鮮やかに染め上げる閃光。創造物の全てが、いかなるものも生み出すことはできない自然の力によって崩れ砕け放物線を描く様。熱に炙られ溶けゆく絵画の一瞬しか見ることのできない姿、焼かれ燃え尽きていく風景。その姿に作ってきた思い入れも、達成感も、物惜しく思う執着すらも、全てが爆風と共に書き換えられていく心情。これほど心動かす芸術を作り上げ完成の瞬間に立ち会えたことは、一生忘れることはありません。
「うっわー」
録画モードで撮影しているキラナさんのドン引きな声を聞きながら、私はガッツポーズを決めました! 家に帰って自慢します!
芸術は、爆発なのです!