彼と彼女の距離
バイク前方に取り付けた携帯電話から、着信音が流れる。携帯電話の表示に写された名前は、うち人材紹介所に所属するガイドの兄ちゃんだ。基本的にはアレフに掛かるべき電話ではあるが、アレフが出る事が出来ず設定されたコール数を越えると俺の方に転送されて来る。俺が取れなきゃ、ロト姉ちゃんが取ってくれる。
俺は耳に取り付けたイヤホンのボタンを操作して、携帯電話を受信状態にする。
「もしもし、ロレックスです」
『お、ロレックス! アレフだったら怒られる話だから安心したよ』
耳にまったりと響く男の声。電話先の声はたっぷり煙草の煙を吸い込んで堪能したらしく、ぷはーうめーと声がただ漏れている。
「どうかした? トラブル?」
『いやぁ、依頼された荷物の事なんだけどさ、遅延が出て予定の航空便に積めなかったんだ。あ、でも、近くを俺等所有のプライベートジェットが通過予定だから、途中で拾ってもらうつもり。プライベートジェットの機長には話は付けてある。予定より4日遅れになるんじゃないかな』
ごめんねー。謝る気が全く無い声の背後で、謝ってないじゃないですかと女の子の声が聞こえる。実は女の子がバイヤー。世界各国の言語をマスターし、どんな希少民族でも交渉し商談を納めて来る敏腕バイヤーだ。彼女の功績で世に知れ渡った食材や商品は数多い。気怠気な男は、彼女の保護者みたいなものだ。
「荷物の受け取りはロト姉ちゃんだから、遅れてるって事だけは伝えておくよ。俺、今日から3日連休なんでフォローは期待しないでくれよ」
『いいなー、連休。俺も欲しい』
いっぱい休んでるじゃないですか!女の子の声が怒ったように言う。
『最近ガングロギャルの妖精が見えてさ、俺は疲れてるんだと思うんだよ』
女の子が電話を毟り取ったらしく、雑音の後に明瞭な可愛らしい声が響いた。
『本当に申し訳ありません。時間を改めて、ロトさんにご説明したいと思います』
「ロト姉ちゃんはそんな事じゃ怒らないから平気だよ」
それから他愛のない話をして電話を切る。
そう、俺は連休なんだ。少し前に取った大型バイクで風を切りながら、周囲の景色の山はどんどん深くなって行く。
山奥のペンション。交通アクセスは近くを鉄道が走っている関係で、鉄道からのバスを含めれば都市から2時間強ってところ。有名ではないが温泉も湧いていたりで、実は合宿の聖地的な場所である。俺も学生時代で全国大会の合宿のとき何かは、良く来てたな。
そんな中、一人の女性が柔軟体操をしている。ぱっちりとした瞳と目が合うと、俺は元気よく挨拶した。
「カノン先輩、早いですね!」
両手に荷物満載の俺を見て、彼女は微笑む。
「いや、ロレックス。アンタが一番乗りだよ。アンタのバイクの方が早く止まっていたからね」
そう、凛々しい口調で語るのは現在、美少女格闘家として注目を集めるカノン先輩だ。総合格闘技のタイトルマッチを制し、女性チャンピオンとして君臨している。今回は2度目の防衛戦の為の直前調整に訪れていた。
俺はカノン先輩の直前調整合宿の常連で、御飯の支度とか彼女の練習の相手をする。
でも、別に先輩が好きとかそんなんじゃないぞ。
合宿には俺を含めた先輩後輩が集まって、ちょっとした同窓会になるんだ。俺、それが好きでさ。毎回来てるんだ。
「そうだ、先輩。誕生日には早いですけど、プレゼントです」
がさりと取り出したのは、ちょっと丈夫だけど質素な紙袋。先輩が受けとって中身を開ければ、ちょっと有名所のフワフワタオルと青いパワーストーンを連ねた髪結い紐が入っている。先輩はタオルには嬉しそうな反応を見せたが、二つの髪紐には怪訝な顔をした。
先輩の『なんだこれは』に応じる為に、俺は笑って言った。
「先輩、前回の試合で髪が邪魔そうだったから買ってみました。青は目的の達成とか緊張や迷いを払う効果があるんだって、姉と相談して決めたんです。紐もきつめになってるんで、使って下さい」
姉っていうのはロト姉ちゃんの事。俺が出る試合の応援にロト姉ちゃんもアレフも必ず来てるから、皆知っているんだ。
実は先輩の試合のチケットも毎回買ってくれて、俺達三人で先輩の応援に行くのも恒例だ。しかも、ロト姉ちゃんやアレフはチケットを知人なんかにも勧めてくれて、普通はガラガラのデビュー戦を満席にした伝説も作ったりしていた。
先輩がロト姉ちゃんのテンションを思い描いたんだろう。ちょっと呆れてるけど、くすぐったそうに笑う。
先輩はサラサラとした黒い髪を触り1つ頷いた。
「そう。ありがとう、ロレックス。有り難く使わせてもらう」
早速結ぼうとするが、なかなか上手く結えない。先輩の髪は細くてシルクのように艶やかだ。
やりますよって声を掛けて後ろに回り込む。無言で回ると肘鉄が食い込むからな。ツインテールのように結んでみせると、先輩は首を振って満足そうに頷いた。一発、誰もいない場所に飛び蹴りを炸裂させると、少し上気したように笑う。
「うん、髪が邪魔にならない。ロレックスは凄いな。こんな美容師のまねごとまで出来るなんて」
「先輩も練習すれば出来ますよ」
俺は荷物をペンションの玄関前に積み上げると、先輩に笑いかける。
「じゃあ、食材しまったら修錬付き合いますね」
「待ちきれないね。今直ぐ始めよう。日陰に置いておけば、この寒空で傷む事はないだろ?」
「先輩ったら、しょうがないなぁ!」
俺が弾けるように笑うと、カノン先輩も嬉しそうに笑う。
「あのくそガキ…カノンは俺の彼女なんだぞ…」
盗聴器は雑音を吐き出すばかり。あのガキはどうやら超強力なジャミング装置を持って歩いているんだろう。国が作った最新鋭盗聴器を妨害するとか、ロトって娘は何処まで天才なんだ…。
あぁ、カノン。君のその笑顔、どうして俺に向けてくれないんだろう!
談笑する二人を、俺は木の影から穴が開く程見つめていた。