美味しいケーキは誰のため

 ヒーローズの集まるやや寂れたビル。その休憩室は外見からは想像もできない程に快適だ。
 日当りは良好だし、外からも中でどんなに大騒ぎしても音が漏れる事はない。レックは安楽椅子まで置いていて、学生のヒーローズは宿題を家ではなくここで済ます程だ。台所は立派なアイランドキッチンで、オレが料理してパーティを開いても十二分な広さを持つテーブルも用意出来る。少し外に出れば繁華街があり、食材も医療品家電製品も何でも揃ってしまう。
 だから、アイランドキッチンの水回りの横に、ちょこんとケーキの箱が置かれているのは不自然だった。
 なにせ、ヒーローズは大喰らい揃いだ。食べ盛りのアレンは分かるが、オレが山ほど拵えてもあっという間に食べ尽くされてしまう。そんな野生の食いしん坊が跋扈する場所に、未開封のケーキがの箱が置いてあるのは変だ。
 腐ってでもいるんだろうか?
 真っ白い箱はきっちり閉じられているが、仄かに甘い香りがする。傷んで出て来る浸出液もない。
 意を決して開けてみる。
 中に納まっていたのは、意外にも手付かずのホールチーズケーキだった。茸やカビのパラダイスを想像していただけあって、拍子抜けだ。
 でも、そのケーキを見た時、オレの心臓は止まるかと思った。
 それはオレが忘れていた、課題のプリントの内容を具現化されたもの。同じ栄養学科の学生で将来パティシエを目標にしている子が、苦心しても美味しく出来なかったケーキだった。
 課題の内容は美味しくてヘルシーな、バイキング料理10品を考えると言うもの。その中で最も難しかったのが、デザートの制作だった。どうしても甘味が必要だが、パティシエなら洋菓子が良い。洋菓子だとどうしても、カロリーや糖分の関係で計算と実際の味の差が生まれてしまうのだった。
 思わず、小さく一切れ切り分けて口に運ぶ。
「…美味しい」
 そんじょそこらのケーキ屋よりも美味い。
 一番上にキャラメルが焼き付けられていて、その見た目のカリカリ感と甘さと香りが鼻孔を突く。瑞々しいチーズの層は最初に噛んだ時は押し返す程に弾力の強さを主張するが、口の温度に晒されると途端に柔らかくなる。土台は甘みのないスポンジケーキだが、アクセントの荒めに刻んだナッツとドライフルーツ、蜂蜜がこのチーズと絡み合って豊かな味わいを広げる。甘さは出来る限り抑えられているが、素材の甘さが極限まで引き立てられている。
 箱の横にはオレが忘れたプリントと、このケーキのレシピが重ねられて置かれていた。重しのようにちょっと古そうなゴツい携帯電話が乗っている。
「誰のだろう?」
 ちかちかと着信履歴とメールの通知が光っている。画面は元々インストールされたもので、時刻やカレンダーの表示が映えるように設定されている。
 どかどかと誰かが慌てて階段を駆け上がって来る音が響いてきた。この音はレックだろうか。朝から賑やかだなぁ。
 そう思ったが、扉を開けて飛び込んだのは意外な事にアレフだった。
「ブラック…!?」
 アレフはオレの顔を見て驚き、オレの手にした携帯電話を見て更に驚いた。
「やはりここにあったか…」
 つかつかと歩み寄って来ると、アレフはオレに手を差し出して来た。
「その携帯は俺のなんだ。返してもらえないか?」
 あぁ。オレはアレフの携帯を手の平に乗せると、アレフは早速履歴を確認しだしたようだ。手早く終えて去ろうとするアレフを、オレは引き止めた。
「あのさ、このケーキ置いたのはアレフなのか?」
「いや、ロトだろう。俺がロトの父親の仕事の手伝いをするのが気に入らんから、ケーキを持って行く次いでに携帯電話を勝手に持ち出したんだ。怒るのは勝手だか、仕事に支障が出るのは止めて欲しいな」
 ロトの父親は祖父に反抗したが為に、医師となって世界中を駆け回っているらしい。国籍なき医師団と呼ばれる医師集団で、その手腕は指折りらしい。危険な紛争や貧困地域等、治安が悪い所に行く事が多く、ロトは嫌いではないが父親に良い思いを持っていない事は隠していない。
 ふーん。
「作ったのもロトさん?」
 アレフは小さくいや…と否定した。
「ロトは美味い味は作れるが、丁寧な仕事はしないな。レシピ改造は二人でやったが、そのケーキを作ったのは俺だ」
 オレは目を見開く。とてもじゃないがパティシエの仕事が出来るような感じではない。清涼感の無い茶色い髪、中はぴったりしたシンプルな服装だが上に羽織ったモッズコートの埃っぽさが全てを台無しにしている。
 アレフはオレの顔を見て、しげしげと訊ねてきた。
「味はどうだった?」
「悔しいくらいに、美味しかったよ」
 管理栄養士を目指すオレには、この美味しさが出せるのは羨ましい。そんな悔しさが顔に出てたんだろう。アレフの発言は意外だった。
「美味くする為に、学んでるんだろ? 直ぐ出来るようになるさ」
 見上げれば、アレフは口の端を持ち上げて微笑んでいる。今までのしかめっ面ばかりを見ていると、その優しい表情は別人のようだった。優しい兄貴みたいな雰囲気がある。
 その表情も一瞬だ。すこし真面目そうな顔になって言葉を続ける。
「今回、ロトの父親から依頼があってな。うちのガイドと紛争地域に医療物資を持ち込む話になっている。避難命令区域で外務省も直通のビザが出せないから、隣国からの密入国で持ち込む必要がある。危険な仕事で、一月はここを離れる予定だ。代理には全員話は通してある」
 テレビで話題になっていて、空爆や殺戮が行われている地域だ。避難民のキャンプに国籍なき医師団が派遣されている事は、先日テレビで放送されていた。
「それ、ロトさんが怒って当然だと思うけど」
 アレフは苦々しい顔をする。そんな彼にオレは畳み掛けるように言う。
「っていうか、危ない所に行くなって、ロトさんだけじゃなくて皆言うよ」
「行かなきゃ駄目なら、俺みたいな奴が良いのさ。死んで悲しませる人数が多い奴は、行くべきじゃない」
「そんな事ない」
 オレの即座の反論に、アレフは困ったように眉根を寄せた。
「あまり、俺に関わらないでくれ」
 アレフはそう言い捨てると、携帯片手に去って行った。残されたオレは呆然とその背を見送るしかなかった。
 美味しい物を作る奴に、悪い奴は居ない。
 オレはそう思う。