温泉郷 de 彼女と彼の認識
入浴を終え一足先に貸別荘に戻っていたロトは、冷蔵庫の前に立って牛乳かフルーツ牛乳か珈琲牛乳にするべきか悩んでいた。しっとりと濡れてロングヘアーになった髪を右に左にぺたんぺたんと揺らして、うーんうーんと明るい声で唸っている。最終的に大きな声で『フルーツ牛乳!』と勢い良く扉を開けて瓶を取り出した。
ロトは年齢は上なのに年下のような振る舞いで、見ていて飽きない。
賑やかで大袈裟な身振りが多い彼女の浴衣は、入浴後間も無いのに開けてしまっている。瑞々しいボディラインを魅せるタンクトップやショートパンツの上に、浴衣をただ羽織っているだけだ。本人も服を着ているからか、着崩れた事には何の感心も払っていないのは分かる。正直、同性でも目のやり場に困る。
ロトはあたしに気が付くと、にっこり笑って『何か飲むー?』と訊ねて来る。私が無難に牛乳と答えると、彼女は牛乳瓶を取り出して手渡してくれる。
あたしは牛乳を受け取ってから、ロトにぺこりと頭を下げた。
「ロトさん、挨拶が遅れてごめんなさい。今回は旅行に誘ってくれて、ありがとう」
ロトはきょとんとした様子であたしを見ていたが、礼の内容にようやく気が付いて笑う。
「気にしないで! うちの会社、カノンちゃんのスポンサーなんだもん! 勝ったらご褒美あげなくちゃ!」
彼女が経営する人材紹介所はあたしのスポンサーもしてくれている。元々は後輩のロレックスからの繋がりだったが、デビュー戦からほぼ正式なスポンサーとして支援してくれている。服にロゴを入れろとか言う宣伝目当てのスポンサー達とは異なり、彼女達は見返りを求めず遠征やトレーニングの費用、湿布からプロテインまで負担してくれる。一月に一回の間隔で食事に誘ってくれて、家族のように親身にしてくれるのは精神的にも助かっている。
ロトはあたしの顔を覗き込んで、まじまじと訊ねた。
「でも、あんまり疲れ取れてない?」
「面倒な男が何故かここにいてね…」
その男も、風呂を覗こうとして吹き飛ばしたばかりだ。
「それに、女性で集まれば恋の話ばかりで疲れる」
否定しても看破して来る勘の鋭さを持つロトだ。あたしは正直に答えた。
今回招かれた旅行は、ロレックスが所属するロト人材紹介所の慰安旅行だ。あたしも招かれた事は何度もある。
だが、今回はロト人材紹介所に協力しているというボランティアのメンバーも一緒だ。学生が多く、女性は恋に焦がれる今時の娘達だ。そんな彼女等があたしに向ける話は『カノンさんには恋人がいるんですか?』から始まり『ロレックスさんと仲が良いけど、もしかして彼氏なんですか?』と続く。
ロレックスは出来た後輩で、友人でもある。恋人なんて可笑しい話だ。ロレックスに話したら、きっと笑うだろうね。
恋人…という単語で浮かび上がるのは、さっき投げ飛ばした覗き魔だった。頭の中でもう一度その男を投げ飛ばして、思考から締め出す。
思わず顰めてしまった顔を見て、ロトが笑った。
「そうだねー! カノンちゃんが可愛いんだもん! 彼氏とのコイバナ期待しちゃうんじゃない?」
ロトはあっけらかんと言って笑い飛ばした。そこが彼女の言動が幼くとも、彼女が大人であると思う所だったりする。
「なんだか、あたしもアレフさんと恋人なんじゃない?って聞かれるもん!」
社長と副社長の立場の二人は行動を共にする事が多い。大変だね。
にこにことフルーツ牛乳の栓を外して飲みだしたロトに習い、あたしも牛乳を飲む。冷たい滑らかな味わいが、火照った身体にするりと落ちて行く。
「あたしとアレフさんはパートナーなだけなのにね!」
ぶっ!
思わず牛乳を吹き出したあたしに、ロトは驚いて背中を擦った。
「だ、大丈夫!? カノンちゃん!」
情けない事に、変な所に入って噎せてしまった。ロトはあたしを縁側に座らせ背中を一生懸命擦ってくれる。ようやく落ち着いたあたしを見て、ロトが無邪気に笑った。
「あ、もしかしてパートナーって恋人とか夫婦って意味だと思った? やーだー、カノンちゃんったら珍しくおっちょこちょい!」
つんつんと肩を突いて、ロトはあたしの隣にちょこんと座る。空を見上げれば都会じゃ見えない満天の星空に、明るい月が灯っている。耳を澄ませば梟の鳴き声や虫の声、川のせせらぎが優しく触れて風に流されて行く。時々、賑やかな声が聞こえてようやく人の気配を感じる。
ロトはフルーツ牛乳を一口飲んで喉を潤すと、懐かしむような笑みを浮かべて言った。
「アレフさんがいないと、事務処理も依頼されたお仕事も全然できないもん。でもアレフさんはあたしが大きな仕事を持って来るから、会社が成り立ってるって言ってくれる。今は職員が増えて来て家族みたいに楽しくやってるけど、会社立ち上げたばっかりの時はお互い過労で倒れてたんだよ。苦楽を共にした、大事なパートナーだよ」
全く、誇らしい顔して言ってくれるよ。あたしは思わず笑う。
「ロトさんはアレフさんの事を信頼してるんだね」
「うん!」
ロトが満面の笑みで頷いた。次の瞬間、何かを思い出したように目を丸くする。
「あ、でもキスはしようとしたかなー。アレフさんが事務所で倒れて目が覚めなくて、キスしたら目が覚めるかなーって試そうとしたら目覚めちゃったけどね! あたしが倒れた時は、アレフさんお姫様抱っこして病院に駆け込んでくれたんだ! 毎日面会に来てくれるから、王子様みたいねって看護婦さんに羨ましがられたなぁ」
前言撤回。信頼の範囲を越えてる。
視線を外に向けると、あっと声を上げて立ち上がる。
「あ、アレフさんとロレックス君発見! 浴衣着てるー!」
おーい!って手を振っていると、暗闇から提灯片手にアレフとロレックスがやって来る。ロレックスはつんつんの髪で変わらないが、アレフは重く水を吸った髪から水滴が落ちるようで肩にタオルをかけている。ロトの手に招き寄せられるように二人がやって来ると、ロレックスが早速あたしに声を掛けて来た。
「カノン先輩。明日の朝、裏の2300メートル級の山の頂上の神社までジョギング行きません?」
「いいね。行こう。高地での修錬は肺を鍛えるのにうってつけだ」
あたしの即答にロレックスは嬉しそうに笑う。
あたしと同レベルの修錬に気軽に誘えるのは、ロレックスくらいだからね。手合わせが出来るのは有り難いよ。
「弁当を用意してやるから、しっかり扱かれて来い」
当然、カノンの分も用意してやるからな。そうアレフが付け足すと、ロトが手を上げてぴょこぴょこ跳ねる。
「アレフさん! あたし達も山登りしよう!」
「お前、山に登れるのか?」
「のーぼーれーまーすー!」
ロトがアレフの背中を押して縁側に押しやると、アレフはやれやれとメモ帳とペンを取り出してリクエストを聞き出した。ロトが嬉しそうにおかかのおにぎりと言えば、アレフはすらすらと書き心地の良さそうなペンを滑らす。ロレックスがお茶は麦茶で良いかと言えば、カノンもロレックスに一緒に用意してもらえと言い放つ。ロトが一方的に希望を言い続けるので注意されている様を見ていると、ロレックスがあたしの肩を叩いて言った。
「ほら、先輩もリクエスト」
ロレックスから視線を戻すと、期待を込めてロトが、言葉を待つようにアレフがあたしを見ている。
相棒。戦友。恋人とは縁遠く、しかし半身のように近い関係なのかもしれない。二人の視線があまりにも似通っていて、あたしは笑う。
「そうだね、甘めの厚焼き卵を入れて欲しいな」
ロトとロレックスはお弁当の中身を今から想像しているんだろう。キラキラした表情でメモ帳の文字を見ている。その様子を呆れながらも、アレフは期待を受け入れている。明日は彼が朝から美味しいお弁当を作ってくれているんだろう。
日々が輝く些細な希望を与えてくれる存在を、あたしも愛おしく思う。