温泉郷 de お土産を届けよう!
ゾーマ様が会議に赴かれ、その隣にちょっと気まぐれな美人秘書がいる場合、私は社長室で今後の書類の準備や整理に追われるのです。社長の業務が滞りなく行われるよう、ほんの些細な業務も把握しするのが私の勤め。
そんな私の仕事を、社長であるゾーマ様は心から感謝していると仰ってくださいます。その笑顔を見る事ができるだけで、カグヤは幸せなのです。
世界屈指の企業に成長しつつある会社の社長室は、ゾーマ様が不在の時はとても静かです。私が書類を整理する音が、遠くから聞こえるクラシックの音楽を押し退けます。
会議は長引くとゾーマ様が予想されたとおり、お帰りが遅いです。ですがゾーマ様が関わるべき書類は多く、私はまだまだ書類の山を見上げるばかり。今日中に終わるべき内容ではありませんが、これだけの量をこなすゾーマ様は本当に凄いお方です。
そんな時、来訪者を告げるコールが響きわたります。
普通ならゾーマ様がお会いになれないと聞けば引き返す来訪者ばかり。私は来訪者に心当たりがありました。
『カグヤさん。ロト人材紹介所のアレフィルド様が面会にこられています』
やはり。私はそう思いながら受付嬢に言いました。
「ありがとうございます。社長室手前の控え室までお通ししてください」
かしこまりました。そう答えが返ってきて、画面が暗くなりました。
私は身だしなみを今一度確認し、控え室へ向かいます。控え室は見た目がシンプルでありながら、贅を凝らした一室です。椅子の革張り一つも最高級。良い香りを振りまく大きな生け花と、黒に金のアクセントを施した高貴な空間に高価なオーディオが紡ぐ繊細な響きが融け込んでいます。足音を吸い込む絨毯の上で手を組み、お客様を待ちます。
程なくして案内された男性に私は頭を下げました。
「お久しぶりでございます。アレフィルド様」
「カグヤ。俺は仕事で来ている訳じゃない。様付けも敬語もしなくていい。アレフと呼べと、何度言ったら分かるんだ?」
そう眉間に皺を寄せ言い放ったのは、ロト人材紹介所の副社長、アレフィルド様です。アレフィルド様はネクタイを少しゆるめ、眼鏡を外してスーツの胸ポケットに仕舞います。小さく溜息を吐くと、ワックスで整えた髪を手櫛で少しだけ崩しました。
「ゾーマ様はただいま会議中です」
「あぁ、聞いてる。会わずに用事が終えられそうで、丁度良かった」
この部屋にやって来る全ての来訪者は、ゾーマ様に面会を求めるものです。しかし、このアレフィルド様だけは、ゾーマ様がいないタイミングを見計らってやって来るのでした。
ゾーマ様はアレフィルド様に会いたいと良く仰います。ゾーマ様が会いたいと言って、断るのはアレフィルド様くらいです。
アレフィルド様とゾーマ様は起業当初からのお付き合い。当時、一流企業に勤めていらしたアレフィルド様が、この会社の担当になったことがきっかけでした。私がゾーマ様の隣で見てきた多くの関係者の中で、アレフィルド様は一際有能です。
そして、隣にいたから分かるのです。
ゾーマ様が、アレフィルド様を大変気に入ってしまった事を。それは、女心に嫉妬すら覚える程でした。
今ではプライベートで親しくしている友人です。その存在をゾーマ様は大変尊く感じておいでです。
「先日、旅行に行ってきたから、土産を持ってきた」
そう言って、アレフィルド様はアタッシュケースをテーブルの上に置く。ケースから出されたのは大きな紙袋です。
私に手渡すと、アレフィルド様は目元を和らげて言いました。
「開けて見て良いぞ」
それは真空処理を施した袋に入れられた、肉の塊です。薫製にされているようで、照明の光の下で褐色に照っています。
「今回の旅行先で狩った、暴れ牛鶏と人喰い熊と大鶏の薫製だ。ケネスが本気出して、凄く旨い薫製肉にしたからお裾分けだ。酒の肴にすると良い」
ありがとうございます。頭を下げ微笑んで受け取ると、アレフィルド様を見上げ私は言いました。
「ゾーマ様が残念がっておいででした」
「あのゾーマが残念とは、珍しいな」
「アレフィルド様の折角のお誘いだったのですが、数ヶ月前から予定されていた会議を取りやめる事が叶いませんでした」
「仕方がない。ビジネスはそんなもんさ」
腕を組み素っ気なく言うアレフィルド様に、私は頭を下げました。
「もし宜しければ、また、お誘いください」
アレフィルド様は口元を持ち上げ、小さく頷きました。
「あぁ、うちの社長が良いと言えばな。なんだかんだで酒の付き合いもあるし、旅行と限らず誘わせてもらうさ。っていうか、誘わなくてもあっちから来る事の方が圧倒的に多いじゃないか。カグヤ、俺の所に来るなとお前からも言ってくれ」
「私はゾーマ様の秘書です。ゾーマ様の喜びは私の喜びでもあります。どうして、止められましょう?」
アレフィルド様は呆れたように笑うと、ネクタイを締め眼鏡を掛けました。
「全く、貴社の社長は愛されておいでだ」
では、失礼。模範的な会釈をし身を翻します。そして扉に手を掛けようとした時、突如扉が開きました。
「間に合ったな」
吃驚したように固まったアレフィルド様の前に、ゾーマ様が飛び込んで来られました。
あら、ゾーマ様お一人なのですね。会議について行った彼女は、あまりの長さに秘書に飽きて帰ってしまったのかしら?
さらさらと流星を宿すような青い長髪、女性でなくとも目を奪われる切れ長の瞳。ふと長い睫を伏せて微笑むと、その長くしなやかな指が退路を断つように扉を閉めます。
長身のゾーマ様に至近距離で見下ろされたアレフィルド様は、居心地悪そうに後ずさります。
「ご無沙汰しております、社長。会議に出席されていたのではありませんか?」
「会議なら終わったさ」
そして、嬉しそうに微笑まれます。
「君が来るなんて珍しいな。しかもその姿で」
「所用がありました」
アレフィルド様の視線に導かれ、ゾーマ様も私を見ます。私は紙袋を捧げ持ち微笑みました。
「旅行のお土産をいただきました」
ほう。ゾーマ様がアレフィルド様を見ます。
「まだ、土産があるはずだが」
「いいえ。これで全部です」
アレフィルド様が眼鏡を上げ、鋭い視線でゾーマ様を見上げます。ゾーマ様は首を横に振り、笑みを浮かべて言いました。
「あるだろう。土産話が」
ゾーマ様は私を見やると、朗々とした声で告げました。
「カグヤ、私は一足先にあがらせてもらう。そうだ、アレフレッド君とサルム君に電話を繋げてくれ。全員集めて、土産話を肴に飲みたい」
「待っていただきたい。どうしてそうなるんですか」
「あぁ、アレフ。次の飲み会セッティングは君の番だったな。君の事だ、また君の部屋で美味しい手料理を振る舞ってくれるんだろう?楽しみだよ」
アレフィルド様は眼鏡を外し、ゾーマ様に詰め寄りました。
「なに勝手に決めてやがる!」
「君も勝手に決めたではないか」
ゾーマ様は悠然と微笑んで、アレフィルド様を見下ろしました。
「私だって、旅行に行きたかったんだ」
わがままくらい、良いではないか。そう妖艶な笑みが言っています。こうなっては、ゾーマ様の決定を覆すことは難しいでしょう。
アレフィルド様。ゾーマ様を宜しくお願い致します。