光の教団 de 月の下で悪魔と踊れ

 良い満月だ。
 良き魂を導き、悪しき魂は抗う為に荒ぶる。ビルの隙間に顔を覗かせる低い位置にある赤い月は、大きく不気味に僕達を照らしている。ネオンの光すら霞ませる存在感は、深夜の冷えきった空気に潜む死の匂いをより顕著にさせる。冷気は手となり生者の命を貪らんと蠢く。
 ロレックスがグローブを装備し、ライダースジャケットを掻き寄せる。
「寒いなぁ」
「それだけではない。忌々しい冥界の匂いがする」
 ふーんと、ロレックスは他人事のように呟く。それも仕方がない。彼はそういう気配に鈍感だし、異界の気配を感じる事は能力者のように天性的な素質が必要になる。聖職者は神の御力で感じられるが、僕は他の聖職者よりも感応能力に優れていた。
 ハンカチで口元を覆うが、死臭がこびり付く。
 野蛮な田舎者の双子が護衛を雇った方が良いと言うから、悪友のロレックスに頼んでいる。ロレックスは僕の頼みに二つ返事で了承した。光の教団が僕の命を狙うかもしれないと言う双子の言う通り、魔物や悪霊の類いに襲われたがロレックスは何も問いただしたりはしない。僕の予定を把握し、その予定を実行する為に動いてくれる。
 むしろ、そんなロレックスの存在に双子が『サトリに友人がいるなんて驚きだ』と感動したように言うから不快だ。祝杯をあげようとまで言って来るから、ザギが効かないのが本当に残念だ。
「来そうだな」
 ロレックスが僕の前に立つ。握り込んだグローブから冷気が漏れ、地面にゆっくりと広がって行く。
 闇が濃くなり、異形のモノが現れる。ロレックスがゴーグルを装備したので、闇の中から現れた死者の姿が見える事だろう。この世界の直ぐ隣。僕等の世界に寄り添った死の世界。それが条件によってこの世界に侵蝕し、魔物が現れ死した者が徘徊する。
 僕はゆったりと両手を広げ、こちらに歩み寄ろうとする血の冷たき者共を見た。
「ザラキ」
 唇が紡ぐ歌に月夜が冷たく輝く。彼等が現れた闇の更に奥から、細くしなやかな腕が現れて死せる者に絡み付く。死せる者の悲鳴が、腕に掴まれ闇に引き戻される摩擦音、足を掬われ響く鈍い転倒した音、様々な音が綯い交ぜになりやがて静かになる。阿鼻叫喚の地獄絵図。黙示録に示された地獄の悪魔達の戦いを絵に描いたようだ。
 ロレックスは何も言わないが、双子であったら文句が吹き出した事だろう。彼等はニフラムで死者を昇天させる事に秀でている。僕の冥界に押し返す方法は、死者の為にならぬと怒るのだ。死者が苦しむのであるなら、冥界で眠りにつく為に速やかに還すべきではないか。
「サトリ」
 ロレックスがじりっと足を踏み替えた。彼にしては珍しく、余裕のない掠れた声で呼ぶ。
「まだ、来るぞ」
 ずしり、ずしり。地面が細かく揺れる。電線を引っ掛け、爆ぜる火花に照らされたのは巨大な1つ目。ギガンテス。ぶんと振り回した棍棒が電線を引っ張り、電柱が倒れる。ロレックスが僕の肩を掴んで大きく下がらせると、周囲を素早く見回した。
「デカイの一体だけだな…」
 よし。ロレックスが気合いを入れると駆出す。ロレックスを敵と認識して振り下ろされた棍棒だが、ロレックスは一歩引いて目の前に空振りさせる。地面に重く突き刺さった棍棒に、ロレックスは拳を叩き込む。甲高い音を響かせ、地面と棍棒が凍り付いた。
 賢さが足りないのか、ギガンテスは何故棍棒が持ち上がらないのか目をぱちくり。
 その隙にロレックスは腕を駆け上がり、手を広げてギガンテスの目玉に触れ凍り付かせる!
 身の毛がよだつ悲鳴が上がる。
 ロレックスは装備したグローブの力で、氷の属性を帯びた攻撃が扱える。彼の姉ロトの作品であるらしく、その天才振りは流石の僕も認めざる得ない。
「サトリ!」
「あぁ、丁度良い頃合いだ」
 ロレックスの冷気の力と、僕のザラキの力が合わさる。煌めくスターダストが、ギガンテスの周囲に散り始める。
「歌え、死の吹雪よ、ブリザードコーラス!」
 吹き荒れ始めた漆黒の吹雪に、ギガンテスが転ぶ。巨体が浮かぶ程の強烈な死の力が、次々とギガンテスの身体に絡み付いていく。冥界に誘う歌を歌う吹雪は優しく恐怖と痛みを麻痺させ、ギガンテスの眼は重くなり力が抜けて行く。そして吹雪に圧され闇の中に吹き飛ばされてしまった。
 ロレックスが息を吐き、僕も周囲を警戒する。月は綺麗な白色になり、住宅街の空気は穏やかなものになった。
 車のエンジン音が聞こえ、車のライトが眩しく僕等を照らす。どうやら死の世界の扉は閉じられたようだな。
 僕はゆっくり息を吐き、朝の御ミサの説法を考える。神の御言葉を脳裏に浮かべる事は、己の心に言い様も無い安心感を齎してくれる。
「サトリ…!」
 いきなりロレックスが僕を押した。脇にあった垣根に押し込まれ、僕は頭から木の葉を被る。
 なにを…!
 怒りに震え振り返ろうとしたが、そこにロレックスの姿はない。甲高くタイヤを嘶かせ、猛スピードで車がUターンして来る。その車のライトが照らすアスファルトの上に、倒れたロレックスの姿が見える。
 もしや、あの車も教団のもの…!?
 死者の気配が消えた事で油断していた。彼等は洗脳した信者も抱えているのだ…!
 僕は慌ててロレックスに駆け寄る。上半身を抱き上げ動かそうとするが、非力な僕には例え小柄でもロレックスを抱えて逃げる事が出来ない。ザラキで運転手を殺めたとしても、車の勢いを止める事は出来ない。どうする。どうしたら良い、我が神よ…!
 ライトの眩しさに目を細め、敵を睨みつける。僕は、死のうとも決して悪になびく事はない。絶対にだ!
 僕の前に大型バイクが滑り込んだ。ライトの光に飲み込まれそうな影から、バチりと黒い電流が爆ぜた。
「消えろ。ブラックホール」
 男の声が低く、だが車のエンジン音の轟音すら平らげる程の存在感で放たれる。
 一瞬、強力な稲妻の力が放出されたが、瞬きもしないうちにそれらは収束し一点に吸い込まれて行く。ライトの光も、ロレックスを轢いてひび割れたフロントガラスも、車も、何も画もが歪みその一点に吸い込まれて行く。音もなく車は縮小し消えて行くと、黒い雷の力もすっと消えて行った。
 男はグローブを握り込んだまま、ヘルメットを脱いで消失を確認しているようだ。じっくり見た後にバイクのエンジンを切って振り返る。
「最近練習させられている、放出の真逆の性質を持つ収束の技だ。扱いが難しいんだが、音もなくて悪くないな」
「アレフ」
 闇の中では黒髪に見える茶髪の下で、茶色い瞳が僕の安全を認めて細められる。しかし、口元も目元も緊張感を解く事はない。
「仕事の帰りだ、追加料金は取らねぇよ」
 そしてバイクから降りると、ロレックスを覗き込みアレフは息を呑む。目元を険しくし、小さく身体が震えている。開いた口から漏れた言葉は、原初の恐怖を聞く者の心に呼び覚ます恐ろしい声だった。
「光の教団か?」
「だとしたら?」
「うちの職員に手を出したんだ。潰してやるのが礼儀だ」
 社長もその気になるさ。アレフは冗談めいた口調で言ったが、その瞳は殺意すら滲ます程に冷たい。
「サトリ、蘇生させてやってくれ」
「勿論だ」
 ザオの清浄な光。肉体を離れつつある魂に声掛ける、美しい祝詞の旋律。光は月光のように淡く、太陽の光のように温かい。アレフが握っていたロレックスの手が、ぴくりと動く。僕も膝に乗せていたロレックスの上半身に温もりが戻り、心臓の鼓動を感じていた。
 僕は『神の両手を握る者』。死を司る左手と、生を司る右手を握る事が出来る数少ない聖職者だ。
 長い睫毛を押しのけ、青い瞳が開かれた。きょとんとした顔で、アレフと僕を見上げる。
 馬鹿だなロレックス。
 僕が言えば、ロレックスは酷ぇなと悪態を吐いた。