美味しいお菓子は誰のため
□ 朝来様のアメノウズメから派生したお話です。
アレフに直に出会った時、俺は『なるほど』と思った。
この新たなるヒーローズの基地にして、ゾーマの本家の住人にとってアレフは有名な存在だった。なにせあのゾーマが『友人』と認識する人物だ。
ゾーマを生まれた時から知っている俺には、ゾーマに『家族』や『恋人』が出来ても、『友人』は出来ないだろうと思っていた。そんなゾーマが『友人』として名を挙げたのが、アレフという男だった。
ゾーマは生まれながらに王だった。容姿端麗で誰もが振り返るような美形であり、溢れ出るカリスマ性で人々を魅了した。幼い頃は近所のアイドルであり、子供達のリーダー。学生になれば学級委員長や生徒会長は、満場一致の就任だと聞いた。会社を興して、今は世界屈指の一大企業の社長になっている。
そんなゾーマを僻む者や恨む者は、いない。
ゾーマの発言は人々の為に考案された最高の提案であり、彼自身も心から人々の為を思っていた。意を唱える事すら糸口を見つける事も出来ないくらい、完璧で約束された未来は輝くばかり。
そんなゾーマの周囲にいるのは、所謂『イエスマン』ばかりだったのだ。
全てが順調な人生を誰もが羨むが、本人にとっては不満でしかなかったようだった。ゾーマの悲嘆を慰める事は家族でも容易くなかったが、『恋人』の存在がゾーマを支えた。家族も恋人の存在に心が安らぐゾーマの様子に、我が身の事のように安堵した。
そんなある日、ゾーマが言った。
『面白い奴に会った』
珍しくてアルも俺も目を丸くして、ゾーマの話を促した。そこで語られたのは家で話すのは珍しい、ゾーマの仕事の話だった。
起業したばかりのゾーマの会社と、誰もが知っている一流企業が商談をすることになった。先方の担当者の名は、アレフィルドというゾーマと歳の近い男。口数は多くないが、仕事は完璧。一流企業の幹部候補だというあたり、先方はこの商談を重要視しているとゾーマは語る。
そんな男の何が面白いのか、俺が聞いたと思う。ゾーマは待ってましたと嬉しそうに話しだした。
『奴は俺の提案に、先ず意を唱えるんだ』
その言葉を言ったゾーマの嬉しそうな顔を今でも思い出す。
アレフィルドという男は、ゾーマの提案に先ず否定から入る。そしてゾーマの提案を丸呑みする形になったとしても、議論を尽くす事を優先させた。頭を付き合わせ話しているうちに、意外な案が派生し別の商談に展開した事もある。先方の利益を融通しすぎれば『こちらは、これほどの利益で十分』と、ゾーマの会社の利益分を上げるよう修正する口の出しようだ。今後への投資、そう幹部候補は涼し気に言う。
そんなアレフィルドという存在を、ゾーマが『友人』と表現するようになるのに時間は要らなかった。
アレフィルドが会社を退職する時、ゾーマ直々に自社に引き込もうとした熱の入れ様だ。誘いを断わられてしまったが、ゾーマにとって嬉しい結果に結びついた。今ではアレフィルドことアレフは、会社の利害関係抜きの本当の意味での友人になってしまったからだ。
ゾーマの友人である事は大変だろうと俺は思っていた。
だが、このアレフという男は粗暴な割に、根は極度のお人好しだった。直に会って、俺が確かにこの男はゾーマの『友人』なのだと思った程に…。
柔らかい茶髪の男は、早朝の住宅街を気にしてか玄関の戸を軽く叩いた。俺はこの敷地の事は全部分かってる。アレフがやって来た事も、郵便受けの中に放り込まれた朝刊を回収してくれた事もお見通しさ。
俺が扉を開けて出迎えると、アレフは今日の朝刊を渡して俺に尋ねた。
「フェイ、ロトは居るか?」
「居るよ」
全く。アレフは眉間に深々と皺を刻んだ。聞けば、彼等の人材紹介所の方で、大きな商談があるとの事だ。社長の出席が必要なのに、朝飯を食いに出て来ないから探しに来たのだと言う。
「邪魔するぞ」
はい、どーぞ。そう言う間もなくアレフが上がり込む。靴はきっちり失礼にならないよう揃える辺り、身に沁み付いた作法が礼儀正しくて笑ってしまう。スリッパをつっかけ進むと、ロトに宛てがった一室の前で足を止める。
まるで時代劇に出てきそうな、イグサの香り高い和室。飾り棚には古今東西の発明家の論文のオリジナルの映しが革表紙の本にまとめられて立てかけられ、製図用に用いる特殊な筆記用具が漆塗りの小箱に納められている。和室を照らすのがステンドグラスの美しい傘のランプ。彼女が向かう机もこの大正生まれの家よりも年上の、磨き抜かれ贅を凝らした装飾が目を引く書見台だ。
ふかふかの深紅の座布団の上に正座をし、畳が見えなくなる程の計算紙やメモや製図や本が散乱している。開け放たれた障子戸に立つ俺達には全く気が付く気配がない。
「何時からあんな状態なんだ?」
「昨日の昼からかな?」
皆から聞いていたが、俺には初めての事だったので困り果てていた。俺はその困り様を隠す事無く態度に出した。
ロトは1つの物事にのめり込む事がある。誰の声も届かず、目にも入らない凄まじい集中力を持っている。俺がいくら声を掛けても、身体を揺らしても、彼女は全く気が付かない。時折トイレには行くが、その間も考え込んでいるのか全く反応しない。
「どうしたら良いのか、困ってる」
万能といっても、空間を組み替えたり敵を排除したりする方面。彼女の集中を途切れさせる方法に、手荒な事はしたくない。
アレフは小さく頷いて俺を見た。
「フェイも知っておいた方が良いだろう。ロトの意識を引っ張りだす方法を…な」
そう言って、キッチンに向かう。一食分の米を磨いで炊飯器に放り込み、早炊きモードで電源を入れる。湯を沸かして花鰹で出汁をとり、乾燥わかめと残ったネギを刻み、味噌をお玉で掬って突っ込んだ。卵を解いて甘く味付けしたら、取り分けていた出汁をいれて甘めの出汁巻き卵を作る。切り口から半熟卵がとろりと溢れる。残っていた豚肉を生姜焼きにして、白ごまをまぶす。あっという間に出来た朝食は三人分だ。
そしてキッチンの飾り棚に置かれた、ジャムの瓶くらいの大きさのお菓子の入った瓶を手に取った。
それはロトが定期的に持って来るお菓子だ。密封容器に入っていて、可愛らしいラッピングが施され、中のお菓子も可愛らしい一口サイズのものばかりだ。チョコレート、クッキー、マシュマロ、ミニシュークリーム、鈴カステラ、マカロン、あんドーナツとエトセトラエトセトラ。中身は常々違うが共通点があった。
1つは、そこら辺の店よりも格別に美味い事。ノアが味見をすると毎回悔しそうな顔をするし、レックは恋人にあげようと数個失敬してしまうほどだ。
そしてもう一つ。凄く香りが良い事。瓶を開けるとお菓子の匂いが家中に広がる程に良い香りがするのだ。旬の果物をふんだんに使った菓子が多く、果物のフルーティな香りが広がるのは心地いい。これに釣られて食い意地の張った奴等が集まって来るのは、言うまでもない。
アレフはそのお菓子の瓶を開けると、今回中に入っていたチョコレートを取り出した。そして、引っ越しの時に持ち込まれた小さめの竿を取り出す。くるんと糸に結わき付けると、落ちないか撓らせて確認する。訳が分からない俺に、アレフは真面目に説明した。
「これは、俺がこういう時の為に作っている菓子だ。ロトが集中しだして3日目まで効果がある。流石に5日目になると、深くのめり込み過ぎてケーキレベルじゃないと戻せない。ヒーローズにも伝授した、紹介所の名物『ロト釣り』だ」
何をするつもりなんだろう。俺の疑問に答えず、アレフはロトの背後に立った。
「普段は俺が声を掛けるだけで反応してくれるのだが、俺が常に居る訳ではないからな」
ロトの鼻先に落ちるようにチョコレートをぶら下げる。そして待つ事しばし。
ロトの頭が動いた。顔を上げチョコレートを見る。ふわりと浮いた手からチョコレートを逃すように、アレフは竿を引き上げる。そしてふらふらとチョコレートに釣られて立ち上がり、こちらを見たロトにアレフが言った。
「おはよう」
蒼い瞳に光が灯り、考え込んでいて強張った表情が雪解けから覗くふきのとうのように鮮やかに色付けて行く。ロトの表情を見ていたアレフが、チョコレートを糸から外しロトの手の平に落とした。一口ぱくりと頬張って、ロトは美味しい!っと笑う。
「アレフさん、おはよう!…って朝?」
くりんと首を傾げた瞳は俺を写し『フェイさんも、おはよう!』と元気に挨拶してくれた。
「こうやって立ち上がらせて、声を掛け、反応したと思ったら菓子を食わせると覚醒してくれる。誰でも出来るぞ」
「あぁ! また釣られちゃった!」
「ロト悔しがるのは良いが、早く事務所に戻ってくれ。昼までに商談の身支度を済ませて、出来れば打ち合わせまでやりたい」
ロトの返事は腹の虫。きゅーっと鳴った腹に、ロトは弾けるように笑った。
「あはは!お腹空いてたみたい!」
「そう言うと思った。ちゃんと朝飯は用意してある」
「流石、あたしの副社長さん!頼れる!」
賑やかな声が食卓に着くと、出来上がったばかりの朝食が湯気を立てる。湯気の下にふっくら御飯の白く艶やかな輝きが見え、味噌汁の味噌は湧き立つ雲のようにふわふわとゆらめいている。澄まし顔で並んだ出汁巻き卵の横には、千切りキャベツの座布団の上に5切れ程の生姜焼きが乗っている。最後の仕上げと急須で緑茶を入れると、アレフとロトが向かい合って着席した。
そして二人が俺を見る。目の前の空席に用意された、たぶん俺の分の朝食を示して口を揃えた。
『さぁ、どうぞ』
アル達が家を空けて、寂しくないように賑やかな連中がやってきた。それでも朝は誰もいない。
誰かと一緒に朝飯を食べるなんて、久々だ。
俺も、返事は腹の虫らしい。