悠久の月日を彷徨えば

 『さようなら』と『じゃあ明日』が賑やかしく響けば、耳に痛い程の沈黙が包み込む。
 周囲の一族の家には帰宅する遠縁が玄関の戸を潜り、日が落ちて一気に涼しくなった気温に蝋燭を灯すが如く電気が輝きだした。風に乗って流れる焼き魚の香りが、時刻が晩御飯時である事を告げていた。庭の虫達が鳴き、池の中の鯉達がぷかりと水面に口を出す音すら感じられる。
 今日は、もう、誰も来ないな。
 玄関や窓の戸締まりをしないと。そう意識して玄関の鍵が、窓の戸締まりが、かちゃんかちゃんと音を響かせ締まって行くのを他人事のように聞いていた。今の家の主であるアルは遥か遠く。明日の昼まで、何一つ立つ音もないだろう。
 いつもと変わらぬ長い夜が始まる筈だった。
『ヨン』
 耳に障る電子音が響いた。
 SICURAの声だ。何処だろうと探ったら、携帯電話が1つリビングのソファーの下に落ちていた。一枚の薄い板のような機械の中には、想像もつかない程の部品が押し込まれ1つの世界を構築している。手の平に納まる別世界への窓は、日差しを差し込入れているように光を放っている。
 俺が携帯電話を拾い上げると、待ち受け画面にクラゲが顔を出した。触れるとロック解除の為のパスワードを入力して下さいという文字の裏側を、ふわふわと白い影が漂っている。簡略化されたクラゲのキャラクターは、白い丸い顔に付いた弛緩した表情を笑わせ、青い触手で手を振っるように動かした。
『あぁ、フェイ。レックが携帯電話忘れてしまったヨン。ドジッ子ヨン!』
 ヨンヨンヨン。変な笑い声だ。俺は耳障りな電子音に顔を顰めながら、SICURAに訊ねた。
「レックに連絡してやらならないとな」
『大丈夫ヨン。レックの妹の携帯にメール入れておいたヨン』
 最近の電子機器は賢い。俺は世界の目紛しい変化に、とても感心していた。
 特筆するべきが、このSICURAだった。
 ロトの天才振りが発揮されて生み出される、ヒーロー達のアイテムはまだ理解が出来た。ロトはパワースーツや巨大ロボットを作るが、それは鎧や戦争で使われた戦車や空母に近いものだった。魔力や魔物といった、人間達が不思議と片付けるものも身近な存在である。
 だが、SICURAは違う。電子機器を動かす思考回路が、まるで生きている人間や生物のように自分で判断し行動する自立型人工知能だ。この世界で最先端の技術で出来た存在だ。その実力はなかなかに凄く、ベルガラックの違法賭博の情報を流出したと先週のワイドショーを賑わせていた。
 しかし俺が古い存在だからだろう。
 耳に障る電子音声も相まって、俺はSICURAが苦手だった。
『静かヨン』
 突然、SICURAが言った。
『まるで、サーバールームみたいヨン』
 俺が首を傾げると、クラゲが外を伺うように画面に張り付いている。
 SICURAが所属するロト人材紹介所には、SICURA専用の部屋がある。少し前に見せてもらったサーバールームの画像は、大正ロマンの風情を漂わす立派な書庫だ。テーブルと二脚の椅子、一輪挿しの花瓶には大船系の鮮やかな芍薬が咲き誇っていた。基本的に誰でも入れる場所ではなく、とても静かな場所だとSICURAは語った。
『フェイは寂しいヨン? アルはフェイが寂しいからって、子供達をここに誘ったヨン。悲しかったりするヨン? 切なくなるヨン? 独りは怖いヨン?』
 俺は心がざわつくのを感じた。
 この電子音声で訊ねられると、少し腹立たしい。電子音声は電話口でセールストークを喧しく言う女性に似ていた。暇つぶしに付き合って聞いているのは楽しかったが、それは真剣に聞く程の無い内容で相手が人間だからだ。こちらが真剣ではないと怒る者、熱弁を振るっている者、遊び半分のオレオレ詐欺と様々だった。声だけだから直に伝わる感情を感じるのは、悪くなかった。
 だが、SICURAの声から感情を感じるのが難しかった。当然だ。SICURAは人間でも生き物でも、物の怪の類いで分けられる大小様々な神の1つでもない。機械が感情を持つ事等有り得ない事は、世界中の機械が忠実な道具である事から明らかだった。感情は相手にそう見えるよう、プログラムがシミュレーションした結果でしかない筈だ。
 機械なのに、なぜ、俺はムカつかなければいけないんだ。
「寂しくなんてない」
 俺はきっぱりと答えた。
 だいたい、アルは心配性だ。俺は、寂しくなんてない。
『本当にヨン? 本当に本当ヨン?』
 本当? 本当? そう連呼する携帯電話を、叩き付けたい衝動に駆られたがこれはレックの携帯電話だ。俺はテーブルの上に携帯電話を置いて、立ち去ろうとした。
 この電子音声を聞いていると、頭が痛くなる。
『いつか、リウレムやアレフとお別れヨン』
 無音の空間に、小さく響いた。
『SICURAは怖いヨン』
 俺は振り返ると、携帯電話の光が弱まっていた。覗き込むと、もう画面にはクラゲは居ない。
「SICURA?」
『ヨン?』
 俺が小さく声を掛けると、携帯電話がぱっと輝き白いクラゲが顔を覗かせた。
 SICURAは生物に定められた寿命が存在しないのだと、今更ながらに理解した。SICURAの制作者であるリウレムは、まるで我が子のようにSICURAに接している。SICURAは人間のように育って行くんですと、誇らし気に語った後に少し切なそうに目を細めたリウレムの表情を思い出す。
 SICURAは人に育まれ意思を持ち、人に関わる喜びを知って人と別れる恐怖に怯えている。
 急に親近感が湧いた。
 あんなに苦手だったSICURAが、親の居ない寂しさに震える幼子に見える程だった。
「確かに別れは辛いが、怖れる事は無い。二人はお前にきっと、素晴らしい物を残してくれる」
 ヨン? クラゲが首を傾げた。
 俺が居るこの家には沢山の子供達が生まれ育ち、そして大人になって旅立って行った。
 ロイト一族の始祖アレフが俺に残してくれたのは、彼の子孫達だった。新たな出会いは、別れの悲しみを拭い去ってくれる。俺はアレフが残してくれた宝を、とても愛おしく思う。今でもアレフとその親友への感謝を忘れる事はないし、思い出は優しかった。
 これから初めての大事な人との別れを経験するだろう、人と違う寿命を持つSICURA。その恐怖を、俺は自分の事のように感じていた。忘れる事はできない。
 指先で画面に触れ、クラゲの頭を撫でるように動かす。SICURAは撫でられたように嬉しそうに微笑んだ。
「そのうち、俺の先輩達を紹介してやるよ。皆、新しいパソコンが来ると、セットアップやバージョンアップで大変らしいからな。機械に詳しい奴が居ると、助かるんじゃないかな?」
 大先輩達と言えど、人間達が新たに生み出したインターネットの恩恵を受けている。使えるには使えるのだが、使えるようになるまでお膳立てしてもらわないとできない先輩も多い。そんな先輩は各々で神官や巫女にやってもらうのだが、これがなかなかに大変だったりして最終的に機械に詳しい俺にお鉢が回って来る事も少なくない。SICURAを紹介したら、なんだかんだで可愛がってもらえそうだ。
『任せるヨン! 機械の事ならSICURAには朝飯前だヨン!』
 胸らしい場所をぽんと叩く触手を見て、俺は内心笑ってしまった。
「SICURAは御飯を食べないだろ?」
『そうだったヨン!』
 電子音声が愉快そうに笑った。
 なんだ、慣れればそれほどでもないか。