願いと想いに従えば

 地面に足がつく感覚を覚えると、一気に世界が広がった。
 美しいモザイクタイルが鮮やかに足から広がると、テーブルの上に飾られた百合が優美に咲き誇っている。座り心地の良さそうな椅子が2脚現れると、ぐっと本棚の壁がそそり立つ。飴色のオークの手摺と階段が伸びて行く遥か上に、シャンデリアが頭上に落ちて来る星のように輝いた。
 ロト人材紹介所の資料室を見回していると、いつの間にか2脚の椅子に一人ずつ子供が座っている。
『また来たよ』
『あのね、このサーバールーム誰でも入って良い場所じゃないから。おじさん、何度説明したらわかるの?』
 茶色い瞳に在らん限りの嫌悪を詰め込み、幼少期のアレフィルドが呻く。その向かいで呆れたように頬杖を突く、幼少期のリウレムがぼやいた。彼等はここに誰かがやって来ると、自動で現れるようにプログラムされているのだろう。俺は誰にも気が付かれず、ここに直に分身を出したからな。
「おじさんとか酷!」
 俺が戯けて言ってみせると、子供達が露骨に顔を顰めた。
 彼等はアレフィルドとリウレムの行動履歴から算出されたシミュレーションである。SICURAが蓄積させていた情報量も凄まじく、彼等を出現させているINPASSはジパングのみならず世界最高クラスの演算特化型OSだ。彼等のグラフィックはまるで生きているかのようなホログラム、行動も表情も小さな仕草でさえオリジナルを彷彿とさせる。
 だが彼等が如何にオリジナルに準じていても、所詮はプログラム。彼等と接するのは気が楽だった。プログラムは余計な感情を持たない。彼等をどんなに怒らせて焚き付けたとしても、それはプログラムが生み出したシミュレーションとしての反応であって本心ではない。
 アレフィルドが頭上を見上げて、声を放り上げた。
『おーい、SICURA。どーすんだ、これ』
「こらこら。これ はないだろ これ は」
 俺が大人として毅然と注意すると、悪ガキ共は声も潜めず文句を言う。大人の彼等では決して言わない事だが、内心はそう思っているのだろうと俺は思う。アレフィルドもリウレムも分かりやすい思考の持ち主だったが、彼等を見るとその理解は深まった。
『サタル!さっさと出て行くヨン!』
 頭上から女性の電子音声ががなり立てる。視線をあげるとSICURAが舞い降りて来て、丸い可愛らしい系のキャラクターっぽい瞳を尖らせている。全然怖くないって。俺はヘラリと笑った。
「実はさ、危険度SSランクの魔物討伐レポート読みたいなーって。アレフが魔物対策課に出したのじゃ、全然実践向けじゃないだ。手抜きも良い所だよ」
『もう少し実践向けの内容欲しいなら、魔物対策課へ提出する書類の記述内容を充実させろよ』
 どうする? そう言いた気にアレフィルドはSICURAを見上げる。SICURAはひらひらと水色の触手を振る。
『さっさと調べて帰ってもらうヨン。アレフ、宜しくヨン』
 ロト人材紹介所の資料室は、情報の宝庫。そう言ったのはアリアだっただろうか。
 各国の機密事項にあたるような内容が、アンティーク調のハードカバーの本になってぎっしりと詰め込まれている。この紹介所の構成員がその道の第一人者的な存在である為に、彼等の纏めた資料はなかなかお目に掛かれぬ濃密な内容だった。
 侵入し情報を得たいと思うのは、個人・企業・団体・そして国…誰もが思う事だろう。そして実際侵入者は居る。侵入者は外に居る紹介所のメンバーに通報され、叩き出されるだろう。その後はちょっと高めの請求書が届くだろうが、抵抗の際にメンバーを傷つけて国が傾いた例もあった。
 だが、俺だけはSICURAの合意の上で、この資料室で自由に閲覧が出来た。
 本の場所は場所は常々変わるから、アレフィルドの案内は必須だ。ここには心を読める生命が居ない為に、俺は素直に彼等の案内に従う。幼い少年は軽快な足取りで、俺の前を歩いた。優美な木材の渡り廊下を歩き、夥しい本が前から後ろに流れて行く。そして足を止め一冊の本を指し示した。
「ありがとう、アレフィルド」
 俺はにっこりと笑みを浮かべてみせた。心からの礼に、アレフィルドは嘔吐くような表情になる。
「酷いなー。心からそう思ってるのに」
『あんたに礼を言われるとか気持ち悪い。それと、アレフィルドって呼ぶな』
 子供のアレフィルドのシミュレーションは、吐き捨てるように言った。
 オリジナルも同じ反応だろう。俺はオリジナルのアレフィルドが、同じように吐き捨て眇めた視線を外すのをありありと思い浮かべた。
「なんでだい? 君の名前はアレフィルドだろう?」
 少年は黙り込んだ。オリジナルもそうするように、激痛を堪えるかのように歯を食いしばり息を止めている。
 俺とアレフィルドの仲は最悪だ。元々の相性も然る事ながら、彼の記憶よりも更に深層に刻まれたエスタークとの戦いの前の出来事も影響しているのだろう。互いに罵り合い嫌悪し合う。そのやり取りは正直心地よかった。彼のような奴に愛想を振り撒くとか我ながら心底気持ちが悪いし、内心の不快感を素直に出せるのは愉快だった。彼が俺の望むような怒りを露にしてくれるのも良い。
 それでも、いけ好かない奴である事に変わりは無い。
 アレフィルドには他者が困っている事と、それを解決する為に何をするべきかという事を察する才能みたいなものがある。それは本人すら自覚しない、深層心理の事ですら嗅ぎ取る。自分の事は鈍いくせに、能力者かと疑いたくなる程だ。
 だからこそ、彼とは罵り合う関係であるべきだと思う。
「なぁ、なぜ、アレフィルドと呼んではいけないんだい?」
 どうするのだろうか? 怒るのか、それとも黙るのか。個人的には堪えかねて去ると思っている。俺はにっと口の端を持ち上げて膝を折り、アレフィルドの顔を覗き込みながら追いつめる。優しい言葉は、彼にとって猛毒に感じるようだからね。
『SICURA! いったい、何をやっておられるの!?』
 ヒステリックな怒声が響き渡る。直ぐに反応したアレフィルドの後ろから見下ろすと、そこには黄緑色のボブショートの女医が椅子に座っている。かつかつとテーブルの上にボールペンの先を突く音が、彼女の苛立ちを的確に表現していた。深紅のフレームの奥の黄緑が射殺すような視線で、ふわふわと漂うクラゲに向けられる。
『どうかしたヨン? 縁寿?』
『こうもこうもありませんわ! 兄さん達が記憶の消去をされておりますのよ! あれだけ緻密な火炎の能力者は、あの女しか心当たりありませんわ! あぁ、もう腑が煮えくり返りますわ! あぁ! 気が立ってしまってポールペンが溶けてしまいましたわ! 私ったら、うっかり! じゃなくて、何があったんですの!?』
 手元のボールペンがぐにゃりと溶けてしまった縁寿は、興奮を鎮めても尚ヒステリックな声が静まらなかった。
 彼女はルネと同等の火炎を操る能力者である。炎の精霊に愛された赤子のを引き取る身内は居なかったらしく、彼女もとても幼い頃から児童養護施設に預けられた。今では、自分の能力を上手く隠しつつ医者として活躍している。彼女がこんな感情を露にし、能力の一部が露出するのは彼女が家族と認識している者が絡んだ時だ。
 しかし、驚いたな。俺は階下でSICURAに詰め寄る縁寿を見る。
 ルネが消した記憶の形跡を感じ取ったのか。確かにルネは炎の力を応用する為に、炎や熱に関する事を縁寿が察する事は分かっていた。しかし、彼女がルネの存在にまで辿り着いているとは油断ならないな。恐らく、彼女にルネの記憶消去は使えないだろう。そうなれば、俺の出番になる。
『それは言えないヨン。リウレムのお願いヨン』
 SICURAはリウレムの『お願い』に忠実に従った。
 どんなハッキングをも受け付けない人工知能の懐は、世界中のネットワークで屈指の安全さを誇っている。心を読む能力者も侵蝕できぬ領域だ。そしてSICURAはその情報に触れる因子を可能な限り遠ざけた。親、仲間、友人、協力者、その誰にも明かさず、その情報に触れる言動は公安十課に限る。人の身では絶対に出来ない、完全な情報の隠蔽をやってのけた。その結果が、俺がこの資料室で調べものが出来る待遇に繋がっている。
『そのお願いの内容も忘れているのでしょう!? 言いなさい、SICURA!』
『駄目ヨン』
 クラゲはふるふると身体を揺すった。声色は電子音声なのに悲嘆を感じる程の、切ない情が籠っていた。
『契約と承知の上だったヨン。それに…忘れてしまった事を告げて、余計な思いをさせたくないヨン』
 SICURAの言葉に縁寿は黙り込んだ。余計な思いの内容は、様々だ。怒り、悲しみ、憤り、記憶の改竄を知った者が感じる感情なんて千差万別だ。だが、俺が思うにアレフィルドとリウレムそして紹介所のメンバーは、ケロッとしているだろう。他人の事には自制は利かないが、自身の事には驚く程に執着しない。彼等は忘れたなら仕方がないと笑うだろう。その様子に、周囲がどんなに心を痛めても。
『…あの女が炎を付けたら、キャンドルが即座に燃え落ちるよう呪ってやりますわ』
 あぁ、ルネがなんだか楽しそうなのはそういう事か。『他人の炎も良いのよね』うっとりと呟いたルネを思い出す。
 やはり、彼女は聡明だ。アレフとリウレムが様々な事に関わっていても、自分が踏み込んではいけない範囲を理解している。彼女がこれ以上この件に関わらないと思うと、アレフィルドに爪の垢を煎じて飲ませてやれば良いのにと思う。君は名医なんだろ? なんで治療してくれないのやら。
『ありがとう、縁寿』
『SICURAもちゃんと、兄さん達を見張ってて下さいまし! あの二人が揃うと、どんな無茶をするか分かったものではありませんわ!』
 ヨン。SICURAの返事を聞いた途端に、縁寿のグラフィックは消えた。
 ふぅとクラゲが溜息を吐く。その人間臭さに俺は笑う。
「SICURAは人間以上に人間らしいな」
『SICURAは人間ではないし、人間にはなれないヨン』
 SICURAはふわりと舞い上がり、俺の前を本物のクラゲのように漂う。白いつるりとした表面に、俺の顔が映り込んでいた。常世の闇のような滑るような漆黒のスーツを纏う、端整な成人男性の表情は生温い笑みを張り付かせている。映り込んだ人の形が、皮肉めいた笑みを浮かべた。
「人間は魔物以上に残虐になる事も、神のように慈愛に満ちた行いも出来る。人であり続ける事は、誰もが思っている以上に難しい事なんだ。この平和と秩序が、とんでもない奇跡と夥しい犠牲と血の上にある事をどれだけの人が知っているだろうね…」
『何を今更』
 低い常闇の声に隣を見遣ると、大人の姿のアレフィルドが背を向けてふっと消えた。視線を前に戻せばSICURAの姿もなかった。
 耳が痛い程の静寂。早く出て行けと急かしているようで、俺は資料を捲り始めた。