黄菖蒲の贈り合い
リウレムが珍しくヒーローズの基地にやって来た。
外交官である彼は国内外を忙しなく飛び回っている為に、紹介所にも月に一回程度しか顔を見せないらしい。しかし、彼への依頼はデータでやり取りできる事柄なので、出張先や仕事の合間にこなしてしまうのだそうだ。SICURAが彼の仕事を代行出来る事も多い。メールは頻繁にやり取りしているらしく、非常勤とはいえ紹介所の誰とも仲が良いらしかった。
身長にも体格にも恵まれ、最初に出会った日にはアレンにも負けない体術を披露してみせた。その恵まれた体質を少しだけ羨ましく思う。
「アドルさん。SANDYと仲良くして下さって、ありがとうございます」
穏やかに微笑み小さく頭を下げる。
『ヘブンズアーク』のAIとして新たに作られたSANDYは、私の相棒だ。ガングロギャルという私は一度も見た事のない外見の妖精で驚いたけど、もっと驚いたのはその性格だ。傍若無人で、自分勝手で、自己中心的で、頭も良くはない。それでも、『ヘブンズアーク』の操縦という本来の役割はしっかりやってくれる。
言葉だけ並べれば、とても上手くやって行けるとは思えなかったろう。
だが、思った以上にウマが合う。単純で純粋な感情、悪意のない嫌味は思った以上に悪くない。自分でも意外だった。
「礼を言われる程じゃないし、正直、こんなに合うとは思わなかった」
「貴方のように賢い子に、清純派で大人しいキャラをパートナーにさせても全く面白味がないですからね。 あぁ、ログを見てると面白くて、本当に生まれて来てくれて良かったです!」
流石、紹介所に所属するだけある。この人も物事を『面白い』か『面白くない』かで決めるところがあり、プライベートでは顕著に出るようだった。
「SICURAも手を焼いているみたいで、願っても無い良い経験です」
リウレムは心の底から嬉しそうに笑いながら、焼いて来たというロールケーキを切り分ける。ハウス栽培ではない今が旬の苺が、生クリームの中から宝石のように輝いた。春の陽気に果実を太らせ、夜の涼しさに甘みを夜露が酸味を強くする。自然が磨いた甘さは、クリスマスシーズンのものよりも私は好きだ。蜂蜜と煮詰めたジャムが生クリームとスポンジの間に塗られていて、甘酸っぱさがより引き立った。
外の日差しはキツかったが、流れ込む風は涼し気で心地よい。リウレムは作業に集中しだしたようで、間断なくタイピングする音が木の葉ずれの合間に響く。ケーキは甘く口の中で解け、生クリームとジャムの染み込んだスポンジと弾ける苺のアクセントがたまらない。しあわせだなぁと思いつつ、フォークを動かす。
携帯電話が鳴る。
着信はレックだ。なんだろうと、思いながら通話ボタンを押す。
『たたた大変だ!!』
音量を最小に絞った筈なのに、どうして耳を遠ざけなきゃいけないんだろう。私は電話をテーブルに置いて、がんがん響くレックの声に問い返した。
「どうしたの?」
『ア、ア、アレフが…!』
「アレフが?」
最近、ヒーローズで資金調達のバイトを皆で始めたら、何処にでも出現する正規ブラックである。その頻度は神出鬼没。アルバイトで職場に来て振り返るとそこに立っていたり、何気なく店に入ればスタッフとして居たりする。紹介所としてだけではなく、アレフの個人の伝手で働き口を得ているらしく、今では何処に居ても驚きはしない。
『アレフが女の人とデートしてんだよ!』
んぐ!?
『腕を組んで、ウィンドーショッピングしてる』
思わず喉に苺が引っかかって死ぬ所だった!!ティアまでいるの!?
苺を詰まらせた私の背中を叩いてくれたリウレムが、穏やかな声で電話口の二人に訊ねた。
「もしかして金髪で緑の瞳の美人さんですか?」
『リウレム…!? そ、そうなんだよ!』
リウレムが『あぁ』と納得したような顔つきになると、すっと関心を失ったように向かいの席に座る。『INPASS』と囁くと、先程と変わらぬペースでキーボードの上で指を踊らせている。『心当たりでもあるのか?』そう問おうとすれば、リウレムは すっとノートパソコンを互いが見える位置に置いた。
画面は一軒の古民家の喫茶店を写している。飴色の木枠が映える窓際に、アレフと金髪の美人が向かい合って座っている。アレフはいつものモッズコートで、表情は相変わらずのしかめっ面。相対する女性は目を見張る美人令嬢だ。金髪のふわふわした巻き毛に色白い肌、愛らしい唇が笑みを浮かべ緑の瞳は嬉しそうに細められている。服装もデートで選ぶだろう可愛らしさに、ちょっとした肌見せの女性らしさが計算されたものだ。
店主だろう老人が紅茶の茶器を並べだす。趣向を凝らした茶器と、美味しそうなケーキに瞳を輝かす女性は男性から見ればとても魅力的だ。
まさにデートの一場面。『デートだろ!? だろ!?』とレックの賑やかしい声がなくても、十分に分かる。
「ティアさんが動画モードにしてますので…。音声はアレフさんの携帯から拾ってます」
流石、制作した人工知能が天才ハッカーとして活躍しているのだ。彼にとって、この程度は造作もない事なのだろう。SICURAやリウレムにとって、電源が入っている電子機器は全て彼等の目であり耳なのだ。私の携帯電話をちょんと突けばレックの驚いた声が響いた。恐らく、アレフの携帯から拾っている彼等の音声を、レックの携帯に転送しているのだろう。
呆れを隠さず私は、珈琲を片手に笑う男に言った。
「覗き見なんて、良い趣味だね」
「おや、楽しみは分ち合うべきだと思いましたが…。では、私だけ楽しみましょうかね」
日に焼けた手がノートパソコンを動かそうとするのを、私は押さえた。
『あー、もう! お見合いの相手に、ろくな男がいないわ!』
金髪の令嬢の外見からは想像もつかない、ヒステリックなソプラノが画面から飛び出した。その声色は私やレックやティアの勝手に抱いていた期待を、完膚なきまでに叩き潰すには十分な攻撃力を持っていた。私達の反応を見て、リウレムは肩を震わせて笑いを堪えている。
知っていたな?
私が睨むと、リウレムは形ばかりの平謝りをした。
「君達の期待に全く無関係ではありませんよ。彼女は小学生の時のアレフさんに一目惚れしてから、ずっと親交があるんです」
『見た目も家柄もお前に見合った相手だろう? 断る理由が分からん』
『理想のお嬢様目当てよ! 誰も本当のあたしを分かろうともしない! あー! もう! いや!』
アレフの諭すようなバスを叩き潰すソプラノ。しかし窓際から見えるのは、首を振り目元を拭う別れ話でも持ちかけられているような女性にしかみえない。音声がなければレックが『アレフが女を泣かせている!』と窓を破って乱入した事だろう。いっそやってくれれば、面白いのに。
『こんなにはしゃいで、我が儘言って、あたしの愚痴に付き合ってくれるのなんか、アレフしかいないわ!』
『お前が俺を引っ張り回しているんだろ。お前の我が儘に、ロンの所の秘書が胃潰瘍でぶっ倒れたのを忘れたのか? リウレムが住んでた独身寮に勝手に忍び込んで数日過ごして、リウレムが寮を追い出されたの何時だったか覚えているのか? 正直、お前が絡むと何故か社長の機嫌が悪いから関わらんで欲しいくらいだ』
『そんな、ひどい』
アレフが深々と溜息を吐いた。リウレムもげんなりとした表情で嘆息する。
「独身寮事件は本当に参りましたよ。危うく外交官クビになる所でした」
そう言いながら、ロールケーキの切れ端を突く。うん、丁度良いと自己採点。
「私はロトさんが現れるまで、アレフさんと結婚するのは彼女だと思ってたんですよ。それくらい彼女は情熱的で、アレフさんも押切られそうだと自覚してましたからね」
いやぁ、あの時のアレフさんの参った感と、紹介所立ち上げの話が舞い込んだ時の喜びっぷりは凄かったですねー。リウレムは他人事のように懐かしむ。
アレフの言動から、ロトが彼女の存在を知っているのは明白だった。
立ち上げ時からリウレムもいる事を考えれば、ロトが彼女の存在を知る可能性は増す。芋蔓式に彼女がアレフに好意を寄せている事も知っているだろう。
ただし、アレフがロトの気持ちを察せているかというと『いいえ』だ。ロトに自覚があるかと問われると『いいえ』と答えるだろう。
しかしロトは『機嫌が悪くなる』程度には、アレフが自分以外の女性と仲睦まじい事を良しとはしていないのだろう。アインツにこの手の感情を抱かないのは、アインツが幼くて恋愛感情にならないと分かっているからだ。女性の本能にしては鈍過ぎるのだろうが、ロトはこの美人令嬢を意識はしているのだろう。
それよりも驚くべきは、押切られそうになるアレフだ。どんな顔をしていたのか、興味あるな。
好奇心に浮かんだ微笑を映し込んだ画面の先で、女性がアレフに迫っていた。
『初恋は実らないって言うけど、アレフもあたしも独身じゃん! 結婚しない?』
ぶっ!とティアと私がシンクロして吹き出す。
『逆告白!?』レックの賑やかしい声に顔を顰めた私を見て、リウレムがそっと携帯電話に触れた。途端にレックの声が聞こえなくなる。
『俺は誰とも結婚なんかしねぇよ』
アレフがカップを片手に、美人令嬢を睨む。
『特に、お前とか社長みたいに我が儘な女とは結婚したくねぇな』
『ひどーい!』
全くもってアレフらしい反応を、彼女は気にも留めず明るく笑い飛ばした。次の瞬間には唇を尖らせて悪戯でも考えているような顔になる。その弾けるような笑顔が、くるくると変わる表情が、ロトに似ている気がする。
『でも、お父様はアレフを婿候補にするの積極的に考えてるみたいよ』
『冗談だろ?』
アレフが面食らった様子で女性を見る。女性も少し背筋を伸ばし、令嬢らしい自信に満ちた微笑を浮かべる。
『本当。あたしが誰とだったら結婚してくれるんだって聞いてきたから、アレフだったら結婚して良いって答えたの』
『巻き込むな。凄く迷惑だ』
『そのうち、お父様が会いたいってお話しして来るかもね! あぁ、アレフとお見合いかぁ…。凄く楽しみだなあ!』
両手で頬を包み込んで陶酔する彼女に、アレフの声は届かない。
『嫌だって言ってんだろ。話を聞け』
無理だよアレフ。フェイスを知る私は、心の中で突っ込んだ。
「アレフと彼女が結婚したら、世界が傾ぐだろうなぁ」
私だから聞き取れた小さい呟きに視線を向けると、聞かれていないと思っているのかリウレムが画面を見ながら珈琲を啜っている。
ちょっと、冗談には聞こえないな。
ヒーローズがロトを止めようとしたら…。
私は内心小さく首を振った。ヒーローズの事を熟知しているロトだ。敵に回った事よりも、道を踏み外さないようにする事の方が重要だ。紹介所のメンバーはロトの暴走を止めるどころか、ロトの目的を達成させる為に協力してしまうから質が悪い。
「…とはいえ、私はアレフの幼馴染み。どんな選択をしようが、彼の味方ですからね?」
リウレムが紫の瞳で私の心を見透かして微笑んだ。
それはそうだろう。私達はロトの想いしか知らないが、リウレムはこの金髪の美女の頑張りを見て来ている。あのアレフを押切る程の求婚は、相当のくじけぬ心の持ち主に違いない。例え、世界が傾ぐとしてもアレフが選ぶならロト以外の女性でも良いと思っているのだ。
他人の結婚に口を出すべきではないとは思っている。だが、ロトが傷つくのは見たくはない。
私はわざとあざとく首を傾げてみせた。
「私はロトの味方をしたいかな?」
「おや、意見の相違。私は貴方のような賢き方に、手加減は出来ませんよ?」
リウレムは穏やかな微笑みでパソコン操作すると、画面に映った男女が消えて美しい夕暮れの画像がいっぱいに広がった。もう、見る必要は無いと言いたげに、ぱたんとノートパソコンが閉じられる。携帯電話はいつの間にか通話が終了していて、通話終了と表示された黒っぽい画面に不敵な笑顔を浮かべた私が映り込んでいた。
「私を本気にさせたら後悔するよ」
それはそれは。リウレムは愉快そうに笑って、丸々と残っているロールケーキを示した。
「では、ロールケーキの残りは他の子供達差し上げて宜しいですね。冷蔵庫に仕舞いますよ?」
「もう少し食べるから置いといて」
「おやおや、思った以上に大人げない」
それとコレとは話が別。私はロールケーキにナイフを入れた。ちょっと、おおきめに。