銭葵の花束を囲む
□ 朝来様の『 あたしのかわいいおむこさん 』を読まれるとより楽しめます。
アレフが珍しく一人でヒーローズの基地であるロイト邸にやって来ていた。
大型バイクをフェイが指定している車庫に納めると、フェイの出迎えに軽く応えてリビングに顔を出す。紙袋を無造作にキッチンに置くと、さっそくノアが中身を確認する。横からさっと伸びて中身を摘まみ上げたアレンの手の中には、香ばしい香りを放つポテトチップスがあった。
アレフはリビングの奥まった所にある椅子に腰掛けると、レックがにやにやと声を掛けた。
「アレフ、今日はロトと一緒じゃないのか?」
ロトが先に基地で過ごしている時は確かに一人だが、帰る時は一緒。ロトがアレフとタイミングが合う場合は、アレフの大型バイクに二人乗りしてやってくる。ヘルメットを被り、嬉しくて仕方がない様子でアレフの腰に抱きつくロトの姿に、ヒーローズ一同ごちそうさましか言えない。
レックの問いにアレフは小さく頷いた。
「今日はロトは来れないぞ。今、見合いをしているからな」
アレフの言葉に集まった全員が立ち上がった。オレも思わず目を見開く。
「お見合い!?」「相手は誰だよ!」「アレフこんな所に居て良いの!?」「ロトの結婚認めてんの!?」次々と放たれる言葉に、アレフは五月蝿いと眉間の皺を刻んだ。
ティア。呼ばれてノアに差し出された無糖珈琲を、オレはアレフの前に置く。アレフは悪いなと呟くように言って珈琲を受け取り啜ると、自身に目を向ける全員を見つめて言い放つ。
「俺を含め紹介所職員は、ロトの結婚肯定派だぞ。あまり会社の事に重きを置き過ぎて、ロトが人生を棒に振ってしまうのは本意じゃない。やはり、年相応に恋愛して結婚して、仕事以外の喜びも得て欲しい」
アレフらしい真っ当な理由だ。アレフは冷たい素振りを見せるが、相手の事を第一に考える人だ。
「ロトはお見合い相手と付き合った事があるのか?」
「いや、ロトは見合い相手を気に入って付き合った事は一度も無い」
オレの問いにアレフは小さく首を振った。その反応に皆がひそひそと囁き合う。
「ロトってどんな相手と結婚したいんだろう?」
とはいえ、毎日のように新婚夫婦のような いちゃつきっぷりを見せられれば、ロトの結婚したい相手なんてアレフしかいないだろう。だが、当の本人達が互いに仕事の同僚、上司と部下、そんな関係としか思っていない鈍感だから二進も三進も進展が無いのだ。
アレフへの気持ちに気が付かないロトが、結婚相手に求める事とは何だろう。
やっぱりある程度背は必要だよね。先日10センチ足りないとばっさり切り捨てられたアドルが言う。
ロトって食べる事大好きだし料理の腕も必要だと思う。どうしてもアレフには及ばないのが悔しいと、愛の壁の高さにノアが嘆く。
ロトってさ優しい人が好きだよな、笑顔が百倍増す。彼女の持ちのレックが真面目な解答を寄越す。
紹介所の皆にも認めてもらいたいんじゃね?すげー仲いいもん。紹介所に詳しいアレンが思い返すように言う。
ティアは? 皆がオレを見る。
「ロトは自分の中に確かな基準はあるんだろうけど、きっと誰でも良いって言うんじゃないかな?」
全員の意見が出揃ってアレフを見ると、アレフはスケジュール帳から顔を上げた。
「一度だけ聞いたが、自分でも分からんと言っていたな。…あぁ、でも、断る理由はいつも『相手と家族になるのが想像できない』だな」
紹介所の職員を、家族と言っているのに。アレフはそう呟くとぽつりと漏らす。
「あの我が儘娘がどんな男を好きになるのか、正直興味はある」
ロトが好きになっている男は、貴方ですよアレフさん。全員の視線がそう訴えるが、視線を向けられた本人は気が付かずに『が』と言葉を発した。
「ロトの母親がなぁ…」
アレフが頭が痛そうに頭を抱え、声はアレフが籠められる最大限の悲嘆が籠っている。
「母親? ロトの?」
アレンが問い返す。その反応から、紹介所に出入りした事のあるアレンでも、ロトの母親を見た事はないのだろう。
「凄い人なんだ。それはもう言葉には言い尽くせない程に、凄い人なんだ…」
もはや絞り出すような声である。
「ロトの恋愛も結婚も成就させてやりたい。あの母親に認められるよう、ロトの婿にはアドバイスやフォローも惜しまない。だが、あの母親が認めるだろう最低条件はとても高いに違いない。ロトの婿になるだろう男に、俺は心の底から同情している」
凄い。まだ見ぬ相手にここまで同情出来るなんて、ロトの母親ってどんな人なんだろう?
皆それぞれに興味は湧いたようだけど、アレフが見せる限りない弱気な態度が踏み抜いては行けない地雷だと知らせる。あのアドルもレックも、弱気なアレフを弄れる絶好の機会なのに黙って目を輝かせるに留めている。
「つまり、ロトの母親は過保護って事?」
ノアが当たり障りない問いをアレフに向ける。
「端的に言えばそうだ」
アレフは顔を上げ、背もたれに背を預けて溜息を吐いた。
「俺とロトが紹介所を作ったばかりの時、紹介所は今のような住み込み式ではなかった。立ち上げ直後の紹介所の経営は最悪でな、ロトが精神的に参ってしまったんだ。あまりにも見ていられなくて、俺はロトに起業を諦めて家に帰れと言った」
いきなり始まった紹介所の創立の話だが、それに誰も口を挟まない。促すような雰囲気にすら気が付かず、アレフは淡々と言葉を紡いだ。
「そしたら、家に殴り込んで来たんだ。ロトの母親が」
玄関扉の修理代で退職金が吹き飛んだ! あまりの壊れっぷりに警察まで来た! ついにアレフは、滅多に見せない弱気を曝け出して声を荒げた。
「俺はロトとその母親の前に正座をさせられて『良い歳の男が、あたしの娘の夢を叶えられないのかい!』と一時間恫喝させられた挙げ句、腹が減ったから飯を作れと言われて食事を振る舞うはめになり、最終的には一緒に住んで娘の世話をしろと命令して来たんだ! 最後に肩を叩かれた時、完全に脱臼した…! よく生きていられたと、今でも思う!」
すごい。
地雷というよりも核爆弾みたいだ。いつも平坦なアレフの感情がこうまで爆発していると、興味よりも恐怖を感じてしまう。
「嫁入り前の娘と未婚の男が同じ屋根の下で同棲とか、有り得んだろ!? 最終的に公私を完全に混ぜて正解だったが、生きた心地が全くしなかった! いや、今もロトの母親に隠している事がバレたら死ぬ…。絶対に喋らないでくれと、ロトとロレックスにはキツく口止めはしてるんだが…」
落ち着いて来たのかアレフは荒げた声のトーンを落として、絶望し切った声で言った。顔は完全に血の気がない。
「俺ですらこれだ。ロトの婿はどんな目に遭うのだろうな…本当に可哀想でならん。せめてロトを一番に思い、ロトよりも賢く、勇敢で優しく、生活力があって、引き籠もったロトを引っ張り出せて、あとロレックス達とも家族のように仲良くできさえできれば…」
その最低条件はアレフがロトの婿を支援してやれる条件だったのか…。
そしてアレフはアドルに視線を向ける。
「アドルがロトと結婚しても良いと言った時、俺はアドルを止める事を本気で考えていた。それ以前にあの母親の前でロト『でも』良い等と言ったら、冗談であっても生きていられなかったろうな。豪快で気持ちの良い女傑なのだが、やる事成す事が全て強力無比。アドルが頭1つ叩かれようものなら、脳みそがスクランブルエッグになる。挨拶の段階でアドルは保たん」
そうだったのか…。やはりアレフの鋭過ぎる視線では、言いたい事は伝わらない。
アドルの表情が引き攣っている。アドルの頭の中の危険人物リストに、ロトの母親が追加されたことだろう。
「でも、アレフは認められたんじゃないの?」
オレの言葉にアレフが首を傾げた。
「誰に?」
「ロトの母親に」
アレフががたんと椅子を蹴って立ち上がった。
「認められた!? あれが認められたの内に入るのか!?」
冷静に考えれば大事な嫁入り前の娘を、未婚の男と同棲させるという事は親公認の交際にしか見えない。あのロトの事だ、アレフや紹介所のメンバーとの日々を楽しく母親に語って聞かせているだろう。弟分のロレックスの冷静な評価もあれば、ロトの母親がアレフの事を認めているのは明らかだった。
本当に鈍感だ。オレは一回り近く年上だろう男を、やや呆れた思いで見ていた。
オレに詰め寄ろうとしたアレフが、携帯電話のコールに動きを止める。俺達の視線を見返して、アレフは通話を音声を拡散に切り替えて話しかけた。アレフの電話からロトが明るい声で『アレフさん、やっほー!』と響き渡った。
「見合いはどうだった?」
『なんかねー、相手の人と家族になるってのが想像出来なくてさー。断っちゃった』
「そうか」
アレフもロトもいつもと全く変わらない口調で、いつものようなやり取りを交わす。ロトが縁談を断ったというのに、アレフの口調にはホッとした様子も何一つ感じられなかった。
『アレフさんちょっと来てくれない? お母さんがね、アレフさんに会いたいって言ってるんだ。あと、着物崩れて来ちゃった』
アレフが露骨に身体を強張らせたのを、オレ達全員は見た。アレフはそれでも1つ唾を飲み込んで、いつもの口調を心がけて言ったようだ。
「わかった、あまり動き回らないで待ってろ」
『ありがとう!』
通話を切ると、アレフが肺の空気を出し切る程に長く長く息を吐きだした。絶望し切った様子で、オレ達を見遣る。
「肋骨が折れたり、肩甲骨が砕けたら、代理に暫く頼むつもりだ。その時は、宜しく頼む…」
いつもの覇気が全く無い背中を見送り、玄関の戸が締まり、バイクのエンジン音が離れて行く。
そして静かになった空間で、誰かがぽつりと言った。
「結局さ、ロトの婿ってアレフしか なれなさそうだよね」
その誰かの言葉に、全員が頷いた。