菠薐草を押し付ける

 最近、ロトの機嫌が悪い。
 理由は簡単。アレフが金髪のお姫様と、ダンスの猛特訓をしていたからだ。最初はアレフのダンスの特訓にロトを付き合わせて、恋に目覚めるかなーとかニヤニヤしていた私達だが今は真っ青だ。アレフが踊りが踊れると知ったロトのライバルは、アレフをダンスのパートナーに指名したのだ。中途半端は許されない。アレフは連日連夜、女王様の家で練習して下手をすると帰れない程に疲労してしまうのだとか。
 そうなる事を、私は予測出来ていない訳じゃなかった。お嬢様となれば社交界の露出も多い。ダンスの心得くらいあるだろう。
 二人のダンスは、私も思わず魅入ってしまう素晴らしい出来だった。見せ付けられたロトの心中はお察しである。
 あのアレフが『あんなに機嫌が悪いロトは見た事がない』と、白旗を揚げた程だ。私達にどうこう出来るレベルじゃない。その余波なのだろう。アレフは紹介所の業務を回す事で手一杯になっているらしく、暫くヒーローズとしての活動は出来ないと詫びた。彼自身が個人的に受ける依頼も、片っ端から断っているのを小耳に挟めば余裕なんかないんだろう。
「ねぇ、アドルー」
 テーブルにぺったりと頬を張り付かせたロトは、地の底から響くような声で私を呼んだ。
「あたしったらさー、大人気ないよねー」
 私が顔を向けると、憂いを張り付かせた表情がそっと溜息を吐いた。
「あたしが仕事しないから、アレフさんに全部負担が行って凄く大変だって分かるの。でもね、とてもじゃないけど仕事出来る気分になれないの。心がもやもやしてさー、ぐるぐるして辛いしさー。アレフさんはそんな気分なんだろうって、仕事が出来そうならすれば良いって優しいと余計に…あー…なんだろう、もやもやー」
 フェイスに話したら、きっと目がキラッキラになる話題なんだろうな。
 どう返して良いか迷う所だが、ここは黙って聞いているのがきっと吉だ。自分で答えを得なきゃいけない問いだって、彼女が居ない私だって分かるからね。もやもやーとテーブルの天板に張り付いて離れない餅みたいだ。
 携帯電話が鳴る。
 着信はレックだ。なんだろうと、思いながら通話ボタンを押す。
『たたた大変だ!!』
 音量を最小に絞った筈なのに、どうして耳を遠ざけなきゃいけないんだろう。私は電話をテーブルに置いて、がんがん響くレックの声に問い返した。
「どうしたの?」
『ア、ア、アレフが…!』
「アレフが?」
 もの凄い既視感を感じながら、私とロトは顔を見合わせた。
『アレフが女の人とデートしてんだよ!』
『この前の金髪の人と、今回は黄緑の髪の女の人がいて修羅場みたい』
 今回もティアがいるのか。
 ロトがむくりと起き上がって、パソコンを立ち上げた。キーボードの上で指が踊り、たんっとエンターキーが押されると、画面に映像が映し出される。以前リウレムがしたような事を、ロトもやってのけているのだろう。音声を拾い、ティアの映像を映し、レック達と共有する。ただ、以前と違うのはロトがとても遊びじゃないって事だ。
 以前、アレフと金髪の令嬢が話し合っていた喫茶店だ。その窓辺にアレフと金髪の令嬢と、そして黄緑色の髪の女性がいた。不機嫌そうに眉根を寄せたアレフ、穏やかな笑みを浮かべる令嬢に、やや怒ったような眼差しの黄緑色の女性。確かに浮気の現場に本妻でも現れたような修羅場に見えなくもない。
 私は新しい登場人物である、黄緑色の髪の女性に目を凝らす。日を透かした新緑みたいな鮮やかな黄緑のボブショートに、赤い渕の眼鏡が白い肌に映える。
 知った顔にぴたりと一致して、思わず声を上げた。
「縁寿先生だ」
「エンジュ先生? 知り合い?」
 私は小さく頷いた。
「毎年数ヶ月間だけソレッタ総合病院に来る、凄腕の女医さん。私の従兄弟の担当もした事があるんだ」
 新薬の開発に国内最大手の製薬会社に行ってみたり、論文発表して世界的な医療ジャーナル紙の表紙を飾ったり、国籍なき医師団行ってみたり、海外の病院に配属されてみたり、若いけど色んな事をしている人だ。医療の知識は娯楽って認識らしく、医師にしてはやや不真面目だが腕が兎に角良い。そんな縁寿先生は一年に数ヶ月だけ、必ずソレッタ総合病院に戻って来る。
 良い先生だ。彼女が戻って来ると、凄く美味しい手作りおやつをくれたりする。餌付けなど…されてないぞ!
『アレ兄さん、ご自身がどのような体調か勿論把握しておいでですわよね?』
 縁寿先生はそう鋭い瞳でアレフに問いかけた。
 アレ兄さんって…!レックとティアのざわめきがスピーカーから漏れる。
『別に体調は悪くないぞ。今が少し忙しいだけだ』
 がたんと縁寿先生が立ち上がった!
 テーブルの上に置いてあった軽食や紅茶のポットを、アレフと令嬢はさっと支えた。なかなかの連携である。
『兄さん、SICURAに体調管理の記録を付けさせてましたけれど、最悪ですわよ! 先ずは睡眠時間、何事ですの!? 本日徹夜何日目か言ってご覧なさい! その口から3日目と平然と出たら、このBLTサンドを詰め込んでやります事よ! 労働時間も酷いじゃありませんの! 休んでる時間が食事と入浴程度って医師も吃驚の真っ黒黒助のブラック会社ですわ! お姉様もですっ! ダンスの練習の度が過ぎますわ! 終わったからって追求を逃れられると思っては大間違いですのよ!』
 止まらない罵倒。余りの剣幕に私は呆然とする。
「凄い。あの温厚な縁寿先生が怒鳴り散らしてる…」
 どんな医療ミスも原因不明の体調不良も『これは大変興味深い事例ですわね!』と嬉々とする縁寿先生が、アレフの不摂生にマジギレである。フィーネに聞かせてやったら目を丸くしそうだ。
 アレフは縁寿先生の罵倒を右から左に流していたようだが、眉間の皺を深く刻んで素っ気無く言った。
『仕方がない。今だけは頑張らないと…』
 縁寿先生はアレフの鼻先に人差し指を押し付けると、ヒステリックな声で言い放った。
『兄さん!即刻入院ですわ!』
『何でそうなる!』
 縁寿先生の手を退けるアレフの横から、優雅にお茶を啜る姿からは想像出来ない気怠気なギャルみたいな口調が挟まる。
『そんな無理させてないわよー。ダンスの練習の時は、ちゃんとアレフの仕事量も把握したし休ませたわよ』
『あそこまで扱き抜いて休ませたとか、良く言うな』
 アレフがやれやれと珈琲を啜る。
『お姉様は分かってるから良いですけど、問題は兄さんの上司、社長さんですわ!』
 縁寿先生は腕を組み、感情を爆発させながら言った。台詞がなければ、相手と刺し違える剣幕である。
『全く、アレ兄さんの『頑張らないといけない』ってのと『無理しないといけない』って言葉が出たら、何時倒れてもおかしくないの知らないのかしら! 今だって気を抜いたら意識が落ちるんでしょ? フラフラなんでしょう!? アレ兄さんはいくつになっても、ご自分の体調管理が出来なくって本当に困りますわ!』
 ロトが息を詰めたのが分かった。
 そういえば、アレフからその二言が出た記憶がない。いや、一度だけあった気がする。ブオーンを押し止めようとした時、あの時はアレフが死ぬかもしれないと思う程に無茶をさせたのではないかとレックが振り返っていた。
 吃驚した様子で見上げたアレフの横で、金髪の令嬢はくすくすと笑う。
『紹介所立ち上げたばっかりの時、毎日のように『頑張らないと駄目なんだ』って言ってたわよ。そんで、倒れて縁寿ちゃんに叱られっぱなしだったじゃない!』
 まるでビールジョッキのように、紅茶をイッキ飲みした縁寿先生は高らかに言い放つ。
『とりあえず、兄さんを含めた児童養護施設の卒業生達の主治医として申し上げますわ! 兄さんは即入院! 決定ですわよ! 心の底から反省を促す為に、ソレッタ総合病院で一番高い個室にぶち込みますから! 覚悟あそばせ!』
『ちょっと待て!俺に拒否権ないのか!?』
『自己管理も出来ない人が、主治医の決断に口答えは許しませんわよ! それといい加減、職場と住居が一体になってる環境を改善するべきですわ! もう、ぶっちゃけると転職して欲しいくらいですのよ! 私の怒りが理解出来まして!? 兄さんが倒れた日には、点滴にスポーツドリンク注いでしまう程に怒っていますのっ!』
 点滴にスポーツドリンク混ぜるって…この先生だとやりかねないから怖い。
 画像がいきなり揺らいだ。アレフが慌てて縁寿先生の肩を掴んだ。
『あっつ! 縁寿、落ち着け。とりあえず、今残っている仕事が終わったら…』
 縁寿先生はこれでもかって程に、良い笑顔でアレフを見上げた。
『書類、燃やしますわよ?』
『それだけは勘弁してくれ…』
 アレフががくりと項垂れた。
 折れた。ティアの評価が的を得ている。
『アレフの言葉を借りるなら、自業自得なんだろうけどね。でも、アレフが倒れちゃ私達が嫌なのよ』
『これ以上、皆を心配させてはいけませんわよ! しっかり寝て、点滴して、早く退院させてあげますから大人しくなさい!』
 そう微笑んだ二人に、呆れたようにアレフも表情を崩した。しかたがねぇなぁと唇が動く。
 私は何気なく、隣を見遣る。
「ロト…?」
 泣きそうだった。
 いや、泣いていたかもしれない。涙も声もなかったからこそ、強く悲しみを感じた。
 アレフの不調に気が付けなかったからか、それともアレフの不調の原因になってしまったからか、もしくはアレフにとっての家族が紹介所以外にもあったからか、なにもかも全部か。とても声を掛けられる雰囲気じゃなかった。
 創作だからこそ、楽しいのですよ。
 そう、フェイスの声が聞こえた。