働いてるね、若人達!


■ 日曜日 夕方 ■

 ロレックスが唐揚げ食いたいとか言ったが、今日の夕飯当番はアインツだ。全く嫁入り前の娘に揚げ物を作れとか、跳ねた油で火傷でもしたらどうするんだ。慰謝料払えるのかお前は。
 とはいえ、まだまだ料理は勉強中のアインツだ。彼女が担当の日は誰かしら付いている。
「アインツ」
 俺は狐色に次々に上がる唐揚げを菜箸で油切りのスペースに上げながら、隣でタルタルソースを作っているアインツを見下ろした。新玉葱が美味しい時期だから、サラダ用のスライスオニオンを別に水に漬けて彼女は顔を上げた。つややかな黒髪は四葉のクローバーのバンダナに閉じ込めていて印象が変わってはいるが、碧の瞳の大きさが際立つ。
「揚げ物が揚がっているかを確かめるには、菜箸で揚げ物を持ち上げてみるといい。先ずは揚がる前と揚がった後では重さが違う。また、橋の先からじーんと震動が来るのを感じたら、中まで火が通っている」
 やってみろ。菜箸を渡すとアインツが足台を持って火の前に立った。
 慎重に菜箸で揚げ物を持ち上げると、じっと唐揚げを見つめた。その動作を何度かしたら、こくこくと頷く。
「本当です。じーんってします。分かりました」
 ぺこりと頭を下げると、元の位置に戻ってタルタルソースを仕上げる。出来上がった唐揚げを平等に盛り付けるが、ケネスとロレックスは大喰らいなので他のメンバーよりやや多めに乗せる。狐色に黄身の柔らかい色彩と白が、ふんわりと乗る。
 塩揉みしたキャベツの千切りとスライスオニオンをあえてサラダを作ると、花鰹と白ごまを振り掛ける。冷蔵庫で冷やしたビシソワーズと付け合わせのサラダのドレッシングの瓶を出すと、アインツはテーブルに並べだした。デカンタにはいっぱいの氷と麦茶。それぞれにグラスと個々の箸も丁寧にランチョンマットの上に並べて行く。
 アインツがテーブルセット終えると、そこには料理雑誌に載っていそうな整った食卓があった。相変わらず、彼女のセッティングやラッピングのセンスは良い。油の始末を終えた頃合いを見計らって、アインツが冷たい麦茶を差し出して来た。
「ありがとうございます、アレフさん」
 あぁ。俺はグラスを受け取ると、アインツの隣に立つ。紹介所のメンバーに声を掛けるには、少し早いだろうと時計を見て思う。バンダナを外したアインツは、なんだか嬉しそうに俺を見上げて来た。
「なんだ?」
「アレフさん、最近ヒーローズの皆さんと一緒の日が多かったので嬉しいです」
 そう言われればそうかもしれん。俺はグラスを傾けながら、スケジュールを振り返った。そして、ふと思い出す。
「今日の仕事先でもレックとアドルに会った」
「今日のお仕事は結婚式場ではありませんでしたか?」
 アインツの問いは至極最も。俺も驚いたと同意した。
「アドルは聖歌隊のメンバーで、レックはパイプオルガンの奏者で来ていた。恐らく、資金調達のバイトだろう」
 とても上手だった。俺は心の底からそう思って、賞賛を口にする。
 色々何でも出来はするが、俺は、歌だけは駄目だからな。楽器は練習でどうにかなったが、歌だけはどうにもならんし、どうにかするつもりもない。上手に歌が歌える奴は、本当に凄いと思うのだ。
 アドルを含めた聖歌隊の4人組が楽し気だった事。その歌声が合わさった響きがとても心地よかった事。パイプオルガンを弾くレックが、彼等の歌声を引き立てるように意外な程の見事な演奏をしてみせた事。なにより彼等の活躍に本日の主役である花嫁と花婿が、輝くような笑顔で喜んだ事。流石、プロと名乗るだけある。良い仕事だった。
 俺が話していると、妙な沈黙がある事に気が付いた。
 隣を見ると、アインツがしょんぼりしている。
「どうした、アインツ」
「なんでもないです」
 ふいっとそっぽを向く。仕事の事ばかり話して、面白くなかったのだろう。
 アインツの形の良い頭を撫でると、碧の瞳が俺を見上げる。ふっくらと桜色の唇が『パフェ作って下さい』と囁くのだから、俺はアインツのご機嫌を取り戻す為に頷いてやった。まだまだお子様だな。手の平に伝わる子供の体温に、俺は小さく笑った。


■ 火曜日 早朝 ■

 早朝から筍掘りに出掛けていたらしく、夥しい量の皮を剥かれた筍が米ぬかを投入した鍋で煮込んで灰汁抜きされている。庭に面した窓に寄りかかって喫煙しているケネスが、筍の匂い満載の空気を窓全開にして追い出しながら俺達に片手を上げた。
「おう、お疲れさん」
 俺も手を挙げて軽く挨拶する横で、寝ぼけ眼のロレックスを見てケネスが笑った。
「ひでぇ顔だな、ロレックス。朝飯はまだ出来ねぇから、寝てろ」
 炊飯器からもくもくと蒸気が吹き出している。食事は手抜き感がないが、短縮の容易いジパング式だ。菜の花のおひたしは既に盛られラップが掛けられ、主菜の焼き魚はグリルにセットされている。味噌汁も温めれば良い程度まで仕上っているらしく、筍の香りに圧し負けているが味噌の香りも確かにした。御飯が炊きあがるのを待つだけ、そんな状態に見える。
 今日の朝食当番のケネスがまだと言うなら、まだなのだ。ロレックスの背を軽く押して促すと、ロレックスはふらふらしながら階段へ向かって行った。階段から転げ落ちるような音はせず、彼の居室の扉が開け閉めされたのを耳で確認してから俺は窓辺に歩み寄った。
「筍掘って来てくれたんだな。助かる」
「採取は趣味だから気にするな」
 ケネスは煙管を片手に笑った。
 筍の皮も木っ端微塵に切り刻んで、何かしらの調合にでも使うのだろう。この無類の草好きの趣味には付いて行けないが、筍以外にも茸や薬草を採取して来ているのだろう。採取が趣味というのは事実で、休日は珍しい草を探しに何処へでも足を伸ばす。
 ケネスが煙を器用に丸くして吐き出してから、俺を見て言う。
「そういえば、帰り道にアレンって青いガキに会ったぞ。新聞配達のバイトしてるんだって?」
「あのメルキド団地が担当地区だそうだ」
 俺が新聞配達所の機械が壊れ、急遽応援に言っているのを知っているのだ。
 俺の答えに、ケネスが心から感心したように笑みを深めた。メルキド団地はこの地域では最も大きい団地だ。古くからある団地でエレベーターがなく、マンションのように横に繋がりがなく、縦のみの行き来しか出来ない。リノベーションが進んで、耐震やキッチン等の水回りも全面改修されて新品のような物件にはなってきて人気を集めている。しかし居室の外の改修は今後も見込みがないので、いくら綺麗になったとしてもエレベーターは付かないらしい。
 面倒臭がりのケネスは新聞配達が玄関のポストに投函してくれるサービスのありがたみを、まるで住んでいるかのように共感しているようだった。
「へぇ、あのメルキド団地か。若いねぇ」
 あぁ、本当に感心する。俺はケネスの言葉に同意した。
 新聞配達員に若い奴もいるが、メルキド団地だけは嫌煙されている。階段の上り下りがキツいのだろう。新聞配達員として仕事に携わる者では、選り好みするのは良く無いとは思うが仕事をするのは人間だ。体調不良や、年齢などで出来ない事は当然ある。体調を崩されたり、仕事を辞めて穴をあけられるのは経営者として困る。それをカバーしてやれる人材というものは尊いものだ。
 しかも、アレンはトレーニングになると嫌がる素振りも見せない。
 気持ちが良いくらいだ。頼もしいし、その姿勢がとても好ましい。
 そこまで話して、妙な沈黙があるのに気が付いた。
 俺がケネスを見ると、何とも複雑そうな顔が俺を見ている。
「どうしたんだ、ケネス」
 既視感に首を傾げると、ケネスは無精髭を撫でながら苦笑い。
「なんだか、俺の天使様が不貞腐れてた気持ち分かるわ」
 ケネスはアインツを天使と呼ぶ事がある。
 彼女の鉄壁の『天使の守り』で命を救われた事も多いのだが、彼は実は天使信仰の地域の出身者でもある。土地を守護し、人に幸いを齎し、死者を迎える守護天使の存在をケネスは密かに信じている。だからといって、何故アインツをそう呼ぶかまでは聞いた事はないが…。
 まぁ、幽霊が苦手なのだ。天使くらい信じるだろう。
 ケネスは深々と煙を吸い込んで、ゆっくりと煙を吐き出してから言った。ヘビースモーカー独特のガラガラ声が、珍しく拗ねたような声色だった。
「お前が面と向かって褒めないのは知ってるけどよ、お前が誰かを褒めてるのって聞いててすげぇ羨ましく感じる。いや、俺は別に褒めなくて良い。俺が好き勝手言えて修錬相手に頼るあたり、お前は俺に一目置いてくれてるんだろうからな。だが、誰もがそれを理解してる程大人じゃねぇんだよ」
 ケネスがぽんと肩を叩いた。赤い瞳が俺を覗き込む。
「副社長。たまには直に褒めてやれ。すげぇ喜ばれるから。間違いねぇ」
 俺は思わず目を見開いた。
「俺なんかに褒められて、喜ぶのか?」
 率直な感想だった。普段から仕事ばかりして面白味が欠片もない男が、褒めたからといって喜ばせられるとは思えない。それに仕事の頑張りは目に見える。俺が見えているという事は、俺以外の誰もが頑張る者の姿を見ているという事にもなる。そのうちの誰かが褒めるだろう。俺よりも、ずっとその誰かが褒めた方が喜ぶに違いない。
 俺の心を見透かしたのだろう。ケネスは喫煙した煙を、嘆息と共に吐き出した。
「面倒だなぁ。疑うなら、試しに誰か褒めてみろ」
 灰皿に煙草を棄てたケネスは、火の入っていない煙管を銜えて台所へ向かって行った。その背中を見送りながら、俺は首を傾げた。
 年上で経験豊富なケネスの的確な指摘だが、たまに意味が分からない。


■ 木曜日 夜中 ■

 紹介所の玄関を開け、ただいまと声を掛けるとロレックスの声が出迎えた。
 そうだ、今日はロレックスが晩飯当番だったな。俺はそう思いながら、リビングに顔を出すとロレックスが夕飯の後片付けをしていた。黒い短髪が振り返り俺を見ると、愛想のよい笑顔を浮かべる。
「お疲れ様。晩御飯温めていい?」
「あぁ、頼む」
 声に疲労が滲んでしまった。いつの時代も子供のお守りは気が抜けない。
 養護施設の時代もガキに懐かれる体質だったが、こうやって手伝いで訪れる家に子供がいればほぼ懐いてきた。子供というのは不思議なもので、幼少時はやんちゃで我が儘で大変だが、思春期になるとそれぞれに悩みを抱えてそれはそれで大変なのだ。
 子供は大人の手を焼かせるのが仕事だ。文句は言うまい。
 俺はモッズコートを椅子に掛けると、台所に立つロレックスに並ぶ。手を洗うついでに、自分のカップに冷たいお茶を注いだ。冷たいお茶を飲みつつ、ロレックスが八宝菜を中華鍋で温めているのを横目に見る。今日は中華丼らしい。ケネスの取ってきた筍や春キャベツが、琥珀色の餡に絡んで輝いている。鶉の卵がころころとお玉に転がされ、彩用のグリーンピースが熱の届かない場所で出番を待っている。
 わかめと胡麻の中華スープに、ふんわりと溶き卵が踊るのを眺めながら俺は話しかける。
『最近、仕事してるとヒーローズのガキ共に遭遇する』
『アレフは仕事選ばないもんな』
 いきなり振ったエジンベア語に、ロレックスはきちんとエジンベア語で対応した。
『アレフは歩いてるだけで、働いてけよって連れてかれちまうじゃないか』
 う。否定が出来ん。
 一流企業に勤めていた時も欠かさず、俺は様々な職場で働いた。その影響か、街を歩いているとバイトの経験がある職場のオーナーが手招いてくる。人手が足りないからと一番忙しい時間の行列のできるラーメン店に連れ込まれたり、臨時の補助として関わった保育園の園児達が散歩に出ていれば先生共々追いかけて来たり、新作の相談に乗ってほしいと洋菓子店の店長が引き留めることもある。そういう時に限って、時間が空いてるのだから厄介だ。
 冷蔵庫に入っていた杏仁豆腐を取り出している俺の背中に、ロレックスが訊ねる。
『そういえば、報告はご飯の後で良いの?』
『あぁ、大丈夫だろう』
 俺は振り返りながら答えて、ロレックスの顔を見て小さく頷いた。
「合格だ」
「へ?」
 俺がいきなりジパング語で言った言葉に、ロレックスが目を白黒させた。
「アインツもお前のエジンベア語は、流暢になっていると評価していた。今、俺が話していても特に問題を感じない。これなら、お前をようやく外の仕事へ出せそうだ」
「外?」
 いまいちピンと来ない様子のロレックスに、俺は深々と頷いて見せた。
「ジパング国外の仕事の事だ」
 ロト人材紹介所は、ジパング国外の仕事も引き受ける。難易度も儲けも高いのは国外の仕事で、難しい要求に応えて来たからこその信頼と実績がリピーターを生み出している。一度の失敗で落ちる信頼から生じる損失は大きい。俺も社長も国外の仕事を与えるかどうかの見極めは、慎重だ。
 それぞれに得意分野で割り振る仕事で、ロレックスに振る国内の仕事はほぼ完璧な実績を積み重ねた。
 そして、なかなかに時間が掛かったが、外国の標準語と言えるエジンベア語も習得した。
 一人前として、ロト人材紹介所の職員として、俺達はロレックスを外国の仕事を与える事にした。俺達の築いた人脈を引き継ぎ、生かし、そして新たな人脈を広げていく。自分の、仲間の世界を拡げていくんだ。業務的にはジパングとは比較にならない難易度になるが、ロレックスならば俺達の協力を上手く活用出来るだろう。そこまで心配はしていないが、しっかり頼るんだぞ。
 そこまで話して、妙な沈黙が満ちているのに気が付いた。
 ロレックスの顔を見たい気持ちに駆られたが、あえて無視して続ける。
「当然、まだ単独で任す事は出来ない。だがいずれ、お前は自分で仕事を選び担う事が出来るようになるだろう。外への許可はその第一歩だ」
 まるで自分の事のように、言葉に誇らしさが滲んでしまう。
 俺はロレックスの肩をぽんと叩いた。
「期待してるぞ、ロレックス」
 そうして顔を見て、思わず絶句する。
 見た事もないくらい、きらっきらに眩しい笑顔がそこにあった。確かに一人前の評価に等しい国外の仕事への許可を下したのだ、嬉しいのはわかる。だが、あまりにも嬉しそうなロレックスの表情に俺は思わず後ずさった。
「うん! 俺、頑張る!」
 満面の笑みで夕食の支度を終えると、ジョギング行ってくる!と駈け出して行った。ばたばたばたんと玄関の戸が閉まり、ロレックスの歓声が夜空に消えていくまで、俺は茫然として動く事すらできなかった。
「なんなんだ?」
 業務的な今後を話しただけだったんだが…。
 そういえば、ケネスに褒めてみろと言われたが、評価と今後の事しか並べてない事を思えば褒め損ねたな。まぁ、俺は褒めるのは上手くない。喋ると大抵相手が変に黙り込んでしまうのだから、あまり積極的に語りたくもなかった。
 腹の虫が鳴って、空腹を訴える。
 中華丼を口に運んで俺は一つ頷いた。うん。温かくて美味しい。


■ 金曜日 夕方 ■

 夕方の帰宅ラッシュの雑踏は、濁流の川のようだ。流れに逆らうのは難しく、流れに乗ってしまえば駅のプラットホームまで押し流される。そんな傍ら待ち合わせをしようとする者の集う場所は流れの真横まで溢れ、時に流れに飲み込まれてしまう者がちらほらといた。必死に足掻くも、無理だろう。人の集まりとはそれ程に強大なのだ。
 俺は黄昏で黒く切り立った林のような夥しい人々の森から、1つ巨木を見つける事が出来た。
 片手を上げると、巨木こと背の高いリウレムが笑って手を挙げた。俺は彼の飛び抜けた背丈で探しやすかったし、リウレムはその異常なまでの勘の良さで俺を見つける事が出来た。歩み寄って軽く手を叩く。
「おう、リウレム。お疲れさん」
「アレフさんも、お疲れさまです」
 外交官として働くリウレムが、この時間に帰宅出来る事は珍しい。
 コンビニの視察を依頼した本社は、都内の一等地。近くまで来ていた事もあって、俺達は時間を摺り合わせて待ち合わせをしていた。
「紹介所まで足は伸ばせないか?」
「明日の早朝の便で、エンドールへ発たねばなりませんので無理ですね。夕食はご一緒しますよ」
 そうか。俺は携帯を起動させると、紹介所の共同チャットラインに『外食するから夕食は要らない』と打ち込んだ。ぽんと軽い効果音を響かせて『分かったヨン』とSICURAが直ぐさま返答した。適当に仲間に伝えてくれるだろう。
 裏通りに入り、やや寂れた感じの大衆食堂の暖簾を潜る。お座敷の畳は収穫前の小麦の穂のような色になり、ちゃぶ台は年季が入っている。8割程埋まった席には、会社帰りのサラリーマンで溢れかえっていた。まるで家のような雰囲気の店のジパング料理は美味しい。
 筍御飯や春キャベツの胡麻和え、出汁巻き卵や鯖の味噌煮込み。互いに好きなものを頼んで行く。俺は日本酒を頼んだ向かいで、酒は一滴も飲まないが酒の肴が大好きなリウレムが烏龍茶片手に乾物を摘んでいる。
「最近、ガキ共がバイト始めたみたいでよ。昨日はノアに、今日はティアに会った」
「それは感心な事ですね」
 穏やかに同意したリウレムが促すままに、俺は言う。
 ノアは家庭教師として、俺が関わっていた父子家庭の家族の子供に勉強を教えている。あの父子家庭の長男が様々な料理をノアから教わって、父親にも料理を作ったりするのだろう。子煩悩な父親の事だ。子供の手料理に涙が出る程喜んでいる父親の姿が、容易に想像出来て笑ってしまう。勉強が出来るできないなんかより、学んだ事を喜びに生かせる事は良い事だ。ノアは良い仕事をしている。
 ティアはコンビニでバイトだ。ちょっと接客に向かないタイプだと、ユニフォームに身を包んだ細い身体を見て思ったが杞憂だった。彼はその魅力で人々の心を燃え上がらせている。活気づいた彼狙いの女性達の生き生きとした様子に、真性のマダムキラーの称号を与えてやりたいくらいだ。誰にでも出来る事ではない。彼にしか出来ぬ良い働き振りだろう。
 俺はそこまで話して、ちらりとリウレムを見た。
 食堂の賑わいで騒がしくはあるが、穏やかに相槌を打ちにこにこと耳を傾けるリウレムがいた。俺が見た時は、たこわさをぱくり。
「……お前くらいだな、なんも変わらず聞いているの」
 たこをもぐもぐと噛み締めているリウレムが、首を傾げて無言で問い返す。
「いや、語りだすと大抵 変な沈黙があるからさ」
 たこわさを飲み込んでリウレムは笑う。そして焼き鯖に箸を伸ばして身を解し、大根おろしを乗せてぱくり。俺もつられて焼き鯖に箸をつけた。
「1つ、教えてあげるよ。アレフ」
 リウレムはやや口調を崩して、烏龍茶を飲んだ。さん付けと丁寧語で話すようになったのは、こいつが外交官として働き始めた頃からだったろう。一旦疎遠になったが紹介所を始める事を機に、再び肩を並べるようになりこの口調に慣れない日々が続いた。最終的にはそれがからかいの1つだったと悟る。
 何処まで行っても、こいつは悪戯好きの幼馴染みである。この丁寧な口調で悪戯を仕掛けられると、ムカつき倍増だ。
 ただ、昔のような口調で語る事は、リウレムが本当に聞いて欲しい事を告げる時だ。
「君に『目は口程に物を言う』って諺は、当てはまらない」
「なんだそりゃ」
 蛤の潮汁を啜りながら、俺は呆れた。


■ 土曜日 午後 ■

「あっちゃんおじちゃん、だっこー」
「あっちゃんおじちゃん、おんぶー」
 あぁ、もう! 見つかって直ぐこれか!
 商店街で夕飯の食材を買いに出掛けた矢先、お得意先のグランバニア家の子供達に見つかってしまったのだ。遠くから聞き覚えのある舌足らずな声を聞いた時にはもう遅い。いつの間にか黒髪の双子の頭がそこにあって、福与かな手が両足にしがみついて、丸い黒曜石の瞳が4つ俺を見上げている。
 長男があわてふためく俺を見て、控え目な笑みを浮かべて挨拶した。
「こんにちわ。あっちゃんおじちゃん」
 よじ上って来る子供達を押さえても、どうにもならんのでしゃがみ込む。モッズコート姿が珍しいのか、双子達がコートの中に入り込んで、背中や脇できゃっきゃ賑やかしく遊んでいる。俺は膨らむ変なコートの袖を軽く挙げて長男に挨拶を返した。
 子供達の父親は俺が一流企業で働いていた時の、取引先の社長だった。
 奥さんと喧嘩したとかで、幼い長男を連れて商談しに来たのが全ての始まりだった。その時の俺の幼子のあやし方に感激した社長が、俺の商談の時は『可愛い息子と離れたくない』からと幼子を連れて来るようになった。子煩悩の極みである。止めましょうよと何度も言ったが『妻も休息が取れるので喜んでいる』と言われてしまう。結局、俺を指名しての社長との商談は、幼い長男もセットで多大な奥さんと息子自慢を聞かされた挙げ句に丸く納まる不思議な商談だった。
 ベビーシッターとして雇われるようになるのは奥さんが家をふらりと出て行ってしまう時からだったが、いつの間にか俺は社長一家と家族ぐるみの付き合いをするはめになっていた。
「買い物か?」
 うん。長男はしっかりした顔つきで頷いた。お手伝いは雇える金持ちだが、こんな一般的な常識がとても好ましかった。
 道の脇に退いて、長男が差し出したメモを覗き込んだ。ノアの丁寧な字で、ミートソースのパスタと旬の野菜のサラダレシピが書き連ねられている。ミートソースも挽肉とみじん切りのタマネギを炒めてホールトマトを放り込んで煮詰めれば良いし、確か、固形のコンソメも十二分にストックがあった筈だ。野菜は買い足す必要があるだろう。レタスを千切るのは双子にやらせても良い。
「あっちゃんおじちゃんも、だよね。一緒に買い物しようよ」
 長男がふんわりと笑った。その笑みは見る者を魅了するような不思議な魅力に満ちていたが、双子に見つかった俺に拒否権はなかった。この双子達は、恐らくずっと付いて回る。長男がいるのに、何故だ。
 商店街の雑踏は子供達にはやや危ない。俺は双子達のリクエスト通り、女の子を抱え男の子を肩車した。おかっぱに切りそろえ、可愛く髪を止めるリボンは今日はピンク色だ。女の子は双子の片割れを見上げて『ずるいー』と頬を膨らませた。
 双子達をあやしながら、俺達は買い物を再開した。『あれなにー』『これなにー』の輪唱に適度に答えながら、長男に新鮮な野菜の見分け方だったり、調理の時の手順や双子達に手伝わせる時の注意点を伝える。メモを取るようになった長男の横顔は、すっかり頼れる兄貴の顔である。
 洋菓子店に顔を見せると、ケーキを4切れ、ゼリーを4つ購入して、それぞれ別の箱に入れてもらう。
 俺は双子を下ろすと、一人ずつに箱を持たせた。双子達は緊張した面持ちで、箱をそれぞれ持った。買い物袋いっぱいの両手で大変だろう長男の助けになるように、双子がちょろちょろしない為のお守りだ。効果は抜群だろう。
「ちゃんと歩かないと、転んで大変な事になるからな。ふらふらするんじゃないぞ」
「あっちゃんおじちゃんの、ゼリーがたべたいー」
「あっちゃんおじちゃんの、ケーキがいいー」
 俺は双子達の頭を、やや乱暴に撫で回した。双子達が楽しそうに笑って、撫でる俺の手を取ろうとする。小さい手が無骨な指を掴んで、『とったー』とはしゃいだ。ご満悦な双子達に手を握らせてやりながら、俺は言う。
「次回依頼があったら、どっちか作ってやろう」
「あっちゃんおじちゃん、きてよー」
「あっちゃんおじちゃん、やくそくだよー」
 わかった、わかった。そう答えて立ち上がる。そんな俺に長男はぺこりと礼儀正しく頭を下げると、重そうな買い物袋ががさりと音を立てた。
「あっちゃんおじちゃん、ありがとう」
「おう、頑張れよ」
 俺も紹介所で料理される食材を入れたエコバッグを担いで片手を挙げた。長男の後ろを慎重に双子達が続いている。家まで付いて行ってやる必要はなさそうだ。俺は子供達の行進を見つめて、安堵から溜息を吐いた。
 突然、背後に気配が沸いた。
「あっちゃんおじちゃん」
 ロトの声!?
 面白くてしかたがない。そう声色が物語るソプラノが言い終わる前に、俺は驚いて振り返る。そこには顔を真っ赤にして口元に手をやるロトの姿があった。聞かれていた、バレてしまった。ロトにこの事実が漏れないように、報告書は出来るだけ私情を取り除きを追求をさせないようにしていたと言うのに、なんて事だ…!
「ぷぷ! グランバニアさん家の子供達に『あっちゃんおじちゃん』って呼ばれてるんだね!」
「俺だって好きで呼ばれているんじゃない!」
 俺を『あっちゃん』と最初に呼んだのは、子供たちの父親だった。しかも奥さんの服も着た方が懐くとか言ってきたものあの人だった。
 ちなみにあの奥さんとも面識がある。本当にニコニコと可愛い笑みを浮かべて、かなりとんでもない事を平然とやらかしてくれるのだ。今は不在だが奥さんが在宅時に雇われると、とても心臓に悪い。何をさせられるか、全く予測させない不思議系奥様だ。
 だが、説明はしなかった。ロトは俺の説明や語りに、全く耳を貸さない娘だったからだ。
 ロトは弾けるように笑うと、スキップしながら先を歩き出した。
「あたしもアレフさんの事、あっちゃんって呼ぼうかなぁ!」
「やめろ!」
 折角、ノアに口止めしたというのに、無駄じゃないか!
 全く! 世の中、上手くいかない事だらけだ!