家出少年 de 頑張る君を見に行こう

 ロト人材紹介所は住宅街に溶け込んだ、ごく普通の一軒家。
 オフィスと呼べるスペースの手前、木製の間仕切りられた場所に、シンプルなテーブルと椅子で構成された応接スペースがあった。座り心地のよい椅子のクッション、氷が浮かんだ烏龍茶のグラスががシンプルなコースターに乗せられてうっすらと汗をかいている。何処かで開いている窓からは心地よいさわやかな風が吹き込んで、さわさわと木の葉の擦れる音を置いて通り過ぎて行く。
 私の向かいに座った人材紹介所の社長のロトは、書類をふむふむと唸りながら眺めていた。
 大きな蒼い瞳、ふっくらとした頬、唸ってみたり尖ってみたり笑ってみたり忙しない口元は見ていて飽きない。彼女は私のサインと印鑑を確認し、口を開けて快活に笑った。
「サンドラさん、ありがとう! これで、学校に提出出来るね! とっても助かります!」
「良いのよ。お礼を言うのはこちらの方なんだから」
 家出したアレンを預かっている紹介所の社長は、アレンの持ち帰った家庭向け連絡事項に一通り目を通す。家族に連絡が必要な事には、必ずアレフレッドに連絡を入れて判断を仰ぐ。その点だけでも、弟が『信頼して良い』と言うだけのある誠実さだ。
 だけど、生憎アレフレッドは日帰りだけれど出張に出かけてしまっている。弟も忙しいだろう。
 今回は私がこの紹介所に足を運ぶ事になった。修学旅行へ行く為の積立金への同意書類に、家族のサインと印鑑が必要だったようだ。
 ロトが奥の事務所でコピーを取って、控えをどうぞと手渡して来る。
 クリアファイルに納められているのは、アレンの修学旅行関係の手紙一式と今サインした同意書のコピーだ。ロトがアレンが学校に提出する用のオリジナルを別のクリアファイルに納めている間、私は耳を澄ます。シェアハウスだと聞いた家からは、物音がなく静まり返っている。私はロトに訊ねた。
「そう言えば、アレンは何処にいるの? 今日は学校は休みなんでしょう?」
「アレン君はアレフさんとお仕事に行ってるよ。今日は写真屋さんで七五三の記念撮影のお手伝い」
 はい、どーぞ。
 差し出されたのは駅の近くにある写真スタジオのチラシだ。『早撮り七五三撮影パック、今だけ嬉しい特典満載』と大々的に宣伝されている。
「アレフさんご指名の依頼なんだけど、人手が欲しいからってアレン君連れて行ってるの。アレフさんは普通に生活してたら見れないような所選んで、アレン君を連れて行ってあげてるみたいだからね。きっと楽しんでると思うよ」
「ありがとう。気を遣ってくれてるのね」
 私が静かにそう言うと、ロトは顎に手をやって唸った。
「んー。アレフさんは気を遣ってるって自覚は無いと思うよ」
 そしてロトはにんまりと笑う。立ち上がってずいっと私に顔を寄せた。鼻をふんわりとお日様の匂いが掠める。
「見に行きたい? ううん、見に行こうよ! 頑張ってる所をさ、家族が見てくれたらアレン君嬉しいよ! きっと!」
 言うが早いか半分に減った烏龍茶を慌ただしく下げ、台所でがちゃがちゃと洗った音が響けば、どたばたと家中を駆け回り戸締まりの音を響かせる。誰もいないのに『言ってくるねー!』と声を張り上げ戻って来ると、ロトはレースのカーディガンを引っ掛けて戻って来た。
 私の手を取って、彼女はにっこりと笑った。
「さぁ! 行こう!」
 あの人は、サンドラとは対照的なのかもしれないね。
 そう評した弟の言葉が、脳裏をよぎった。

 ■ □ ■ □

 チラシにあった写真スタジオは、大盛況の賑わいだった。
 客が中に入りきれず、写真スタジオの前の歩行者天国に急遽増設したカフェテリアは満席だ。着飾った奥様達が『今日は一段とお綺麗ですわね』と冷えた社交辞令を交わしている足下で、子供達が戯れ合っている。
 ガラス張りの窓から覗こうと思ったが、撮影している所は残念ながら見えない。
 ロトは私の手を取ると、店の扉を開けてオーナーに挨拶をし、ずんずんと奥へ進んで行った。見えなかったら帰ろうと思っていたのに、ロトは手を引いて私がいつもだったら踏み込まない世界にどんどん進んで行く。
 最も奥まった所にあるスタジオには、背の高いグラマラスな女性が銃器のようなゴツいカメラを抱えて写真撮影をしている。真っ白い巨大なスクリーンが眩しい空間に、1つの家族が微笑んでいる。
 そんな家族の周囲を、アルミ製の反射板を持ったアレンが忙しなく動いている。三脚を担いで駆け回り、様々な方向から照らす照明を調整しているようだ。アレンは首にタオルを掛け、白いシャツが汗で身体に張り付いている。銀色の髪が汗を弾いてきらきらと輝いていた。
 そんなアレンに女性カメラマンが声を掛ける。
「アレン。下からのライティングもう少し上げたいから、反射板を少し上げてくれ…そうだ。さぁ、みんなにっこりしておくれ」
 まるで事務所の鳴り止まないタイピングのような連射音が響き渡る。
 子供達が退屈する暇も与えず、ものの数分で写真を撮り終えた彼女は落ち着いた声色で終了を告げる。カメラマンの背後に用意されたパソコンには今撮った写真の画像データが送られているらしく、家族を集めてカメラマンが写真画像を見せ始める。
「サンドラ姉ちゃん!」
 声に振り返ると、アレンが駆け寄ってきた。
「頑張っているわね」
 私が微笑むと、アレンは火照った顔を更に赤らめた。
「べ、別に頑張ってねーよ! 言われた事やってるだけだし…!」
 言葉とは裏腹に、声の端々には嬉しそうな響きが聞こえる。年頃になってやや尖った事を言うようになったが、相変わらず可愛いはとこだ。そっぽを向いて照れるはとこに、私は思わず笑みが深くなる。
 次の撮影の家族がスタジオにやって来る気配がすると、可愛らしい声が弾けるように響いた。
「あっちゃんおじちゃん!いっしょ!」
「あっちゃんおじちゃん!しゃしん とろー!」
「駄目だ! 何で俺まで映らないといけないんだ!」
 そう、双子に足下に戯れつかれ逃げるようにスタジオに出て来たのは、副社長のアレフだ。シャツとジーンズの出で立ちに、腰回りには化粧道具や髪結いの道具など今の仕事に必要なものを詰め込んだ道具鞄が括り付けられている。
 双子の女の子の髪を直そうとしゃがめば、男の子が抱きついて来る。怒りながらも上手くあしらい、アレフは簪を外して唇で挟むと手早く髪に櫛を通し簪を挿し直す。男の子を捕まえれば乱れた着物をさっと整える。立ち上がったら学生服の子供の学ランの皺を伸ばしてやり、子供達の父親だろう男性のネクタイの曲がりを直す。
 一挙一動に無駄が無く洗練された動きは、まるで踊っているかのように優雅だ。確かに…万能過ぎるわね。
 手持ち無沙汰な手でシャッターを切るカメラマンを怒鳴り、行って来いと促すのに尚も戯れ付いて来る子供達と、その様子に悔し涙を浮かべる子供達の父親をジト目で見遣っていなければ完璧だったかもしれないわね。
「懐かれているのね」
 私の言葉に部下を見つけた瞬間から、笑みを輝かせたロトが誇らし気に頷いた。
「アレフさんが手伝いに来る日を狙って、写真を撮りに来るみたいよ。子供達もリラックスするし、良い写真が撮れるって評判なの! ママさんネットワークって凄い!」
 賑やかな声に待合室にいた子供達が、わらわらと集まって来る。『あっちゃん』と賑やかしく戯れ付く子供達に、アレフは苛立ちを隠さず言い放つ。
「おい! ここは幼稚園じゃなんだぞ! 俺は仕事中なんだ! 邪魔するな!」
 『えーーー』と不満の大合唱に、アレフが深いため息を漏らした。そんなアレフにアレンが可笑しくてたまらない様子で笑った。
「大丈夫かよ、アレフ。身動き取れてねーぞ」
 子供の輪の外からの言葉に、アレフが眉間の皺を深く刻んで怒りを飲み込んでから言葉を吐き出した。
「その為に人手としてお前を連れて来たんだ。俺の分まで働け」
「言われなくたって、分かってるよ!」
 楽しそうにアレンが言えば、アレフは子供達を引き連れて奥の準備室に引き蘢った。わいわいと賑やかな声の合間に、アレフの怒鳴り声が響く。怒鳴れば嫌がれば、子供達はより大きな声で楽しそうに騒ぐのだった。
 カメラマンの女性が双子と歳の離れた学生の子とその父親を並べ始める。細かな照明の指示をアレンに言うと、アレンは三脚を栗鼠のように登って明かりを調整し始めた。もう立派なアシスタントだ。
「頑張ってるわね」
「うん! アレン君、頑張り屋さんだもんね!」
 ロトがにこにこと仕事をするアレンを見遣って、誇らし気に言った。彼女の賞賛が気持ちよく響く。
 ふわりと身を翻すと、私のスーツの袖を引いた。
「サンドラさん! ケーキ食べに行こう! 美味しいお店、知ってるから!」
 忙しない子ね。
 私はロトに引かれてスタジオを出る。さわやかな風が髪を撫で回し、日差しが暖かい。
 目を細めた視線の先で、ロトが眩しいと騒いで日陰に飛び込んだ。その無邪気さに思わず笑ってしまった。