あっちゃん と いっしょ

 保育園と幼稚園が併設されている園内は、子供達の声で溢れている。運動スペース以外は芝生が柔らかく地面を覆い、遊具や木登りに丁度良い木が茂っていたり堅苦しくない雰囲気だ。丁度お迎えの時間で、子供達を迎えに来た奥さん達が次々と門を開けて入って行く。
 俺も彼女等の後から入り、すのこが敷かれた渡り廊下から室内を覗く。
「あっちゃんだ!」
 誰かが俺を見て言うと、わらわらと子供達が出て来た。このまま室内履きで園庭に出て行きそうな勢いだったので、俺は靴を脱いで すのこの上に上がった。
 催し物で男手が必要になると、この幼稚園や保育園は依頼を出して来ていた。迎えの頻度も割と高めなので、子供達やその親とも面識がある。しかし、なぜ、こんなに懐かれるんだろう?
 押しやられて涙目になった女の子を抱き上げていると、保育士の女性が顔を見せた。子供が好きで元気な先生は、豊かな金髪を三つ編みにしている。動きやすそうなパンツとポロシャツに、オレンジのエプロンと『プックル組』を示す虎柄の猫のアップリケが胸元に縫い付けられている。
「あっちゃん。今日は誰のお迎え?」
 俺から半べその女の子を受けとると、プックル組の先生が朗らかに笑った。
「グランバニアさんの双子だ」
「あらあら、ラインハットさんの子かと思っていまいましたわ」
 鈴を転がすように笑ったのは、『ホイミン組』の先生だ。腰まであるだろう豊かな青い髪の女性で、清楚で優しい印象の先生だ。青いエプロンの裾を握っている緑の髪の子供が、鋭い瞳で俺を見上げている。
「きょうは おれじゃ ないのかよー」
「悪いな、コリンズ」
 ふくっと頬が膨らんだ。ラインハット家も、ベビーシッターで関わっている家だ。奥さんの事情が複雑な家で、長男と末弟は実の兄弟だが、次男は腹違いの兄弟になる。次男は大人しく賢い子なのだが、長男と末弟はガキ大将だ。
「あっちゃんおじちゃーん!」
「あっちゃんおじちゃんだー!」
 ぱたぱたと駆け寄って俺の足に飛びついて来たのは、グランバニア家の双子だ。
 双子の後からモデルウォークでやって来たのは『ローズバトラー組』の先生だ。ピンクのエプロンに赤い薔薇のアップリケ、黒髪は夜の職業のように飾り立てて結い上げられ気の強い瞳が俺を見つめている。口調はキツく女王のように振る舞っているが、子供達の事を良く見ている人気の高い先生である。
「今日はあっちゃんが迎えに来るからって、お父さんとのバイバイもあっさりだったわ。引き離す手間がなくて楽だったけど、お父さん拗ねてたわよ」
「ご迷惑をお掛けしてます」
 本当に子煩悩だな。俺は父親の代わりに頭を下げる。
 子離れ出来ない親を具現化させたような人で、送りにやって来ても別れるまでに10分は必要な人らしい。先生方総出で『お父さん、会社遅れますよ!』と叱咤され引き剥がさないと駄目らしい。秘書は駄目だ。あのぽっちゃりとした秘書も『坊ちゃんとお嬢ちゃんをお連れしましょう』と促すような人だ。『このまま子供達を会社へ連れて行く』と抱き上げようとした回数は3日でカウントしなくなったとか。
「あっちゃんおじちゃん やくそく けーき!」
「あっちゃんおじちゃん やくそく ぜりー!」
「分かってる、今日はケーキの材料を買ってきた。ゼリーはもう少し暑くなってからだ」
 双子達が大喜びで、思わず俺も唇の端を持ち上げてしまう。
 そんな双子の片割れを乱暴に叩いたのは、ラインハット家の悪ガキだった。じわりと涙に歪んだ黒い瞳からぽろりと1つ零れれば、大きく泣き出した。あぁ、ったく。俺はまだ『男だから泣くな』と言って自制させるには早過ぎる子供が抱きついて来るのを受け止めて、叩かれた頭を撫でてやった。それ程強い力ではなかったから、直ぐ落ち着くだろう。
「おい、コリンズ。叩いたら駄目だろう」
「こぶんのくせに なまいきだ!」
 そういって頬を膨らませ、俺を睨み上げた。
「あっちゃん! おれも いく!」
 流石、ガキ大将。俺は先生三人に視線を向けたが、三人娘は手助けは出来ないとばかりに曖昧な笑みを浮かべた。
 ちょっと待っていろ。俺はグランバニアの所の息子を抱きかかえながら、携帯電話を取り出した。仕事のカテゴリーからラインハットさんの電話番号を呼び出すと、通話ボタンを押す。電話に出たラインハット家の奥さんは、丁度井戸端会議の真っ最中だったのだろう。賑やかな奥様方の声を聞き流しながら、息子がグランバニア家に行きたいと要求していると説明する。
『追加のお代は、後で出させて頂きますわね』
 金持ちで理解があると、スムーズでありがたい。同じマンションで長男同士が同学年で幼馴染みなので、グランバニア家とラインハット家は家族ぐるみの付き合いだ。互いの家を子供達が行き来する事は、両家が認めていた。
 俺は電話口で礼を述べ、帰りの予定時間を告げて通話を切った。
「よし、コリンズも行くぞ」
 ぱぁっと嬉しそうな笑みを浮かべたコリンズを見ると、まだまだ子供だと思う。ガキ大将だが、人一倍甘えたい自分を見て欲しい子供だ。
「えー コリンズくんも いっしょなのー?」
「コリンズくん たたくから やだー!」
「おれの こぶんのくせに もんくをいうな!」
 双子の不満に拳を振り上げようとしたコリンズの脇を、俺はさっとくすぐった。途端に笑って身を捩り『あっちゃんずるい!』と小さい拳が振り下ろされた。ぽかぽかと叩いて来る拳を適当にあしらいながら、俺は立ち上がって三人の子供達に言った。
「さぁ、いくぞ」
 はーい! 子供達の声が元気に揃った。

 ■ □ ■ □

 高級マンションの中庭は緑の多い総芝生。遊歩道は煉瓦で整備され、奥さん達が井戸端会議で忙しい。『あら、あっちゃん』そう声を掛けて呼び止められれば、適当に巻き込まれないように当たり障りのない返事を返して通り抜ける。紹介所のメンバーにこの仕事を任せられないのも、この奥さん達の力関係に巻き込まれないようにする為だった。一流企業に勤めていた時の、重役の奥さん方との付き合いが変に生かされている。
 グランバニア家の玄関を開けて、先ずは子供達を着替えさせる。実はコリンズの着替えもあったりする。子供達が手を洗っているのを横目で見ながら、洗濯機を動かし始める。角ハンガーを竿から下ろしてテーブルに置くと、手伝いたくて仕方がない双子に洗濯バサミから洗濯物を外させる。
 その隙にオーブンに準備していたケーキ生地を放り込んで、焼き始める。
「あっちゃんは こぶんの あつかいが うまいな」
 そうコリンズが生意気な顔で言う横で、双子達が次々に籠の中に乾いた洗濯物を放り込んで行く。
「あっちゃんおじちゃん できたー」
「あぁ、助かる。ありがとう」
 俺はそう言って双子達の頭を撫でた。にこにこと嬉しそうに撫でられるのをみて、コリンズもやる気になったらしい。『助かる』は子供達には魔法の言葉だ。タオルを畳ませながら、俺は手早く衣類を畳んで重ねて行く。
 そうこうしている間に、部屋に良い香りが満ちて来てケーキの生地が焼き上がるのを告げていた。子供達に熱いから触るなと釘を刺しながら、俺はテーブルの上にふかふかに焼き上がったケーキの土台を乗せた。
「さぁて、色々手伝ってもらうぞ」
 そう俺が言うと、子供達の顔が輝いた。
「とんとんしたいー」
 はいはい。小さい手を覆うように大きな俺の手が包み込む。苺は子供に好かれる果物だが、丸くてころころしてしまうのが厄介だ。俺は柔らかい肌を切らないように、細心の注意を払いながら子供が握る果物包丁を支える。荒刻んだ苺の半分は、鍋に同量の砂糖と蜂蜜を入れて、ジャムにする。焦げないように手持ち無沙汰の子供に掻き混ぜる番をさせれば、唇を尖らせてとても真剣だ。
「まぜるのやりたいー」
 生クリームも同時進行だ。3人いるとそれも任せる。最後の仕上げで俺がやれば良いので、過程が適当でも平気だ。最後の仕上げで俺がボウルの中身が見えるように泡立てると、子供達が目を輝かせて魅入っている。スライスしたスポンジにさっと煮詰まったジャムを塗り、生クリームをへらで広げる。
「さぁ、好きなように盛りつけろ」
「いちご おいしいー」
「食うな」
 子供達に時間をたっぷり与えて、ケーキの盛りつけを楽しませる。盛りつけの段階になると、最早、試食か遊びかわからないのはご愛嬌だ。
 こまめに振り返りながら、晩飯の支度をする。肉団子を丸めて火に掛け、野菜たっぷりの甘酢餡は別の鍋で味を整えて火を掛ける頃合いにはテーブルの上は戦場のような有様である。
 俺はコリンズの頬にぺったりと付いた生クリームを拭い取りながら、最後の仕上げに取り掛かった。子供達が触って傾いたスポンジを直し、指の跡がボコボコする側面を、へらで綺麗にならす。苺も載ってしまったトップは、うまい具合に生クリームを乗せて誤摩化し、網目状に細くジャムと蜂蜜を垂らして細かく砕いたナッツを散らす。
 指先に付いた生クリームを舐めて、俺は1つ頷く。子供向けに少し甘めに作ったが、許容範囲内。
「かんせいー」
「おいしそう」
「たべよー」
 完成したケーキを前に、きらきら輝く笑顔の子供達をカメラに納める。これは子煩悩な父親たっての希望だった。
 一回ケーキを下げて、ベタベタになったテーブルを子供達に拭かせる。綺麗になったら手を洗わせ、リビングのローテーブルを指差した。ランチョンマットを敷かせ、お皿とスプーンとフォークを並ばせる。硝子のグラスに氷を入れさせて、オレンジジュースを注ぐ手を支えてやる。一人前にお手伝い出来るんだって、胸を張る子供達がちょこまかと台所とテーブルを往復した。
 さて。俺はケーキを切り分ける為に包丁を握った。
 今日はノアの家庭教師がある日だ。ノア、長男、双子にコリンズ、後は今日遅く帰って来るグランバニアさん。6等分だな。
 そのうち3つを皿に乗せ、冷凍庫からバニラアイスを取り出して一緒に丸く盛りつける。クッキーを砕いてバニラアイスの上に散らすと、残ったジャムをバニラアイスと皿に描くように垂らす。見た目は悪くないな。俺は頷いた。
「出来たぞ」
 声を掛けると、子供達がわっと寄って来た。それぞれに皿を持ってローテーブルに着いた。ソファーとテーブルの間にすっぽりと納まった三人は、膝の上に手を置いてじっと何かを待っている。俺は炊飯器から御飯が炊きあがった事を知らせる音を聞きながら、何かを待っている子供達に尋ねた。
「ん? どうした? 食べて良いぞ」
 双子の片割れがぱたぱたと歩み寄って来て、俺の手を掴んだ。
「あっちゃんおじちゃん きてー」
「あっちゃんおじちゃん すわってー」
「あっちゃん とくとうせきだぞ」
 気が付けなかったが、オレンジジュースの入ったグラスが1つ多い。俺の分として用意したのか。流石に、オレンジジュースはちょっとな…。俺は首を横に振った。
「俺はいい」
『ダメ!』
 三人の大合唱にどうするべきかと眉間に皺を寄せていると、不意に玄関が開いた。
「ただいまー」
 入って来たのは長男とノアだ。もうそんな時間かと時計を見て、僅かに焦りだすのを押し止めた。子供達はケーキをあっという間に平らげてしまうだろうから、コリンズを送ると約束した時間までは余裕がある。
 良い匂い。そう大人しさにあまり感情が出て来ない長男が、顔を輝かす。
 ノアも相変わらず俺の格好を見て硬直するが、そろそろと視線を外した。結局ロトに『あっちゃんおじちゃん』と呼ばれるのがバレ、芋蔓式にヒーローズにも広がってしまったのだ。ヒーローズで『あっちゃん』とからかわれるのも、最早日常茶飯事である。ノアの口止めも今更でもう必要ない。俺はノアから視線を外して長男に言った。
「ケーキを焼いたんだ。食うか?」
「あっちゃんおじちゃんのケーキ! 食べる! 先生も食べよう!」
 おい、着替えもしないつもりかお前。
「盛りつけを子供達が手伝ってくれた。待ってろ、今用意してや」
 る。
「だめ! あっちゃんおじちゃんはこっちー」
 指先をまだ掴まれていたのを忘れていた。そんな俺を呆れた表情で見ていたノアが、上着をハンガーに掛けながら言う。
「盛りつけなら、オレがやるよ。あんな感じにすれば良いんだな?」
 あぁ。俺は手短に冷蔵庫のケーキやジャムの場所、冷凍庫のバニラアイスの場所を教える。ノアも俺が雇われない日は長男と調理をする関係で、冷蔵庫の中は勝手知ったるものだった。なかなかの手際の良さで長男とノアの分が用意される。子供達の皿のバニラアイスも一番美味しい具合に柔らかくなっていた。
 子供達が駆出して、ローテーブルにランチョンマットやスプーンやフォークを用意する。オレンジジュースは少なくなっていたので、一人で出来るとコリンズが得意顔で注いでいた。長男が揃って、ローテーブルに座る。子供達が俺を見上げた。
「あっちゃんおじちゃん」
「あっちゃんおじちゃん」
「あっちゃん」
 そうだ、まだ握られてたんだ。手を離すと俺が台所に逃げてしまう事を、子供だからこその鋭さで理解しているのだ。その通り、凄く逃げたい。だが、指を振り解く訳にもいかず、俺は小さく嘆息して『わかった』と答えるしかない。渋々座ると、子供達が声を揃えた。
『いただきます!』
 はいはい、どうぞ。俺は投げ遣りに言いながら、子供達が美味しそうにケーキを突くのを眺める。自分が長男くらいの年齢に戻ったような気持ちだった。ケーキの美味さは児童養護施設時代と比べる事は出来ないが、ケーキを頬張る子供達の笑みは変わらない。アレ兄と今も慕って来るガキ共は、なんだかんだ可愛いがってしまう。
「あっちゃん ひとくち あげるー」
「あっちゃんおじちゃん あーん」
 吃驚した時には遅い。ケーキやらアイスやら苺やら乗っけた三本のスプーンが、顔に迫って来た。
「ちょ! まて!」
 背中に密着するようにソファーがあって、俺は座った段階で逃げ場が無い事にようやく気が付いた。しかし、子供達は小さい故に自由自在だ。膝に乗ったり背に凭れ掛かって来たり、おい、テーブルの上はダメだ、確実に包囲網を築いている。こんな時だけはコリンズと双子の息はばっちりだ。
 長男、笑って助ける気ないだろ! ノア、お前背中向けてても笑ってんのバレてるからな! 覚えてろ!
「あっちゃんおじちゃん」
 はいはい。口の中の甘ったるさと、纏わり付いて来る子供の高い体温に俺は嘆息した。
 慣れとは、恐ろしい。