酔って狂乱、醒めるな沈め
ヒーローズの新しい基地の大きな柱時計が、ぼーんぼーんと大きな音で夕刻を告げた。
飲み会を開始する一時間前だ。アレフさんが仕事を終えて、こちらに直行して到着するのはそろそろだ。あたしが文字盤を見ていると、この家に住み着いているフェイさんがとことこと玄関に向かって行く。
「おう、アレフ。いらっしゃい」
「おう、フェイ。邪魔するぞ」
ターゲットさん、いらっしゃーい。
あたしはアドル君と1つ視線を合わせて、互いににっこりと笑った。いってくるねと手を挙げると、アドル君はいってらっしゃいと手を小さく振った。廊下に顔を出せば、アレフさんが靴を脱いで上がって来た所だった。
「アレフさん、ごめんね。急に仕事入れちゃって…」
気にするな。そう言いながらアレフさんは、足早に台所へ向かった。やっぱりね。あたしもアレフさんの後をついて行く。
台所はちょっとした戦場になっていた。
ティア君とアレン君が大量に買い込んで来てくれた食材の量だけでも凄かったけど、10人分になるだろう料理を作るのはノア君とサルムさんだ。流石、ロイトさん一族の本家なだけあって、大皿の大きさが凄い。
甘酸っぱい香りの酢飯に、一口大の魚介類が混ぜ込まれ錦糸卵で飾り付けられたちらし寿司。野菜も摂らなきゃって栄養士の観点から、ホタテとサーモンのカルパッチョ。ゾーマさんの秘書さんが持って来てくれた、カザーブ特産のソーセージはシンプルにグリル。切り分けられたキッシュが、ちょっとっした街みたいに盛りつけられている。それ以外にも、もう沢山の料理が運び込まれてるはずだ。
その横でティア君が大量のカクテルを作っている。ティア君がシェイカーを振る動作が、なんだか本物っぽくてカッコイイぞ。
皆が料理の準備に追われているのを見て、アレフさんが声を掛ける。
「大丈夫か? 今からなら手伝えるが…」
ノア君とサルムさんが同時に振り返った。二人ともエプロン姿よく似合ってる!
「だ、大丈夫だよ! な、サルム!」
「あ、ああ! もう、殆ど出来上がってるから、後は運んでもらうだけだ!」
動揺が丸見えでヒヤヒヤしたけど、アレフさんは横から『はいはい、どいたどいたー!』と元気に配膳するレック君に押し退けられる。アレン君も渋々の割に唐揚げとフライドポテトのロンダルキア盛りに目が輝いている。
そんな二人を見送りながら、あたしはアレフさんに囁いた。
「大丈夫だよ、アレフさん。さ、行こう!」
あぁ。アレフさんの背中を押しやる。
台所はあんまり見せられないんだよね。アレフさんじゃバレちゃうかもしれないもん。
世の中には食べ合わせってものがある。この食材同士を一緒に食べると、お腹が痛くなっちゃったり、逆に健康になったりする。それはお酒の世界でもそうで、あるお酒の成分とある食材の成分を同時に摂取するとアルコール血中濃度が凄く上がるとか、調理方法によってはアルコール分解酵素の働きを抑える成分になる食材もある。普通に生活して普通に御飯食べてれば、そんな組み合わせを口にする事はまず無い。
でも、今回の飲み会は普通じゃない。
酔い潰れないと噂の、ゾーマさんとアレフさんを酔い潰す事を目的とした飲み会なんだ。
あたしはアレフさんが振り返らないのを見て、ちょっと意地悪な笑みを浮かべた。
それは一週間程前の事だったかな。
『ロトは見た事あるの? アレフが酔い潰れている所?』
ううん。アドル君の問いに、首を横に振る。
紹介所ではお酒に興味があるのが、アレフさんだけだ。ケネスさんは酒よりも煙草だし、リウレムさんは一杯でも飲むと酷い二日酔いになるから一滴も飲まない。あたしはお酒臭いの好きじゃない。ロレックス君とアインツちゃんは、まだお酒は呑んじゃ駄目だ。
しかもアレフさんは独り酒もしない。
良く考えると、アレフさんのお酒事情って良く知らないや。強いとだけしか知らない。
『サルムとアレフレッドの話じゃ、アレフとゾーマが酔い潰れた所を見た事が無いらしいんだ』
その言葉に興味を示したのはレック君だ。
『あの美形で完璧なゾーマと、無愛想で怒りっぽいアレフが酔っぱらうとか、なんだか面白そうなだな。どんな風になるんだろう?』
怒り上戸? アレフだったら通常運転だね。
泣き上戸とか? うっわ、思わず土下座しちゃいそうだぜ!
絡み上戸なんてどう? どっちも絡まれると凄そうだな。
笑い上戸は? ごめん、想像できないや。
二人があーだこーだと酔った二人を想像してるんだね! とっても、とっても面白そう!
あたしは目を輝かせながら、二人の間に飛び込んだ!
『面白そう! あたしもアレフさんが酔いつぶれたところ見たいなー! 介抱もしてみたいなぁ!』
アレフさんやゾーマさんには悪いけど、あたし達の探究心は誰にも止められないよ!
「やぁ、アレフ」
ゾーマさんが奥の席から、爽やかな笑みを浮かべてアレフさんに声を掛けていた。青い長髪を緩く結び背中に無造作に流し、端麗な顔を飾るサファイアのような瞳がアレフさんを歓迎しているようだ。女性なら惚れ惚れしちゃうんだろうなって、あたしは世界屈指のソフトハウスに成長しつつある会社の社長さんを見ていた。
テーブルの上は正に宴会そのものだ。アレフレッドさんが、きっちりと箸置きに箸を並べて置いているのが几帳面過ぎるや。どんどん配膳される大皿を並べていたアドル君が、アレフさんに声を掛けた。
「ゾーマの隣に座ってくれる? 奥から詰めてくれないと、全員座れないから」
それも、実は作戦。
手前に座らすと、アレフさんは直ぐに席を立って細々とした事をしてしまうのだ。そしてゾーマさんが座っている場所は、皆から良く見える位置。酔い潰れた二人を見る為の特等席なんだ。
アレフさんは小さく眉根を寄せはしたけど、アレフレッドさんが小皿を並べる邪魔になってしまうから素直にゾーマさんの隣に腰を下ろす。居心地悪そうに座ったアレフさんにゾーマさんが笑った。
「たまには用意してもらう側も良いのではないかな?」
うーん。そうだな。アレフさんは呻くように渋々同意した。
そうこうしているうちに、料理は全て食卓の上に並んだ。運び込まれる酒瓶やクラッシュアイスが山盛りにされたステンレスの桶、未成年用にジュースや烏龍茶が運び込まれる。ティア君がお盆に乗せたカクテルの種類を見て、アレフさんが感心したように言った。
「ジントニック、モヒート、カンパリソーダ、サウザショットガンに辛口ジンジャーのモスコミュール。甘くないカクテルだな」
「ノアのレシピ通り作った。味見してみて」
アレフさん達の目の前には甘くないカクテル達を、ノア君達が座るだろうエリアに様々なチューハイや甘めのカクテルをそれぞれ置く。
続々と集まりだした。アレフさんの隣にあたしがちょこんって座ると、皆がそれぞれに席を埋め始める。早速唐揚げに手を伸ばそうとしたアレン君の手を、アドル君がぴしゃりと叩いた。ノア君がちょっと遠いからって、あたしに梅ソーダを持って来てくれた。丸々とした梅が炭酸と氷の中でふわふわと浮いている。
レック君がビールジョッキ片手に立ち上がった。
「よーし! 皆の衆! 飲み物は持ったかー!?」
アレフさんがジントニックを、ゾーマさんがモスコミュールをそれぞれに持つ。アレフレッドさんがサルムさんにワインを注げば、サルムさんはウィスキーをグラスに満たした。ノア君がチューハイを迷いながら一つ取り、ティア君はカルピスを、アドル君はジンジャーエールを、アレン君はサイダーをグラスに注ぐ。フェイさんはお酒が好きじゃないのかな? 未成年組のお盆から烏龍茶を取っていた。
全員に飲み物が行き渡ったのを確認して、レック君は高々とビールジョッキを掲げた。
「飲もうぜ!野郎共!かんぱーーーい!!」
生ライブテンション。
乾杯の声と澄んだグラスの音が次々と響き渡った。
割と近くに座っていたブラックズが雑談を交わしながら互いに杯を勧め、次々と料理が皆の口に運ばれて行く。空になったお皿はアレン君やアドル君が下げてくれて、出来上がって用意されていた追加の料理を持って戻って来る。ノア君もティア君と手分けをして、面白い組み合わせのカクテルやチューハイを開発してるみたい。隣でうずうずと手を出したくて仕方がないアドル君が、ちょっと可愛い。
宴会が始まって、皆のお腹がそれなりに満たされ始めた頃。アレフさんが片手で顔を覆った。
「なんだろう…? そんなに量を飲んでいる訳ではないのだがな…」
アレフさんの瞳に鋭さが消えた。
この状態ならあたしも見た事がある。見た目は全く酔っていると感じさせない。顔色も受け答えも足取りも普通通りだ。
でも、酔ってる。
小さく首を傾げたアレフさんの杯に、あたしはお酒を注ぎ足した。ストレートのエジンベアウィスキーの原酒とクラッシュアイスがじゃらじゃらと音を立てて転がり込み、カットレモンの爽やかな香りがぱっと広がる。ここからが本番だもん、特製カクテルをまだまだ飲んでもらわないとね! アレフさんはわるいなと言って、注がれたお酒を何の疑問も抱かず口にする。
皆も酔って来たアレフさんを、物珍し気に見ている。すっぱりと刺々しい雰囲気が無くなって、ふわふわしている。声を掛けると眠気を誘う程に穏やかな低い声で返して来て、不機嫌そうな様子も怒る事も無い。いつもこうなら良いのに、子供達の誰かがそう言った。
こうなったら、簡単に立ち上がらないだろう。あたしはアレフさんの隣を離れて、オレンジジュースを貰いに行く。
「アレフは酔って来たね」
アドル君の面白くて仕方がないと言いたげな笑みを見ながら、あたしも小さく頷いた。
「でも、ゾーマさんは全然変わらないね」
アレフさんの隣で杯を重ねていたゾーマさんは、全く何も変わらなかった。代わる代わるお酌をしに来る子供達やサルムさんやアレフレッドさんに、礼を述べて背筋を伸ばした美しい姿勢でお酒を飲んでいる。
その状態が続いて、ノンアルコールで様子を伺っていたレック君が陽気に歌って踊りだした。周囲の皆を巻き込んで、ギターをかき鳴らしながら踊りだす。とっても上手!あたしも手拍子しながら、宴会で盛り上がる一角を眺めていた。
「やはり、冷たいシャンパーニュ産のスパークリングワインを飲む時は、隣に砂漠の国の女王イシスが居るべきだな」
そう、ぽつりと漏らしたのはゾーマさんだった。
がんとテーブルに叩き付けるようにショットグラスを置くと、アレフさんは吹き出した。そう、吹き出した。
「遂に酔っぱらって来ちまったな、ゾーマ!」
「あの砂漠の大地に黒く磨かれたしなやかな腕が、白ワインに透けて黄金色に見える様は本当に素晴らしい事だろう。砂漠に翳せば、金と宝石を眺めてるようだ。彼女等の体温は、オアシスのように冷たく感じて心地が良いに違いない。その水のようになめらかな肌、砂漠の影の恵みのような黒髪、魂さえも覗き込むアーモンドの形の整った黒曜石の瞳…」
アレフさんが絶えきれずに笑った。そう、笑ってる。
「あぁ、分かるよ。砂漠の民は本当に美人ぞろいだ」
ゾーマさんが朗々と響き渡る声で、歴史上最も美しいとされる女王に捧げる詩を朗読し始めた。甘い月夜に水辺で語られたら、これ以上ロマンティックな展開は無いだろうってくらい甘くて素敵な詩だ。
でも、ここが宴会の会場で圧倒的に男性が多い環境だって事は、見えてるのかしら? しかもアレフさんがグラスを置いた音が響いた時点で、皆の視線が集まってるんだけど。
大爆笑が響き渡った。レック君の声じゃない。笑い声の主はアレフさんだった。
「お前のその美女語り、何度聞いても笑えるよ!」
杯を手放しはしないが、お腹を抱え涙目になって口まで大きく開けて笑っている。
あたしは思わず目を丸くした。だって、微笑む程度なら見た事があったけど、こんな大笑いしているアレフさんを見た事が無い! それは他の皆も同じだ。延々と語るゾーマさんと、その隣で只管笑い続けるアレフさんに釘付けだ。
この二人。潰れるとこんな風になっちゃうんだ…。
「凄いなぁ。君達は酔い潰れるとこうなるのか…」
呆然とアレフさんとゾーマさんを見ていたアレフレッドさんが、皆を代表してようやくそう言った。
「そういえば、お前ら二人は見た事無かったな! いや、本当にゾーマの美女語りは面白いぞ!」
レック君並の爆笑王と化したアレフさんが、笑いながらでカンパリソーダに手を伸ばした。アレフさんと同じタイミングで、ゾーマさんもソルティドッグを手にする。目の前で豹変している友人の状態に眉1つ動かさないゾーマさん、絶対に酔ってるね。
「俺はアレフに語るのも、初めてな気がするぞ」
「潰れるまで飲んだお前は、翌日には記憶も酒も残らねぇからな!」
ゾーマさんとアレフさんは全く噛み合ない会話と笑い声を交わしながら、酒を酌み交わす。うん、想像以上に凄い。
目的達成で大満足。レック君もアドル君も、他の皆も宴会を普通に楽しみだした。何をやっても笑ってくれるアレフさんが珍しくって、ちょっかいを出すのはアレン君とティア君だ。アレフさんの笑い声が、レック君のテンションバーンと相まってとても盛り上がっている。
アレフさんの隣に戻って来て、あたしはしげしげと隣に座っている人を見た。
見慣れた茶色い髪、茶色い瞳、輪郭も鼻筋もアレフさんのものだ。アレフさんが楽しそうで凄く嬉しいけど、その表情は見覚えが無い。
アレフさんじゃ、ないみたい。
「大丈夫か? ロト」
ふえ!? アレフさんが振り返って、吃驚しているあたしを見下ろした。口元は相変わらず楽しくて仕方がないみたいに歪んではいるけど、瞳はお酒に呑まれていない理性の光が灯っている。
「え、あ、大丈夫だよ。何でも無いよ」
アレフさんがあたしをじっと見て、首を傾げた。笑いが止んで、いつものアレフさんの顔に戻って行く。
「そうか? 酒の臭いが好きじゃなかったろ? 気分が悪いなら窓でも開けさせてもらうか?」
あたしはぶんぶん首を横に振った。
「本当に何でも無いのっ! やっぱり、アレフさんだったからいいのっ!」
「お、戻った。ロトはそうでなくてはな」
安心したような柔らかい笑みが広がって行く。あぁ、もっと笑えば良いのに!
「アレフさん、これからはもっと笑ってよ!」
「なんだそれ」
アレフさんが吹き出して朗らかに笑って、グラスを置いた。静かに目を閉じた瞬間、がくりと糸が切れたようにテーブルの上に突っ伏す。アレフさんの頭がテーブルの上に落ちた音が想像以上に響いて、ゾーマさんですら驚いて語りを中断し、全員が目を丸くして沈没した頭を見遣った。
「死んだ?」
誰かがぽつりと言って静まり返った空間に、静かに寝息が響き始めた。聞こえた寝息にちょっとホッとしたように、アドル君が笑った。
「完全に潰れたね」
「アレフさん、せめて横になって寝なよー」
引っ張るとアレフさんの身体が力なく倒れ込んで来る。わわ、どうしよう!と思ったけど、アレフさんの頭は丁度あたしの膝の上に落ちて来た。前髪の下に指を滑り込まして掻き上げると、あーあ、おでこが赤くなってる。
うっすらと微笑むように眠るアレフさんの顔を見て、あたしは微笑んだ。
ごめんね。
アレフさんは嫌がるだろうけど、どうしても見たかったんだよ。
「おやすみ。アレフさん」
明日は、お休みにしてあるからね。