探偵はお節介が多め

「お疲れさまでした」
 男物のモッズコートを羽織った女性が、有名菓子店の裏口を開けて出て来た。茶色い柔らかい髪を結い、アメジストで作られた紫陽花の簪で止めている。メイクは必要最低限だったが、顔立ちの整った美しい女性だった。目元は鋭く唇は引き結んでいて、抜き身の刃のような雰囲気が男性を惹き付ける魅力を放っている。モッズコートで包んでいるが、すらっとしたスレンダーなシルエットが綺麗だ。肩掛けのショルダーバッグが、細い背中で跳ねた。
 小さく振り返り、柔らかいアルトを響かせ挨拶する。ジパングに惚れ込んでサマオンサから遥々店を出した職人が女性に向ける笑みで、彼女の苦労を労う。
「駅まで送ろうか?」
「お店を放ったらかすなよ。大丈夫だから」
 女性は呆れたように微笑んだ。僅かに唇の端を持ち上げるだけで、堅い氷が溶けるように雰囲気が変わる。彼女はしなやかな指先で、職人の肩をぽんぽんと叩いた。職人も優しく笑みを浮かべ、気をつけてと言って裏口の戸を閉めた。
 彼女はすっとこちらに視線を向けた。睫毛の長い瞳がやや伏せられ、茶色い瞳が射抜くように見て来る。
 隠れている必要はない。僕は彼女の前にゆっくりと歩み寄った。ビルの隙間風にはためいたトレンチコートが、ポリバケツや箱で雑然とした狭い裏路地いっぱいに広がった。彼女は先程とは打って変わって、警戒を声にしたような声色で言った。
「アレクか。何か用か?」
「君の事を調べて欲しいって依頼が何件かあってね。彗星の如く現れた美人料理人に、随分と関心が集まってるようなんだ」
 飾り気のないが整った容姿の彼女を特集したいと考えているメディアは多い。彼女の作るケーキは宝石のよう、料理は絵画の如くと日が浅いというのに噂の中心である。メイクと髪のセットを決めれば、雑誌の表紙や料理番組の華になるのは間違いない。だが、多忙を極める彼女に接触する事すら難しい。直に交渉出来ぬなら、人々はどうするか。
 人々は彼女について調べ出した。
 だが、彼女の知り合いは、彼女の登場が女神様の不調であると知っている。彼女自身の口止めもあって、誰も語らず彼女の謎は深まるばかり。探偵である僕に依頼がやって来たのだった。
 嘘は1つもない。この言葉だけで彼女は、僕がここにいる経緯まで全て察したようだった。前髪を払い、小さく溜息を吐く。
「下らないな」
 彼女に用がある者だったら、彼女との会話はこれで終わらない。だが僕は探偵だ。情報を集め、依頼主に渡す。彼女は僕に『本当の事を言う必要がない』とか『依頼主に、望みに応えるつもりはないと伝えて欲しい』とか言っても無駄だと分かっている。だから彼女はそう言い捨てて、彼女は踵を返し僕に背を向けて大通りに向かって歩き出した。
 残った手を僕が掴もうとした瞬間、彼女の身体が宙を舞う。ビルの隙間に差し込んだ僅かな日差しが、彼女の髪を止めた簪をアイスピックのように輝かせた。ふわりと広がったセミロングから、甘いリキュールが香る。一瞬で僕の背後を奪った彼女が、僕のうなじに簪の切っ先を突きつけた。
 流石、良い動きだ。女性であるのが勿体ないくらいだ。
「この前みたいに喧嘩を売りに来たのか?」
「そんな事ないよ」
 そう言って、いきなり僕は身を翻す。彼女も反撃を想定していたようで、直ぐさま後ずさって間合いを取ろうとする。だが、僕が彼女に肉薄する方が早かった。それは彼女が女性だから来る、男性との差だった。
 あっという間に簪を持っている手首を掴み、彼女の背を壁に押し付ける。彼女は息を詰まらせ、眉根を苦し気に寄せた。
「でも捕まえてしまえば、それまでだ」
 吐息が掛かる程に顔を寄せ、身体を密着させる。流石に足を使われると困るからね。彼女の片手は自由だけど、密着した僕を引き剥がす事は出来ない。表通りからちらりと見られても、男女が抱き合っているようにしか見えないだろう。
 彼女は力を込めて身じろいだが、僕はぴくりとも動かない。ちょっとした優越感が心の中からじわりと滲み出るのを自覚した。
「無理だよ。今の君は女性の身体なんだ、男の力を撥ね除ける事は出来ないよ」
 僕は彼女に諭す様に言う。男だったら怒鳴りつけたい所だけど、やはり女性の姿だと叱り飛ばすのを躊躇ってしまうな。
「君は本当に何度言っても分からないね。男と同じように振る舞ったら、今みたいに対処出来ない事が沢山あるだろう? 自分を危険に晒して、周囲の人達を心配させるな。前に言ったよね? 君が皆を守りたいと思っているように、皆も君を守りたいと思っているんだって。今だけはいつも以上に慎重に、むしろ臆病になって欲しいくらいなんだよ?」
 聞きたくもない。そう彼女の態度が言っている。
 勿論、彼女の良い分も、受け入れたくない気持ちも分かる。彼女は元々男性だ。男性として今まで生きて来て、身体が女性になったから女性として振る舞えと強要するのは確かに辛い事だろう。しかも、何時かは分からないが戻れるのだ。今まで通りを貫きたいのだろう。
 だが、現実はそうじゃない。今みたいに僕に完封されて、身動き1つ取れない。直ぐさま逃げれば良かったのに、男として振る舞い立ち向かった結果がこれなのだ。体力だって一歩及ばないらしく、ロトさんは『アレフさんが、いつもより疲れてるんだよねー』と愚痴を零している。
 本当に、君は、どうしうようない人だな。
 力尽きて疲れてしまったんだろう。彼女はじっとりと汗をかき、目を伏せて熱い息を吐く。
 抵抗が弱まった彼女を見下ろして、僕は悪戯心に負けて囁いた。
「君は不快に思うかもしれないけど、凄く艶っぽいよ」
 茶色い瞳を大きく開いて僕を見上げ、自由な方の手が振り上げられる。僕を傷つけまいと急所を攻撃する事を選ばなかった意識が、一気に攻撃と暴力に傾く。僕は顔に手が迫って来る前に、彼女から離れた。
「うるさい!」
 彼女が叫んだ。そしてぎくりと身体を強張らせる。
 モッズコートの下に着ていたシンプルな白いシャツが、先程よりも女性らしい丸みを帯びている。決して大きくはない。だが形の良さが白いシャツで良く分かってしまう。彼女は慌ててコートを掻き寄せ、動揺したように視線を外す。彼女の中でどうするべきか、凄い勢いで考えが巡らされているのが分かった。
「紹介所まで送ってあげようか?」
「結構だ!」
 彼女は拒絶の言葉を叩き付ける。
 そんな彼女のコートの裾から、幅広い包帯みたいな物がひらひらと見え隠れした。それを摘まみ上げて引っ張ると、彼女は更に悲鳴を上げた。
「ちょ、や、やめろ! えっと、ん…うぅん…うーん…」
 ごそごそごそ。彼女はコートの中で、恐らくも何も解けてしまったサラシを巻き直そうとしているのだろう。困りきった表情の物語る通り、とても難しいに違いない。ちょっと考えれば服を着た状態でサラシを巻き直すなんて不可能だ。きっと、出来ないだろう。
 綺麗なのに、色々勿体ないなぁ。
 僕はにこにこと笑顔を浮かべながら、彼女を横から眺めている。
 彼女が白旗を揚げるまで、後は待つだけで良い。