少年は心が焦げる
紹介所はロイト邸のような、鏡張りのトレーニングルームはない。
芝生を敷いた庭で、アレフとロレックスとケネスが修錬をする。家出でお世話になってから、俺もたまにここにやって来て修錬に混ざったりしていた。面倒臭がりのケネスはアレフとしか手合わせをしないが、アレフはロレックスや俺が頼めば仕事がない限り断らなかった。
庭が見渡せるベンチにロトがちょこんって座ってる。キラキラと眺め回して来る視線をアレフが敢えて無視してた。
「アレフは身体が女になって何か変わった?」
俺の言葉にアレフは腕を上に伸ばして組み、横に倒して脇腹の筋を伸ばしながら振り向いた。
今のアレフは胸はサラシを巻いているからか僅かに膨らんでいると思う程度で、全体的に肉付きは薄い。ロトの目のやり場に困るような福与かな体格と並べば、痩せ過ぎではないかと思う程に細かった。弱そうな印象を受けないのは、アレフ自身の強さから由来する雰囲気のせいだろう。
セミロングをポニーテールに結った髪を左右にゆっくり傾けながら、アレフは思い出すように言う。
「ケネスに手伝ってもらって一通り確認したが、力は本来の半分以下だな。体力も落ちてる。その代わり、俊敏性と攻撃の精密さが上がってるな」
「やっぱ、戦い方変えた?」
だいぶな。アレフは短くそう応える。
俺よりも戦えないと困る場面の多いアレフは、趣味の女友達やロレックスの先輩なんかに声を掛けて色々戦い方を教わって歩いたそうだ。勉強になると嬉しそうに口元を緩めたが、それでも男には少し及ばないのが悔しいと目元を細めた。
「組敷かれて動きを封じられると、もう抵抗ができん。ロトにすら完全に押し倒されると、退けられなかった」
「あたし、そんなに重くないよー!」
ロトの言葉に露骨にアレフは顔を顰めた。アレフはロトから見えない所で『いや、重い』と唇だけ動かした。
「アレフは元々、力に頼り切った戦いをしないだろう?」
ロトが言うには、ヒーローズの力は本人の性格や資質に影響されて発揮されるんだって。レックのすげー威力がある火炎や爆発の力は、確かに真っ直ぐで勢いの性格そのものって感じ。反対にヒーローブラックのジゴスパークは、ヒーローズの中で最も応用範囲が広い。直接ぶつけるだけじゃなくて、武器に付けたり、逆に吸い込んでみたり色んな事が出来る。
搦め手が多いのは正直尊敬する。
アレフは小さく頷いた。
「俺は臨機応変に戦い方を変えて、戦略を広げる方向に鍛えてる。戦い方を理解した武器は、攻めやすさ攻め難さが分かる。それに俺は数人の仲間で動き、大規模な戦闘を渡り歩く。仲間の連携を繋げる為に、戦闘を勝利に導く為に、戦いに関わる全てを理解する事は重要な事だ」
ヒーローズは頭の良いアドルの作戦で戦う事が多い。だが、アドルの指示よりも先にアレフが動く事は少なくなかった。それを俺達は『勝手な事して!』って怒ったりするんだけど、後でこっそりアドルが『言う前にやられた』って悔しく呟いたりする。いつか歴戦の猛者より早く、自分の采配で戦場を動かしてやると密かに燃えてるみたい。
まぁ、そんなアドルの胸の内なんて、アレフは知らないだろうけどな。
「1対1の勝負と、複数対複数の戦い方が異なる事は当然だ。個性が強い奴は際立つから、その力が最大限に発揮されるよう俺が支援しやすい。お前が俺の戦い方を真似する必要はない」
俺は芝生に座り込み、腹筋しながらアレフを見上げた。
「なぁ、アレフ。サラシを巻いてるのは、戦いやすくなる為か?」
アレフは首を傾げた。何故そんな事を訊くんだ? と無言で聞く。
「胸が重くてやり難いんだよ」
実際に女の身体になった時、先ず困ったのはこの大きな胸だった。アレフ兄ちゃんにどうしようって相談して、ロトに電話してブラジャー買って来る位だ。ロトが紹介してくれた所の肌着は、身体のバランス感覚すら崩す程大きく揺れる胸をしっかり抑えてくれる。お陰で日常生活とかは平気になったけど、こうやって身体を動かす時は違和感を覚えてやり難いんだ。
腹筋でも、腕立てでも、胸がつかえる。俺は捻りを銜えないと付かない膝に二の腕を乗せて、また身体を倒した。空を見上げる形になると、胸が重たくて肺が圧迫される感覚がある。
自分の身体だから気持ち悪いってのはないけど、なーんかしっくりこないんだよなー。
俺の言葉で、アレフは『あぁ、なるほど』と頷いた。
「サラシを巻いている方が違和感が少なくて助かるんだが、アレンやノアみたいな大きさになると巻くのは難しいぞ。アインツが言うには凹凸の差が大きい程巻き難いらしい」
アレフはそう言って、俺を見下ろした。
「まぁ、いい。とりあえず手合わせだ。来い」
俺は跳ね起きると、早速アレフに立ち向かった。
前に殺陣を教えてくれた時みたいに、アレフは俺に完全に合わせてくれている。俺が自分の力を確かめたり試したりするのに、付き合ってくれてる感じ。アレフと手合わせしている間に、俺は自分の力と速度がどれだけ落ちたか、バランス感覚が鋭敏になって動きがしなやかになっているか分かって来る。自分の意識と身体が繋がって、馴染んで来るのが気持ちがいい。
俺が理解して動きがスムーズになる頃、アレフがぽつりと言った。
「リウレムが結構こういうのが得意でな」
そう一歩踏み込まれ、胸を押された瞬間に足を前に払われる。二つの点の力が働いて、俺の身体は背中から芝生に倒れる。
わっ!吃驚した!そんな力が入っている気がしなかったのに、簡単に身体が倒されちゃったよ!
俺はアレフが差し出して来た手を掴んで、立ち上がった。
「相手の身体の構造や力の掛け方に、自分の力を乗せて増幅させると良い。力も真っ向から受けず受け流し、自分の勢いを殺さずに攻撃を繰り出す。互いに向かい合って来る力を衝突させれば、威力も上がるからな。急所も的確に狙うべきだろうが、これは男女共に変わらん」
淡々と簡潔に言えば、その瞬間からアレフの動きが変わる。
より実践的になったアレフの動きは、軽やかで優雅だった。ちょっと軽く押されただけで、大きくバランスを崩す。バランス感覚が良くなったのとしなやかさが増した事で、どうにか芝生の草だらけにならずに済んでる。
勿論、アレフが攻める一方じゃない。ちょいちょいと『掛かって来い』とジェスチャーをして、俺の攻撃を誘って来る。受け流されてしまうと、そうじゃないこうだ、と言わんばかりに反撃が来て転ばされちまうけどな。
でも、何度も繰り返すうちに、動きがスムーズになって来る。次第にアレフを追いつめて、ついに芝生に背中を付けさせた!
「やった!」
「流石、アレンは覚えが早いな…」
アレフはそう言って身体を起こすと、小さく息を吐いた。汗を吸った白いシャツは透けて、サラシが見えてしまっている。俺も息を弾ませながら滝のように流れる汗を袖で拭う。そんな俺達に拍手が降り注いだ。ロトがニコニコと歩み寄って来る。
「うん! やっぱり女性だと色々違いが出て来るんだね!」
「お前に違いが分かるのかよ」
アレフがロトを見上げながらそう言うと、ロトは『分かるもん!』と頬を膨らませた。
「殆ど毎日、お庭で練習してるの見てるんだよ! 戦えないけど、動きが違う事くらいわかるよ!」
そして満面の笑みで言う。
「さぁ、シャワー浴びておいで! 二人共、汗びっしょりだからね!」
アレフが微妙な顔をした理由は直ぐ分かった。ロトが覗きに来たからだ。アレフの微妙に高い怒鳴り声が風呂場に響き渡って、耳が暫く変になった。
□ ■ □ ■
ノアとアインツが用意してくれた夕食を平らげると、皆がそれぞれにリビングでまったりしだした。
テレビのクイズ番組を見ながらより詳しく説明してくれるアドルの解説に、ロトの解釈や考察を付け加えて誰も付いて行けない難しい討論に花を咲かす。ラジオみたいにソプラノとテレビの音を聞き流しながら、ノアとティアと俺が宿題を終え、レックが持参したギターのチューニングが終わる頃だった。
「アレフが居眠りしてるの初めて生で見たかも…」
皆がしげしげとソファーに身体を預けて、眠りこけているアレフを見ている。
俺も家出してここに来て一番驚いた事は、アレフが毎日のようにリビングで居眠りをする事だった。アレフは自分の体力を全く考えないで、仕事を引き受けて趣味に走る。リウレムは『助ける事は得意でも、助けてもらう方法を知らないから、こうなるんですよね』と居眠りしているアレフを見て微笑んでた。紹介所に居る時のアレフはボーっとしていると、いつの間にか寝ているのだ。
「アレフさんは今は女性ですからね。いつもよりも疲れやすいみたいです」
横で数独を解いていたアインツが、笑いながらアレフにブランケットを掛ける。
沢山歌って満足しているレックとアドルが、珍しいブレンドハーブティーに蜂蜜を入れて譜面を捲っている。今度はどんな歌に挑戦しようかと楽し気に、だけど寝ている人を気遣って控え目な声で話している。ノアは台所に入り浸って、珍しい調味料や、ケネスが用意しているのだろう香草を眺めてる。ティアはふわふわと浮かぶSICURAのグラフィックを突き、SICURAも上手く避けたりと空中を泳ぐように漂ってた。
俺の横にすとんと腰を下ろしたロトが、はい、とハーブティーを差し出した。
「アレン君、ずっと黙ってるけど具合でも悪いの?」
「な、なんでもねーよっ!」
思わず大声を出しちゃって、皆に『しーっ』と唇に指を当てたジェスチャーをされてしまう。俺は渋々口を閉ざすと、お茶を口にしながら丁度目の前で寝こけるアレフを眺めた。
なんで、アレフは平気なんだろう。
確かに俺達は男で、見た目だけ女になっただけだ。俺も自分の胸が同級生の女子よりもでかくなって吃驚したけど、やっぱり自分の物だからか何とも思わない。汗だくになってシャワーをアレフと浴びた時、相手だって男だから何とも思わないと思ったんだよ。
でも、サラシを外した時に見えた形の良い胸元とか、深い傷跡があるけどくびれた艶かしい腰回り、太腿から足首まで伝う雫の跡。甘い洋酒の匂いを漂わせ、肌に張り付いた茶色く細い髪。彼女は茶色い瞳を穏やかに細める。『ん? どうした?』そのふっくらとした唇。
思い出しただけで身体が熱くなる。
そして、なんでロトが俺の横に来たのか分かった。ここが、正面からアレフが良く見える席だったからだ。
「アレフさんの寝顔は可愛いね」
そう身体を預けて来ると、ロトからふわりと甘い香りが漂う。ロトの豊満な身体は柔らかくて、暖かい。女だからと無遠慮に掛かって来る体重を、俺は支えているのか硬直しちゃってるのか良く分からなくなってた。彼女がいる奴が凄く羨ましかったけど、彼女でもないのに、なんで俺の頭の中はこんなに ぐるぐるしちゃってんだろう!
女の身体になったんだから、心まで女になっちまえば良かった。
目の前で呑気に眠るアレフを睨んだ。
こんな気持ちになるのも、アレフのせいだ。そう思って、堪える事にした。