DQ雑記ログ1


■ 騎士の純情 ■

 騎士といえば、王族を守る者というのが一般的でしょう。
 しかし私が語るは遥か昔に乙女を守って殉死した、気高く一途な騎士についてのお話。いや、本当は騎士ではない。剣も持てぬ優しき青年でありながら、心に騎士の誇りと誓いを宿せし方の物語…。

 彼は内気な青年。木々を育てて生きてきた森の民の青年です。
 彼は炎を信仰する部族の娘に恋をしました。真っ赤な灼熱した色合いの長髪は絢爛豪華に闇夜に浮かび、白い素肌に埋め込まれた瞳は世界中のルビーよりも紅く輝いておられる。情熱を宿した意志は人々の心を照らし、まさに炎の女王のような気高き意志と高貴な血筋を宿しておられた。
 森の民は炎の乙女に恋した彼を正気の沙汰ではないと批難したのです。彼等は我等の育てた大切な木々を燃やし、炭にして捨ててしまうのだ。我等の十年の歳月を、彼等は一瞬で亡き者にしてしまう。命の尊さを知らぬ乱暴者だ。我等を見下し、軽んじる。木々の恵みを知らぬ愚か者なのだ。声は木霊し青年を取り巻きました。
 しかし青年の想いを捨て去るには至らない。
 炎は燃えるもの無くば生まれない。極寒の大地では種は芽吹かず、葉は凍り付き碎ける。我々こそ、彼等を知らぬのではないか。彼の心は乙女を想い思燃え上がり、叶わぬ夢と願いを森の生命達がこよなく愛する樹液の様に大切に仕舞い込んでおりました。
 森の民も青年が乙女への恋心を忘れたのだろう。炎の民に恋焦がれるなど愚かなことだ。したり顔で言い放った者達は、青年が乙女の事を言わなくなり青年が抱いた恋心など忘れて行きました。年輪は外に重なり、その内に最も大切な思いが隠されていく事を森の民こそ忘れていたのです。
 ある祭りの日。青年は恋の君を見かけた。
 ここにいるはずが無いだろう。…けど、と、一縷の望みを持って手にしていた枝は彼が丹誠込めて育てた良い香りのする木の枝でした。彼はこの枝の木を育てる役を持ち、彼は自らが育てる枝で最も良い香りのする部分を手折って持ってきたのです。持っているだけで匂い立つ、最上級のものが手の中にありました。
 彼はぶつかってしまいそうな勢いで乙女に枝を差し出し、そしてあまりの恥ずかしさに走り去ってしまいました。名前も告げる事もできませんでした。
 荒い息と混乱した意識が持ち直すのに、大変な時間が必要でした。
 結局、青年が枝がどうなったのか確かめる事は祭りの最中は叶いませんでした。青年はそのまま祭りから立ち去り、森へ戻ってしまったからです。
 そして月日が経ちました。
 恋の君に再び逢った時、彼女からは仄かに彼が手渡した枝の香りがしました。それはその枝を育てた彼だけが嗅ぎ分けるとても微弱なものでありました。しかし、彼はそれだけで分かったのです。
 恋の君は、その枝を炎に焼べる事もしなかった。
 恋の君は、その枝の香りを胸一杯に吸って下さった。
 青年は胸がいっぱいになりました。例え乙女が部族の男の元に嫁いでも、青年は乙女を想おうと。そして、もし、恋の君に命の危機が訪れた時、命を賭けて守ろうと。青年は心に誓ったそうです。
 青年は己の誓いを果たし、乙女を守り抜いたのです。漆黒に塗れた憎悪を前に、悪意に満ちた人々が振り翳した数多くの武器を目の前にしても、乙女と人々の前に立ち乙女を守り抜きました。
 乙女は死した青年の目を閉ざし、青年の想いに感謝の言葉にて応じたとされます。

 この話は作り話にしては出来過ぎだとは思いませんか? もしかしたら、乙女が彼の為に残したのかもしれませんね。今では、ラダトームの祭りで枝を告白代わりに使うのですから。
 あれ?それって最近なんですか? 私の本でそれを見かけたのが、広まったんですって?
 それは知りませんでしたね。なにせ、私は伝説の収集には熱心ですが、私の言葉の先の物語にはあまり関心がなかったものですから。恋にも関心がないと?  それは手厳しいですね。


■ 見習い兵士の横恋慕 ■

 儂はラダトームの城下町でちょっとした趣味を仕事としておる。
 そのちょっとした趣味は非常に珍しいというか、儂以外趣味としておる人間などおらんじゃろうと豪語できる。なぁに、好きこそものの上手なれ。いまではすっかり神官なんぞの小綺麗な連中には負けん力量を持っておるのじゃよ。
 なになに? 何の話がしたいのじゃって?
 そりゃあ、お主が見習い兵士にちなんだ話を何かしてくれって頼んでおったじゃろう? 儂はそこまではボケておらんぞ。
 だが、まずは儂の趣味の話じゃ。関係があるのだから聞いておくんじゃぞ。
 儂は呪術専門の研究者なんじゃが、儂のしているのは趣味じゃからな。神官とは全く関係ないから、こう、後ろ暗い連中が多く訪ねて来おっての。頼む事など何を履き違えてか『呪い殺して欲しい』と頼む者が、殺し屋ではないというのに途切れることなくやって来るのじゃよ。
 そう……、そやつもその類いの輩じゃった。

「お願いします!俺は奴が憎くて堪らないんです!」
 そうテーブルに両手を付け、頭を擦り付けるのは若造と言っても良いほどの若い男じゃった。見た感じ誰からも好かれる好印象の青年で、誰かを恨みそうな切っ掛けとなる材料すら探すのも難しい。優秀そうな溌剌とした言葉使い、凛々しい顔立ちはよく見れば可愛さすら感じ女性にもてるだろう。金銭的な貧しさどころか、裕福な感が漂う王宮の兵士じゃ。体つきは戦士そのもので、任務に邁進しているのが伺える。
 儂の元にやってくるまでに追いつめられた人間は、外見もさる事ながら狂気に似た鬼気迫る何かを感じさせるのじゃよ。憎しみに目をぎらつかせるにまで至った経緯は、人の本質にまで暗い影を落とすものじゃ。
 若造からは何一つ伝わってこない。所詮、若い故の我が儘やも知れぬ。
 儂は理由を聞いた。無下に拒否しては若造の憎しみを助長するだけじゃからの。
「一体どうしたんじゃね? 君のような憂いのなさそうな若者が、儂のような人間に何の用なのじゃね?」
「聞いて下さるんですか!?」
 勢い良く上がった若造の顔は真剣そのものだった。
「俺は以前、ある男に負けました」
 それから若造は涙ながらに語り出した。
 何でも城で催されたある試合で、若造はとある男と対戦する事になったのだ。若造にとっては運命を決めるような重要な試合で、その試合に勝利した暁には好意を抱いていた女性と結婚するチャンスが巡っていたという。しかし若造は対戦相手に負けてしまったのだ。それも剣を抜くことなく、型もなにも関係ない夜盗の技術かと思われるような技量。今まで型に則った美しい技術こぞ重要と思っていた若造が、無骨な技量の前に完膚なきまでに圧倒され、剣を抜くまでもないとされたのは相当ショックであったそうだ。
 しかし、その程度なら憎しみは抱かなかったと、若造はいう。
 事もあろうに勝利した対戦相手の男は、若造が好意を抱いていた女性と結婚してしまったのだという。対戦相手の男に技術だけではなく、男としても負けてしまったのは、もはや若造にとって耐えられないものであるそうだ。そして若造は思いっきり頭を下げた。
「お願いします!俺は奴が憎くて堪らないんです!殺してやりたいくらいなんだ!」
 ふむ。
 儂は顎に手をやって、髭を撫でた。
「仮に儂が呪い殺す手法を教えたとしても、絶対に相手が死ぬと限らん。もし、相手に魔法使いや神官のように魔法に通じている者がおったとしたら、相手が呪いの知識を持っている者であったとしたら、呪いは返ってくるやもしれぬ。剣を放つのは儂じゃが、剣を返す者は殺意に向かって放つじゃろう」
 そして、少年を見る。
「人を呪わば穴二つ。相手が死ぬか、お主が死ぬか…。なんの代償の無い殺人などあり得んよ。どうするかね?」
 女性は対戦相手の男と結婚して幸いだったろう。
 人を殺したいと平然と思う輩の元に嫁ぐなど、不幸に違いない。


■ 夢の果てで逢いましょう ■

「夢を見ましたわ」
 そう言って紫の乙女は金の少年に紅茶を差し入れた。紅茶は猫舌の少年に合わせて、熱くない程度に氷砂糖を入れてある。赤に氷の色彩が揺らめくように解けながら、シミ一つないカップに花を一つ落とす。
「私が男性に、貴方が女性になる夢」
 乙女が悪戯っぽく笑った。
 少々年齢に似合わぬ優雅さと落ち着きによって乙女とは言いがたかったが、それは彼女の尊き存在故に仕方のない事だった。夕焼けのほんの片隅に残る雪山菫の色彩のローブは、シンプルさ故に布地の美しさを余す所なく表現せしめた一品だった。
 乙女はさも楽しそうに口元に手を当てた。しかし、顔面に広がり零れ落ちるほどの頬笑みを隠すまでは至らない。
「金髪の、とても可愛らしい少女だったわ」
「それは夢だよ。ラルバタス」
 少年は複雑そうにカップの紅茶を啜った。
 さすがに甘めにいれてくれたとは言え、紅茶を好んで飲むような年齢ではまだない。少年は乙女の焼いてくれた焼き菓子に手を伸ばして、バスケットごと腕に抱えた。
「僕はこれから先、何回生まれ変わっても男だし、君は女性じゃないか」
 ミトラが両親指を折り取り、イーデンに投げ入れられ生まれた彼等は永久不変だった。精霊の器をもって神聖な神殿を預かり、天の意志の代弁者として神託を授け世を助けまとめる立場だった。寿命により交代の時期が迫れば、もうじき生まれるだろう赤子に宿る。額に印を抱いて産まれ出、拇指の知識と記憶を受け継いでいた。
 彼等にとっては前世すら、昔のような感覚だった。
「未来の事は分からないわ。私達が見通すこともできない、未来なら…」
 少年は不安そうに瞳を曇らせた。
「それは、この世界が変わるという事?」
「そうかも知れないわ。恐ろしい事ね」
 乙女の素っ気ない言葉に、少年は震えた。彼等は神託を預かる身であり、予知の力も持っていた。この半身の言う事も、神の言葉の一端を指し示すものに違いはなかったのだ。
 乙女は微笑んで少年の手を包んだ。
「大丈夫よ、サラマクセンシス。私は、貴方が一番困っている時には必ず傍にいるわ。昼でも、月は太陽と共に昇る事ができるのだから…」
 少年は乙女の言葉に安堵の笑みを零した。

 貴女は約束を破らなかった。
 少女はそう、ふと思って男性から紅茶をもらった。熱いのが苦手な自分の為に、紅茶の底には氷砂糖が沈んでいて陽炎のように揺らめきながら解けている。
 金髪の少女が見上げた男性は紫の髪に紫の瞳。体躯の良さを隠してしまうローブには、いつもしびれクラゲがくっついている。
「夢を見たんだ」
 男性は今日焼いた焼き菓子の盛られたバスケットをテーブルに置きながら首を傾げた。
「ルクが男の子で、リウレムさんが女の人だったの」
 少女はたのしそうに笑った。幼さすら残る顔を蕾が花開くように綻ばせて、男性を見つめて笑っている。そんな視線を受け止めながら男性は複雑そうにカップの紅茶を啜った。
「それは夢ですよ。ルクレツィア様」
 少女は笑みを止める術も見いだせず、くすくすと笑う。

 それは、彼等の見通す事のできない未来での出来事。


■ 悪夢を見ないおまじない ■

 小さい手は不安そうに膝の上に乗っていた。
 この子の傷心も絶望も不安も想像を絶するものであり、私も無理に元気に振舞って気持ちを誤魔化さなくても良いと思っている。一人で眠る夜など、その過去を振り返らせるようなものである。
 …だから同室も認めた。しかし…自分の首が絞まる気分になるのは気のせいだろうか?
「リウレムさんは王族の人なんでしょ?」
 …やはり、そうくるよな。
 私は作成している書類から顔を上げ、答えに窮して微笑んだ。
「どうされたのですか?そのような事を聞いて…」
 恐らく世界ではムーンブルクの月のラルバタスの一族だけが有していると言える程珍しい、紫の髪と瞳。普段は気にしないよう努めているが、このような事態の時は心底恨んでいる。現在はその一族が滅びている為、王宮で見かける事はなくなったであろうが、知るものが見れば察せられてしまうのは仕方がない。
 第一、彼女は太陽のサラマクセンシスの最後の生き残り。半身として存在するラルバタスの一族の身体的特徴を知らない訳がない。
「親戚なのにどうしてルクを様付けで呼ぶの?」
 そうくるのか…。
 ムーンブルクの二大王族は基本的に血の繋がりはないが、ミトラより生まれた祖先を持つため関係的には親戚という扱いである。
 そこでルクレツィア様が私の横に歩み寄ってきた。椅子に座っているが、彼女は身長の差から私を見下ろす事はできない。金髪の奥にある赤金の瞳が潤んで揺れた。
「父様や母様や姉様みたいに、名前で呼んで、普通に喋って、普通に接して、おやすみのキスしてくれたっていいじゃん…」
 視界が暗くなって昏倒しそうになる。
 不安は分かるがおやすみのキスはないだろう!!シクラ、お前の寝付きの良さを恨むぞ!
「る…ルクレツィア様は現在唯一の王女であり、将来女王になられる身であるのです。その方に仕える私が敬語を怠り、礼儀を損ね、無礼な態度を取るなど…どうしてできましょうか?」
 実際、同室だって度が過ぎているのだ。
 本当なら彼女を個室に入れてやりたかった。だが、彼女が拒否するのだ。諸々の事情を考慮すればその拒否は理解してやるべきなのだ。だから、同室にしたのだ。
「ラルバタスの人が寝る前におまじないをすると、悪夢を見ないんだって」
 金色の髪の隙間から赤金の瞳で不安そうに見上てそう告げた少女に、同じ髪色と瞳の無邪気な少年の笑顔が重なった。顔の雰囲気も声色もどことなく似ている。
 あいつ…、どこまで私を困らせれば気が済むんだ!!
「…リウレムさん?」
 気が付くと怯えるように私を見上げるルクレツィア様がそこにいる。
 大きく私は溜め息をついた。
 ここで折れなければ、彼女は寝ないに違いない。もし、あの子の子孫であるならばの話だが…。
「一度…だけですからね?」
 私は小さく祝福の祝詞を呟くと、そのまま彼女の豊かな前髪を手のひらで掻き揚げ額に唇を落とした。
「おやすみなさい。ルクレツィア様」

 そして、私はこの一度を許した事を酷く後悔する事になるのである…。

 真っ暗な夢の中。この暗いのが晴れると夢が始まる。
 恐い。
 真実は容赦なく残酷なもの。現実は慈悲なく過酷なもの。今まで見てきた予知夢の数々も、恐ろしくて怖くて心が震えた。そしてその数々が例外なく実現する様に、自分を呪った。見たくなくって寝ないで過ごそうと思ったが、睡魔には勝てなかった。
 この真っ暗の先にあるものを独りで見なくてはならない。
 ルクは拳を堅く握りしめて、暗闇が晴れるのを待った。
「おい」
 背後から声が掛かり、ルクは振り返る。
 意外な人物がそこにいた。
「リウレムさん?」 
 そこにはルクより少し年上のリウレムさんがいる。紫のふわふわのくせ毛に、紫の瞳。肌は日に焼けて小麦色より少し濃くて、白いマフラーを引っかけ、簡素なローブを着ていた。
 大人のリウレムさんと違う所は、その刺々しい気配。怒っているかのように、目がルクをにらんでいる。
 おっかなくて、ルクは握った拳を胸元に寄せて後ずさった。
「何て顔してる。ほら、行くぞ」
 大人の時よりも小さくて柔らかい手が、ルクの手を取って引っ張る。動きは速くて乱暴そうだったけど、ルクの手を握る彼の手は触れているかのように控えめで優しい。歩調は完全にルクに合わせてくれていた。
 闇が光を含んでいることに、気が付いた。
 それは満天の星空で、満月が浮かんでいる。ムーンブルクを見下ろす高台からは、光の湖とも思えそうな光景が目の前に広がっていた。ムーンブルクの一軒一軒の家から漏れる明かりは様々で、七色の色彩を光の中に秘めた。
「いい眺めだろ?」
 リウレムさんが地面に腰を下ろして、風景を見ながら言った。
 ルクも彼の隣に腰を下ろして、膝を抱えた。
「リウレムさん」
「ん?」
 やっぱり、リウレムさんなんだ。
 おまじない。
 おでこに触れた控えめな口付け。
 ラルバタスのおまじないは良く効くんだって。
 でも、まさか。夢の中にまで来てくれて、助けてくれるだなんて思わなかった。
「ありがとう」
 リウレムさんが笑った。まるで悪戯が成功したかのような、満面で満ち足りた笑みで顔が光っているようだ。さっきの不機嫌そうな気配が嘘のよう。
「笑顔の方が可愛いな」
 恥ずかしすぎて、ルクは抱えた膝の中に熱くなった顔を押し込んだ。

「…若い自分が親戚の子供の面倒を見る夢を見たんだ」
 うっすら目を開けると、空になった隣のベッドと奥で背を向けて身支度するリウレムさんの姿があった。シクラと話しているからか、口調はルクにするのとは全然違う。
 横にあった鏡に映るリウレムさんの目は、夢の中で見た男の子と同じ。怒ったように細められ、不機嫌そうに刺々しい気配を発している。
「あんな子…いたかな?」
「リウレム眠かったら昼寝でもすれば良いヨン」
「うーん…そうだな」
 大きくなっても、なんだかあんまり変わらないみたい。
 首を傾げるリウレムさんに見つからないように、ルクはお布団の中で笑った。


■ 父親ってそんなもの ■

 大抵、焚火から背を向けて寝るのが癖である。身を隠せる大木などがあればそれに背を預けるが、木が都合良くある訳でもなく、平地での野宿の際は火に背中を預ける。なので、懐の辺りがやけに暖かいと思った時には、ぼんやりとした目を凝らして熱源を凝視した。
 ………。
 何故ここで寝てるんだ、この子は。
 顔に迫ってくる程の見事な金髪が寝息とともにフワフワと浮かび、己の影から差し込んでくる炎の光に一筋二筋と流れ星のように輝きが流れてゆく。私の左腕を枕代わりにして、体を寄せる小さい体は幼い故に睡眠の熱で熱いくらいだった。
 左腕はどうにも外せないようだが、それでもできるだけ彼女から体を離す。
 どうして気が付けなかったのだろう。
 触れられる前に気配で気が付くはずである。
 シクラと二人で旅をしていたとは言え、夜に強くない相棒は見張りとしては心許ないのでこの結果は己にとって死活問題だ。今は旅慣れている子供達と一緒であっても、いつかは別れるのだ。自分の神経がどうにかなってしまったのか、それとも単独で旅ができぬ程の衰えがきているのか、解りはしないが混乱はする。
「リウレムさん、起きたのか?」
 影が差して頭の上側を回って私の視界にひょっこりと顔を見せたのはロレックス君だ。彼は私が枕代わりに使っている鞄に手をかけて、少し目で合図すると、それをそっと抜いてルクレツィア様の頭に差し入れた。枕がかわっても、彼女の寝顔は満足げに穏やかだ。
 急激に血流を取り戻した熱に左腕が痛む。それを摩りながら身を起こし、私は眉根を寄せて恨みがましくロレックス君を見た。
「何故起こしてくれなかったのです?」
「リウレムさん、町や村だと寝ないで仕事しちゃうだろ? 野宿で仕事ができない時くらいは体は休めないとな」
「しかし、見張りは…」
 視界を巡らすとたき火の光の下で読書をするサトリ君と視線が合うが、彼は一瞥程度に私を見つめると再び本に視線を落とした。どうやら、彼が私の代わりに夜の見張りをしていたのだろう。だが、感謝の言葉を求める気もないのか、無言の肯定に留めていた。
 つまり子供達なりの気遣いという奴なのか…。
 ロレックス君はルクレツィア様に布団をかけ直して、焚火に掛けてあったポットの湯をカップに注ぐ。程なくして渡された珈琲を啜り、落ち着いて擡げた眠気を誤魔化すように顎に手をやる。………髭が伸びて無精髭が手にささる。剃らないと駄目だな。
 というよりも起きてまだぼんやりしているのは、私がこの子供達を信頼している証でもあっただろう。
 それでも、年長者で経験からも彼等を守るべき立場なのだから、だらしがないといえるだろうが…。
「ルクちゃんも慣れない野宿だからね。寝られるんなら、場所は選べないでしょ?」
 私の言いたい事を封殺するように、ロレックス君は悪戯っぽく笑い片目を瞑った。
 その笑みに、私は重くつんのめりそうになる頭を支えるために額を左手で支えた。ばさばさと髪が落ちてくる。
 まるで…
 父親みたいだな。
 その単語にため息が苦く漏れた。
 父親自体好きではなかったし、私もまだ独身だし、よく知らないが、なぜか今感じている意味に一番近いのが、『父親』という単語である。今まで何人もの子供達の世話を田舎で見てきたが、ここまで依存された覚えはない。同時に、年下に甲斐甲斐しく気遣われた記憶はない。年下に嫌われなくとも距離を置かれるような関係というのも、実は初めてかもしれない。
 老け込んだ気がする。
 疲れを余計に感じるのは、今まで体感した事のない未知の関わり故なのだろう。


■ 相棒以上恋人未満 ■

 最近さぁ……。
 そんな風に視線を遠くに遣りながら、リウレムは呟くヨン。完全に困りきった様子で疲れすら滲ませながら、リウレムはシクラを見るヨン。
「告白される機会が多くなったろ?」
「将来は外交官長になるかもしれない有望な男性を放っておく程、人間の女って馬鹿じゃないと思うヨン」
  リウレムの元には最近、重要書類に混ざって恋文がやってくるヨン。それもムーンブルクの侍女や外交官としての部下、軍部の女魔法使いから城下町の食堂のウェイトレス まで様々な人種から届いているんだヨン。一通り相手を思い出して行くと、美人ぞろいで他の男から言い寄られてもおかしくないレベルの女の子達だヨン。
「リウレムがそれだけ魅力的って事ヨン。シクラは鼻が高いヨン」
「そうかぁ…?」
  リウレムが懐疑的な眼差しを向けながら呟くヨン。リウレムは主張しないけど、凄く良い男だと思うヨン。仕事熱心で仕事もできるし周囲の気配りも怠らないか ら、部下の信頼も他部署からの信頼も非常に厚いヨン。国王の息子とはいえ他の人には物腰穏やかで丁寧に接するし、子供には多少砕けても面倒見も良いし一緒に遊んだりしてとても好かれているヨン。顔立ちは王宮勤めの男共よりも奇麗に整ってると思うし、武術も 心得ていて動きも機敏で要領もいいんだヨン。
 幾度となく告白をやんわりと断り、泣く泣く女性を優しく慰め落ち着いても、後々まで優しく声掛けを欠かさな い…。愛した男性から振られても優しく接してもらえる甘く切ない感情は、同じ女としていい気持ちだと思うヨン。女性からの羨望を一身に受けて男共に嫉妬されてるくらいヨン。
 リウレム、鈍いヨン。
 シクラが少し目を細めていると、リウレムは『例えばだ』と話し始めたヨン。
「僕に恋人でも出来たら、シクラは嫉妬でもするか?」
「しないヨン」
 即座に出た答えに、リウレムが驚いたようにシクラを見るヨン。
「シ クラはリウレムと一緒ヨン。大好きヨン。愛してるヨン。でもシクラは魔物ヨン。どんなに頑張っても、人間には出来ない事があるヨン。でも、例えリウレムに奥さんが出来て家族が出来たとしたら、シクラはリウレムの相棒として精一杯今までと同じようにリウレムを守って行くヨン。リウレムが幸せでいる事がシクラを幸せにしてくれるヨン」
 そこまで言って、リウレムが吹き出したヨン。お腹を抱え、息を全部吐き出すように笑うヨン。
 瞳に涙を浮かべ、ようやく笑い終えるとリウレムは言うヨン。
「シクラには敵わないなぁ」
「シクラは世界一良い女ヨン♪」
 もう一回快活に笑い声を上げて手を差し伸べてくるから、シクラはリウレムの手に絡み付いてふよんと空気に浮かんだヨン。
「シクラが人間だったら、僕はお前に惚れてるよ」
 リウレムがシクラの顔の真横に顔を寄せる。
「これからも宜しくなシクラ」
「もちろんヨン!」