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■ ネバーエンディングマーチ 編 ■



 セレドの町の施療院は長らく誰も住んでいなかったので、カビ臭さと埃臭さは何度掃き清め雑巾を掛けても薄れなかった。人の住んでいない家は瞬く間に痛むという。セレドの町で屈指の古さを誇るだろうこの建物も、例外ではなかった。それでも、この施療院でセリクが寝起きをすると決めて、子供達総出で掃除をしたのだ。施療院の多くある個室の中でも、まだ生活感のある空間を保てていた。
 ベッドのシーツは染み一つない真新しいもので、カーテンも綺麗に織られた麻布である。ベッドの脇に置かれたランプは暖色系の光を部屋に投げかけ、形の美しいガラスの水差しには白湯が入っている。縫いぐるみや木を削って作った簡素な剣などの、子供達の宝物がベッドから溢れて床に落ちてしまっていた。本来なら拾い枕元に並べてやるか、足元に綺麗にまとめておいてやりたいのだが気力はなかった。手先が器用なフェクトが作り、フィーロが祝福した木彫りのロザリオだけが胸元に置かれている。
 その空間の真ん中に置かれたベッドに、セリクが土気色の顔色で横たわっていた。目を凝らしても胸の動きは見えず、口元に手をかざすと微かに吐息を感じられる。今にも死んでしまうのではないかと思う程に衰弱していた。
 セリクが目を覚まさず眠り続けて、今日で3日目になる。
 瞼に連なる睫毛一本もサラサラと細く柔らかい髪も、何一つ動かない彼を見つめていると、廊下を歩く足音が聞こえてきた。セリク以外住む者のいない施療院では、誰かが行き来する音が直ぐにわかるのだ。足音が部屋の前で止まり、ノックが響き、扉が開いて蝶番が軋む音が耳を掻く。
「ルミラさん、セリクの容体は変わりません?」
 入ってきたのは仲間のエンジュだ。いつも綺麗に梳き解されている黄緑色の髪は乱れ、赤い縁のメガネのレンズが曇っている。表情からは疲れた雰囲気が漂ってはいるが、足取りはしっかりしている。
「変わらない。エンジュは少し休めたか? 睡眠不足は全ての物事において足を引っ張るからな」
 エンジュは微かに微笑んだだけで、自分の反対側に回り込みセリクの診察を始めた。手探りなのが傍目からでもわかる様子に、彼女もこの事態にお手上げなのだろう。
 セリクが石化する病気だとわかり、エンジュがフィーロを伴い仲間の一人であるガノの協力でアルゴンハートという治療薬の原料を手に入れてきた。エンジュは持ち前の薬学の知識から石化の治療薬を完成させ、翌日、セリクに説明し投与する予定だった。それまでは、元気だったのだ。彼はトゥーラを心行くままに奏で、子供達と楽しげに過ごしていた。
 セリクに薬を投与しようとした当日、保管していた薬は消えていた。カミハルムイで薬を子供に悪戯された経験のあるエンジュは、自分達が寝泊まりする部屋の隣、かつてリゼロッタが使っていた部屋に鍵まで閉めて保管する徹底ぶりだった。鍵は自分達が管理し、出入りがあれば隣の部屋にいる自分達が気がつかない訳がない。さらに窓は鎧戸がぴったりと閉められ、完全な密室であったにもかかわらず薬は忽然と消えた。だが、まだ一回分治療薬を作れる材料が残っているから、エンジュもこの段階では大した問題にしなかった。
 朝食の時間になっても来ないセリクを迎えに行った子供達は、大泣きしながら戻ってきた。セリクが目覚めない、子供達の言葉が一変した事態の始まりだった。
 セリクの服を捲り上げ、腹部を触診するエンジュは苦々しく顔を歪めた。
「どこも石化している様子はありませんわ。石化の前兆であろう筋肉の硬直もない」
 重い溜息をついて、彼女は瞑目した。
「仮にすでに薬を服薬してしまったとしても、昏睡するとは考えにくいですわ。例え、石化の病気に罹っていない健常者が服薬してしまったとしても、ほとんど効果を示さないはず。そう…そのように本には記されていると記憶しておりますのに」
 打つ手がない絶望が彼女の口から漏れる。そんなエンジュの手を自分は取った。
「エンジュ。今、この町で彼を救える知識があるのは君だけだ。酷な事だとはわかっているが、どうか希望を捨てないで欲しい。君が希望を捨てない事こそが、自分や子供達の希望でもあるのだ」
 かつて、双子の姉が生まれ持っての病弱さから天に召されるまでの間、こうやってベッドの横に座り眠り続ける姿を見るしかなかった。その時、姉の治療に携わってくれた人は死ぬ間際まで諦めなかった。どこまでも前向きで、姉の死を迎えることに絶望し疲弊した家族の不安を吹き飛ばす豪快な笑みに自分は本当に救われていたのだ。
 自分はエンジュの顔を覗き込み、笑ってみせた。
「ここで、石化の治療薬の調合をするのだろう? 自分は子供達の様子を見に行きがてら、薬に悪戯した悪い子を探し出して尻でもひっぱたいてくる。少々過ぎた悪戯だ。勢い余って山の向こうまで飛んで行ってしまうかもしれんな」
「まぁ、ルミラさんたらっ! でも、あと一回分調合できますから、お手柔らかにしてさしあげてくださいませ。それよりも、セリクが薬を飲んだのかどうかはしっかり確認してくださいな。それが明らかになるだけで、状況が変わりますわよ」
 自分は笑みを深くする。やはりエンジュは強気でなくては、らしくない。
「分かった。確認してこよう」

 セリクの危篤とも言える状態で、自分もエンジュも子供達のことまで気を回すことはできない。だが、リゼロッタやフィーロを中心に子供達だけで日常生活を恙無く営めていた。予行練習としては上出来過ぎていたが、自分が顔を出せば幼子達は泣きそうな顔で縋り付いてきた。
「セリク、死んじゃうの?」
 やはりセリクの危篤は幼子達には衝撃だったのだろう。自分は膝を折り、幼子達を抱きとめた。
「大丈夫だ。エンジュが今は側にいて見てくれている。必ず良くなるよ」
 自分が幼子達を安心するような声掛けをしている間に、フィーロがやってきた。子供達の中でリゼロッタと同じ最年長の少年は、幼子達に少し遊んでおいでと言って送り出した。セリクは大丈夫という自分の言葉を聞いて安心したのか、幼子達は元気に飛び出していく。
 幼子達を見送ったフィーロは、自分に向き直る。親が教会の神父であった関係から、この年齢で回復呪文などが一通りできる秀才だ。エンジュ達とドラクロン山を超えたことも、彼の成長に大きく影響しているのだろう。修道服に埋もれるような幼さはもうなく、あどけなさが残る口元は凛と引き結ばれている。
「セリクの容体は変わらん」
 自分の簡潔な言葉に、フィーロは『そうですか…』と項垂れた。他の子供達に聞かれると良くないと彼も思ったらしく、子供達が主に生活する高台の教会のリゼロッタの部屋へ足を向ける。その道中、視界の隅に大きな人影を見た気がして振り返るのだが何もない。自分が首を傾げていると、フィーロが不安げに囁く。
「実は3日程前から、町の中を幻が現れるようになっているんです。最初はぼんやりとして誰だか分からないくらいだったのですが、次第にはっきりしてきているんです。人間の大人…でしょう。数日後には誰だか判別できるかもしれません」
「セリクが倒れた頃か」
「何かが起ころうとしている。リズにもそう訴えているんですが、あまり聞いてくれなくて…」
 リズとは幼馴染のフィーロだけが使うリゼロッタの愛称だ。最年長ゆえに二人で力を合わせ町の子供達を統率する立場であるのに、不協和音とは良くない。
 3日前。石化の治療薬がなくなり、セリクが倒れ、幻が現れ始める。偶然と捉えるには不自然すぎる。何か原因があるのだろうとは戦うしか能のない自分でもわかるが、それが何なのかは分からなかった。とにかく、今は無害な幻よりも一刻を争うセリクの容体を改善させることが優先されるべきだ。
「リゼロッタはセリクの方が心配なんだろう。幻の対応は、もう少し様子を見ても良いと判断したんだ」
 自分の言葉にフィーロはやや複雑な顔をした。子供達の不安の芽を摘み取りたい気持ちはわかるが、無害な幻に感けセリクの対応を遅らせてはならない。互いに無言で階段を登り、リゼロッタの部屋の前に辿り着く。ノックをして扉を開ければ、リゼロッタは大きな執務机に向かい熱心に本を読んでいるようだった。入ってきた自分達を迎えるため顔を上げた彼女は、はにかむような笑みを浮かべた。
 挨拶の代わりのようにセリクの容体が変わらない事を告げた自分は、二人に本題を切り出した。
「セリクの容体悪化の原因を特定するために、石化の治療薬を持って行ってしまった者を探そうと思っている。治療薬をセリクが飲んだかどうかだけでも把握したいのだ。何か心当たりでもあるなら、教えて欲しい」
 フィーロは首を傾げ、リゼロッタは考え込むように手元の本に視線を落とす。
 しばらく考えてフィーロは『心当たりはありません』と答えた。リゼロッタはどうだろう。視線を向けた先で、彼女は未だに本に視線を落としている。本は手書きの文字が綴られているようで、リゼロッタ個人の手記なのだろう。
 どうしたのだろうとフィーロと顔を見合わせた時、リゼロッタが呟いた。
「セリクは薬を飲んだわ。ルコリアが持って行ったんだもの」
「ルコリア?」
 知らない名前だが、フィーロには心当たりがあるらしい。彼は驚いた様子で、リゼロッタに詰め寄った。
「ルコは無事なんだね。大人達と一緒に消えてしまったルコがいるなら、そこに大人達もいるはずだ。どこにいるんだい?」
 フィーロが愛称のように呼ぶあたり、リゼロッタと同じく幼馴染がそれくらいに親しい存在なのだろう。セレドの町とダーマ神殿から大人達が消えたと聞いていたが、例外的に消えてしまった子供もいたのだろう。おそらく、その子がルコリアという子なのだろう。
 押し黙ってしまったリゼロッタに、フィーロは言葉を強くして言い募る。
「なんで黙っているの。ルコの無事を誰よりも喜ぶのは、生まれてずっと一緒だったリズ、君じゃないか。それなのに、どうしてそんな辛そうな顔をしているの? セリクの病気が分かった時もそうだ。どうして、何も話してくれないんだ!」
 リゼロッタは手にしていた手記をぎゅっと胸元に抱き寄せた。明るい色彩の紙に可愛らしい花々が描かれた表紙には、凝ったレンダーシアの書体で日記帳と書かれている。自分はその日記に何かあるのだろうと察したが、乙女の日記を読もうとした者の末路は基本的に張り手では済まされない。少年の心にヒビが入らぬよう、自分はさっとリゼロッタの目線になるよう身を屈める。
「言いたくなければ、全てを言わなくていい。先ずは、君とフィーロが大切にしていたルコリアという子と、何らかのやりとりが出来る幸いを心から喜びたいと思う。だが、いくつか確認したい。ルコリアがセリクの元に薬を持っていき、セリクはエンジュが調合した石化の治療薬を服薬した。それに違いはないか?」
 こくりと、リゼロッタが頷いた。自分は慎重に言葉を選びながら、次を問う。
「薬を持って行ったということは、ルコリアがセリクが体が石化する病気に罹っていると知っているということになる。つまり、セリクは体が石化する病気であった。それも違いないか?」
 リゼロッタは再び頷いた。その沈痛な面持ちは、見ているこっちが辛くなる。
「最後の質問だ。セリクが薬を飲んだ後、ルコリアは何と言っている。セリクの病気の経過をできるだけ詳しく教えて欲しい」
 リゼロッタは固く口を引き結んでいたが、蕾が綻ぶようにほんの僅かに口元を緩めた。いつも凛と響く迷いなき声は、今は激流に揉まれる木の葉のように揺れ、いつ沈むともしれぬほどに頼りないものだった。
「薬を飲んで半日程で手足の石化が和らいで、1日で見に見える範囲の石化はなくなったそうよ。痛みも無くなって命を失うような状態を脱して、眠っている。でも飲んでから3日目になっても意識が戻らなくって、お医者様が困惑しているらしいわ」
 リゼロッタが口を閉ざし黙り込んだ。微かに震える肩に、自分はそっと手を置いた。
「セリクの命に関わることとはいえ、辛いことを口にさせてしまったな。後で、子供達に甘めの紅茶を差し入れるよう頼んでおく。落ち着いたら、君もセリクの様子を見にくるといい」
 踵を返すとフィーロの腕を引き部屋を出る。建物を出て直ぐの所で遊んでいた子供達に、リゼロッタに紅茶を持っていってやるよう頼んだ。子供達はとびっきり美味しいのを入れてあげようと二つ返事で了承し、建物の中へ駆けるように入って行った。その背中を見つめるフィーロに、自分は促すように言った。
「リゼロッタは今はそっとしてやったほうがいいだろう。今聞いたことを、エンジュにも話して今後のことを検討しよう」
 自分は高台から町へ下る階段の手前で足を止め、町を見下ろした。
 言いようのない不気味さに腹の底がざわついたが、賢くない自分には訳が分からなくて言葉にし難い。ただ、事態が少しずつ自分たちの意思とは関係なく進んでしまっている。進んだ先に何があろうと、自分がすることはこの背に背負った剣で脅威から子供達を守るだけだ。
 立ち止まってはならない。先へ進み、脅威を確認し、子供達に及ぶ前に倒さねばならない。
 自分は先を急ぐように、大股でエンジュの元へ戻った。

 リゼロッタから聞いたことを一通り伝えると、セリクの脈を取っていたエンジュはなるほどと呟いた。エンジュは結局薬の調合はせず、彼女の知識を書き溜めたノートを読み返していたようだ。そのノートも自分からみれば分厚い鈍器にしか見えず、中身など自分が眺めれば頭痛を引き起こすか知恵熱を出すかという代物であろう。
「薬は飲んで快方に向かっているならば、それはそれで良かったですわ」
「何が大丈夫なんですか? 目の前のセリクは虫の息なんですよ?」
 噛みつくように言うフィーロに、エンジュは転がった鈴の音のような笑い声をあげた。
「私もまだまだ未熟者ですわ。目の前のセリクに何の症状もないのに『セリクが体が石化する』という情報だけで、アルゴンハートを取りに行ってしまいましたのよ。そもそも、リゼロッタの言う『セリク』とルコリアの言う『セリク』が、同一人物かも定かではありませんわ。同じ名前の他人かも知れない。薬学の分野において、同じ名前の人物に対する薬物投与の取り違えは重大な過失。決してしてはならぬこととして、戒められていることですの」
 なるほど。確かに手持ちの情報だけでは、リゼロッタとルコリアの『セリク』が同一人物と断定はできない。名前が同じである以外の要素である、外見やトゥーラが弾けるかというような特技、出身地などの個人情報などは一切ない。もっと突っ込んで聞くべきだったと、少し後悔する。
「セリクの病気は白紙にして調べ直しますわ。こんな初歩的なミス。故郷の友人に笑われてしまいますわね!」
 エンジュは薬缶を持ち上げメラで温めると、あっという間に注ぎ口から湯気が立ち上る。熱湯をポットに注ぎ、それぞれに紅茶を入れてくれた。フィーロには甘めのミルクティー、自分には砂糖抜きのストレートティー、彼女自身は甘さ控えめのレモンティーを用意した。両手でカップを持つと、じんわりと紅茶の暖かさが染み込んでくる。
「それよりも、興味深いのはルコリアという子ですわね。何者ですの?」
「ルコ…。いえ、ルコリアはリゼロッタの双子の妹で、僕の幼馴染です。あの日、大人達と共に消えてしまった唯一の子供です」
「なぜ、消えてしまったのか心当たりはありまして?」
 フィーロはうーんと考えて、ぽつりと言った。
「ルコリアはあの日、風邪で寝込んで来れなかったんです」
「ということは、リゼロッタが召喚の儀式をした日、セレドの子供達はルコリアを除いた全員が集まっていた。つまり、消えなかった条件は『一定の年齢に達していない子供』ではなく『召喚の儀式の場にいた』と言えますわね」
 エンジュはじっとセリクの顔を見つめてから、フィーロを見た。
「どういう手段を用いたかは存じませんが、妹という最も身近な身内を名乗る者が接触してきたことに、リゼロッタ自身はとても警戒したことでしょう。彼女は外からの脅威に対応すべき者としての自覚があるのですから、妹と名乗る何処の馬の骨かわからない者の言葉なんて鵜呑みになんてしませんわ。きっと、彼女と妹だけがわかる秘密や特徴から、リゼロッタは妹を名乗る相手が自分の妹だと確信しているはず。だからこそ、セリクの病気のことを私達に伝え、私の調合した薬の在りかをルコリアに教えたのでしょう」
 確かにリゼロッタは子供達を守るために、彼女なりに考え抜いた判断を下す。軽率な真似はしないだろう。
「『儀式の場にいなかった』為に消えてしまったルコリアが生きているなら、同じ条件下にいる大人達もご存命のはず。問題は、どこにいるか。私は消えた人々のことを思い巡らして、ここにいるという仮説を立てましたの」
 エンジュは床を指す。目を白黒させる自分とフィーロは、顔を見合わせるばかりだ。
「…地下にいるのか?」
「もう! ルミラさんたら、物分かりが悪いですわ! セレドですわ! 消えた者達もセレドにいますのよ!」
 驚く自分達を尻目に、エンジュは捲し立てる。
「召喚とは次元に関わる分野。一歩間違えれば異次元に飲み込まれ、永遠に彷徨い歩くとも言われておりますの。召喚の儀式を行った場所は、きっと次元が揺らぎ安定した空間ではなかったはず。召喚の儀式の際に、子供達の存在する次元がズレてしまったと考えておりますの」
 次元が、ズレる?
 首をかしげる自分達に、エンジュは早口の口調を戻して説明した。
「普通は幽霊も精霊も見えませんでしょう? 幽霊や精霊といった存在は、この世界に非常に近いけれど少しズレた次元で暮らしておりますの。分かりやすく幻想的に言うならば、子供達は召喚の儀式の時に精霊の世界に迷い込んでしまったというところかしら」
「じゃあ、3日前から見え始めた幻は…」
「子供達の親の可能性がありますわ」
 表情を明るくしたフィーロに、エンジュは唇に人差し指を立てて見せた。
「仮説でしかないのです。まだ、このことは秘密ですわよ。きっと、もう少ししたらわかるでしょう」
 わかりましたと答えたフィーロだが、親が近くにいるという言葉しか頭の中に入っていない様子だった。彼は少し浮いた様子で部屋を出て、足早に施療院を去っていった。残された自分はエンジュの明るくない表情を見て、じっと彼女が話し出すのを待つ。痺れを切らした自分は、素朴な疑問を漏らした。
「リゼロッタは、どうして妹が生きていると知って喜ばないのだろうな」
 あの沈痛な面持ち。リゼロッタは何かを隠している。
 エンジュが口を開いたのは、もう話さないのかと思うほどの時間が経ってからだった。
「妹さんが生きていて、きっと嬉しかったと思いますわ。でも、それ以上に喜べないことがあるのかも知れませんわね…」
 エンジュの表情は厳しかった。その表情はリゼロッタのものと似ていて、これから先の困難がセリクの危篤よりも恐ろしいものだと暗に告げていた。
 周りが騒がしい。施療院には3人しかいないというのに、自分は何十人もの人々の気配を感じていた。


 □ ■ □ ■


 あながち、地下にいると言った自分の言葉は間違っていなかったようだ。
 幻が見えるようになって一週間。幻には鮮明に見える場所と、見えぬ場所が存在するということがわかってきた。子供達が常にいる町の東の商業区はぼんやりとして分かりにくいが、西の居住区はかなり鮮明に見えた。声こそ聞こえないものの、気配は分かり、大人の顔立ちからどの子供の親かまで推測できるほどに見分けられる。鮮明に見えるほどに、幻が現れる時間も長い。
 そんな幻が最も鮮明に見えるのが、町の地下。光の河がかつて走っていただろうセレドを二分する崖を侵食してできた、地下空間だった。地下空間は町の住人全員が収容できるそうな程に広々とした空間で、長年使われているのかそれなりに整備されていた。レンガで補強された壁、平に均され歩きやすい床。倉庫として使われていたのか、隅には樽や木箱が積み上げられていた。子供達には無用の場所であったし、崖が危険なので近寄らないよう言っている。
 子供達がダーマ神殿の礼拝堂へ祈りを捧げに行く夕刻時に、大人達の幻はこの地下空間に集まるようだ。
 自分が来た時にはすでに数名の大人の幻がいて、その誰もが沈痛な面持ちで誰かを待っている。次第に鮮明になって行く彼らの服装は一様に黒っぽく、中には葬式で着用するヴェールをしている女性までいる。まるで誰かの葬儀のようだが、彼らが向いている方向に棺はない。精一杯祭壇として見繕ったのだろう、真紅の布や燭台が彼らの前に置かれている。
 どう考えても真っ当な集まりではないだろう。沈痛な表情の大人達は、拘束や無理強いをされた様子もなく自らここに集まっているようだ。一体、彼らは何のために集まっているのだろう。
 さらに鮮明さを増してくる幻に万が一見つかった時のことを考え、自分は隅に積み上げられた木箱の影に回った。誰もいないと思って踏み込んだ瞬間、小さい悲鳴が上がる。
「リゼロッタじゃないか。驚かさないでくれ」
 先客はリゼロッタだ。いつも白い服を着ている彼女は、幻が自分に気がつかないようにするためか、闇に馴染むように黒い服を着ている。自分がここに来ていることに驚いたのか、リゼロッタは目を丸くした。
「リゼロッタ。やはり君も、大人達の幻がこの地下空間に集まるのが怪しいと思ったのだな。だが、今は子供達がダーマ神殿で祈りを捧げている時間だ。君がいないことを不安に思う幼子もいることだろう。ここは、自分に任せて戻るんだ。あとで何があったか伝えに行こう」
 リゼロッタは動かないで、じっと自分を見つめる。どうかしたのか問おうとして、口を開いたのは彼女の方が先だった。
『初めましてルミラさん。ようやく、私が見えるようになったのね』
 潜められているからか声は聞き取りにくかったが、それ以上に硝子越しに喋るような不自然な響きを伴っていた。それにリゼロッタとは昼食時に会っているから、『はじめまして』と『見えるようになった』という言動は不自然だ。そして『ようやく』という言葉。もしかして、彼女は…。
「君は、ルコリアか?」
『そう、私はルコリア。リゼロッタ姉さんの妹で、フィーロの幼なじみよ』
 フィーロから双子と聞いていたルコリアは、同じ色の服を着ていたら見分けがつかない程に良く似ていた。茶色い髪は背中まで伸び、顔立ちは幼さからようやく抜け出そうというあどけなさがある。リゼロッタが持っていたのと同じ日記帳を、胸に抱くように持っている。強いて違いを挙げるなら、口調は彼女の方がややおっとりしている事くらいだろう。
 彼女はリゼロッタと同じく行儀が良い子なのだろう。丁寧に頭を下げた。
『セリクの病気を治すお薬を調合してくださって、ありがとうございます。セリクの意識はまだ戻らないけど、命の危機を脱し快方に向かっているんですって。先生方もこの薬をどうやって手に入れたのか、大変驚いていたわ』
「礼は調合したエンジュと、アルゴンハートを手に入れる為に頑張ったフィーロに言うのだな」
 わかりましたと微笑んだルコリアに、自分は問うた。
「これは何の集まりなんだ? とても真っ当な集まりに見えないのだが…」
『大人達が旅の祈祷師に騙されて、怪しい儀式を行うようになっているの。最初は大人達も馬鹿なことをって笑っていたけど、子供達の幻が鮮明に現れるようになって皆信じるようになってしまった。祈祷師は嘘ばかり並べているのよ。姉さん達が大人を恨み呪うだなんて有り得ない』
 なるほど、子供達から見れば突如消えてしまった大人達。だが、大人達の目からも子供達が突然消えてしまったのだろう。
 ルコリアの言葉に、自分も深々と同意した。子供達が悲しく泣いたことは多々あったが、大人を恨み憎んだことは一度もない。子供達が恨むならエンジュであろう。彼女は食材が嫌いだからと言って残す子供に容赦がない。
 木箱の向こうで大人達がざわつく。自分とルコリアが木箱から覗くと、集まった大人達に向かって一人の男が大声で話し始めていた。私の話に耳を傾けてくださりありがとうございますといった謝辞から始まり、大人達の心の傷を労わるような慰めの言葉が続いている。
 なかなか耳に障る声の男こそ、ルコリアのいう旅の祈祷師だろう。ひらひらと風に翻る幾何学的な模様の衣を羽織り、腕や胸元にじゃらじゃらとアミュレットをつけている。露出した肌には文様らしき刺青があり、眼光の鋭さはガラの悪さを感じさせる。
『厳しいしつけに追い詰められた町の子供達は高台の教会が崩れたことにより命を落とし、恨みを抱く悪霊として留まり追い詰めた大人達を道連れにしようとしています。私は皆様を守るよう、とある高貴なお方の命で馳せ参じたのです。私の言葉に耳を傾け協力することこそ、悪霊となった子供達から身を守ることとなるでしょう!』
 …何を言っているのだろう。
 自分は顔が訝しげな表情になってしまうのを、どうにも堪えられなかった。この祈祷師がいうには、子供達は死んでしまっていることになっているらしい。子供達ですら、大人達が消えてしまったからといって死んだと決めつけなかったのにだ。
 大人達が口々に『サダク様!』と崇め讃えている。どうやら詐欺師の名はサダクというようだ。
「これ程までに露骨な詐欺は終ぞ見ないな。グレンで横行したダイス賭博でさえ、もう少し現実味のある謳い文句を言える」
 熱心にサダクの演説に聞き入る大人達の背中を見ていたルコリアは、突然飛び出した!
『貴方は嘘つきよ!』
 自分が静止する間も与えず、彼女は凛とした声を地下空間に響かせた。胸に日記帳を抱きしめ震える足を励まして、彼女はさらに声を張り上げた。
『リゼロッタ姉さんも子供達も、大人を恨んでなんかいないわ! 教会の事故で死んだ皆は自分が死んだことにすら、気がついてない! 子供しかいない死の世界で、消えてしまった大人達が迎えに来てくれるのを待ち続けているのよ!』
 自分は言葉を失った。
 教会の事故で死んだ皆。死んだことに気がついていない。それは、子供達のことなのか。いや、それよりも自分達も死んでいるのか? レンダーシアへ向かう船旅の時、実は死んでしまったのか? いったい、どういうことなのだ?
 混乱していたからこそ、気がついた時にはルコリアの前に身なりの良い男性が立っていた。ルコリアの頬を叩こうと、手を振り上げる。いつもの自分であったなら、男性の手を払いルコリアを守ることができたであろう。だが、男性の幻の腕は自分を突き抜け、頬を叩かれたルコリアは倒れ込んだ。
「ルコリア! すまない、大丈夫か?」
 顔を上げないルコリアから視線を外し、自分は男性を見上げた。男も自分が見えているのだろう。驚いた様子で自分を見下ろしている。
『お前は…! 絵の!』
「なぜ、子供達を信じない!」
 自分は怒鳴る。子供達がずっと待ち続けた大人の態度に、強い憤りを感じた。そして大人達が子供を信じていないことが、悲しくて仕方がなかった。
「子供達は、親を、大人達を信じているのに…!」
 次の瞬間、目の前から男の姿が消えた。こちらを見ていた大勢の大人達の幻も、地に伏せたルコリアの幻も、全てが消えていた。ガランとした地下空間に、ただ一人自分だけが立っていた。


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