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■ 死ぬ瞬間の苦しみと生き続ける苦しみと 編 ■



 灰色の石畳は金色の砂が詰まって、人々が賑やかに音を響かせて行き交っている。防塵と遮光を兼ねた白の外套を頭からすっぽりかぶった人々の波を、声を張り上げ商品を連呼する男の子が魚のように渡って行く。水や食べ物を売るバザールは王宮の中に作られた城下町の壁際を埋め尽くし、炊かれた香木と音楽がゆったりと天井を流れる。
 光り輝く中庭はアラハギーロ王国の宝である、澄んだオアシス。その奥にモンスター闘技場が聳え立っている。
 俺とピペはそんな大通りから少し外れた、木陰にやってきていた。多くの行商の馬車が停まってごった返す場所に、一際大きな幌と体躯の良い駿馬が二頭引く馬車がある。その木陰の外壁にはピペの描いた大作の絵が立てかけられていて、ピペが注文したヒャドの文様が織り込まれた布が掛けられている。
 俺と並ぶほどの体格の良い大男が、その布を少し持ち上げて中を確認し大きく頷いた。
 男は日に焼けた凛々しい顔立ちに整った髭を持ち、筋肉隆々の体に似合った大剣を背負っている。髪を後ろに撫で付け鋭い眼光は蛇のように見た者を竦ませそうだが、ピペに対して満足そうに眉尻を下げて見せた。
「これから先は、責任を持って我らが主人の元に届けよう」
 その言葉を合図に、屈強な兵士達が絵を担ぐ。男達は『この絵を運んでいれば、あの御方に拝謁できるのか!光栄だな!』と、喜びを隠しきれないようだ。そんな男達に、俺やピペがゼルドラドと呼ぶ男が鋭く注意する。『汗ひとつ絵に垂れるだけで、貴様らの首が飛ぶと思え!』魔獣の雄叫び並みに、殺意の篭った低い声だ。
 おぉ、怖い怖い。
 だがピペに依頼した絵を取りに来るゼルドラドが運び手とする、いつものやりとりだ。俺もピペも慣れたもんだし、ゼルドラドも何事もなかったかのように振り返る。
「君の作品を、我が主は高く評価しておられる。感謝の言葉と、新たなご依頼を賜っている。謹んで受けたまえ」
 そうずっしりとした布袋を俺が受け取り、真っ白い便箋をピペに渡す。
 手紙には美しい文字がびっしりと書き連ねられている。ピペが言うには感動するほどの賛辞が詰め込まれていて、凹んだ時や自信のない時は手紙を読み返したりして過ごしている。読んでいるピペも、嬉しそうで頭から花が生えてきそうだ。
 最後の方は次の依頼になるのだろう、詩が書き込まれているらしい。ピペがそれを読んで頷いた。
 ピペは真っ白い便箋に、依頼人に負けないほど美しい字で短い返事を書く。
『ご依頼、謹んで承ります。ご期待に添えられるよう、全力を尽くします ピペ』
 それを綺麗に折りたたみ、蜜蝋で封をするとゼルドラドへ手渡した。手紙を懐に入れながら、ゼルドラドはピペを見下ろす。
「少し先の話になるが、我が主がグランゼドーラへお見えになる。主は前途ある芸術家とのご会談を望まれておられるため、次回の作品を受け取る場所をグランゼドーラに設定したい」
 俺とピペは互いに顔を見合わせた。
「グランゼドーラ への 門 閉まっている」
 ドラクロン山脈から連なる山岳地帯という天然の鉄壁を備えたグランゼドーラは、三門の関所を抜けてレビュール街道を北上するか、海から船で王国に入るしか方法がない。だが山門の関所が閉ざされているのを、俺達は直に確認している。さらにルアムや彼の仲間の冒険者の話では、グランゼドーラと5大陸の玄関口となるレンドアを結ぶ定期船グランドタイタス号でも、あまりの大荒れでグランゼドーラ港への入港を諦め引き返したそうだ。
 ゼルドラドもその状況を理解しているのか、懐から一つ巻物を取り出して差し出した。
「この書状を託す。門番に見せれば、通行できることだろう」
 では、グランゼドーラで。そう踵を返したゼルドラドと馬車を俺達は見送り、複雑な表情で書状を見下ろした。
 現在のレンダーシアは混乱を極めている事を、大陸を一周している俺達は肌で感じていた。ザンクローネが帰ってきてルアムが守っているとはいえメルサンディの巨大な手足の魔物の騒動も収束していないし、エンジュやルミラが保護しているとはいえセレドの町は子供達ばかりでダーマの神殿は無人のままだ。グランゼドーラの他に唯一の王国であるこのアラハギーロも、とても周囲に手を差し伸べられる状態じゃなかった。魔法の羅針盤のメダルを持つ5大陸からの調査団達とも顔をあわせるが、一様にレンダーシアが混迷を極めていると話す。
 それらの混乱からいの一番に身を引いて守りに徹したのが、勇者の大国グランゼドーラだ。門を締め切り、旅人の入国を厳しく制限した。メルサンディ村の助けの嘆願書すら門番は受け取らなかった徹底ぶりだ。
『もう、お姫様を描く募集はしていないかもね』
 ピペの指が砂を掻いて、呟きを書き込む。
「しかたない それどころじゃ なくなった」
 俺達はグランゼドーラのアンルシア姫の肖像画の描き手に応募するために、王国を目指していた。その途中、アラハギーロの戦争に巻き込まれて、目的地への門は閉まってしまい当て所もない旅をしている。
 と、ピペは言う。
 俺としても随分と変だとは思うんだけど、俺の記憶はアラハギーロの戦争が終わった頃から始まっている。俺だけじゃない。アラハギーロの住民全員がそうだ。皆が気が付いた時には戦場のど真ん中で砂まみれの傷だらけで倒れていて、ベルムドの指示で襲ったり逃げたりする魔物達を捕らえ、重傷者を治療したりするために城に戻ってきた。
 ベルムドはアラハギーロの民に『君達は戦争でもたらされた強力な魔法によって記憶を失ってしまった』と告げた。彼は人々の前に率先と立ち、名前と仕事を与えて今の王国が始まった。そう、アラハギーロ王国は記憶喪失者の国なんだ。
 俺は隣にいたピペと共に、それ以来旅をしている。
 もっと昔から一緒にいたと思う。ピペが絵を描く事が大好きな事、俺と長い付き合いだった事は朧げながらに覚えていて一緒にいると確信に変わった。俺はピペと旅をしてピペの好きな事、旅の目的を再確認する。でも、この王国で起きた戦争以前の自分のことは何一つ覚えちゃいなかった。
 ピペは少し寂しそうな顔をしたが、『ラチックさんが一緒にいてくれるから、それでいい』と笑う。
 この国の住人になった他の記憶喪失者は、ベルムドが与えてくれる生活に満足して失う前の記憶なんかどうでもいいという。どっと歓声が湧く魔物闘技場を見やりながら、俺は顔をしかめる。
 自分の過去がわからない今が、地面に足が付かないようで気持ちが悪かった。

 馬車の周囲にいた運び手や商人達が騒ついた。『どいてどいてー』と伸びやかな声が晴天に向かって投げ上げられるが、周囲の反応は明らかに怯えて悲鳴まで上がっている。アラハギーロの大通りには野次馬で人垣ができていた。
 ピペが俺によじ登ってバンダナに齧りつくので、俺もピペも見やすい位置に移動する。そうして人々の合間から見えたのは、トンブレロソンブレロを被ったウェディの男と、熟練冒険者の雰囲気が漂うドワーフがとある魔物を引き連れて歩いている姿だった。
 ピペが目を輝かせて見ているのだろう。バンダナを握る手に力が入る。
「ピペさん。ラチックさん」
 声に振り返ろうとすると、ピペがぐいっと力を込めた。見ているんだから、振り返るなってか。
 背後にいた気配は隣にするりと移動した。真っ赤なワンピースのエプロンドレスに、メルサンディの大地を彷彿とさせる秋の実りの色の髪が綺麗なミシュアだ。ミシュアは青い瞳を瞬いて興味津々に人垣を覗き込み、口元に手をやって息を飲んだ。
「あれって、とても恐ろしい魔物じゃないの? こんな所を歩かせて大丈夫なのかしら」
 さぁ。俺はそう言って視線を戻す。魔物の首には鎖は掛かっていないが、ウェディの男の側を離れる気配はない。まるで従順な犬のように寄り添い、穏やかな気配を発している。
「アラハギーロは 魔物使いの 国。 あいつも そう だろう」
 ウェディの男が引き連れているのは、地獄の殺し屋と呼ばれるキラーパンサーだ。グランゼドーラ領に主に生息する魔物で、黄色い黒い斑模様の毛皮は極上の肌触りで高値で取引されたが、そのことで多くの狩人がその牙の餌食になった。その毛皮は鬣と同じ真紅に染まり、爪は逃げる馬にすら追いつき獲物を引き裂くそうだ。賢く勇敢で、伝説の魔物使いの相棒を務めた逸話もある。
 さらに、目の前のキラーパンサーは白い毛皮なのだ。そのあまりの珍しさに、多くの人々が恐れながらも目を離せずにいる。
『あのウェディ、あのキラーパンサー捜索をベルムドさん直々に頼まれたらしいぜ』『腕が立つのか?』『あのドワーフはピラミッド発掘の許可が欲しいらしいな』『酔狂な奴。あんな恐ろしい所に何があるんだ?』住人達がざわざわと噂をやり取りする。
 二人の冒険者とキラーパンサーは闘技場に向かっていく。
 ピペがむんずと俺の首をひねって来る。
「ピペ 俺の首 とれる」
 ピペはもぞもぞとミシュアの肩に飛び移って、しきりに白いキラーパンサーを指差した。ミシュアがはいはいと快活に笑い歩き出す後を、俺はゆっくりと付いていく。はしゃいだ様子でミシュアに笑顔を見せるピペが、なぜかとても新鮮に感じた。
 砂漠の大国の城下町は、王宮の真下にある。頭上に覆いかぶさるようにある、極彩色のモザイクとレンガの天井の上は王宮なんだ。城下町を南から北へ貫く大通りは、中庭のオアシスの風を呼び込んで涼しく、店先に並ぶ極彩色の糸で編み込んだ敷物を揺らし重石の鈴を軽やかに鳴らす。シャンデリアはオアシスの水面を反射した陽光を四方に散らして照らし、吹き抜けには幾何学模様のステンドグラスが嵌っていて美しい日向を地面に映した。香木が、水煙草の煙が天井をうっすらと曇らせて漂っている。
 人々の雑踏は流れを生み、上手く乗れない者は変な所へ流されて中庭のオアシスへ出る。オアシスに掛けられた巨大な橋を渡った先には、振り返って見上げる王宮と変わらぬ大きな建物が建っていた。アラハギーロ王国の旗が翻るモンスター闘技場は、レンダーシア屈指の娯楽施設で今も立ち見が出るほどの超満員。この薄曇りの空を幸いにと席に座る者は誰一人おらず、ある者は腕を振り回し、ある者は雄叫びをあげ、誰もが興奮しきった様子で舞台を見下ろしている。
 闘技場には魔物達が入り乱れて戦っている。傷つき倒れれば喝采が上がる。
 モンスター闘技場で開かれるバトルロードは、魔物と魔物を戦わせる試合形式で行われる。参加者である魔物使いが4匹の魔物をエントリーし、対戦するのだ。有名な魔物使いの試合となれば、立ち見のチケットすら即完売する。
 目の前で片方のチームが全滅したようだ。遠目からでも息があるのは見て取れるが、とても戦闘を続けられる状態ではないのがわかる。本来ならこの時点で救護班が魔物達を回収するのだが、出入り口の鉄格子は固く閉ざされたままだ。
 ベルムド! ベルムド! ベルムド!
 人々の地鳴りのような呼び声に応えるように、王族が観覧する場所から悠然と一人の男が進み出た。黒髪を後ろに撫で付けた、壮年に差し掛かりそうな男だ。ゆったりとした衣越しでも、鍛え抜かれた肩周りの筋肉が見える。鍛え抜かれた肉体を証明するかのように、彼はシンプルながらに重そうな長剣を携えて闘技場に飛び降りた。
 歓声が会場を震わし、ピペはミシュアの肩に顔を押し付けた。ミシュアも嫌悪の眼差しを向けることにも耐えられないかのように、視線を舞台からそらした。
 ベルムドは負けた魔物に大剣を突きつけた。
 そう。これから行われるのは、敗北した魔物の処刑だ。
「なんの…罪もないのに…」
 ミシュアの呟きは歓声に押しつぶされた。俺もそこまでしなくてもいいのに、と思う。だが、俺たち余所者が口出しできることではなかった。アラハギーロの民はこの魔物の処刑の瞬間を、何よりの楽しみにしているのだから…。
 魔物の首に剣が突き立てられ、トドメが刺されようとした瞬間だった。
「やめて!」
 小柄な少女が瀕死の魔物に縋り付いた。青いボブショートに掛けられたゴーグルに、剣が突き立ちヒビが入る!剣の勢いは止まらない。剣は少女の頭蓋を打ち抜き、体を貫通して魔物に突き刺さるだろう。そう、誰もが思った。おそらく剣を握った、ベルムドでさえ。
 その時、疾風が吹きこんだ。
 疾風は白いキラーパンサーの形となって、ベルムドの大剣を吹き飛ばす。白い毛並みは美しく、斑模様はくっきりしている。前足には緑の貴石をくり抜いた美しいブレスレットをしていて、この魔物が人に関わっているとわかる。そしてそのキラーパンサーの左目が古傷なのだろうが潰れている。
 刹那のことに、呆気にとられて静まり返る会場にぱちぱちと拍手が響いた。
「いやぁ、間に合った間に合ったー! 早いなぁー! 強いなぁー! 貴方はー!」
 朗らかで滑舌の良い声は、闘技場の隅々にまで届いた。俺達のように彼を追って闘技場に来た者を知らずとも、その口ぶりは闘技場の全ての観客に悟らせた。手足の長いウェディの男がキラーパンサーの飼い主であると。
 ベルムドが忌々しそうに眉間にシワを刻み込み、ウェディの男を見据えた。
「貴様が嗾けたのか? イサーク?」
 イサークと呼ばれたウェディの男は、目深に被ったトンブレロソンブレロを外すと慇懃に芝居掛かった会釈をする。
「ウェディの男子は、常に女性の味方だからねー」
 そして帽子の中から木製のしゃもじを取り出すと、ふわりと空気に魔力が満ちる。
 癒しの歌を口ずさみ、ベホマラーの光が傷ついた魔物達に降り注ぐ。実力のある僧侶なのだろう。戦闘不能の重傷だった魔物達の傷はみるみる癒えて、身じろぎ痛みに呻き声を上げる。にっこりと爽やかな笑みをベルムドに向ける。
「ついでに、僕の目の届く範囲で殺傷沙汰は許せないんだよねー」
 余計なことを…。ベルムドの口元がそう動いたが、声は聞こえなかった。
 観客達の壮絶なブーイングが、イサークに向けられていた。耳が良いと言われるウェディには拷問に他ならない悪意に満ちた罵詈雑言が浴びせられるが、イサークは涼しげな表情で会場を見回していた。
 そんな彼にのしのしとドワーフの男が近づいて行く。
 ドワーフは会場を一瞥すると、徐にハンマーを取り出し大地を叩いた! 舞台がひび割れ、大地が砕ける!
 観客達が一斉に跳ねた。重量のある俺は地面から離れはしなかったが、ミシュアやピペは軽いジャンプ程度には浮いた。ブーイングがさぁっと引いて行くと、ドワーフはベルムドに怒鳴り散らした。
「いつまで待たせるんじゃ! 我輩は貴殿の要望通り、白いキラーパンサーを見つけんと半月もジャイラ密林を彷徨い歩いたんじゃぞ! ピラミッドの発掘許可を、これ以上1秒も先延ばしにされるのには我慢ならん!」
 そんなドワーフの啖呵に、イサークが腹を抱えて笑いだした。
「あははははー! ベルムドさーん。ガノさん本気だから早く許可状出してあげてよー。この闘技場が瓦礫の山になっちゃうよー!」
 そう言って歩きだした面々の後を、キラーパンサーが歩き出そうとして足を止めた。
 へたり込んだ少女の頬をぺろりと舐め、ブレスレッドをした前足をそっと少女に近づける。少女が手首に嵌めたブレスレッドと、キラーパンサーのブレスレッドが当たって澄んだ音を立てた。りぃんと響く二つの緑は、同じものだった。

 ベルムドが退場し傷の癒えた魔物達を兵士達が奥へ連れて行く。誰も居なくなった闘技場を見下ろしていた民は、口々に悪態を吐きながら散って行く。座席に座る者は疎らになり、人だかりだった出口付近も掃けてきた。俺達も帰ろうと足を向けた時、罵声が響いた。
「また、お前か! 良い所で邪魔しやがって!」
 声の方を振り向けば、先ほどの青い髪の少女を3人ほどのアラハギーロの民が囲んでいる。一人は屈強な男、一人はひょろっとしたずる賢そうな男、最後の一人は斜に構えた女だ。3人とも容姿も繋がりも見出せないが、全員が気色ばんでいるのを見ると処刑に割入ったのが気に入らなかったのだろう。
 しかし、少女は怯まない。頬をパンパンに膨らませ、男に負けない大声で返す。
「皆の方がおかしいよ! 魔物達が殺されるなんて、酷いじゃない!」
 火に油だ。残り二人が殺気立つ。
「酷くなんかねぇよ! ベルムドさんは俺達が喜んでくれるのを見て、それに応えているだけさ!」
「皆、アンタの事が気に入らないんだよ! 皆のお楽しみを邪魔して、よくもまぁ言ってくれるじゃない!」
 ひゅっと女が少女に向かって手を上げようとしたのを、俺が掴んだ。じゃらりと腕に絡みついたブレスレッドの感触が、手のひらに食い込む。細い腕に力はなく、俺に腕を取られた驚きに目を見開いて女が見上げる。
「そこまで だ」
 俺に文句を叩き付けようとした屈強な男に、ミシュアが眉を顰めて声を掛けた。
「ベルムドって人は結局引っ込んじゃったんだから、その子に当たったってしょうがないじゃない」
「暴れ足りない なら 俺が 遊んで やろう」
 女の手を離して、態とらしく手のひらに拳を叩き込んで見せる。良い音が出たら、男供はたじろいだ。
「ははっ! 俺とした事が大事な用事を思い出したぜ! 嬢ちゃん、運が良かったな! だが、ベルムドさんの邪魔を今度したら、こうはいかねぇからな!」
 転がるように屈強な男が逃げて行くのを呆然と見送った男女はハッと我に帰り、ピペが顔を歪めるほどにありきたりな捨て台詞を吐いて逃げて行った。残った俺達が彼らを見送ってしばらく、青い髪の少女が頭を下げた。
「助けてくれて、ありがとう!」
 にっこり笑顔が可愛らしい、愛嬌のある少女だ。ピペが短い腕を壊れたゴーグルに伸ばすので、少女が首をかしげる。
「ピペ 直す 言ってる」
「そうなの!? 助かるー! 私じゃ直せないから困ってたんだ!」
 ピペはゴーグルを受け取りながら、矯めつ眇めつ眺め回す。ピペは手先が器用だから、きっとすぐ直してしまうだろう。
 道具屋でゴーグルを修理するのに必要なガラスを購入して、ピペは裏通りの一角に陣取った。俺の背を突いて荷物袋を下ろさせると、手際よく道具を取り出して行く。魔力を込めると棒が熱を帯びる、炎の剣の構造を道具に落とし込んだ溶接具。ガラスをカットする特製のナイフに、プラチナ鉱石まで削るオリハルゴンの翼から鋳直したという特製の金ヤスリ。鞣した皮を矯めつ眇めつゴーグルの皮と睨めっこすれば、おもむろに千枚通しで穴を開け、裁縫ギルドだけに卸しているはずのプラチナ刺繍針に麻とシルクを絶妙に掛け合わせたという縫い糸を通す。
 炉がないだけで、ちょっとした職人的空間を作り出したピペの周りを通行人が興味津々に覗き込む。
 手先の器用さとデザインセンスで生計を立てるピペだ。とにかく、手際の良さも直った状態も素晴らしい。最後に蝦蟇の油で光沢を出して仕上げれば、直す前よりピカピカだ。
 僕も私もと住人達が小銭片手に持ち寄り出して、3人組の子供達が飽きもせずに見つめている。ピペがようやく解放された時には、夕飯時。いつもはオムツっこりが食べる程度しか食事を口にしないピペが、珍しく山盛りの食事を口に運んでいる。
「ピペ! ありがとう!」
 ふるふる。アカリリスみたいに、小麦をツボに押し付けて焼いたナンというパンを両頬に貯めたピペが勢いよく首を振った。
 食卓はこの熱い砂漠の熱でバテても、食欲を刺激する香辛料の効いた食事だ。香草をふんだんに用いたチキンソテー、野菜とたくさんの豆を煮込んだカレーにパンをつけ、お好みで甘辛いレッドベリーをトッピングする。白いココナッツミルクから作った飲料は甘く、グラスの底にカラフルな果物が沈んでいる。
 青い髪の女の子は、ぺこりとゴーグルを輝かせてお辞儀をする。
「私の名前はセラフィって言うの!」
 ピペもぺこぺこ。俺達はピペが忙しい合間に挨拶を済ませていたが、改めて自己紹介をする。和やかに食事の会話を弾ませていたが、やはりこのセラフィという女の子はベルムドのショーを邪魔する常連だったようだ。だんだん魔物達が可哀想という話題になっていくセラフィに、料理屋の女将が『あまり大声で言うんじゃないよ、セラフィ』と嗜める。
「でも、殺されちゃうなんて可哀想だよ。ねぇ、そう思うでしょ?」
 アラハギーロには味方がいないんだろう。旅人だからか同意を求めるように言ったセラフィに、俺は小さく首を振った。
「俺達 魔物 殺すこと ある。自分達の身 守る 必要 あるから」
「でも、必要最低限でしょ? メルサンディでは収穫の時は魔物除けの香木を炊くから、私はやりすぎだと思うわ」
 ミシュアの言葉に俺は言葉を詰まらす。そのミシュアの言葉を追い風に、セラフィが声を潜めた。
「私、思い出したの。あの白いキラーパンサー…チョメを、私は知っているんだ。初めて見るんだけど、絶対初めてじゃない。すごくすごくあったかくて、大事な思い出が沢山ある気がするの! 私を助けてくれて、この、腕にはめた緑のブレスレットと同じのをしていたの! このブレスレットをしているの、私以外いなかったのに…!」
「ちょめ?」
 ミシュアの問いにセラフィが『うん! さっき名付けたの! 呼び方がないと困るでしょ?』を輝く笑顔で答えた。
「このままじゃ、チョメが殺されちゃう。闘技場の地下に囚われた魔物は、生きて出られない。いつかは、必ず殺されてしまうの…そんなの、可哀想!」
 嫌な予感がする。
「お願いします! 魔物達を逃すのを手伝って!」
 こくこく!ピペが強く頷き、ミシュアがセラフィの顔を上げさせてニッコリと微笑んだ。いやいや、俺達余所者じゃないか。首を突っ込んで良い事じゃないだろう。そんな言葉も、ギラギラと輝く女達の目を見ると届かないのは分かってる。
 俺はセラフィを見た。
 思い出した、ということは忘れていたということだ。もしかしたら、この子についていけば、俺も思い出せるのかもしれない。そんなことを思うと、俺の開きかかった口は自然と閉じてしまっていた。

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