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■ 神代の祈りが絶えた日の 編 ■



 グランゼドーラは想像以上に平穏だった。
 その平穏さが、不気味さを引き立てているというべきだろう。
 レンダーシアの様々な混乱から早々に身を引き、門を閉ざして保身を図った国。レンダーシア各国と行き来する旅人も多く足止めされているだろうに、民の誰も他国のことに言及しない。このグランゼドーラの領内だけが世界と認識しているような、関心の無さには俺も相棒も閉口した。同盟国であるアラハギーロ王国や、古き歴史を持つダーマ神殿を誰も知らぬのだ。
 そして声高に崇拝されるのは、勇者姫。
 俺が村を出る時、情報通のおじさんは『グランゼドーラで盛大な結婚式が行われた』と言っていた。それはアンルシア姫の両親のことだ。国には歴史がある。歴代の王が繋いできた歴史が、一夜にして風化することはない。なのに、勇者姫一人が政を司っている現状は明らかにおかしい。まるで昔から勇者姫以外に、王家の人間などいないかのような口ぶりだ。『トーマ王子? アンルシア姫様ならおられますけど…』『勇者姫の両親? さぁ、どうだったかなぁ』と、そんな調子だ。記憶の改竄を疑ったが、記憶がそもそもないという反応ばかりだ。
「テグラム様がいなくなって、もうどれくらい経つんだっけ?」
 グランゼドーラの酒場で酒を傾けていた男が、ぽつりと呟いた。恰幅のいい中年の男に麦酒を持ってきた、年配の女性が記憶を逆さにしてから答えた。
「もう、一月になるんじゃないか? 王宮勤めの姪が、ダイム様が痛ましくて見ていられないと言っていたよ」
 テグラムとはグランゼドーラでは名前の知れた兵士である。忠臣として侍従頭を務めるダイムを祖父に持ち、類稀なる武術のセンスから兵士としての実績を積み上げている若者である。将来は兵士長か近衛士か、その甘いルックスから勇者姫の婿もありうると言われている。こうして人々の口に上るのを見れば、かなり慕われているのだろう。
「ダイム様が男手一つで育てた孫だ。お辛いだろうな」
「身を粉にして姫様や王宮の全てを取り計らう毅然としたお姿、見ているこっちが胸が痛くなるよ」
 安酒を傾けて背で聞く内容は、ダイムを気の毒に思う感情が詰め込まれている。民は善良だった。自分達を脅かす魔物が討伐されるなら、勇者姫がどうなっても構わないなんて無責任なことを思う者は誰一人いない。
 だからだろう。
 俺は横を通り過ぎようとした女性に声を掛ける。
「奥さんの子供も先週いなくなったんじゃなかったっけ?」
 女性は一拍の間を置いて、思い出したかのように瞳に理解の色が浮かんだ。
「そうだったわね。そう、だった」
 浮かんだ理解の色がすっと朽ちていく。居なくなったことによる心配や悲しみが、朽ちた色の上に満ちることはなかった。彼女の中で息子がいなくなったことは、店先に貼るはずだったチラシが風に吹き飛ばされたくらいの長い時間記憶に留めるほどでもない事件だったのだ。
 民は善良だ。嘆き、悲しみ、心配をし、勇者姫を信じている。
 なのに、なぜ、隣人が消えていく状況に対して、こんなにも関心が薄いのだろう。
 グランゼドーラの失踪事件は、俺達が把握しているだけでも両手足の指の本数をすでに超えている。普通なら片手の指の数超えれば、偶然と思う者はいなくなり王国が犯人探しに乗り出す。だが、国は動かない。民は疑問を抱かない。
 こうして少しずつ人が消えていく現状が、さも、日常のように受け入れられている。
 そんな中で例外が現れた。
 テグラム。彼の存在だけは、民の記憶から薄れない。
 彼はこの状況を打破する鍵になるはずだ。いったい、なぜ彼だけは民の記憶に留まり続けられるのか、彼と他に失踪した人々とは何が違うのか、それを見極めねば先に進むことはできないだろう。
 俺は硬貨を置いて席を立つ。ありがとうございました、と、極有り触れた接客文句が俺を酒場から送り出す。空は薄曇りで星はなく、海風の中で空気は湿度を含んで生暖かい。人々の営みは星のように城下町に広がっているのに、個性を失ったかのような人々は人形のようだった。
 行方不明者が行方不明になる前、ほとんどがアンルシア姫に会っている。
 会っていると言っても、公式に勇者の橋を渡り玉座の間に目通った訳ではない。勇者姫は多忙だ。玉座の間での謁見だけでなく、城下町を通り過ぎる際に声を掛けられたり、何かの祝い事に立ち寄られた時も含まれていた。行方不明者が何らかの形で、アンルシア姫と出会っているのだ。
 そして居なくなってしまう。
 行方不明者は本当にそこに存在したのかと疑いたくなるほどに、自然に消えてしまう。魔物に襲われた形跡も、人間関係の抉れや恨み、果ては何か悩みを抱えていたということもない。幸せの絶頂で失踪する理由が欠片一つない人物でさえ、忽然と消えてしまう。そこに性別、年齢、身分、能力、発生間隔などの傾向は今だに見出せない。
 不思議なことに失踪者の家族は、失踪したことを嘆くも失踪した人物を探そうとはしなかった。ただただ人がいなくなるのを、対岸の火のように言うのだ。

「この 国 おかしい」
 そう、この国はおかしい。
 俺の思考を代弁した声に視線を向ければ、待ちわびた人物達がいた。
 一人は筋肉隆々の偉丈夫。毛皮の部分を白く染め抜いた獄獣のケープセットに、褐色を通り越して黒々と焼けた肌が厳しい。形の良い頭部にバンダナを巻き、丸いサングラスが近寄りがたい雰囲気を醸す。その隣に座っていたのはウェスタンブラウスセットを身にまとったプクリポの女の子だ。偉丈夫の男の傍に座り、プクリポの女の子は風景をスケッチしているのか鉛筆を動かし続けている。
「ミシュア 会えなく なった 理由ない 一方的 おかしい」
 女の子が紙に鉛筆を走らせ、それを男が覗き込んだ。腕を組み深々と頷く。
「連れ出して ルアム達 助けてもらう 良い案 ピペらしく 強引」
 ピペと呼ばれた女の子がぺちぺちと鉛筆で男を叩いた。男は叩かれるのを甘んじて受けながら、ピペを見た。
「ミシュア 塔の上 登る できない どうする?」
 うーん。そう二人は腕を組み考え込む。そんな二人の前に俺は進み出た。俺を見上げる二人に、俺は勤めて穏やかな笑みを浮かべる。そう、彼らこそ俺の待ち人。この瞬間、この場で話されることは、この世界の命運を大きく変えるほどに重要なことなのだ。彼らはそうとも知らずに、俺と言葉を交わそうとしている。
「俺はクロウズ。君らはルアムの知り合いかい?」
「ルアム 知ってるのか?」
 あぁ。俺は頷いてみせた。グランドタイタス号で出会ったルアムは、冥王ネルゲルに絶対に会うことのできる運命と、冥王を討伐して世界に平和をもたらした結果を齎した人物だった。彼は一つの器に二つの魂を宿している。それは一つの器に二つの運命を持っていることとなる。それが望まぬとも、多くの運命を巻き込むのだ。
 俺と彼らを繋げたのも、ルアムに関わった運命だった。
「良ければ、力になろう」
 すっと取り出したのは調査団のシンボルである羅針盤のメダル。正規の調査団は賢者ホーローの施した特殊な術が宿っているが、そんなものは魔法使いでなければ感じ取ることはできない。手先が器用な俺ならば、見た目だけでも完璧なレプリカを作り出すことは造作もないことだった。
 彼らはメダルを見てぱっと理解の色を浮かべた。その瞬間に、運命が鮮明になった。
 プクリポの女の子は紙に美しい筆跡でピペと書いた。男もカタコトながらもラチックと名乗り、今に到るまでのことを語ってくれた。ピペの顧客に会うためにグランゼドーラにやってきたこと。顧客の計らいでアンルシア姫の肖像画を描く機会を得たこと。ミシュアというアンルシア姫と瓜二つの仲間。彼女がアンルシア姫に『自身から抜け出た勇者の力』と思われて、拘束されてしまったこと。
「今 ミシュア 塔に囚われてる 俺たち 会えない」
 彼らは客人としてグランゼドーラに滞在できているが、ミシュアが囚われているという塔への出入りは禁じられている。また、ピペが顧客の顔を潰さないためにも、兵士を突破してミシュアを強奪するという無茶はできないという。
「ミシュア 2日も 出て来ない 心配」
 こくこくこくとピペが高速で頷く。そして手招きしてスケッチブックを覗かせると、監視の目を気にしてか隠すように紙を捲る。そこにはグランゼドーラの最奥に配置された塔の見取り図がある。二つの塔の見取り図には、ミシュアが滞在している塔と、彼女らがアトリエとして使用されている部屋で広さが違うことが書かれていた。ミシュアのいるだろう塔の、手前の部屋には不自然で未使用の空間が存在するという。建築の観点から空間いっぱいに使うもので、ピペ達の使用している部屋にはこの未使用の空間はないらしい。問題の部屋のスケッチは写真のように精巧だったが、どこがおかしいかはわからない。
 端には古来より王国が危機に瀕した時、王族専用の脱出経路が存在したらしい。これもそれがあるのでは?と記されている。それにピペは文字を書き足す。
『もし脱出経路があるならば、遡ればミシュアの部屋に行くことができるはずです』
 俺は小さく頷いた。彼らが出来る最大限のことで、賞賛にすら値するだろう。確かに、行くことは出来るかもしれないと希望を持って然るべき情報だった。だが…。
「道が外と繋がっているなら、鍵をかけたりしているだろうな」
「ミシュア 奪われたくない 守るため 兵士いる ありうる」
 ピペがむうっと頬を膨らませた。いいアイデアに違いないが、的確な指摘にぐうの音も出ないというところだろう。そんなピペが何かを見つけたように顔を上げた。視線につられて振り返れば、地味ながらに質のいい服を着た老人が立っていた。グランゼドーラの抜けるような海を連想させる深い藍染めの衣は、見る者に生真面目さを印象付けるフォーマルな装いである。
 老人は心配そうに眉根を下げ、美しい所作で会釈をしてから歩み寄ってきた。
「ピペ様、ラチック様。おかえりが遅かったので、お迎えにあがりました」
 非難する様子は微塵もない。粛々と業務をこなしているような淡々とした口調だった。そんな老人に俺が小さく会釈をする。
「俺が引き止めてしまったんです。共通の友人を持つ者同士、話が弾んでしまってね。お手数をおかけして申し訳ない」
「ご挨拶が遅れ、失礼いたしました。私はダイム。アンルシア様より、お客人の身の回りのお世話を任されておる者です」
 ダイム。名前の意味は直ぐにピンときた。
「貴方がダイム殿ですか。先日、お孫様が行方不明になってしまわれたとか…。ご心痛、察するに余りあります。早く、テグラム殿が見つかると良いですね」
 俺の心の底から同情するように掛けた言葉に驚いたのは、ダイムではなくピペとラチックだった。
「家族 居なくなった! おおごと! 探す 手伝う!」
『ダイムさん、そんな辛いお気持ちの中で私達のお世話などしなくても大丈夫です!』
 大柄で強面のラチックが詰め寄れば恐喝のごとき威圧を放つし、小柄なピペが足元に縋りつけば思わず口元が緩むほど愛らしい。ラチックは響く声でダイムの肩を揺さぶり、ピペは発言を書いたスケッチブックでべしべしと叩いて意志の強さを行動で表す。そんな二人を押しとどめるように、ダイムが手を振った。
「ピペ様! ラチック様! どうか! どうか落ち着いてください!」
 どうにか二人をベンチに座らせることに成功したダイムは、若者の無尽蔵な押しと善意に大きく息を荒げていた。ゼイゼイと呼吸音が乱れて苦しそうな様に、二人はすみませんと反省頻りでベンチで小さくなる。俺が背中を摩ってどうにか息が整ってくると、ダイムは改めて頭を下げた。
「私はグランゼドーラの侍従頭。仕事を疎かにする理由が身内の行方不明であるならば、孫こそが一番怒るでしょう。今はお二方、そしてミシュア様の身の回りのお世話を任されていて、城全体の業務からは切り離されております。それは、アンルシア姫様のお心遣いです。お二人が気にされることではありません」
「ピペ 面倒 俺 見る ダイム 休め」
 ぺちぺちとラチックを叩いていた鉛筆で、ピペはダイムに問う。
『ミシュアは元気ですか?』
「実際にお目に掛かっていませんが、食事は手をつけておられないようです。私も心配になって護衛の兵に様子を聞いたりしているのですが、護衛は塔唯一の出入り口を守るのが役目で中はわからぬそうです。ミシュア様の身の回りを世話する侍女は、まだ塔から出てきていないので話は伺えていません」
『アンルシア様は出入りしているんですか?』
「いえ。姫君のお姿はないそうです…」
 そこで、俺達は互いに互いの顔を見た。今までの多忙さや立ち振る舞いから、完璧な勇者になることがアンルシア姫の望みであることは想像に容易い。『覚醒できない未熟な勇者』であるアンルシア姫が、『自分自身から抜け出た勇者の力』であるミシュアを得たのだ。一刻も早く力を得たいと思うはず。
 しかし、幽閉した直後にミシュアから勇者の力を取り戻したならば、アンルシア姫は勇者として覚醒するはず。勇者の覚醒はまるで勇者が訪れたことを世界に告げるかのように、空を黄金色に染め上げる強大で美しい力を放つとされている。そうでなくとも、勇者姫は声高に宣言するはずだ。それがない。ならば、まだミシュアはミシュアのまま塔の中にいる可能性が高い。
 そして、アンルシア姫が塔に出入りしていない。
 それはダイムや城の者達が知り得ない、アンルシア姫だけが知る出入り口が別にある可能性が増したことを意味する。察したのは俺だけではない。ピペも、ラチックも、分かったのだ。
「ダイム どうか ミシュアに 一目だけでいい 会いたいんだ」
『私達はここまでの道を共にした仲間。あんな別れは嫌なのです』
 二人の心に嘘偽りはない。心の底からそう思っている。その情を感じたのか、ダイムは目元に深い悲しみを宿して二人にそっと近づいた。真横にいる俺からですら見えないが、ちゃりっと金属が擦れる音がダイムとピペの間を渡った。
「ミシュア様がお見えになって、アンルシア様のお心が安らかになったのを誰よりも感じておりました。人々の為、グランゼドーラの平和の為に魂を削っているような追い詰められた表情が、一時であれ平穏に満たされたのを、このダイム、心から感謝しております」
 そして…。ダイムが震える手でピペの両腕を掴んだ。傍らに立つ俺も耳を澄まさねば聞き取れぬほどに、掠れて震える声は懺悔のようだった。
「ミシュア様とお話ししていると、私は心の靄が晴れたかのような気分になりました。国に殉ずることは兵士の務め。私は、あの子が魔物に殺され死体を見たならば納得もできました。ですが、あの子は腕が立つ。領内の魔物に遅れを取るはずがないのです。ただ、アンルシア様と巡回の経路の相談をしに行っただけだったのに…!」
 親愛する姫が、唯一の肉親を奪ったのではと疑いをかけている。ダイムの心が引き裂かれる想いであることに、この場の誰もが分かっていた。混乱しているダイムの肩を、ラチックがそっとさすった。
「ダイム 答えを 見て 必ず 伝える」
 ミシュアは無事で、テグラムは魔物に殺されたなら、誰もが救われる。しかし、最悪の答えであった場合…。
 俺は相棒が教えてくれた未来を知っている。真実が明かされなければ、人々は知らないままに絶望の底を歩かされることになるのだ。グランゼドーラの民も、真実に気づきつつあるダイムも、囚われたミシュアも、そして勇者姫でさえ救われぬ絶望が晴れることはない。
 グランゼドーラの命運を託されたとは気がつかぬまま、彼らは運命に身を投じなくてはならない。

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