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■ イブの林檎 編 ■



 レンダーシアで最も高き霊峰。飛竜が住う山として有名なドラクロン山岳地帯は、グランゼドーラ王国の保護地区になっている。竜族の素材は高値で取引される関係で密猟が絶えず、王国の許可がないと立ち入りすら出来ないんだよねー。
 でも、僕らは調査団員として頑張ってきたしー、ホーロー様の口添えで入山許可貰ったんだー。
 流石、竜の生態系を維持している場所なだけあって、見たこともない高山植物が沢山生えている。風は不規則に強く吹き荒れているけれど、空を飛ぶ影はそんな強風や旋風で遊ぶかのように悠然と舞っている。山肌に目を向ければ、アストルティアの竜の博物館と言って良いほどの多種多様な竜を見ることが出来た。絶景かなって言葉がぴったりの最高の天気だ!
 そんな光景を、ルミラさん休む間も惜しんでカメラを向けている。シャッター音は僕のキャベツの千切りの速度に負けないくらいの超高速だ。興奮しているのか、オーガの長い尻尾がピンと伸びている。
「こんなに多くの竜をこんなに間近に見ることができるとは…! ゼラリムに良い土産話を持って帰ってやれそうだ!」
「よかったねー」
 僕はレディ・ブレラが飛ばされないように押さえながら、山をゆっくりと登っていく。ふと視線をあげれば、竜守と呼ばれる者が暮らしている山小屋が見えてきた。入り口に立っていた、やや腰が曲がった老人は穏やかな眼差しで僕らを迎えてくれる。
「竜達が騒がしかったので、今日は来客が来るのだと思っておりましたよ。お二方がグランゼドーラから許可をいただいた、冒険者でお間違えないですかね?」
 僕はレディを脱いで胸に当て、深々と頭を下げた。ルミラさんもオーガの独特の挨拶をする。
「ワスが竜守の小屋を預かっております、ワンドーラいう者でさぁ。麓からここまでもなかなかの険しさでしたでしょう。さぁ、お上がりなすってください」
 竜守の小屋は風が吹き荒れる立地を考慮した、すごく機密性の高い作りだ。外からは簡素なログハウスに見えたが、内側には特殊な組み方をした木々の壁を打ち付けて隙間風一つ感じられない。床は毛皮を敷かれているけれど、床の下から更に暖かい空気が這い上がってくる。中には山小屋ならではのロープや登山道具、食料などの備蓄品の山の合間に竜守が体を休めるベッドが埋れていたが、ここが高山で風の強い場所であることを忘れるほどに、静かで暖かい。
 僕らが麓の竜守の里から預かってきた食料を荷下ろしすると、竜守は感謝の念に顔をくしゃくしゃにした。
「ありがてぇこってす。最近は腰が痛うて山を登り下りするだけで精一杯でしてなぁ」
「協力していただくのに、この程度しか出来なくて申し訳ないくらいだ」
 ルミラさんが手際良く穀物をツボに入れ替え、乾燥した非常食を吊るしていく。僕も暖炉を借りて自分たちが持ってきた食料で食事を作り始める。食料が手に入りにくい山では、あまり出来ない贅沢を感謝の気持ちで作り上げる。
 食卓が彩られてそれぞれに卓に着くと、和やかに食事が始まった。ワンドーラさんの口にもあったようで、美味しそうに食べてくれる。やっぱ、美味しそうに食べてもらえると、嬉しいよねー。
「グランゼドーラから文を頂きましたが、お二方は飛竜を求めてここにお出でなすったとか…」
「あぁ。自分達はレンダーシアの内海や山岳地帯を探索したいのだ。その為に飛竜を得たいと思っている」
 ルミラさんが答えると、ワンドーラさんは渋い顔をして見せた。
「お二方には申し訳ありませんが、もう、飛竜はおらんのですよ」
『飛竜が居ない?』
 声を上げたのはレディ・ブレラだった。ただのトンブレロソンブレロだと思っていた帽子が、ぱかぱかと喋り出して驚いたワンドーラさんだったけど、僕らが先を促すと話を続けてくれた。
「ワスの一族は代々竜守をしておりますだ。ワスの父も、そのまた父も、遡れば勇者アルヴァン様の時代に飛竜を見繕った先祖もおる、由緒正しい一族でございます。そんな一族なもんで、ワスも竜守をすることには誇りを感じておるのですよ」
 ですがね…。ワンドーラさんが、水で口を湿らす。
「ワスの父も祖父でさえ、飛竜を見てはおりませぬ。嘘かと思うでしょう。ワスも若い頃は嘘と思いました。しかし物心付いた時からこの山で生きてきたワスですら、飛竜の影を見たことはない。もう、飛竜はこの地に居ない。竜守もただの形式的な存在でしかないのでしょう。これも、時の流れとして仕方のない事やもしれませぬ」
「そんな…」
 悲嘆に暮れるワンドーラさんの声色に嘘は全くない。彼が誇りにすら思っている仕事が、彼の代で終わるやもしれぬ絶望と寂しさに、僕も胸が締め付けられる。
「居たとしても乗せて飛んでくれるかとか問題はあったけど、まさか居ないとはなー」
 内海を探索したいと船を持つ者に聞けば、船を出してもらうのも、運が良ければ翌日、悪ければ半年は待たなくてはならない。出たとしても目まぐるしい内海の気候で、さらに嵐に遭遇すれば命の保証も出来ないとまで言われた。そこまでして内海の島々に行こうとしてくれる船の持ち主には、ついに出会えなかった。
 ウェナ諸島の船大工の棟梁に話を付けるか迷ったけれど、レンダーシアの内海に造船所を設けて作り始めるのでは何年掛かるか想像もつかなかった。しかもウェナ諸島なら近海の海図も完成されているが、レンダーシアの内海は海図そのものが数百年前というのもざらだ。航海技術の高いウェディの船員を集めるのさえ、難しいだろう。
 飛竜はルアム君の故郷を探す上で、とても簡単で、とても早い、魅力的な選択肢だったのに…。
 うーん。どうしようー。僕はお手上げと天井を仰いだ。僕はスプーンを咥えて、ぴこぴこと振る。
『ワンドーラ。竜笛はあるのかね?』
 レディの声に顔を上げると、ワンドーラさんが驚いた顔でレディを見つめている。
「なぜ、竜笛の存在を知っているのですか?」
『いいから。あるのか、ないのか、教えるんだよ』
 レディにしては随分と強引だなー。僕は姿勢を直してワンドーラさんに向き合うと、お願いしますと頭を下げた。ワンドーラさんは戸惑ってはいたけれど、僕の願いとルミラさんの視線に押し切られるように口を開いてくれた。
「あります。ですが、あれはワスの家の家宝。おいそれと他人にお貸しできるものではないんでさぁ」
『どうせ竜守を廃業するんなら、必要ないものじゃないか』
 あー、もー、レディったら、どうしたんだろう? 僕はレディを背後に押しやって、ワンドーラさんとの間に入った。
「不躾な物言いで申し訳ない。ワンドーラ殿、差し支えなければ自分達に竜笛なる存在のことをお聞かせ願えないだろうか?」
 ルミラさんの低く落ち着いた声色は、本当に信頼感を感じさせてくれるよ。頼もしいなぁ。ワンドーラさんも少し熱くなった頭が冷えたらしく、小さく詫びて傍らの棚から小さな箱を取り出した。この小屋の雰囲気からは想像もつかないくらい、高価と分かる箱だ。漆を何度も重ねた箱は磨き抜かれた鏡のように空間を写し込んでいる。竜の姿の彫金が丁寧に扱われているのを物語るようにサビ一つなく輝いている。
「これが、竜笛です」
 骨と皮の指先が箱を開ければ、そこに入っていたのは不思議な形のオカリナだ。オカリナ。そう表現するのも、たった今僕がそれが竜笛と聞いたからだ。まるで地面から掘り起こしたばかりのまんまるポテトのような、土気色でボコボコした質感は口をつけるのも躊躇う。まるで木に糸を張り巡らせ冬を超える蛹のような、まんまるポテトの実りを否定するかのようにぶすぶすと鋭い爪を突き刺したような、オカリナという常識的な形がもうない。楽器と思えるかといわれれば、僕は間違いなく『いいえ』と答えるだろう。
 僕は思わずルミラさんを見た。ルミラさんの渋い表情がこちらを見ていた。思う事は、どうやら一緒らしい。
「竜笛は飛竜と人間の心を通わす、唯一の道具でさぁ。その美しい音色に竜達が舞い上がり、音色の対価として我々を空へ誘うと言い伝わっておりますだ」
 僕はウェディだからね。竜達が美しいと思う音色、聞いてみたいなぁ!
「あの、ふ、吹いても良いですか?」
「どうぞ」
 手にとって、まず口をつける部分がどれか分からない。じっくりと見ているうちに、オカリナとしてあるべき形を捉えることが出来てきた。口元を袖口で軽く拭いて、唇を付ける。息をゆっくりと吹き込んだ。
 肺の全ての空気を注ぎ込んでしばらくして、ルミラさんが首を傾げた。
「鳴らないな」
「いや、鳴ってはいるみたいだねー」
 笛を包み込むように持った手は、確かに僕の息で反響し音色に変換していく楽器独特の共鳴があった。聴力に恵まれたウェディでさえ、聞き取ることの難しい音が広がる。この笛は人が聞き取る音域の外の音が出るみたいだ。その音域が竜族の好む音域なんだろう。でもなー。僕は思わず唸ってしまう。
『なんともまぁ、酷い音だね。イサーク、あんたが酒に酔った勢いで戻したような不快極まりない音がするよ』
「レディ、流石の僕も傷つく表現だよ。それ」
 ぱかぱかけらけらと笑うレディを恨みがましくみるけれど、僕の古くからの友人が悪びれる様子はない。
『それくらい酷い音なら、奴も怒って出てくるだろうねぇ』
「奴? ブレラ、それは誰のことだ?」
 皆の視線を一心に浴びたレディ・ブレラは『気になるかい?』と勿体ぶった様子で僕らを見回した。
『知りたければ、その笛を借りて出かけるよ』

 レディ・ブレラが行く先に指定したのは、ドラクロン山岳の最も高い場所。飛竜の峰と呼ばれる場所だ。ワンドーラさんも竜笛に飛竜が応じてくれていた時代は、交流の為に多くの竜守が行来したと言う。でもそこへの道は長年使っておらず、獣道と成り果てていると言う。
 ワンドーラさんも行きたいと言うけど、僕はどう見ても貧弱なウェディじゃん。ちょっと無理かなーと思ってたところに、ルミラさんが私が背負って行こうって言って実際背負っちゃうんだから頼り甲斐があるよなー。もう、僕が男性って価値的に大丈夫なのかなって心配になっちゃうよ。
 とはいえ、ドラクロン山岳は広い。麓から竜守の山小屋までの距離の倍以上の行程があって、僕らは行って帰ってくるのに一週間は掛かると見立てを立てた。
 獣道に残された舗装の跡を踏み締め、崖を這う蔦をロープ代わりに登っていく。強い風に何度も体を取られそうになりながら、切り立った崖や草原を渡る。星空を天幕に野宿するのは悪くないけど、季節が冬でなかった事は幸運でしかなかった。さらに水源が豊富にあるおかげで、荷物に水が必要ないのには助かった。雄大な自然をあるがままに生きる竜達を見守りながら、僕らは数日をかけて頂上へたどり着いた。
 たどり着いた頂きは、自然の祭壇のような場所だった。
 エルトナ大陸の世界樹って見た事ないけど、それくらいって言えちゃうくらいに大きな木を中心に小さい森が広がっている。山を登る間に耳を打ち続けていた強風の音は、ここでは無音なくらいだ。小さなせせらぎが奏でるキラキラとした音。山々に暮らす竜達の声が集うように耳に届く。差し込む日差しは柔らかく、木々の合間から見える牙のような鋭い岩肌がドラクロン山岳の一部であると教えてくれる。
 祭壇のようになっている大木の根本で足を止めた僕達は、レディ・ブレラを見た。
「ここで何をすれば良いんだい?」
『竜笛を吹けば良いのさ』
 僕はワンドーラさんに頼んで竜笛を借りると、顔を歪める。レディを頭から下ろして、視線を合わせる。
「あのさぁ、レディ。竜守の小屋で僕が吹いた時、酷い音だって言ったじゃないか。レディが酷い音って言うなら、竜族にとっても良い音って感じてくれないんじゃないのー?」
『そりゃあ、酷い音だから怒るだろうね』
 ワンドーラが慌ててレディ・ブレラを覗き込む。
「ちょ、ちょっと! 竜をわざと怒らせるだなんて、止めてくだせぇよ!」
 レディ・ブレラがひょこっと跳ねて、僕の頭の上に乗った。
『何を言ってるんだい? もう、とっくに怒ってるよ』
 僕らの上に影が落ちる。まるで猛火の吐息が吹きかかったような、殺意を帯びた怒気が降り注ぐ。何が側にいるのか、僕らは直ぐにわかった。
 祭壇のような木の根の連なりの上に、竜が舞い降りた。プラチナ鉱石を思わせる純白で硬質な輝きを身にまとい、広げた翼は僕らを包み込む森を遮るほどに巨大だ。まるで理想を彫刻にしたらこうなるだろう理想的な筋肉のついた四肢、畏怖を感じずにはいられない顔立ちは怒りに満ちている。顎門を持ち上げ咆哮が迸れば、角が稲妻のような光を帯びた。
 竜! 僕らが道中見るような竜とは全く異なる、圧倒的な殺意と敵意がこちらに向けられる。
『やぁ、坊や。元気にしていたかい? その大層なお耳で、アタシ達が何用で此処に来たかは分かっているんだろう?』
 ななな、何言ってるのさ! 僕は慌ててレディを強く握った。むぐぐ。レディが呻く声が聞こえる。
『そのまま山を降れば見逃してやったものを、わざわざ登って来ようとは…。下等種族風情が飛竜を従えようとは、片腹痛いわ!』
 レディが僕の指をすり抜けて、声を発する!
『下等種族とは随分とまぁ古臭い考えだねぇ! あんたみたいな頭の硬い奴がいるから、竜族って存在そのものが減ってるんだよ!』
『誇り高き飛竜が従うは、選ばれし民である竜族のみ! 飛竜の峰に足を踏み入れた、己の愚かさを呪うが良い!』
 風を切り羽ばたく音が無数に迫ってくる。地面が揺らいだと思った瞬間に、僕らの周りを飛竜が取り囲んでいる!
 目の前の立派な竜に比べれば一回りは小さいけれど、それでも3体…いやもっと向かってくる羽音が聞こえてくると思えば敵はもっと増えてくる。逃げ場はない。招きの翼で逃げようとしても、空を舞う飛竜に捕まってしまえば地面に叩きつけられてしまうだろう。ワンドーラさんを守った状態で、戦い切れないことは明白だった。
 僕の後ろで大剣を構えるルミラさんに、僕は囁いた。
「ごめんね、ルミラさん」
「ふ。友の為に最善を行おうとした行動に、後悔などありはしない」
 じり。飛竜達の輪が狭まる。それぞれに弱き者を痛ぶる残虐的な愉悦を抱えたような、恍惚に似た光が点っている。ワンドーラさんの震えが背中を通して感じられる。もっと怯えろ。醜く足掻く様を見せろと期待する空気がある。
 僕はにっこりと笑った。
「追い詰められて逃げ場を失ったスライムは、ドラゴンにすら噛みつく。そんな諺はご存知かな?」
 僕は大きく息を吸い込み、手に持った竜笛に強く大量の息を送り込んだ!
 ウェディでさえ音が鳴っている気がするとしか感じられない、不可知の音域が大きく波を伴って広がっていく。竜笛の音を発する共鳴の手応えは、息の強さと相まって小屋の時とは比べ物もない程に強く感じられた。
 取り囲んだ竜達がバタバタと倒れていく。中には泡を拭いて昏倒した者までいた。目の前で怒り散らしていた立派な竜ですら、台座から転がり落ちて地面に倒れた。
 海の中で活動するのが得意なウェディの肺活量は、アストルティアの全ての種族の中で最大。その肺の中の空気が全て音に変換された後に、立っていられた竜は一匹もいなかった。
『はっはっは! 愉快だねぇ! 威勢の良さはどこに行ったのやら!』
「レディ。笑い事じゃないから」
 正直。僕はショックだよ。ウェディにとって音楽は人生の友。それで誰かを傷つけちゃうんだもの。やってられないよ。
 僕はローリエのお玉を取り出すと、ベホマラーを唱える。まるで雨のようにさらさらと降り注ぐ光は、苦しげに悶え、痙攣まで起こしているような竜の苦しみが落ち着かせていく。
 僕は立派な竜の傍に歩み寄る。ルミラさんが諫めるように僕に呼びかけたが、大丈夫と短く返して顔の横に膝をつく。彼が最も聴覚が良いらしく、耳から血が流れていた。ベホマラーで足りなかった分、ベホイムを施しながら語りかけた。
「僕達には竜笛がどう聞こえるかは分からない。でも、こんな目に合わせてしまった事は本当に申し訳なく思っています。僕は仲間やワンドーラさんを死なせたくないし、この程度で貴方達が死ぬとは思えなかったから笛を吹きました。もう、二度と山には来ません。どうか、見逃してください」
「良いのか、イサーク」
 立ち上がり振り返れば、腰の抜けたワンドーラさんを背負ったルミラさんが油断なく周囲を見回している。苦痛は軽減したけれど、回復呪文独特の疲労感は残る。襲いかかってくる竜はいないようだ。
「仕方がないよ。別の渡る方法を探せば良い。今は、早く下山しよう」
 僕らは足早に飛竜の峰を後にした。登ってきた行程の半分以下で竜守の小屋まで降りてくる事ができたが、その間、竜達が襲う事はなかった。相入れはしなかったが、僕らを見逃してくれたのだろう心遣いに、僕は感謝の言葉をそっと風に乗せた。

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