書類と署名

 先生は使い魔でも、とても優秀だ。そう、鈴木入間は思っている。そう思っている間に、先生は生徒に知識を詰め込んでいく。
 使い魔は魔獣だ。悪魔と違い言語での意思疎通は難しいために、召喚の際に意のままに行使できるよう交流を経て信頼を深めなくてはならない。召喚術に秀でている使い手にはいくつかの型がある。カイム・カムイのように獣の言葉が分かる家系能力の使い手は、細かな指示伝達ができるために扱いがうまい。私はケルベロスとは、契約を更新し続けているが故に深い信頼関係にある。クロケル・ケロリは魔力の強さから魔獣にとって、忠誠を捧げるに足る魅力的な主人として選ばれた。小さい口がひょこひょこ動いて、つらつらと言葉を紡ぐ。
 そして先生は先生だ。そう、入間は思うのだ。
 ぱたぱたと入間の元を離れると一年としては非常に珍しい魔獣二体と契約したケロリの肩に、使い魔の状態のナベリウス・カルエゴがちょこんと乗った。もふもふの羽毛がケロリの頬を撫でていて、眼鏡をかけて表情の掴みにくい少女が気持ちよさそうに唇を歪めている。もふもふの使い魔は見た目以上に渋い声でケロリに語りかける。
「クロケル、二体の使い魔の契約者は一年生でもそういない。優秀ではあるが、だからと言って上手く使い魔が応えてくれるわけではない。基礎は信頼。しかしその築き方は他の生徒とは異なるのだ」
 そう小さい手がぴょこりと示す。
 クロケルの二体の使い魔は、喧嘩でボロボロになっていた。純白の雪原を思わせる美しい毛並みな土に汚れ、氷の透明感すら感じさせる透き通った尾はボサボサに乱れている。絶対零度の冷徹さをたたえているはずの瞳は、怒りに炙られて揺れている。極寒の大地で雌雄を分つほどの力を持つ魔獣達は、悪魔でさえ死に至る世界で悠然と生きる美しき姿に畏怖と畏敬の念を抱かれていた。それらがもふもふの使い魔に叩かれて、反省とばかりに前脚を揃えて伏せている。
「平等でなくてはならない」
 耳を垂らし服従に近い意志を表明する獣達を、もふもふは一瞥する。
「魔獣とて生物。嫉妬くらいする。主人の一番たり得たいと望む誇りある種族なら尚更だ。合理的な指示に納得できても、与えられる信頼が偏ることには我慢できぬ。まぁ、平等に扱う術は教えるまでもないだろう。意識して接すれば、喧嘩も消える」
 使い魔状態のカルエゴは、集中して生徒の監督が疎かになっているバルス・ロビンの補佐のような真似事をしている。する必要などないのだろうが、見ていられないのだろう。指導が適切なのだから、生徒のためにと動いてしまうのかもしれない。
 入間の課題をすぐさま終えてしまうと、カルエゴは主人を伴って生徒達を指導して回っているのだ。そうして密かに生徒達が呼んでいる愛称が『モフエゴ先生』である。確かに前髪のくりんとした感じがカルエゴ先生みたいだし、歯に絹着せぬ物言いともふもふな見た目の落差でファンもいる。
 もふもふとした背中を見ながら、いい先生だなぁと思う入間である。
「はーい! じゃあ、それぞれの使い魔を労ってから、召喚解除しようね!」
 ロビン先生の一声が響き、主人と使い魔はそれぞれにブラッシングやスキンシップに興じ出す。
 もふもふも主人の手に収まると、ふぅと息を吐いた。真っ白だが光の度合いで紫色の影が差すもふもふは、ふかふかで柔らかくて暖かい。指が沈み込んで触れているかも怪しいような霞のような羽毛は、存在を主張するように指先をくすぐっている。指先が触れる羽毛の内側は重量感があり、押し返す感触がもっちりしていてずっと触っていたくなる。
 ふふっ。入間の笑い声に、カルエゴが首を擡げた。
「なんだ?」
「いえ、お疲れ様です。先生」
「全くだ。一年でも強力な魔獣と契約している生徒もいるのに、新任の監督はまだ甘い。不用意に使い魔に接触する、もしくは一部に気を取られ全体の監督を疎かにし生徒に危害が及んだらどうするのだか…。このあとは、きっちり反省会と課題だ」
 『ふーっ』と、もふもふが大きく息を吐く。
「イルマ。貴様も貴様だ。使い魔を自由に行動させてはいけないものなのに、ふらふらと私の後を追うなどとは主人としての気質がなさすぎる。一応、契約に則って貴様の使い魔をしているのだ。使い魔を使役する威厳、そして貴様には足りていなさすぎる『頼る』ことをしなくてはならん」
 なんと無茶な要求を…。入間は生返事しか返せない。
 掌に収まった羽毛に櫛を通しながら、入間はカルエゴの温もりと柔らかさを堪能する。言葉はキツいけれど掌にどっしりと腰を下ろした重みは、存在を預けられているようで胸が熱くなる。頼らなくてはいけない存在。なんて、難しいんだろう。
「僕の…」
 くりんともふもふでも鋭い視線が向けられる。入間の声を聞き逃さんと、意識を向け、耳を傾けてくれている。そして教師として、使い魔として、カルエゴ自身の誇りのために、声に応じてくれる。普段厳しいからこそ、こうして掌の上に収まっているのがなんだか嬉しい。そんな喜びの感情が、入間を華やかな笑顔にさせる。
「使い魔をしてくださって、ありがとうございます。カルエゴ先生」
 もふもふは小さく息を吐くと、ブラッシングをしろとばかりに入間の手に触れた。