よく言っても蜘蛛の糸

 テーブルの上にはスナック菓子が散乱し、ケーキの空箱や食べ終わった残骸が放置される。その混沌はテーブルの上に収まらず、クッションは壁に投げつけられたのか有るべき所とは縁遠い場所に転がり、混沌の参加者である少女らのしどけなく色っぽい姿勢を脱ぎ散らかした衣類が情けとばかりに隠している。居酒屋の酒乱の席でもこうはならないだろう、凄惨な有様だった。
 その席を囲むイクス・エリザベッタとクロケル・ケロリは、魅力度がマイナスの形相でジュースを煽っていた。問題児クラスで美の化身と持て囃され、アクドルとして幾千のファンの心をぶち抜いてきた魅力など欠片もない。
 事の発端は問題児クラスに課せられた『心臓破り』という特別昇級試験。一年生が持つ心臓に見立てたハート型の風船を、ハートを狙う敵に扮した悪魔学校教師陣から守り切るという大規模な試験だ。その試験で二人は、担任であるナベリウス・カルエゴと遭遇したのである。
「籠絡など一千年早いって…」
 持ち主の震える手に呼応して、耐熱耐冷を備えた金属のカップがぴしりと音を立てて凍り付く。
 彼女らは魅力的だった。おそらく同学年で彼女ら以上に魅力的な悪魔を探そうとして、果たして何人いるやらと指折れるくらいに上位だ。彼女らは自分達の魅力を自覚し、それを磨くことを怠らない。だからこそ、上位に君臨し続けた。
 エリザベッタの投げキス一つで、投げられた方向の男性悪魔達は胸を押さえて保健室送り。認識阻害のメガネ越しでもケロリがにこりと微笑めば、胸の高鳴りが男女問わずに一日続く。
 後輩達が二人に心臓が口から飛び出そうなくらい魅了された最大限の魅了を、担任は意訳すれば『魅力がない』と言ったのだ。
「なんの躊躇もなく、ケロベロスで一蹴だなんて…」
 魔カロンを潰して飛び出したクリームで、美しいネイルの指先が無惨な有様になる。
 陰湿で厳格な担任の言いそうなことだし、実際に言った。それは確かに腹立たしかったが、それ以上に彼女らを般若の形相にするのは行動だ。
 『ドキッ』ともしないで、間髪なく容赦無く風船を割る。
 『ドキッ』ともしないのだ。
 魅了を武器とする悪魔にとって、これ以上の屈辱はない。
 エリザベッタとケロリはブルブルと体を震わせ、体の芯に燃え上がった憎しみを仰反るように吐き出した!
『ム カ ツ ク ー ッ!』
 エリザベッタとケロリは、本日何度目になるかもう数えるのをやめた恨み辛みを天井に放り投げた! あの鬼教師! そんな叫びを上げながら、髪を掻きむしる様など目も当てられない。
「もう、本当になんなの!好感度100%に、ちょっとは、見惚れてくれてもいいじゃない!」
「アクドルモード全開で、あんな無関心な目を向けられるなんて最悪!」
 魅了を用いる悪魔としての箍も外れた彼女らの振る舞いたるや、ちょっと他所様にはお見せできるものではない。声は憎悪に黒く愛嬌から最も遠い音で紡がれ、数時間この表情を維持したら皺ができるんじゃないかと不安になる形相だ。あぁ、悪魔学校のアイドルも色々有るのかもしれないと、そっと扉が閉め心の奥底に封じられるようなレベルではない。トラウマになると断言できる、怨嗟の地獄がそこにある。
 プライドを傷つけられた悪魔ほど、怖いものはないのだ。
 そんな恐ろしい空気に、ぱりぱりと軽い音を立ててながら進軍する影が一つ。ほふく前進かと思いきか、うつ伏せに寝っ転がりながらポテトチップスを抱えて食べているウァラク・クララである。
「千年早いってんなら、千年後だったらエギー先生もドキッとしちゃうよー」
 まぁまぁ、とほっぺたにポテトチップスの食べかすをベタベタとつけながら、クララは能天気に言う。この悪周期のど真ん中な邪悪な気に当てられずに、のほほんとしていられる才能は陰湿教師も認めざる得ないだろう。
 ほいほいと二人の空になったカップにオレンジジュースを注ぎながら、クララは小首を傾げ上目遣いに問う。
「それとも、ウソでもエギー先生にドキッとしてもらいたかったの?」
 う。二人は声を同時に詰まらせた。
 魅了されるほどでもないのに、魅了された振りをする。それは、それで、屈辱だった。
 どちらがマシかと言われれば、同じくらい屈辱で最悪で最低ではある。それでもお前達の魅了は無意味と真っ向否定されたのは、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけマシな方だった。
 黙り込んだ二人に、クララは黒い空気を浄化するような笑みを浮かべた。
「エギー先生、ウソ言わないからワンチャンあるって!」
 そう、生徒達は知っている。彼ら問題児クラスの担任は陰湿で厳格で容赦ない性格だが、真面目で厳格でプライドが高いからこそ嘘偽りは決してない。
 担任が本当に彼女らの魅了に何の可能性も見出せないならば、恐らくこういうだろう。
 『貴様らの魅了は私には効かない』
 しかし、担任は『籠絡など千年早い』と言ったのだ。完全否定ではなく、非常に前向きな捉え方ではあったが一定の可能性が残された言葉だった。
 そうね…。どちらからともなく溢れた言葉をきっかけに、エリザベッタとケロリはぶるりと身を震わせた。その顔は戦場の女神のような闘争心で彩られていた。
「千年なんか待っていられない! 卒業までにあの鬼教師を『ドキッ』とさせてやるわ!」
「見てなさいよ! 私達が本気を出したら、どれだけ魅力的か分からせてやるわ!」
 勢いよく立ち上がると、高々とカップを掲げて宣言する!
 クララもノリと勢いで参加して、3つのカップが高い音を立てて打ち重なった。弾けるようなオレンジの甘い香りと雫が、祝福のように彼女らに降り注ぐ。その輝くような野望を目指す決意と笑顔は、とても悪魔的な魅力で溢れている。
 彼女らの魅力は、まだまだ伸びる。
 魔界中の悪魔がその魅力に魅了されても、留まることはないだろう。