闇の底の色彩

 窓を開けて吹き込むのは、からりと乾燥して爽やかな風。洗濯物がぱたぱた、森はざわざわ、プププランドに吹き渡ります。
 クラッコの笑うような晴天は、掃除が大変捗るのです。
 まずは城の主人である大王様が城から飛び出してしまいます。晴れなら確実、曇りは半分、雨は気が向きゃ出かけます。今日が良い天気だと思ったら、せっかちな青いバンダナが布団を干してハタキを持って城中を駆け回るのです。どたんばったん楽しそうなので、ワドルディ達もお掃除に参加するのです。雑巾レースに、布団タワー、窓掃除はバランスゲームで、埃を集めて多いだなんだ。日が昇りきる前には、お城はピカピカになっています。
 カーペットは壁に吊るされ、床は鏡のように眩しい。
 ドロシアは真っ白いキャンバスのように綺麗にされた城を、ふわふわと移動しています。大王の城はそれはそれは真っ白い味気ない壁が多かったものですから、ドロシアが来てから沢山の絵を飾ってもらっています。美しいウィスピーウッズの森の絵は、魔法を使う者達と作り出した新緑の香りが漂うエメラルドグリーン。よーく覗き込めば、鳥が木々の間を飛んでいるのが見えるでしょう。海の絵も空の絵も、よく眺めればまるで生きているかのよう。それはその筈。ドロシアの絵は特別なのです。
 いつもは絵の中を移動するドロシアですが、お掃除の日は絵の外を出て見て回ります。ワドルディ達が綺麗にしてくれるのは良いのですが、額縁が傾いたりしているのを直してくれる心遣いは期待できないのです。
 そんな中、ドロシアはふと一枚の絵の前で止まりました。
 遠い星にある礼拝堂の絵は、闇に沈んだ薄暗い礼拝堂がステンドグラスの七色の輝きを浮き上がらせる対比のはっきりした作品です。壁の崩れたところから一番星の光る夕闇が迫り、瓦礫が闇からうっすらと顔を擡げています。平和な場でなければ、絵は存在などできぬだろうさ。そう言った騎士が語る遠い星の話は、危うい均衡の生み出す魅力のある世界でした。
 ドロシアは絵を覗き込みます。
 片方隠れた金色の瞳を眇め、息が吹きかかって劣化しないようマフラーを掻き寄せます。広い帽子のつばを少しだけ持ち上げて絵にかからないようにして、じっと、じーーーっと見つめます。
 礼拝堂の奥、闇に沈んだところが瞬きしました。
『邪魔か?』
 純粋な黒ではない、いろんな色が混ざって黒くなった場所で瞬く一つ目がドロシアに問いました。ドロシアは長い前髪を小さく横に揺らし『いいえ』と答えました。
『私の絵にお客様が入らっしゃる事は珍しいので、驚いたのです』
『ワドルディ達が掃除を始めて、日陰に逃げる暇がなかった』
 一つ目は特に感情らしい物を滲ませず、淡々と言います。カーテンが開け放たれ燦々と日差しが差し込んだと思えば、床は濡れ雑巾がかかってあっという間に鏡のように光を反射するのです。一つ目は太陽の光が苦手ではないのですが、嫌いなので絵の黒い部分に身を潜めているのだそうです。
 もう説明は十分。そう言いたげに閉じられてしまいそうな一つ目に、ドロシアは問いました。
『居心地はいかがですか?』
『不思議なことに、とてもよい』
 一つ目は閉じかけた瞳を見開いて言います。その声に滲むのは、控えめですが驚きと感嘆です。
 それは良かったと、ドロシアは金色の目を細めて微笑みました。
『この黒は黒を使っていない。なのに、故郷の黒のように居心地が良い』
 これには、ドロシアが目を見開く番です。確かに、一つ目が留まっている絵には黒を使っていないからです。様々な色を混ぜて、黒に近い色合いにする。漆黒の色使いだからです。じっと見つめれば、赤っぽい黒、青みがかった黒、黒に近いグレーと分かりますが遠巻きからは黒にしか見えません。
『黒は光を取り除いただけで、様々な色を含んでいます。貴方の故郷も光で照らしたら、様々な色で満ちているのでしょう』
 一つ目はドロシアの言葉にじっと耳を傾け、なるほどと深い声色で言いました。
 それから一つ目はドロシアの絵の暗い所で度々見かけるようになりました。一つ目の知人で白い者もいるらしく、黒っぽく書かれた部分に白い絵の具を垂らしたように見えたため、慌てて拭き取ろうとしたワドルディと一悶着あったのは、また別の話。