騎士の林檎

 それは、まだ騎士が戦士であった頃でした。
 流れ星を乗り継いで、星々の海の彼方。銀河の隅っこに一際輝く星に、戦士はちょこんと降り立ちました。青いまあるい戦士は、きょろきょろと周囲を見回します。紫色の外套はボロボロふわふわと戦士に絡みつき、手甲も脚甲も星がぷんすか怒った程度に泥と血で汚れています。頭を兜と面頬で覆っていましたが、ギラギラと彼の持つ剣のように光る金色の瞳が目を引くことでしょう。
 彼が降り立った辺境の星の名前はプププランド。
 戦士の目の前には、綿飴のようなふわっふわの白い雲に、さわさわと涼やかな音を立てどこまでも広がる新緑の草原。海は流し込んだ宇宙のようで、日差しは暖かく風が運ぶのは甘い花と果物の香り。誰もが、ごろりと横になって転寝をしてしまいたくなるような平和な星です。
 戦士は宛てもなく歩き出しました。すれ違うのはてふてふ舞う蝶々に、ひらりと頭上を旋回する鳥ばかり。彼は話ができる生き物を探して、風景には目もくれません。人工物の影を探そうと目を凝らしても、それは山の稜線と森の木々の連なりばかり。すっと横切った生き物の気配に鋭い視線を向ければ、雷に打たれたようにびっくりする動物がいるだけです。
 戦士はこの星が本当に平和であるのだと、今更ながらに実感しました。いつもなら星を降り立ってすぐに、争いの跡を見れば何処に人の住処があるかなんて簡単に分かってしまうのです。轟音を目指せば戦闘に遭遇できるし、被害の少ない場所を目指していけば争いから逃げてきた者達に出会えるのです。
 この星は陽の当たる場所も陽の当たらない場所も、大変平和で長閑でした。
 体がほかほか温まってきたと思う頃になって、戦士の目の前にようやく人影が現れました。
 オレンジ色の丸い柔らかそうな生き物が、戦士を指差し大柄な影を見上げています。青い戦士はなるべく警戒心を持たれないように、人影に近づいていきます。人影も、戦士に向かってのんびり歩み寄ってきます。まるで、散歩道をすれ違うように、のどかなのどかな平原の上で彼らは出逢おうとしています。
 大柄な影が近づけば近づくほど、戦士の視線は上に上がっていきます。大柄な影が足を止めた時、戦士はついに脱げないように兜に手を添えて影を見上げました。
 大柄な影は縦にも横にも大きい偉丈夫。丈の長いコートは擦り切れてボロボロで、大きいお腹を隠せない腹巻を丈夫なグローブを嵌めた大きな手が叩きます。ぼよんと音が出て、戦士はげんなり。偉丈夫は空色の瞳を瞬かせ、戦士に夏の声色で声を掛けました。
「よぉ、見ない顔だな?」
 どこから来たんだ? そう問いかけた偉丈夫に警戒の色はありません。戦士はすっと空を指差しました。
「あぁ、流星が落ちてきたのは、お前さんを運んできたからか」
「貴方はこの星の民か?」
 仰け反るように空を見上げた偉丈夫に、戦士は問いました。偉丈夫は帽子を押さえた手を下ろして、そうだと短く答えます。やや粗野な雰囲気の男ですが、戦士の言葉にきちんと返事を返してくれる人の良さがこの星の平和を物語っているようです。
「私は訪れた星で最も強い者と勝負をして、旅をしている。この星で最も強い者はどこにいる?」
 偉丈夫は空色の瞳をぱちくり。オレンジの柔らかそうな生き物と顔を合わせて、目をぱちぱち。彼らは戦士に向き直ると、揃って手をぱたぱたと振りました。
「知らん」
「知らない? そんな事はあり得ない。力が強かったり、魔法が使える者だったり、抜きん出て秀でた者くらい居るだろう?」
 戦士の畳み掛けるような言葉に、星の民達の表情に理解の色が浮かんだ。戦士はホッとし、質問の仕方が悪かったのだろうと自らを省みた。このような争いのない平和な星を訪れるのは初めての事だったので、いい経験だと納得させます。
「賢さだったら、ウィスピーウッズ。気性の荒さならクラッコ。シャインやブライトも、怒らせたらそりゃあ怖いぜ。白い翼のダイナブレイドって呼ばれる、大きな鳥が住む山もある。氷の島には竜が住んでるって噂も聞くぜ」
 すらすらすら。偉丈夫の黄色い口が滑らかに挙げ続けるものなので、戦士は思わず言葉を遮りました。
「そんなに沢山強い者がいるのか?」
 あぁ、いるぜ。あっけらかんと答えれば、隣の柔らかいオレンジ色と頷き合います。
 戦士には信じられない事でした。強き者が一人でもいれば、その者は全てを手に入れんと暴力を振るうのが常だったのです。ある星では一人の強者が星を征服し民を虐げ、ある星は複数の強者がいて互いに戦争をしていました。富を持つものは利益を追求するあまり、他者を苦しめたりするものです。戦士はそんな強者達と勝負し勝利していたが故に、銀河では勇者や英雄と呼ばれていたのです。
 目眩を感じた戦士に、偉丈夫はけらけらと笑いながら言いました。
「会いたいなら、案内してやるよ」
 戦士が兜の隙間から覗く瞳を真ん丸くするのを見て、偉丈夫は大口開けてげらげら涙目。ひぃひぃ呼吸を整えて言葉を続けます。
「そりゃあ、お前さんが望むならな全員案内してやるさ。この星に来たばっかりの客人を放っておく程、酷いことはしねぇつもりだぜ」
 願ったり叶ったりですが、戦士は用心深く言いました。
「私はこの星に降り立つのは初めてで、この星の通貨を持っていない。見返りは貴方の願いに協力する程度しか出来そうにない」
 地獄の沙汰も銀河の生活も金次第。一つの星が複数の星を支配している帝国の領域下ならば、初めての星でも通貨が使えるものです。また他の星と交易がある星では、一つの星でも換金できたり複数の通貨を使ったりができました。申し訳ないけれど、この星には通貨自体があるのかわからないくらい、文明の気配がありませんでした。
 己が無一文である事を恥ずかしくは思いましたが、偉丈夫はにっかりと眩しい笑顔で答えます。
「何も要らないさ。俺が好きでやるっつってんだから」
 そうして、戦士はひたすらその大きな背中を追いかけて星を巡る事になりました。
 デデデと名乗った偉丈夫は、戦士をさまざまな所へ案内してくれました。草原を歩き、森を抜け、海を渡り、山に登り、雲を見下ろし、洞窟に潜り、町に訪れ、数え切れない程の太陽と月と星が頭上を過ぎて行きました。デデデが挙げた強者達に会う為に、戦士は想像以上に長い日々をこの星で過ごしたのです。
 デデデが導いた先に出会った強者達は、皆それぞれに強敵でした。しかし、何よりその強者達は皆気持ちが良いほどの善い者でした。他者を傷つけず、争いもせず、この平和な星で微睡むように過ごしているのです。
 それは今まで戦士が訪れた星々の日々の中で、最も素晴らしい素敵な日々です。

 朝もやが漂い川のせせらぎが奏でる響きが幻想的な早朝、デデデは焚き火を起こし果物や野菜を切り分けて『なぜ旅をしているのか?』と問うた事がありました。戦士はもちろん、己が強くなる為と答えました。
「私は銀河で一番強くなりたいのだ」
 デデデは感嘆の声を漏らし『なぜ強くならなくてはいけないのか?』と問いました。戦士は不思議な問いをするものだと思いながら、喉に答えが引っかかって出てこない事に驚きました。うんうん唸る戦士を他所に、デデデは夜中に仕掛けた罠にかかった魚を調理し始めます。串に刺して火に掛けて焼き魚にしようとしています。
「だって、強い奴って皆を苦しめたりするんだろう? お前さんが今までボコボコにしてきた奴らみたいなもんに、なっちまわないのか?」
 戦士は急に剣を持っている自分が、この星に似つかわしくない存在なのだと自覚しました。強者達と渡り合った時に滾る血潮が、今まで己が打倒した存在にとても近しいからと分かってしまったのです。戦士はこの星の平和を壊してしまわぬよう、痛くなるほどに己の腕をつかみました。
 でも、仕方がないよな。デデデは焼き上がった魚を戦士に渡します。
「だって、俺もこうやって魚を殺しちゃったから、ご飯食えるんだしな」
 ほれほれ、食おうぜ。吹き飛ばすように笑ったデデデに、戦士は笑みを返すことはできませんでした。いただきますの声が早朝の空に響きました。

 日差しが世界を暖かく包み込んだある日、戦士は何気なくデデデに問いました。
「この星はどうして平和なのだ?」
 そう、とても不思議な事でした。
 銀河のほとんどの星では、戦争や支配が当たり前。例え銀河の隅っこの辺境であっても、侵略に貪欲な星はきっと見逃したりはしないでしょう。戦士も手こずる強者達が揃っておきながら、争い一つ起きない星。この星ではかつて争いがあった跡一つありません。
 さぁ? デデデは不思議そうに首をかしげました。
「でも、俺はこんな呆れるほど平和な日常が大好きだけどな」
 不思議な答えでした。争いのある星々の民は、今をとても嫌っていました。争いが終わることを願い、今が変わる事を切望していました。聞かなくても、戦士には今の彼らの営みを嫌悪しているのははっきりと分かっていました。
 日常が大好きという言葉を、戦士は心の中で何度も何度も繰り返しました。不思議な不思議な、暖かい言葉です。

 太陽が空におやすみを告げて空が赤く色づく頃、オレンジ色のまあるい生き物が転びそうになったのを戦士が支えてあげました。もし転んでしまったら、さぁ、大変。オレンジ色の柔らかい生き物は、きっと坂をごろごろ、抱えた林檎と一緒にどこまでも転がって行った事でしょう。
 オレンジ色の生き物は、ぺこぺこ頭を下げて林檎を渡して去って行きました。
「あいつはワドルディ。ポップスターのどこにでもいる奴らだよ」
 戦士が見送ると、ワドルディと呼ばれたオレンジ色の柔らかい生き物が木の幹に隠れてこちらを見ています。
「見事な反射神経だったぜ。流石、宇宙を旅する戦士様だな」
 今まで戦ってきた戦士にとって、剣で強者と斬り結び、倒す瞬間の手応えばかりしか感じてこなかったのだと思いました。今は薄汚れた手甲ですが、戦いの時は他者の血で滑り土がざらざらとこびり付いていました。
 争いの最中、命の危機に晒された人を助けたことは何度もありました。助けられるのも、己に力があるからです。でも、こんな些細な事ですら人の助けになって感謝されると、なんだか不思議でした。
 手に残った柔らかい感触、暖かい体温。手に持った林檎の香りが甘酸っぱく漂っています。

 月が空に掛かり紺に星を散らしたカーテンが頭上からひらりと舞い降りたある日、戦士は流れ星を呼び止めて旅立とうとしていました。戦士はデデデと、がっちりと握手を交わしました。
「また、遊びに来いよ」
 にっこり笑顔を目に焼き付けようと、戦士はじっとデデデを見ました。
「私は強くなる為に旅をしている。それは、昔も今も変わらない」
 もう思い出すこともできない、初めて剣を握った小さな小さな子供だった頃。掲げた目標は『ぎんが さいきょう の けんし』だった。その為に剣術を学び修練を重ねて鍛え、宇宙を旅して武者修行をしている。戦士の生きる今までの結果であり、目指す先だった。
 間違っているとは思わない。
 戦士が訪れた星の者達は皆、感謝した。力が大きな変化を与え、力がなくては変わらない事も多くある事を戦士は知っている。
「だが、本当の強さとは何だろうと、この星で考えさせられた。私が求める力の強さとは別の力が、この世界には満ちている」
 力を持つ者は沢山いる。デデデが引き合わせてくれた強者達は、皆それぞれに戦士が認めざる得ない程に強い力を持つ者達だった。それでも、この星は平和だ。誰も互いに争わない、その理由はそれらを凌駕する力の支配ではない、戦士の知らない力の領域だった。
 戦士の悩みを日々聞いていたデデデは、励ますように微笑んだ。
「お前さんなら、きっとわかっちまうよ」
「次こそは、この星で最も強い者と戦いたいと思っている」
 デデデは首を傾げました。
 そう、戦士は確かに強者と戦いました。皆、強かった。戦士はとても満足していました。けれどもこの星で最も強い者とは結局戦えず終いなのです。
 戦士は空色の瞳をひたと見つめた。
「今回は負けを認めるが、次はぜひ、私と戦ってもらおう」
 空色の瞳に悪戯っぽい光が灯った。戦士は、デデデが武器を持って戦う戦士であると見抜いていました。日々見てきた何気ない重心の移動や癖からきっと、大物で重たい武器だろうと見当までつけています。バトルハンマーあたりかもしれません。
 でも、戦わずして、完敗を認めたのには理由があるのです。
 戦士は、すっかりデデデを気に入ってしまいました。戦って実力を見たい気持ちは確かにありますが、それよりも彼とポップスターを旅していたい気持ちが勝ってしまいました。この平和な日々が愛おしく、己の心を穏やかにしているとわかっていました。
 この星は全てが互いを親しく思っている。デデデが強者と交わした親しげな挨拶、互いの何気ない近況を語らう様、それは敵対者ではない親しい者たちができる関わり方でした。戦士は、デデデがこの星を戦わずして平和にしているのだと感じるようになったのです。
 そんな事ができる、戦士にはとても不思議でした。
 戦士はご存知ないかもしれません。そんな関係を、友人と呼ぶことを。
「何時勝ったのか知らねぇが、お前さんが来る日を楽しみにしてるぜ」
 不敵な笑みが、かさりと立てた音に向けられる。つられて見遣れば、草むらからちょこんとオレンジ色の柔らかい生き物が戦士を見ています。デデデがワドルディに近づくと、両手に抱えて戦士の目の前に連れてきました。
「覚えてるか? お前さんが助けた奴だよ」
 そう言われても、戦士が見かけた沢山のオレンジ色の柔らかい生き物と見分けがつきません。ですがワドルディは羨望の輝く眼差しで、戦士を見上げていました。戦士に何かをすごく期待しているようで、どきどきしながら何かを待っています。
 わからない戦士に、デデデが通訳してくれました。
「見送りに来たんだよ」
 こくこく。デデデの手の中でワドルディは頷きました。
 目の前に降ろされたワドルディは、確かにあの日の林檎の香りがしたような気がしました。戦士は見上げるワドルディに頷きました。
「覚えていなかったのに、すまないな」
「そこはありがとうで、良いんだよ」
 戦士が流れ星に飛び乗ると、せっかちな流れ星は別れを告げる間も与えずに飛び上がりました。手を振る友人達に、己も手を振り返すのが精一杯。あっという間に小さくなって、ポップスターの輝きの中に溶けていってしまいました。

 銀河一の剣士を目指した戦士は、今も銀河を駆け巡り武者修行に明け暮れています。でも、彼の隣にオレンジ色の柔らかい生き物がいて、彼を慕う戦士が一人二人と集い、いつしか移動の為に色々頑張って宇宙船まで作ってしまいます。流星にぶつかったり、ブラックホールにもがれたり、大きな船のメンテナンスは欠かせません。戦士達は喧嘩が絶えないし、銀河から争いは尽きそうにありません。
 いつしか戦士は争いの合間に、呆れるほど平和な星の雰囲気を感じるようになりました。包み込んで広がる暖かな気配は、己も戦士達も争いに疲れた者達にも穏やかさを与えてくれます。ホッとした笑顔。今では宇宙船は小さい戦士の星です。平和であれと願います。
 オレンジ色の柔らかい生き物は、戦士の贈られた帽子の下から戦士を見上げます。戦士はふと微笑んで林檎の香りを思い出すと、船を発進させるよう号令を掛けました。
 彼らは多くの星を訪ね、戦争を終わらせ、たくさんの星を救うのです。
 いつしか戦士は騎士と呼ばれて、銀河の人々の尊敬を集めるようになりましょう。
 しかし戦士がポップスターで最も強い者に勝てたかは、また、別の話。