ぷよぷよ!


■ これからを考える1日目 ■

「ふむ…」
 サタンは長い指先で軽く顎を擦りながら、プリンフタウンだけではなく更に遠くまで見下ろせる場所から世界を眺めていた。彼の目の前には夕日が沈み既に深い闇が空を塗りつぶし終えた後で、散りばめたような星と人々の街の明かりが広がっている。水平線に近い場所に 漂っている月の下には、海の細波が美しい波紋と反射する光をサタンに向けて伸ばそうとしている。
 彼の居た世界とは異なる世界。しかし、鏡合わせの様に世界の構造に違いは見当たらない。
 下ろした指は二の腕に触れ、自然と腕組みの形になった。彼は深紅の瞳を眇め、溜息に似た吐息を零した。
「ふーむ…」
  指先に少し力を入れれば、己の筋肉と骨の感触に触れる。喚起されるのは夕刻に会った着飾った骸骨。恋人を捜していたという彼女に、サタンは少しばかり興味を抱いて彼女の捜索の援助を申し出た。元々女性には優しい方だと自負しているが、それを差し引いてもこの世界に存在している者を探し出す事等雑作ない事だった。無意識に出来ると言っても過言ではない。
 サタンにしてみれば、彼女の探し物は見つかるに決まっていたのだ。手掛かりはある。その者が触れたものがあった。既に白骨化し血肉がなかったとしても、差し出された手は手掛かりには遜色無く十分な程だった。魂が宿り魂が今なお欲する存在なら、骨にまで記憶は染み付いているのだから…。
 だが、結果はどうだ。
 魔界の貴公子、彼が本来居た世界の創造主でもあったサタンは、たった一人の存在すら見出せなかった。その場は驚いた感情に呑まれたが、後々になれば悔しさが滲むばかりだ。
  確かに勝手は違う。しかし、自分の力が制限されているかと言えばそうではなく、今までと変わりなく何もかもが見て取れた。ここの世界は変わっている。だが、己が愛した世界と比べれば大差ない。逆にサタンが覗いた数々の異世界の中で、飛び抜けて異質な世界の方が珍しい。
「……せめて」
 癪だが、サタンはもう少し決定的なものを欲していた。それは白旗を上げるに等しい行為だった。
「名前さえ分かれば」
 そうすればきっと見つかる。このまま人の子一人見つけられぬ等、魔界の貴公子の恥だ。
 目の前で一つ一つと灯火が消えて行く。あの骸骨が眠るかは知らぬが、真夜中の訪問は良く無いだろう。そういえば彼女の名前も知らないな…と思いながら、サタンは朝日が来るのを待つ事にした。


■ 訪ねてみちゃった2日目 ■

 最初…
 最初がどんな出会いだったか、もう忘れてしまったのかもしれない。思い出すのも難しい。
 何気なく擦れ違っていたのかもしれない、パンを買う時に隣同士で品物を見ていたかもしれない、気が付いたら互いに顔を合わせるのが自然で最初なんて思い出せない。でもいいの。最初よりもそれから暫く経った頃の思い出が鮮明なの。ワタシにとってそれが最初。
  その人はいつもの様に扉を開けてやって来る。時間は決まっていない。ワタシが来るかな?と思った時間に、カレはワタシの考えを見通しているかの様に扉を叩く。ワタシが顔を上げたと同時に、カレは扉を開けて射し込んだ光を背中いっぱいに浴びるからどんな顔をしているか知らない。でも、僅かに口元が持ち上がっ た唇の端が、穏やかに細められた睫毛の先が、光に僅かに照らされて微笑んでいるんだと知る。
 毎日続くと思っていた。
 何時までも続くと思っていた。
 『また来るよ』
 そんな言葉を信じて今もワタシはここに居る。
 昨日はカレにそっくりな人に会った。そう、そっくり。
 だからなのでしょうね。ワタシは今までにない気持ちで朝日を見ているの。
 あの人が来るんじゃないかっていう思いに満ちた朝。あの人が来なくなってこんなにも期待の膨らんだ朝を迎えたのは、ワタシ、正直初めてよ。
 扉が叩かれる音が空気を伝って頭蓋骨に触れる。あぁ、まさかね。ワタシはふと顔を上げる。
 同時に無遠慮な程呆気無く扉は開き、そこからひらりと立ち入って来たのはあの人と同じ立ち姿。
「邪魔するぞ」
 不敵に微笑んだその顔が、あの人と重なって見えた。


■ 嫌な予感な3日目 ■

「あ、お兄様」
 嫌そうに顔を顰めるサタンが見下ろしたのは、碧の髪を団子に結ったリデルである。尖った耳に緑の毛髪、 顔立ちや輪郭は違うものの遠目から見て兄妹に見えなくも無い。しかし、リデルとサタンで明らかに違うのはその頭に生えた角で、周囲はリデルが角のある明らかに人間じゃなさそうな男を兄と呼ぶのか訝しがった。
 リデルは巧妙に隠してあるが角を持っている。彼女も人間とは少し異なる種族なのだろうと、良く見れば分かる。
 『角のある人』リデルは切望した存在が目の前に現れた事で、少しだけ強気だった。
 その強気がサタンを『お兄様』と呼ぶ。何も知らないガキ共の反応に、サタンが怒ったのは生々しい傷跡の様に鮮明な記憶である。
「私はお前のお兄様ではないぞ」
「お構いなく。わたしがそう呼びたいのです」
 否定するとこの様な返答が帰って来る。サタンも呆れて元の世界が恋しくなってしまう。
 げんなりと視線を明後日の方向に向けている彼を、袖口を口元に寄せながら見上げていたリデルは気に留めた様子なく尋ねた。
「お洒落こうべさんと何かあったんですか?」
「少し聞きたい事があってな」
 質問されるとつい応えてしまう。サタンは答えてから、自分の人の良さに苦笑した。その笑みにつられてリデルも袖を離さなくても目元を和らげた。
「そうですよね。お洒落こうべさんも長くここに居るから、色々と詳しいですもんね」
 その言葉にサタンは一瞬引っかかる物を感じた。
  白骨化する年月が経っている事は想定していたが、今のリデルの発言の内容は数十年単位の物ではなかった様に感じたからだ。実際に肉体がないのなら骨の耐久度を保持する事は、魔導の世界においてそう難しい事ではない。むしろ骨に魂を添付させ続ける事の方が難しい事で、強靭な精神力が求められる。それを彼女は 『恋人を待つ』という使命感で補っている。
 ちなみにスケルトンTは茶を味わう事で保っている訳だが…。
 サタンは長い年月を生きている。年齢は他の長寿な生命と比較しても桁が5、6個多い。その間に自分が行った事を全て覚えているかと言えば、覚えておらず、サタンはもしかしたらお洒落こうべに会った事があるのではないかと思い始めていたのだ。
 しかし、この世界に見覚え等ないのだが……。
 サタンは過去を必死に探りつつ、名前よりも年齢を聞きに行けば良かったと思った。例えルルーに『女性に向かって失礼ですわ!』と平手打ちされるとしても…。


■ 出会っちゃったよ4日目 ■

 サタンがお洒落こうべに再会したのは思ったよりも早かった。道端で出会った彼女はこれから仕立てる洋服の布を買い付けに出かけ るのだとの事で、サタンも興味半分で付き合う事になったのだった。サタンは余りある魔力で何でも生み出せるし実行できる反面、このような物事の過程を見る のを好んだからだった。
 お洒落こうべは当然喜んだ。喜び過ぎて大事な帽子を落としそうになる程だ。
「そんなに喜ぶ事も無かろう」
 サタンが苦笑して諌める様に言う。
 最近買い物に同行した人物と言えばルルーになるが、彼女もサタンの同行に興奮を覚えてもそれを抑える。格闘家として彼女以上の逸材をそうそう見ないからか、サタンですらその隠された感情を感じず冷静な印象を持つからだ。
「そんなことないわ。誰かと買い物に行くだなんて久しぶり。生地の買い付けに付き合ってくれるのなんて、あの人以来だわ」
 肉体の無い骨の体はスキップ一つで飛び上がりそうに軽く、彼女の気分も相まってまさに飛び立たんばかりだ。
「あぁ、 今はこんな姿になってしまったけど、あの人と買い付けに出かける時はそれはもうめかしこんだものだわ。指のネイルはピンクにラインストーンを散りばめて、 前日には髪の手入れはいつもよりしっかり。コンディショナーもたっぷり付けて、そのあとのブローなんて一時間近く丁寧に伸ばしたものよ。お気に入りはフリルの袖のブラウス。胸にはあの人から差し出された薔薇を挿してね」
 サタンが指をしなやかに振る最中、ぱちんと澄んだ音を立てる。お洒落こうべの前に手が向けられた時には、手には黄色の薔薇が握られていた。
「こんな風にか?」
「まぁ!!」
 驚くお洒落こうべの胸のハンカチに滑り込ます様に、サタンはその黄色い薔薇を挿し入れた。
「何なら、今のお前の記憶を元に当時の姿を再現しても良いんだぞ?」
「それは良いわ」
 サタンは少し不思議そうにお洒落こうべを見た。彼女は少しだけ潤んだ瞳でサタンを見て、目指す先を見遣った。
「だって、貴方は今の姿のワタシと出掛けるって言ってくれたんだもの」
 その言葉に、サタンは乙女心の複雑さは世界を問わないと僅かに嘆息した。


■ 言っちゃいましたな最終日 ■

 その人の髪は長くて素敵。
 あぁ、あの人もとても素敵な髪の色をしていた。長く伸ばしていた時流星の輝きに似た艶を何時までも透いていたものだった。
 その人の瞳は生命の色を帯びて美しく輝いている。
 あの人の瞳の色は何色だったろう。そう、世界の自然の中で最も美しい色をしていた。ワタシはその瞳の色を、どんな美しい光景を見るよりも好きで見ていた。
 ワタシの手に乗った漆黒の布。この布でスーツでも一つ作ってみましょうか? そう思ったのはあの人と会えなくなる本当に少し前の事だった。とても似合う筈。ワタシの目に狂いは無い。
 あの人に作る筈だった服を、目の前のこの人に作って良いものなのかしら。
 この人を何処まであの人と重ねても、あの人とこの人が例え同じ人であったとしても、きっとワタシの隣にあの時いたあの人ではきっと無いのだろう。
「なんだ、その布も買うのか」
  さっさとしろ、とサタンはうんざりした様子でお洒落こうべを見た。彼はかれこれ一時間以上、彼女の買った布を彼女の店に転送していたのだ。その量はもうそ ろそろ彼女の店の天井に届きそうで、サタンは彼女の店の扉が開かなければ今まで転送したものを一旦異次元に格納しておく必要があるだろうとまで考えてい た。
「この布で最後よ」
 お洒落こうべはそう言って、黒い布をサタンに押し付けた。
「お礼にこの漆黒のベルベッドで、イケてるローブを作ってあげるワ。アナタのローブ、少しだけデザイン古くさいんですもの」
「な…!古くさいとはなんだ!」
 サタンが真っ赤に怒りなりながらも、律儀に受け取った布は転送してやる。そんな背中を見ながらお洒落こうべは笑う。
 そう、あの人もこの人も、ワタシにこんなに優しい。町の人もとても優しい。
 ワタシは何時までもあの人を待てるわ。
 そして、あの人に紹介しましょう。ワタシの大切な優しい人達を…。


■ 結果から2番目の真実 ■

「サタン様。ありがとうございます」
 紫の髪をふわふわと漂わし、眼鏡の奥の瞳も言葉同様に眠そうなアコールはそう言って頭を下げた。頭を下げられた相手は一瞬きょとんとしたような表情になって、一拍置いて理解した様に笑みを浮かべた。そうだ、彼女も魔導を教える教師だったと思い出した様に。
「ほぅ。その感謝の言葉は私が何をしたか分かっている口振りだと思って良いのだな?」
 ふふふ。アコールは意味ありげな微笑みを返すだけだ。
「本当はお礼なんて言いたく無いんだにゃ」
 笑みを浮かべるだけの彼女の代わりに、腕に抱いた黒猫のぬいぐるみが喋った。生徒は腹話術だと説明しているそれも、サタンにはガラガラした男性の声に聞こえる。というかぬいぐるみには見えない。まぁ、魔力を秘めた存在に性別などの概念が無いと思えば理由はどうにでも言える。
「生徒の為と引き離したとしても、それは来るべき結末を先延ばしにするだけで事態は好転等しないぞ。まぁ、あの彗星の魔導師も勘付いていたようだが、あのエコロはこの世界の理とは全く異なった存在だ。世界がざわめき恐れるのも仕方がない」
 口調は何時ものおちゃらけたものではなく、落ち着いた諭すような声色である。元々、プリンフからは遠くにある魔導学校の校長の立場もあって、サタンもアコールの対応を真っ向から否定する事はしない。同じ事態が彼等の世界に起きた時、校長であろう彼もまた教師には生徒の安全を優先させるよう命じるからだ。一つ違うのは、校長であるサタンが敵を真っ向から討つようなタイプである事くらいだろう。
 かつて黄金の勇者の宿敵として異世界に君臨していた魔王ヨグスを、サタンはたった一人で押し止めた事もある。理が違うと力関係の優劣も異なるため、サタンでさえ返り討ちには出来なかった(ように演じた疑惑あり)。理を外れた存在程、世界に恐れられる者はない。
 じゃあ、サタンは何故好き勝手できるのか。問い始めたら、私は優秀だからとか絶対的な支配者だからとか延々と続く事だろう。
「今回の件は私がここに居てラッキーだったな。お前も納得するような結末で満足しただろう?」
「まぁ…」
 口元に手をやりお淑やかに微笑む。そんなアコールの腹の内を覗き込んだようで、サタンは少し不機嫌そうな表情を浮かべた。
「奴には少し魔力を授けた。これから先の事は奴次第だ」
 他者の体を操りその力を行使する。その行為しか手段がないというのは、エコロ自身に力がないからだ。得た力で道を切り開くか、道を踏み外して堕ちるかはサタンは知らない。
 しかし人を導く立場の二人にすれば、望む方向は同じであろう。
「今度はエコロさんも皆さんと仲良く遊べると良いですね」
 その言葉にサタンは応じず、代わりに黒猫のぬいぐるみのポポイが『だにゃ』と答えた。


■ 魔王は叶わぬ恋の夢を見るのか? ■

 アルル・ナジャとカーバンクルに叱り倒され、ようやく解放されたサタンの傍に闇の魔導師が居た。彼にしてみれば散々警告してこの様でそれ見た事かと鼻で笑いたい所だが、どんなに酷い目にあった様に見えてそれは演技だったのだと分かってしまうのだから憎たらしい事この上ない。
 未だに二人の説教が堪えているような態度の背中に、神をも穢す華やかなる者であるシェゾ・ウィグィィは冷徹な響きで言い放った。
「サタン。お前は結局あの影と慣れ合うつもり等全く無かったのだろう?」
 その言葉にサタンは思った以上に柔らかい体なのか体を反らしてシェゾを見上げる。
「関わるなと偉そうに言ったくせに、どうしてそうなる?」
 根に持ってんのかよ、面倒くせぇおっさんだ。とはシェゾは言わない。
 代わりにシェゾは端麗な顔を彫刻の様に微動だにせず、その問いに答えた。
「アルルに受け入れられる。お前の望みはそうだと聞いた。しかしお前はその気になれば何時でも、その膨大な魔力でアルルを手に入れる事ができるだろう」
 違うか? そう暗に含めた問いにサタンは小さく笑った。
 無論、シェゾにも同じ事が言える。闇の魔導師としての技量は、現在の全容が見えぬとも膨大な魔力を持つアルルを出し抜くには十分だ。シェゾは剣士としても一流だ。カーバンクルを出し抜けば、本気で彼女を殺めて奪う事は簡単な事だ。
「それじゃあ、面白く無かろう」
 シェゾは自身の認識しきれていない感情をサタンに突っ込まれなかった事に、感謝すべきである。しかし、サタンが底抜けに明るい声で答えた言葉は、シェゾには理解不能過ぎて間抜けな声を出さざる得なかった。
「は?」
「そりゃあ、私は自分でも多くの男子に嫉妬の対象とされる超絶美形だ。その上、世界を滅ぼしかねない程の絶大な魔力と、その魔力を運用する為の膨大な知識も得ている。今までも、そしてこれからもこの世界に二人と居ない絶対的な闇の貴公子であり、ぷよ地獄の創造主だ。地位も名誉も実力も思うがままの私に手に入れられぬものがあろうか? いや、ない」
 これから自慢話が延々と続くとなると、シェゾは我慢出来そうに無い。その優越感たっぷりな顔と、神経を逆撫でする事しか言わない口に全力でアレイアードスペシャルを叩き込んでやりたい気持ちでいっぱいだ。
 その反応を楽しげに見ていたサタンはニヤニヤ笑いながら言った。
「楽しまねば魅力が薄れてしまうではないか」
 その言葉の意味だけは、シェゾには十分理解出来た。背筋に冷や汗がびっしりと浮かんだのを感じる。
 彼はぷよ地獄の創造主であると同時に、彼等の世界の守護者でもある。膨大な魔力の持ち主は破壊衝動に駆られる事も多々あるが、サタンは取り分け感情のコントロールが巧みな数奇な存在である。彼が欠片でも世界に対し負のイメージを持ち、攻撃でもしようならグラスの水を打ちまけるように簡単に世界が崩壊するというのは言い過ぎではない。
 年齢を考えれば、彼等の世界がどれだけ長い間安定と平和の中にいたか想像も容易い。
 とんでもなく、色々と面倒くせぇおっさんだ。そうシェゾは結論付けた。