ごちゃまぜ雑記ログ2


■ 兄で双子で妹で ■

 ライナスがクリームミントキャンディの試食会をするとか言っていた。思惑がない訳が無いのは当然だったが、ルッカフォードの妹の舌を試すちょっとした遊びも含まれているようだ。ライナスにしては珍しく、女性に好意的に接している様に思える。
 答え合わせに連れて来られたんだろうとは思ったが、自分の答えは全問正解。さも当然と言って退けたが、その脳裏では苦々しく繋がる先に意識を向けていた。
"トリクシー、味覚を共有したな…"
"あら、お兄様は5問中3問正解でしたわ。スヴィトニーのショップのキャンディを別のお店かと悩んでらしたじゃない。あれくらいは直ぐに言い当てて欲しかったわ"
 あぁ、でもフィリップさんのお母様の味は分かりませんでしたわ。トリクシーは唇を尖らせて悔しそうに呟く。
 そればかりはティ・ティも驚いた。ライナスがまさか外周の家庭の味を持ち込んで来るとは思わなかった。ライナスの性格を考えれば、彼は当然フィルからキャンディを貰って美味しかったからあの場に並べたのだろう。彼が美味しく感じなければ、適当に彼が美味しいだろうと思うような店を選んで来た筈だ。
"将来、フィリップ・グレイのお母様はパティシエとして王国に名を馳せるかもしれませんわね"
 当然それはライナスがその気になればだが、その気になればそうしてしまう実力がある。
 ライナスは商売毎に関してはいつも全力で手を抜かない。値段などの交渉やルーディーの装飾とセットで売るとはいえ、彼自身が美味しいと思わない物は他人には売らないだろう。ライナスは高級や評判などという箔で商売はしない。自分の感性と商品から感じる魅力を信じるのだから、今回の件でフィルの母親の腕は認められたと言える。
"あまり不用意に感情以外の感覚を繋げちゃ駄目だぞ"
"私が美味しいと思うと、お兄様だって繋げて来るじゃない"
 その切り返しに、ティ・ティも言葉が詰まる。研究の契約で肥満体型を維持するのに間食をする事となり、最初に繋がった感覚が味覚だった。あれが美味しい、これが美味しいと脳内会議をする事も少なく無い。
"今の僕らは感情だけしか繋がらないとしか伝えていない。あまり感覚を共有し過ぎて体に影響が出たら隠しきれないぞ"
 だから、駄目。そう言えば意識の向こうに憮然としたトリクシーの意識がある事をティ・ティは感じるのだった。
"僕はお前を護る義務がある"
  男だからとか双子でも兄だからとか色んな理由はあるだろう。ティ・ティはトリクシーが優れている面がある事を認める事が出来る男だったが、このようにテレ パシーに似た感情の共有で繋がると自分自身の様に感じられる。でも、そうだ。生まれた時から一緒なのだから、分身だとか己の一部という感覚は棄てられやし ないだろう。
"お兄様が鏡や窓の傍に居て下されば良かったわ"
 何の事だと思う間もなく、トリクシーは言葉を続けた。
"視覚が共有出来れば、どんなお顔で言っているのか視えたのに…"
 難点ですわね。そう言えば、女らしい感覚に先程の考えを撤回したい気持ちになるティ・ティだった。


■ 空っ風の下 ■

 ニビシティはセキエイ高原を形成する高山の麓に位置する町である。お月美山の化石の発掘が相次ぎ、石の博物館としても有名だが登山家のキャンプとしても有名である。チャンピオンロードですら、実は初心者向けの登山道である。当然、それ以外の道は険しく、その険しさからより高難易度を求める登山者が集まって来た。
 人間、ポケモンの力が借りられる世の中になっても、自力で登る魅力というのは色褪せないらしい。故に1年の中でも特に冬のシーズンには遭難者が相次ぎ、登山者救命のチームがニビシティとセキエイと連携して活動している。
 今年もそんな季節が来たのだな、とタケシはバックパックを背負う人々の背中を見ている。
「やぁ、タケシ!」
 元気な声に振り向くと、そこにはコートを羽織った老人が歩み寄って来た。帽子の下に毛髪は無く禿げたか禿げる前に剃ってしまったのだろうが、黒いサングラスなど年齢よりも若々しい服装と態度が彼が老人ではないような印象を振り撒いている。腰のベルトにはモンスターボールを仕舞うポーチが括り付けられていて、彼がポケモントレーナーであると分かるだろう。
 タケシはそんな男を見つけると、丁寧に頭を下げて迎えた。
「お久しぶりです。カツラさん」
 そしてずいっと歩み寄ったカツラに強い口調で続けた。
「冬のニビシティではジム以外で火炎属性の技を用いたバトル禁止ですからね」
 ニビの冬は非常に乾燥する。セキエイで多くの雪を落とし水分を失った風は『セキエイのからっ風』と呼ばれる程で、その風が吹き降りて来る冬の時期は特に火災に注意しなくてはならない。グレンタウンのジムリーダーであるカツラは炎属性のポケモンのスペシャリストだ。彼のポケモンが一暴れしただけで大災害に違いない。
「出会って直ぐそれかい。相変わらずタケシはお堅いな」
 冬のニビで出会えば最初に言われる事に言われ慣れているのか、カツラは気分を害した様子もなく苦笑する。ジムリーダーにもなると必然的にその地域の治安を護る者にもなる為、タケシの忠告はジムリーダーの責務でもある。カツラが苦笑したのは、まだ若いタケシがジムリーダーとして頑張り過ぎているのだろうと思ったからだった。真面目で堅いにも程がある。
 そんな苦笑の中身を他所に、表情の分かり難い細めを更に細くして尋ねた。
「今年も山に登られるんですか?」
「グレンの火山の問題がいろいろあってね、今年は自粛してるんだ。今回はフジに会いに行って、奇麗な冬山だけ見上げておこうと思った帰りだ」
 カツラは登山家としても有名である。ポケモントレーナーは基本的に徒歩での移動が主なので、体力もフィールドワークの経験も豊富だがカツラはそれの上をいく。若い時に山で遭難しそうになったり、グレン島に研究所が出来て栄える前から住んでいたりと体力と幸運が今でも有り余っていそうな経歴を持っている。
 タケシが山を見上げたが、こちらから見上げる山はそれほど雪深さは無い。
「救助隊の人にピジョン使いが居るんで、乗せて見せてもらいますか?」
「いや。結構だよ」
 カツラはそう断って、タケシが見上げている山を見た。ニビ独特の灰色の岩石が緑の隙間に見え隠れする。山一つ越えれば秀麗な雪山が望めるのだろうとカツラも思った。
「自分で登るから良いんだよ。そうだ、タケシ。山に捨てたら怒られる物ってなんだ?」
 不意打ちのクイズに、タケシは糸目が僅かに歪んで嫌そうな顔をした。


■ 隣の初心者 ■

 ポケモントレーナーは最終的に故郷を出て旅に出る。
 それはその地方に点在するジムを巡りバッジを集めて、ポケモン リーグに挑戦する為である。ジムバッジを与えてくれるジムは、地方によって様々だが基本的にその地方の主要都市を全て回るような行程を経る必要があった。速くても半年、ジムリーダーに勝利出来ず調整や特訓に一年以上かかる者も居るし、挫折してトレーナーになる道を諦める者も多かった。
 今回の挑戦者は本当に故郷を出て来たばかりの初心者だろう。いや、初心者過ぎるだろうと、タケシはサトシを評価していた。
「サトシ。お前、ポケモンフードくらいはポケモンに合わせた物を買ってやれよ」
 店に入りポケモンフードのコーナーに立つと、サトシは目を丸くして整然と並ぶ袋を眺めた。暫く呆然と見ていると、そのうちぽつりと漏らした。
「こんなに種類があるなんて知らなかった」
 タケシはがっくりと肩を落とした。こんな初心者に負けてしまうとは…と先日までジムリーダーをやっていた自分を情けなく思う程だった。
 しかし、考えればこれは当然だと納得するのだ。
 マサラタウンは小さい町で当然ジムがないのだ。
 ポケモンジムとはポケモンの力量を上げる場所だけでなく、ポケモンのコンディションの整え方やポケモンが怪我した際の応急処置、ポケモンフードの選び方などポケモンと共にいる為の様々な知識を教える場でもある。ジムリーダーはトレーナーだけでなく地域でペットとして飼っている一般市民も対象に、ポケモンと共に生きて行く為に必要な知識を普及する立場だった。
 とはいえ、地方では8つしかないジムだ。ジムリーダーは出張することもあるが、そんな教育が受けられない場所が出て来る。サトシもそんな場所の一人だったのだろう。かの有名なオオキド博士のお膝元でも、博士はお忙しい人だろうからな。世界一のポケモントレーナーになると豪語しておきながら、本で勉強すらしない 飛び出して来るんだから大したものである。ニビまでならトキワのポケモンセンターで調整してくれたから来れたが、これからハナダまだの道のりは今までの幸運や勢いでは越えられない。
「サトシ、確かにポケモンを強くするのはトレーナーの最大の腕の見せ所だ。だけどな、ポケモンが全力を出せるようにしたり、ポケモンの生命を守ったりする実力があってこそポケモンは強くなるんだ」
 サトシは真剣な表情でタケシの言葉を聞いた。
「これから俺はブリーダー志望だから、お前のポケモンの面倒も見る事になる。だけどな、サトシ。完全にブリーダーに頼りっきりじゃ駄目だぞ」
 タケシはサトシからも学ぶ事はいっぱいあるだろうと思った。サトシは初心者だが、それ以上に彼の性格なのだろうがポケモンの指示が時折無謀すぎる時もあった。これから彼と共にいるポケモン達は大変だろうと思うと、大家族を支えて来た保護者としての使命感が放っとけないと訴えるのだった。
 割合的には戦略も含め、タケシがサトシに教える事の方が多いのだろうが。
「あぁ、分かった! これからいっぱい教えてくれよ! タケシ!」
 元気いっぱい応えるサトシだったが、タケシはちゃんと伝わったのか少し自信が無かった。

 それでも数年に及ぶ長い付き合いを経て、本当に別れる事になった時、互いに良く学んだなと思った。
 互いに良い先生で仲間であったと、互いに想うのだった。


■ 貴方が今日できること ■

 人は後悔という言葉を簡単に使うと、ルッカはかなり幼い時から思っていた。
 他人の使う後悔は非常に軽くて、ルッカの心が酷く軋んだ。本当の後悔とは、決して戻らない取り戻せない事実が起きてしまった事だった。子供の時から耳にする後悔の内容は、非常に他愛無くて、でも『そんなのは後悔なんて言わないのよ』と言えるような幼さもないルッカ。しかしそれを口にしなかったのは、自分の心にまだ深く突き刺さった事実を振り返ると過去の傷から後悔という血が吹き出てしまうからだった。
 今では後悔は大分受け入れられる様になった。仲間からの信頼と、自分の実力の向上、過去を忘れるという大人の技術がそうしていった。それなのに、どうしてこんな事があるのだろう。
 母親のララが立っている。二度と歩けない足になった母親は義足という選択肢もなかった現実は、幼いルッカには重く響いた。それなのに、目の前に母親は立っていて優しく微笑んでいる。真新しい靴を履く足は傷一つない。あの時の真っ赤でずぶ濡れで、白かったり銀色の何かが突き刺さったり飛び出たりしていない、 ぼろ布のような足ではなかった。
「かあ…さん…?」
 ルッカの前に歩み寄ったララは、優しく膝をついてルッカと視線を合わすと優しく頬に手を添えた。そしてその指先が頬を拭うのを感じて、自分が涙を流しているのを初めて悟る。
「あら、ルッカは相変わらず泣き虫ね」
 ララはそう諭す様に笑い、天気の良い今日は出掛けましょうと明るく言う。言われれば今日はとても天気が良く、廊下の日陰が薄暗い程に日差しが眩しい。いつも遮光カーテンの中で電気を付けて作業していたルッカは、その世界を不思議に感じていた。
 これは夢なのか。
 緑が見せてくれた夢にしてはとても現実味があった。後悔が嘘の様に消えて行く中で、時折激痛の様に後悔が体を突き抜ける。夢ではなかったが嘘でもなかったと、自己分析した。ララが笑顔で父のタバンを呼びに行くのを見送り、廊下で一人になったルッカは背後に気配を感じた。
「1日だけで良いそうだ」
 魔王と呼ばれた男は、そう呼ぶに相応しい声色でルッカに告げた。
 それはどんな意味なのか、頭の良いルッカにも直ぐにも答えが弾き出せない。だが、魔王がその類い稀な魔力でララを歩ける様にしてしまったのだろう。だが、それもどうでもいい。そんな頭の中に鮮明に浮かんで思考を覆うのはあの日の赤。一度失った足を保持する事を望み、二度目に失って家族を悲しませないため? それとも、あのまま歩けないままで良いというのだろうか。視界すら真っ赤に染めるあの日の記憶の中、母の悲痛な叫びも途絶え異様な静寂の中心臓だけが破裂する程に高鳴っていたルッカに静かな声が届いた。
「後悔する親しい人間を見るのは、後悔している人間以上につらいものだ」
 ルッカは振り返った。
 そこは暗い沈んだ日陰で植木の影が真夜中の闇のようにあった。そこには誰もいない。
 人は後悔という言葉を簡単に使う。
 しかし、本当の後悔を知る者は後悔という言葉を、本当に必要な時にしか使わないのだろうと思った。そして本当の他人の後悔は自分のそれよりも深く悲しい。それは、魔王の生きる為に築き上げた自尊心が見せた、予想外の優しさだからこそ余計に鮮明に理解出来たのだと思った。
 ルッカは両手で頬を叩いた。心地よい痛みと、少し濡れた掌で気持ちを引き締める。
 1日。最後の1日が始まる。


■ 戦艦の年賀状事情 ■

 クワトロ・バジーナ大尉はこの人生で最も扱い難い隊員配置に、テーブルの上のシフト表と睨み合っていた。
 現在のアーガマは数隻戦艦を率いる大所帯の戦団であり、その人員配置を担っているのはエゥーゴのクワトロ大尉であった。もっと階級が上の者も軍属年数の長い者もいる筈なのだが、何故かお鉢が回って来る。元々クワトロも佐官をしていた時代もあるので、なれた作業のはずだった。目の前に束になっている配置希望届けが無ければの話だが。
 現在、アーガマには多種多様なロボットとその操縦士がいて、何処かの誰かが人類とロボットの博物館だと言っていたのを思い出す。その誰かの言葉の通り様々な人種とロボットが一つの部隊の下に集っている。言語の壁が何故越えられるのかアストナージがなぜその全てを整備出来るのかという不思議を幾度となく飲み込んで来た。
 とにかく、スーパーロボットと呼ばれる非大量生産型の大出力で大型のロボットというのは日本で生産される事が多い。その為にパイロットは日本人が多い。技術的面でもアースノイドの中でジャパンブランドは、アナハイムですら一目置くブランドである。精神的面でも文化的にも、この日本という国はどこか変わっている。
 その傾向が見られ始めたのは、クリスマスを過ぎた頃だったろう。彼等は大量に食材を買い集め出し、餅つきに使うという道具を運び込みついにコンテナ一個ぶんになった。年賀状を書くと言い出して、夜更かしするパイロットが続出している。スペースノイドを始め日本人以外は全く理解出来なかったが、日本人は年末年始を非常に大切にする考えを持っていたらしい。31日から1月3日までシフトに何も入れないでくれという無謀な希望届けもあった。
「大丈夫ですか、クワトロ大尉?」
 声を掛けて来たのはブライト・ノア艦長だった。そこでクワトロは自室に置いてあるテーブルでは拡げきれないと、食堂の広いテーブル一角を占領してシフトを悩んでいたのだと思い出した。クワトロは少し引き攣ってしまった笑みがサングラスで隠しきれないために、潔く苦笑を浮かべて迎えた。
「申し訳ない艦長。こんな事は始めてで…」
「全く、私もだ。カイもハヤトも怒っていたよ」
 ブライト・ノア艦長はフリージャーナリストのカイ・シデンと友人で支援組織のカラバに所属するハヤト・コバヤシに応援を打診してきたのだろう。任務遂行中の戦艦から手紙を出すなど、軍属である二人からすれば常識はずれも良い所である。それも年賀状。量は身内から学校時代の同級生まで不特定多数だ。日本人に感化されて、年賀状の風習の無いクルーも手紙くらいは書こうかなという気になっている。情報漏洩が心配な為に、ブライトは信頼のおける人物に手紙を託す事に決めたのだろう。
「まぁ、仕方がない。クルーの心情を少しでも酌んでやらねば、団結や信頼は得られん。クルーのメンタルケアも艦長の仕事だ」
「大変だな」
 クワトロがそう返せば、ブライトは他人事じゃないだろう大尉と返した。
「シフトはどうにか組めそうですか?」
「難しいが、理解が得られ易い人物から交渉して調整してる。敵の襲撃さえなければ、1日はほぼ希望者全員の配置を希望通りにしてやれそうだ」
「そうか…」
 そこでブライトはクワトロに笑って言った。
「大尉は年賀状を書かないんですか? 私は妻と家族の分は用意しましたけど」
「グリーティングカードのことか。私はコロニー生まれなもので、地球の風習は疎くてな」
 一瞬、クワトロの頭の中に唯一の血縁関係と言える女性の顔が浮かんだ。元気にしているだろうか…という気遣いの思いと共に、彼女に手紙を出して良いものなのだろうかという思いも湧く。賢い子なので自分が口にしなくても自分の事を理解していそうだと思えば、誘いの魅力は褪せてしまった。
「セイラさんは喜んでくれると思いますけどね」
 そう言って微笑みを浮かべたブライトは、横を見る様に指差した。クワトロは釣られるように視線を移すと、思わず固まってしまったのだった。
 そこにはシフトの状況を窺いながら、現在進行形で年賀状を制作しているパイロット一同がにこやかにクワトロ大尉を手招いていた。


■ 戦艦の食事事情 ■

 宇宙空間で地球で作られた物と同程度の食事は贅沢である。無論、コロニーでは比較的安易に可能であったとしても、家庭の食卓に並ぶ物はレトルトパックから出した出来合いの品である。畑から採れた食材を調理するという感覚は、コロニーの人々からは大分遠かった。地球とは違い空気ですら限られた資源であるコロニーという環境では、多くの無駄を省いた末の結末だったので誰も文句等ない。
 そのような世界である宇宙空間。コロニーより更に小さい空間である戦艦では、料理など不可能な事とも言えた。戦艦内で重力が保たれている事すら贅沢なのにだ。
 そんな中、一つの噂というか冗談があった。
 スーパーロボットの最大生産地域である日本。そこに住む日本人という種族は、非常に優れた感性を持ち控えめで礼儀正しい。滅多な事では感情を荒立てたりはしないだろう。しかし、彼等にも決して譲らない拘りと言うものが存在していた。その拘りに関しては、非常に頑固で融通が利かなかった。
 拘りとは、食事の事だ。
 戦艦に乗り込んできた日本人はあらゆる状況を耐え忍ぶ。数日間の徹夜も、ベッドで眠れない事も、戦闘の緊張状態が何日続いても不平等言わない。そんな彼等は一様に食事の事に関して激怒するであろう。なんて不味い食事なんだ。下手をすれば食事を残す者も現れる。これが戦艦の常識だと艦長が説明したとしよう、日本人は驚いて先ず謝るだろう。そして戦艦が次の寄港予定地に到着すると、日本人が手配した様々な器具が運び込まれ厨房が瞬く間に改装されてしまう。彼等が呼んだコックも同乗する。そうしてその日から、地球の食事と変わらない物が戦艦内で供給される。
 そんな事は起こる訳の無い冗談だ。地球連邦では最も名の知れた艦長ブライト・ノアでさえ、日系の妻を持っていた事も手伝って、ただの幻だろうと結論付ける程である。
 しかし彼が与っている、現在の戦艦の食堂の様子はどうだ。食堂のテーブルに備え付けられた調味料。トレーに乗せられる湯気すら上がる料理。定食は2種類くらいだが、バランスの取れた組み合わせと食欲を掻き立てる匂いを充満させるには十分だ。戦争に向かう兵士、彼等が格納された戦艦の常識が完全に覆っている光景である。
 白衣を着た非常に恰幅のよい日本の博士達が、厨房の中から艦長を見つけて微笑んだ。
「あぁ、ブライト艦長。先日開発した魚焼き機の調子は頗る良好だよ。ちゃんと空気清浄機も働いとる」
「これで秋刀魚の塩焼きが食えるのう」
「今度はもっと高性能な浄水器を開発しませんとな。照り焼きやデミグラスソースのような濃い口の食材の調理を許可してもらえませんぞ? 子供達が早くハンバーグが食べたいと言っとったからの」
「冷却炉とワインクーラーの相互調整がイマイチらしいの。夕方には終わらせておきますからな」
「アストナージ君が図面を拝借したいと言っていたが、もう少し待ってもらうよう艦長からも言って下され」
 わいわいわい。次々と投げかけられる言葉に、ブライトは言葉を無くして立ち続けるだけだった。最早、戦艦は成す術無く改造されるがままである。しかも戦艦としての機能は全く損なわれないのだから質が悪い。呆然とする艦長の後ろに立ったアムロが慰めるようにその肩を叩いて言った。
「普通はそんな事出来ないから」
 そうして厨房の改造が終えた後、日本の博士達は戦艦内の全てのトイレをウォシュレットに改造して回ったという。


■ 鯉と竜 ■

 濤家の中庭に数名の男性がやって来て、大きな檜の桶の中身を中庭の池に流し込んだ。竜胆は早朝に行われたその様子を見ていて、大人達が去った後に怖々と池ににじりよった。
 苔むした色鮮やかな碧の絨毯に、島のように浮かぶ飛び石。それを竜胆の下駄の音がカラコロと音を立てて渡る。新緑の眩しい手入れされた庭木の下をくぐり抜けると、池を囲む大きな岩に手をついた。覗き込めば湧き水で清らかな水面に、質素ながらに可愛らしい着物を纏った女の子が映っている。
 竜胆が水面に目を凝らし、浮いた蓮の葉の隙間を覗き込む。
 蓮の影に白と赤の鮮やかな色彩の鯉が待っていた。鱗は白と赤の色彩の上を行く、透明な細波のよう。鯉が竜胆を正面に見ると、瞳と口の形が面白くて竜胆は思わず微笑んだ。
「可愛い」
 ぱくぱく。餌くれ餌くれと強請るよう。
 鯉は竜胆の前を漂い、ふいと身を翻した。竜胆が僅かに波立った水面に人影が映り込んだのを見たのだ。
「鯉が珍しいか?」
 見上げれば竜胆を見下ろす竜葵の姿があった。長身の凛とした佇まいに、何時如何なる時も居合いを放てるような気迫が潜んでいる。異母兄にあたる竜葵に竜胆は穏やかだが低い姿勢で答えた。
「とても、綺麗な鯉だったもので」
 竜葵は池に視線を巡らす。そして鯉を見つけたのだろう、淡々と感情をあまり表さずに言う。
「今年の鯉は一際美しいと、献上してくれた。後々の濤家の繁栄を願う民の形だ」
 ふと若さに似合わぬ厳しさをたたえた目元が和らぐのを、竜胆は見た。それは民への感謝と、民から期待される誇らしさに兄が見せる照れくさそうな表情なのだと竜胆は知っていた。
 自他共に厳しい性格で畏敬の念を集めている竜葵だったが、そんな表情をする事を知る者はあまりいない。竜胆がその数少ない一人である事も、実は気が付いていない。
「かつて急激な滝を唯一登り切る事が出来た鯉は、天に舞い上がり竜となったと言われている。美しく力がないと軽んじてはならん。何時、誰が竜となるやもしれぬ。竜胆も肝に銘じておくが良い」
「私がですか?」
 幼く大きい瞳を丸くして驚く竜胆に、竜葵は頷いてみせた。
「お前も濤家の者。齢を重ねれば、一族の為、国の為に力を示す時が来る。女には女にしか持ち得ない力がある。お前も精進を重ねれば、竜の如き力を持つ可能性がある」
 竜胆は頬がかぁっと熱くなるのを感じた。嬉しいのか恥ずかしいのか誇らしいのか、幼い胸をぐるぐる回って定かではない。ただそれは大きな満足感に似た暖かさでいっぱいになるような気持ちだった。
「はい、頑張ります」
 竜胆が頷くのを見て、竜葵も目元を和らげた。