ごちゃまぜ雑記ログ6


■ 可愛いを育てて ■

 31番邸を目指して、若い次女はのんびりと石畳の道をゆく。どの妃邸もそれぞれのお国柄や人柄を感じさせる佇まいだと、感心しては視線が右へ左へと流れてしまう。2番目の妃邸は隣国の王宮を小さくしたかのようなきらびやかさ。彼女の仕える姫君が素敵素敵と、バルコニーから見ているのです。モザイクタイルの美しさはバルコニーから見るのが一番。そうして隣国の姫に微笑まれて、彼女らの可愛い姫は真っ赤になって大喜び。姫というのは不思議なもので、口元が見えなくとも好意的な笑みを感じ取ってしまうのだ。
 あぁ、流石は香り高き香水で名を馳せる地域の令状のお屋敷は、門扉の前に立つだけで庭園の花の香りでうっとりしてしまう。国の事情で匿う意味合いでこちらに参じた妃候補様の屋敷は、全く飾り気のない質素倹約が伺える。見ているだけで胸が締め付けられそうだ。まるで硝子に爪を突き立てたような金切り声が聞こえた時は、悪魔を払う祈りを口走って走り抜ける。そんな次女はうっかり足元がもつれてしまいそうで、小さい悲鳴を上げては立ち止まる。
 いけないけない。これは大事な贈り物。壊れないよう慎重にお運びしなくてはと、若い次女はむんと唇を引き結んだ。
 彼女が仕える1番目の妃候補と、贈り物を届ける31番目のお妃様の邸宅は最も遠い。一つ一つのお屋敷が趣向を凝らし大きいので、往復だけでも『ちょっと』とはとても表現できない時間になる。
 そんなこの国のみならず近隣諸国を凝縮したような妃邸になったのも、妃様が嫁ぐ先であるマクロン陛下の事情に大きく影響していた。マクロン国王陛下は先代の王が逝去されて、王に就任された若き王。本来なら伴侶を得るべき年齢ですが、喪に服す期間と、混乱した王国を立て直す期間を求めて妃選びを延長されたのです。
 その期間、4年。
 1番目の妃候補である彼女の主の父親は、隣国として恥じない邸宅にするために改築を始めてしまう。そんな1番邸を見て、後続の近隣の王族、ダナン国の貴族達が競うように嫁に出す娘の家を飾り立て始めた。そうして、絢爛豪華で特色の溢れた後宮が出来てしまったのだ。
 次女はすっと鼻から胸に爽やかな香りが通り抜けていくのを感じた。ついに、目的地である31番邸が近づいてきたのだ。門扉の傍に立っていた、31番のお妃様の担当騎士が侍女に気がついた。侍女が門扉の前に到着する頃には、大柄な侍女が開け放たれた門扉の前で壁のように立ち塞がっている。
「こんにちわ。こちらは31番目のお妃様の邸宅となりますが、何の御用でしょうか?」
 明瞭な声色で、大柄な女性の声は良く通る。侍女は耳栓が欲しいと思ってしまう程度には、よく響いた。
 侍女はようやく手にがっちりと持った箱を、そろりと動かした。白く上質な紙で包装され、ピンクでレースの可愛らしいリボンで飾られた、目の前の大柄なの侍女が持ったなら小箱に見えそうな箱。こちらを。そう差し出した箱を、31番の妃の侍女が見る。
「私は1番目のお妃様の侍女でございます。我らが姫が31番目の妃様であるフィリア様へと、先日の贈り物の返礼をお届けに参りました。非常に脆い品ですので、是非慎重にフィリア様の元へ運んでいただきとうございます」
 身分を明かしたからだろう。1番目の妃の侍女からしても、明らかに31番目の妃の侍女が警戒を緩めたのが分かった。すると、奥から侍女と見間違えそうな質素な装いの女性が顔を見せる。艶やかな腰までありそうな黒髪を結い、健康的で快活そうなのが伝わってくる。1番目の妃の侍女は彼女が誰だか分かっていたので、丁寧に頭を下げた。
「あら? それは何かしら?」
 投げかけられた問いに答えるように侍女は顔を上げる。今や後宮で知らぬ者は居ないだろう噂の主は、怪訝な顔で侍女が持っている箱を見ている。警戒しているのか肩幅に開かれた足が、武勇伝を裏付ける淑女ならぬ様子を語っていた。
 1番目の妃の侍女は、手に持った箱を少し持ち上げて答える。綺麗にラッピングされたそれを見て、嫌がらせではないと伝わればいいのだが…と願いながら。
「我らが姫より、フィリア様へお礼の品です。手紙も添えてありますので、姫のお言葉もお受け取りくださいませ」
 あらあら。31番邸の主人は身に覚えのないことのように首を傾げ、すっと身を翻した。
「1番邸からここまで大変だったでしょう。少し、お茶を飲んで休んでから戻りなさい」
 ケイト、お茶の支度をしましょう。
 薬草畑を見渡せるテーブルには、瞬く間にお茶の支度が整っていく。ハーブの爽やかな香りは複数の薬草をブレンドしたもので、貴族や王宮に召し上げられる御用達の店でもこれ程のレベルはなかなかお目に掛かれない。この庭園だけでこれだけのハーブティーを生み出してしまうとは、流石は薬草の一大産地の御令嬢だと感心してしまう。
 侍女は『是非、今、お受け取りください』と、ケイトと呼ばれた大柄な侍女にラッピングされた箱を渡した。侍女は福与かな手で手紙をフィリアに手渡すと、熟練の滑らかな手つきで梱包を解いた。フィリアがリボンを見せてとせがんで、ピンクのリボンを嬉しげに手に取った。
 そして開いた包みを覗き込んだケイトが、危険はないと主人の前に置いた。
「まぁ! クッキーね! 可愛らしいわ!」
 早速いただきましょう。そう言うが早いか、白いお皿の上にクッキーが並んでいく。
 どれもこれも可愛らしい動物のクッキーだ。うさぎにねこ、とりにいぬ。星やハートの形のクッキーにはジャムが注がれて焼かれており、まるで宝石のように輝いていた。それらを見て目を輝かせるフィリアの反応に、1番目の妃の侍女は嬉しげに説明をする。
「先日、フィリア様より頂いたウサギと蝶のパンを、姫がとても喜ばれまして…。私もこういうのが作りたいとのことで、クッキーを作られたのです。我らの姫はまだ幼いので全て姫の手作りではありませんが、形は姫が整えておいでです。フィリア様にお送りするクッキーも姫が真剣に選別したものですので、ぜひ、ご賞味くださいませ」
 このやりとりの間に大柄な侍女はきちんと毒味もこなしている。フィリアが屈託ない笑顔で星形のクッキーを口にすれば、さくりと音を立てる。濃厚なバターの香りが口いっぱいに広がって、唇の先に触れた果物のジャムの甘酸っぱさが小麦の甘さと混ざり合っていく。フィリアが頬に手を当てて、唇をきゅーっと持ち上げた。
「おいしいわ! 宝石のようになったジャムも、甘味が凝縮されて美味しいわね!」
 あぁ、我らが姫を連れてきて見せてあげたい喜びようだ。侍女は自分の主人に向けられた賛辞に、胸が燃えるように熱くなっているのが分かった。高貴なる身分の方に締まりのない顔を見せてはならない。
「ありがとうございます。我らが姫には、フィリア様が大層お喜びになったとお伝えします」
 王族の侍女として召し上げられる為に叩き込まれた教育の賜物か、侍女はどうにか慇懃に頭を下げることができた。
 フィリアは手紙を見て嬉しそうに笑っている。そんなに可愛い形のパンが気に入ったのなら、もっと作って騎士に持たせるわ!と、拳を握って燃えていた。その情熱は紙に認めて下さいと、ケイトに叱責される。侍女が返事を持って戻るまでの間、賑やかな雰囲気はとても心地よく人々を包み込んでいた。

 そんな交流があってから数日のこと、ビンズは執務室に小箱を持って馳せ参じた。執務に勤しんでいるダナン王国の国王マクロンは、なんだか嬉しそうなビンズの様子に手を止めた。わざわざ手を止めてまで見た王に、ビンズは微笑む。
「王様。1番目のお妃様から、贈り物です」
「ほう…」
 マクロンは面倒そうに目を細めた。妃候補では最年少。娘が隣国の王の妃候補となったという箔の為にやってきた少女だ。まだまだ幼子の雰囲気が残る娘に罪はないが、己の伴侶の可能性もないのに手間だけが増えてしまった厄介な手合いである。
 妃候補との交流で贈り物の返礼だろう。そう思って後回しにしようとしたが、ビンズは贈り物の箱を執務机に置いた。
 ふわりとバターの香りが鼻先を撫でる。
 どんな幼子であろうと淑女。マクロンは箱に添えられた手紙を見る。幼い印象を消し飛ばすほどに美しい文字で、挨拶、贈り物への感謝、次回の1日を楽しみにしているという流れるような定型分が書かれている。そして、最後の方に一言。
『クッキーを焼きました。お忙しい執務の合間のお茶のお供に、よろしければ召し上がって下さい』
 ふむ。マクロンはその一言に目を止めて、徐に箱を持ち上げた。ラッピングされた梱包を外すと、豊潤なバターの香りが増す。ぱかりと開ければ、確かにクッキーが入っている。幼子が作ったとは思えない、王宮御用達には及ばないが市井の店で並んでいそうな出来栄えのクッキーだ。ジャムが宝石のように輝くものから、プレーン、チョコやナッツを練り込んだものまで、複数の種類が詰め合わされている。
 一つ手にとって口にしてみれば、美味しい。甘さも控えめで、歯触りが良い。
「こんな返礼が来るとは想像していなかったな」
 マクロンの言葉に、ビンズが微笑んだ。
「今では1番目のお妃様がジャムや果物をお送りして、それを31番目のお妃様がパンに使ってはお返しする交流が行われているそうです。幼い1番目のお妃様は姉ができたようで、31番目のお妃様は妹ができたようでと、お互い交流を楽しまれておいでです」
「ふふ。流石はフィリア嬢だ。そう思わぬか? ビンズ」
 妃達の動きは逐一伝わっている。フィリア邸でお渡りを機に不穏さを強めてきた後宮において、なんとも明るい話題である。その話題の提供者が、最年少のお妃候補だとは予想外ではあった。
 マクロンは微笑む。あらゆるものが動き出している。望んでも得られなかった展望が見える気がする。
「本当に得難いお方だと思います」


■ 人生を変える食事 ■

 「この『メロウコーラ』を、俺のフルコースにする!」
 そう叫んだゼブラの言葉に、一番驚いたのはトリコだった。
 一日に三度は行われる食事。しかし、環境によっては一日に一度の人もいれば、トリコ達のように消費カロリーの多さを補うために三度以上の者も、逆に一日全く食べる事が出来ぬ場合もあるだろう。環境、資金、状況、体質。食事と一言で表しても、千差万別である。
 しかし、栄養を摂らねば死ぬ。故に人生において数えきれぬ食事を、人々は摂っている。
 この美食時代において、美味い飯は最高の娯楽であり、人が得られる最高の快楽でもある。美味い食材、美味い料理。人々はそれらを求め、世に溢れている。
 そんな時代において、美食四天王の一人ゼブラにとって食事は魅力的ではなかった。
 美味い食材を美味いと感じる味覚はある。美味い食材を手に入れる、美食家としての実力も抜きん出ている。しかし、ゼブラには食事を最高に不味くしてしまう、最悪の調味料が付き纏っていた。
 悪口だ。
 遥か遠くに落ちた硬貨の音すら聞き分ける『地獄耳』を持ったゼブラ。そんな聴覚の持ち主は、ちょっと、いや、かなりの乱暴者で『歩く人災』なんて言われている。粗暴な身の振り方のゼブラになら、どんな悪口を言っても良いだろうという人々の雰囲気もあった。ゼブラの聴覚が及ぶ範囲には、彼へ向けた悪口で溢れている。
 自分の悪口を聞きながら食べる食事は、どんなに美味であっても不味く変わる。美味いものを美味しく食べれられないゼブラの不幸を、トリコは心の底から哀れに思っていた。
 人生のフルコースに興味のなかったゼブラが、ドリンクを決めた。
 その理由をトリコはなんとなく察していた。
 隣で喜びを爆発させている相棒、小松。先日、センチュリースープを完成させた、話題の料理人だ。調理の腕は丁寧で、食材に愛された類稀な食運を持っている。だが、この純朴な料理人は、魔法の調理法で世界一美味しい料理にしてくれる。
 食べる相手のことを想う調理。
 調理中はやや独り言の多い小松のことだ。ゼブラはどんな味付けが好きか。こんな料理なら喜んでくれるか。珍しい味付けだけど、口に合うかどうか。そんなことを考え、口走っていたに違いない。それをゼブラが耳にしていたことも、トリコは分かっていた。
 ゼブラのために美味しく作ってくれた料理。美味しく調理してくれたいつもの小松の料理だったが、ゼブラの人生が変わるほど美味しかったに違いない。今まで見てきた食材が全く違った輝きを宿し、世界が光って見えるだろう。羨ましく感じてしまう。
 ゼブラのフルコースは、小松が調理する事で完成するだろう。
 食材が揃った時は、俺の相棒を貸してやるか。
 己の相棒が小松である事が誇らしく、トリコはにんまりと笑みを浮かべた。


■ 『好き』は死んでも『好き』のまま ■

 雨妹は掃除が好きなんだなと熟思う。
 前世で定年まで看護師を務めてきたが、清潔は何よりも大事なことだ。褥瘡の患者は毎日洗浄の業務を行うが、酷い状態は新人看護師でも目を背けることも少なくない。それを洗浄し薬を塗布し、清潔な状態を保護する。それを積み重ねて良い肉が盛り上がり正常な皮膚へ戻っていく過程は、言いようもない達成感があった。
 汚れた空間が綺麗になると、同様の達成感がある。前世の看護師として感じていた喜びを、掃除で得られるなら仕事にも力が入る。
 生まれ変わっても真面目だなとは、雨妹も思う。
 しかし、達成感とは一種の嗜好品だ。定期的に摂取しなければ、張りのない人生になってしまう。しかも適度な運動も仕事で出来、空腹になってご飯が美味しい。一粒でなんと美味しいことか!
 そう思いながら、雨妹ははたきで高い場所の埃を落とす。
 皇帝が訪れるかもしれない寝所である牀は、雨妹が使っている平台併用の板ではない。屋根のような覆いから薄布のカーテンが下がっている架子牀もあるが、総じて敷物を敷く場所以外は惜しげもなく素晴らしい彫り物が施されている。彫り物は女性達の好みや皇帝の寵愛の程度が反映されていて、美しい花や華やかな鳥が多いだろう。使い込まれれば飴色の光沢で美しいが、色を塗って飾り立てる派手好きもいるという。侘び寂びの概念を持つ雨妹には、ケバケバしいくらいだ。
 素晴らしい彫り物細工であるが、とても埃が溜まる。ソファーの背もたれのような牀の側面は、透かし彫りが多く埃が特に目立つ。
 雨妹ははたきに布を使っているので、布の柔らかさが婉曲した面に沿う。羽には羽の良さがあるが、雨妹は布のはたきの方が好きだった。埃を払ってピカピカになると、『どうだ!』と胸を張りたくなる満足感がある。
 上から落とした埃を箒で払い、板張りの床を水拭きして掃除を終えると、最後の仕上げに入る。
 外に干していた褥子を運び込み、牀に敷く。天日干しして温かくふかふかで、雨妹はにこにこしてしまう。
 そして敷布を敷くのだ。
 折り畳んである敷布を広げ、頭と足側を折り込む。角は四角折りにして整える。個人的には三角折りが慣れているのだが、シーツ交換に速度を求められていないし何より見栄えである。
 こうして皺一つない寝床が出来上がるのである。
「我ながら美しい仕上がり…」
 自画自賛であるが、シーツを皺なく敷くのは基本だ。皺一つで寝心地は段違いなのだから、快適な方が良いに決まっている。それに、前世から腕が落ちていないのも誇らしいものだ。
 枕を置き、被子は『旅館のように』掛けておく。最初は寝るのだからと気を利かせて足元に折ってしまったのを、注意されたのも随分と昔だ。クローズベッドの要領で、敷布を掛けてしまいそうになって習慣の恐ろしさに今も慄く事がある。
「よしっ!綺麗になった!」
 綺麗になった部屋を見回して、雨妹はにっこりと笑った。


■ ゴミ袋の中に個性 ■

 ゴミの出し方には個性が出る。
 捨てるのだから個性なんかある訳がないと思うだろうが、案外、そうではないのだ。
 私の常識では生ゴミは小さいポリ袋に入れる。惣菜を買った時に店員さんが気を利かせて入れてくれる、あの小さい袋だ。あの袋に生ゴミを入れておけば、臭いも漏れないし小蝿も集らない。同じ捨てるなら有効活用されるべきだ。
 しかし、世の中にはポリ袋に入れず、他の燃えるゴミと一緒くたに出す人もいる。衣類や書類に野菜屑やドリップコーヒーの残り滓、何かの汁が、ぐちゃりと混ざり合った様は見ていて気持ちが良いものではない。これが回収日じゃない日に出され回収されなかった結果、蛆が湧いた事もあるそうだから眩暈がする。
 缶・瓶・ペットボトルの日は、さらに個性が出る。ラベルとキャップを外し綺麗に洗って出す人がいれば、洗わずに袋の中に入れてゴミ袋の底に悍ましい色の水が溜まっているものもある。40リットルの袋いっぱいにビール缶ばかりが詰まっているのを見ると、ストレス溜まってるんだろうなと思う。
 そんな出されたゴミで、特別すごいと思う出し方がある。
(何度見ても凄いなぁ…)
 それはプラスチックゴミの日に現れる。
 洗って干してある一般常識は当然クリアしているが、そのゴミ袋はさらに上をいく。
 プラスチックトレーやカップラーメンの器は綺麗に重ねられ、細々としたプラスチックごみはちょっと大きめのパンの袋などの中にきちっと収められる。梱包が過剰な現代において膨張しがちなプラスチックゴミだが、驚くほど小さくコンパクトにまとめられているのだ。適切なサイズのゴミ袋に整理整頓されて収められたプラスチックゴミは、ちょっとした芸術にすら見えた。
(相当、几帳面な人なんだろうなぁ…)
 その横には洗ってはあるがトレーやカップを突っ込んだだけで、ごちゃごちゃと膨らんだゴミ袋がある。大は小を兼ねるというが、大きな袋の半分程度しか入っていなくて、ちょっともったいない気がしてしまう。
 でも、他人のゴミの出し方にとやかく言ったりはしない。この後、数時間もすれば収集車が現れて回収されるのだから。
 私はそう思うと、芸術的なゴミ袋の上に自分の家のゴミを置いた。


■ 樵の鍛錬 ■

 女神が降り立ったと言われ、ハイラル最大級の大聖堂が建てられた台地。宿場町から階段を抜け大聖堂へ至る参道は美しい石畳が敷かれ、煉瓦を積み上げ白い漆喰を塗り重ねた美しい道が整備されている。参道の傍らには聖堂の預かり手である聖職者達の建物があるだけで、台地の殆どは手付かずの自然が残されている。天を貫くヘブラよりも低くとも防寒具なしで登るのは無謀な雪山に、心の臓を止めるほどに澄んだ雪解け水の湖。森は鬱蒼として多くの命を育み、魔物達でさえ我が物顔できぬ原始のままの世界がそこにある。
 そんな大聖堂から少し離れた場所に、使い込まれた丸太を組み合わせた頑丈な小屋が一つ。見晴らしのいい平原にポツリと生えた大樹の木陰に、ひっそりと隠されるように建っている。
 しかし、隠れる気がないと言いたげに、一定の間隔で音が朝霧の中に染み渡っていた。
 音の主はぶおんと無骨な樵の斧を振り上げ、切り株の上に置かれた不揃いな木の上に振り下ろす。慣れぬ者なら木の上に斧を当てる事すら難しいのに、音の主にかかれば子供でも出来るように易々と薪にかえてしまうのだ。
 大樹の樹皮に似た渋い色合いのシャツの上に、丈の短いフード付きの短い外衣。緩く波打つ真っ白い髪を一つに結わえ、滴る汗を使い込まれた手拭いで拭う。
「起こしてしまったかね?」
 その顔は威厳溢れる皺が刻まれているが、立派な体躯から溢れる生命力は若者のそれである。厄災ガノンの襲撃により辛くもハイラル城から撤退したローム・ボスフォレームス・ハイラルに見上げられた、若きリト族は小鳥のように喉を震わせて笑う。
「リト族の朝の早さはご存じでしょう?」
 他の種族と比べれば夜目が利かぬリト族は、夕日が沈む頃に眠り朝日と共に目覚める。勿論、リト族のみの集団なら不寝番も行うが、他の種族と行動を共にする場合は免除されることが多かった。
 枝から飛び降り、翼を一つ羽ばたかせてふわりと降り立ったリト族の英傑リーバルは、丸太の周囲に転がる沢山の薪の一つを手にした。申し分ない大きさの薪は、小屋の脇に積み上げられて乾燥されるのだろう。
「精神を研ぎ澄ますのに、薪割りは丁度良くての」
 そうなのですか。リーバルは当たり障りない相槌を打った。
 リト族は薪割りという重労働を、里の近くの馬宿に住み込むハイラル人に委託していた。リト族自前の暖かい羽毛のお陰で夜に火を必要としないが、食事の支度で薪は必要だったからだ。
 こーん、こーん。薪を割る音は、リーバルの望郷を掻き立てた。
 リーバル。リト族の若者が畏まる前に、王は二の句を告げていた。
「共に狩りに行かぬか?」
 ハイラルの王族はリト族一番の弓の名手から、弓術の手解きを受ける。ゼルダ姫の弓術の師匠は、リーバルが優勝を収めた弓術大会の審判を務めた里一番の狩人だった。ハイラル王の師匠はもう存命ではないが、大人達なら誰もが弓の名手と褒め称える逸材だ。ゼルダ姫に子が生まれたら、リーバルに声が掛かるだろう。
 リーバルは、あまりに実践的で驚いてしまった。
 耳を澄まし、身を低くして森に溶け込む。獣の足跡を探し、足跡を読む。
 ハイラル王宮で豪華な衣装に身を包み、リト族に負けぬ胸筋を張って歩く王が膝を泥で汚し藪に潜り込む。勿論、先ほど薪割りをしていた森に溶け込む渋い色のシャツとズボン、森の中では光るほどに目立つ白髪を黒いフードの影に押し込んでいる。リト族の里長も狩人から引退してる思い込みも手伝って、国で一番偉い者が本格的な狩りをする姿に、開いた嘴がなかなか閉じなかった。王族の狩猟は娯楽だと、心の何処かで馬鹿にしていた己の羽毛を引っ張って戒めた。
 ぎっと弓を引き絞り、息を詰める。
 獲物が王の漏らした殺気に、はっと顔を上げた。
 たぁん!と音を響かせて、鹿の眉間に矢が穿たれる。倒れた鹿に素早く近寄ると、解体用のナイフを取り出しさっと首を掻き切って血抜きを行う。その手際の良さにリーバルは感嘆の声を漏らした。
「お見事です」
 世辞ではなく、心の底からそう思う。
 一撃で獲物を屠り、喜びの声を上げるよりも血抜きを優先する、リト族なら一人前と評価される狩人だ。王はようやく真剣な表情を緩ませ、『リト族の英傑に褒められるとは、嬉しいのぅ』と冗談めいた口調でも喜びを露わにした。
 蔦を切って鹿の手足を結ぶと、よっこらせと担ぎ上げた。
 シーカータワーを用いて食料を安全な地域から運ぶことは出来ているが、陥落したハイラル城から撤退した兵士達の胃袋を満たすにはまだ心許無い。この鹿も解体されて兵士達の糧になるし、狩った獲物が血肉になるのは正しいと、リーバルは獲物を背負った王の大きな背を見上げた。
「少し前までは、良く取り逃がしておったよ」
 ご冗談を。そう返事をしようとしたが、切ない王の声にリーバルは黙り込んだ。
 ゼルダ姫の努力を、リーバルは高く評価していた。それと同時に、その努力が報われていない事もリーバルは知っていた。王宮ではゼルダ姫は『無能な姫』と呼ばれ、王は姫を貶す不敬を沈黙という形で黙認していた。
 リーバルは姫に同情していた。
 努力はリーバルだけが使える唯一無二の力になったし、村一番の戦士として同族から評価されていた。それは当然のことなのに、その当然が姫には与えられないことが不憫でならなかったのだ。
 勿論、王には王の事情がある。その事情は同じ英傑となり肩を並べる者達の方が詳しかったし、健気な姫君は王を決して責めなかった。姫様が責めないのなら、部外者の自分がどんなに囀ったとしても意味はないと若くともリーバルは弁えていた。
「娘と和解出来て、迷いが消えたのじゃろう」
 ほっとした安堵の声。
 確かに、王宮で会った張り詰めた感じでは、獲物にも逃げられてしまうだろう。そんな事は、弓を持たせてもらったばかりの雛鳥でもわかる事だ。あんなにも頑なな顔で近づかれては、雷が落ちると尾羽を腹の下に収めて震え上がってしまう。
 厄災が復活し娘の優しさに助けられた父は、封印の力が全てではないとようやく受け入れられたのだろう。娘も封印の力に目覚め、ようやく父と向き合うことができた。
 当然が、ようやく始まったのだ。
「それは、良かったですね」
 本当によかった。
 リーバルは心から同意しながら、何気なく弓を引いた。たぁん!と音を響かせて、木々の隙間を縫って鹿の眉間に矢が刺さる。リーバルが斜面を降りて、素早く鹿の血抜きを行う。
 にこりと笑顔を王に見せれば、王はむっと唇を尖らせた。
 狩人達の朝は、明日も早いだろう。


■ あの魚料理が食べたい! ■

 リリトト湖から突き出た岩に蔦を這わすが如く家を作るリト族の集落は、他の種族に比べればずいぶんとこじんまりしている。朝賑やかに階段を昇り降りしていた子供達は、リリトト湖を超えて兄弟岩で遊ぶ。里の大人達はかつて子供だった自分達がそうしてくれたように、兄弟岩で遊ぶ子供達の事をそれとなく見守ってきた。
 リーバルも例外ではなく、飛行訓練場から里に直帰するのではなく兄弟岩を経由して戻るよう心がけている。今日もふくふくした羽毛で膨らんだ雛鳥達が、空を滑空するリーバルに向かって手を振っている。そのうちの一羽が地面にぺったりと座り込んでいるのを見て、リーバルは翼を傾けて高度を落とす。やはり座り込んだままの雛を認め、柔らかい草が旋風に撫でられる中心にふわりと降り立った。
「リーバルお兄ちゃん!」
 まだ餌を強請る甲高い声の雛鳥達が、わっとリーバルに駆け寄る。リーバルは里一番の狩人ではあるが、里のリト族の中ではかなり若い方である。雛鳥達にとってリーバルは凄いけれど、『大人』ではなく『お兄ちゃん』なのであった。
 ぴよぴよ! 群がる雛鳥達を大きな翼で撫でてやりながら、リーバルは座り込んだ雛鳥の前で膝を折った。雛鳥特有の大きな瞳がうるっと涙ぐんでいるものだから、リーバルは怪我がない事を素早く確認して生成り色のマフラーでその涙を拭ってやった。
「どうしたんだい? お腹でも痛いのかい?」
 ぶんぶんと大きな頭が振られると『疲れて動けないってところかな?』とリーバルは思った。雛鳥達が遊び疲れてリリトト湖を超えられないなんて、よくある事である。親が夕食の時間になっても戻ってこなければ、迎えにいって抱えて飛んで帰ってくる事は日常茶飯事だ。
 にいちゃん、あのね! 雛鳥が頭のてっぺんから出たような声で訴える。
「あの おさかな が たべたいの!」
 リーバルの首が、こてんと傾いだ。
 あのね! おさかなは しろいの!
 こんがり いいにおい!
 かむと じゅわーって なるの!
 でもね! しろい おさかなは こんがり ぱりぱりしてるの!
 リーバルを囲んでいた雛達が一斉に囀り出した。
 どうやら、座り込んだ雛鳥に触発されて、全員が『あの魚料理』の嘴になっているらしい。これが夕刻が迫る時間であれば抱えて連れて帰って『親に作ってもらいなさい』で済むのだが、リーバルはそうしなかった。
 雛鳥達の嘴が、すくっと立ち上がったリーバルに釣られて上向く。つぶらな視線の先で、にっと嘴が上がった。
「じゃあ、これから作ろうか?」
 リーバルが兄弟岩の端の草むらに向かうのを、雛鳥達はちょこちょこと付いていく。
 草原と林の境目に立つと、夜空の色が草の上に落ちた小さな木の実を摘み上げた。硬い殻に包まれたハイラル全土に良く見られる木の実で、殻の中身を香ばしく炒ればリト族が大好きなおやつになる。他にも火種に使える傘の開いたまつぼっくりや、焚き火に使えそうな手頃な枝をひょいひょいと拾い上げていく。それを翼の上に並べ、雁首揃えた雛達に見せる。
「覚えたかい? これを集めておいで」
 わっと小さな羽毛が草むらに飛び込んでいった。ふわふわの羽毛が立った寝癖や、拾うためにピンとたった小さい尾羽が草むらの隙間から見えている。雛鳥達の『あった!』を横目に見ながら、リーバルは木の根元に生えたハイラルダケを摘み取った。
 にいちゃん! きのこ とってるの?
 どく おっかなくない?
 雛鳥の嘴についた葉っぱを払いながら、リーバルは笑う。
「キミ達はきちんと見分けられるようになるまで、とっちゃダメだよ」
 毒キノコだったら、お腹が痛くなって死んじゃうよ。そう言えば、雛鳥達は怖がってリーバルの手に持ったキノコから大げさに離れていく。そうして雛鳥達が抱えるくらいの量が集まると、兄弟岩に戻ってくる。リーバルは刃の中身が抜かれて軽量化されたナイフを取り出すと、集めた木の実の硬い殻を手慣れた様子で剥き出した。既に割れているものに虫がいないか、腐っていないかを確認すると、剥かれた木の実を出来るだけ平らな石の上に置いた。小さい石を一番小さい雛に持たせると、木の実を砕かせてみる。
「こうやって砕いて粉にするんだよ」
 やってごらん? そう促せば夢中になる雛達の中で、年長の小鳥を捕まえる。
「さぁ、君達はこっちだよ」
 リト族は男女問わず狩りをする。氷に閉ざされたへブラで獣を狩るのは男子が多いが、女子もリリトト湖で魚を獲り大地の恵みを収穫する。然るべき年齢になれば、大人が子供に教えていくのだ。雛鳥達には早そうに見えるが、強風に思いも寄らぬ場所へ吹き飛ばされる危険性もあって、危険な場所や火の起こし方、迷い込んだ時の対処法などをすでに叩き込まれている。
 リリトト湖から突き出た岩の上に降り立てば、太陽の光にキラキラと輝く湖面の下に魚影が見える。黒い影が赤や青といった色鮮やかな鱗を煌めかせ悠々と泳ぐ様を、雛鳥達は岩から身を乗り出して覗き込んでいる。
「よく見ておくんだよ」
 そう雛鳥達に言えばリーバルは岩の上から飛び立ち、次の瞬間湖に落ちる勢いで急降下した。おちる! そう翼で顔を覆った雛鳥達は、羽の隙間からおにいちゃんがどうなったかをおっかなびっくり見た。
 リーバルは両足で立派な鯛を掴み、大きな翼を羽ばたかせて舞い上がった! 湖の水が翼に触れて舞い上がり、キラキラと輝く飛沫を纏って既に遥か上空のリーバルに、雛鳥達は夢中で翼を叩いて大歓声だ!
 おにいちゃん すごい! かっこいい! もういっかい やって!
 ぴよぴよぴよ! 岩の上に戻ったリーバルを囲い込んで、雛鳥達はぽわぽわした羽毛を膨らませて興奮している。そんな雛鳥達を翼で撫でながら、リーバルは湖面を指差した。
「ほらほら。次は君達がやるんだよ」
 そうして、雛鳥達は湖に飛び込んでいった。空気を含んで沈まない体で、お尻とピンと立った尾羽を空に向けて、一生懸命魚を取ろうと格闘している。しかし、雛鳥達の頑張りも虚しく、魚達は放たれた矢のように逃げていってしまうのだった。
「僕のやり方を見てないねぇ」
 しょうがないねぇ。そう笑うリーバルは、雛鳥達を遊ばせるだけでそれ以上を教えたりしなかった。
 リーバルが二匹目の鯛を捕まえた後、雛鳥達を引き連れて兄弟岩に戻ってきた。
 リト族の狩人は、鎧の下にさまざまな荷物を潜ませる。荷物として体に括り付けて重心が変わってしまうと空が飛びにくい為に、鎧の下に限界まで軽量化した荷物を忍ばせるのだ。リーバルが鎧の下から手品のように荷物を出していく様を、雛鳥達は目を輝かせて見ている。
 取り出したのは携帯の調理器具だ。薄く頑丈な一人前のフライパンと蓋を兼ねた皿を重ね合わせ、その間に調理用のナイフや火打ち石、調味料の小袋が入っている。食材は現地調達が基本なので、熟練のリト族の狩人はこれだけの装備でへブラの山から生還してしまうのだ。
 鯛の鱗をナイフで剥がすと、小さい鱗が翼の中に入って雛鳥達は大騒ぎだ。
 きらきらしてる!
 とれない!
 はいりこんじゃった!
 雛鳥達が騒ぐのを横目に見ながら、リーバルは鯛の腑を取り輪切りにして、岩塩を砕いたものを鯛にまぶしていく。
 雛鳥達にキノコを裂かせている間に、焚き火の用意もする。乾燥した木の枝を組み合わせ、風よけの石を積み重ねる。火種にする松ぼっくりに綿毛を仕込み、そこに火打ち石から迸った火花を引火させる。火種から木の枝に火が移り安定したところで、フライパンを乗せて温める。
 雛鳥達に砕いた木の実を切り身にまぶさせ、切り分けたバターを温まったフライパンの上に乗せさせる。フライパンからむわっと立ち上る熱気に、おっかなびっくり切り身を乗せる雛達の様子をリーバルは真剣に見守っている。
 わぁ!
 じゅわっといい音といい香りが一気に広がって、雛鳥達がフライパンを覗き込む。
 リーバルは鯛の切り身をソテーし、付け合わせのキノコにもたっぷりとバターを染み込ませた。
「あの おさかなだ!」
 雛鳥達の嬉しそうな声に、リーバルの嘴も嬉しげに持ち上がる。
 蓋を兼ねた皿に盛り付ければ、女神様への感謝の祈りもそこそこに嘴を突っ込む。焼き立てだから、雛鳥達はあまりの熱さに大慌てだ。
「こんな おいしいの はじめて!」
 ぺろりと平らげ口々に囀る感想に、リーバルも悪くないねと味見をする。
「こんどは おにいちゃんに つくってあげるね!」
 雛鳥達が声をそろえると、リーバルは『そのうちね』と笑って頭を撫でた。まだまだ学ぶ事がいっぱいの雛鳥達だ。彼らがリーバルに作ってあげられる日は、当分先のことだろう。
 陽が傾いて夕暮れがやってくる。親が迎えに来れば、雛鳥達は興奮気味に今日あったことを囀るのだ。雛鳥達の『おにいちゃん』の話は、眠くなるまで続くだろう。