貴方の夢に祝福を

 剥き出しの岩が鮮やかなオレンジに彩られ焚火の光に影が踊った。鮮やかで生命の輝きに満ちたオレンジの光に、仲間の影も一緒に踊る。
 焚火からそう離れていない所に、各々が定めた場所に仲間が眠っている。年齢はそれほど離れていなくても、境遇は奇跡の巡り合わせが成せる業と言える程に違う。戦う能力に優れ体力があっても、旅の不馴れさに言葉にしなくても、疲れは滲む。輪をかけて使命の期限が迫る。そんな言葉無き疲れを緩和させる為に、旅慣れた者が自ら役割を買って出た。
 旅馴れている方だと自負するフリオニールは、見張りを勤める事が多かった。今日も見張りで一人焚火の傍で起きている。
 ぱちんっ。
 焚火には闇除けの香木を少しだけ焼べてあり、それが爆ぜる毎に香り高い木の匂いが漂った。しかしその木は爆ぜて少し離れた所にも容易に破片を飛ばしてくる。高い音一つ立てて弾けた熱された木片が、フリオニールの腕に飛んだ。
「あっち!」
 丁度篭手と鎧の間のむき出しの肌に飛んできた熱に、思わず悪態を付く。慌てた拍子に銀髪に巻いたターバンが揺れ、重しの数々の宝石が火の光を写し取って赤く煌めいた。彼の長く伸びる影に、銀の髪が水中の白魚が光を受けて輝くが如く翻る。精悍な顔つきに浮かんだ苦々しい表情が、却って彼の真面目そうな印象を強めた。
 軽い火傷をした箇所を擦るフリオニールが、恨みがましく焚火を見た。しかし焚火はそんな彼を嘲笑うかの如く、再び高い音をたてて焼べられた木を爆ぜさせるのだ。フリオニールは遣る瀬無い気持ちになって空を仰いだ。
 今日も静かだ。
 夜は砕いたダイアを散りばめたかのように、濡れ敷かれた漆黒を彩っている。フェニックスの瞳と呼ばれた一際青く輝く星から続く5つ涙星も、鈎爪のような細い月のおかげで全てが数えられた。漆黒の持つ噎せ返るような湿気と静寂は、微風も吹かずに静かに冷感な空気を大地に浸す。
 月の傾きに、声に出さずに『もう交代の時間かもな』と唇が動く。
 その言葉を聞いたかの如く背後で誰かが身を起こす音が聞こえて、フリオニールが振り返った。
 毛布代わりにしていたマントを背に羽織り、ぼさぼさと跳ね回った髪を手櫛で乱暴に整える。フリオニールの視線を感じてへらりと笑ったのは、仲間の中で最も旅慣れているバッツだった。彼は仲間の賄を一手に担い、食糧調達も、薬剤の調合にいたるまでする、まさにベテランだ。仲間で彼に勝る経験を持つものは、おそらくいない。
 眠気眼のバッツが人数を確認して首を傾げた。
「ライトさんが居ないみたいだけど」
「少し前に見回りに行くと言って出かけたよ」
「そう」
 交代するとでも言いたげに焚火の反対側に座ったバッツは、新たな薪を焼べる。火の粉が舞い、オレンジの色彩が一瞬白色に昇華する。
 白熱する光を写し取ったバッツの瞳から眠気が失せた事を認め、フリオニールは徐に立ち上がった。剣とナイフと杖、フリオニールにしてみれば少ないが他者が見れば多い獲物を所定の場所に納めて、バッツを見下ろして言う。
「俺が声をかけてくる。朝方になっても戻ってこなかったら探しにきてくれ」
「ん。気をつけてな」
 バッツが言いながら、焚火から遠ざけられていた鍋を火の元に寄せ始めた。たき火の横に座って根でも生えたのか、自分の鞄を鞘に収まった剣で引き寄せる。彼はこれから見張りをしながら朝食の支度をする。と言っても夜に粗方準備をしてしまっているので、温めるだけか一品新たに作る程度。敵襲に遭い戻れなくなったとしても捜索に及ぶ朝方までは、それほど遠くないだろう。
 慣れた手付きで朝食の準備をしていたバッツが、首を傾げてフリオニールを見た。
「ライトさん、探しに行くんじゃないの?」
「あ、あぁ…」
 指摘されるまで、彼の行動をぼんやりと見ていたのだと気が付き動揺したような声色が漏れる。顔色までは悟られまいとフリオニールは外套を掻き寄せて、身を翻した。
「皆を頼むな」
「おう、任せておけって」
 満面の笑みで、年上の旅人は言っただろう。フリオニールは口の中に残った、言葉にし難い味を噛み締めて焚火の届かぬ闇に向かった。

 □ ■ □ ■

 焚火の炎が星のように小さく見える離れた場所に、探し求めていた人物をフリオニールは見つけた。
 崖のように切り立った断層が続くこの荒野を一望できる高みに、星空を見上げるとも大地を見渡しているとも言える角度でどこか遠くを見つめている。星の煌めきに銀色の柔らかな髪が明滅を繰り返すかのように、白く輝きと鈍い銀色を往復している。彼が瞬き一つする毎に、感じぬほどの微風が通り過ぎる度に、流星のように鮮やかに白銀にが上から下に流れ落ちた。クリーム色のマントの明度によって明暗を強める鎧の堅い印象に、布の柔らかさがより際立って見える。
 剣に手を軽く添えて佇んでいた光の戦士が、フリオニールに気が付いて顔を向ける。鈎爪の月の光が、彼の長い角のあしらった兜の上からブーツの先までの金属に光を流し落としていく。青い瞳が銀色の睫になお薄く涼やかに見え冷たい印象を与えてしまうが、落ち着いた声の響きに冷淡な印象はなかった。
「どうかしたのか? フリオニール」
 その返答にフリオニールは窮した。
 己よりも実力の高い戦士を前にして、心配など余計な節介である。バッツが交代してくれた時点で、見張りとして起きていた自分は休憩しなくては仲間に迷惑をかける。彼の言葉が叱責に似た響きを含んでいるように感じ、己がこの場にいる事の無責任さにフリオニールの口元は無意識に堅くなってしまう。
 そんなフリオニールの様子を見て、ウォーリア・オブ・ライトの称号を持つ戦士はゆっくりと視線を戻した。
「私はもう少ししてから戻る。君は戻って休むといい」
 まるで心を読んだかのような回答。それは口煩い程にお節介な旅人から頼まれたのかもしれないと、受け取られたのかもしれないとフリオニールは思った。遠回しに休息を促す言葉。己が不寝番で起きていた事を労るという彼の思いやり。
 心の中に渦巻く心情に、フリオニールは口を開いた。
「…手合わせを願いたい」
 想像以上に戦士の背に放った言葉が大きく、フリオニールに後悔の念が湧いた。しかし再び振り返り彼を見た瞳には感情一つ波立たず、静かに言葉に応えた。
「良かろう」
 涼やかな金属音を立てて鞘から抜かれた白金の剣は、まっすぐに天を向き構えられる。
 赤金の剣が流れるように水平に構えられ、囁かな月光に暁を宿す。
 暫くも掛からない。彼等は互いに間合いを詰めて剣を交える。
 一瞬の間に数億という瞬きを繰り返す星々が、地上で彼等の輝きを反射する白刃と打ち交わされる数々の火花を見る。双方銀色の髪が翻り、流星の尾を描く銀が暁を翳して迫り、大地覆い白金の光を反射する雲のような銀は月光を留めて向い撃つ。澄んだ音の間隔は彼等の瞬きに劣らぬほど密で狭く、何の御技か高き音も低き音も入り交じり音楽のよう。天からの見物者はそれぞれに瞬きを強めて、地上の生き物の生み出す見事なる剣舞を見下ろした。
「やはり、貴方は強い!」
 フリオニールが気合いの中に叫ぶように言い放った。
 数々の武器によって生まれる無数のバリエーション。それによって生まれる相手の想像外からの攻撃を得意とするフリオニールが、現在所持している武器はたった3つ。剣と同じ間合いと盾の防御を凌駕するには、接近戦用の武器しか所持していない状態ではあまりにも分が悪すぎた。
 実際は互角の打ち合いに見えるそれも、戦士として優秀な実力を持ったフリオニールには分かるのだ。
 手加減されている事が…。
「そんなに強いのに…!」
 強烈な横薙ぎを杖を両手で構えて吹き飛ばされる事をどうにか堪えたフリオニールは動きを止めた。衝撃を受け止めた腕は震え、受け止めた際に地面に張り付いたかのように踏み締めた足は若干ずらすだけでも膝が折れそうなほどだ。大きく荒い呼吸を繰り返す中、吹き出す汗が伏せられた顔から地面に向かって落ちていく。
 上げられた顔には、射抜くような強い視線を向ける瞳がある。真剣な表情が、深い呼吸に肺の奥にあった熱と共に言葉を紡ぐ。
「どうして弱者に大切な存在を預けられるんですか!?」
 あまりにも僅かな変化でフリオニールは気が付けなかったが、光の戦士の眉根が寄った。
「俺は貴方に仲間を頼むと言われて…、とても不安だった!」
 フリオニールもまた先ほどバッツに同じ言葉を用いた。確認したかのように胸を打ったその意味の重さに、フリオニールの思いは沈む。この戦いの中で仲間を守る事の難しさは、敵の強さを卑劣さを知る誰もが心得ていた。特に、コスモスに選ばれた戦士達を率いる身となる、光の戦士ならばなおさらだ。
 彼はなぜ自分より弱い己に、仲間を託せる? フリオニールは喉を塞き止める何かに、体を震わせる。
 光の戦士の強さは誰もが認めるほどだった。その華麗なる剣捌きと盾の扱いにより生まれる、攻守のバランスは安定しどんな敵でも安定した戦いを持つ。その芯の強い意志は揺らぐ事など微塵もなく、仲間を鼓舞する言葉は真っ直ぐで力強い。誰もが仲間を託すにはこれ以上相応しいと感じる、尊敬に値する人物である。
「俺よりも頼もしい奴ならたくさん居るでしょう!!」
 そうだ、どうして。フリオニールは薄く銀色を帯びた青を見る。
「あの時、仲間のところへ戻れと言わなかったのですか!?」
 継ぐ息を忘れて捲し立て、肺の中全てを吐き出す。全てを言い尽くして吸い込んだ息は、氷点下のような冷たい空気。フリオニールの身も心も熱く滾った中に容赦なく凍てつかせ粉砕しようと滑り込み、その冷気に若干取り戻した理性が事の次第を把握し凍り付く。
 あぁ…。
 フリオニールは溜め息とも後悔から漏れた声とも言える音を、他人事のように聞いた。
 なんてことだ。俺は尊敬する方の指示すら否定し、自分勝手な都合の良い方に解釈し意味をねじ曲げている。どんなに弱くとも、非力と無力は違うもの。全力を尽くして託された仲間を守らなくてはならない。
 彼は、強いからこそ弱者をも信じられるのだ。
 彼は、俺を信じているからこそ、仲間を頼むと言ったのだ。
 そう改めて思い襲った裏切りの背徳感に、フリオニールはきつく唇を噛み締めて戦士の言葉を待った。何を言われても仕方がないと、覚悟を決めて戦士を見つめている。一度も見た事のない激怒に声を荒がせ怒鳴るだろうか、優しく諌めるのだろうか、それとも無言で背を向けてしまうのだろうか…様々な憶測が心拍一つ打つ度に駆け巡る。心臓が破裂しそうで苦しく、その原因が己である事にフリオニールはどうしようもない憤りを感じだ。
 口腔内に鉄の味が広がる。
 涼やかな音を立てて、戦士が剣を鞘に収めた。
「フリオニール」
 平淡な光の戦士の声色が、空気を伝う。
「私は君が弱いとは微塵も思った事はない。……いや、正しい言葉を使うならば私は君を尊敬すらしているだろう」
 フリオニールが惚けたような顔になって呆然と戦士を見上げた。
 全く予想と違う言葉の意味に聞き違いと思うてか、揺らぐ瞳は理解の光が浮かばず、唇はなんとか正しい言葉を見いだそうと戦慄く。
「君の夢」
 ふわりと風を汲むような仕草を、戦士はした。
 その動作を見て、フリオニールは『まさか』と心臓がはねる。それはいつも野薔薇の幻を生み出す時の己の動作と、一挙一動寸分違わぬ動きだったからだ。一瞬、彼の手に野薔薇が現れたかのような錯覚を受ける。
 その唇が紡ぐは揺るぎない信念。それが、己の夢を語る。
 その手が導くは光り輝く道。それが、儚く不確かな幻を拾おうと動く。
「幼稚な夢と嘲笑う者はいても、心の底から否定する者など居るまい。誰もが子供だったのだ。誰もが一度は抱いたものを、君の願いは喚起させる」
 ライトさん。
 そう呼ばれるも本当の名前ではない。記憶喪失である彼が何時しかそう呼ばれるようになった光の戦士。誰もが子供だったと言って子供であった自身を知らぬ彼は、フリオニールの夢をどう受け止めたのか。反応の少ない表情の視線の先で、仲間と共に夢を語らっていたのは今に始まった事ではない。
 残酷に響いたのではないか。
 フリオニールは青ざめて息を詰めた。謝罪の言葉を言わなければと、いつの間にか震えて噛み合なくなっていた歯が耳障りな音を立てる。
「願いとは最終的に幸福という目的に繋がる」
 手の甲に暖かみが差す。それが戦士の手だと気が付いた時には、フリオニールの掌が天を向き一輪の野薔薇の幻が浮かぶ。
「己の欲望のみの願いでは他者の賛同など得られぬ。志の高い願いは素晴らしくも深い軋轢を生む。より純粋で、より、人の心の底に届く願い。誰もが叶えたいと思える願望。それは願いの内容も然る事だが、願いを込める者の想いこそ重要だろう。私には…少々荷の重い業だ」
 いつの間にか手にしていた幻。
 しかし、それはもう本当の幻ではないとフリオニールは思った。ティナが穏やかに己の夢に賛同してくれた喜び、クラウドが取り戻し手渡してくれた時の思い。バッツが語る世界の自然に咲き誇る光景、ジタンの熱意の籠った贈る素敵な花言葉。野薔薇の幻に純粋に歓声を上げるティーダの喜びに満ちた表情、興味なさそうに振舞いながら横目で追っていたオニオンナイトの視線。己の夢を延々と聞いてくれていたセシルの暖かい瞳の光、あのスコールでさえ苦笑しながらも曖昧な褒め言葉を寄越した。
 誰もが知っているのだ。この野薔薇を。己の夢を。
 そして
 光の戦士が接吻でもするかのように、野薔薇に顔を寄せた。恭しい手つきに導かれ互いの視線の高さに野薔薇が光を発する。
 野薔薇の光に七色の虹彩を瞳に宿した戦士が、目元を和ませて言う。淀みなき、真実の声色で。
「それは素敵な魅力だ。フリオニール」
 フリオニールはあまりの恥ずかしさに、頬が紅潮するのが分かった。真っ直ぐ過ぎる肯定の言葉。それは今までの語った夢の反応を返される、くすぐったい感情の比ではなかった。頬だけではない。喉が干ばつのヒビ入る大地のように乾くのを感じ、目が熱湯に放り込まれたかのように熱く潤んでいる。バンダナで抑えている銀髪が逆立つように浮き立ち、体の皮膚を撫で上げられたかのように感動が這い上がってくる。
 その感動が脳髄に達して光の戦士が口にした言葉を理解した時、フリオニールは何よりも強く思った。
 この想いに応えられる程に、強くなりたい。
 感謝は乾きの強さに言葉にならない。
 恥ずかしさに顔を伏せて、黙って野薔薇の幻を抱きしめた。幻の輝きが現実味を増す。
 多くの人々の祝福を受けて咲き誇る薔薇。なんて、素晴らしいんだろう。なんて、幸せなんだろう。フリオニールは胸元に光を散らして浮かぶ幻に、言葉にできぬ程の熱を感じ胸を焦がした。
「貴方に…そう言って頂けて………」
 光栄です。
 掠れた言葉の代わりに、雫が一つ薔薇の幻に落ちた。
 もうすぐ、暁の光と共に仲間の声が響いてくる。