貴方の未来に希望の光を

 自分の意識とは関係なく、どんどん世界から色彩が抜け落ちて行く。
 最終的に色彩無く砂塵の中のような細かな粒の集まりが世界を覆ったかの様に視界を占拠すると、周囲の声も大地の鳴動も戦闘の音も小さな雑音に飲まれてしまう。世界が溶けてしまったのを知って身じろぎすれば、草を踏み分ける音が聞こえる。その音を認識した瞬間、音を中心に世界が広がって行く。砂塵に埋め込まれていたのを掘り出す様に、世界が浮き彫りにされて行く。
 様々なモノの彩度が落ちた世界では、空は薄暗い雲で覆われたかの様に灰色一色。そこに浮かんでいる太陽は白金の様に白く輝き、浮かんでいる雲は流れており、白い雲なのか雨雲なのか分かるのだ。太陽は天を巡り、夜で満点の星空の時もあり、雨雲が差し掛かれば雨が降っていて、雪が積もっている時もあった。天候は同じ事が稀なくらいだったが、今は雲が疎らに浮かんだ晴天らしい。
 そこは広いのか狭いのかすら分からない、フリオニールの知らない庭園だった。
 荒れているのは間違いなく、フリオニールの膝から腰当たりまでの草がいつも茂っている。色味の無い草は、色の印象とは異なって瑞々しいくらいで触れば触覚に弾力まで伴って返って来る。建物だったらしい漆喰の剥がれかけた壁には蔦が伝い、鬱蒼とした木が頭上を覆いそこからもあまり見かけない種類の蔦が落ちている。どの植物も見覚えが無かったが、どの植物も鋭い刺を持っていた。
 見覚えの無い沢山の植物に囲まれたそこに言える事は、フリオニールが知らない場所である事。もしかしたらこの茂みを抜ければ知っている場所に出るのかもしれないが、フリオニールの足は縫い止められたかの様にそこから出る事は無かった。意を決して出ようとすると、刺に刺された痛覚から覚醒して現実が現れてしまうのだ。
 現実に戻ると必ず心配そうに己を見る仲間が『大丈夫か?』と声をかける。
 フリオニールが分かっているのは、この庭の光景は消滅しかけている自分の世界なのだろう。
 どうして、なのか?
 その謎が知りたいが頻繁に消滅しかける事など出来はしない。
 久々に巡って来た機会に、フリオニールは意識を新たにしたが出来る事など何も無い。周囲を見回しても誰もいないのだ。仕方が無いからフリオニールはその刺の付いた植物を観察する事にする。歩み寄る間に、痛みが足に走る。驚いて腰当たりまで伸びた草を掻き分けると、膝より低いながらも細かい刺を纏った小振りの植物がある。丸っこい艶やかな葉を天空に向けているそれには、蕾がある。
「蕾…か?」
 フリオニールがそれを意識して、周囲を見る。周りの植物には蕾がふっくらと慎ましやかに膨らんでいる。その先端が僅かに赤みを帯びた。そう、色彩のない世界に突然現れた赤は、血の様に真っ赤だった。その赤は隣の蕾の先端も色づかせ広がる様に、その隣の蕾へ、またその隣の蕾へと、色が広がって行く。
 フリオニールが顔を上げた時には、その庭には無数の赤い点が広がっていた。指先を針で突いたような丸い玉のような赤。霞の様に広がりを見せる赤がようやく増えないと思った時には、フリオニールの周囲は真っ赤に埋め尽くされていた。それだけ花を咲かす植物が多いのだろう。色彩の無い世界自体が尋常じゃない事で、突然赤が溢れた事自体に驚きは感じなかった。
 どれくらい蕾を見ていたのかは分からない。当然なのだが、その蕾は綻び始めた。
「……!」
 フリオニールは即座に顔を顰め、眉間に皺を刻み敵でも見たかのような視線を隅々に走らせた。血の匂いが目に見えるように、ゆっくりと開かれて行く花弁から漂って来る。滴る血の様に鮮やかな紅。匂いと共に溢れ出る見事なまでの赤が、色彩の無い色の世界を塗り替えて行く。今や、フリオニールの視界から赤以外を見出す方が困難を極める。
 いつの間にか呼吸する空気は蒸気のような湿気を帯びていて、血の匂いの溶け込んだそれに己が血の池の中で溺れているのかすら錯覚する。思わず口元に持って来た掌は、血に濡れていないのに生々しい臭いを放っているかのようだ。
 フリオニールは苦しさから喉元を押さえ、酷く咳き込んだ。
 バンダナの布の端に織り込まれた重りを兼ねた金具が、装具の金属部と打ち合う音が咳の合間に響く。
 コスモスに招かれた世界では記憶は無かったが、戦い方は知っていたが、戦いは嫌いだった。仲間は傷つくのはもっと嫌いで、その為に血を見るのは好きではなかった。カオスの軍勢として敵として対峙していた者が、残虐なまでに他者を弄び殺す様に嫌悪を覚えたのは至極真っ当な感性だと思っている。
 だからこそ吐き気すら覚えるこの世界を、フリオニールは拒否したくてたまらなかった。
 込み上げる嫌悪感に視覚が漸く鈍りを見せた時、フリオニールの頬に何かが触れる感覚が伝わった。それだけではなく踞る様に上半身を曲げていた背に、多くの何かが落ちて来る感覚が伝わって来る。落ちて来た軽い感覚は積もる事なく、背に受けるそれは雨の様に止まずに続く。確認などしたくなかったが、フリオニールの戦士としての警戒心は確認しろと意識を叱咤した。
 すっと、視線を上げる。銀色である筈のフリオニールの前髪の隙間からは、咲き誇る様々な野薔薇があった。
 それはフリオニールがいつの間にか持っていた、あの赤い野薔薇と同じ八重咲きの花弁から、小振りなものまで様々だった。滝の様に花弁は散り、その下から新たな蕾が膨らんで咲く事を繰り返している。足下は野薔薇の花弁の絨毯と言っても良い様相になって来た。
 こんな事は、有り得ない。
 野薔薇の咲く世界を望んでいたと、心の何処かで思ったが目の前の光景はあまりにも異常に映った。
 フリオニールは総毛立って冷たく感じた腕を思わず掴み後ずさる。その瞬間、身を堅くしていた体を突き飛ばす様に殺気が湧いた。殺気は鮮明にフリオニールの背中から胸を突き抜け、目の前に咲き誇る薔薇の花弁を叩き落とし刺が葉を切り裂き、真っ白い空へ赤い花弁を巻き込んで吹き飛ばす。どっと湧いた冷や汗に冷えた思考が、目の前の赤い花弁の舞う光景を美しいと感じた。
 殺気に反応したかの様に、手は美しいと感じた意識とは別の生き物の様に武器のある場所へ向かう。
 手の伸ばした場所は剣を納めている場所。フリオニールはここが現実ではないだろうと思うと、そこに剣があるのか不安が過った。
 そこにあるはずだ。
 手が柄に触れるかもしれない、視覚を向けるにはあまりにも刹那過ぎる短い時間にフリオニールは祈る。祈って手を伸ばす。指先がより鋭敏になって、冷たい空気を切り裂き、ちりちりと痛みさえした。
 爪が、冷たく堅い何かに触れてカチンと音を立てた。
 一気に鮮明になる世界。フリオニールは沸き上がった闘気と共に、剣を抜き放ち振り返った。風を含んで重く引くような感覚で体に繋がれるマントが、耳を叩くような音を立てて翻る。抜き放たれた刀身の輝きが、無彩色ながらも世界を映し込み戯れに触れた花弁をするりと音も無く裂く。
 髪の隙間から殺意の元を見据える。背後にも広がっていた鬱蒼とした植物の黒々とした塊、煩い程に赤い舞う花弁が視界に飛び込んで来る。
「…!」
 赤の隙間に人影がある。
 認めた瞬間、フリオニールは固まったかの様に驚いた。
 コスモスという神の声が届く世界では、会う人間という人間が異文化の香りと雰囲気を漂わす。フリオニールが知る帝国の皇帝程度しか、同郷という同じ世界の人間はいなかった。仲間と肩を並べる者は皆違った装束で、一目で自分の知らない世界の人間なのだろうと分かった。あらゆる武器の扱いに長け大抵の物なら触れれば扱いが分かったフリオニールでさえ、聞かねば使用方法すら分からないという物すらあった。それほど遠く不可知の世界は曖昧で、同じ世界の匂いは鮮明だった。
 だが、フリオニールの目の前の人間も同郷の人間だ。皇帝以上に己に故郷は近いだろう。
 その布の纏い方、布に織り込まれた糸の質感と模様、布に縫い込む飾り。鎧の形、武器の形、ベルトの金具も武器へ固定する装具も、フリオニールは手に馴染むような使い勝手の良い物だと見ただけで分かる。
 複数の武器をその身に纏う人間は、その身に纏う同郷の匂いのする何者よりも見覚えがあるのをフリオニールは感じた。まだ、脳裏では判別できないが感覚はそれを理解して意識よりも先に驚いている。
 殺意を放ってもまだ襲って来る様子の無い相手を、フリオニールはようやく落ち着いた驚きの中まじまじと見つめた。
 筋肉の引き締まった肉体。戦士らしい境遇にしては整っていて、それでいて傷一つない端正な顔。前髪がざっくりと下ろされた髪型は、荒そうな堅そうな質感を感じる。己を睨む様に細められた目を見て、ふと符合する。
「あ…」
 相手が動く。その動きで符合した内容がどんなに現実離れしていても、事実と飲み込まなければならないと痛感させられる。剣で相手の刀身を受け止めて相手を至近距離で見る。無彩色の世界の中で、光と影の具合だけで浮かび上がった相手の前髪がフリオニールの前髪と混ざる。同じ質感、彩度を失った同じ明度の髪。相手の腹を蹴り付けて間合いを取ると、足下に踏みつけた植物と茎や葉が踏みつけられる音が響いた。
 相手も軽やかに植物の中に落ちる。
 無造作に下ろされていた腕と手が握る剣の切っ先が、植物の中に沈む。
 手首が小さく動いた。指先でコインを弾くような小さな身じろぎだったが、その動きで相手の剣の先の植物の塊から何かが飛び出して来る。咄嗟に剣で飛んで来たそれを叩き落とす。顔に僅かな砂が飛んで来て、フリオニールは顔をしかめた。受け止めた瞬間に静止したかの様に見えたそれは土にまみれていたが、白く丸い何か。
 敵から視線を外すのには抵抗があった。
 しかし、敵であろう相手は、それを見ろと言わんばかりに視線を落ちた何かに向けている。
 フリオニールは恐る恐る、視線を足下に向けた。白い丸いそれを、剣先で動かす。ごろりと転がったそれに開いた黒い空虚な空間を認めて、それが人間の頭蓋骨だと分かる。白い丸い曲面の一部が激しく破損して壊れている。そして思いの外ふかふかとした柔らかい地面に、堅い物が埋まっているのが分かる。地面に落ちた頭蓋骨の傍の、植物の隙間から見る事の出来た僅かな地面には形の異なる白い物が飛び出していた。
 人の骨だ。
 自分の足に触れる違和感の全てが、これなのか?
 フリオニールはこの庭に埋まっている狂気に目眩すら感じた。殺意が、ぶつかって来る。体全体を押されるような殺気に、フリオニールは表情を堅くして顔を上げた。間合いの直ぐ手前に相手が立っている。
 白い素肌を裂く様に黒い三日月型の虚空が開いた。
『お前も…こうなる』
 その声は、ぞっとする程冷たい
 フリオニールの声だった。

 …………フリ……
 暗転した世界の黒は、フリオニールの何もかもを優しく覆った。あの白過ぎる空に、黒と灰色で抜き出された何もかもはフリオニールの心をこれでもかと抉る。そして血に良く似た赤だけが強調された色は、フリオニールが羨望の眼差しで取り出していた野薔薇の幻をも遠ざけた。最近ではその幻にしては現実感のある白昼夢から抜け出す方法は、殺意と狂気を秘めた己を殺すだけであり、戻る瞬間に見る深紅に滑る手の感覚は震える程生々しかった。
 ……ニール
 目でも瞑っているのだろう。
 暗転した世界では、まるで周囲に何も無いかのようだったが、やがて声が優しく降って来る。時には女性の声で、時には子供の声で、殆どは男性の声でフリオニールは語りかけられ呼ばれる。声を聞くだけで本当にホッとする気持ちになる。心の緊張が解れてこのまま眠りにすら付いてしまう程精神的に疲労していたが、声がフリオニールに睡眠を許す事は一度たりとも無かった。
「フリオニール!」
 叩かれる程強い呼び声。フリオニールは目覚めなければ引っ叩かれる程強い声に、のろのろと瞼を上げた。睫毛が五月雨の様に遮る奥で、相手が安堵に口元を緩めたのが見えた。
「良かった…! 大丈夫そうだな!」
 ぱっと広がった笑顔はバッツだろう。『フリオニールが目が覚めたぞ』と仲間に声を掛けに向かったらしく、姿が見えなくなった視界の向こうからそんな声が聞こえて来る。疲れを溜息に混ぜながらも、バッツらしい行動にフリオニールの苦笑が混じる。
 ……また、消滅しかけたのだろう。皆に迷惑を掛けたんだな。
 フリオニールは息を吐いて力を抜いた。
 コスモスが敗北を宣言してから、世界の様相は一変した。
 仲間達は時折その姿を薄れさせ、火花を散らすかの様に光と苦痛の声を響かせる。その様相こそ、君等が消滅しているのだと混沌からの死者は言う。コスモスがその存在を掛けて生み出した最後の希望、光の戦士達がそれぞれに持ち合わせたクリスタルが命の綱なのだとせせら笑って歌う。
 混沌の主、カオスを倒す。そう決意を固め光の戦士等が混沌の主目掛けて行進する間にも、消え行く感覚は長引くばかりだった。
 消滅とは何もかもが消え去ってなくなってしまう事だと思っていた。
 死ぬ事と同じだと思っていた。
 しかし、あの幻を目の前にすると、消滅とは己の存在その者を消そうとする悪意が感じられる。己が己である事を否定させる、自殺を促すような方法だ。色んな意味で消滅として正しい意味だったが、あまりにも恐ろしい事であるそれは果たして人のする事なのか悩む。皇帝ですらこんな事はするまい。
 フリオニールはふと思う。
 仲間が消滅しかけた時の体験は語る事は無い。あの自分の事を頼んでもいないのに話すバッツも、お喋り好きなジタンも話題に上げたりはしない。スコールとクラウドは死にそうな顔つきで無言で顔を突き合わせて武器の手入れに勤しみ、ティナとオニオンナイトが凍える世界にいるかの様に身を寄せる姿がある。ティーダは怒号のような声を発して数倍のトレーニングを己に課し、セシルも無言で鍛錬に没頭している。フリオニールも話題にはしようと思わない。消滅しかけてから、互いに会話がぐっと減ったと思った。
 気配がフリオニールの感覚に触れた。敵意の無い仲間の放つ気配に、フリオニールは警戒をせずに身を起こす。
 僅かに青みを帯びた銀髪を無造作に下ろしても、その緩やかなウェーブは美しく背中まで波打って下って行く。銀髪に埋まる様にある輪郭から内の表情は、僅かに心配しているのか無表情の中に顰めたような眉間の皺と細められた瞳がある。美術品のような格調高い鎧を優雅に着こなして歩み寄るウォーリア・オブ・ライトにフリオニールは寝床から身を起こして体の向けた。
「俺は大丈夫です。心配かけました」
 消滅しかけているのは誰もが同じだ。調和の神コスモスの加護無き彼等の命を支えているのは、彼等の手に収まる大きさのクリスタルのみ。大丈夫な筈は無いのだが、大丈夫と言わなくてはならなかった。フリオニールの性格も然る事ながら、仲間の不安を助長させないとする協調性から来た答えだ。
 光の戦士も眉間の皺をようやく取り去り、小さく息を吐く。
「そうか…」
 フリオニールはふと思う。
 あの悪趣味な幻は目の前の光の戦士も消滅しかけた際には見るのだろうか…と。仲間がそれぞれに消滅しかけた際、己が最も嫌悪する事に遭遇し己が己を殺すよう仕向けるような魂を殺す事を促す事柄に直面するのか。だとしたら、目の前の戦士はどんな幻を見るのだろう…?
 いや。
 フリオニールは頭を振った。そんな意地悪な事を聞いてどうする。
 そう、目の前の戦士にそう思ったのは、自分のこの吐き気の様に込み上げる嫌悪感を一番よく分かってくれると思ったからだ。コスモスの下に集った仲間が信頼できないとか、順序的に光の戦士を選んだ訳ではない。光の戦士がフリオニールの価値観に最も近いと感じた親近感から浮かんだ想いだった。
 確かに光の戦士は記憶喪失で名前すらも思い出せない。それでも体に染み付いた戦い方、道具の扱う所作、言葉などはフリオニールの世界と良く似ていた。
「ライトさん」
 フリオニールは光の戦士を見上げた。
 『お前も…こうなる』
 『こう』とは何の事なのか。己が骸になり野薔薇の養分に成り果てる事なのか…?
 きっと違う。野薔薇の花園の主のようになるという意味で、未来では俺はそうなると言いたかったのだろう。世界から骸を集めて土を整え、野薔薇を育て、その狂った笑みで満足そうに花園を見つめているのだ。本能が理性よりも先に理解できない恐怖として感じさせる瞳は生命を命として見ていない、ただの花の養分としか見ていない冷ややかなそれに反応しているのだ。憎悪、嫌悪、殺意、フリオニールが感じる悪意の塊である己の可能性。
「俺は…絶対にあのようにはならない」
 その言葉に光の戦士は頷いた。
 やはり、消滅しかけた際に誰もが見るのだ。何か…を。
 その何かはなんであるかをフリオニールは知らないし、知ろうともしない。知っても価値観の違いから、深く理解が出来ないに違いない。
 永く続いた戦いであるのになぜ価値観が違うのか分かるのか。フリオニールはその者の身に纏う香りがそうだと思った。
 オニオンは草原の香りがする。香しい希望に満ちた草原の香りは、戦争で荒れ果てた大地に暮らし、何処かで町が焼かれ荒野の香りを運ぶ空気に包まれたフリオニールの故郷では感じられない香りだった。逆にティーダからは潮風が香って来る。海など本で読む限りの世界で、魚などなかなか出回って来ない。フリオニールが実感が湧かないように、ティーダも時折現実味が無いかの様に霞んで見えた。
 セシルは香水の香りがする。宮廷に満ち溢れた優雅な香りは、フリオニールには縁遠い世界。舞台の影の毒を知らないセシルの純粋なまでの優しさを嘲笑うかの様に寄り添い、何処か憎しみすら湧く印象を受けた。ジタンもセシルとは違うが香水の香りがして、こちらは舞台役者という華やかな世界に生きているからだと言う。目紛しい程に鮮やかで眩しい世界にいるのは孤独なのかもしれないと、ジタンの落ち着いた声は伝えて来る。
 バッツは風の香りがする。異国情緒漂う香木を焚いた香りを、風に乗せたかの様に淡く香るのを感じさせる。旅の匂いが人の香りを遠ざけて、バッツ以外の誰かを感じさせない香りだった。一人と思わせる匂いならば、ティナには悪いが薬品の匂いがする。とても甘く肌に絡み付く香りで、彼女の四肢に絡み決して離れようとしない鎖の様にそこにあって食い込む。
 クラウドとスコールは鉄と硝煙の匂いがする。硝煙の匂いはフリオニールには縁遠く、どこか冷たく殺伐とした世界を思わせる。彼等から聞くのは鉄で出来た、草木など殆どない世界の話。一人の少女が手にもって売る鮮やかな花以外、無彩色な世界。火花だけが明るく散り照明に彩られた世界。想像など出来なかった。
 フリオニールはと言えば、血の香りなのだろうとぼんやりと思った。
 戦争は人と人との争いだ。魔物とも戦わねばならないが、敵として剣を向けるのは人間だ。敵であるとした人間を殺めなくては抜けられない戦争の世界。自分はあの狂気の花園の主になる資質があると、どこかで分かっているのだ。それが、非常なまでの現実感をフリオニールに突きつけていた。
 光の戦士は…実は何の香りも感じないとフリオニールは思った。
 記憶が無いから過去の香りも彼の今まで生きて来た世界の雰囲気も滲み出ない。それでも、剣を持つ者として手に伝わる衝撃と血の滑りは、他の剣を持つ者より分かってくれると思った。何よりも宿敵がガーラントなら、光の戦士は人を相手にして戦っていると思った。何度も人であるガーラントを殺める感覚は、相当狂おしいのだろうとフリオニールは実感を持って感じた。
 もしかしたら、ガーラントの中身が殺戮と闇に染まった光の戦士であるのかもしれない。消滅の際の幻は最悪の悪夢を見せる。なんでもありだ。
「何度我々を闇が惑わそうとしても、無駄だ」
 光の戦士ははっきりと言った。威厳ある言葉は闇を退け射し込む光の様に真っ直ぐで揺るがない。その言葉にどれだけ助けられたか、悩み迷う自分が真実を見つける指標になったか分からなかった。だから彼の言葉がわかると、フリオニールは薄く微笑んで彼の言葉を待った。何度も励まされた自分だから、彼の真実を見据える言葉が真っ直ぐ過ぎて何を言うのか勘付く。
「光は」
「俺達と共にある…だろ?」
 立ち上がりながら光の戦士の言葉を盗って、フリオニールが笑った。
 光の戦士も苦笑した。
 それはフリーニールの意思を、光の戦士も共感してくれたんだと思う。それは価値観が似てるからとかじゃなくて、互いが高めた人間関係がそうしてくれたんだと思う。価値観が全く違ったって、世界が違ったって、俺達は仲間なんだ。それを、光の戦士は当たり前の様に受け入れて当たり前の様に纏めた。
 凄い事だ。フリオニールは眩しそうに光の戦士を見た。
「行こう、フリオニール。皆が待ってる」
 光の戦士が促して先を行く。フリオニールがいた場所より明るいそこに、光の戦士が溶けて消えてしまったかのように眩しいそこに、仲間が居る。
 皆が待つ場所、そこには…
 希望がある。