迎え盆

 ラストの父の朝は早い。朝の新聞配達を待ち構える程である。新聞を読んで朝食を食べた後は、専ら野外調査に出掛けてしまう事が多かった。その日も変わった事は一つもない朝を迎え、ラストの父は『出掛けるぞ』と短く嗄れた声で言った。
 強い日差しに蝉の鳴く声が響き渡る中、ラストとその父は連れ立って歩き出す。まだ早朝である為か、アスファルトの熱気も大した事は無いが数時間もすれば鏡の様に輝き蜃気楼を映す事だろう。道路際を掃いていた老齢の女性が品良く頭を下げると、父に習ってラストも頭を下げる。女性が穏やかな笑顔でラストを褒めると、父はそんな事はありませんと答えているのをラストは見上げていた。
 静寂の中で地響きの様に響き出した自動車や歩行者の音が包み込み始める。目の前の横断歩行で視覚障害者の為に流れる音楽の合間に、電車が線路を行く音がセンサーに引っかかる。今回も電車に乗るのだなとラストは思った。
 電車やバスと言った公共機関をメダロットが利用する場合、小児料金で乗れるように設定されている。電車内でのロボトル寸前になり緊急停止する等、利用マナーの悪さに被る被害は多い。しかし転送システムを利用せずメダロットを連れている人間というのは思った以上に多く、メダロットの乗車を完全に拒否する事は未だなされていない。ラストの父でさえメダロッチ、そしてメダロット転送システムを搭載する電子端末は所持していない。父曰く、アキハバラの発明は好かんとの事だ。
 冷房の強さに父を見たが、父はラストの心配そうな視線を一瞥しただけだった。父は心配されるという事を極端に嫌う為に、ラストもそれ以上何も言いはしなかった。
 電車に揺られ何人もの子供連れの家族や恋人達を見送って暫くして、ラストと父は電車を降りた。
 乗る前とは比べ物にならない強くなった太陽の光と、蝉の鳴き声が煩い程に響き渡る。気温は人が汗をかく程に上昇していおり、冷房の効いた電車から降りた直後の体感温度はラストのセンサーに一瞬の影響をもたらす程だった。あまりの熱さに湿気を含んだ空気が視覚センサーの前に張られた硝子に張り付き、極微量の塩を認める事が出来た。海が近いのだろう。遠くに波音があるのが判る。
 歩き出して暫くすると、商店が連なる場所に出て父は突如足を止めた。ラストには父の興味を惹くようなものが無いと思っていたのだから、立ち止まるのが遅れ小走りで父の元に戻る。そこは色鮮やかな花々を売っている花屋だった。
 ラストは父が何処へ行くのかを詮索した事は一度もない。それは今より以前の関係が特異であったのもそうだが、ラストは父が研究に賭ける想いが真摯である事を知っていた。しかし、今回ばかりは何処へ行くのか訊ねたい気持ちでいっぱいになる。
 切り花を束ねた物を父が手にするのを見て、その組み合わせに似た切り花が沢山あるのにラストは気が付いた。花についての知識はメモリーには全く無いラストだが、父が大事そうにその花束を抱えるのを見て特別な意味があるのだろうと理解出来た。
 電車を降りて濃厚に感じた山の緑は、今や視覚センサーを覆い尽くす程に迫っていた。目の前に反り立つ様に伸びるアスファルトの坂道が輝いて見え、黒い電柱の影が等間隔に黒い線を引く。父に従って歩くと寺に辿り着き、父は挨拶も断りも無く墓地に足を踏み込んだ。乱立している様に見えて規則正しく並べられた墓石は、ラストには理解出来ないような重圧感を静かに放っていた。
 父が足を止め、その黒い光沢を放つ一つの墓石を見上げた。
 節原源五郎
 墓石にはそう書いてあった。隣接する墓石と異なり、その墓の周囲は奇麗に雑草を抜かれ細い何かが燃えた灰が薄く積もっている。墓石の前に置かれた花瓶には、枯れていたが朽ちていない花が残っていた。父以外にも誰かが訪れるのだろうとラストは察した。
 父は手早く花々を活け、墓石の前で手を合わせた。
 ラストは何も問わなかった。問う事を命令されていないだけではなかったが、声も出す事も許されないような雰囲気だったからだ。
 聴覚センサーがこちらに歩み寄る足音を捉えた。砂利が敷いてある故に隠す事の難しい足音だが、相手も隠すつもり等無い様子で向かっているが判った。ラストがその方向を見遣れば、父と同じくらいの年齢の男が同じく花束を持って立っていた。
「あ、ヘベレケ」
 その間の抜けた声を聞いた父は驚いた様子を一瞬だけ覗かせた。
「アキハバラか…」
 帽子を被りややラフなジャケットとズボンの着こなしをした男性も、信じられない様子で父を見ていた。メダロット博士と世に知られるアキハバラアトムは、ラストが父と慕う男が憎しみすら抱く人物であると周囲に知られていた。しかし父の呟きを唯一聞く事が出来るだろうラストには、その言葉はどこか同情めいた意味と響きを持っているのを知っている。
 アキハバラ博士はラストに小さく笑いかけると、父に並び墓に手を合わせた。
「ありゃぁ、こりゃあ花が納まりきらんのぅ」
 ふん。父が鼻で笑うのをラストだけではなくアキハバラ博士も振り返った。しかし、父のせせら笑いに気分を害したどころか、嬉しそうに笑っているのがラストの印象に強く残った。
「ようやく、墓参りに来たんじゃのぅ」
「私が教授への恩を忘れる程、恩知らずだとでも思ったのか?」
 うんにゃ。アキハバラ博士は笑ったまま否定した。
「だが儂等は頭の固い技術屋じゃったから、教授の考えに追いつくのに時間がえらく掛かったと思ってな」
 その呟きに父が無言だったのには驚いたが、ラストの知らぬ父の過去があるのだろうと思った。二人の間に流れた過去を思い返す記憶は、驚く程に穏やかに感じる。
「全くだ。釣りに同行したり」
「山にハイキングに行ったり」
「電子工学の論理を語るより早朝の虫取りの方が多い。お陰で早起きが抜けきらん」
「はっはっは。お前もかヘベレケ」
 嬉しそうに笑うアキハバラ博士につられてか、ラストは父が僅かに笑みを浮かべているのを見た。これほど穏やかな笑みを浮かべた父を初めて見たかもしれないと思うと、ラストは言葉に言い表せない複雑な気持ちになる。嬉しいような、微かな嫉妬のような、そして悲しいような気持ちに…。
 そして何気なく墓を見る。父やアキハバラ博士の言葉から、その墓に刻まれた名である節原源五郎は彼等の恩師なのだと判った。二人共高齢だ。その彼等の師となれば、他界しても可笑しくは無い。人間には寿命というものがあり、ある一定の年齢以上を越えて生きる事が出来ないのだと知っている。
 他界…。それは死ぬという事。
 ラストには現実味の無い言葉だった。なにせ彼が父と慕うヘベレケ博士は、生命力に溢れてとても死ぬ様には思えなかったからだ。しかし、仮定は一つ浮かび上がると想像が膨らむものだった。父が死に一人残された時、いったい自分はどうなるのか…ラストは絶望と何も見えない闇しか思い浮かぶ事は無かった。
「時間の無駄だ。行くぞラスト」
「今のお前さんを見て、きっと節原教授も喜んどるよ。なにせ今日は盆の入りじゃからな」
 父が歩き出すのを慌てて追いかけようとしたラストだったが、二人を引き止める様にアキハバラ博士の声が響いた。父は振り返らなかったがラストが振り返ると、墓石の前でアキハバラ博士が笑った。
「ラスト君、ヘベレケをよろしくな」
 不思議な言葉だとラストは思った。全く意味が分からない。
 レアメダルを越える。その絶対的な命令を遂行した時、ラストには自由が与えられる筈だった。確かに今の生活は自由だとラストも思っている。ヘベレケ博士はメダロッチ等を使わず技術的な力でラストを縛る事は無い。何時でもヘベレケ博士の下を去る事も出来た。ラストがヘベレケ博士の下に居るのは、ラストがヘベレケ博士を父と慕うからだった。
 ラストは無言で小さく頭を下げると、父を追いかけて駆け出した。父は寺の階段の手前で足を止め、目の前に広がる木々とその奥の海を見ているようだった。
「ラスト」
 父が己に声を掛けている。ラストは聴覚センサーを最も鋭敏に設定させて言葉の続きを待つ。
「お前は自由だ。何処へでも行け、何を選択しても良い。だからこそ何処へでも行けるよう、あらゆる選択が出来るよう力を得なくてはならない」
 ラストは判っている。こうして父の下に居れる時間は、自分が想像している以上に残っていない事を。これから自分が生きていく時間の中で、父との時間がほんの一握りである事を。
 ヘベレケ博士とアキハバラ博士はメダロットの未来が決して明るいだけとは思っていない人間達だった。前者は疑う事で、後者は信じる事で予測出来る暗雲を乗り越える事が出来ると思っていた。それはメダロットと人間の命の形の違いだけじゃなく、メダロットという存在の意味、人間が抱く可能性のある疑いなど一つではないだろう。
 父はラストに生き抜いて欲しいと言っている。無駄な事が嫌いな父だから、今日の出来事でさえ何かの教えに違いない。今理解する事を急く事はしないが、いつか理解して己のものにしなくてはならない。父の教えはラストの力になる。その想いはラストに誇らしく反響していき、メダルが熱く熱を帯びるのを感じた。
「はい」
 ラストは短く答えた。その答えに満足そうに唇の片端を持ち上げると階段を下り始め、ラストも続く。
 父が生きている限りこの日々が続くだろうと、ラストは安堵を抱いていた。