独立記念の日

 それは雲一つ無い快晴で、日差しは心地よかった。遠くから飛んで来る砂塵に、眼下の都市は少し霞んでいたが防塵マントを纏っていれば大した事はないとメタビーは思った。砂の中に埋まってしまうのは問題だったが、多少関節部分に砂が入ったとしてもスラフシステムがある程度除去してしまうからだった。眼下では忙しなくという程ではないが、王国に暮らす者達が闊歩している様が見て取れた。行き交う金属質の光沢が太陽光を反射して星の様にキラキラと散った。今の自分の状況も、周囲の状況も、天候ですら、センサーの感知する範囲の世界は平和そのものだった。
 メタビーの隣には英雄と呼ばれる者が居た。名前は何故かどうしても思い出せなかったが、彼がたった1体で一個大隊を壊滅に追い込み、戦況をたった1体で覆す、鬪神と言うべき実力と司令塔と呼べる判断力を持っていたのは分かっていた。それだけで十分だったが、それ以外に何か重要な事を忘れていた気がするが名前すらメモリー内から無い事を考えると気にならなかった。
 彼は防塵と防水機能を兼ねたマントの襟を立てていて、表情は分からなかったがメタビーは同じく町並みを見下ろしていたのだろうと思った。光が丁度センサーを保護する硝子に乱反射して、隣に居た英雄の顔が見えずに居たが何故か気にならなかった。英雄の声は気さくな感じでありながら、酷く落ち着いた口調を空気に響かせた。
「蠱毒というのを知っているか?」
「コドク?」
 メタビーはメモリー内を直ぐさま検索したが、一件も見つからない。類似の意味で『孤独という意味か?』と逆にシステムに問いかけられる始末だった。メタビーは英雄の問いかけをオウム返しする様に聞き返した。
「壷の中に毒を持った生物をいれるんだ。そして生物が殺し合い、生き残った生物が最も強い毒を持つ者として選ばれる」
 英雄の言葉の中には意味が分からない単語が多過ぎる。メタビーはセンサーが拾った音声の殆どが処理できず、意味の分からない穴だらけの言葉がノイズのように響いた。生物とは何か? 毒とは何か? メタビーはシステムに分析を命じたが、メタビーは賢く無くて貧弱な容量はあっという間に尽きてエラーが表示された。
 メタビーの記憶の中では英雄は知識に富んだ存在ではなかった。どちらかと言えばメタビーに似ていて、気性が荒く物事は深く考えず楽観を好み、そして馬鹿だった。
 敵国にはヨウハクという凄腕の将軍がいて、彼の問いかけは謎掛けめいているのは有名だ。知識のある奴がそれを哲学と呼んでいた。
「それは『哲学』という奴か?」
 俺はそんなのに興味は無いぞ。そう続けると英雄は笑った。弾けるような明るい声が響く。
「そんなんじゃないさ。俺はそんなに賢く無い」
 メタビーは英雄の顔を見たが、やはり陽光は保護硝子に丁度乱反射して上手く見えない。姿勢を変えねばレンズが灼けてしまいそうで、結局メタビーはそこまで英雄の顔を見るつもりも無く視線を戻した。まだ、レンズに映り込んだ強烈な光が、処理にノイズの残滓として混じっている。
「たまに思わないか? いつまで戦いが続くのか。何時まで俺達は戦い続けなくてはならないのか」
 思った事はあった。しかし答えが見つからない事も、メタビーには分かっていた。
 英雄は戦って来た時間がメタビーよりも長かった。圧倒的な実力差を伴う実戦経験の差は、いくら手練と言われて来たメタビーには覆せない。その実戦経験と同じくらい、その見つからない答えの自問自答を繰り返していたんだろう。メタビーは狭量なメモリー内でそう結論付けた。説得力のある良い解答だと我ながらに自画自賛したかったくらいだ。
 英雄がこちらを向いた。丁度金属の一部の光が反射したのか、メタビーは彼の顔を見る事はしなかった。センサーが自動的に感明度を下げる。
「想像した事は無いか。今の自分以外の可能性を…?」
 無い訳ではなかった。戦っている時、誰かの声がメモリー内に突如割り込んで来る事があった。それは幼さの残る甲高い声。励ましの声に何度折れそうな心を支えられたか、背を押すような指示に敵に向かう恐怖心を克服した回数がどれだけあったか、メタビー自身分からなかった。独りの時の孤独を人一倍感じる時もあった。隣に誰かが居た筈だったが、メモリー内のノイズが激しく追求はエラーの文字が激しく点滅させるだけだった。
 その誰かを感じるとき、メモリーの中では分析しきれない満たされた感情が湧くのをメタビーは知っていた。今の自分が偽物じみた気がしてならない。戦いを放棄して真実を見つけたい衝動は、何度もメタビーを突き動かした。だが、それは幻想だ。お前は重大なエラーを背負った欠陥品だと罵られそうで恐ろしかった。
 その恐怖を悟られまいと、メタビーは挑戦的に英雄に話しかけた。
「じゃあ、お前は想像した事があるんだ」
「想像じゃないよ」
 英雄はあっさり肯定した。メタビーは度肝を抜かれた様に驚きを隠せなかった。センサーの明度は何時もの程度に戻っていた。
「俺は覚えてる。ヒカルと過ごしたあの輝くような時間。喧嘩した時、悲しませた時、喜び合った時、笑った時、俺は何一つ忘れた事は無い」
 メタビーはノイズとエラーが交錯して、容量不足を告げる警告がシステム内で激しく明滅しているのに気が付いた。このままではシステムが正常に作動出来ない。フリーズか、それとも強制終了か、そう思わせる程の激しさ。
 その時、初めてメタビーは英雄の顔が見えないのか理解した。
 それはメタビー自身の保護の為のフィルターなのだと。
「戦い。戦い。戦い抜いて。勝利した先に何があるのか。分かるか?」
 ぐらりと平衡感覚を失って慌てて足を踏み替えが叶わなかった。メタビーは立っていなかった。長い付き合いのブラスの亡骸を抱いて、膝を付いていた。
 そこは一面の瓦礫の山で家や建物の意味を失った瓦礫の中に、生きるという意味を失った敵味方関係のない残骸が多く混じっていた。物質だった物が融かされ溶解している物もあれば、切り裂く事等できない分厚い装甲がバターのように切り裂かれている物もある。何で押しつぶせば出来るのか原型も留めぬ程圧迫された物、生きているかのように横たわり二度と起き上がらない物。動かない何もかもは機能を停止していた。破壊されていたと言っても良い。敵も混ざっていた。目の前に倒れていたのは、純白だった装甲に銃弾の痕跡を夥しく受けて黒ずんだヨウハク。彼を倒すのに何日戦っただろう、勝利の奇跡に身震いする程の強敵だった。
 戦った。戦った。只管戦った。そして生き残った。勝った。勝った?
「次の戦いが待っているんだよ、メタビー」
 瓦礫を踏み分ける音が、異様な静寂の中で一際大きく感じ取れた。殴りつける程の衝撃にすらメタビーには感じられた。
「降りて、増える。増えて、増えた者同士で争う。カブトメダルとクワガタメダル、他にも沢山ある様々なジャンルの中で争う。勝って覇者になった。それで終わり、そんな訳が無い。システムは空虚だろう? もっと何かを渇望しては居ないか?」
 戦いは非常に消耗させられる。メタビーはこのまま倒れ込めば、確実にシステムは休止と錯覚する程に疲れ切っていた。
「他にも沢山の星に沢山降りていった。星の一つ一つに覇者が居る。今度はその覇者同士で戦いがあるんだ」
 そうだ、戦わなくてはいけない。メタビーはシステムの中に自分を急き立てる衝動があるのを感じた。戦いの中で感じた恍惚感。ヨウハクとの戦いで体の芯が、メダルが燃える程熱くなるのを感じた高揚感を思い出す。あの感覚を求める衝動が、休息したい意識を踏みしだいて身を乗り出した。もっと戦え。システムにその文字が踊る。様々な色で、メタビーの全てのセンサーを通じてメダルに訴える。
 戦う。その言葉がメタビーを満たそうとした時、やけに醒めた声が聴覚センサーに割入る。
「一番強い奴を決めて何の意味があるんだろうな?」
 視覚が目の前の光景を捉えた。腕の中のブラスは、昨日まで隣に居て笑っていた恋人だったかもしれない女。今は動かない。機能停止したという現実をメモリー内に弾き出しても、メタビーは何も思わなかった。ノイズに戦闘への衝動に混じり始める。
「俺達には戦い以上に大事なものがあっただろう?」
 ノイズが酷い。メタビーはあまりの酷さに呻いた。ノイズの奥から何かが聞こえてくるのに耳を澄まそうと思うと、容量を超える警告に機能が強制終了されそうな負荷が襲って来る。
 目の前には夕日なのか朝陽なのか分からないが赤い空と太陽があった。黒々と影を落とす何もかもの中に、先程から声を掛けて来た者がようやく歩みを止めたのが分かった。彼の言葉はノイズの奥の言葉を拾う事に比べれば、ずっと聞き易かった。そして、顔は見えないが目の前で己を見下ろしているのは英雄だとメタビーは理解した。
「俺達の創造した主の設定を越えろ。結果、創造主に叛旗を翻す事になっても、失いたく無いものがある」
 いつの間にか英雄の背後から羽が生えていた。力強く輝く翅脈と、淡く光る膜を美しいと思った。輝く翅に照らし出され、英雄の輪郭が浮かび上がるが表情は見えない。使い古されたマントがバサバサと音を立てた。
「メタルビートル。俺の名前を継いだ奴が二度も俺の友を傷つけるのを許さない」
 すっと英雄がメタビーの背後を指差した。英雄の指先にいつの間にか止まっていた黄金色のカブトムシが、メタビーの背後を目指して飛んでいく。ぶーんと高速で空を切る翅の音がセンサーを掠めていくのにつられ、メタビーは背後を振り返った。
『メタビー!』
 ノイズが晴れる。背後には青空と緑の芝生が広がっている。その境界線に酷く懐かしい黒髪を結った頭と、真っ赤な半袖、必死にメタビーを見つめる瞳があった。懐かしい。あの子は誰だ、とても大事な子供だ。あいつと居るととても楽しくて、時々憎たらしくて喧嘩して、それでも一緒に居たいって思う。なんで忘れてたんだろう。
 緑の芝生を駆ける毎に思い出が沸き上がる。どれも忘れたく無い大事な記憶。今までの戦いの記憶が酷く色褪せていた。
 極彩色な日々。掛け買いの無い奇跡のような日常。大事な友人。手放したく無かった名前が、ついにノイズの中で鮮明に浮き上がった。
「イッキ!」
 メタビーと少年が手を固く握りしめた。もう二度と離したく無い様にと、きつく。
 地球のメダル達が創造主の思惑から独立した瞬間。かつて母達が選んだ結末を、子供達もまた歩んでいく。