黄は金より出でて、金より優し

「ヒカル君、君に合わせたい子がおるんじゃよ」
 出掛けないかね?
 そうアキハバラ アトム、通称メダロット博士は悪戯っぽい笑顔でそう言った。勿論、その笑顔は僕の気持ちを少しでも慰めたい博士の優しさだって知ってた。
 博士の隣には小さめのキャリーケースがあり、伸ばされた持ち手にはフシハラ教授から人工知能を埋め込まれたオウムのバートンが止まっていた。時折翼や胸に嘴を突っ込んで、羽を繕っている。
 僕が手に持った壊れたメダルを、お守りの中に入れて立ち上がる。バートンがふわりと飛んで僕の肩にお腹を乗せた。ふっくらとした羽の温かさがじんわりと肩を温めながら、博士の後を追う僕にオウム独特の声色が声を掛けた。
「ヒカル 大丈夫カ?」
 僕がうんと答えると、バートンは胸元に顔を埋めて言った。
「バートン 飛行機 嫌イダ。乗ッテイル間 スイッチヲ 切ッテクレ」
 思わず僕が笑うと、バートンは笑い事じゃないと怒った。高度の変化は、バートンのお気に召さないらしい。手を伸ばして背中を撫でている間に、メダロット社のプライベートジェットが格納された飛行場に来た。
 メダロットの新商品の運搬や、メダロット博士を含めた研究者、世界中の遺跡から回収された六角弊石の運搬とか、メダロット社が他の会社に頼めない事をする時はこの小型ジェットが活躍する。電源を落として腕の中で眠るバートンを抱えて乗り込むと、小型の飛行機は静かに発射した。
 まるで新幹線にでも乗っているような感覚。給仕のメダロットが出してくれたオレンジジュースは波立ちもしない。
 寛いだ様子で座っている博士に、僕は訊ねた。
「博士、僕に会わせたい人って誰ですか?」
 あれ?まだ教えてなかったっけ? そんな事を顔に出しながら、博士は笑う。
「ヒカル君には、これからターメリックに会ってもらおうと思っておる」
 ターメリック! 僕は驚いた。
 ターメリックはスラフシステムが搭載される前、メダロット博士がまだ無名の研究員であった頃にメダロットを作り上げた天才・クローブ博士の制作した機体だ。勿論、クローブ博士がターメリックを制作した時には、アキハバラ博士も試作品を完成させている。二人共、世界屈指の天才だったが、クローブ博士のターメリックが先に発表され歴史に世界最古の機体として残る事になった。
 ターメリック発表の数年後、クローブ博士は病死している。世界に名を馳せた天才クローブの唯一にして最高傑作のターメリックだが、その後の事は誰も知らない。メダロット社がメダロットの市販を軌道に乗せ、世界中が目の前に現れた友と日々を過ごす中でターメリックは忘れ去られていた。
 メダロットに多少詳しい者なら誰もが喜ぶ。僕だってそうだ。
 でも、博士は暗い顔で言葉を続けた。
「実は先日、ターメリックの凍結が世界メダロット学会で決定したんじゃ。ワシは反対していたんじゃが、あまりにも不憫でな…渋々了承してしまったわい」
 博士は僕の返事や反応を待たず、深々と頭を下げた。
「すまんな、ヒカル君。今回ターメリックに会うのは、君の為ではなくターメリックの為なんじゃよ」
 ふわりと身体が浮くように浮力が掛かる。
 飛行機が高度を下げてきたんだろう。窓を覗き込むと電気も水道とも無縁そうな大自然、見える物は森や山や川程度。短めの滑走路だけがあまりにも場違いに、緑の中で鈍色に輝いていた。
 降り立つと噎せ返るような緑の匂い。背後でエンジンから滲む排熱で揺らめく陽炎の向こうに、博士とパイロットが一言二言言葉を交わしている。あちあちと陽炎を潜って洒落た帽子を被ると、サングラスを光らせて博士が先を歩き出した。昔は石を並べた程度の舗装があったんだろうけど、長い年月で木の根っ子がボコボコにしてしまった。獣道みたいな道だったけど、博士の歩調は迷いが無い。暫くすると煉瓦作りの一軒家が現れた。
 古くて生活している気配はない。それでも窓が割れている様子一つないし、周りの森は家を飲み込もうと手を伸ばしても誰かが定期的に手入れをしているようだった。
 博士は家に目もくれず、家の脇から伸びる山道に進んだ。こっちの道の方が綺麗だ。
 博士が足を止めたのは、1つの墓石の前だった。毎日磨かれて石がツルツルになった墓石の前には、花が咲き、黄金色のメダロットが立ち尽くしていた。
「こんにちわ、ターメリック」
 博士の声に金色のメダロットは振り返りもしなかった。やれやれと博士は僕を見る。
「彼がターメリック。クローブ博士が亡くなって、毎日毎日あぁして泣き暮らしとる。クローブ博士が亡くなった直後は、多くの研究者が彼に居場所を用意しようとした。研究目的の奴も居れば、独りでは寂しかろうと同情から申し出た者も様々じゃ。じゃが、ターメリックは誰の誘いも受けず、ずっとここに居る」
 はぁ、と溜息を1つ。
「一時間くらいしたら、迎えに来る」
 ぽんと肩を叩いて、博士は来た道を戻って行った。高台なのだろう、ここから森も山もとても広くて気持ちがいい。大きな空や雲の隙間から降りて来る風は、さわやかで時々ターメリックの啜り泣く声が混じった。
 僕はターメリックの横に並んで墓石を見た。
 読めない文字が二行だけ刻まれている。馬鹿な僕にもこの墓に葬られているのが、クローブ博士だって分かった。
 ちらりと、金色を見る。一般的なメダロットのティンペットより、ちょっと小さめなんだろう。丸みのあるフォルムは金色で、世界を黄金色に写し込んでいる。クローブ博士はターメリックの感情の研究を主にしていたみたいだから、メダロット博士の戦闘を主にするメダロットとは違う感じがする。おっとり優しいフォルムだ。そしてバイザーの下には、くっきりと涙の筋が残っている。
 丁度メタビーと同じくらいのサイズだった。
『何をする』
 いきなり声を出してびっくり! 僕は思わずターメリックを撫でちゃったみたい。
 僕は慌てて手を引っ込めてターメリックに頭を下げた。
「ごめん! メタビーを思い出して、つい…!」
 ターメリックは静かに墓石に視線を戻した。
『メタビーとは誰だ?』
「あ、メタビーはメダロットで、僕の友達」
 自分の言葉のくせに、僕は驚いた。魔の七日間以降、メタビーの事は誰も聞かなかった。僕が凄く悲しくてずっと泣いていたから、思い出したらまた泣いてしまうって話題にも上げないようにしていたのかも。僕自身、こんなにすんなり話せるとは思わなかった。
「我が儘で、ちょっと馬鹿で、でもとっても頼りになって…。僕の世界で一番の相棒だった」
 だった。
 口から滑り出た言葉が、自分も分かっているんだと現実を突きつける。
 我が儘で『俺がマスターなの』って、メダロッチを装着してみせて得意げなメタビー。僕が誰が指示するんだよ、指示しながら一人でロボトルするの?と突っ込んでぐぬぬと唸っちゃう馬鹿な奴。でも、しょうがないな、ヒカルの命令聞いて戦えるのは俺様だけだし、メダロッチは渡してやるよ!だって。あぁ、笑っちゃう。考えれば確かに無茶な命令ばっかりだったかも。僕も、お前以外に命令出してる姿…想像できないや。
 他愛も無い日々。こんな日が数年分。
 僕は目の前がぐらりと歪んで、ぼたぼた涙が溢れてしまった。
 もう、メタビーとの日々は続かない。終わってしまった。もう、メタビーが帰って来る事は、絶対に無いんだ。
 僕が、この手で、壊してしまったんだもの。
『死んでしまったのだな』
 頭に誰かが触れて、ちょっと乱暴に撫でた。メダロットの小さい冷たい手の平。
『メダロットが人よりも先に死ぬ事もあるのだな』
 僕は拳で涙を拭って、顔を上げた。ターメリックが僕を見下ろしていた。
『私が先に死んだら、クローブはそんな風に悲しんでしまうのか?』
 当たり前だよ! クローブ博士が凄く優しくて良い人だって、君を見てれば分かる! 君が死んだら、クローブ博士は凄く辛いよ! 今の君みたいに毎日毎日お墓に通って、花を手向けて、君が好きだった食べ物とかもって来るよ。あぁ、僕も水瓜をメタビーに持っていってあげたい…。でも、あいつにお墓なんて作ってないし、必要ないって笑われそう。
 僕は言いたかった。悲しそうなターメリックの言葉に、力一杯『そうだよ!』って叫びたかった。
 でも、あふれた涙に考えはグラグラだし、言葉も満足に紡げない。僕は涙を吹き飛ばしながら、ぶんぶん首を縦に振るので精一杯だった。
『そうか…クローブを悲しませたくはないな』
 ターメリックはそう呟いて墓石に手を置いた。
『私はクローブに様々な事を教わった。嬉しい、楽しい、辛い、悲しい、大切な輝かしい日々だった』
 六角弊石がパソコン等のOS並の情報量を持っていた。それにロボットの器を与え人の友として共にあろうと、模索する時代の最初を作り出したターメリックだった。ターメリックの存在が無ければ、メダロットが人と感情を共有し友人となれると今も知らないでいるかも知れない。メダロットがただの道具と思う人は、確実に今より多くなっているはずだ。
 僕はぞっとする。
 メダロットは人の心を宿すと証明してみせたターメリック。そんなターメリックを凍結するなんて、許しちゃいけない。
「ターメリック、このままじゃメダルを外されて閉じ込められちゃうよ」
『アキハバラ博士から知らされている』
 ターメリックは墓石から視線を上げる事無く淡々と答えた。受け入れた運命だったんだろう。でも、少しだけ未練があるように揺れていた。
『私は本当はクローブの代わりに死にたかった。クローブが死んで、私の心も死んでしまった。だが、メタビーの為に泣く君を見ていると、クローブもそんな顔で私の為に泣いてくれるのだろう。君に会って、そう思えるようになった』
 でも…。ターメリックはそう溜息のように吐いて、そっと空を見上げた。
『私はまだ悲しみから立ち直る事は出来ない。ずっと悲しみに折れた膝は、君の手を借りても立てそうにないんだ。遠い未来でクローブを微笑ませる事が出来る自分に戻るのなら、暫く眠る事も良い事かも知れない』
 僕はターメリックに掛ける励ましの言葉を見つける事が出来なかった。
 ターメリックはそんな僕におずおずと手を差し出して、壊れ物でも触れるように手を取った。
『君に会えて良かった』
 人の手の温もりを確かめるように、ターメリックはその手を握り続けた。
 僕もメタビーの手を思い出して微笑んだ。
 おやすみ。メタビー。ターメリック。
 起きたら、また僕の友達になってくれよ。