奈落名物 マグマフォンデュ

むかしむかし、この世界には「知恵のドラゴン」という世界の守護者達がいました。
6体いたドラゴン達は些細な事で喧嘩し始めました。
「これほどまでに強い我々が何故、支配者になれないのだ」
意見は真っ二つに割れ、支配者を主張したドラゴンは仲間すら吸収しました。
危機感を抱いた残りのドラゴン達は力を合わせ
支配者を主張したドラゴンを奈落に封印しました。
そして人々が知らない所で起きたドラゴン達の戦争は終わりました。

それから数百年……


 1匹のプチドラゴンが水晶の中で眠っていた。
 空色と赤銅色のツートンカラーの小さいながら立派な体は、肩を上下させながら呼吸しているがときどき苦しそうに体が震える。水晶を取り囲む空間は紅く、その紅い光を照り返す水晶は夕日のように輝いていた。
 どれくらい経っただろうか?水晶に何かが映り込む。
 紅い光によく溶け込んだ茶色いまだら模様の羽根を慎重に壁に沿わせ、伺うように水晶の納められた空間を覗いた。罠や見張りがいない事を確認すると、水晶に近付き影を落とす。影の中に光る瞳を潤わせて辛そうな口調で言った。
「可哀想にメガロード様…。今すぐ出してやるっすよ」
 そう言うと翼を水平に構え居合い切りのような姿勢になる。呼吸が止まり凄まじい闘気が空間を覆い、視線だけで水晶が切れてしまいそうな気迫に満ちる。
「『風圧剣』!!」
 声と共に振るわれた翼から剣のように鋭い一撃が放たれ、プチドラゴンに傷一つ負わす事なく水晶を分断した!分断された水晶からプチドラゴンを出すと、意識がなくぐったりした肩を揺さぶった。
「メガロード様、メガロード様!起きてください!」
 メガロードと呼ばれたプチドラゴンは幾度か咳き込むと、ゆっくり目を開けた。プチドラゴンが驚いたように目の前のその者の名を呼ぶ。
「カマイタチ!」
「しーっ!声がでかいっすよメガロード様!」
 カマイタチという青年は翼を自分の口に当てた。
 その姿を見て今まで風読み師に見下ろされた事の無いメガロードは思う。視界がやけに低い。なんとなく怪訝な顔でカマイタチを見上げていたメガロードの目の前で、茶色いまだら模様の羽毛を漆黒の瞳の押し付けて泣き出した。
「あぁ…やっぱり守り切れなかったんっすね。うぅ…役立たずで申し訳ないっす。うわーーん!!ずびびびびーーーっっ!」
 大粒の涙を惜し気も無く零すカマイタチ。メガロードは涙と鼻水の雨を避けながら、カマイタチの衣の中を探る。そして常備してあるハンカチを取り出して渡すと、カマイタチがしゃっくりを上げながら、差し出されたハンカチで高らかに鼻をかんだ。
「うぅ…すみませんっす」
 涙を目にいっぱい溜めて潤む瞳を見てメガロードはため息をつく。
 しかし気弱なカマイタチにその態度を見られただけでも、さらに落ち込んでしまう気質を思い出しメガロードは急いで笑う。顔が柔らかくなったのか笑顔も楽に作れる事が、場違いながらもメガロードには嬉しかった。
 そこでハタと気付く。
「ここはもしかして奈落か?」
「ずずっ…そうっす」
 カマイタチから視線を外し首をめぐらすと、そこは音を立てて流れる溶岩が川を成す巨大な洞窟だ。
 その溶岩の照り返す赤は、目覚める前に戦った獣人を背後からあやつる紅い竜を連想させる。そう思い至りメガロードはため息をプチドラゴンのような可愛らしい鳴き声でキュピィとついた。
 情けなさ倍増。
 どうやら体が縮んでしまったようである。かざした手の形はそのままなのに、とてつもなく小さくなっている。
「そうか私はマナストーンごとティアマットに取り込まれてしまったのか…」
「みたいっすね」
 ようやく鼻水が止まったカマイタチが子供のように答える。メガロードは気付かれないように笑った。
 世界のマナを管理する知恵のドラゴンにとってマナストーンを死守するのは、当然の責務である。しかし守るべきマナストーンもなく威厳ある姿でもない。カマイタチのあっけらかんとした返答に、その責務から解放されたのではないかと錯覚してしまう。
 だがメガロードを含めた知恵のドラゴンは、マナストーンと知恵のドラゴンの関係を知っている。マナストーンは一種のシンクロ状態で繋がる事によって、初めて管理下に置く事ができる。しかしシンクロできるのは、そのマナストーンと同じ属性の知恵のドラゴンのみである。ティアマットのようにいくつものマナストーンの力を得るには、それぞれの属性の知恵のドラゴンも取り込まねばならない。
 そんな事はあり得ないか…。
 メガロードは自分を現実に引き戻して、割れても自分より大きい水晶に姿を映した。卵から孵ったばかりのプチドラゴンのようだ。
「なんとも情けない格好だな」
「かわいいっすよメガロード様。チョコボひなとタメ張れますっすよ♪」
「嬉しくない!!」
 怒りなのか照れなのか分からないが、青い肌を真っ赤にしてメガロードはカマイタチを怒鳴りつけた。カマイタチはけらけら笑ったが、ふと真面目な顔になって言う。
「でもメガロード様はまだ死んじゃいないんっすよ。だからシャドール達に見つかる前にここを出なくっちゃいけないっすよ」
 殺さずに仮死状態で取り込んでおけば、ティアマットの最終目的である復活の際の負担が軽くなるのだ。そこまで周到に準備されていたのだと、メガロードは自分の甘さを悔いた。
 そして同時に情けなくなる。
 目の前のカマイタチを始め、多くの風読み師が犠牲になったからだ。力のある存在であったはずだからこそ、よけいに情けなく感じる。
「そうだな。一刻も早くティアマットから力を取り戻さなくては」
 ティアマットが復活してしまう。
 奴の考えは独裁に近い世界征服にある。もし復活を許せば、メガロード達の築いた平和が水の泡となってしまう。
 メガロードの瞳に宿った力強い光をカマイタチは眩しそうに見つめていた。しかしそんな主の頼もしい表情は、一瞬にして困惑したようなものになる。
 メガロードは自分が最も、ある意味『最も』信頼する男を思い出したのだ。
「セレスタインはここにはいないのか?」
「いないっすよ。ラルクに殺されたんじゃないっすか?でもあの人って殺しても死ななそうっすよね」
 意識を失う前はまだセレスタインは倒されてはいなかった事を考えると、どうなんだろうとメガロードも首をひねる。だがカマイタチの言う通り死ななそうな男ではある。
「出る方法を探りながらセレスタインさんを探しましょうっす!」
「そうだな」
 カマイタチは歩幅の小さいメガロードを抱えて、奈落を進み始めた。

 丁度その頃、地上に一番近い奈落の第1層に、空色の鎧を着込んだ青年が座り込んでいた。
 息も絶え絶えに苦しそうに肩を上下させる。生気を失った土気色の顔からは汗が流れ、大きく息を吸い込むと苦しそうに体を震わす。しかし青年は壁に寄りかかりながら立ち上がった。空色の瞳は力強く一点を見つめている。
 アイツが死んでいないのは確かだ。急がないと…。そう言おうとして声が出ない唇を引き締めて歯を食いしばる。
 そう思うのには根拠があった。いま自分が生きている事だ。
 今の青年は主の魔力で生きている身であり、その魔力が青年の生命を維持するぎりぎりの分量与えられている。魔力の源である主は生きているのだ。どんな状態かは知らないが…。
 歩く事さえ困難を極め、一歩をなかなか踏み出せないでいると青年は呟いた。
「はぁ〜情けねえ…。アイツに笑われちまう」
 おそらく主は自分が主に魔力を与えられて、生きている事を忘れているだろう。死ななそうな奴としか思っていないに違いない。力はあるのに間が抜けている主を想い、青年に生気が満ちるような笑顔が浮かぶ。
 その時、青年は感じた。
 久しく感じていなかった、懐かしさを。
 その懐かしい感覚は長い間使い物にならなかった、かつての自分の心臓にあたるもの。宝石泥棒が巷の噂になるくらいに打ち上げ花火の火薬にして、空に打ち上げ消滅したはずの…。
 青年は苦々しく笑うとその懐かしさを感じる方向に向かった。
「不本意だが、贅沢は言ってらんねぇな」


□ ■ □ ■


 奈落の一角に風読み師の人口密度がやけに高い場所がある。
 ほんの数日前に起きた事件で殺された風読み師達が集まって、宴会さながらのばか騒ぎをしていた。その中で最も騒がしいのは…
「あっ…メガロード様〜」
「一緒に飲みますか〜?」
「いい肴で酒が進みますよ〜」
 風読み師の中で最もメガロードに長くつかえ、信頼も厚い緑の装束の三人組の姿にメガロードは絶句する。生真面目、主への絶対の忠誠、正義感が鳥人になったような者たちの姿だったのだ。この三元老と呼ばれる者たちは何やら鍋を囲んで晩酌をし、泥酔寸前にまでなっている。
 この姿をセレスタインが見たならば笑い転げてこう言うに違いない。『お前の性格そっくりだ』と。
「やけ酒起こしてるらしいっす……。あっ!でもそれだけメガロード様の事、真剣に考えてたって事っすよ!喧嘩しないで下さいっす〜」
 カマイタチはとっさのフォローで怒りを削がれたメガロードの関心は、風読み師達がつついている鍋に向いた。
「何を食べてるんだ?」
「やっぱ気になるっすか?やっぱ小さくても食いしん…いや、グルメなメガロード様っすね。なんだか嬉しくなっちゃうっすよ」
 それは奈落のマグマのように赤く煮えたぎる液体に、食べ物を付けて食べるようだ。
 串に刺している食材は一口サイズに切り分けられている。食材は火を通したマスクイモ、ハニートマト、ひまわりとうもろこし、シャチなす、ツノガイニンジン等だ。遠くの鍋はなにやら爆発しているが、食材のパンプキンボムをかぼちゃ型爆弾と間違えたのだろう。
 スパイスの利いた香辛料の香りが漂い、メガロードの腹の虫が物欲しそうに鳴く。
 その様子にカマイタチは笑いながら言った。
「あれは『マグマフォンデュ』っつう物っすよ」
 そう言ってカマイタチは三元老達の囲む鍋に、メガロードと共に座る。
 ここが奈落であると忘れてしまうほど、マグマフォンデュは食べるのが楽しい食べ物である。メガロードを取り囲む人々が、ノルン山脈にいる風読み師ばかりである事も否めない。
 徐々に宴は佳境に入り盛り上がり始めた中、メガロードは隣に座るカマイタチの様子に気が付いた。
「カマイタチ、酒はダメなのか?」
 酒を水のように飲むメガロードは、先ほどから一滴も飲んでいないカマイタチに酒を勧める。そのメガロードの口調に酔いは全く感じられない。ドラゴンという特殊な胃袋は、アルコールを瞬く間に消化してしまうからである。
 しかしこれは全てのドラゴンにあてはまる訳ではなく、メガロードが風属性だからアルコールの消化が良いのである。お陰でほろ酔いになる事も無く、酒の味と香りを楽しんでいるだけである。
 だがティアマットは酒が苦手だったのを、メガロードは良く覚えている。
 火炎属性のドラゴンは常に胃に火が入っている状態で、アルコールが入ると胃の炎が良く燃えるのだ。その炎は本体のドラゴンを悪酔いさせ、必ずと言っていいほど二日酔いにもさせる。だがその悪酔いが好きな者もいて、炭酸入りの酒やかぼちゃ型爆弾と一緒に酒を飲んで胃の中で爆発させて楽しむ者までいた。
 ちなみにジャジャラは爆発させて楽しむ派だった。
「はぁ…僕は全く受け付けないんですよ。ドッグピーチジュースをいただきます」
 その態度にメガロードはやりにくさを感じた。宴会に水を差す訳ではないが、周りが酔い始めてテンションが上がる中でそういうタイプがいると、メガロードはちょっぴり酔いが醒めるのだ。
 酒に酔う事のできないメガロードは、周りの雰囲気で酔うからだ。
(ヴァディスは基本的に飲まなかったから、ティアマットと上手く行ったのかもしれん)
 メガロードは考えているうちにすっかり酔いが醒めてしまい、もう一度飲み直し始めた。

 風読み師達が宴を繰り広げている階層よりも浅い所では、また違う宴が終わりつつあった。
 空色の鎧にマントをエプロンように巻き付けた青年は、お腹をさすりながら深呼吸した。嬉しそうに笑うその表情からは、先ほどの苦しみが嘘のように消えている。
「は〜。少し落ち着きました〜。本当に台所を貸してもらって助かりました」
 そう言いつつ空色の頭を下げた先には、一人の植物人がいた。煉獄の主オールボンと呼ばれる賢人もまた、満腹そうな顔で青年に笑顔を向ける。
「私も久しぶりに地上の味を満喫したよ。しかし…作り過ぎではないか」
「あはははは。いや〜大食いの底なし胃袋持ったドラゴンと風読み師の飯作ってたもんですから。これでもいつもの半分以下ですよ〜」
 笑いながら残った食材を小皿に取り分け、洗い物始める姿はドラグーンではなく家政夫である。メガロードに長く仕えたからこそ無意識下の癖は、セレスタインの悩みの種だ。だが体が勝手に動いてしまう。情けない事だが、なかなか直らない。
「風読み師…メガロードの事かな」
 オールボンの言葉に顔に張り付いたような笑顔が振り返った。オールボンの聞いた青年の口調は、真剣そのものになっていた。
「何か知ってるんですかね」
「ティアマットが計画を発動したのでな…。まだ彼は奈落の住人ではないよ」
 オールボンもすでに煉獄の主と呼ばれるに値する威厳ある態度で接していた。奈落の出来事はつねにオールボンの元に集まって来るため、オールボンに知られる事無く物事を進めるなど不可能である。
「分かってます。まだ俺は生きてますから」
 マントを本来の形に背負い直すと、テーブルの脇にある荷物を手に取った。オールボンは問うように語りかけた。
「満身創痍でさらに奥に進むのかね?」
「メガロードを待たせてるんで。アイツ待たせると怒るんですよね〜。この前なんて手ぇ盗られそうになりましたよ」
 愚痴っぽく語らう口調は優しく明るかったが、身支度を調え退出しようとする青年の表情は、オールボンが久しく見ていない表情だった。戦場に向かう者の緊張した表情。
 その表情に全てを察したオールボンは短く言って送り出した。
「頑張りたまえ」
 オールボンに見送られ、友人を救う為に、青年はさらに奈落の奥に続く階段に向かった。
 と、いきなり青年は何かを思い出したように慌てて引き返してきた。
「どうしたのだね?忘れ物か?」
 青年は「そういう訳じゃなくて…」と切り出すと、早口で話し始めた。
「残り物を温める際はマグマの熱気に5分以上さらすと、色も味も悪くなっちゃうんで気をつけてくださいね。できるなら少し水も足して蒸すような感じだと、水分が抜けずにふっくらと温まります。あとお酒などで味を直すとより美味しく……」
 さすがのオールボンも、呆れた。


□ ■ □ ■


 メガロードを含む風読み師達の宴も、酔いつぶれる者が目立ち始め終わりに近付いてきた。寝息が波音のように規則正しく静かに響き始めた時、錆びた男の声が朗々と響いた。
「抜け出してこんな所にいるとはな」
 その忌ま忌ましい声を忘れた者はいない。主を模した赤いドラグーンの鎧をまとった獣人は、片手斧を手に余裕に満ちた表情で立っていた。
「ラルク!!」
 メガロードの前にカマイタチが躍り出た。翼を水平に構えて、ラルクと向かい合う。
「メガロード様はこのまま地上にお帰りっす。さっさと道を開けないと身の為にならないっすよ」
「足、すくんでるぞ」
 ラルクは嘲笑を浮かべて指摘した。その指摘通りカマイタチは、足から全身に震えが広がるのをおさえられない。殺された時の恐怖が胸の奥から沸き上がって来る。目の前の獣人の殺気、体の奥底のに突き刺さる命をもぎ取った一撃、そして死の冷たさ。
(あぁ、僕…)
 カマイタチの脳裏を走馬灯のように記憶が巡る。
 風読み師の採用試験で実技が最も高かったのに、あの人から不合格を言い渡された。一生懸命森を探し回りようやくあの人を見つけて問いただすとあの人はこう言った。
『カマイタチ。虫すら殺せないほど優しい奴がドラグーンなんかになっちゃ駄目だ』
 虫すら殺せないのに風読み師になるなと大人達に言われていた。
 だがあの空色の主の傍に仕え時がくれば守るという事は、子供達の夢だった。誰一人例外はなかった。
『師匠の方が僕より、ず〜っと優しいじゃないっすか』
 大人の風読み師達にはあまり好かれていないその人に、日頃からこっそり技術を学んでいた。いや、あの頃の村の子供達は皆あの人の生徒だった。大人達から疎まれているあの人を先生と大っぴらには呼ぶ事もできなかったし、その人も『呼ぶな』と言っていたが、子供達は『大人には内緒』と楽しい秘密を抱えながら、こういう時だけは師匠と呼んでいた。
『んな事ないぞ。俺は自分の種族すら見殺しに出来る程、冷血なんだぜ』
『珠魅っすか?』
 視線を外し遠くを見つめながらその人は頷いた。
『でも、僕は師匠にいっぱい技術を習って、大人の風読み師にだって負けない体術使いになったっす。メガロード様の役に立ちたいっす』
 ゆっくりとその人が顔を向け視線を合わすと、その人の目に良く知る自分の顔が映る。
『だが戦場を知らん』
『でも…』
『人を刺すと血が出るぞ。人肌の温かさが己の体温を奪って、自分が死んだような気分になる』
『うぅ…』
『アーティファクトを殺すと凄まじい断末魔の叫びを叫ぶ。初めて聞いた時は魂をもぎ取られていかれそうだった』
『あぁ…』
『魔物と戦い続けると自分が狂っていくような気がして恐ろしくなる』
『………』
『殺されないくらいの実力になると、自分が相手を殺しているのを実感する。それは己が魔物なのかと錯覚するほどの衝撃だ』
 もう言葉にもならなかったのを覚えている。だが、足は動かさなかった。
 逃げない為に、動かさなかった。
 それを見てあの人は笑った。だがその笑みは言葉とともになくなっていった。
『じゃあ、これから本気でお前を殺そうとするから、生き延びてみせな』
 本気のあの人は恐ろしかった。
 偽物ではないんじゃないかと思うほど。
 自分を忘れているんじゃないかと思うほど。
 落ちこぼれで意気地なしの自分に、あれほど優しく接してくれたあの人からの試練は『カマイタチ』の魂を凍てつかせた。師匠であるあの人の優しさを知っていたからこそ、なおさらその殺意は冷たかったのだ。
 死んだからから分かるあの冷たさ。
 こんなもんじゃなかったっすよ!あの人の殺意に比べれば、こんな殺気なんて…!
 カマイタチは弱気な自分を奮い立たせた。翼を水平に構えて、主をこんな姿にした者の手下に向かい合う。
 そして言い放った!
「メガロード様を守るのが風読み師の使命っす!!」
「ふっ…。あの槍使いセレスタインならともかく魔法を主に使う風読み師など、俺の敵ではない」
 高速で振るわれた翼から放たれた真空の衝撃波が、余裕の笑みを浮かべていた獣人に襲いかかる。獣人は驚いて一瞬避けるのが遅れ、数本の毛が宙を舞う。
 瞳から恐怖は拭い切れないが、カマイタチが精一杯の笑顔を作って笑った。自分の為の、メガロードの為の笑顔だった。
「風読み師もいろんなタイプがいるっす。僕みたいに格闘技が上手い奴だっているんっすよ」
 カマイタチの瞳は硬い決意をたたえて、視線を離さずメガロードに言った。
「メガロード様!!早く行くっすよ」
 力強いカマイタチの声に後押しされ、メガロードはなれない体で駆け出した。
 どうして良いか分からない。頭の中はパニック状態だ。敵陣のまっただ中で何が出来るか分からなかったが、メガロードは走り続けた。
 カマイタチ一人で、セレスタインとほぼ同等の実力のラルクを相手に出来るとは到底思えない。いかに風読み師で一番、体術に優れていようとカマイタチの技量はセレスタインには及ばない。
(ここは奈落なんだ…。ここで殺されてしまったらシャドールになってしまい、永遠に自我を取り戻せなくなる…。それだけは阻止しなくては……!!)
 メガロードは奥歯を食いしばると駆け出した。視線をせわしなく巡らし、助けを探す。奈落からは見えない空色を、メガロード探した。メガロードの本来あるべき世界の色であり、同時に最も信頼する者の色を…。
 主に対しての忠誠は態度に出る事もなく不誠実で、作るメシはお世辞を述べる事ができても美味しくはないと言ってしまう。減らず口は叩くし、喧嘩どころか殺し合いまで発展する事だってある。まじめで忠義に厚い風読み師などと比べられなかった。
 だが…
 メガロードは信頼していた。
 こんな時だからこそ、必ずいる。いて欲しい。
 赤いマグマの陽炎の向こうに、マグマの照り返しに輝く夕焼け色があった。照り返しから影に入ると、赤と対立するかのような、空色の鎧をまとった青年を見つけメガロードは叫んだ。
「セレスタイン!」
 その声にセレスタインはまるでノルン山脈で会ったかのように笑った。その顔には主の焦りや事態がいかに緊迫しているのか理解していないほど、普段通りの顔。
 そう、オールボンの元で小一時間、料理の温め方を指南していた青年である。
「あ、メガロード。無事だったんだな、ちっさくなっちゃったみたいだけど」
 メガロードはセレスタインを見上げながら、早口で言い放つ。
「カマイタチがラルクと戦っているんだ!一緒に戻ってくれ!!」
「じゃあ急がねえとな!!」
 その言葉にセレスタインはさっとメガロードを抱き上げた。メガロードは、これでカマイタチ達が助かると思いほっとした。
 ………
「どこ行くんだ、この馬鹿!逆方向じゃないか!!」
 奈落の出口に向かって走り出したセレスタインを、メガロードが耳元で怒鳴りつけた。プチドラゴンの高い声帯が頭に響き、意識を保とうと頭を叩きながらセレスタインは答えた。
「早く奈落から出なきゃ。カマイタチ達の為にもね」
 セレスタインの顔はいつもと変わらず、ただ薄情があっけらかんとした口調で語られる。メガロードは頭に血を上らせて滅多に使わない命令口調で、セレスタインに言った。
「戻れ!」
「だ〜め」
「カマイタチ達が危険なんだぞ!!戻るんだ!」
「アイツ等は、お前を守るという使命をこなしただけだ。戻ったら意味ないじゃん」
「オマエを呼んで来ると期待したからかもしれん」
「戦場に偶然はない。そんな事を思う奴はとっくに死んでいる」
 メガロードの命令に答えるセレスタインの表情は、まるで死んでいるかのように無かった。それを見てメガロードは初めて、己を守るという使命を、多くの敵の命を奪って守ってきた者の表情だと悟った。
 メガロードは罪悪感を感じた。
(守られる立場だからこそ、守る立場の者の事を私は何も知らなかったんだろう。だが何故……)
「何故、セレスタインは私を守ってくれる。オマエをそうしてしまったのは私なんだろう?」
 セレスタインは何も答えなかった。だがかすかに戸惑ったような表情が浮かんだのを、メガロードは見逃さない。
「頼む。戻らなくては…。私の為に戦ってくれている者達が殺されてしまう」
 メガロードは言ってて、己が情けなかった。
 体のサイズに関わらず言っていたに違いない、相手の気持ちも考えずに。その命令を完遂する事が結果的に信頼する者の心を傷付けていると、思う事も無く。ただ当たり前の事だと、マナストーンを守る者の特権だと、自惚れていたに違いない。
「何もできないのは分かっている。だが、せめて…」
 セレスタインの足は止まらない。
 メガロードは泣きそうだった。


□ ■ □ ■


 背後で泥酔する仲間を庇いつつ戦っていた、カマイタチは立つのもやっとの状態だった。そのカマイタチにラルクは言った。
「なかなかやるな。風読み師」
 ラルクが笑みを浮かべる。その笑みは先ほどまでの見下した笑みではない。その笑みとは比べ物にはならないが、カマイタチは自分を認めてくれた時のあの人の笑みを思い出した。
『良く耐えたなカマイタチ』
 今までの殺意と表情が氷りのように溶けていく。満足げに笑うその人の表情は今まで見た事もないほど、嬉しそうな笑みを浮かべていた。
『お前はどんな絶望にも立ち向かえる強さがある。俺が保証してやるよ』
 その時そよ風のように柔らかい風と共に、大きな影が舞い降りた。
 一番長く主に仕える者と、将来の主…。それは子供達が夢に見る光景だった。
 目の前まで近付いた空が厳かに言った。
『合格だ』
 認められたのだ
 だから一人前の風読み師として、応えなくちゃならないっす!セレスタインさんとメガロード様の期待に…!!
「まだまだっす…」
「そろそろ終わりだ」
 ラルクの闘気の高まり方を、カマイタチは覚えていた。
「『地閃殺』!!」
 迫りくる生前のカマイタチの命を奪った技に、カマイタチが押さえつけていた恐怖が吹き出た。体が震えて翼を動かす事ができない。眼前に迫った力はもはや視界に映らない。諦めが脳裏を掠めた。
(あぁ…本当に終わりかもしれない)
「『神風』!!」
 カマイタチに迫るラルクの一撃は、強い衝撃波によって相殺された。カマイタチは視界は徐々に現実を映し出し、そこに声の主を見つけた。空色の鎧に風で翻る翼を模したマント、鎧と同じ色の髪の下にあるおちゃらけた顔のすぐ脇にプチドラゴンの姿もあった。
『セレスタイン!!』
 ラルクの忌ま忌ましげな呟きと、カマイタチの嬉々とした声が青年の名を呼んだ。セレスタインは槍をくるりと一回転させると嬉しそうに言う。
「ふふ〜ん♪真打ちは遅れて登場するものさ♪」
 その言葉にムカついたメガロードは、セレスタインのほっぺたを思い切り引っ張った。セレスタインはそのままラルクに向き合って言い放つ。
「ふぉれさまが来たからにふぁ、ふきにはふぁふぇないふぇ!」
「フン…。死に損ないめ…」
 ラルクはカマイタチとの勝負で力を消耗していたのを後悔した。セレスタインが現れた事によりカマイタチも気力を取り戻したようだ。さすがのラルクも二対一では不利である。
 じりっ…と間合いを測るセレスタインの背後、カマイタチの後ろから甲高い酔っ払いの声が響いた。
「セレスタインの馬鹿め!!メガロード様をお守りできんとは情けない奴め!!」
「今こそこらしめ、ドラグーンとしての規律を正さねば!!」
「その通り!今こそメガロード様にした様々な無礼に対する裁きを、我々が下してくれよう!!」
 もはや泥酔の極みといった三元老が立ち上がったのだ。中にはリバースする者もいる。
「うわっ三元老様!無理しないでください!リバースしてリバースしてターンはまずいですっすよ!!」
 カマイタチの制止も振り切り、三元老を中心に強い魔力を伴う風が巻き起こる。セレスタインも慌ててカマイタチの制止に加わる。
「おっさん達こらえて、こらえて!!」
『問答無用!!』
 風は魔力の高まりに七色の輝く。三元老が力を合わせて使う事ができる風読み師の、おそらく風属性最強の攻撃魔法であるとその場の誰もが分かった。
 三元老はその力を解き放った!
『虹風!!』
 七色の風が奈落を吹き抜ける!


□ ■ □ ■


 『虹風』のドサクサにまぎれて奈落から抜け出す事が出来た時、奈落の入り口の墓石には眩しいほどに陽光が降り注いでいた。おそらく三元老の放った『虹風』が暗雲を吹き飛ばしたのだろう。
「カマイタチ達…殺されなければいいが」
「死なないさ。皆、メガロードを信じてるんだからな」
 メガロードはギクリとセレスタインの顔を盗み見た。太陽で逆光になって見えなかったが雰囲気は、少なくとも気まずくはない。
「そうだな。早く魔力を取り戻し、ティアマットの計画を阻止しなくては」
 メガロードは言ってから、泣きそうなほどに思いつめた事も、何も生かされていないと思った。自分は何も変わってないと思ったが、同時に前向きな事も考えた。
(無理してすぐ変わろうとしても無駄だろうな。フォンデュのように包まれて変わったように見えても、中身は変わらない)
 メガロードはセレスタインの名を呼んだ。セレスタインの視線が合わさったのを感じてからメガロードは言った。
「今度会う時は、私自身が成長してドラグーン達を守ろうと思う」
 逆光で顔の見えないセレスタインの雰囲気が、とても優しくなった気がした。
 ノルンのような高く澄んだ空気を通じて、セレスタインの声はメガロードの耳に届いた。
「いいんじゃないの」