ロア特選 ランプドロップ

 煉瓦作りの建物は淡く輝き、静寂がこの町の素顔なのだろう。月明かりが町を静かに照らし続ける。嫌な町だと空色の竜は思う。夜は嫌いでは無かったがこの町の落ち着いた空気は、星の瞬きまで黙らせてしまいそうだ。
 そんな空気の吹きだまりのようにロアの片隅にある酒場は、客はいるけれど静かだった。アナグマのウェイター達も暇なのか、店の端の席で味わいのある歌を歌って過ごしている。
「メガちゃん。お仕事馴れましたか?」
「はい。おかげさまで」
 この酒場を経営するパズル人のマスターは落ち着いた優しい声。この人を前に『メガちゃん』と呼ばれるのも馴れてしまった知恵のドラゴンは、マスターの磨いたグラスを丁寧にカウンターに並べる。
 そのメガロードの姿を見てマスターは何とも楽しそうに耳打ちする。
「今やメガちゃんは『悪魔のぼったくり亭』の看板ドラゴンなんですよ」
 言われてもあまり嬉しくはないメガロードは、曖昧な返事を返す。今までなら即反論していただろうが、メガロードはアルバイトを通じて我慢する所を、わきまえなくてはならない事を学んだ。今はひ弱なプチドラゴン。礼節をわきまえなくては、晩飯の材料にされかねない世界にいるのである。
(情けない…)
 キュピィとため息こぼす背中に、良く知る声が話しかける。
「アルバイトは順調じゃないか〜、メガちゃ〜ん♪」
 メガロードが振り返るとそこには空色の髪に鎧を着込んだ青年が、セイレーンの女性を伴っている。
 セイレーンの女性はいたずらっぽい笑みを浮かべると、メガロードを覗き込んで抱き上げる。なかなかお目に掛かれないプチドラゴンは、豆一族に負けないくらいブルジョアなマダム達に大人気。それを裏付けるかのような外見の愛らしさと小ささに、誰もが抱きたがる。
 ぬいぐるみのように抱きしめてられてもたいして抵抗しないメガロードではあるが、この酒場に勤めるようになって相当訓練した賜物である。最初は暴れて客を傷つけてしまったが、マスターとセレスタインにもの凄くしかられ特訓したのだ。いまでも口を開けば怒鳴り散らすのを、必死で堪えなくてはならない。
 客商売とは酷なものである。
「かっわい〜。この子がセレスタイン君の連れ?」
 嬉しそうに青年に話しかける女性に、うんざりした表情のメガロードの顔が見えないのが幸運といえよう。それを悟られまいと空色の髪の青年セレスタインはにっこり笑って答えた。
「そうなんです。メガちゃんとでも呼んであげて下さい」
 セレスタインはふるふると震えるメガロードの頭を撫でながら、さり気なくメガロードに耳打ちした。
「メガロード、この人は俺の雇い主リュミヌーさんだ」

 今からさかのぼる事、2週間前。
 ロアに到着したメガロードとセレスタインは、こなさなくてはならない重要な事柄に直面していた。
 路銀が尽きたのだ。
『路銀が無きゃ何処にもいけやしないだろ? だからアルバイトしよう!!』
 親切なマスターに部屋を借りる事ができた1人と1匹は、それぞれにアルバイトを始めたのだった。

 『悪魔のぼったくり亭』に女性が入ってきた。わずかに金色がかった髪を腰まで伸ばし、和服のようなゆったりした装束に身を包んでいる。しかし最も目立つのは隠す事無くきらめく胸元の宝石。
 以前はぱったり姿を消していた、珠魅という種族である。
 どうやって生を受けたかなど謎の多い種族で、人間や獣人や植物人と区別されて扱われる。老衰が無い為に不老不死と恐れられ、過去の戦争で迫害された悲劇の種族である。珠魅にとって人間の心臓にあたる宝石は、その美しさから『珠魅の核』として人々に奪われ、珠魅を絶滅に追いやったと噂されていた。
 だが珠魅の特徴はたとえ核だけになっても、核となる宝石に珠魅の涙を注ぐと復活する事である。今では珠魅は涙を取り戻したといわれ、変わり者以外は、さらなる迫害を恐れ人里離れた場所に寄り添って暮らしているという。
 時が珠魅に対する偏見を洗い流したというのに…。
「リュミヌー奇遇。若者同行、密会?」
 ロアの温かい光の月とは違い、極北に浮かぶ月のような冷たい光を宿した瞳がリュミヌーを見据える。メガロードを抱きかかえたまま、リュミヌーは身を硬くする。
「ムーン!!」
 ムーンは冷ややかな笑みを浮かべる。
「先日勝負、完敗」
 自嘲ぎみな切り出しであったが、言葉の内容と違い余裕に満ちた冷徹な雰囲気がみなぎっている。
「そんな事言って油断させる魂胆ね。何度も営業妨害してるくせに。今度の『ランプ・ロア』を決めるコンテストも私がいただくわ!」
 ムーンは鼻で笑い飛ばす。
「冗談?優勝、当然私」
「なんですって〜」
「……文句、有?」
 ムーンは袖口に隠していた短剣に手を掛け、そこでリュミヌーの抱いているメガロードに目を止める。さも意外そうにメガロードを指差しながらリュミヌーに問う。
「人形?……意外、少女趣味?」
「なっ!むぐぐ…」
 セレスタインが前に出ようとしたリュミヌーを制する形で、口を開こうとしたメガロードの口に手を突っ込んで黙らせる。セレスタインを見上げると、真剣な表情をたたえている。
 そこでメガロードは気付く。
 女2人から殺気が吹き出している。
「女らしさの欠片も無い、冷徹非道な珠魅に言われたかないわ」
「リュミヌー、魅力不足。故、男、他所行」
 グゴゴゴゴゴゴ……
「うわー。お二人さん抑えて、抑えて」
 視認できそうなくらいに殺気だつ2人に、さすがのセレスタインが間に割り入って止めようとする。
 その時メガロードの耳にセレスタインとは別の男の声が聞こえた。
『ムーン大人げないぞ。帰ろうぜ』

 リュミヌーに抱きかかえられたままのメガロードの視界は、ムーンの服しか映らなかったが、ムーンはその声の制止に応じたらしい。すっと身を翻すと『悪魔のぼったくり亭』の出口に向かって歩き始める。
「……?」
 ムーンの傍には誰もいない。『悪魔のぼったくり亭』の出口から見える大通りにも人影は無い。
「なぁセレスタイン。今、誰か何かムーンに言わなかったか?」
「あ?誰の声も聞こえなかったぞ」
 メガロードは一体誰が何処からムーンに声を掛けたのか不思議に思ったが、何故か息苦しさがこみ上げてきた。
「あ……ったまにくるわ!!ムーンの奴〜」
「リュミヌーさん!!メガロードの首絞めないで下さい!」


■ □ ■ □


 月明かりが差し込む窓辺に座り込むメガロードは、ぼんやりと町を眺めていた。
 少し前に火を入れた薪ストーブの熱で窓が曇り始めた。種族の違いではあるが、メガロードからみれば相棒はかなり寒がりなので、こうして起こす少し前に部屋を暖めてやるのだ。 外が見えなくなり始めた窓から視線を離すと、ロアの小さなアパートの部屋が薄暗くひろがる。
 夜が最も長い町だけあって気候は寒く、煉瓦作りの室内は気密性と断熱性に優れている。冷え込む時の為にとマスターが貸してくれた1人と1匹には多すぎる毛布とカーペットが部屋の端に積まれている。まだ生活感はないが、よく整理された室内は清潔感があった。これも文句たらたら言いながらも、家事全般をしている相棒の力である。
 メガロードは窓辺から離れると、ベッドで眠る相棒を起こしに行く。
「セレスタイン、起きろよ」
 小さい手のひらとしっぽで、メガロード体重の倍はあるだろう相棒を揺さぶる。
 頭まで毛布をかぶり空色の髪がわずかに覗くだけだったが、毛布がずれて顔が見える。そして目をうっすら開いてメガロードを見たが、すぐ顔を枕に埋めてさらに丸くなる。
「あと5分だけ…」
「いい加減にしろ〜!!」
メガロードは布団をひっぺがした!
 ロアの一日に日が昇る時間は滅多にない。住民の独特な時間感覚に1人と1匹は付いて行けてず、ストレスを抱えてイライラしている。顔を合わせる朝食の時間は耐えきれないくらいギスギスした雰囲気になる。
 そして耐えきれないメガロードは怒鳴る。
「どういう仕事をこなしたらそんなに疲れてしまうのだ?アルバイトなど辞めてしまえ!!」
 メガロードに怒鳴りつけられているセレスタインは、アルバイトと家事を両立して日々を過ごしている。無理をしているのは明白なのだ。本当ならアルバイトの時間が短いメガロードが家事をすべきなんだが、あまりの手際の悪さにセレスタインは一切家事をさせない。
 セレスタインは寝癖を直しながら、獣肉とクジラトマトのスープをすすっていたが、メガロードの剣幕に視線だけ上げておちゃらけた口調で言った。
「おいおい、生活を支える俺の身になってくれよ〜。路銀が無きゃ何処にもいけやしないだろ?」
「だが仕事に行くたびに傷が増えて、疲れ果てて寝坊はするはでは…」
 セレスタインには珍しく手傷を負って帰ってくるのを見て、メガロードは心配しているのだが…
「ハードなんだよ」
 メガロード言葉を遮って、セレスタインはぽつりと言った。
 セレスタインは黙々とクラウンガーリックを混ぜ込んだパンを食べ始め、それから朝食の会話は途絶えた。
「行って来るな」
 見なれた鎧とマントを着込んだセレスタインは、何事も無かったかのように言った。
「あぁ、いってらしゃい」
 メガロードもいつものように送り出した。
 ………
 キュピィとため息をこぼすと、さらに深いため息を付く。
(何であんな言い方しか出来ないんだ、私は。あれではセレスタインさらに疲れさせるだけじゃないか)
 頭では分かっているのだが、セレスタインを前にして気づかう言葉を口にできない。
 メガロードの経験上『何事も無かったかのような』態度のセレスタインはかなり不機嫌なのだ。今までキレた事の無いセレスタインだが、不機嫌な時は時で恐いのだ。それを考えただけで憂鬱になる。
 メガロードは玄関の扉に寄りかかりながら、元気がなさそうに呟いた。
「仕事の時間だな…」
 気分転換にもなるだろうと思いつつ、憂鬱になるこの町の静寂は好きにはなれない。小さいリュックサックを背負って、メガロードはとぼとぼと玄関に向かった。

 傾斜のきついロアの階段はプチドラゴンサイズのメガロードには、移動するだけで重労働である。ロアの町はどこもかしこにも階段があり、その段差はメガロードの足の長さよりか若干高い。 飛べば良いと思うだろうが、溜まったストレスせいで上手く魔法の制御もできず、からだを浮かせる方が疲れてしまう程だった。
 『悪魔のぼったくり亭』に続く『半月の路地』出るまでに、メガロードは汗だくになってしまう。
「はぁはぁ…ようやく下りだ…」
 階段を上り切り『悪魔のぼったくり亭』まで下りだけになった。上がる息を整える事無くメガロードは階段を下り始める。足の長さが足りないため、メガロードのとって下りの方が危険なのだ。毎日1回は必ずここで転がり落ちる。
 慎重に、慎重に階段を下りて行く。
 だが疲れた体に集中力は持続しない。数段下りた所でメガロードは足を踏み外し、頭から階段を落ちて行く。
「うわぁぁぁ!!」
 メガロードが悲鳴を上げる。
 しかし石畳の階段に頭をぶつけているからではない。プチドラゴンもそれなりに硬い鱗に覆われていて石畳に頭をぶつけてもさほど痛みはない。それ以上の危険がそこにあった。
 鞘に収まっていない、刃むき出しの短剣が転がっているのだ!
 短剣の上に差し掛かる直前、メガロードは素早く手を突き出して頭を庇う。短剣の刃が爪に絡み付くがメガロードは落下の事などよりも、短剣の刃が体に向かないよう意識しながら、止まるのを待つ。
 メガロードは傷一つなく階段の下で止まった。爪に引っかかっている短剣が軽い音を立てて落ちるのを、メガロードは呆然と見つめる。
 助かった事を実感すると、怒りがこみ上げて来る。とっさに短剣を拾い上げ、周りに誰もいないにも関わらず怒鳴った。
「誰だこんな所に短剣捨ててる奴はぁ!!危うく頭に刺さる所だったぞ!!」
『うんうん、可愛いプチドラゴン殺しちゃったら、俺様だって罪悪感感じちゃうよ♪』
 男の声。
 間髪入れずムーンに帰ろうと言った、あの声がメガロードの耳を打つ。
 メガロードは急いで辺りを見回した。上には先ほど下ってきた階段がある。両脇の建物にはいくつもの窓があったが、どの窓もしっかり閉ざされている。横はメガロードよりわずかに広い隙間が続き、月明かりが届かないため数メートルは真っ暗である。
「何処にいるんだ!隠れてないで出てこい!!」
『おぉ!あんたも俺様の声が聞こえるんだな♪』
 会話が噛み合ない。
 怒りが削がれたメガロードは落ち着いて、再度視線を巡らす。
「………どこだ?」
『何言ってんだよ!あんたの目の前、俺様を握ってんだろ〜』
 メガロードが握っている物は短剣1本だけである。
 しげしげと短剣を見れば立派なホークアイという宝石が付いている。その鷲の眼球のような宝石は、メガロードを見つめているような気がする。メガロードには大きすぎる短剣を握り直すと、慎重に短剣に話しかけた。
「……短剣があるんだが」
『そう!俺様、短剣なの。正確には短剣の宝石なんだけどな』
「…!珠魅なのか!?」
 珠魅狩りが行なわれた当時、珠魅の核を用いた装飾品というのが出回っていた。この短剣の宝石も、殺された珠魅の核が装着されている物なのかとメガロードは思った。
『あ、違う違う。珠魅じゃないよ。”なり損ない”って言えば分かるかな?』
「はぁ…。捨てられたのか?」
 メガロードは珠魅の事情に疎い。どこがどう『なり損ない』か、喋る短剣にくっついた宝石が珠魅とどう違うのか、よく分からない。
 だが”そんな事はどうでもいいのよ”と短剣は続ける。
『今回の手合いがすんごい強くてさ〜、油断してふっ飛ばされちゃったの♪ねえねえ、近くに同じ短剣がもう一本転がってるんじゃないかと思うのよ。探してくれよ〜』
 その時、少し地面が震えた。


■ □ ■ □


 目の前の地面にクレーターが出来た。
 セレスタインは青くなりながら、クレーターを作った人物と間合いを測る。体から立ち上るオーラは殺気を帯び、月影に隠れた路地に浮かぶ白い肌と金の瞳は見る者も背筋を凍てつかせる。その悪鬼の如き人物の視線は青年の後ろ、セイレーンの女性に据えられていた。
 冷たい風が雲を流す。
 月が雲に隠れ、世界の色が暗くなる。
 白が暗闇を引き裂いて、華麗で無駄の無い動きで空色に迫る。空色は再び現れた月明かりを引っぱり、美しき弧を描いて、白の抜き放つ刃を受け流す。刃は大きく描かれた弧をかいくぐり、後ろに隠れる花を間合いにおさめる。
 弧が引き戻され、花に迫る刃を遮る。
 生き物の動きが生み出す風が、空気を軽やかに押す。月明かりを受け、花が空中に美しく咲き誇った。
 白と空色が距離を置く。
「ムーンさん堪えて、頭冷やして!」
 リュミヌーが空を飛んだのを見たセレスタインは、情けない悲鳴を上げる。接近戦が得意なムーンにセレスタインが得手する槍のリーチの長さは、圧倒的に不利である。ムーンの『背面取り』を防ぐので手一杯である。だが…
(怒りで我を忘れてるのか?戦い方が全く違うぞ?)
 表情に出す事無く内心首を傾げるセレスタインは、目の前で短剣を構えるムーンを見据える。セレスタインが2週間の間何度も戦った女性は、怒りに満ちた声で叫ぶ。
「問答無用!!」
「リュミヌーさん、逃げよう!」
 セレスタインは空中のリュミヌーを捕まえると、屋根伝いにロアの町を駆け出した。月明かりに照らされて明るい屋根から覗く石畳は、月影で底なしの穴のような闇をたたえている。


■ □ ■ □


 もう一本は階段の下の細い隙間に落ちていた。それを見つける苦労は今までに経験した事の無いものだった。傍若無人でなれなれしい短剣は、メガロードの傍らで2本並んでとても満足そうに言う。
『うむ、完璧♪』
「2本揃うと何か変わるのか?」
 また置き去りにしても騒ぎそうなので、鞘の代わりに巻く布をリュックから取り出しながら短剣を見る。
『いや、短剣って2本で1セットだからさ。それに俺ってそれぞれの宝石の共鳴で、意識ができてるんだわ』
 セレスタインも珠魅のはずなのだが、自分の事や珠魅の事に全く触れない。そのためメガロードは『核』と呼ばれる宝石が砕けたり体から外れると、珠魅は死ぬという事くらいしか知識が無い。
 聞き返しても訳が分からなくなるだけだろうと思い、メガロードはそれ以上訊く事は諦めた。
「何が何だかさっぱり分からん…。私はメガロード、お前はどう呼べばいいんだ」
『メガロード!?ご大層で似合わねーな!!』
「捨てて行こうか?」
『あぁ嘘だって!俺様の事はホークアイと呼んでくれ!』
 短剣の名前を聞いたメガロードは乱暴に布を巻き始めた。

 もはや遅刻どころの時間帯ではない。メガロードが働く時間帯を半分も過ぎているのだ。それでも真面目なメガロードは行く。店内は落ち着いた変わらぬ様子だったが、若干客が多いような気がした。メガロードは人目をはばからずマスターに頭を下げる。
「本当にすみません」
 マスターに謝るメガロードの鼻先に、突如ランプが突き付けられる。
 とても小さいランプだったが、中にはビー玉サイズの玉がいくつも入っていて1つ1つは光っている。花を象ったガラスは柔らかく光をあたりに投げかけ、光の向こう側でマスターがランプから延びる取っ手を握っている。
「月明かりがあるとはいえ、月影は暗いですからね」
「?」
 メガロードが渡されたランプの取っ手を握ると、ランプの大きさも重さも丁度良い。
『ロア名物ランプドロップだよ。食べれるが、子供達にはこうしてガラスに入れて、ランプとして携帯させているんだ』
 リュックサックからホークアイが補足を入れる。
「メガロードちゃんはいつも擦り傷作って仕事に来ますからね。まだまだロアの暗さに馴れていないと思いまして、メガロードちゃん用のサイズをお客さん達と特注していたんですよ」
「………!」
 メガロードは気にはならなかったが、階段から落ちた時できた擦り傷は、他から見ればかなり痛々しかった。『悪魔のぼったくり亭』の客達は、そんな傷だらけでも真面目に働くメガロードの為に、特注ランプのお金を出し合ったのだ。
 メガロードは店内にいる客の視線に気付く。見回せば皆、メガロードが1回は接した事のある人ばかりだ。
「メガちゃんが転がり込んで来て、お客も増えましたからね。これはサービスですよ」
(生まれて初めてのプレゼントかもしれない…)
 言葉の出ないメガロードに背後から、おちゃらけた声が背中を押す。
『良かったなメガロード♪ほら、皆に礼を言えよ♪』
「…ありがとうございます」
 メガロードはランプの光越しに見える、マスターとお客さんを眩しそうに見渡して頭を下げた。
 しかしそんな感動を打ち壊す騒音が、酒場に転がり込むようにやってきた。

「リュミヌー!!私所有短剣、隠蔽工作!」
「言いがかり付けんじゃないわよ!あれは事故だったのよ!第一、人の作品制作の邪魔をするからその正当防衛対策に、用心棒雇っただけじゃない!」
「ムーンさん、とにかく短剣をぶっ飛ばしちゃったのは、俺なんですから。一緒に探しますから喧嘩するは後回しにましょうよ」
 最後の言葉に女性2がセレスタインをにらみ付ける。わずかにたじろぐセレスタインに、ムーンとリュミヌーはすごみを利かせて言い放つ。
「こんな女に優しくする事無いわセレスタイン君!」
「男!沈黙!!」
 セレスタインは黙り込んだ。
 酒場に集う者たちの呆れた視線の集めながら、ムーンとリュミヌーは果てしなく罵詈雑言を捲し立てる。メガロードの背負っているのリュックサックからも呆れの声が漏れる。
『あの状態のムーンは俺様でも止められないな〜』
 「知り合いなのかと」訊きたくてもホークアイの声は、メガロード以外には聞こえない。メガロードがリュックサックに目をやると、後ろで静観していたマスターがウェイターのアナグマ2匹に声をかけていた。
「やれやれ、いつもこうだから困ってしまいますね。あなさん、グマさん、例の物を」
「ぐまぐ〜ま!!」
 カウンターの奥に消えて行くアナグマ達を見送り、マスターはメガロードに声をかける。
「メガちゃん。とりあえず、あの2人を止めて下さい」
 そう言い残しマスターもカウンターの奥に消える。
 空色の皮膚をさらに青くしてメガロードは呆然と喧嘩を見つめる。女性達は罵詈雑言では事足りず、拳で語りあい、空間が殺気で陽炎のように揺らめいて見える。そんな異様な空間は、誰もが本能的に近付く事は出来ないと悟らせる。
 冷静にホークアイが感想を述べた。
『やばいな、自殺しに行くようなもんだな』
「それくらい分かる!」
『もし良かったら。俺様が代わりに止めてやろうか?』
 ホークアイが何を言い出すのかメガロードには分からなかったが、さらにはやし立てるように言葉を続ける。
『ほらほら、俺様を取り出して』
 ホークアイに言われるがままにリュックサックから布に包んだ短剣を取り出す。すると勝手のメガロードの手が、素早い手つきで布をほどき出した。
「どどどどうなってるんだ!?」
 驚くメガロードを他所に、勝手に動く手はプチラゴンには大きすぎる短剣をしっかりと握る。そこで少し疲れたようなホークアイの声がメガロードの耳に届く。
『メガロードって、ホントに動きずらい体してるな〜。動かすの大変だよ〜』
「うるさい!」
 真っ赤になりながら小声でホークアイに怒鳴る。
 どうやらホークアイは短剣の持ち主の体を操る事ができるらしい。メガロードの魔力や精霊の力を借りるという能力を除けば、プチドラゴンの身体能力は人間の1歳児に到達するかというくらい。体を借りておきながら、ホークアイは愚痴る。
「そんなに動かしづらいと言うのなら、セレスタインの体でも使えばいいだろう!」
『俺様の声が聞こえない奴になんて言えばいいのさ〜』
 明るい口調で言う台詞にメガロードは、ホークアイが今まで体を勝手に操る事ができる能力を使って気味悪がれたのだろうと思う。ホークアイは意志の疎通が出来ない事の苦しさを痛感しているに違いない。
 そう思うメガロードの意志とは別に手は素早く印を結ぶ。メガロードの体がわずかに魔力の流れを汲む。久々に感じる魔力を帯びる風はメガロードを中心にそよ風のような強さで回り始める。
 鋭いホークアイの言葉が力を解き放つ!
『雷神の術!!』
 瞬時に風が強風に転じ、光を帯びて電撃に変わり喧嘩の中心を打ち据える!
 電撃の轟音が過ぎ去り酒場は水を打ったような静けさに包まれる。人々の視線の先にはやけに黒っぽくなった落雷地点を見つめている。
「ホークアイ、やりすぎだ…」
 喧嘩の中心からは煙がでている。そこにいただろうムーンやリュミヌー、セレスタインはぴくりとも動かない。
『もしかしてメガロードって風属性か?しびれさせる程度に手加減したはずなのに、砂漠の英雄すら出した事のないくらいもの凄い威力になってるんだが〜。万事OKってか?あはははは』
 ホークアイの笑い声をメガロードは青くなって聞く。まさか感電死してしまったか?
「まだまだぁ!勝負はこれからよ〜!!」
「否、敗北!」
 喧嘩の最中と変わらぬ元気さで煤けた2人が立ち上がる。真っ黒になりながらも第2ラウンドと構えるムーンとリュミヌーの間に、ウェイターのアナグマ達が割り込んだ。
「ぐまぐ〜ま!!」
「そこまでです」
 響き渡るマスターの声に、酒場の誰もが振り向いた。マスターは羊皮紙の書かれた書類を手に、ムーンとリュミヌーの前に立った。
「この誓約書は知っていますね?ロアに暮らす住人が、等しく従わなくてはならない決まり事が書かれています。ここには『生活を乱す者は町から追放す』と書かれています。喧嘩を続けるなら出て行ってもらいますよ?」
 ムーンとリュミヌーが顔を見合わせ互いに、ぷいっとそっぽを向いた。


■ □ ■ □


「ホークアイ返品」
 メガロードの目の前にムーンの真っ白い手が差し出され、メガロードがホークアイを渡す。メガロードに渡されながらホークアイはムーンに言う。
『ムーン、俺は物じゃないよ〜』
「貴方、私、置去。言訳、有?不甲斐無、騎士…」
 そう言って無表情に腕を組む。ホークアイにぴったりの短剣の鞘に納める姿をみて、メガロードはムーンがホークアイの持ち主だと分かった。
「今の持ち主はお前の声が聞こえる人なんだな」
『外見はああでも、根は寂しがりやさんさ♪』
 ホークアイが茶目っ気たっぷりに言ってみせると、ムーンのにらみ付ける目線をメガロードは痛く感じる。
 そこでメガロードはホークアイとムーンは、固い絆で結ばれているんだなと察した。それルどまでの絆ならば短剣である事は、苦にはならないのだろうかと疑問が頭をもたげる。
「そこまで意志があるなら、人型にでもなれそうだがな」
 メガロードがふっかけると、ホークアイのまじめな声が帰ってきた。
『贈り物には送り主と貰い手の意志が宿るのよ。だからこの形に意味がある。『俺様』が生まれる程の意味がね…』
 ホークアイも短剣であるにも関わらずムーンを守ろうとする気持ちは、珠魅の誰もが持ち合わせていない強さなんだろう。単に生まれた時から短剣であったからかもしれないが…。
「ホークアイも誰かから誰かへ送られた物なのか?」
『まあね。まぁ、俺様が贈れるものは想いだけ。まっすぐで誤解されやすい愛しき者へ…』
「ホークアイ!!」
 間髪入れぬムーンの声に、また間髪入れぬ即答でホークアイが答えた。
『何でも無いで〜す。一生付いて行きますよ〜、ムーン姫♪』
 メガロードの目には、ムーンの白い顔がわずかに赤みを帯びて映った。


■ □ ■ □


「それとセレスタインさんにも一言」
「…?何でしょうか?」
 ようやく意識を取り戻したセレスタインはマスターに呼び止められた。煤けた体を払う手をを止めて、なんとも間の抜けた顔を向ける。気を失っていて何が起きたか分からないが、どうやら事態は丸く収まったらしい。
 そんなセレスタインをにこやかに見つめると、マスターは一言、言い残してセレスタインの傍から離れた。
「……」
 セレスタインが呆然とメガロードを見つめると、メガロードは首を傾げて歩み寄る。重たげな短剣は無く、花を模したランプが優しく足下を照らす。
「どうかしたのか?」
 下から見上げるメガロードに、セレスタインは口ごもる。なかなかとれない顔の煤を擦りながらセレスタインは言った。
「いや、その…マスターってすごい人だな」
「そうだな。あの2人が縮こまってるよ」
 メガロードとセレスタインの視線の先には、ムーンとリュミヌーが並んでマスターに説教されている。その姿は先ほどまでの喧嘩のとげとげしさもなく、借りてきたきた猫のように縮こまっている。
 その様子を見てセレスタインはふぅと息をつく。
「あの様子じゃあ、もう用心棒は必要ないかもな。給料入ったらなんかうまいモン作ってやるよ」
「…!?いきなりどうしたんだ?」
 びくり、とメガロードのしっぽが驚いたように動く。
 見上げる視界にセレスタインの表情は伺えないが、気恥ずかしそうな声が聞こえてきた。
「いいじゃないか別に」
 マスターは優しい笑みを浮かべながらセレスタインに言った。
『あんまりメガロード君に八つ当たりしないように。彼は君が考えている意上に繊細ですよ』
(イライラしてたからなぁ…)
 メガロードを見てにやりと笑みを浮かべるセレスタインの顔色に、小さいプチドラゴンは首を傾げる。ロアの月明かりは白く、気温は寒いのに皆の顔はやけに赤いなとメガロードは疑問に思う。
(さっきまで動いてたからかな…?)
 月明かりが町を、人々を、静かに照らし続ける。