リュオン街道 絶品街道弁当

 リュオン街道はいくつもの関所がある長い街道だ。
 道中迷う所もなく初心者も油断しなければ行き交いできる。しかし盗賊の被害も後を絶たないので、腕の立つ者は護衛を兼ねて街道を行く。恐ろしいのは魔物ではなく盗賊達だ。人の行き交いが激しい街道だからこそ、魔物が近寄る事の方が稀だ。
 そしてもちろんメガロードとセレスタインは路銀を得る為に護衛をする事になった。
「いやぁ、お強いねぇセレスタイン君。うちのジェンティアなんか、ここんとこボーッとしちゃって役にも立たねぇよ」
「そんなことありませんよ、団長さん。ジェンティアさん、凄い魔法楽器の使い手ですよ」
「またまた」
 そんな会話をしながらリュオンを進むのは、4台の馬車で世界を巡る劇団だ。馬車だからこそ、盗賊達は甘い物に集る蟻のように群がってくるのだ。世界を巡っているのでかなりの腕を持っている劇団員達だが、盗賊がひっきりなしに現れる地域だけは、護衛を雇うのだそうだ。
 リュオンに入って今日で1週間。メガロードは盗賊に襲われた回数を、4日前の50まで数えて止めた。
 お茶の入ったカップを持ちながら、メガロードはぼんやりと空色の尻尾を右へ左へ揺らして行く。
「暇そうだな、メガロード」
 馬車の中にセレスタインが乗り込んで来た。鮮やかな空色の髪から屈託のない笑みが覗く。メガロードに話しかける前に、同乗者の劇団員に挨拶も忘れない。
「ずっと馬車に揺られてるからな」
 メガロードは苦笑した。劇団の人たちは皆優しいが、ただ座りっぱなしも退屈なのだ。
「そう言えばジェンティアって人は?」
「ん、後ろの馬車に乗ってる。護衛が一塊になるのは好ましくねぇからな〜」
 そう言ってセレスタインは同乗者の差し出してくれたお茶を啜った。差出した人、舞台設置をしているロウエイは笑って言う。
「あんたが居て大助かりさ。いつもは盗賊が出るごとに、いちいち足留めだったからな」
 そう言ってロウエイは大声で笑う。彼も舞台設置で鍛えたのか筋肉隆々の出で立ちであるが、2日前に足をひねってしまったのだ。こうやって日がなメガロードと喋って過ごしている。
「ジェンティアさん、良い魔法使いですよ。良い音楽を奏でる奴は、精霊に好かれますからね」
「そういう事はジェンティアの前で言ってやんな。あのお調子者なら1晩中楽器弾いてくれるぞ」
「あははは〜。そうなんですか〜」
 メガロードはただ会話を聞いている。実はメガロード、ジェンティアと話した事がない。盗賊襲来中には肩を並べて戦うセレスタインも、彼に声をかけられる事は無いらしい。
 食事の席で一緒になるので、黒髪で青紫色の眠たそうな顔の青年であるのは知っていた。ただ、気になるのだ…とメガロードは彼を思い出す。いつも怒ったような雰囲気をこちらに向けて来る。
 ガタンッ…!
 馬車が止まる。
「そろそろ野宿の準備をしよう」
 団長の声が赤く染まり始めた空に響いた。

 夕食の時間は団員達が全て顔を合わす。メガロードとセレスタインを合わせた13人は、たき火を囲んで語らい合う。すっかり団員達になじんだ2人に、誰彼問わず話しかけて来る。
 1人、ジェンティアを除いては…。
 メガロードはセレスタインに囁いた。
「ちょっとジェンティアと話しをして来ても良いか?」
「いってらっしゃ〜い♪」
 笑いながらセレスタインは手を軽く振った。ジェンティアという青年が、害を及ぼす奴では無いと信じたいが、念には念を入れたいメガロードだ。断っておけば、セレスタインも目を光らせてはくれる。
 お前は人を信じ易いんだよな〜と、世の中を知るセレスタインは言う。
 メガロードはジェンティアはなぜ怒りを含んだ視線を向けるのか、ただ知りたかった。知恵のドラゴンの中では、ずば抜けて強い好気心もあっての事なのだが。
 ジェンティアはリュートを片手に落ち着いた曲を奏でていた。メガロードが隣に座っても、リュートを弾く手は止めず眠たげな瞳がメガロードを見ているだけ。メガロードはしっぽをパタパタしながら、ただジェンティアの隣に座っている。ジェンティアもまた、メガロードを気にすること無く曲を奏で続けた。
 最初はその2人を皆が見ていたが、また隣の者と言葉を交わしはじめた。
 メガロードはジェンティアが席を外すまで、一言も話す事無く座っていた。そして思った。
(セレスタインに似てるな)
と。
 メガロードはその者のまとう空気で、相手の性格や気質を知る事が出来る。だがメガロードだけではなく、相手を知ろうとすればそれくらいは誰でも出来るだろう。メガロードがジェンティアから感じたのは、セレスタインに似た雰囲気だった。
「どうだったよ?」
「おまえに似てる」
 は?と口を開けて見つめるセレスタインだが、メガロードが意地の悪い笑みを浮かべて続けた。
「良い人なんだろうけど自分の事は隠している感じ」
 おまえもそうだろ?、と振るとセレスタインは困ったように笑った。


□ ■ □ ■


 それからメガロードはジェンティアに引っ付いていた。ジェンティアも根負けしたのか、話し出すと明るい気さくな青年であった。
「全く、おチビさんにはかなわないぜ」
「おチビさんじゃない!メガロードって名前があるんだ」
「そりゃ悪かったな。おチビさん」
「……」
 これほどまでに会話するようになっても、ジェンティアはセレスタインと会話する事は無かった。それどころかジェンティアは、セレスタインを避ける。
 理由をセレスタインに聞いても、分からないな〜と返された。セレスタイン自身、自分に感心の無い相手には無頓着なところがある。セレスタインがこれ以上の答えを返す事は無いだろう。
 ならばジェンティアに聞くしかあるまいと、メガロードはジェンティアに声をかけた。
「どうしてセレスタインを避けるんだ?」
「単刀直入だな」
 困ったように笑うと、ジェンティアはメガロードの耳に囁いた。あいつ、珠魅のセレスタインだろ?と。
「俺の家系は珠魅狩りの家系でな。あいつの事は有名なんだ」
「狩ろうとしてるのか?」
 メガロードが驚く前に、牙を剥いた。その反応にジェンティアは力なく笑う。リュートをつま弾くと奇麗な音色が零れて消える。
「確かに俺の家系は珠魅狩りだから、俺もそれなりの腕がある。だがちょっと前まで珠魅は全滅寸前だったからな、珠魅狩りって職業自体失われつつあった」
 ジェンティアがため息をつく。ため息と共に零れたのは最初から感じていた怒り。
「だが、珠魅は復活したらしいじゃないか。こうやって楽しい劇団員生活を終えて、珠魅狩りをしなくてはならない」
 いやだね…と小さく呟いた。
「なら、そんな事しなければいい」
 メガロードの言葉に目を剥いて見つめるジェンティアだったが、何も言わなくなった。

「そりゃ、いろんな事情があるんじゃねぇの?」
 相談した相手が悪かったと、メガロードはため息をついた。セレスタインはジェンティアに怒りも同情も滲ませる事無く、ただ淡々と感想を言っただけだった。うなだれるメガロードにセレスタインは苦笑した。
「メガロード、珠魅の核ってどれくらいの値段がすると思う?」
 知るか、と答えてセレスタインを見ると、彼には珍しい表情を浮かべていた。すこし真剣な表情に悲しみを押し隠した表情だ。
「ひ孫の代まで遊んでくらせる」
 セレスタインはたき火の中に木を折り放り込んだ。
「そうなると、自然に名家になって行く。名家になると珠魅狩りを束ねて組織的になって行った。やがて伝統なんかになって行く。名家は血を絶やす事無く存続させる事に意義を求め始める」
 たき火の火がパキリと音を立てた。セレスタインがたき火を突つく。
「珠魅狩りは珠魅に殺されるか、珠魅狩りを束ねる名家になるか、そのどちらかにしか選択肢は無い」
「そんな事無い。今は昔と違うんだ」
 メガロードの即答にセレスタインがうっすらと笑みを浮かべた。
「そうだな……」
 遥か遠くに城が見える。この劇団の次ぎなる公演地である、ヘリオトロープ家が治める関所である。


□ ■ □ ■


 長い長いリュオン街道にはかつて関所が設けられていて、その地を預かる領主が管理していた。今では関所に意味合いは無く、旅人達が自由に往来する事ができる。関所は宿場町に変わり大都市には無い情報や物資が、旅人達の間で通貨のように流れている。
「悪いなセレスタイン君。本当はここでお別れのはずだったのに」
「いいんですよ団長さん。暇人なんですから、こき使ってお給料に色付けて下さいよ〜」
「ははは、飯代くらいなら付けてやらんでも無いぞ」
「やった〜♪団長さん男前!」
「あ、団長ずるい!」
 セレスタインの隣で聞いていたロウエイが言うと、その場にいた全員が笑い出した。
 ロウエイと舞台設置するセレスタインの手は全く止まっていない。汚れるからと、団員の1人が貸してくれた作業着を着ている。
 町の片隅にある朽ちかけた舞台は、舞台半分近くが木に覆われ、床の煉瓦は凹凸が多く役者の歩行も困難だ。そんなこんなで舞台設置は大仕事になったので、セレスタインが手伝うに至ったのである。今回はこの地に残る伝説の劇をすることになったそうだ。ヘリオトロープ家の初代当主とモーブという女性の悲恋の物語だ。
 セレスタインも劇までは手伝う気にはならなかったので、この舞台設置が終わり次第、ここを発とうと考えていた。
「ちょっと!勝手に入らないでくんない!?」
 町の方へ続く道の方で女性団員の声が響く。荒々しい雰囲気が舞台の方へ近付いて来る。
「何の用ですか?」
 団長の声が響き渡る。舞台の裏から見れば鎧を着た男達の姿がある。

「一体どういう事なんですか!?」
 もう太陽が沈んでしまった時間だというのに、メガロードの怒鳴り声が団員の耳を打ち付ける。団長が申し訳なさそうに頭を下げた。
「済まないメガロード君…。セレスタイン君は我々の為に捕まったも同然だ」
 メガロードがジェンティアと小道具を買い付けて戻って来た所、セレスタインがヘリオトロープの兵士に逮捕されてしまったというのだ。 しかも理由が『食い逃げ、住宅不法侵入、名誉毀損、暴力、窃盗、脱走』。挙げ句の果てに『ヘリオトロープ家の家宝泥棒』と来たものだから、メガロードは震えて声も出なかった。
「兵士どもの話じゃぁ、昨日城に青い髪の男が忍び入ったらしい。その男がセレスタインだというんだ」
「そんな!セレスタインはずっと私と居た!」
 ロウエイも分かっていると頷く。
「俺達もそう説明した。確かに昨日からこの町にはいるが、この男はずっと一緒だったと…でもよ」
 ロウエイが唇を噛み締めてうつむいた。その様子を見兼ねて団長が言葉を続けた。
「騒ぎが大きくなれば、ここで芝居ができなくなるだろう…そう言って、連れて行かれてしまった。我々は彼の潔白を証明できるものが何も無い。本当に、済まない」
 メガロードが駆け出そうとするのをジェンティアは遮った。
「どこにいくんだ?」
「領主の所だ」
 メガロードがきっぱりと言う。
 ジェンティアはこの小さい体の何処からこれほどの威圧感を感じるのか分からなかった。敵でなければ殺されてしまいそうな、殺気と威圧がジェンティアの体に突き刺さる勢いで迫る。
「今は領主はいない。前当主は数年前に亡くなられ、新しい当主となるべき息子はまだ戻って来ていない」
「それにヘリオトロープ家は、ファ・ディール最大級の珠魅狩りの一族なんだ。セレスタインが酷い目に会ってなければいいが…」
 メガロードが駆け出した。
「あ、おい!メガロード!」
 さすがに小さいプチドラゴンの歩幅では、ロウエイにすぐ追い付かれてしまう。メガロードを軽々と持ち上げると、にやりと白い歯を見せて笑った。
「意外に男じゃねぇかメガロード。だがよ一人じゃ出来ない事だってあるだろう?」
 メガロードはロウエイの幅広い肩に乗せられて城を目指す。だんだん頭が冷えて来たメガロードは、申し訳なさそうにロウエイに頭を下げる。
「済まない…。カッとなってしまって…。ロウエイさんにまで迷惑かけるつもりは…」
「いいんだよ。セレスタインの事は皆が気にしてる」
 ロウエイの優しい声にメガロードは恥ずかしい気持ちでいっぱいになる。城が見えて来ると、入り口の前に2人の衛兵が見えた。メガロードを草木の影に潜むよう言い付けると、ロウエイは自信っぷりにウインクする。
「なぁに、任せな」
 素早かった。ロウエイは2人に話しかけ、近付いて来た所に同時に手刀を入れたのだ。声を上げる事無く沈む衛兵を横目に、メガロードはロウエイの肩に飛び乗った。
 ロウエイはふふんと笑ってみせると、どんな嗅覚があるのか地下への道を探り当てる。
「もうすぐ地下牢って感じ…って、うわぁ!」
 ロウエイがそう言ったのは、入り口から入ってだいぶ奥へ進んだ時だった。しかしそんな時こそ油断するもの、ばったりと衛兵に遭遇してしまった。ロウエイがみぞおちに1発入れようとするが、衛兵の口が開く方が早い!
 その衛兵は膝から崩れ落ちた。
「……!?」
 衛兵の肩にメガロードがしがみついている。
「あ、ロウエイさん大丈夫?」
 呆然とするロウエイに、メガロードが衛兵の首筋に手をやって脈を確認しながら独り言のように言う。
「一瞬だけ、この人の空気の流れを止めたんだ。脳に酸素が行き届かないせいで気を失ったんだよ」
 平然と言って退けるメガロードは、衛兵が生きている事を確認すると、肩をすくめてみせた。
「実際使ったのは初めてだったけど」
 メガロードはすぐ傍にあった階段をてくてくと降りて行ってしまった。取り残されたロウエイは慌てて後を追ったのだった。
 湿った空気が漂い始めた。いくつもの使われていない鉄格子の1つに、セレスタインは拘留されていた。
「なんだ、メガロード。差し入れはしちゃいけないと、監視員のおっちゃんがいってたぜ」
 セレスタインのいつもと変わらぬ声にメガロードは怒りに震えている。
「私がここまで来るのに、どれほど苦労したか分かるか!?セレスタイン!!」
「悪い悪い。ごめんねメガロード♪ロウエイさんもごめんね〜」
セレスタインが両手を合わせて、メガロードとロウエイに悪びれた様子も無く謝った。この様子にむしろロウエイの方が驚く。
「いや…、元気そうでなによりだ」
 ロウエイの気力が萎えた声に追随して、メガロードが畳み掛けた。
「捕まる容疑が『食い逃げ、住宅不法侵入、名誉毀損、暴力、窃盗、脱走』だって!?挙げ句の果てに『ヘリオトロープ家の家宝泥棒』だと!?私が知らない所で一体何をしているんだ!?」
 そう言われてケラケラ笑うセレスタインはメガロードの見なれた鎧の姿では無い。作業着姿で胸元には珠魅特有の核はないので平坦だ。とっくの昔に打ち上げ花火の火薬にしてしまったのを知っているので、核が無い事にはメガロードは全く驚いた気配はない。ロウエイはセレスタインが珠魅である事自体、知らないので気にも止めない。
 ところどころ服に血が付いていて拷問の傷跡も痛々しい。それでもセレスタインは明るく笑う。
「心当たりがいっぱい〜♪」
「このバカモン〜!!」
 メガロードが思わず怒鳴った声が、地下牢に響く。メガロードはハッとなって口を覆ったが、地下牢の見張り達の足音が近付いて来る。ロウエイが素早くメガロードを抱き上げた。
「奥に裏口があるらしいから、そこから逃げな。ロウエイさん、メガロードを頼みます」
 セレスタインの言う通り、奥に裏口があった。豊かな自然が広がるヘリオトロープ領の空は、すでに明るくなり始めていた。


□ ■ □ ■

 セレスタインが捕まって5日が過ぎようとしていた。毎日裏口から忍び込んでは様子を見に行くのだが、徐々に衰弱していっている様子だった。ティアマットに魔力を奪われてしまったメガロードだからこそ、セレスタインの命を完全にまかなう程の魔力を持ち合わせていないのだ。メガロードは己の無力を呪った。

 小さいながらも人通りの多い通りを抜けた町外れに、すでに完成した舞台があった。舞台は超満員。立ち見客や建て物の上から見るものもいる程だ。客の出で立ちも町に住んでいる住人から、立ち寄った旅人まで様々だ。
 舞台の裏側でリュートを演奏しているジェンティアの横に座る。ジェンティアは弦から目を離す事無くメガロードに話しかけた。
「また城に行ってたのか?もう本番が始まってるぜ」
「あ…あぁ」
 メガロードは藍色のローブに袖を通すと、壁に縦掛けてあった身長の三倍はあるだろう杖を握った。いつの間にか劇に参加するハメになったメガロードはガチガチに緊張していた。メガロードの様子に、ジェンティアが演奏を止める事無く肩を震わせる。何処から近寄って来たのか、兵士衣装のロウエイがメガロードの背中を叩いた。
「ぷぷぷ…そんなに緊張するな。皆がサポートしてくれるよ、気ぃしっかり持てよメガロード」
「ははは初めての劇で、きっ緊張するなって無理だよ」
 杖を抱きしめるようにして震える体を支えるメガロードだが、その姿にジェンティアは潤むような目でメガロードを見つめ返す。
「大丈夫。かわいいから」
「………」
 呆れて物も言えなくなったメガロードは、ロウエイを見上げた。
「ロウエイさん、この前は一緒に城に行って下さってありがとうございます」
「ん?城に?……行ったっけ?」
 ロウエイがあごを軽く押さえて考えるが、覚えてないなぁ…と首を傾げた。
「それよりまだセレスタインの容疑が晴れないらしいな…。ヘリオトロープ家に何かが起きてるんだろうか?」
「わからないですね…。セレスタインは高価な宝石を持ってる。それを奪って金に換えようとしてるとか…」
 セレスタインが言った珠魅の核の値段を考えると、その可能性もあるとメガロードは考えていた。しかし相手が、個人なのか組織なのか全く分からないでいる。
「あり得るな。当主がいないから中じゃ皆で勝手しまくりだったりして」
 舞台から歓声が響いた。
 メガロードが舞台の裾から覗くと、そこに騎士の衣装をまとった青年が、青い宝石があしらわれた首飾りを付けた女性と向かい合っていた。青い宝石はサファイヤだそうだ。
「私はライラック・ヘリオトロープ。貴方の名前をお聞かせ下さい」
(ヘリオトロープ!?セレスタインを牢獄にぶち込んだ家の関係者か!?)
 そう考えてもこれは劇であって、ライラックと名乗る青年も役者であって本人ではない。それに気付いたメガロードは慌てて殺気を引っ込めた。
 ライラックが恭しく女性の手を取り熱い視線を送ると、女性ははにかむような笑みを浮かべて答えた。
「私はモーブ。ですがライラック様、早くこの城から立ち去ってください。この城の者達はよそ者をすぐに殺してしまうでしょう」
 モーブと名乗る女性の言葉にライラックは後ろ髪を引かれながら、舞台を降りて行く。それを見計らったかのように、ジェンティアの朗々と響く声が物語を語る。
「これが悲劇の始まりとなる出会い。ヘリオトロープの初代当主ライラックは、この時すでにモーブに一目惚れしました。そして毎日モーブの元へ現れます…」
 舞台の端から花束を持って、ライラックは再びモーブの前に現れた。モーブは驚いてライラックに話しかける。
「ライラック様、もうこの城には留まらないで下さい。いつ城の者に見つかるかわかりませんし、見つかったら殺されてしまいます」
「モーブ、貴方は日に日に生気を失っているようだ。毎日会っていないと、いつ消えてしまうか分からない」
 ライラックが、モーブをゆっくりと抱きしめた。
「俺はモーブが消えてしまうなんて、耐えられない」
「ライラック様…」
 ジェンティアがリュートを弾きながら、メガロードに囁く。
「今だメガロード。そーっとな」
 ジェンティアの合図と共にメガロードは、魔法で舞台に散った花を巻き上げる。抱き合う2人を包み込むように風を制御し演出すると。観客達が歓声を上げる。
 ライラックはモーブの前にひざまずき、剣をモーブに差し出した。ジェンティアの語りが入る。
「ライラックとモーブは恋に落ちました。叶わぬ恋と知りつつ、許されぬ恋と知りつつ、ライラックはモーブに誓います」
「俺は貴方を死んでも守ります。貴方が幸せであることが俺の幸せでもあるのです」
 モーブは優しい笑顔で彼の誓いに答えました。
「私は貴方の命が尽きたとしても、貴方の子供達を守って行きましょう。貴方が穏やかな気持ちでいられる事が私にとっての平穏です」
 情緒的に奏でられるリュートが劇場を包み込んだ。音楽と劇に見入る観客達にしみ込むように、ジェンティアの語りが劇を進めていく。
「彼等は駆け落ちする事を決めました。モーブをライラックが治める領地に連れて行く事を決めたのです。しかしモーブの城の追っ手は死にもの狂いで、モーブを連れ戻そうとします」
 ジェンティアの語りと共に、ライラックとモーブが走りながら舞台の端に立ち止まる。ロウエイも含んだ5人の兵士役が彼等を取り囲んだ。
「メガロード、出番だ」
 ジェンティアに後ろから蹴られると、メガロードは上空に舞い上がり突風を舞台に向けて放った。突風にあおられたように演技しながら、兵士役の者達は舞台から転がり落ちる。
 ライラックとモーブが何が起こったのか分からないかのように、辺りを見回してみせる。
(うぅ…緊張しない。台本通り言えばいいんだ)
 体が小さくなったため、羽ばたくよりも風で体を持ち上げた方が今のメガロードの負担は軽い。メガロードはゆっくりと舞台の真ん中に着地し、ライラックとモーブに頭を下げて言う。
「遅くなりましたねヘリオトロープ卿。この魔法使い貴方の願いを叶えに参りました」
 観客達がどっと歓声を上げる。世にも珍しいプチドラゴンの役者に、女性は可愛いと言い、男性はやるなぁと唸る。中には笑う者までいる。 そんな反応に怒りを感じながらメガロードは、ライラック役に囁きかける。
『次はどうなるんですか?』
『もうすぐ終わりだよ。大丈夫、僕達がサポートするよ♪』
 ライラック役の青年がウインクしながら、茶目っ気たっぷりに答えた。モーブ役の女性も優しく微笑みかけるのを見て、メガロードは心の中で安堵した。
 ジェンティアの語りが、観客の声が収まったのを見計らって響き渡る。
「魔法使いの力を借りて、彼等はリュオン街道にたどり着きます。しかしそこには追っ手がモーブを取り戻すため待ち伏せをしていたのです」
 とたんに先ほどの兵士役を含めた7人が取り囲んだ。兵士達が次々にメガロードとライラックを取り押さえる。
『痛い…』
『済まない、加減が分からなくて…』
 メガロードを取り押さえた兵士役のロウエイが申し訳なさそうに言った。メガロードもちょっと言い過ぎたかもと、心の中で謝る。
 そんなやり取りを他所にモーブが短剣を持って、舞台の中央に歩み寄った。
「私のせいでライラックが傷付き、殺されてしまうなんて耐えられません!私はライラックを守るためここで死にましょう!」
 言い終わるとモーブは短剣を胸に突き立てる!崩れ落ちるモーブをライラックが受け止めた。
「モーブ!モーブ!君が幸せであれば、俺は死んでも構わない!どうして君が死ななくてはならない!」
「ライラック…。私の青い翡翠の首飾りを形見として受け取って下さい…。貴方をいつまでも見守っています…」
「モーブ!」
 ライラックの声が劇場に響き渡り、劇場にすすり泣く声が混ざり合う。
 はずだった…
「どわぁぁぁぁぁっっっっっ!!」
 聞いた事のある悲鳴の先を見ると、空色の鎧と着込んだ青年が真っ青になって舞台に飛び込んで来る。ロウエイの下からメガロードは驚いて青年の名を呼んだ。
「セレスタイン!?」
「あぁ、メガロード!!今回の警備はホント筋金入りって感じ!?」
 セレスタインが青い翡翠をかざしてみせる。きらめく宝石は今の劇でモーブが形見としてライラックに渡した、この世界に2つと無いと歌われる幻の青色に輝く翡翠の本物である。
 後から本物の兵士が続々を劇場内に侵入して来る。もはや劇どころではなく、倒れたモーブ役も起き上がって何が起きているのか辺りを見回す。殺気だった観客がセレスタインに怒鳴りつけた。
「なんなんだアンタは!?劇をぶち壊しに来たのか!!つまみ出せ!」
 ジェンティアも血相を変えて舞台に上がって来た。
「ターゲットロックオン♪」
 セレスタインがにやりと笑うと突然眩しい光が劇場を包み込む。光の中から小鳥がさえずるようなきれいな声が、劇場に響き渡った。
『ライラック!!』
 光から青い翡翠が胸元に輝く女性が駆け出して、ジェンティアに抱きついた。固まるジェンティアを他所に、その女性は涙を浮かべながらジェンティアに囁いた。
『お帰りなさいライラック。モーブは…貴方の帰りをずっとお待ちしておりました…』
 囁いて女性は空気に溶けるかのように消えて行く。 誰もがその女性が幻だったと気付くには、多くの時間が必要だった。
 メガロードが呆然とするジェンティアの服の袖を引っ張った。ジェンティアがハッとなって、メガロードの手を払いのけた。メガロードが驚きに目を見開いて、声をかけた。
「大丈夫か?ジェンティア」
「あ…あぁ。大丈夫…」
 ジェンティアが答えるが心ここにあらずといったような、様子である。視線を追うと、兵士達がジェンティアを見てしきりに何かを言っている。 メガロードもセレスタインを探したが、どこへ行ったのか姿が無かった。するとジェンティアがぽつりと呟いた。
「もう逃げられないんだな…。領主を引き継がなきゃならないんだな」
(ジェンティアは不在だった新しい領主なのか…?)
 首を傾げるメガロードの視線の先で、ジェンティアは元気がなさそうにぽつりと呟く。
「やりたくないな」
 その呟きはかつて自分もついた事があった。
 もっと自由でいたい。力があるのに自由でいられない。好きな事が出来ない。自由でいたい。
 そう思い、使命から逃げ出した時があった。
 メガロードはジェンティアの肩に飛びついた。 ジェンティアの今にも泣きそうな顔がよく見える。
「私も、自分の立場から逃げ出そうとした事があったよ。その時、私を追ってきてくれた男が言ったんだ…」
 そう、そいつもこうやって相手の目を見て言ってくれた。
「『お前が嫌な事は俺が半分だけしてやる。辛い事があったらいくらでも聞いてやる。やらなきゃならない事はいつか、やらなきゃならないんだから、逃げるなよ。手伝いくらいはできるからよ』ってな…」
 ジェンティアの目が見開かれる。そして瞳に力強い光が宿って行くのが、メガロードには分かった。
 かつてそう言われたメガロードも、今でも自分にそう言い聞かせる。1人ですべてをこなす訳ではない、誰かが居てくれるのなら使命に従順になれる。
「羨ましいな…」
 ジェンティアは前を向いていた。


□ ■ □ ■


 ジェンティアが兵士と牢屋に行っている間に、メガロードの前にセレスタインが戻って来た。しかしメガロードは笑うどころか殺気立ちながら、セレスタインを迎えた。
「お前は誰だ?」
「流石、小さくても『知恵のドラゴン』。いえ、セレスタインの悪友ですね」
 くすくす笑うと空色の髪のウイッグを外し、無造作に結った亜麻色の髪をなびかせて優雅に頭を下げる。美しい瞳は見る角度によって紫から緑に、色を変えて行く。
「ロウエイさんという方の時はバレなかったんですけどね」
 メガロードはロウエイが一緒に城に忍び込んだ事を、覚えてないと言っていた。ならばこの変装の達人ならば、ロウエイに変装して行動を共にするなど容易いはず。
「お前が私と城に入ってくれたのか?」
「えぇ、でも改めて恐い方だなと痛感しただけでしたけどね」
 そう言うと改めて古風な一礼をする。
「昼は昼の姿を、夜は夜の姿を持つ者。けれど心は1つ、おとぎ話のハッピーエンドを望んでいる者」
 そう言うといつの間にか一般的な服に身を包んだ青年が、手に持った宝石をメガロードに手渡した。今まで見た事もない青い翡翠と小粒の丸い水晶。そして…
「これは君の手から渡してあげるた方が良いですね。」
「待て!!」
 最後に手渡された宝石は複雑な結晶を成すセレスタイト。奈落で拾ったと聞いた、セレスタインの核である。
「僕はお手伝いを依頼されて来ました。ですが僕も珠魅が1人でも幸せになれる手伝いができる事に感謝しています。そう牢獄でごろごろしている魔法使い様に伝えておいて下さい」
 メガロードの手に青い翡翠とセレスタイトと小さい水晶を残して、青年は足早に窓から出て行った。同時にジェンティアと本物のセレスタインが現れる。2人がメガロードの手に乗っかっている宝石を見てほぼ同時に声を発する。
「早速返しに来たんだな〜。これが無いと今は力が出なくてな〜」
「これは家宝の宝石じゃないか?」
 メガロードの手からセレスタイトをつまみ上げて、セレスタインは笑った。ジェンティアもメガロードの手に乗った青い翡翠を覗き込む。一瞥しただけではサファイヤと見間違える程、透き通った美しい翡翠だ。 メガロードは青い翡翠を渡すと、ジェンティアに奥の部屋へと案内された。
 大きな机のある執務室のようで、壁には大きな肖像画が飾られている。ジェンティアにそっくりな男と、青い翡翠の珠魅の女性が穏やかな表情で描かれていた。
 ジェンティアがその肖像画の前に宝石を置く。
「この珠魅の女性がモーブなのか?」
「青い翡翠の珠魅だとしか聞いた事ねぇからな、そうなんじゃない?俺、親父から何も聞かなかったから…」
 そう言って寂しげに笑うジェンティアに、メガロードはしまったと思う。先代の領主であるジェンティアの父親は、もうすでに他界しているのだ。
「じゃあ、何か聞く?」
「は?」
 何を言っているのかをジェンティアが振り向くと、体が固まったかのように止まる。
 入って来た時にはいなかったそこに人がいた。執務室の大きな机に寄りかかるように、初老の男性が誰かと話している。よく見れば、男性は初老と呼ぶには若すぎる。だが、若々しさはなく疲れきっていた。 病気を煩っているのか時折咳き込み、肩に羽織っている上着をかけ直す。
 男性は不機嫌そうに誰かに訴える。
『全くジェンティアの奴は…儂がいつまでも元気だと思っているらしくて困る。おい、ちゃんと伝えられるんだろうな』
 男性は誰かを見つめて少し微笑むと、笑いながらさらに言葉を続ける。
『何言っとる。お前の核は昔の事とか映せるんだろ?俺の親父は『ど忘れした時はセレスタインに…』と記した本まで書いていたぞ』
「………飛ばそう」
 げんなりしたセレスタインの言葉で、男性が消える。ジェンティアが、幽霊でも見たかのような顔でセレスタインに訊ねた。
「幻なのか?」
「幻だが、本当にあったことではある」
 セレスタイトが輝くと、再び男性が現れる。椅子に腰掛け空を見つめているからか、メガロード達からは背を向けていて顔は見えない。
『連れ戻したくなんか無いさ…。自由を心から愛する息子を、束縛したいと思う親があるかね?』
 男性が、大きく、息をついた。
『じゃが…死ぬ前に一度だけ…会いたかったな』


□ ■ □ ■


 セレスタインの傷が癒えた頃合いを見計らい、メガロードとセレスタインは関所を出発した。ヘリオトロープの関所からリュオン街道を半日歩いた辺りで、1人と1匹は休憩することにした。
 街道の端の木にお互い腰掛けると、メガロードがセレスタインに声を掛けた。
「お前にしては珍しいな」
「ん?何が?」
 セレスタインが振り返りながら、領主を引き継いだジェンティアが餞別に寄越した『街道弁当』を差し出す。
 中身はツノガイ人参、向日葵トウモロコシ、百合グリンピースと獣肉を混ぜ込んだ五目飯。イルカキュウリとハリネズミレタスのサラダ、時計パイン添え。鳥肉のアルマジロキャベツ巻き、クジラトマト煮。デザートにビー玉ンベリーが入っている。
 腹の虫の鳴き声を咳払いでごまかしながらメガロードは言葉を続ける。
「他人に親切する事くらいはするかもしれないが、後々の面倒まで見てやるなんて」
「なんの事だ?」
「ヘリオトロープの初代領主とモーブの駆け落ちを手助けした魔法使いは、オマエなんだろ?捕まったのも、アレキサンドルに宝石を持ち出させ易くする為にしたんだろ?」
 セレスタインが口に箸をくわえながら景色を眺める。メガロードもセレスタインの返事を待っていると、周りは人通りも無くとても静かだ。
「リュオン街道って、昔すごい死人が出たんだよ。なだらかな平地を侮り、夜の寒さと豊かとは言えぬ大地だったから行き倒れがひっきりなしだったんだ」
 言われてみるとリュオン街道は岩が露出していて、お世辞にも自然豊かとは言えない。木々があっても実のなる物でもなく、通り抜ける風が土煙を上げている平地は雨風を防ぐ場所がない。ヘリオトロープの関所のあの森林が嘘のようだ。
「……何の関係があるのさ?」
「俺がお前のドラグーンになる前に行き倒れかけてな、ヘリオトロープの当主に救われたのさ。んで旅人の死者を減らすため、弁当を作ったのよ」
 そう言うとセレスタインは、うまいとか味付けが薄いとか皮が剥いてないとか言いながら、弁当を食べ始める。それを横目に見ながらメガロードは納得して箸を持った。
(一食一晩の恩義か…。お前らしいよ)
 噛み締めた弁当の味はセレスタインが得意とする味付けだった。
 この味が変わらぬ限り、失われない限り、この男はヘリオトロープ家の願いを叶え続けるだろう。
 メガロードは、そう、思う。