キルマ湖 特別製さいころ苺のタルト

 街道に面した比較的大きい町に、多くの珠魅狩りが集まっていた。
 珠魅狩りは珠魅の都市を潰し、珠魅を殺し、彼等の心臓である核をえぐり出して、宝石商に売り払って生計を立てている連中の事だ。ま、そんな事をするからと言って、珠魅狩りを批判する人間はいない。珠魅はすでに人間にとって、伝説のように遠い存在だったからだ。
 珠魅狩りが集まると言う事は、都市を潰す日が近いという事だった。彼等はどこからともなく、彼等が慕う『最強の珠魅狩り』『珠魅狩りの守護者』『珠魅狩りの拠り所』なんて二つ名で呼ばれる者の元に集う。そして念入りに作戦を立て、彼等はいくつもの珠魅の都市を滅ぼした。
 ………彼等はおかしいか。他人事ではないのだから、俺達と言う方が正しい。
 俺が陣頭に立って都市を滅ぼしている珠魅狩りだ。
 全く毎度思うが、都市を滅ぼすという事に費やさねばならない労力は、でたらめではない。地形を考慮し、援軍を予想し、作戦を立て、限りなく0に近い犠牲者に留める。
 毎度、胃に穴を空けながらやっているんだ、当然、十中三四成功に導いた。
 低いって? 今のところ俺が率いる珠魅狩りが、多くの珠魅の都市を潰し、犠牲者が少ない。統率や連携が上手く行かなくては、都市とよばれるほどの存在を潰す事などできないんだよ。
 凄い方なんだよ、これでも。
 誰だって少しでも条件がいい方に付きたいだろ?お陰で『最強の珠魅狩り』とか色々呼ばれる事になった。困る。レディパールやルーベンスに目を付けられていりゃ、ろくに働く事なんか出来ない。
 堅気な仕事?
 あいにく、風来坊気質があって、一所で食って行ける自身が無い。
 地図を前にうんうん唸る俺の前に、コーヒー片手に仲間が腰を掛けた。なんとも真剣…いや、不機嫌そうに顔を歪めて、俺に愚痴をこぼした。
「全く魔道士共め…。要らん疑い掛けた上に、仕事をするなと言いやがる」
「疑い?……仕事をするな、なんて唯事じゃないんじゃないか?」
 俺は地図から顔を上げた。魔道士が俺達の仕事に口を挟むなんて、今まで無かった。
 男はコーヒーをあおって、俺の前に置かれたコーヒーにまで手を出した。そいつは俺の分…なんだけど〜…。
「お前は売れない核は置いて行っちまえって、言うだろ?」
「言うよ。だって持てば持つ程、人間に狙われるからな」
 珠魅狩りが恐れるのは、大抵2つ。珠魅の復讐と核目的の人間だ。
 珠魅狩りはそんじょそこらの傭兵とは、実力も判断力も群を抜いていて格が違う。だから、相手は決闘とか力ずくなんて、まともなやり方で俺達と渡り合うなんて無い。闇討ちや毒殺、果ては人質…そういったもので挑んで来る。
 俺達の実力がそれで磨かれるんだから泣くに泣けんのだが…。珠魅狩りには味方がいない。だから、俺みたいなのが珠魅狩りの拠り所になっちまう訳なんだが…。
「俺達が潰した都市には大量の核が残ってる。それのおこぼれに預かろうとする奴らがいるんだ」
「そりゃ、いるだろ。脳みそがあるんだ。馬鹿じゃない」
 売れない核を持って行っては、俺達が宝石商になめられてしまう。やれ『お前の持って来るものはいつも粗悪品だ』と言われた日には、どんなにいい品質も安値でしか買い取ってくれないのだ。だから俺達は、最高級、そう思う物しか持ち出さない。
 人間に狙われる事と相まって、俺達は必要最低限、もしくは核を手元に残さずに売りさばいてしまう。
「俺達が核を売りさばいてしばらくすると、そんな木っ端な連中が、大量に核を売り付けに行くんだ。勿論、宝石商にだ」
 あぁ…もはや恒例行事だな。俺は頷いて話を促す。
「その宝石商の元である魔道士が、実験用に大量に核を買ってったんだ」
「良くある話だな」
 魔道士達が珠魅の核を研究しているのは、周知の事実である。『生きたまま捕らえて来てはくれないか』などど頼んで来た日には、俺はテーブル引っくり返して『遊びじゃねぇんだ!出来る訳ないだろ!!』とぶちキレたものだ。懐かしい。
 男が一呼吸置くと小声で囁いた。
「全部、くず石だったんだ」
「……何?」
「くず石どころではない。ただの宝石だ、と言うのだ」
 宝石商との掛け合いは、騙すか騙されるかだ。確かに一般の宝石よりも遥かに美しいが、何と言っても魅力的なのは秘められた魔力。しかし、宝石商に魔法鑑定できる者はいない。魔法都市名高いジオの宝石組合が抱える魔道士くらいしか、宝石の鑑定を商品の段階で鑑定できる存在はいない。
 珠魅の核の見た目はただの宝石となんら変わらない。即席の魔法鑑定ができないため、珠魅の核と証言できるのは、取って来た本人だけである。珠魅の核は基本的に高値で取り引きされるので、詐欺も後を絶たない。
 珠魅狩りが信頼第一であるという原因もここにある。
「う〜ん…。つまり、ただの宝石掴まされちゃったのか。御愁傷様だな」
「宝石商は、売り付けた木っ端共を取っ捕まえて、拾った場所へ案内させた。そこは俺達が滅ぼした珠魅の都市だった」
 ぐうの音も出ない。嘘も認めないなんて、ずいぶんと気合いの入った詐欺師のようだ。
「粘るな〜。ただの宝石売りましたって、吐いちまえよ」
「それが今回が初めてではない」
 そこで男はため息をついた。
「魔道士共だけならまだいいが、宝石商までカンカンだ」
「つまり、俺らが珠魅の核をただの宝石とすり変えた…そう考えてるのか…。参ったなぁ…スポンサーに見限られると、商売がやりずらくなる」
 俺もため息をこぼす。
「だが、今回の狩りはやるぞ。仲間も準備も、半年前から用意したんだからな」
 それが、全ての始まりだった。


■ □ ■ □


 作戦は決行され、俺達は珠魅の都市を1つ潰した。
 未だ煙が上る都市を見下ろす高台に、丁重に今回の戦いで逝った仲間を弔う。もうその頃には、空が紅を纏いはじめようとしていた。
 高台から口笛が響く。俺達は口笛で多くの仲間に号令を出す。撤退、攻撃、点呼その他諸々を口笛の長さと回数で伝えるのだ。集合の口笛が何度も繰り返される。音の元にたどり着けば、総勢26人になる珠魅狩り達が集まっていた。
「何だ?まだ帰ってこない奴がいるのか?」
 口笛を響かせているのは、今回で2回目参加のグループだ。若い奴らだが未だに死者をださないあたり、前途有望で慎重な印象がある。そのグループのリーダーが口笛を吹く手を止めて、同じグループの仲間を見回した。
「口笛も返してこない。死んでしまったか?」
「戦闘が終わって、ピンピンしてたぜ。無傷だった」
 失踪した奴を抱えるグループのリーダーが、俺の顔を伺う。俺は肩をひょいと竦めてみせた。
「探すしかあるまい。まだ都市で売れそうな宝石でも探しているのだろう」

 滅んだ都市には珠魅の遺体、つまり宝石が所狭しと転がっていた。奇麗な輝く砂の壁は、仲間の鮮血で赤く汚れている。
 もう、廃墟の雰囲気が漂うが、珠魅がいても大して雰囲気が変わった訳ではない。生活感は感じない生活を、珠魅は送っているらしい。食器や食材など、気休め程度しか無い。珠魅が核が傷付かない限り死なない、裏を返せば核が傷付かねば食物を摂取する手間などいらないのかもしれない。
 んなもの、死んでいないだけで、生きいるとは言えない。俺はそう思っている。
「俺は玉石の間を当たる。他はそれぞれの階層を当たってくれ」
 俺はそう言うと、最上階に上り始めた。
 珠魅の都市は基本的に複数の階層を、1つの階段が繋いでいる作りになっている。侵入者や俺達珠魅狩りを防ぐ作りは実に巧妙で、いつも苦しめられる。しかし逃げ道が無い為だろう、1階を制圧されてしまえば、どちらかが全滅するしかない。
 その最上階に、彼等の命の綱、玉石姫の間がある。
 玉石姫とは、かわいそうなものだ。俺はいつもそう思う。珠魅達を癒す唯一の手段は、珠魅自身が命を削って流す涙だけである。玉石姫とは珠魅達の為に涙を流し、命を削り取られて死んで行くのだ。珠魅達が玉石姫を殺していると言ってもいい。
 珠魅のために真っ先に死んで行くんだもんな…と、もう玉石の間だな。
 扉を開けると、すぐの所に探すべき青年はいた。
「あ、いたいた」
 腰が抜けているのかへたりこんでいる。俺は青年の背後に立った。
 反応がない。
 扉から差し込む月光で、誰かが入って来たと気付くだろうに、のびる人影で誰かが立っていると気付くだろうに、その青年は微動だにしない。俺に背を向けて、光の届かぬ闇に沈んだ先に顔を向けている。
「……どうした?」
 顔を覗き込んで俺は驚いた。
 血走った目で、口から泡を吹いている。体が痙攣を引き起こしているにも関わらず、奥の暗闇を凝視している。正面にいる俺を視認していない。俺は青年の肩を強く揺さぶった。
「何か言えよ!どうし…」
ぴちゃん
 水の落ちる音のようなものが、俺の耳を打った。
 おかしい。
 俺は初めて光も届かない、奥の闇を警戒した。もう日が落ちている為か、扉から差し込む頼りない月明かりが俺達より先に届かず、一寸も見えない闇となっていた。




ぴちょん




ぴちょん
ちょん

 水滴の音に混ざる、啜るような音。
 何かがいる、それは解る。だが、なんだろう?魔物でも、人間でも、珠魅でもない、気配を隠しているのだろうか?気配を特定できない。闇に溶け込んで、姿を探す事ができない。
 飛び込むのは、選択外だ。




 音が、止んだ。
 闇が弾けそうな勢いで。暴風が吹き付けるように。気配が、こちらを向いた。見ている。こちらを。
 闇の向こうの見えない何かが、焼け付くような、何か、を放つ。まるで蛇に睨まれた蛙のようだ。汗が吹き出して、頬を伝う。本能が叫んだ。何かなど知る必要はない。とにかく逃げなくては!
 俺は竦んだ体を動かす為に、青年の腰に携えていた短剣を引き抜くと、左腕を突き刺した!痛みに、気配への警戒心を引き剥がす!俺は青年を担ぎ上げると、階段を転がるように駆け降りた。
 口笛を吹く。緊急待避の意味を伝える口笛。
 必要以上に強く何度も繰り返したので、仲間達が血相変えて入り口に集まった。俺の顔を見て皆が驚いている。
「大丈夫か?顔色真っ青だぞ」
 肩に手をかけようとした仲間の手を払いのけ、俺はらしくもなく怒りまで滲ませて叫んだ。
「とにかく離れるぞ!詮索するな!走れ!!」
 休み無しで走った。
 朝を迎える頃には、俺達はくたくたになって、最も近い宿場町にたどり着いた。
 俺が抱えていた男は死んでしまっていた。外傷も無い。俺が見ていた状態を説明すると、ショック死と断定された。
埋葬を済ませ、俺達は、それぞれ別れた。仕事をする以外は、俺達は一緒にいる事は無い。珠魅狩りの仕事がある時だけは、何処からとも無く集まってくるのだ。
「お前はどうする?俺らのグループに混ざって行くか?」
 仲間の誰もが、俺を誘いにやって来る。だが、俺は全ての誘いを断った。
 あの気配。
 今ですら肌にまとわりついてきそうな、幻覚、いや、そんな気がするだけで、仲間に気を配る余裕なんて全くない。ありがたい事に俺のそんな様子を心配して、仲間達は何も訊いてはこなかった。
「しばらく一人旅と洒落込むさ」
「お前、本当に大丈夫か?皆、心配してんだぜ」
「はは、ちょっと疲れてるだけさ」
 俺は1週間ほど宿場町に滞在し、他の珠魅狩り達よりも遅く、旅路に着いた。


■ □ ■ □


 今の時期、キルマ湖畔はさいころ苺の花と熟した実で、とても甘い匂いが立ちこめる。上空の満月がキルマ湖の水面に写る。湖は輝き、風を受けて星の細波を立てた。
 俺はとても満足げに、野生のさいころ苺をほおばった。天然のさいころ苺は、人の手で育てられたものに勝る甘ずっぱさがあって、とても美味しい。時期的に温かくなってきているので、たき火を消して、夜空を見上げる。
「月が綺麗だなぁ…」
 寝転びウトウトして来た時、意識に片隅に何かを感じる。飛び起きて傍らの武器を拾い上げ、隙を見せずに草むらを見つめる。
「………誰だ」
 呼びかける。答えが無い。おちょくってんのか?
「!?」
 ざわ……
 1週間程前に感じた気配が、草むらの奥から飛び出した!俺は瞬時に背後に回ったそれを、振り向き様に切り裂く!
 はずだった。
 刃の先に、それが、器用に乗っていた。
 武器に重みは感じない。まるで、空気のようだ。
 それは銀色の髪の下に、純白のコーリン石が見えかくれする。きれいな顔。純白のワンピースを身に付け、頭からつま先まで全てが真っ白な、赤ん坊のような子供のような、曖昧な存在。
 おそらく、珠魅。
 俺は殺気を殺すのに必死だった。隙を見いだし、逃げ出さなくては…。
「大丈夫だよ。取って喰ったりはしないから」
 武器を伝って俺の前まで進み出ると、そいつはちょこんとしゃがんだ。薄い氷の色の瞳が、俺を映した。覗き込むの様子は邪気も感じない。濁りもせず、透き通っている。
「君は本当に勘のいい奴だ。実に正しい選択だった」
 正しい選択?全員を振り向かせる事無く、都市から撤退させた事か? もし撤退させなかったら、皆殺しにするつもりだったのか?
 そんな事、俺がさせるものか…。
 いや、皆殺しにされてしまうだろう。俺は本能的に思う。こいつに、勝て無い。レディパールにすら負ける気などしないのに…。
「だからかな?ちょっと興味が湧いたんだ」
 白目と黒目の境界線が曖昧なガキの瞳。
「お前…あそこで何を喰っていた」
 そんな気がしただけで勘だった。
 だが、そのガキは目を真ん丸にして、さも嬉しそうに手を叩いてはしゃいだ。俺への興味を丸出しにして、俺の肩に手を付き、真っ白い肌にくっついたコーリン石を俺の頬に押し当てる。
「へぇ、分かった!? 食事してるって、解ったんだ!凄い!凄いね、君は!」
 抱きつかれた。俺はバランスを崩して、湖畔の草むらにおもいっきり尻餅をつく。くそ…珠魅め。勝て無い気がしなければ、ぶっ殺しているところだ。不快感が体を這いずり回るようで、早くガキに立ち去って欲しい。
「お前は…嫌な臭いがする…。食い物の臭いでは無い…だからといって、食い物を食べない珠魅の臭いではない」
 珠魅は日常的に食事をしないのだろう。体臭がないのだ。珠魅狩りが核を隠した珠魅を見分ける方法の1つである。
 俺達のように毎日食事を摂る珠魅には、通用しないのだが、珠魅を見分けるのには十分だ。だが、こいつは違う。誰かを殺し過ぎた血の臭いでも、日常的に食す食べ物の臭いでも、食べ物を食べない珠魅のような無臭でもない。なにものにも、あてはまらない臭いがした。不快感を感じさせる、嫌な臭い。
「凄い! 答えまであと少しだ。答えまで、たどり着いてみろよ」
 答え?何を言ってやがる。
 俺はこいつの食生活などに何の興味も無い。大体、凄く嫌な物言いだ。見下されてるようで、キレそうだ。
「たどり着きたくないのかい?大丈夫だ。まだ、その『領域』ではない…」
 意味が分からん。
 俺が答えないからか、ガキはつまらなそうな顔になった。いや、俺がそう感じただけで、実際は表情なんかないように見える。
「仕方ないな……。まあ、いい」
 ようやく離れてくれた。俺が荷物袋を引き寄せたのを見て、ガキが話しかける。
「君は、僕が話しかけた初めての『生き物』なんだ。もう少し、話がしたい」
「何の…話がしたいんだ?」
 支離滅裂だ。訳が分からん。俺はさっさとお前から離れたいんだ。じり…と後ずさろうとする。
「そう硬くならないで。ほら、座って」
 ガキが俺の肩に手を置いて無理に座らせる。体勢が中腰だったとはいえ、なんて力だ。
 俺の隣に腰掛けたガキは、俺が引き寄せた荷物袋を指差した。興味を押し隠す事無く、無邪気に言って来る。
「その、袋の中身はなんだい?」
「何って…食料だ」
 袋を押し広げて中身を見せてやる。宿屋の釜を借りて焼いたパンや、保存食、調味料、薬草などがつまっている。あとは最低限の調理器具だ。一人旅には少し少ない気がするが、道中で補填する分を考えれば、これくらいで俺は十分だ。
「『君』は、いや、『君ら』は『そういう物』を食べるのか…」
「俺は、人間と過ごしているからな。食べなくちゃ、調子が出ない」
 どうやらこの珠魅のガキ、いままで食い物を食った事が無いらしい。俺が思った以上に、珠魅は食事をしないのだろう。
 ふぅん…と、ガキが何かを考え込む。しばらく考え込むと、俺の顔を真っ直ぐ見つめた。
「ねぇ」
「何だ?」
ガキが何度か瞬きする。
「僕の為に、何か作っておくれよ」
「……は?」
「食べ物に興味があるんだ。君がどうして食べ物を食べているのかとか、色々理解したいんだ」
 ガキは真剣なまなざしをむける。
 俺は料理するのが億劫ではないので、とりあえず了承する。満足したら、勝手に離れて行くだろう。それなら進んで、このガキの我が儘につき合ってやるのが得策と言えた。俺はとりあえず訊ねる。
「何がいい。どんな物が食べたいんだ?」
「どんな物?」
 首を傾げるガキ。当然だ。食い物を食った事の無い奴に、『どんな物』など分かるものではない。俺の精一杯のいじわるだ。
「甘い物とか、しょっぱい物とか、辛いだとか、しっかりした食事だとか軽食とか、あとは飲み物とか」
 本当は無駄な事きわまりないのだが、とりあえず訊く。こっちは俺の優しさだ。語感で興味の湧いた物を食わせてやれば良い。
 ガキは目をぱちくりしてみせる。ガキらしくて、なんだか微笑ましい。
「随分と選択肢があるんだね。君はその全てが作れるのかい?」
 ずいぶんと生意気な事を言うガキだ。だが、俺は自信たっぷりに答えてやった。
「こう見えても、料理の腕は確かだ。伊達に一人旅や、仲間と当番制の賄いをやってる訳じゃない」
 もちろん本当の事だ。俺は古今東西の家庭料理から宮廷料理まで作れる。実はこれがちょっとした誇りになっている。わざわざ遠くへ出向いては、珠魅狩りの仕事が舞い込まない限り、大抵どこかの料理屋でバイトをしているのだ。
「ふぅん…」
 このガキ、考え込む時『ふぅん…』って言うのが癖なんじゃないのか?あえて言うつもりは、無いんだが、いちいち癇に障る。
「じゃあ、君が最初に言った『甘い物』……にしようかな」
 外見相応でガキらしい。これぐらいが可愛らしいのだが、珠魅は外見上の歳を取らないので、こいつがガキなのかから、相当疑わしい。第一、俺の事を『君』って呼ぶってどうよ?
 『甘い物』と決まったからには、俺は早速作る物を決める。湖畔に群生するさいころ苺を見て、ガキに指を指して教える。
「さいころ苺がなってるから、さいころ苺のタルトにしよう。さいころ苺を取って来い」
 タルトは菓子の中では一番の得意料理だ。理由は変だが久々に腕が鳴る。
 俺は袋の中から調理器具を取り出して、キルマ湖の水ですすぐ。すすいでいるとマントが後ろに引っ張られて、息苦しい。振り向くとガキがマントを引っ張っていた。さっきの力で引っ張られなかった事を、俺はマナの女神に感謝した。
 俺が気が付いたのが分かっても、マントから手を離さずガキが訊ねる。
「どうやって取るの?」
 ………1歳の赤ん坊だって、出来るぞ。それくらいは…。
「摘み取るんだ。………いい。見本を見せてやるから、見てろ」
 付きっきりでさいころ苺を摘み取ると、俺は、タルトを作り始めた。
 だがこのガキ、何かに付けて説明を求め、やりたがる。まるでお手伝いしたくてウズウズしている子供のようだ。無視してやろうとすれば、マントを引っ張るので俺は諦めてガキとタルトを作るに至った。いつのも数倍の時間をかけて完成したタルトは、まあまあの出来だ。
「まあまあの出来だな。よく頑張ったじゃないか♪」
 俺はわしゃわしゃとガキの銀髪を撫でくり回した。さらさらで砂のようだ。すぐに元通りに戻ってしまう…………何やってんだ俺。ガキの頭なんか撫でるな。付いて来るなんて言ったら、どうするつもりだ。
「………」
 俺が手を離すと、ガキは壊れ物を触るような手つきで撫でられた頭に触れていた。
 そんな様子を他所に、俺は皿として取って来た葉っぱに、1人分切り分けてやる。ガキの前に置いてやると、ガキはまじまじとタルトを眺める。タルトを指差し、訊ねる。
「どうやって、食べるんだ?」
「どうやって…って、フォークを使いたいのか?あいにく菜箸しかないぞ」
「そうじゃない。『どうやって』食べるんだ?」
 ………重症だ。
「どうって…こうやって口に入れて、噛んで、もぐもぐもぐ…味わって…ごっくん…飲み込むんだ」
 一通り食ってみせると、ガキはとても感動したような表情を見せた。
「へぇ…『生き物』は『そうやって』食べるのか」
 もはや、突っ込む気も失せた。
 ガキが一口タルトを齧った。長い間反芻し、飲み込む。暫く戸惑った様子でいたが、ためらいがちに呟く。
「………なんて言うんだろう…」
「美味しいか?」
 俺は訊ねた。自分が作った物を食った奴に訊ねるのは、ほとんど癖だ。
「美味しい?」
「美味しいの意味も分からんか。そうだな…満たされるような…幸せになるような…自分が気にいるような感覚……。だめだ、説明できん」
 俺は匙を投げた。『美味しい』なんてどう説明すれば良い?俺は辞書を暗記する程、知識人ではない。
 ガキはもう一口食べる。そして一口目に負けない間反芻すると、今度はしっかりとした声できっぱり言い放つ。
「いつも口にしている物とは違う味がするのは、確かだ」
「ふむ、地方ではそれぞれ味が異なる。俺の味付けが珍しいのかもしれん」
 真面目に言って後悔する。馬鹿だな俺。こいつは食べ物を食べた事が無いんじゃなかったか?
………?
 こいつ『いつも口にしてる』って…
「もっと、貰える?」
「ん、全部食っていいよ」
 俺は反射的に答えた。俺は腹も減ってない。
 ガキが全部平らげた。一口一口をずいぶんと噛み締めて食べるので、作ったかいがあるものだ。見ているこっちも嬉しくなる。
「うん、『美味しかった』」
 満足げに微笑む。
 初めて見るガキの笑みはとても好意的だ。真っ白なガキに生気が満ちるようで、俺も嬉しくて笑った。
「美味しいって意味が分からんなんて、悲しいもんだな。本当にわかったのか?」
 ガキのほっぺたを少し引っ張って、俺は訊ねる。コーリン石が、かさぶたのように柔らかい皮膚に張り付いていた。ガキが頷くので、俺もガキのほっぺたを引っ張るのを止めて手を離す。
「つまり、『生きる為に食べる』という行為では得られない、新しい感情だ」
 好意的発言撤回。こいつは嫌なガキだ。
「こ難しい事を言う奴だ。お前は魔道士か?」
 こ難しい事を言う奴が魔道士というのは、俺の偏見だ。
 だが珠魅が珠魅の研究をしているという噂は、昔からあった。真偽は定かではないが、魔道士達も避けて通る狂った学者がいるそうだ。本当かどうかは、俺は知らん。
「僕は君に『美味しい』という意味を教えてもらったよ。ありがとう」
「そら、良かったな」
 ガキは満足したらしい。とっとと行ってくれ。
「僕以外の存在に触れる事は、とても意義あることだね。僕も、今まで持った事のない感情が芽生えたよ」
 俺はちらりとガキを見た。ガキは真っ直ぐ俺を見ている。その瞳は明らかに初対面の時の印象は無かった。この短時間によくもまあ変わるもんだと、感心してしまいそうな変ぼうぶりである。
 ガキが身を乗り出した。
「なぁ、僕が食べている物を、君にも味あわせてあげよう。驚くよ。君が食べているのとは、違うけれども、とても『美味しい』んだ」
「いらん。食いたくない」
 俺は腹なんか空いてない。それよりも早くここから立ち去りたい、そんな焦りに似た感情が、ガキの発言を聞き流していた、
「残念だけど、今は手持ちが無いんだ……そうだ!」
「勝手に話を進めるな。俺は食いたくない。じゃあな、ガキ」
 勝手にテンションが上がっているガキを俺はにらんだ。俺は立ち上がると、ガキが俺の手を取った。
「『僕』を食べてみなよ」
 …………正直。絶句。
「あのな〜、俺はそういう趣味はない」
 俺はペシッとガキの手を叩く。
その時、ふと、気付く。
 俺は何故、あの時こいつが食事をしていると気が付いた?あそこには珠魅の死骸…宝石しか無かったはずだ。仲間の遺体は、全て弔った後だ。煌めきの都市には、ペットもいなかった。
 生き物が食べるものなど、何処にも…。
 バラバラになっていた考えが、もやのように頼りなく、しかし形を持った。その形、答えがなんだか分からなかったが、俺の中を言い様も無い悪寒となって走り抜けた。
 俺は武器を構え、大きく間合いを開けた。静かに、殺気をあらん限り込めて、ガキに言った。
「近付くな」
「どうして?」
「殺すぞ。これは忠告だ。間合いには入れば、殺す」
「大丈夫、怖くないよ」
 ガキが笑う。
 ガキが一歩、一歩、ゆっくりと間合いに近付く。
 間合いに入った!!
ガッ!
 ガキの柔らかい皮膚に刃をねじ込む。横にスライドさせると、核らしい硬い物に触れる感覚が刃を伝う。俺はそこで微妙な加減をして手前に刃を軽く引いた。
くん!!
「あ」
 ガキが声を上げた。
 刃に切り裂かれたガキの服から、コーリン石の核が宙を舞ったのだ。俺が行なった動作は、一瞬。こうまで速く核をえぐりだす事が出来るのは、きっと俺くらいだろう。

とさ

 ガキの核が大地に落ちると、ガキも空気に溶けるように消えた。
 激しい雑音が五月蝿い。俺の荒げた息づかいだと分かるのに、時間が必要だった。俺は黙って純白のコーリン石を見つめた。初めて、珠魅の核が恐ろしいと感じる。ガキから感じた恐怖が、ガキが見せた微笑みが、俺の中でない交ぜになる。
 どちらが本当だったのだろうか?
「恐怖を感じたのが正しい」
 俺は口に出して言った。何度も何度も繰り返して言ったが、ちっとも落ち着かない。俺は、必要以上に、その核を粉々に粉砕した。その行為に朝日が昇るまで没頭した。
 忘れよう…。


■ □ ■ □


 もう、忘れたくらい時が過ぎた頃、俺はまた都市を一つ滅ぼした。
 魔道師達が珠魅の核の品薄に耐えかねての緊急の依頼に応えての形であったが、『珠魅の都市が見つかったんで狩りの指揮を執って下さい』珠魅狩り達が訪ねてきてから始まった珍しい仕事始めだった。折角秘境と呼ばれるモティ村でカレーを極めんと格闘していたのに、どんな嗅覚があって俺の元にやってくるんだ、お前らは?
それはそれとして都市はそれほど時間が経ったものではなく、落ち延びた珠魅達が急ごしらえで築いた物だった。狩りも順調に終わり、準備はさして時間を必要としなかった。実に短い期間で終わってしまった仕事を惜しみ、仲間達と酒を酌み交わして過ごしていた。
「なんでも珠魅に突然死が、あるらしいんですよ」
 へ〜。仲間達が興味を示す。
「急性心筋梗塞か?」
「私もよく分からんのですが、突然死ぬそうです。涙石でも蘇らない…珠魅達は『天使の気まぐれ』とか『黄泉に引きずり込まれた』なんて言うらしいんですが、都市ごとで呼び方は様々だとか。ただ『天使の気まぐれ』は滅んだ珠魅の都市に残された核に、全て降り注ぐんだっていうんです。まるで我々が『天使の気まぐれ』みたいな言い方でしたね」
「えぐり殺してやれば良かったな。ヒビが入っていたからって見逃すことなかったんだ」
 仲間の声を聞きながら、俺は近くに転がっていた宝石を眺めた。誰かの戦利品だろう、ペリドットだ。
 月明かりを浴びるそれをぼんやりと眺める。
変だ。
 何故かそう思う。何かとは言えないが、何かがおかしい…。
 誰のだか知らないが、手に取ってみる。手に取ったからと言って、何か解る訳ではない。
 俺は、心を決めて、胸元に意識を集中させる。都市で暮らすような珠魅は無意識で出来るだろうが、そんなものが必要ではない俺はかなり苦労する。
 呼びかける。
 結晶が音叉のように振動するような、そんな感覚が気持ち悪い。待つ事しばし…
………
………
………!?
 共鳴しない。
 これはただの宝石か?
「おい、これは珠魅の核か?」
 俺がペリドットを持ち上げて、宴会さながらの仲間達に大声で訊ねた。仲間達の中からにょきりと、細くも太くもない腕がのびる。
「そうです。俺が仕留めたんです」
「そうか、ここに置いとくから、忘れるなよ」
 はい、とその腕の持ち主が返事をした。
 さっきまで珠魅だった物が、共鳴しない。ただの宝石になってしまう物なのか!?例え、自ら力を封じたとしても、共鳴はあるはずなのに。
『涙石でも癒せぬ突然死』
 言葉が過る。涙石は珠魅の核にだけにしか効果が無いはずだ。裏を返せば、涙石が効かないという事は、その核は珠魅の核ではないという事だ。珠魅が珠魅で無くなるという事。おそらく、何かが失われてしまったという事だ。
 思い至る物がある。
『魂』
 珠魅の核が砕けても蘇る際には、肉体だけでなく自分の意志も当然蘇る。それは核の中に魂も入っているからでは、ないからだろうか?と、俺は思っている。第一、魂は肉体を形作る重要な物だ。それが無くなれば、核という宝石から涙石の力を借りるとはいえ、肉体を再び形作るなんて当然できない。
 ただの宝石と成り果てれば、涙石を使っても反応しない訳だ。もし俺の考えが正しかったら、何故だろう。何故核から魂が無くなってしまう?
『魂』を取り出す。
 魔道士達が?
 珠魅の核だと買って、ただの宝石だと怒っている連中だ。そんな事する目的の意義はあるだろうが、そう何個も何個もする必要はない。今回だって、入荷待ち、なんだし。
 じゃあなんだ?
 ………
 満月が眩しい。白い光に、俺は、忘れようと努めたそれを思い出す。
 あの真っ白いガキ。
 珠魅の核しか無い場所で、『食事してる』と言っていたガキ。
 あいつは珠魅の『魂』を喰っていたのか?『魂』を喰っていたから、何にもあてはまらないものを感じたのか?『天使の気まぐれ』の原因があいつだとしたら、俺達の狩りに便乗して、腹を満たしていたのか?
 俺が、殺したはずだ。粉々にした。
「生きているはずが無い…」
 呟く。そこで、初めて自分のいる場所に気付いた。
「………あれ?」
 湖畔に立っていた。考えに集中し過ぎて、宴会場から離れてしまったらしい。
「戻らなくては…」
 俺はマントを翻し、森の中へ引き返そうとした。
ぴちょん…
 この場には滴るはずの無いだろう水滴の音。俺は、勢い良く振り返った。武器を置いて来てしまった事を、酷く後悔する。
 何もいない。

ぴちょん…

「そんな馬鹿な!!お前は俺が殺した!!生き返る……珠魅だからってあんなに粉々にして、生き返るなんてあり得ない!!」

ちょん…
ぴちょん…


 水滴の音がなり止んだ。
 やはり、気にするあまりに聞こえる幻聴だったのか?
 やはり、『いる』のか?
「酷いよ、『僕』を『殺す』だなんて」
 ハッキリ聞こえた。視線を巡らすと、いつの間にか目の前にいる。距離がかなり離れていたが、湖畔を背にし俺の正面に立っていた。
 真っ白い。あの時のガキ。
 笑っている。あの好意的に映った笑みで。
「お前は珠魅の魂を食っていたのか…?」
 ただ、答えが欲しかっただけかもしれない。震える声で、俺は訊ねた。
 ガキが嬉しそうに、目を細めた。
「君なら解ると思ったよ。よく答えまで、たどり着いたね」
 空気が震える。夜の闇が、存在に寄り添う影が、突如広げられた光に悲鳴を上げた。ガキの背中から伸びた光が、大地に横たわる影を薙ぎ払ったのだ。俺は目を奪われた。光り輝く翼。伝説にしかなかっただろう存在。
「天…使?」
「君との約束を果たしに来たんだ」
 ガキが一歩踏み出した。俺は一歩下がる。俺は自分を励まして、精一杯になりながらガキに言った。
「約束?…そんなもの、交わした覚えは無いぞ」
「僕は言ったよ『僕が食べている物を、君にも味あわせてあげよう』って」
 下がろうとして、背中に何かが当たった。背中が焼かれるような激痛を感じて、俺は反射的に前に出た。
 ガキがいた。俺の目の前に。
「僕は君に感謝してる。君が教えてくれたんだ。そういう『感情』僕の『自我』…」
 ガキが背伸びをして俺の頬に触れた。
「そして、君自身…」
 うっとりと、恍惚に身を任せているかのようにガキが笑った。
「だから、僕も君に僕自身を教えてあげるんだ」
 ここが最後のあがきドコロだと確信した。俺はガキの手を取ると、しゃがんで視線を合わせた。
「お前はお前にしか分からん。俺の事が俺にしか分からんようにだ。お前はまだ何も分かっていないガキなんだ。こんな事は止めろ。魂なんかより、飯の方が旨い」
 念を押すように、俺は言った。
「作ったタルトを…『美味しい』と、言ったじゃないか」
 ガキが笑った。感情を伺いしれぬ瞳が、求めるように俺を見る。
「僕の……『美味しい』も知って欲しい」
 このガキ……
 ガキの肩をつかむと、俺は怒鳴りつけた。もう、死も覚悟の上でやけくそだ。
「俺は、お前と違う!俺がお前の味覚を理解するなんてできない!分からないのか!我が儘もいい加減にしろ!」
ガキはきょとんと、俺を見つめる。何かいい忘れた物を見つけたかのように、再び笑みを浮かべた。
「馬の『魂』でも食べさせられると思ったの?君が食べるのは、『僕』の魂だよ」
「……!!」

軽い音が響いた。

 思いっきりガキの横っ面を引っ叩く。赤くもならない真っ白い顔に、俺はマジギレして怒鳴りつける!
「おい、ガキ!俺は命を粗末にする奴は、食い物を粗末にする奴よりも大嫌いだ!撤回しろそんな考え!お前は自分の魂をなんだと思ってやがる!!」
 ガキは感情も浮かべず、ぽつりぽつりと言葉を漏らす。
「僕は魂を食べるばかり夢中になって、とても大切な何かを忘れてしまったんだ。それを思い出した時、きっと僕は自分の魂を自分で殺すと思う」
「罪深いと思ってやがるのか?はん…馬鹿馬鹿しい。自分の選択を恥じる事なんか何も無い。後悔に追いつめられる前に体を動かせ。お前が望むなら、俺が何処へだって連れてってやる」
 珠魅の核を狩る事が罪深いか?そんな事を考える暇など、俺は自分に与えない。
 俺は自分の選択を正しいと思っていなければ、生きて行けない。
「ダメなんだ」
 ガキが自分の頭を、まるで壊れ物を触るような手つきで触れる。
「…思い出して来たんだ…。使命を無視し、言葉を無視し、友も殺した記憶がある…」
「俺も似たようなもんだが、随分と悲観的だな。大丈夫だって。あぁ、泣くな。泣くなってば。ちょっと待て!俺のマントで鼻をかむな!勝手に死ぬ気になるな。逃げたってどうにもならんだろ?自分のしでかした事を悔いるなら、お前に友達がいるなら、謝ればいい。ゴメンナサイは言えるか?」
 泣き出したガキを抱き寄せて、背を叩いてあやす。でかい赤ん坊だことで。
「ゴメンナサイ…」
 「ば…」か野郎と言えなかった。不意に、俺の口の中に味がしたのに気が付いた。
「ごめんなさい…」
 この世から消える事を選んだ、真っ白なガキの最期の言葉。口の中に広がる味は言葉に言いしがたい……。一番近い言葉で表すなら、それは『美味しい』だった。


■ □ ■ □


 今の時期、キルマ湖畔はさいころ苺の花と熟した実で、とても甘い匂いが立ちこめる。上空の太陽がキルマ湖の水面を照らす。湖は輝き、風を受けて映り込む雲を複雑な模様に変える。
「セレスタイン、さいころ苺がなってるぞ。タルト作ってくれよ。食べたいな」
 空色の竜、知恵のドラゴンメガロードはさいころ苺を片手に、相棒を見上げた。良く言えば相棒、悪く言えば悪友は胸焼けしたように、さいころ苺を見た。
「……?どうした?」
「いや…」
 セレスタインは笑って頬を掻く。
「お前に会う前の事を思い出していたんだ」
「そう言えば、お前、私と会う前は何をしていたんだ?」
 メガロードの問いにセレスタインが逆に、自信たっぷりに訊いて来る。
「何してたと思う?」
「う〜ん……って話を逸らすな!タルト作ってくれよ〜」
「駄目」
「なんでだよ〜。お前、私に一度もさいころ苺のタルトだけは、作ってくれた事ないじゃないか!お前のタルトは世界一だとすら思ってるんだぞ!!」
 セレスタインの肩に飛び乗ったメガロードが、瞳に涙を浮かべるように頼み込む。セレスタインは微笑むと、メガロードの持ったさいころ苺を口の中に放り込んだ。
「さいころ苺だけは、駄目だ」
「え〜」
 湖畔が穏やかに日の光を浴びる。平和な時代を象徴するかのように。