煌めきの都市口伝 七宝ゼリー

 切り立った崖が続く海岸線。
 砂浜も無く鋭い岩の浅瀬が多い事から、船乗り達が難破の名所と恐れる場所である。海からも地上からも侵入の経路がないそんな地に、魔法によって何重にも隠蔽された煌めきの都市があった。『知恵のドラゴン』と呼ばれるメガロードにもその姿は見えないが、ひしひしと魔法の力を感じる。
 メガロードは引き潮で海面から出た珊瑚の上を歩きながら、隣を歩く青年を見上げた。
 かつてセレスタインを訪ねて、真珠姫というパートナーとノルン山脈にやって来た瑠璃という青年だ。もの凄く若い珠魅であるらしく、その若さ故にセレスタインが喘ぎ苦しみながら珠魅の歴史を教えてやっていたのを、メガロードは良く覚えていた。
「メガロード、良いのか?セレスタインから離れて俺と一緒に都市に行っても?」
 瑠璃はメガロードがプチドラゴンサイズになっている理由は訊かなかったが、『知恵のドラゴン』の特異性を知っている。気遣いは嬉しかったがメガロードは、少しだけ眉間に皺を寄せる。
「そんな事より、真珠ちゃんをセレスタインの所に置いて来て良かったのか?セレスタインの知人と言えど、今のセレスタインは人間と一緒なんだぞ」
 実はセレスタインの元には来客が来ている。セレスタインがドラグーンになる前からの友人の子孫達だそうだ。ノルンにいる時はメガロードや風読み師達に気を使っていて外で会っていたのだが、今回はこの辺りで待ち合わせたのだそうだ。
「まぁ、セレスタインには釘も刺したから、真珠ちゃんをどうにかしようとはせんだろうがね…」
 今度は瑠璃が眉間に皺を寄せる番だった。
 メガロードは思う。瑠璃は癖のように良く眉間に皺を寄せる。私のように牙が見えてしまう訳でもなく、笑顔の方が簡単に浮かび、より好意的に見えるだろうに滅多に見せやしない。奇麗な顔が台無しだな…と。
「あぁ、それよりも煌めきの都市なんて初めてだなぁ…。結構、長生きはしておるが、珠魅の都市に一度も行った事は無い。こんな形で夢が叶うとは思わなかったぞ!!」
 メガロードは珠魅の都市への期待感に目を輝かす。暇をいかにして潰そうかと思ったところへ、ちょうど瑠璃と真珠姫に再開した運命的なタイミング。セレスタインを説得し、瑠璃と共に『煌めきの都市』に訪れる事となったのだ。
 キラキラと子供のように輝くその瞳を見下ろしながら、瑠璃はため息をついた。
「お前は一体何歳だ」
「うむ、おそらくこの世界の生き物で私より年上なのは、50人もいないのではないかな?」
 真面目な即答に瑠璃は頭痛を感じた。
 メガロードが歓声を上げた。隠蔽の結界を抜けたため、美しい煌めきの都市が見えたのだ。


■ □ ■ □


 セレスタインの元に残った真珠姫は、テーブルから落ちそうな程に並べられた料理に目を回していた。
 横たわった丸太を半分に切って並べただけのテーブルは、麻の布のが敷かれた簡素な食卓だった。最初テーブルの上にあったのはセレスタインが作った10種類程の料理だった。だが客人の人間が5品、8品、12品と、どんどんテーブルに料理を置いて行く。今では各地の特産品の見本市のようだ。
 20人分はあるだろうその食卓を囲むのは、真珠姫を含めた5人である。
 空色の髪と鎧の『知恵のドラゴン』を守るドラグーンという職業の青年。大人しくおどおどした真珠の珠魅の少女。この時代には珍しい重装備のたくましい獅子顔の獣人。黒髪の青紫の瞳の楽師のような装束を纏った人間の青年。鮮やかな魔法陣の刺繍が縫い込まれたローブを着こなす森人の女性。なんとも繋がりが見えない面々だった。
「ベナトナシュ…貴女はもう4人も子供のいる身でしょう!?いい加減、威厳のある喋り方をしたらどうですか!?当主殿が困っていらっしゃるでしょう!!」
 獅子の顔の男がフォークを片手に、人間の青年に寄りかかる森人の女性を叱りつけた。
 ベナトナシュと呼ばれた女性は葉巻きを吸うとふっと、獅子顔の男に煙を吹きかけた。獅子顔の男の必死な顔を艶っぽい笑みで眺めると、魔法学校高等部の少女のような高い声で呟いた。
「え〜〜〜〜。傭兵組に言われたくな〜〜い」
「組で止めないで下さい!!幼稚園みたいじゃないですか!私は傭兵組合の組長のゼンガーです!」
 ゼンガーがベナトナシュに絡まれている青年の腕を引っ掴むと、無理矢理隣に青年を座らせた。青年がホッとため息をつくのを見ると、ゼンガーは青年に囁いた。
「ジェンティア君。初参加とは言え、ベナトナシュの尻に敷かれていてはこれから苦労しますよ」
「セレ〜、隣がいないと寂しいわ〜〜♪」
「おう、グレルの煮込みタルタル添えが上手く出来たぞ。真珠ちゃんも食べな」
 ぺったりと子持ちの熟女に張り付かれたセレスタインは、小皿に取り分けられた料理を真珠姫にさしだす。危なっかしい手つきで受け取る真珠姫を、ジェンティアは不機嫌そうに眺めていた。
「どうした?ジェンティア?」
「セレスタイン…。これからの話を珠魅に聞かれてもいいのか?」
 ジェンティアは真珠姫を気にしているのだ。
 ジェンティアはリュオン街道の一部を預かる領主であるが、同時に珠魅狩りの名家ヘリオトロープ家の当主である。今回の会議は珠魅狩りの子孫のこれからを左右する会議であると、珠魅狩りの子孫の大多数を抱える『ベナトナシュ一派』と『傭兵組合』から通達があってやってきたのだ。
「緊張してやって来たと思えば、あんたがいるし……。しかも何なんだ!?この料理の山!?」
「珠魅狩り結成時から続く、伝統的な会議形式なんだがね〜」
 セレスタインがまだ温かいビスケットにクリームを塗りたくりながら答える。ベナトナシュもゼンガーもそれぞれが持ち寄った酒の栓を開け始め、真珠姫の放つ和やかなオーラにジェンティア自身も和みつつある。
 ジェンティアは立ち上がると、セレスタインを睨め付けた。
「これじゃあ、ただの宴会じゃないか!」
 ジェンティアの発言にセレスタインは露骨に顔をしかめた。
「ん〜〜、随分と硬苦しい奴だなジェンティア。スライムみたいに柔らかい奴だと…分かった、殺気だつなって。しょうがないなぁ…、じゃあ始めるぞ」
 セレスタインの言葉が終わった瞬間、場の空気が変わった。春の日差しのような温かさに、北風が吹き込んだようだった。おどけていたベナトナシュは真顔になり、ゼンガーも緊張をあらわにする。変容ぶり戸惑うジェンティアはその場に座り込んだ。
 セレスタインが威厳すら感じるような良く通る声で言い放つ。
「珠魅が涙を取り戻した事については、それぞれが独自の経路で把握していると思う。このままでは珠魅との間に戦争が起きる日も近い」
 真珠姫の幼さが残る顔に怯えるような表情が浮かんだ。当然だな…と見つめていたジェンティアにセレスタインが『何故だと思う?』と問いかけて来た。いきなりの指名にジェンティアは答えられなかった。それどころか、珠魅との戦争なんて突拍子すぎる話だとも思っている。その脇腹をゼンガーが突ついた。
「ヘリオトロープ自治領にある珠魅狩りの子孫の村が、珠魅によって襲われたのをご存じないのですか?」
「え?」
 そう言えばヘリオトロープ領のある村が強盗団に襲われたらく、死者も数十人を数える惨事となった。しかしまだジェンティアも戻る前で、その時はヘリオトロープと繋がりのあったどこかの団体が事後処理をしてくれたと聞いていた。
 ゼンガーの説明では、ヘリオトロープの当主不在をカバーしたのが、かつて珠魅狩りをしていた同志『ベナトナシュ一派』と『傭兵組合』だったと言うのだ。この2つの組織とヘリオトロープの繋がりは深く、珠魅狩りであった過去もあり、互いに助け合う暗黙の契約が交わされているのだそうだ。
「今ね〜珠魅狩りの子孫が珠魅に襲われて〜〜、殺されているのよ〜〜」
 スプーンをくわえてベナトナシュが憎々しげに呟いた。
「珠魅は未だに、珠魅狩りへの憎しみを抱えています。時間をかけて敵対心を薄めて来た珠魅狩りとは違い、殺された時間からいきなり現代にやって来た珠魅達です。頭の中は当時のまま、珠魅狩りへの復讐心の強い奴らの行動にどう対処するべきかです」
「セレ、貴方は珠魅狩りの影響力って凄いわ〜〜。それと同じように〜〜、珠魅のレディパールって子に〜頼めば良いのよ〜〜『戦争したくなきゃ、珠魅狩りの子孫に手を出すな』って〜〜」
「う〜ん、確かにそれが確実なんだよね。でも、俺が殺されかねない」
 腕にすがりつかれながらセレスタインは苦々しく答える。空になった皿を重ねるセレスタインを手伝いながらゼンガーが訊く。
「セレ、貴方はレディパールと同等の実力と聞いていましたが…」
「昔はね」
 セレスタインが懐の袋から複雑な結晶が美しい青天石を取り出した。太陽の日差しの中できらびやかではなく、控えめな輝きを持つ青天石は空色の光をテーブルに投げかけた。
 真珠姫の『綺麗』という呟きに微笑むと、セレスタインは力なく言った。
「今はメガロードの魔力とこれの魔力で、どうにか動いてる。以前の実力の半分以下だな。これを体の中に戻せれば違うのだが…」
 セレスタインの青天石にベナトナシュの白い手が伸びた。白い手が青天石を引っくり返したり遠くから眺めたりと矯めつ眇めつすること数分、ベナトナシュは諦めたように首を横に振った。
「不覚的要素が多くてオススメできないわ〜〜」
 セレスタインも『だろうな』と苦笑して、ベナトナシュから青天石の核を受け取る。そして急に大げさに震えてみせる。
「この場にレディパールいたら…きっと皆殺しだぜ。うぅ、がたがたぶるぶる」
「我々は珠魅狩りの頭みたいなものですからね。組織崩壊を狙うならば、今が千載一遇のチャンスです」
 場に肌寒い空気が流れた。
 ジェンティアも自分が珠魅狩りの子孫である事、珠魅狩りをまとめる立場にある事、珠魅に命を狙われる存在なのだと実感した。当主を引き受けただけだと思ったのに、異常なまでに重い責務と宿命が乗りかかっていたらしい。
「珠魅狩りか珠魅、どちらかが潰えない限り、互いの存在は消えない…。珠魅は殺された仲間の報復に珠魅狩りを殺し、殺された珠魅狩りの親族が剣を取って珠魅を狩った……。 だが再び珠魅狩りを、あの哀しみを、経験させる訳にはいかない」
「………で、どうするんだ?」
 ジェンティアの問いに、セレスタインが両手を挙げた。どうやらお手上げと言いたいらしい。
「真珠ちゃんに頼んでみたら〜〜?彼女は珠魅だし〜〜、話くらいは聞いてくれるんじゃない〜?」
「却下」
 ゼンガーの即答にベナトナシュが「え〜〜〜〜!」と唇を尖らせた。ゼンガーがデザートのパンプキンプリンをスプーンですくいながら、ベナトナシュに説明する。
「我々が脅しを掛けていると、思われてしまいますからね。珠魅の怒りを煽るだけです」
「じゃあどうするの〜〜?レディパールって子に〜〜、殺される前提に行くの〜〜?」
 ベナトナシュの甲高い声にジェンティアがお腹を抱えた。
「あぁ…胃が痛んできた……死にたくないよ。真珠ちゃん、お茶ちょうだい」
「嘆くなジェンティア、まだ殺されると決まった訳じゃないだろ。真珠ちゃん、俺にも」
 食卓の上の皿がほとんど空になり、皆がこぞって真珠姫からお茶を貰い始めた。


■ □ ■ □


 煌めきの都市は慌ただしかった。戦争の準備をしている訳ではないのだろうが、騎士だろう者達が準備体操をしている傍らで姫君達が鍋の中の液体を子瓶に詰め替えている。瑠璃のペットという事で煌めきの都市に入る事が出来たメガロードは、煌めきの都市の伝統料理『七宝ゼリー』を堪能しながら、そんな様子を眺めていた。
 薄く色の付いたゼリーの中には宝石のようなカッティングが施された果物が入っている。味も様々だがどれも中の果実を引き立てるような、さっぱり控えめの味付けである。1時間ほど待たされたが、珠魅があまり食べ物を食べないため作り置きが無かったのかもしれない。
 美味しいのだが、メガロードはそれ以上にこの慌ただしさが気になった。
「きな臭いなぁ…」
 メガロードの想像した珠魅とは、もっときらびやかな生活を営む種族である。食事も摂らずという辺りは許せないが、各々の無限といえる時間をまったりと過ごすなど、人間の上級貴族だとて憧れる世界だろう。珠魅は美形ぞろいだし、住処といえる都市は美しい限りだった。
 だが、ちょっと違う。
 理由は分からなかったが、何故かメガロードの好奇心が冷めた。
「メガロード」
「あぁ、瑠璃君。もどっ…」
 瑠璃の声に振り返ったメガロードの視線が、瑠璃の腰の辺りで止まった。まるで不可知生物かどうか見極めるように、まじまじと見つめる。そして、のろのろとした口調で瑠璃に訊ねた。
「……それはなんだ?」
 瑠璃はメガロードの眺めているそれを取り出してみせる。剣の柄まではどこにでも見られるただの剣のなのだが、刃の部分が筆である。腰にはバケツくらいのインク瓶がくくり付けられ、墨汁で満たされているている。
「何って、『筆ブレード』」
「ぶっ…あはははっはっははは!!ふっ筆!?筆ブレードってダサダサァ!!あははははっは!!腰に…腰にインク瓶まで引っさげて…ぶっぶぶ……笑い死ぬぅぅううくくく…。 い、痛いよ!!」
 ばしばしと『筆ブレード』で叩かれ、メガロードは悲鳴を上げた。瑠璃が真っ赤な顔で怒鳴りつけた。
「笑うな!!…今日は防災訓練なんだから!」
「防災訓練?どこの?」
 瑠璃は煌めきの都市の床を指差した。
「ふーん…」
 好奇心の冷めた理由が分かった。珠魅はこれからも人間と交流するつもりは無いのだ。
(珠魅狩りまで警戒するのか…。人間を信じられんのだな…)
 メガロードはセレスタインに連れられて見て来た世界を、とても素晴らしと思っている。良い人間も沢山いた。悪い人間も沢山いるだろう。セレスタインは話したがらないが、メガロードは彼の前科も心得ている。だからこそ、メガロードは世界に存在するもの達を信頼している。メガロードが支えている世界であり、メガロードの存在意義が彼等を含めた世界だからだ。
 珠魅は『知恵のドラゴン』のような超越的な力を持ってはいない。どうにか出来る範囲は狭い。
 寿命の長さは珠魅と人間の間に横たわる決定的な溝だ。埋めるのは容易な事ではない。
 メガロードはため息をついた。メガロードは『知恵のドラゴン』である。1つの種族の方向性に口を挟む事は許されず、ましてや力を行使しての干渉は御法度である。
 だからこの腹に残りそうな残念感を、今の内に燃やしてしまおうと思った。
「じゃあ折角だし、私も参加しようかな?」
 メガロードの申し出に瑠璃は驚いた。こんな小さなプチドラゴンに戦う力などあるはずが無いと、瑠璃は思っていた。どこかで見物するだろうと思っていたので、メガロードが参加するなど夢にも思わなかった。
「私はセレスタインの主だぞ?」
 メガロードの見せた笑みに瑠璃はゾクリとした。


■ □ ■ □


 防災訓練のルールは至極簡単。手段を問わず、墨汁を相手の核になすり付ける事である。勿論、殺傷沙汰は厳禁である。
 瑠璃はメガロードの活躍ぶりに舌を巻いた。幾度か手合わせしたセレスタインは強く、瑠璃は片手の彼にすら一勝を上げる事はできなかった。そんなセレスタインが主と認めるメガロードを、瑠璃は小さくなった外見で判断し甘く見ていた。
「次、かかって来なさい!!」
 メガロードの挑発に十人程の騎士達が筆を突き付けるが、メガロードは髪一重でかわすと珠魅では聞こえぬ声で吠える。吠えたと思うと次の瞬間には突風が吹き抜けて、最前線に立った騎士達の核に真一文字の墨汁線が引かれる。そのまま最前線に立った騎士の武器を掴むと、後ろにいた騎士達の核に墨汁をなすり付けた。動きは素早く、時に捉えきれず、騎士達の間を疾風のように走り抜ける。
 瑠璃も思わず見とれるような無駄の無い動きであった。
 部屋の騎士を残らず打ち負かしたメガロードは瑠璃を見上げた。
「なぁ、瑠璃君は真珠ちゃんに会わなかったら、どうするつもりだったんだ?」
 何故そんな質問をしてくるのか瑠璃には分からない。
「仲間を探し続けただろうな」
「だが珠魅の手がかりなんか、そう簡単に手に入らなかったんだろ? やはり人間と一緒に生きて行くとか考えたのか?」
「そんな事は無い。時間はかかったが、いるのが確かめられるだけで安心した」
「珠魅だっていろんな者がいるだろう? 嫌な奴だとているかもしれん。それでも安心するのか?」
 瑠璃の目からはメガロードが少し苛立ったように見えた。
「メガロード、俺は生まれた時からずっと独りで、仲間を求めていた。だから俺は珠魅が煌めきの都市で、珠魅と暮らす事が一番の願いなんだ」
 瑠璃が一呼吸置いた。
「俺は、人間より珠魅…仲間といたいんだ」
メガロードは瑠璃の言葉を聞きながら、昔を思い出した。

『珠魅はな、互いで互いを縛っているんだ。姫と騎士…パートナーという存在は珠魅同士で築かれ、そしてその間に何かが入る事は無い。だから自然と人間と交流することも減って行く。珠魅は人間を差別……違うな、区別かな?…をしたんだ。だから珠魅は珠魅しか見ない。束縛されてるんだ。
俺はそんな束縛など受けたくはない。だから珠魅のしきたりを捨て、珠魅である事すらも忘れて生きて来た。後悔はないさ。俺には余りある人間との繋がりがあるからな』
 珍しい来訪者だった。
 その瞳にたたえた闇と血の臭いのしみ込んだマントに、風読み師がノルンの立ち入りを拒んだのも頷ける。だが私はその男を招き入れて、少し話をした。その話題が珠魅の話だった。
『珠魅は変わるだろうか? もし涙を取り戻したら、再び珠魅狩りとの間で戦争が起きるのだろうか?』
『知らん。だが時間が経てば珠魅狩りは消える』
 そうか珠魅狩りがいなければ、珠魅も復讐などできない。拳を振り上げる先がないから…。
『お前は? 珠魅狩りの頭と言うべきお前はどうなるんだ?』
『そうだな…』
 その身に纏っているのは珠魅と敵対し、いくつもの国を滅ぼし、つい最近倒れた帝国の軍服だった。男は瞳を和ませると、ノルンの頂上から見えるどの風景よりもずっと遠くを見つめた。
『俺も珠魅狩りと共に消える。そうすれば、珠魅狩りは本当の意味で消えると思うんだ』
 私はその男に、共に歩いて欲しいと思った。
 惹かれたんだろう。
 そうすればきっと…私は『願い』に届くと思った。今思えば滅多に見せない我が儘だった。

「あれ?もう夕方か?」
 瑠璃の言葉に、過去の思い出から現実に戻ったメガロードも窓を見遣った。そしてそのまま倒れ込んだ。
「メガロード!?どうしたんだ!?」
 瑠璃が懸命にメガロードの小さな体を揺さぶるが、メガロードに目覚める様子が無い。それどころか荒い息がどんどん弱くなり、体が冷たくなって来ている。
 瑠璃はとにかくメガロードを抱えると部屋の外に飛び出した。外が騒がしい。
「瑠璃君!!」
 騒ぎの原因は侵入した人間達だった。その1人、セレスタインが真珠姫とさっき会った客人を引き連れて瑠璃の前に走り寄った。セレスタインはメガロードを瑠璃から受け取って床に下ろすと、ベナトナシュを見遣った。
「まずいわよ。どんどん魔力が生命力と一緒に流れ出ているわ」
 ベナトナシュがいい終える前に、杖から光を放ち素早く魔法陣を描いた。一種の結界がメガロードの魔力の流出を抑えているのだ。
セレスタインが懐から青天石の核を取り出す。
「いいか、これからこの核をメガロードに吸収させる。ベナトナシュは回復魔法でメガロードの体力を回復させてくれ。ジェンティアは風属性の魔法でメガロードの核の吸収を助けるんだ……不安がるな、俺のサポートなんだから。ゼンガー、水筒の水と一緒に核をメガロードに飲ませてやってくれ」
「セレスタインさん!それは危険よ」
 テキパキと指示を与え自ら核を砕き始めたセレスタインに、真珠姫がすがりついた。核は珠魅の心臓である。場合によっては涙石でも蘇る事はできず、本当に死んでしまうかもしれない。それを自ら砕いて与えるという行為に、真珠姫以外の珠魅は唖然として見つめるだけだった。
 セレスタインに言い募ろうとする真珠姫を、ゼンガーの大きい手が引き止めた。
「ゼンガーさん!?」
「ダメです真珠ちゃん。仲間を助ける為に命をかけるのは当然です。繋がりが我々をそうさせる。私達がセレスタインを止める事はできないのです」
 ゼンガーの言葉にセレスタインは弱々しく微笑むと、だんだんと苦しそうになって行く息を整えて真珠姫に微笑みかけた。
「真珠ちゃん、メガロードが助かれば、俺も助かるかもしれん。まぁ、助かるかも怪しいが、やるだけやらなきゃね」


■ □ ■ □


 転がり込んだ宿もその噂で溢れ、旅人達は首を傾げ、商人は旅路を憂いだ。住民の不安が彼等によって、かきたてられた。
 世界中から見る事の出来た紅蓮の炎は、天にまで伸びて真昼の空を夕暮れのような真紅に染め上げた。奈落が消え溶岩に囲まれた、巨大な城が現れたという噂が流れた。メガロードは宿の窓からそれを眺めていた。見えずとも、気配でそれが何かは理解できた。
「焔城…。ティアマットが地上に復活したんだ」
 メガロードの呟きが静かな部屋に響いた。しかし部屋の中にその声に反応する者はいない。
 同室しているセレスタインの意識は未だ戻らない。
 おそらくジャジャラもヴァディスもティアマットを止められなかったのだ。自分のように魔力を奪われ、マナストーンもろともティアマットに吸収されたに違いない。セレスタインが核を吸収させる事を考え付かなかったら、メガロードも魔力もろともティアマットに吸収されていたに違いない。
 今のティアマットならそれができる。世界の支配者を自負するだけの力を、全てのマナストーンを吸収したティアマットは有しているはずだ。
 あとは残った知恵のドラゴンを吸収するのみ…
 何もできなかった自分の至らなさに、悔しさに、メガロードは怒りを抑えきれなかった。しかし、その怒りは扉のノックで慌てて沈めた。ゼンガーの穏やかな声と共に、扉が開かれた。
「あ、メガロードさんいいですか?瑠璃さんと真珠さんがお見舞いに来られたんですよ」
 セレスタインの友人達は意識を失ったメガロードとセレスタインを、運び込み寝ずの看病をしてくれたのだ。メガロードは感謝の言葉もないくらい感謝していた。その中でも一番献身的に看ていてくれたゼンガーがタオルを掛けた洗面器を持って、瑠璃と真珠姫を部屋に招き入れた。
 真珠姫は相変わらずおどおどした様子で部屋を見渡した。ベッドに横たわるセレスタインの姿を見つけて駆け寄ろうとするのを、瑠璃が遮った。メガロードもあれを聞いたのだなと、その行動から理解した。
 瑠璃は殺気と敵意に満ちた瞳でセレスタインを見ていた。
「メガロード…セレスタインの事を仲間から聞いたよ……。珠魅狩りを率いて珠魅を滅ぼすのに加担した、裏切り者なんだってな」
「瑠璃君」
 すがる真珠姫を無視して進もうとするのを、後から部屋に駆け込んだジェンティアが遮る。手には魔法楽器であるリュートが握られ、ジェンティアが緊張した面持ちで瑠璃と向かい合う。
「なんだかんだ言って恩人なんだよ。んな事目の前で言われたら、俺だっていい気分じゃないだぜ?」
「アタシはセレを父のように慕い尊敬しているの。それを侮辱するなら、無傷で出られると思わないでね」
 扉にもたれ掛かったベナトナシュが素っ気なく言い放つ。そのおちゃらけた様子が欠片も感じない口調には、高位の魔法使いの持つ威厳と神秘に満ちた雰囲気が漂う。
 瑠璃は人間達を見回した。とても憎しみに満ちた瞳で。
 メガロードはそんな瑠璃の様子を見ていたが、セレスタインの枕元に降り立つと。首を傾げながら何の感情も込めずに瑠璃に訊ねた。
「だから? 君はもうセレスタインと絶交でもするのかね?」
「それは…」
 言葉を濁し明らかに戸惑う瑠璃にメガロードはさらに言った。
「繋がりとはそれだ。易々と切れる物ではない。……私はそれを理解した上でドラグーンに迎えたんだ」
「何だって!?」
「我々『知恵のドラゴン』は無限に近い寿命が故に、短い寿命の者と接する事は大変な苦痛を伴う。哀しみに、自身への怒りや腑甲斐無さに心のバランスを崩し、自我が非常に不安定になる」
 そこまで言うとメガロードはため息を付いた。
 メガロードも風読み師の死を見て来たが、何度それを迎えても馴れる事は無かった。その度に世界の風が乱れ異常気象が続いて仲間を困らせた。『いっそ沢山のドラグーンを抱えず、1人にしたらどうだ?』と言われた事が何度もあった。
 たくさんのドラグーンを抱えるが故に、長寿であっても寿命が存在していたのだ。
「珠魅の都市ができた原因もこれに似ているのではないかな?寿命の違いで、先立たれる、決して救えぬ命。それらを前に気が触れた珠魅は何人いただろうな? 珠魅は傷付くのを恐れ、都市を創ったのではないか?
だが、セレスタインはそれを乗り越えた。珠魅でありながら人間と共に生き、寿命の違いによる避けがたい孤独を味わっていたにも関わらず、共に生き続けた。力も、そして何よりも心が強い」
 メガロードが瑠璃の視線を捉えた。長い年月を生き、世界の秩序の管理者である瞳が、それ相応の雰囲気をもって空間を覆って行く。『知恵のドラゴン』という存在に、誰もが息を呑んだ。
「裏切り者と呼ぶのは勝手だ。だが私は他種族との繋がりを持ち、セレスタインのように乗り越える。その協力者であり理解者を傷つけるなら、私とて寛容になれんぞ?」
 メガロードが言い終えると、ゼンガーの穏やかな声が響いた。
「珠魅のお兄さん。我々も忘れてもらっては困りますね」
 沈黙した瑠璃の横を真珠姫がすり抜けた。今度は瑠璃も止めず、メガロードもジェンティアも止めはしなかった。真珠姫がセレスタインの手を取ると、その手が僅かに動いた。
 閉じられた目が薄く開き空色が覗くと、セレスタインは真珠姫の方にゆっくりと顔を向けた。
「真珠ちゃん…」
「目が覚めたんですね!」
 真珠姫が嬉しそうに言うと場の空気が明るくなった。誰もが安心したように微笑み、セレスタインが弱々しく微笑み返した。
「どうやら…殺されずに済んだらしいな…」
「あぁ…無我夢中で都市から担いで来たんだぜ。ゼンガーさんは涙腺崩壊するし、てんてこ舞いだったよ」
「申し訳ありません……。貴方が死んでしまうと思ってしまうと、理性を保てなくて」
「どうするの〜?珠魅狩りと珠魅の関係は〜〜?アタシは手ぶらじゃ帰れないわよ〜〜」
 呆れて生意気に言い放つジェンティアがゼンガーを指差し、鼻のかみ過ぎで赤くなった鼻をこするゼンガーの横で、ベナトナシュが訊ねる。セレスタインはうっと、言葉に詰まって気怠そうにベッドから体を起こした。真珠姫に握られていない方の手で顔色の悪い頬を掻く。
「実際問題、会いたくない」
 セレスタインが肩を落とし丸くなった背中にメガロードが降り立つ。顔を覗き込まれたセレスタインは薄く笑う。
「大丈夫なのか? メガロード」
「お陰様でな。お前の核がだいぶ馴染んで来た。………済まないな」
「いいんだよ」
 セレスタインは言ってから思い出したようにため息をついた。
「あぁ…こんな体じゃバトルハンマーの餌食になっちまう…。あぁ…真珠ちゃんみたいにもう少し、大人しくてなよやかな女だったら良かったのにな〜」
 言葉ついでに真珠姫の手を握り返すセレスタインに、瑠璃は大げさに眉を寄せたが何も言わない。瑠璃が僅かに口元を歪ませた。今までの憎悪たっぷりの表情から笑いを堪えるかのように歪み、肩が震える。それに気付いたジェンティアが、瑠璃の肩を小突いた。
「何か言いたげだな」
「アンタら…知らなかったのか?」
「何が?」
 一斉に見つめられてたじろぐ瑠璃だが、瑠璃を見つめた視界の外から、鋼鉄のような硬く冷たい声が響いた。
「大人しくてなよやかな女、でなくて悪かったな」
『ぎゃあああぁぁぁぁあぁぁっっ!!!』
 瑠璃とレディパールを除いた、5人の悲鳴が部屋を揺さぶった!
 真珠姫がレディパールに変身したのだ!
 慌てて飛び退こうとしたセレスタインは、レディパールに手を握られているため、なんとも無様な格好でベットから転げ落ちた。まるで幽霊を見ているかのような視線をレディパールに向ける。
「し、し、真珠ちゃ…んが、い、居たんじゃ、ななななかったのか!?」
「真珠姫はもう1人の私だ。お前達の会話は真珠姫の中で聞いていた」
 ぐいっとセレスタインを引き寄せる。
「こうやって話をするのは初めてかも知れんな、珠魅狩りセレ」
 起きたばかりで体の調子がすこぶる悪いセレスタインは、なすがままに引っ張られた。セレスタインが引っ張りあげられるように立ち上がると、焦点が合っていない目でレディパールの顔を見た。
「お前達の条件。呑もうではないか」
「………は?」
「珠魅狩りの子孫に手を出さぬよう、私から言ってやろう。だが、もちろんお前も珠魅狩りの子孫に、珠魅への手出しを禁じるよう命じてもらうぞ」
 レディパールの言葉に気が抜けたのか、セレスタインはレディパールに僅かに寄りかかった。実際は立っているのも辛いんだろうが、女性に寄りかかるのはどうだろうかとメガロードは思う。
「……そりゃ…願ったり叶ったりだが……」
「セレ」
 レディパールに呼ばれてセレスタインは「なんだ?」と返した。
「随分と変わったな」
「そうか?俺なんかよりもパール、お前なんか別人みたいじゃないか。………いい加減、腕を放してくれ。キスしそうなくらい顔が近いじゃないか」
 セレスタインが迷惑そうに言って体に力を込めるが、レディパールの手を振りほどくに至らない。体の不調が無くともレディパールの武器がバトルハンマーである時点で、技やスピードが劣るとしても力はセレスタインを凌駕していた。
「良いじゃないか」
「相変わらず、嫌な性格してやがるな」
 レディパールが僅かに微笑むのを見て、セレスタインはとてつも無く嫌そうな表情を浮かべた。