骨の城独占輸入 パンプキンウォッカ

 険しい山と谷に囲まれた人の手が入る事の難しい大地の奥に、『薬草の聖地』と薬剤師達が囁く土地がある。その地の薬草はどれをとっても良質で、マナの力に満ちていた。今でも魔法学校の生徒が魔法薬の授業の為、ひいひい言いながらやって来る。
 昔からその大地には守護者がいた。その守護者の力がその大地を豊かにしていた。だが今はその守護者がいない事を、朽ちて行く大地が告げていた。『薬草の聖地』から巧妙に隠された守護者の棲む城は主を失っていた。メガロードは幾億と積み重った骨が巨大な竜の骨に見える辺りで、その事を感じ取っていた。マナの波動も感じず、骨の城からは全く生気が感じられない。セレスタインもメガロードの隣で渋い顔をした。
「ジャジャラのおっさんは、ティアマットに吸収されちまったんじゃねぇか?」
「あぁ…。多分そうだと思う。だがこの目で確かめてみなくてはな」
 メガロードの言葉に頷くと、セレスタインはちょっと嬉しそうに望遠鏡を覗き込んだ。
「不死皇帝の旦那が生きてるんじゃないかな?あの人は正式なドラグーンじゃなかったはずだから」
 ドラグーンとなった者は、契約を結んだドラゴンが死ぬと、寿命や体の状態に関わらず死んでしまう。だがこれから訪ねるジャジャラの元に仕えていた不死皇帝という男は、契約を結んではいなかったはずとセレスタインは言う。
「不死皇帝の旦那はジャジャラのおっさんの所から出て行きたがっていたけど、あんな目立つ人が、他所に行っている噂も聞かない。きっと骨の城で酒でも飲んでんじゃない?」
「なんだ、不死皇帝は酒好きだったのか?」
 メガロードが訊くと、セレスタインは「凄かったぞぉ」と懐かしそうに笑った。
「無茶苦茶なアルコール依存症だった」
「だからジャジャラと上手くいっていたんだな」
 セレスタインが不思議そうに首を傾げると、メガロードは「凄かったぞぉ」と懐かしそうに笑った。「真似するなよ」とどつかれる頃には、骨の城の入り口にたどり着く。
 巨大な口のような入り口は馬車でも楽々入る巨大さである。顎の仕掛けを使って入り口を開けたセレスタインは、中を覗き込んでとても嫌そうな声を漏らした。
「…………また模様替えしたのか?罠が新しいぞ」
 メガロードもセレスタインに続いて中に入る。メガロードも骨の城にやってくるのは久しぶりで、セレスタインの言う違いが分からない。
 入り口は高い吹き抜けになっており、目の前に筒状の壁に設置された昇降機がそびえ立っている。骨の隙間から差し込む光が美しい模様となって、城の中を彩っていた。セレスタインは硬く閉まった昇降機の扉をガタガタ揺さぶる。しかし、開かないと悟ったのかその前に置かれた台の一つに寄りかかった。
「ダメだ〜。開かない〜…」
ずず…
「ずず…?」
がぁん!!
 台が沈み込んだ次の瞬間、入り口の床が抜け落ちた!
「だあああああぁぁあぁああぁ!!!」
「セレスタイン!!」
 悲鳴を上げて落ちて行くセレスタインを、とっさに浮かんだメガロードが追おうとしたが止める。今のメガロードの大きさでは、セレスタインを引き上げるのが無理だと悟ったのだ。
「セレスタインがこれくらいで死ぬとは思えないし、先きにジャジャラに会って来るか」
 メガロードはそのまま上昇すると、昇降機を囲む筒に開いた隙間の前で止まった。なんとか通れる大きさだと確認すると、メガロードは早速穴に入り込む。
「く、苦しい…」
 メガロードがもがくと筒の一部である骨がいくつか折れる。どうやら骨粗鬆症の骨だったらしい。何十本か折った所で、ようやく昇降機が昇り降りする空洞に出る事が出来た。
 本来ならここまでする必要はないのだけれども、メガロードは確かめる為に来たのだ。自分がティアマットに負けた事で、彼自身に何らかの心変わりがあったのではないかと…。もし…殺してしまっていたら…。メガロードは自分に言い聞かせる。
「止めなくては。何としても…」
 世界の秩序を守る『知恵のドラゴン』の責務であるからだけではない。世界の支配者となるべく行動を起こす前のティアマットを知っているから、メガロードも放っておく事などできなかった。

 昇降機を抜けてジャジャラの住処へ続く巨大な橋は、骨によって集約された山の風によって横から殴りつけるように強風が通り過ぎて行く。以前のサイズの時はここから出入りしていて、こんな風などに怯える事はなかった。メガロードはキュピィ…とため息をついて橋の手前で立ち止まった。
「小さいと不便だな。こんな強風では吹き飛ばされてしまいそうだ」
 メガロードは別の入り口を探すべく引き返そうとした時、背後から衣擦れの音が聞こえた。
「珍しい来訪者じゃな。ジャジャラならとっくに死んでおるぞ」
 背後からかけられた声は生き物の声帯が発するものではなく、脳内に直接訴える魔法の声だ。ガチャリガチャリと骨が擦れ合う音に混ざって、衣擦れの音が聞こえて来る。マントが風にはらんでたなびく音が、メガロード真後ろに響いた。
「……貴方が不死皇帝?」
「その通り!儂がイルゾワール・エナンシャルクじゃ!」
 真紅のマントを纏った立派な獣人の骸骨がカタカタと顎を鳴らしながら答えた。骸骨の瞳には強い光が宿り、しっかりとした意志を持って存在していると察する事ができる。生前は相当大きい獣人っだったのだろう。小さいメガロードは完全に反り返りながらイルゾワール・エナンシャルク…かつて不死皇帝と謳われた男に訴えた。
「私は『知恵のドラゴン』の一人、メガロードです。ジャジャラに会いに来たんです」
「ジャジャラはこの前『砦落としのラルク』に殺されてしまったぞ」
 不死皇帝の瞳に浮かぶ光が瞬く。脳内に響く声はまるで世間話をしているように、平然と事実を述べる。哀しみも憤りもその中に含まれてはいなかった。
「それは分かってるんですけど…確かめに来たんです。その…あのですね、小さすぎて風に飛ばされそうなんですよ…。連れてってくれませんか?」
 情けなさに真っ赤になってうつむいたメガロードを見て、不死皇帝は顎が外れそうになる程に口を開いて笑った。ひときしり笑うとメガロードを拾い上げて、台風の強風のような風が通り過ぎる橋を渡る。不死皇帝が飛ばされないのも、骸骨であっても相当の重量があるという事と、骸骨であるが故に風の抵抗が少ないからだろう。
 橋を渡りきると、異常な程のアルコールと火薬の臭いでが充満していた。
 メガロードにも心当たりのあるその匂いは、ジャジャラがこよなく愛する酒『パンプキンウォッカ』である。パンプキンボムをつけ込んだ酷く辛口の酒で、ちょっとした温度変化で爆発するため、飲んでちょうど胃の辺りで爆発するのだ。世界で一番危険な酒として有名である。
 奥に大きい布で覆われた何かがある。
 メガロードはその何かを問う前に不死皇帝がその布を取り払った。朽ち果てた巨大な骨は損傷が激しく、布を取った衝撃だけで少し崩れた。メガロードは崩れかけた骨の頭を覗き込んだ。
「ジャジャラですか?」
「あぁ…そうじゃ」
 凄まじい攻撃だっただろう。一撃一撃が深く骨をえぐり、切断し、粉砕している。
 ラルクはこんな攻撃ができる男であっただろうか?と、メガロードは一度戦った男を思い首を傾げる。彼には肉親がいて、今でも心の隅にはその肉親を思う気持があった。目的を持った瞳だったが、それでもその為に全てを捨てられる程冷徹な男ではなかったはずだ。
「ジャジャラだからか?こんなに痛めつけて…、息絶えても攻撃し続けたのではないか?どうして…」
「兵士に殺意はない。他者を殺すのは王の殺意だ。それはドラグーンを抱えるお主が一番分かっておるだろう?」
 メガロードの体がビクッと震えた。
「えぇ…私が命じれば、セレスタインも風読み師も従ってくれる。そうさせているのは私…私の意志です。ジャジャラの亡骸を見れば…それを実行したラルクを通して、ティアマットの真意を見る事ができると思ったのです」
 ジャジャラの骸に触れると脆くも崩れ去る。砂の塊のような脆さであるのも、ティアマットがジャジャラの魔力を根こそぎ奪ったからだろう。
 メガロードはジャジャラの骸から視線を剥がし、不死皇帝を見上げる。
「意外です。セレスタインからは貴方がジャジャラから、解放されたがっていると聞いていたのに…。もう貴方を束縛するものは何もありませんよ?」
 子供より小さい年上を見下ろしながら、不死皇帝は首をひねった。
「さて…どうしてじゃろうな。妻ともいつでも会えるし、何となく居心地が良かったんだろう。ジャジャラの元は…」
 メガロードは不死皇帝の事は風の噂くらいしか知らないが、その戸惑うような瞳の光に、聞いていた冷徹なイメージはなく人情味溢れる人物と察した。第一『知恵のドラゴンきっての蟒蛇』であるジャジャラに従って行ける者など、きっと一生お目にかかれないと思っていたくらいだ。毎晩毎晩パンプキンウォッカの晩酌につき合わされて、腹に風穴が開かないのは今までメガロードくらいだったし。
 この不死皇帝は忍耐も人もかなりできている。
「すまない。そんな居心地の良い場所を、こんな形で失わせる事になってしまって」
 小さい頭がぺこりと下げられる。不死皇帝はちょっと驚いたように瞳の光を瞬かせると、大きく手を振った。
「お主が謝ったとて仕方がない。聞いてはいたがマナストーンを悪用する者から、命がけでそれを守らねばならんのがジャジャラの使命なのだろう? ジャジャラはその使命を果たしたんだ」
 言葉が終わらぬうちにメガロードの前に樽が置かれた。火薬のような匂いが鼻を突き、それがパンプキンウォッカであると分かった。そのさらに奥で不死皇帝が樽を煽ると、肋骨の隙間から溢れ出た爆発が空気を吹き飛ばす。
 爆風に煽られて入り口手前まで吹き飛ばされたメガロードを見て、不死皇帝はさも愉快そうに顎を鳴らした。丸くなって衝撃を逃がしたとはいえ、メガロードは恥ずかしさに赤くなりながら差し出された樽の前まで戻って来る。戻って来たのを見計らってか、不死皇帝の声がメガロードの脳内に響いた。
「儂とて寂しいさ。ジャジャラくらいではないと晩酌も物足りなくてな…。 知っておるか?この城の地下にはパンプキンウォッカの地底湖まであるのだぞ」
「ジャジャラらしい…一年も保たんだろうな」
「儂も飲むからな。せいぜい半年じゃろうな」
 不死皇帝の笑い声につられて、メガロードも樽に満たされたウォッカを啜る。火を飲み込むような熱さが喉を転がり落ちると、胃の辺りから火炎を伴う熱風が込み上げる。
 メガロードがむせ返った。
「ごほっ、ごほっ!!味は悪くないけど…やはり久しぶりに飲むのか、ごほ、上手く飲めない」
 小さい影を見つめながら不死皇帝はまた樽を1つ空ける。速いペースで樽を空ける不死皇帝の骨はおそらく、奈落の溶岩に漬けても溶ける事はないだろう。ジャジャラも骨がきしむ程のペースで飲んでいた光景が重なって見える。
 酔う事のできない体から、自嘲気味の声が発された。
「儂も人の事は言えんが、かつての同胞を殺し天下を治めようとは…」
「ティアマットは天下を治めようとしている訳じゃないんじゃないかなと思うのです」
「なんと」
 メガロードの否定の言葉に、不死皇帝の瞳の光が驚いたように大きく光る。
「私とティアマットは…きっと同じ目的を持っているんだと思います。やり方は納得できませんが私もティアマットも他種族と、かかわり合いが持ちたいという点で同じ目的なのではないかと思うのです。 世界を支配する事も直接他種族と関わる事ですから。………まぁ、お人良しの考えと言われてしまえば、終わりですがね」
 メガロードは弱々しく微笑むと、ウォッカを啜ってむせる。
「何となく分かる気がするよ。つくづく幸せ者だな、ティアマットとやらは」
 不死皇帝がパンプキンウォッカを煽ったのを見計らって、メガロードは床にへばりついた。すぐさま襲う爆風が背中を過ぎ去るのを感じながら、メガロードはため息をついた。爆風をやり過ごさなくては身が保たないからだろう。
 爆風が過ぎ去って骨の隙間から煙が立ち上る不死皇帝は、ゆっくりとメガロードを見下ろした。
「儂も世界を手に入れようとした男だからな。しかし付いてくる者はいたけれど、儂を止めてくれる者は居らなんだ」
 不死皇帝は大げさに両手を広げ天井を仰ぎ見た。
「全てが欲しい。人も土地も名誉も命も、全てが欲しかった。……だが今は何も持ってはおらぬし、不死である事が恨めしい。望んで手に入れたはずなのに、今はそれを捨てたいと望んでおる。 いつかティアマットも思うかもしれない。仲間を殺してでも手に入れたそれが、疎ましく感じるかもしれない。後悔を背負って永遠に等しい時を生きて行かねばならないかもしれん」
 パンプキンウォッカの爆風で白く煙り立つ室内を、メガロードは懐かしそうに眺めた。まだ『知恵のドラゴン』同士で争う前は、よくこの煙の奥でティアマットが胸焼けを起こしていた。ヴァディスに背中をさすられるあの真紅の背中が煙の奥に見えそうだった。
 その背中を見て何度笑っただろう? メガロードは悲しくなる。
「貴方も…後悔に押し潰されそうなんですか?」
「もう、儂を覚えておる者は居るまい。時間に救われたのだよ、不死である事を呪っておるのにな」
 小さく、短く笑うと、言葉を続ける。
「だが、儂自身が後悔していないと言えば嘘になる」
「セレスタインも何も言わなかったのですか?」
 セレスタインはかつて不死皇帝に仕えていた。何か言うに違いないと、メガロードは思った。
「あぁ、あの珠魅狩りの若造か。アイツはしたたかな男だった。珠魅の都市を滅ぼす為に我々帝国をも利用したからな。 儂のする事に口を挟む真似はしなかったが、最後の珠魅の都市を滅ぼした夜に話をした」
不死皇帝は空になった樽を置いて、黙り込んだ。煙が動いていなければ、時間が流れていないとすら感じさせる静寂が辺りを包み込む。
「珠魅を狩る事も、他種族から逃げる事も、どっちも正しくないから互いに退く事はできない。仕方がなかった、こうするしかなかったんだ…と言っておったな」
 どっちも正しくない…。仕方がない…。メガロードは意味を反芻する。
 『知恵のドラゴン』の使命を遵守するなら、自我を殺してでも世界を守らなくてはならない。しかし『知恵のドラゴン』も生き物である。孤独には耐えられないし、望みもある。その望みを叶えようとする事は生き物として当然の事なのだ。
 どちらも正しく、どちらも正しくない。
「私ももっと早く気付いていれば良かった。もっと、もっと、いい方法があったに違いない。争わなくても折り合いが付く方法があるに違いない……いつも、いつも、考えていた」
 目の前にいる不死皇帝も珠魅狩りであったセレスタインも、戦争に関わる者達が皆考えただろう。
「でも」
 時代の流れをメガロードは感じる。
 時代の変わり目には、古き伝統と新しい革新の間でいくつもの悲劇が起きる。『知恵のドラゴン』は世界が出来上がってから数々の悲劇を見てきた。
 この『知恵のドラゴン』同士の争いもその1つなのだ。ただ世界を支えるだけでは満足できない、世界の秩序の管理人である『知恵のドラゴン』はついにそう考えるまでになった。他種族と関わる事が禁忌である古い風習を、ティアマットは正しくはないが打ち破ろうとしたのだ。メガロードのやり方とは違う方法で。
 我々がファ・ディールを支えている。ファ・ディールに生きる者達の意志を反映し、守る立場にいる。
 我々もファ・ディールの住民なのだ。ファ・ディールの支配など、間違っている。
 決して譲れないのだ。
 互いに退く事はできないのだ。
 どちらかが倒れなくてはならないのだ。
「こうでしか、決着が付けられないんですね…」
「賢くなる事などできんよ」
 不死皇帝は囁くような言葉が爆風に押しつぶされる。
 幾度となく見て来た戦争と悲劇を、自らもこんな形で味わう事になるとは思わなかった。自分だったらこうできるのにと、悲劇を見ながら思いめぐらしていたにも関わらず。
 自惚れていたのだろう…とメガロードは薄く笑った。
「そうですね」
 メガロードがパンプキンウォッカを一気に飲み干すと、口からボゥと炎を出す。むせ返る事はなかった。
 なるようにしかならん。
 なら、する事をすればいい。
 どんな結果になろうとも。
 『世界を守る』事と『自由になる』事を、我々は両立させる事はできないのだから…。
 酔う事のできない者達がくり広げる爆風を伴う酒の席に、上がって来たセレスタインが訝しげな顔をするのはまだまだ先である。