デュマ砂漠携帯食 サボテンの実

「あじぃ…」
 空色の髪を汗でびっしょりに濡らしたセレスタインは愚痴る。
 風すら届かぬその鎧の中は質の悪いサウナで、片手に持った団扇は役に立たなかった。色とりどりの民族衣装が遠方から来た者だと主張し、ごつい鎧が手練だと見せびらかす人波は、砂漠の熱気と仲良く体感温度を上げてくれる。
 そんな彼はデュマ砂漠の一つ手前にある集落を急ぎ足で進む。建物の日陰で待っている主が、セレスタインに気が付いて小さく翼を振った。
「大丈夫かセレスタイン?」
 プチドラゴンサイズのメガロードは、帰ってきたセレスタインに労いのつもりで翼を振って風を送る。
「うぅ…もう駄目…」
 ようやく遥かに年上の空色のプチドラゴンの元にたどり着いたセレスタインは、ぐったりと地面に頭を付ける。日陰に生えた爪くらいの高さしかない草むらではあるが、氷に触れているような涼しさを与える小さな神様だ。メガロードはセレスタインが一息ついて顔を上げたのを見計らって話しかけた。
「どうだった?砂漠越えのキャラバンはいたか?」
 ファ・ディール最大級の砂漠を単身で超える事は不可能だ。旅人は商人達のキャラバン隊と共に砂漠越えをするのが常識だ。
 セレスタインは小さく万歳する。
「やっぱり数週間前から現れた盗賊団のせいで、どのキャラバンも砂漠越えを見合わせてる。討伐隊を出そうとかそんな意見や目処は今の所ないらしい」
「お手上げか…。どうする? 砂漠越えを諦めて迂回するか?」
「どのキャラバンも言うのだが、やはり砂漠越えが最速だそうだ。ここからじゃ見えないが、砂漠を迂回するととんでもなくきつい山やら渓谷やらばかりでな。直進すれば数週間なんだが迂回すれば数カ月かかるかもしんないんだ」
「だが、ここで時間を無駄にする事はできないぞ」
 セレスタインが少し俯いて黙り込んだ。真剣な表情からこの辺りの地形や気候条件や、移動日数、最短経路を比較しているのが分かる。でも考えているその姿を見せられると、なぜか恐ろしく感じるメガロードだった。
「そうだな…少し時間はかかるが迂回するか」
 セレスタインが荷物を持って立ち上がると、ふと、視線を感じて人波を見る。
 川のように留まる事のない大通りの流れの中に、立ち止まってこちらを見る者がいる。セレスタインよりも頭一つ小さいくらいのそれは、砂色のマントを纏っていて、すっぽりとかぶったフードから落ちる濃い影に顔も分からない。フードの影から唯一見てとれる口が少し開いた。
 メガロードも警戒を露にした次の瞬間には、怪しい何者かが俊敏な動きでセレスタインとメガロードの前に躍り出た!
 槍が問答無用で何者かを薙ぎ払おうとした瞬間、マントから伸びた手がフードを取り払う。
 顔の真横ぎりぎりで止められた槍に一瞥もくれず、そのフードの下にあった顔は嬉々としてセレスタインを見上げていた。ちょうど中年くらいの少し皺の刻まれた花人の女性が、瞳に涙をたたえてセレスタインの腕を乱暴に叩いた。
「セレ!セレじゃないかい!?」
「ト…トアート!?あんた…生きてたの!?」
 腕が手のひらの形に赤くなっているというのに、セレスタインは痛みよりも驚きの表情で花人の女性を見下ろした。


「しっかし驚いたよ。あんたともあろう者が、こんな所でプチドラゴンのお守をしてるだなんて。息子達が聞いたら笑い転げてお腹で聖水を沸騰させちまうよ」
 そう言いながらまだ真っ昼間でありながら、満員御礼の酒場のカウンターの片隅で豪快に笑う。二人と一匹の前には酒より高い貴重な水が、コップの中に少なくも多くもない絶妙な量で満たされている。
 愉快でしかたなさそうに笑うトアートに、セレスタインも上機嫌でメガロードの肩を叩いた。
「メガロード、この人はトアートっていう俺の友人だよ。トアート、こいつが転職先の上司のメガロード」
「宜しく、トアートさん。だがセレスタイン、別に私はお前を部下扱いしてる訳ではなかろう」
「良く言うぜ。大体、お前が…」
 止めなければ延々と続く口喧嘩を聞いて、トアートは楽しそうに笑う。
「随分できた主人じゃないか。噂には聞いていたが、本当に転職できたんだねぇ」
「そんなことよりもトアート、お前も生きてるってどうして連絡しなかったのさ? 心配してたんだぞ〜」
「おやおや、嬉しいねぇ。こんなおばさんの心配してくれてたのかい?」
「当たり前だろ。あの断崖絶壁の大地の裂け目に落ちてくたばったと、息子のルミルから聞いていたんだぞ」
 完全に置いて行かれたメガロードは、昔話に花を咲かせる会話を聞き流しながら酒場の中を見渡した。
 砂漠の砂塵がうっすらと床に積もった店内は、外から差し込む強い日差しでくっきりとした陰影を結んでいた。外の黄金色にメガロードも見た事のない異国の装束のシルエットや、砂塵よけのマントの影が夜よりも黒く見える。
 通りの人波が見える窓をメガロードはなにげなく見た。
「!!」
 セレスタインとトアートが同時に振り返った!
 視線はメガロードがなにげなく見た外に向けられていたが、メガロードは驚いて声が上ずる。
「どうしたんだ、2人とも?」
「殺気…だったかねぇ?」
 トアートが店内を舐め回すように見ながらセレスタインに訊ねる。セレスタインも緊張した面持ちをメガロードに向ける。
「メガロード、誰か見ていたのか?」
「さあ? 例え見ていたとしても逆光だったから、顔とかは全く分からないだろうよ」
 「そうか」と緊張を解いて座り直すのを見届けると、ようやくメガロードの耳に酒場の喧噪がうるさく入ってくる。メガロードにも感じる事ができなかった殺気を、セレスタインはともかくトアートも感じた辺り、トアートもかなりの手練のようだ。
「それはそうと、これから砂漠越えかい?」
「そうなんだ。だが盗賊騒ぎで迂回する事にしてるんだ」
「だったら、うちのキャラバン隊と行かないかい?急ぎの荷物があるんだが、あの盗賊騒ぎで護衛を増やそうかと話していた所なんだよ。アタシから掛け合ってあげるけど、どうするかい?」
「そりゃ助かる。良いだろ、メガロード?」
 とんとん拍子に決まっておきながら、なんだかんだ言って、メガロードの了解を得るセレスタイン。セレスタインなりに立てているのだろうと思いながらメガロードは首を縦に振った。それを見届けて、トアートは残った水を煽った。
「今回の砂漠越えは楽しくなりそうだねぇ」


□ ■ □ ■


 砂漠の道のりは退屈極まるものであった。
 メガロードがその退屈の最たる物として上げるのが、食事である。デュマ砂漠に入る場合、食糧よりも水を多めに持って行かねばならない。食料を調理する場合必ずと言って良い程水を使うので、砂漠を渡る際はある物以外ほとんど口にできない。
「もう…サボテンの実は見たくない…」
「我が儘言うなメガロード。水気たっぷりでタンパク質な味だが、水を使わなくても栄養が摂れる優秀な砂漠の食材だぞ」
「嫌な物は嫌なんだ!味が無くて、美味しくもない!もう二度と砂漠に来たくない!!」
 よほど口に合わなかったんだろう……セレスタインはそう苦笑すると、メガロードの癇癪を宥めにかかった。
「料理は水を使わなきゃならん。だからといってキャラバン隊の水を使ったら殺されても文句は言えん。オアシスまで辛抱しろ」
 昼間は岩場にできた日陰に身を潜め、太陽が沈んだと同時に道を行く。
 例え馬車に水を満載していると言えど、人間が日差しの下を歩けば数時間も経たずに脱水症状になる。それにこのデュマ砂漠は広すぎて、一週間も進んだ今でさえ、行程の半分しか進んではいなかった。砂嵐に遭ってしまえば、倍の時間が必要となる事を知る者にとっては順調な砂漠越えらしい。
「オアシスだ!!」
 声にキャラバン隊の表情が明るくなった。月明かりに照らされた天の恵みが小さな星空のように輝いている。
「ようやくちゃんとしたご飯にありつけるな〜」
「全くだねぇ…。何度砂漠越えを経験しても、油断できないからねぇ」
 馬車に座り込んで休憩していたトアートとセレスタインが安心したように話し出す。メガロードも『ちゃんとしたご飯』という言葉に、お預け食らったペットのように瞳を輝かせた。
「だが良かったな。今のところ盗賊に襲われなかったからな」
「いやいや、本番はここからだぞ、メガロード。狙うなら、砂漠を超える寸前だろう。その辺りに着く頃には疲れも極限に達しているから、こちらの集中力も戦力も随分とすり減っている。あとは…」
 キャラバン隊の誰かがセレスタインを呼ぶ。どうやら食事の支度の手伝いをせがまれているらしく、セレスタインは後ろ髪を引かれる思いでメガロードとトアートの元から離れて行った。
「この中継地点であるオアシスさ」
 うっすらと草が生える地面を叩きながらトアートが言葉を引き継いだ。
「水の補給や体力の回復の為に、しばらくここに居座るからね。奴らにしてみれば一塊でいる今ならば、囲い込んで攻められる絶好のチャンスだからねぇ。それにここは岩場と茂みが多い。隠れて潜むには都合がいいのさ」
 メガロードもトアートにつられて周りを見渡す。確かにオアシスの周辺には、一軒家並の大きさの岩が所々固まっている。さらに生い茂る草木によって遠くまで見渡す事はできない。
 暗闇を不安そうに見つめるメガロードに、トアートは膝を付いて微笑んだ。
「大丈夫だよ。セレもいるし、アタシもしっかり守ってあげるからね」
「ありがとうございます」
 頭を下げるとトアートが子を慈しむ親のように微笑んだ。その優しい微笑みにメガロードは思わず鼓動が高まる。
「ごめんね…。息子達を思い出しちまったよ」
 答えに困るメガロードにトアートは「もう死んじまったがね」と笑う。その笑みが余りにも寂しそうなそれではあるが、メガロードはあえて慰めようとしなかった。『先立たれる哀しみ』は分かる。けれども肉親どころか自らがお腹を痛めて生んだだろう子供に先立たれる哀しみは、メガロードの想像で推し量るには失礼だと思った。
 メガロード手がトアートの手の上にそっと重ねられる。
 トアートの冷たい手と重ねたプチドラゴンの手に、雨でもないのに水が滴った。
 涙であるとは気付かぬ振りをしながら、あえて何も言わずに、メガロードはそのまま立ち尽くして冷たい手を温める。
 気が付くとセレスタインがトアートの後ろにいた。見上げたメガロードはその辛そうな顔が、すまないと呟いたのを見逃さなかった。


 メガロードがフラフラとオアシスにやってくると、見張り番として起きていたセレスタインが空になった樽に水を補充する作業の手を止めた。
「どうした?」
「トアートの事…。聞いては悪いとは思うのだが、気になってしまってな」
「アイツなりに苦労しているんだ。どんな事情があるかはトアートが語りたくなったら、話してくれるだろうよ」
「お前は知っているのだろ?」
 セレスタインは苦笑いを浮かべて重たそうに口を開く。
「トアートには2人子供がいたんだ。1人目の子供を失ってから俺達の所から姿を消していて、数年後2人目の子供がトアートの死を俺達に告げに来た。そして…死んでしまったよ。だがそれは…」
 セレスタインがそこまで言った言葉を、メガロードの小さい手が制した。
「風に殺意が混ざってる」
 砂漠を吹き抜ける強い風がオアシスに生えるヤシの木を大きく揺らす。頼りの月が流れる雲に隠れて視界はとても暗く、目を凝らしても岩場の影や暗闇に姿は見えず、気配も感じない。だからといって、メガロードの言葉を否定する事はセレスタインはしない。
 すぐにキャラバン隊のメンバーを揺すり起こすと、傭兵達を集めて指示を出して行く。
「オアシスを背にして陣を敷くぞ!重要な荷物はオアシスの方に、重要じゃないのは重たい物から外側に積んで防壁にするんだ!」
「お出ましかねぇ? なまっちまった腕が疼いてしょうがないよ」
 メガロードの隣に来たトアートが、なんとも嬉しそうに体の2倍はあるバトルハンマーを握る。慌ただしくなるキャラバン隊の動きに花人の女性は懐かしそうに目を細めた。
「やっぱりセレの声は良いね。昔のまんまだ」
 雲が流れる。
 殺意が風に乗って強くなってくる。
「来るぞ!」
 セレスタインの言葉と共に矢が岩場の上から射られる。矢は傭兵たちが構えた盾や積んだ木箱に阻まれて、キャラバン隊のメンバー誰1人に傷付ける事はない。そして矢に追随するように剣を握った盗賊達が躍り出る。
「アタシとセレが先陣切るよ!しっかり後ろを守っとくれ!」
 セレスタインとトアートが踊り出た盗賊達を切り倒し、なぎ倒して行く。その2人をかいくぐった盗賊は背後に控える傭兵達と戦闘になり、二重の陣に苦戦を強いられる。
「さすがだよなぁ…」
 舞うような身のこなしで盗賊達と切り結ぶ二人の背中を、メガロードは一番オアシスに近い最後部から見て呟いた。
 ざわりとオアシスが波立つ。
 そんな風の気配を感じてメガロードが振り向き様に吠えた。人には聞こえない声に風の精霊達が応じて、突風となって迫りくる矢を吹き飛ばす。
「なんだこのドラゴンは!?」
 勝ち誇った顔が驚愕に変わる。その表情を変えるという時間の内に、メガロードは素早く首に取り付いて盗賊の空気を奪って気絶させる。戦闘を避けて敵陣の背後に回った敵を見回しながら、メガロードは不敵な笑みを浮かべた。
「魔力が奪われているとはいえ、精霊達の力を借りる事ができんだ。私は決して弱くはないよ」
 オアシスの周りは包囲されていて、四方八方から盗賊達が攻撃を仕掛ける。メガロードは忙しく盗賊達の意識を奪いながら、オアシスを波立たせる殺気は盗賊達のものではないと感じ始めた。
 視線を巡らせば、トアートが意気込みたっぷりに背の高い男と向き合っている。
「アンタがこの木っ端共の頭だね!? さっさとくたばってしまいな!!」
 その男の目を見た時、メガロードはこの男が夜の砂漠の冷えきった風の中心だと直感し嫌な予感が込み上げた。
 トアートが言い放つとバトルハンマーを振り上げて、目の前に立つ盗賊の頭に振り下ろす…
 はずだった。
「……?」
「セレスタイン!!」
 メガロードが自分より彼女に近い男の名を叫んだ!
 トアートが驚いた顔がバトルハンマーを握った手に向けられている。堅く握りしめた手はそのままに、小刻みに震える腕は全く上がらない。
「なんてこったい!肝心な時に!」
 トアートはそう叫びながらバトルハンマーを持ち替えた。だが利き腕じゃない腕で握った獲物は、持ち主の動きを確実に鈍らせる。その間にも盗賊の頭が振り下ろした剣を後ずさって避けながら、トアートは全く反撃できずに追いつめられる。
 盗賊団の頭の憎悪に満ちた瞳が、砂塵避けフードの下から異様な程ぎらついて見え、ついに口元に笑みを浮かべた。
「何やってるんだよ!」
 トアートを追いつめる頭の背中をセレスタインの槍が一閃する。背中を切り裂かれた盗賊の頭は血を一滴も流す事なく、素早くトアートからもセレスタインからも離れて間合いから遠ざかる。
 頭が剣を三回打ち鳴らした合図に従ってか、盗賊達は切り結んでいた傭兵達から次々と離れて退いていった。
 気を失い取り残された盗賊達の上で喜ぶキャラバン隊の声とは別に、風に乗った男の声がメガロードの耳に届いた。
「必ず取り戻す…。待っていてくれアーシニア…」


 襲撃から一昼過ぎて太陽が沈み、キャラバン隊は残りの道のりを進むため馬車を進ませる。
「全くなんて戦い方だよ!トアート、お前一体どうしちまったんだ!?」
 馬車内でとても珍しい事にセレスタインが声を荒げていた。メガロードもここまで取り乱す姿を見るのは初めてと言っていい。冷静、的確、現実主義者がどうしてしまったのか、メガロードが訊きたいくらいだ。
「言ってくれなきゃ困るじゃないか!あのままじゃお前、死んでたかもしれないんだぞ!!」
 ついに肩をつかんでガタガタ揺さぶり始めたセレスタインの腕に、メガロードはしがみついた。珍しく混乱していて見えていない空色の瞳を覗き込む。
「セレスタイン、やめろよ。トアートさんだって無事だったんだから」
 しぶしぶ腕を離すセレスタインから、メガロードはトアートに視線を移す。
「トアートさん。このキャラバン隊は凄いお宝でも積んでいるのですか?」
「そんな物はないはずだがねぇ?この先の町に運ぶ食料と特産品くらいのはずなんだけど、それがどうかしたかい?」
 トアートは軽く首を傾げる。メガロードも荷物を見せてもらったが、金目の物は特に見当たらなかった。
「いや…『必ず取り戻す。待っていてくれアーシニア』という声が聞こえていたから…」
 メガロードの言葉にトアートの表情が変わる。驚きに呼吸するのを忘れているような表情から、やがて確信に変わってゆく。
「じゃあ、珠魅は涙を取り戻したのかい?」
「あぁ…ほんの数カ月前くらいに…」
「あの盗賊の頭…どっかで見た顔だと思ったら、おそらく200年くらい前に殺した珠魅だ」
 メガロードは驚く。例え花人といえど200年も生きられる種族ではない。
 誰かが問う前にトアートが袖をめくり上げると、両腕には宝石の破片がびっしりと突き刺さっている。痛々しさに目を背けようとしたが、その破片の微量の魔力にメガロードはその破片の正体を察する。
「珠魅の核か?」
「そう、あの盗賊の頭の姫の核だ」
 そう切り出したトアートは長く昔を語り出した。
「200年前、アタシは上の息子を失って、仲間達の元から離れたのさ。アタシは武器すら満足に扱えないほど、精神的に参っていたからね。旦那を珠魅に殺され、村を追い出され復讐に燃えてはいたけれど、その時はもう絶望しか残ってはいなかったんだよ。
 残された下の息子……ルミルっていうんだけどね、あの子には普通の、珠魅にも狙われない、人間にも裏切られない、珠魅狩りをして死なない人生を送って欲しかった。
 アタシ達はヘリオトロープ領で普通の暮らしをしようと思って、リュオン街道を進んでいたのよ。
 大地の裂け目までやってきてヘリオトロープ領まであと少しってところで、都市から逃げて来た珠魅とばったり出くわしたのさ。1人はあの盗賊団の頭。顔もきれいで精悍そうな男で、名前はロニゼックって名前じゃないかと思う。もう1人はそのロニゼックの姫、アーシニアって名前だと思う。
 ロニゼックは姫を守るためアタシを殺そうとしたのよ。アタシが珠魅狩りだと分かったんだろうね。
『アンタ達、このアタシを誰だと思ってるんだい!?今は狩りをする気分じゃないんだ。大人しく退くなら見逃してあげるよ』
『そんなでたらめ、信じられるか!!お前に殺された仲間の仇をここでとってやる!!』
 もうアッタマきたね。『珠魅に殺された旦那と息子の仇はアンタじゃ役不足だよ』って言ってやりたかったけど、こんな頭に血が上った珠魅に殺されてしまったら、ルミルも殺されてしまうと直感的に思って戦わなくちゃならなかった。
 でも、上の息子を失った心の傷も深かったんだろうね。一進一退の攻防の果てにロニゼックをようやく殺す事ができたのさ。
 駆け寄ってロニゼックの核を抱くアーシニアは、なんて言ったと思う?
 『もう珠魅を殺さないで下さい』って言ったんだよ。
『アンタ達は被害者ぶってるけど、いい加減にするんだね。見逃してあげると言ったアタシの善意を、そいつは無視したんだよ。愛する旦那を、愛しい息子を、大切な珠魅狩りの仲間を奪うアンタ達を、アタシがそんな一言で許すと思うのかい?殺すのを止めるとでも思うのかい!?アタシは珠魅を一生許すつもりはないよ!』
 アタシは言葉を吐く度に、怒りが燃えてきた。珠魅狩りを辞めてルミルと過ごそうと思った決意も消えて、もう一度珠魅狩りに戻ろうと思ったほどだったよ。
 ルミルの元に戻ろうと背中を向けた時、アーシニアの声が真後ろに聞こえてきた。
『もう、仲間が殺されるのは嫌なのです。殺すのが貴方のような優しい人なら、なおさら止めたい…』
 今でも思い出すだけで背筋が凍り付くよ。アーシニアはアタシの腰にしがみつくと、そのまま大地の裂け目に飛び込んだんだ。空がやけに眩しくて、ルミルの顔も輪郭しか見えなかった。すぐに米粒よりも小さくなったと思ったら、凄まじい衝撃に意識が飛んだんだ。
 どれくらい気を失っていたかは分からない。でも、アタシは生きていた。
 アーシニアはいなかった。核も転がってはいなかった。アタシが両腕を突いて立ち上がろうとした時、両腕に凄まじい激痛を感じてね、袖をめくるとアーシニアの核が腕に突き刺さっていたんだ。
 ………それからを境にいろんなものが変わった。
 夢や幻のようにアーシニアの記憶が見えるようになったし、珠魅を殺せぬようになった。何よりも辛いのは歳を取らなくなった事さ。あまりの辛さに自殺も試みたし、腕の核の破片を引き抜こうとしたが、アーシニアは許さなかった。
 ……そんなとこかね」
 語りを終えて静まり返った馬車内の沈黙を破ったのはセレスタインだった。
「で、どうしたい訳?」
「今はアーシニアを引き剥がす方法を探しているのさ。もう、旦那と息子達の元に行きたくてね…」
 『疲れちまってさ…』と唇だけが動いた。セレスタインが慎重にトアートの顔色を覗き込んだ。
 トアートはゆっくりとため息をつく。
「セレ、アタシはアンタが珠魅を一人残らず殺すのかと思っていたら、てんで違う手段に出たね。戦争の混乱に乗じて珠魅狩りを転職させて、社会の中に珠魅狩り居場所を作ったんだろうけど、結果的には珠魅を救うだなんて驚いたよ。珠魅を見破る術を持った珠魅狩りがいない、木っ端の盗賊しか珠魅を狩る者がいない世界は、さぞや珠魅が生き延びやすかっただろうに」
「なんだ、皆殺しにして欲しかったのか?そんな事は自分でするもんだぜ、トアート」
 しれっと答えるセレスタインにトアートは薄く微笑んだ。トアートがどれだけセレスタインを信頼し好いているのか、メガロードはその微笑み1つで十分分かった。
 メガロードはセレスタインのマントを引っ張った。
「なぁ、ロニゼックもアーシニアを取り戻したいと思っているのだろ?」
「そうじゃないの?」
「なら利害が一致してるじゃないか」
 メガロードは美味しくもないサボテンの実を齧りながら、顔を見合わせる2人の顔色を窺った。
 私がすることはないな…とメガロードは思った。
 この問題に関わるには、あまりにも部外者であり、知らな過ぎるとも思った。


 □ ■ □ ■


「どうしたんだい?メガロード?」
「お腹が空き過ぎて眠れないんだ」
 寝静まった仲間を起こさない程度にトアートは笑った。盗賊達の襲撃ポイントまであと一日という所で見張りは重要だ。
 仕方なくサボテンの実をマズそうに齧っているメガロードの横で、トアートは何が面白いのかセレスタインを見つめている。いつも見張りや保存食のつくり置きの為に起きていて誰よりも遅くに眠るから、実は滅多にお目にかかれないセレスタインがそこにいたりする。
 で、そのレアな顔はずいぶんと幼い印象だった。余裕か皮肉か嘘っぽい笑みがよく浮かぶ顔は穏やかで、口元はほんの少しだけ開いていて意外に艶やかで形の整った唇なんだなと思ってしまう。
(きっとトアートさんだから安心してるんだな)
 悔しくもあるし、意外な寝顔を見れて得したような、複雑な心境でメガロードは熟睡している友人の顔を眺めた。
「旦那と一緒の時、子供と一緒の時、どっちもセレと一緒だったの。家族と同じ。いや、アタシに残された最後の身内だろうね。結婚する時、子供が産まれる時、いつもそばにいてくれて、一緒に祝福してくれた」
 トアートが静かに言った。
「セレの顔見てるとあの時がアタシの周りに在るのを感じるの。旦那の手を、子供の声を、すぐそばに感じる」
 自分で自分を抱きしめるようにトアートは腕をまわす。
「でもね、変なのよ。『私達はお前のすぐそばにいるよ』って言ってくれるのに、迎えにきてくれた気配一つ見せない。『がんばってね、お母さん!』って息子達が言ってくるの。何をがんばれと言うのかねぇ?」
 この漠然とした死への欲望を固めてはならないと、少しでも未来への希望を持たせてやりたいと、メガロードは知りうる言葉から慎重に選んで声をかける。
「きっとトアートさんにしかできないことがあるんだよ」
「でもね。すぐそばに愛しい人がいるんだよ。そう、すぐそばに…」
 メガロードは戦慄した。すぐそばにいるだろう人の元へ行くのは簡単なのだ。
 命を絶てばいい。そしてトアートの命を奪いたくて仕方がない者が、この砂漠にいるのだ。
「アタシ、偵察に行ってくるわ」
「相手は準備万端で私達を襲おうしているんだ。危険じゃないか。今、セレスタインを起こ…」
「敵の獲物とか人数とか把握しておけば、こっちが断然有利になるからね。それに偵察は人数が少ない方が良いんだよ」
 行かせてはならないことをメガロードは理解していた。だから引き止めなくては行けない。だが、止める理由がどこにもない。
 いつものように笑って離れる花人の後ろ姿を見ながらメガロードは言った。
「セレスタイン。彼女、いっちゃうよ?」
 『追えと?』と顔に書いたセレスタインは、不機嫌そうに目を開けた。
「お前なら決着以外の答えが与えられると思うんだ。トアートさんを止められるのはお前だけじゃないか?」
「そんな大層な事、俺に求められてもな…」
 トアートの求めている決着以外の答えなど、与えられるわけが無い。トアートの死への執着がこの一人と一匹が思っていた以上に強かったのだ。だから黙って見送るのだと、困った顔が言っている。
「だがな、セレスタイン」
 メガロードが起き上がったセレスタインを見た。彼の視線が心配そうに、花人の未亡人の走り去った先を見ているのを知っている。
「お前はトアートさんにとって最後の身内なんだぞ」
 あまりの痛みに喘ぎ声がもれそうな、苦痛に皺が刻まれそうなほど深く、彼の顔は歪んだ。
 セレスタインはガリガリと髪を掻き回して、自信の無い声で笑った。
「さて、騎士はやる気が無い足取りで、盗賊のアジトに向かった孤独なる未亡人の夫人をお守り馳せ参じる事にいたしました……と」
 槍を手にしたセレスタインは、真面目な顔で、足早に、砂漠に向かって歩き出し一度足を止めた。
「ありがとな」

 トアートの足をとめる事ができる敵は、蜃気楼の幻よりもくっきりと彼女の目の前に現れていた。
「何のまねなんだいアーシニア?ロニゼックを殺して欲しくないのかい?」
 顔の皺が目立ち始めた花人より若い女性は顔を顰めた。苦しそうに瑞々しい下唇を噛み締めて小さい手を握りしめる。
「お生憎様。アタシはね、いい加減うんざりしてるの。この運命を自ら閉じられないなら、他人の憎しみを借りるまでなのよ」
 女性がトアートの腕にそっと触れた。その腕をつっぱねてトアートは飛び退いた。
「触らないでおくれ!家族を、仲間を奪った種族をアタシは許さないわ!」
 そこまで言って気が付いた。女性に触られた感触がはっきりあったのだ。
 今までは幻だったのに…。驚きを隠せなかったのか、感情が勢い良く未亡人の夫人から溢れた。
「アタシの死まで奪っておきながら、アンタはアタシに何を言いたいんだね!?」
 女性の口が開いた。
「俺は珠魅だ」
「セレ…?」
 その口からもれるのは、男の声。砂漠の黄金を大地に押し付ける色の髪を持つ、信頼する友人の声。
「でも、お前の友で仲間でもある」
 当たり前の事を告げる言葉が、疲れて混乱した思考に優しく浸透する。
「死なないでくれ」
 失った遠くへ行ってしまった家族。帰ってこなかった仲間。……一体何人にそう言ってきただろう?
 そう言われた愛しい人は皆笑ったんだ。
『死なないよ』と
「アタシも…」
 『死なないよ』と、そう言わなくてはならないのかい?と言おうとした言葉は、焼け付いた喉ではとても言えそうになかった。それをかの友に言うには酷過ぎると思った。それとも友で仲間だと確認する事を言って、安心させてあげる言葉を言ってあげればいいのかい?とも考えたのだ。でも死のうとしてるんじゃ、惨いよねぇ……と考え直した。
 そう思うと笑えそうだった。でも笑えない。
 目の前の女性は哀れむように目を細めていたから。
 あぁ…この子は確か珠魅だった。腕にこの子の核が突き刺さっているってのにどうして忘れてたんだろう?でもどうして哀れむような目で見られなくちゃならないんだろうねぇ?
 普段だったら怒りが込み上げてきてもおかしくなかった。珠魅が嫌いだったから。
 じゃあ、セレは?珠魅でありながら、自分が身内と言ってしまうほど親しい彼は?
 矛盾してる。
 なるほど、そうなんだね。大切な珠魅の友人がいながら、珠魅が嫌いだなんて、お笑いぐさもいい所だもんねぇ。
 でも、許せないんだよアーシニア。許せないんだよ。生き返って今までのことがなかったかのように生きてる種族が。家族を殺して仲間を殺して、そんな事、覚えてないんだって感じで暮らしてるあいつらが。とても許せそうにないんだよ。
 トアートはそこまで考えて気を失って倒れた。彼女はその女性が、限りない憎しみをまなざしに込めた精悍な顔つきの男になっていたのに気が付けただろうか?
「アーシニア…。君は俺に何を伝えたいんだ…?」
 彼は再び目の前に倒れる花人の腕に触れて、その鼻先に槍を突き付けられたのだった。


 □ ■ □ ■


 そしてメガロードとセレスタインとトアートの参加するキャラバン隊が、砂漠を渡りきってたどり着いた街に朗報が届いた。
「報奨金貰えないかな〜♪」
「警察の懐がそれほど温かいとは思わないのだが…」
「これが終わったら、美味しい物をたらふく食べようじゃないか。もうサボテンの実は食べ飽きたからね」
 豪快に笑うトアートにメガロードも心の中で大きく頷いた。サボテンの実は思い浮かべるだけで憂鬱だ。もう見なくて良いと思うだけでメガロードは幸福を感じてしまう。
「しかし…ロニゼックは出て来なかったねぇ」
 トアートが心配そうに警察に連行される盗賊団を見遣る。読み通り砂漠を渡りきる直前に仕掛けて来た強欲な人間達の中に、オアシスで見たロニゼックの姿がなかったからだ。しかしセレスタインはにこやかに心配を一蹴した。
「仲間を見捨てるような奴だったのさ。忘れてしまえ」
「そうだね」
 セレスタインもトアートもさっさと先きに行ってしまう。
 立ち止まって動かないメガロードは、背後の熱波とは違う風を背に感じて風上に首を巡らせた。
 珠魅の青年がメガロードを見ていた。短く清潔そうに整った髪の下で憎悪が浮かぶ視線がだんだん足下に下ってくると、その小さな竜は小ささとは不釣り合いな力強い視線をぶつけてきた。
「アーシニアは生きているよ」
 そして、トアートも生きてるよ。
「分かっている。あの腕にアーシニアがいる事も、アーシニアが仲間を殺すまいとしている事も、花人には過ぎた時間をアーシニアが与えている事も…」
 アーシニアの名前を言う度に、青年の瞳に浮かぶ憎悪が揺らぐのをメガロードはしっかり見ていた。
「様子を見ようと思う」
 珠魅の青年はそういい残し、メガロードは青年の声を聞いて、それぞれ別れた。
 角を曲がるとセレスタインとトアートが、店の看板に書かれたメニューを見ながら相談をしている。店のランチの名前が風に乗って聞こえてくるのを楽しみながら、メガロードは彼等の足下に歩み寄ってゆく。
 いつかあの見たくもないサボテンの実も、恋しくなる時が来るかもしれない。
 スケールは違い過ぎるがそのようにトアートとロニゼックに溝も、時間が解決してくれるかもしれない。
 憎しみを、哀しみを、やわらげるには時間が必要なのだ。

 そして、それこそがアーシニアの願いであるのだから…。