果樹園限定 ワールドフルーツ

 ファ・ディール最大の農業地帯と知られる場所は『ライジング・サン』と呼ばれている。
 元々はその地帯は手の着けられない程に荒れた荒野であったのを、どこからともなくやって来た人々が耕し、種を巻き、井戸を掘り、作物を育てて、永い永い月日を掛けて森と見紛うほどに芳醇な大地にしたのであった。土の質から果実の実る木々を育てるのに恵まれており、マナの質も潤ったおかげでドミナの果実に引けを取らない品質を持っている。
 しかし、なぜ荒野が森に変わったのか?変える必要があったのか?
 それは名の由来になった『ライジング・サン』が関係する。
 『ライジング・サン』とは珠魅狩りを中心とした大規模な傭兵の組織の名称だった。珠魅狩りは一般社会から嫌われる傾向にあり、組織として存続させるのに必要な場所として、どうしても人が寄り付かない場所を選ぶ必要があった。それが荒野にやってきた理由。
 集まる場所には人が増えたが、やはり食物を運搬するのも面倒だ。風景も殺風景で、全く面白くなかった。彼等は暇を見ては耕し、種を巻き、井戸を掘り、作物を育てて、運搬する手間を省こうとした。それが、荒野に作物を育てはじめた理由。
 最後に、珠魅狩りは最後まで珠魅狩りだった。珠魅が滅んでも彼等が高価な珠魅の核を持っているという噂は絶えず、珠魅狩りは身を寄せあって生きてきた。組合を立ち上げた人物が黄金の種という物を持ち、それを巻いたら森となったとの伝説もあるが伝説は伝説。永住した事が永い永い月日を掛けて森と見紛うほどに芳醇な大地になった理由。
 豊かな地方だった。
 今では珠魅狩りだけの土地ではなく、珠魅狩りの血も関わりも持たぬ者が暮らすようになった。傭兵の組織として生計を立てるという事は昔から変わってはいなかったが、珠魅狩りは確かに人々と暮らしていけるようになったという事実を純粋に喜んだものだと男は視線を豊かな自然に向けた。
「すみません、セレ。山脈に使者を送ったのですがいらっしゃらなかったので、重要な伝令とは言えアマレット殿に運んでいただきました」
「気にしない、気にしない。実際山脈の有り様を見れば動揺してもおかしくはない」
 獅子顔のたくましい男が頭を下げるのを、空色の髪の男が微笑んで制した。
 獅子顔の男は傭兵組合『ライジング・サン』の現頭領。組合に属し彼の命令に従っている部下たちは、頭領の変わり様に驚く者は少なくない。何時も偉そうに腕を組み、気性が荒く、部下達がどうにもならない事態にならないと腰を上げないが、判断能力も実力も優れた重厚な獣人の男である。しかし世襲制ではない組織故に、その実力は誰からも認められていた。
 尊敬すら抱いていた高圧な人物が、若い優男に頭を下げる様など誰が想像できようか。
 しかも優男と来たら、プチドラゴンなんて愛玩動物までペットとしてつれ歩いているのだ。頭領は気が触れたのか、と囁く声まで聞こえる。
「お前は珠魅狩りの一派で最も大きい組織を抱えてるからな。いろんな問題があるだろう」
 優男はどこまで知っているんだか分からないほどに核心に触れた言葉を笑って言った。
 空色の髪と瞳にこれまた空色の鎧を着込んでいる、見た目は青年を超えても中年には遠い男である。プチドラゴンもこれまた空色で、知恵でもあるのか大人しく男の傍で丸くなっている。空色尽くしの来客がいる空間は、室内だというのに外にいると錯覚するような雰囲気をかもし出していた。男の気配は軽快で清々しく、ドラゴンは穏やかで風のマナに満ちていた。
 こんな珍客を見守っている者達は、男の名前がセレスタインであると知っている者はいるが、ドラゴンの名前まで知っている者はいなかった。彼等の頭領であるゼンガーもメガロードという名前を知っていても実物を見るのは初めてであったのだ。
「実は、最近無差別の殺人が起きているのです」
 ほう、とセレスタインの眉根が片方跳ね上がった。
「殺された人物は無差別…と言いたいですが珠魅狩りの子孫ばかり。…今のところは。この組合は半分以上が珠魅狩りの子孫ですから、たまたま殺した人物が珠魅狩りの子孫だったという確率は半分以上です。これからも重ねられていけば、子孫でない人物も殺される可能性もある」
「警察は動くのか?」
 ファ・ディールには警察がある。世界で逮捕権限を持つ唯一の組織であり、刑事の質は決して悪くない。
「勿論です。当主はいなくとも事情に精通したヘリオトロープの人間と、ベナトナシュ一派にも連絡済みです」
 彼等のいる部屋を覗き込んでいる者達は、彼等の頭領であるゼンガーの言葉の内容を知っているがために固唾を飲んだ。そんな緊迫した気配にメガロードが薄らと目を開けて、敏感にその気配の中身を探った。
「返答は最悪です。どこでも珠魅狩りの子孫が殺されています。しかし、状況はここが最悪だ。おい、今日も何人殺された?」
「8人だ」
 メガロードがひょっこりと顔を上げて平然と答えた。メガロードにすれば空気に漂う血の臭い、血の質から個体とどれぐらいの時間が経っているかまで知る事ができる。知恵のドラゴンという伝説の存在の成せる技とはいえ、そんな事を知らぬ野次馬共は驚きを隠せなかった。頭領の問うた相手は我々だと思っていたから、答えられるのも我々だと思っていたから尚更だ。
「昨日は13人だな。遡ればまだ、いる。もう嗅ぎ分けるのも難しいが」
「深刻だな」
 セレスタインはテーブルに肘をつき、手に顎を乗せて溜め息を付いた。その顔に優男らしい優しさはどこにもない。
「ただ殺すのでは足りはしない。身体を傷つけて死ねると思えるのは間違いだと、教えてやる」
「やはり犯人は珠魅…でしょうか?」
 ゼンガーがセレスタインに問うた。それは同意を求めるような口調だ。
「他の組織も起こってるなら、珠魅と考えるのが妥当だなゼンガー。しかも単体じゃないぞ。複数で、同志を募り、復讐を果たさんと跳躍する、まさに殺人鬼の集団だ。今までそんな事が起きなかったのに、なぜ今起きているか?答えは簡単だ。彼等は取り戻したんだ。互いに信じられる理由を、集える環境を、そして…涙をね」
 ざわめきが空気を振るわせた。
 伝説、遠いおとぎ話の存在であった珠魅が蘇ったのだ。ある者はついに来たかと武器に手をかけ、ある者はそんな存在がなぜ人を殺すのかと首を傾げた。それらが大きくなるというのに、セレスタインが大きくもないが通る声で続けた。
「だが、このままで終わるものではないぞ。これは再現だよ、ゼンガー。珠魅の奴らは復讐を果たそうとしている。珠魅狩りが珠魅の都市を滅ぼしたように、今度は珠魅が珠魅狩りの住処を滅ぼそうとしている。一度殺された恨みを、果たそうとしているんだ。全く、復活できる奴はいい。人間は死んだら恨みようなどないのに、珠魅は死んでも生き返って恨めるから大したものだ。そんな条件を普通だと思って振り翳す奴の根性を叩き潰してやる」
 セレスタインが緩慢な動作で席を立つと同時に圧倒的な気配が静かに上った。
 殺気でも闘気でもない。それは圧倒的な腹立たしさから来る怒気だ。
「少し、頭を冷やしてから作戦を考えよう」
 セレスタインらしいな。そう思いながら、彼の後をメガロードは追った。

 月の出る時間だ。
 見上げる月は果樹園と呼ばれる森林地帯の甘い空気の中で霞んだように輝いていた。甘い空気を放つ、撓わに実った果実も全てが月の光に宝石のように輝いて、黒々とした葉の茂みから星のように瞬いた。地上に夜空があると錯覚すれば、空の星空と鏡合わせのように天も地もない。遥か遠くに、まだ夕焼けが燻っているのが印象を深める。
「時代がかわった気がするよ、メガロード」
「だろうな。私もそう思うよ」
 メガロードはそう言って明月を目を細めて見遣った。
 隣に立っているセレスタインも腰に手を当てて月を見上げているようだ。珍しく呟くのは、彼にしてみれば心の整理をつける独り言。
「俺は命で遊ぶ真似はしない。珠魅狩りをしていた時は仲間の命が懸かっていた、死の物狂いだ。珠魅からも人間からも国からも護らなくてはならない。珠魅共は憎かった、そりゃあくたばれ蘇るな二度と起きるな奈落へ落ちろと罵詈雑言吐いて殺していたものだ。それでも、平静の時の俺は、悪いことをしたと思っている。殺されたとて文句も言えん、いつ殺されてもおかしくはない、罪など過去など消えやしない。こんな事しないで生きられれば良いと思う、いや、願う」
 だが…とセレスタインは歯を食いしばった。
「今殺している連中は、何のために命を奪っている?珠魅を殺しただろう珠魅狩りは、もう、一人を残して全員マナの聖域へ旅立った。子孫に何の罪がある。ただ珠魅狩りを親や先祖に持っただけ、ただそれだけの理由で殺してしまう。いや、奴らはそれが言いたいのか。珠魅狩りは何の罪もない珠魅を殺した、たかが金のために、そう言いたいのか。確かにそうだ」
 むぅ、と唸った。
 そんな考えて理由を得られる事がセレスタインにとって『時代が変わった』と実感させるものなのだとメガロードは感じた。
 泥沼な珠魅と珠魅狩り、狩る者と狩られる者、そんな関係の両方の事を考えられる、それは当事者としては新鮮なことだろう。向き合っているときは、心底理解できない理解したくないと思うものだ。しかし、今は戦争が終わったのだ。珠魅が一時的に滅び去り、現役の珠魅狩りはご先祖様と呼ばれてもおかしくない程の昔の人となった。
 実際は戸惑っているのだ。珠魅と珠魅狩りの立場が逆転したと言ってもいい。
「だが、人が殺されているのは事実だ。どんな理由でも同意を集めても、私は人殺しを決して認めないぞ」
 メガロードの言葉にセレスタインは頷いた。
「そうだろう。理由など関係はない。理念など関係はない。命が奪われ殺されている事実は、実行した者を殺人犯であると示す。警察は捕まえ、世界の法律に裁かれる。殺す事は例外なく、悪だ」
 しかし…とメガロードは首を傾げた。
「珠魅は裁かれるのか?」
「愚問だぞ。裁かれる必要がある。彼等が犯罪を犯した場所は、人の住む…社会的動物の住う場所だ。我々が彼等の築いた社会というルールに従っている領域は、普遍なく社会の一端だ。どんなに珠魅が『我等の常識では珠魅狩りは殺されて当然』と主張しても、犯罪を犯した事を社会のルールは認めない。刑事が犯人を止むなく殺害するのには免許が、認め許される資格が必要だ。しかし、刑事だとて殺す事を正当化しない。悪だと知っている前提がなければ、免許のある者ですら裁かれる」
 そこでセレスタインは重いため息をついた。
「珠魅狩りが珠魅を殺して裁かれなかったのは、世界が、社会が安定していなかったからだ。戦乱は国々の間で火花を咲かせ、混乱した情勢は犯罪の取り締まりが行える状況じゃなかった。しかし今は違う、そこが違う。時代が変わったと思い知らされるんだ。俺も時代に従わなくては裁かれる」
「じゃあ…、珠魅を殺すつもりはないんだな?」
「お前、そんなに俺に警察の牢屋に入ってほしいのか?」
 セレスタインが怨めしそうな顔をしてメガロードを見下ろした。
 全力で首を振って否定するも、メガロードが放った嬉々と期待のこもった言葉は消せず全く説得力がない。
「お前が殺さないで別の形でどうにかしようと思っていることが、個人的に嬉しかったんだ」
 本格的に暗くなり月明かりを背にして影になった表情だったが、それでもメガロードはその顔があからさまに引きつったのを見た。心外だ、そう言いたげに。
「俺は心の底から仲間を殺した奴を恨んでいるぞ。目の前にいたら殺した奴らが味わった苦痛すべてを味あわせて死なせてやる。だが、それができない。全く悲しいことだぞ、メガロード。殺す事は悪だと思えたとき、その殺人は罪になる。罪は重いが、重みの裁量は本人の匙加減、償う意志があるほどに重く理解が深いほどに重い。それを知った時、罪への畏怖が悪へ走らす事を妨げる」
 無数の星が輝いた空は明るく、木々の葉すらも透かして大地に降り注いだ。
「珠魅は罪とは何か、よく分からないだろう。都市から出ることが難しいのは社会のルールを理解できないからだろう。世界を知らないんだ、当然だ。馬鹿な奴らだ」
 同情なのか呆れなのか、セレスタインは呟きを天に放った。舞い落ちる言葉は降り注ぐ光の如く淡く小さくなってメガロードに届く。
 メガロードはティアマットのした事を重ねて思うと、正直複雑だった。同族が罪を犯したことは悲しかったし、憎かった。だからといって殺す事など考えられない、護ってやりたい、罪を償うのを手伝ってやってもいいから、許してやりたい。きっとセレスタインが感じているのは、こんな気持ちかもしれないと思った。
 風が木の葉を揺らし雲を流す。甘い果実の匂いが心の複雑な心境を解きほぐすようで、メガロードは胸いっぱいに吸い込んだ。


 □ ■ □ ■


 傭兵組合『ライジング・サン』は巨大な崖の中に本部を持つ。
 崖の中を穿ち抜いて作られた砦は難攻不落と讃えられた。砦の眼前に広がる農園地帯は扇状に広がり見通しがよく、崖は強固な岩で多少の魔法では破壊できず、入り口となる場所は少なく侵入は容易くはない。しかし何よりも傭兵達の高い質があっての事である。
「長い歴史を誇りますが、砦の中にまで入ってきたのは初めてでしょう。先代達に顔向けができませんよ」
「んな事気にする奴らじゃないから大丈夫だよ、ゼンガー。まぁ、相手を取っ捕まえるまでは油断するなよ」
 重装備の鎧をまとったゼンガーの後にセレスタインとメガロードが続く。
 彼等がかき分ける者達も、目に付く者全てが武装している者ばかりである。それなりの広さを持つ砦の中も、彼等がそれぞれに持つ武器の為に狭苦しいほどだ。砦の上部に位置する大広間は天井が高く、天井から床までの高さになる窓が内部に光を注いで光も必要ない。その全員を見渡す事のできる舞台に立ったゼンガーは、その容姿に相応しい雄々しい咆哮ともいえる声を響かせた。
「共に太陽を迎える仲間よ!いい様だろう、我等は何人かは知らないが敵に仲間を殺されている。何人が太陽を迎える事ができず夜の闇で果てた。宣戦布告をするぞ!仲間を殺し、我等が家に土足で踏み入る奴を吊るし上げる!そして、次は珠魅の都市だ!いつまで経っても人を目の敵にする分からず屋共を、我等の手で根絶やしにしてくれる!!」
 堅牢な崖を形成する岩という岩が振動するほどの声がわき上がった。
 武器を振り上げて咆哮する全てを圧倒する気迫に気圧されながら、メガロードの隣では、にやけながら眺めていたセレスタインが口笛を吹いた。
「ゼンガー、はまり役だなぁ」
「セレスタイン、珠魅の都市を攻撃するだなんて話、聞いてないぞ」
 メガロードの言葉にセレスタインが盛大に吹き出した。震える肩の向こうから、堪えたが為に歪んだ笑顔をメガロードに向けた。
 笑いを堪えて歪んだとは言え、メガロードは寒いものを感じて僅かだが身を引く。
「さっき言ったろ?殺す事は悪だと思えた時その殺人は罪になり、罪への畏怖が悪へ走らす事を妨げる。これだけ珠魅狩りの子孫に的を絞って殺人を重ねる奴は、ただ、珠魅狩りへの憎悪だけしか持っていない?いや、憎悪もあるだろうが奴にとっては良いことをしているのだろう。珠魅狩りが再び珠魅を狩る事を恐れている、奴はそれを感じて珠魅の不安を取り除こうと珠魅狩りを殺しているんだ。珠魅狩り?珠魅狩りとは誰だ?珠魅を直接殺した者は、この、セレスタイン以外はもう生きていない。と言う事は相手は『珠魅狩り』なら何でもいいのだ。本人だろうが子孫だろうが珠魅狩り『みたいな』奴ですら、区別などつかない。その憎悪は曖昧で、短絡的で、快楽的で、自分が…ない」
 ゼンガーが拳を握り、さらに吠えた!
「行くぞ!傭兵共!まずは侵入した奴を血祭りに上げてやるぞ!!」
「必ず挑発に乗る。己の無い正義など、俺は許さない」
 セレスタインの暗く鈍い色に鋭い光を宿した瞳が、殺気だつ傭兵の海を見渡した。
 この状態のセレスタインをメガロードは恐ろしいと感じる。己の行っている事を悪だと知っておきながら行う、その剛胆さ。珠魅が悪と封じた多種族との交流をし続けるこの男は、確かに悪そのものだろうと思った。しかし、不思議なことだ。彼を見ていると、メガロードは悪にもいろんな種類がある事を思うのだ。微妙で些細な違いだが、何かが違う。
 そしてセレスタインの暗い声が静かに消えた時、広間に微細な変化が起きた。
 生き物が発する怒号ともつかぬ咆哮に押し流される空気を裂いて、駆け抜ける者を、舞台から傭兵達を見ていた者は見た。
 くすんだ色のローブのフードを深々とかぶり、姿勢を低くして傭兵達の背を押しのけ脇をすり抜け舞台へとまっすぐに突き進んでくる。動きは速く、フードの影で顔も見えないが大柄な傭兵達の隙間を縫って進むほどだ、大柄な人物ではない。
 それを視認した瞬間、獅子顔の獣人は嬉しそうに牙を覗かせて口を薄く開き、そこから色でも付けたなら雲が流れたようにゆっくりと息を吐いた。しかしそんな呼吸とは裏腹に手は見えぬ速度で自らの頭身とあるだろう両手剣を引き上げ、振り上げ、振り下ろした。軌跡が巨大で真っ白な円を描き、無造作な動作は風を呼び空気を切り裂いて、叩き付けた力が暴走とも思える力で空間を震撼させた!
 崖の一部である石舞台が割れ、無数の破片を剣を振り下ろす動作が呼んだ空気が連れ去って侵入者に襲いかかった!
 襲いかかったのはゼンガーの放った暴力だけではない。
 空色の軌跡が破片を追い抜いて侵入者に迫り、槍でもって薙ぎ払おうとする!
 侵入者は飛び上がって避け、その場に居合わせた傭兵達も飛び退って、その場には自然と人が作り上げた円形のリングが出来上がる。
「どうした客人。フードくらい取らなくては挨拶もできんぞ!!」
 セレスタインが侵入者のフードを跳ね上げようと、大きく踏み込む!マントが翻り鈍い色の暗がりからしなる動きで棒が飛び出し、槍を跳ね上げ槍の柄で棒が生きているかのように方向を変える。ヌンチャクだとその場の人間が理解する間に、セレスタインは槍をあっさり手放しさらに踏み込んでフードの中に拳を叩き込んだ!フードを拳が貫くとローブが重みを失ったかのように空を舞い、ローブの暗がりから青年といえる年齢の男が短剣を握って踏み込む!セレスタインは前屈みの状態で、青年に懐を飛び込まれた状態になった。
 避けられる距離じゃない。メガロードが叫ぶ。
「セレスタイン!!」
 瞬間、青年とセレスタインが横様に吹き飛ばされた!
 あの瞬間のやり取りの合間に詰め寄ったゼンガーが、巨大な両手剣の腹で二人を薙ぎ払ったのだ!まっすぐ吸い込まれるように、空間に差し込む光の方向へ、外へ飛ばされていく!
 誰もが青くなる。外は崖だ。落ちれば命など無い。
「受け取れ!」
 ゼンガーが青白い光を投げ、セレスタインの手に収まった時、それはセレスタインの槍となる。
 次ぐはガラスの割れるけたたましい音。天井に近い位置で激突した為に大量の破片が火花のように広間に煌めいて映った。
 セレスタインは槍を壁と水平にして、窓ガラスの棧に引っかけ飛ばされる勢いがとまる。体に急制動がかかる衝撃で一瞬空中に留まったと錯覚したが、次の瞬間引っ掛けた棧諸共床に向かって落ちてゆく!砦の中に唯一残ったセレスタインの手は窓ガラスで引き裂かれることを恐れてか、砦の外に出され、槍だけが窓を切り裂いて破片を火花のように舞い散らす。
 きっと、床に接した瞬間に槍を突き入れ、引っ掛けて静止するつもりなのだ。メガロードはそう思い、急いで窓辺に向かって飛んだ。ゼンガーも引き上げるつもりなのだろう、傭兵達を押しのけて巨体にも重装備にも似合わない俊敏な速度で窓辺に差し掛かる。
 案の定、槍は窓の最も下の部分で壁と床に引っ掛けられた。手はしっかりと槍をつかんでいたが、窓ガラスを突き破ったために、重力で下に引きずられているために、非常に痛そうに手にガラスが食い込んでいた。メガロードもゼンガーも急いで駆け寄って、救助に邪魔な窓ガラスを破り、下を覗き込んだ。
 セレスタインがいるはずだ。
 そう思っていた。
 セレスタインは槍を持っていない方の手で、侵入者の手首をつかんでいた。
 青年の光沢質な青い髪の奥にあるアクアマリンに見違えてしまいそうな薄い色の瞳と、メガロードの目が合った。瞬時に広がったのは怯えのような色、敗北と圧倒的不利と未来を予測できない不安が唇の色を一瞬にして紫に変え、形の良い輪郭が月の光でさえ解けてしまいそうなほどに白くなった。さらに下には宝石の煌めきが肌に食い込んでいる。
 珠魅だ、間違いない。メガロードの瞳が少しだけ見開かれた変化に青年は敏感に反応した。状況を理解し、パニックを起こし、暴れ出したのだ!
「放せ!離せよ!!」
「バ、バカ!暴れるな…ぁあ!!」
 槍を掴んでいた手が滑って剥がれ落ち、セレスタインと青年が落ちてゆく!しかし、次の瞬間窓ガラスの割れる音が響き、再び急制動の衝撃が二人に走って静止する。どうやら階下の窓ガラスを突き破り、それに手を掛けて留まったようだ。
 弾かれたようにゼンガーが駆け出す!おそらく階下へ向かうのだ。
 メガロードは飛んでセレスタインに空中から近付いた。
 青年は子供のように頭を振って体を揺すり、何とかセレスタインの手から逃れようともがいていた。口から叫びとして出るのは『放せ』という言葉だけで、興奮しきっている。
「馬鹿やろう!死にてぇのか!!暴れるなガキが!!」
 セレスタインは下に顔を向けていて見えないが、声にはかなりの怒気を含んでいた。相当、怒っているのがメガロードには分かる。
「落ちれば、死ぬぞ!核も砕けてジ・エンドだ!分かってるんだろ!」
 それでも青年が暴れるのを止める兆しは見えない。セレスタインはさらに怒鳴りつけた。
「逃がすものか。貴様が死んだら俺達は負けだ。何に負けるか。貴様の振り翳した正義に負けるんだ。珠魅の不安を取り除こうと行った貴様の正義に、俺達は負ける。貴様の正義が珠魅を奮い立たし、珠魅と珠魅狩りは大戦争だ。世界の平和が台無しだ」
 セレスタインが息を詰まらせた。
 手に食い込んだガラスを、メガロードは痛々しそうに見つめた。今のメガロードでは、どうがんばっても大人二人どころか一人ですら持ち上げることはできない。
 乱暴に扉が開かれる音がガラスの向こうで響いたかと思ったら、ゼンガーが部屋に飛び込みガラスを打ち破る!セレスタインが青年の腕を掴んでいるのを認めると、大声で怒鳴った。
「セレ!そんな奴の手など離せ!谷底に落として、くたばってしまえばいいんだ!!」
「駄目だ、ゼンガー。早く引き上げてくれ、指が千切れちまう…」
 そんな事言わなくていいから…、とセレスタインは苦痛に満ちた顔でゼンガーを見上げた。
 確かに、手を離すならとっくに離しているものな。メガロードは引き上げられて安全になったと自覚して冷静になった時、口には出さなかったがゼンガーに突っ込んだ。ゼンガーも気まずそうに、警察を呼ぶように言い放ち話題から遠ざかっているのを見ながら。


 □ ■ □ ■


「貴様には…罪を認めてもらう。絶対にだ。人を殺す事の罪深さ、悪という事、認めてもらわなくては俺達の勝ちではない。俺達にとって勝ちとは、貴様が珠魅が罪を認め、珠魅狩りだろうが誰だろうが殺す事は悪と認める事。珠魅と珠魅狩りの戦争が云々は俺達がどうにかするさ」
 そこでセレスタインは青年が目を上げるまで、しんぼう強く待つ。
 青年の薄い青い瞳がようやく上がった頃、セレスタインはようやく青年に向けて笑った。
「名は?」
「…」
 青年の返答がない事をセレスタインは気にも留めなかった。そうか、と真剣な表情になって言葉を続けた。
「人生はゲームじゃない。誰も人生で遊んでいる者はいない」
 メガロードは目を見張ってセレスタインを見上げた。
「お前が人生を遊びに持ち要ろうとする限り、誰もお前を認めないだろう」
 青年の目は理解しがたいのか、理解した気配は見えなかった。それを見て苛ついたのかゼンガーが青年の手にかかった縄を無理に強く引っ張り、警察に突き出した。
 青年は一度も振り返ることなく、連行されていった。反省を見せる事のなかった背に、ゼンガーが吐き捨てるように言った。
「あんな奴、二度と出て来なくていい。一生…、いや、死なないとしても一生か、牢獄の中にいればいいんだ」
 セレスタインは獣人の呟きにため息をついた。
「…珠魅の都市は、牢獄なのかもしれないな」
「…?」
「いや、レディの気遣いに涙が出そうになっただけだ」
 いやいやいやいや、そうじゃない。頭を振って否定するセレスタインは、包帯でぐるぐる巻きになった手を忘れて荷物をつかんで悲鳴を上げる。
 メガロードはセレスタインの言葉を反すうし、支配者となろうとしているティアマットを思った。いや、巨大な力を与えられ世界の守護者となっている知恵のドラゴンという存在を思った。我々の存在が明るみに出た時、果たして人は認めてくれるのか?珠魅は生命の形が人と違う。寿命がない以上、珠魅という種族の生死感は人と違うのだ。だが、珠魅以上に我々は違うだろう。
 セレスタインと共に歩ける事に感謝する。思えなければ考えることなどできず、彼の言葉がなければ、思うこともできないだろう。
 ドラグーンとはこの為にいるのかもしれない。我々が、ファ・ディールの命であるということを実感するために。神ではないと、喚起させる。
 忘れてしまったら彼のようになるのだろう。そしてティアマットに、なるだろう。
「もう旅立たれてしまうのですね。これ、道中で召し上がって下さいね」
 名残惜しそうに、雄々しさや荒々しさなど微塵も感じさせない穏やかで丁寧な口調で、ゼンガーはバスケットに盛大に盛られた数多くのフルーツを差し出した。メガロードでも見た事のないフルーツもいくつかあるほどに、その種類は豊富だ。
「我が組合の果樹園で育てた『ワールドフルーツ』です。世界中の様々な種類の果実の詰め合わせですよ」
 いろんな人間がいるんだろうな。
 見たことのない珍しいフルーツを見ながら、青年の遥か向こうにいるだろう未知なる人々をメガロードは思った。
 再び悲鳴が上がった。見れば包帯の巻かれた手で握手して、セレスタインがゼンガーの前で蹲っていた。
 可笑しくて、その場の誰もが笑った。
 笑い声の響く空は、明るく暖かく優しい。誰もがこの空を好いて、この空の下にいてくれる。
 空の守護者はそれを感じて誇らしく笑った。